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ゾルゲ事件じけん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ゾルゲ事件じけん(ゾルゲじけん)は、来日らいにちしたリヒャルト・ゾルゲ頂点ちょうてんとするソ連それんスパイ組織そしき日本にっぽん国内こくない諜報ちょうほう活動かつどうおよび謀略ぼうりゃく活動かつどうおこなっていたとして、1941ねん9月から1942ねん4がつにかけて[1]その構成こうせいいん逮捕たいほされた事件じけん[2]。この組織そしきなかには、近衛このえ内閣ないかくブレーンとしてにちちゅう戦争せんそう推進すいしんしたもと朝日新聞あさひしんぶん記者きしゃ尾崎おざき秀実ひでみや、この事件じけん有罪ゆうざいとなり廃嫡はいちゃくとなった西園寺さいおんじ公一こういちらもいた。

経緯けいい

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ゾルゲらの諜報ちょうほう活動かつどう

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捜査そうさ

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ゾルゲの外国がいこく通信員つうしんいん身分みぶん証明しょうめいひょう

特別とくべつ高等こうとう警察けいさつ1930年代ねんだいより、日本にっぽんでの共産党きょうさんとう関係かんけいしゃ検挙けんきょしゃ情報じょうほうや、アメリカ連邦れんぽう捜査そうさきょく(FBI)の資料しりょうなどからアメリカ共産党きょうさんとう日本人にっぽんじん党員とういん情報じょうほう収集しゅうしゅうし、アメリカ共産党きょうさんとう党員とういんである宮城みやぎあずかとくやその周辺しゅうへん内偵ないていをかけていた。宮城みやぎや、おなじアメリカ共産きょうさん党員とういんで1939ねん帰国きこくした北林きたばやしトモなどがその対象たいしょうであった。これらの共産党きょうさんとう関係かんけいしゃ内偵ないていをかけるなかでスパイもう発覚はっかくし、その捜査そうさ開始かいしにつながったとされている。

また、無線むせん電波でんぱ都内とないからソ連それん方面ほうめんおくられていることを察知さっちしていた日本にっぽん特別とくべつ高等こうとう警察けいさつは、スパイの内偵ないていすすめていた。なお、満州まんしゅうこく憲兵けんぺいたいからソ連それん押収おうしゅうしてロシア国内こくない保管ほかんされていた内務省ないむしょう警保きょくの「特高とっこう捜査そうさいん褒賞ほうしょう上申じょうしんしょ」には、ゾルゲ事件じけん捜査そうさ開始かいしは「1940ねん6月27にち」であったとしるされている[3]。1941ねん4がつにはソビエト連邦れんぽう大日本帝国だいにっぽんていこくとのあいだにち中立ちゅうりつ条約じょうやく締結ていけつ成功せいこうしたが、ドイツはそれでもソ連それん進攻しんこうどくせん勃発ぼっぱつした。

逮捕たいほ

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そのだい東亜とうあ戦争せんそう(太平洋戦争たいへいようせんそう)開戦かいせん直前ちょくぜん1941ねん9月27にち北林きたばやし逮捕たいほ皮切かわきりに、特別とくべつ高等こうとう警察けいさつ事件じけん関係かんけいしゃ順次じゅんじ拘束こうそく逮捕たいほされた[注釈ちゅうしゃく 1]10がつ10日とおかには、ゾルゲの自宅じたくには日本語にほんご教師きょうしという名目めいもくで、また、大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶんもと社員しゃいん近衛このえ内閣ないかく嘱託しょくたく尾崎おざき秀実ひでみ自宅じたくにはむすめ教師きょうしとして出入でいりし、両者りょうしゃ連絡れんらくやくをおこなっていた[5]宮城みやぎ麻布あざぶりゅうはにまち下宿げしゅくさき逮捕たいほされ、築地つきじ警察けいさつしょ連行れんこうされる。このさいおこなわれた家宅かたく捜査そうさすうおおくの証拠しょうこしなつかり、事件じけん重要じゅうようせい認識にんしきされた。

さらに、宮城みやぎたく視察しさつすることによって10がつ13にちにはきゅう房子ふさこ秋山あきやま幸治こうじ逮捕たいほされた。宮城みやぎ特別とくべつ高等こうとう警察けいさつ調しらちゅうに2かい取調とりしらべしつまどからりて自殺じさつはかったが、ひじり病院びょういん搬送はんそうされて手当てあてけ、逮捕たいほ3にち調しらべは再開さいかいされた。以後いご陳述ちんじゅつはじめ、この陳述ちんじゅつから尾崎おざきや、ドイツの「フランクフルター・ツァイトゥング寄稿きこう記者きしゃ[6]をカバー(偽装ぎそうした身分みぶん)として、東京とうきょう在住ざいじゅうしていたゾルゲなどがスパイであることが判明はんめいした。

このとき、在日ざいにちロシアじんアレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリニスト)、おなじくレオ・シロタ(ピアニスト)、そのむすめベアテ・シロタ・ゴードン(のちの日本国にっぽんこく憲法けんぽう起草きそうしゃ一人ひとり)、クラウス・プリングスハイム指揮しきしゃ)の次男じなんクラウス・フーベルト・プリングスハイム、関屋せきや敏子としこ声楽せいがく)などの音楽おんがく関係かんけいしゃもスパイ容疑ようぎをかけられた[7]

捜査そうさ対象たいしょう外国がいこくじんがいることが判明はんめいした時点じてんで、警視庁けいしちょう特高とっこうでは、特高とっこうだい1くわ外事がいじ捜査そうさ投入とうにゅうされた。尾崎おざきとゾルゲらの外国がいこくじん容疑ようぎしゃ同時どうじ検挙けんきょしなければ、外国がいこくじん容疑ようぎしゃ国外こくがい逃亡とうぼう大使館たいしかんへの避難ひなん、あるいは自殺じさつなどによる逃亡とうぼう証拠しょうこ隠滅いんめつ予想よそうされるため、警視庁けいしちょう一斉いっせい検挙けんきょ承認しょうにん検事けんじもとめた。しかし、大審院だいしんいん検事けんじきょくにちどく外交がいこう関係かんけい考慮こうりょし、まず、総理そうり退陣たいじん間近まぢか近衛このえ文麿ふみまろちか尾崎おざきおなじく近衛このえないかく嘱託しょくたくであった西園寺さいおんじ公一こういち検挙けんきょにより確信かくしんてから外国がいこくじん容疑ようぎしゃ検挙けんきょすべきである、と警視庁けいしちょう主張しゅちょうみとめなかった。

このため、10月14にち尾崎おざき検挙けんきょ先行せんこうしておこなわれ、東条とうじょう英機ひでき陸相りくしょう首相しゅしょう就任しゅうにんしたどう10がつ18にち、ゾルゲら外国がいこくじんメンバーが一斉いっせい逮捕たいほされた。10月18にち外事がいじ検挙けんきょはんけてゾルゲ、マックス・クラウゼンブランコ・ド・ヴーケリッチの3外国がいこくじん容疑ようぎしゃ同時どうじ検挙けんきょした。このさい、クラウゼンたくからは証拠しょうことして無線むせん発見はっけんされている[8]よく1942ねん昭和しょうわ17ねん)には、尾崎おざき同僚どうりょうであった朝日新聞あさひしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ政治せいじ経済けいざい部長ぶちょう田中たなかまき次郎じろう3月15にち)、どう部員ぶいん磯野いそのきよし4がつ28にち)が検挙けんきょされた。

逮捕たいほ

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グループの逮捕たいほ尾崎おざき友人ゆうじん衆議院しゅうぎいん議員ぎいんかつひろしちょうめい南京なんきん国民こくみん政府せいふ顧問こもんつとめるいぬやしなえけん、ゾルゲの記者きしゃ仲間なかまでヴーケリッチのアヴァス通信つうしんしゃ同僚どうりょうであったフランスじん特派とくはいんロベール・ギランなど、すうひゃくにん関係かんけいしゃ参考さんこうじんとして取調とりしらべをけた。なお当然とうぜんながら近衛このえ関与かんようたがわれたが、その辞職じしょくえいべい開戦かいせん不問ふもんとなった。

なお、ゾルゲが当時とうじ同盟どうめいこくであるドイツじんであり、しかもオイゲン・オット大使たいし大使館たいしかんづけ警察けいさつ武官ぶかんけん国家こっか保安ほあん本部ほんぶ将校しょうこうヨーゼフ・マイジンガーしたしいことや、前年ぜんねんにイギリスのスパイの疑惑ぎわく逮捕たいほされたイギリスロイター通信つうしんしゃ特派とくはいんのM・J・コックスが、特高とっこうによる取調とりしらちゅう自殺じさつしたこと(コックス事件じけん)もあり、とく外国がいこくじんたいする取調とりしらべは慎重しんちょうおこなわれたという。

ドイツ大使館たいしかん

ゾルゲの逮捕たいほけてマイジンガーは、ベルリンの国家こっか保安ほあん本部ほんぶたいして「日本にっぽん当局とうきょくによるゾルゲにたいする嫌疑けんぎは、まった信用しんようするにあたいしない」と報告ほうこくしている[9]。さらにゾルゲの個人こじんてき友人ゆうじんであり、ゾルゲにドイツ大使館たいしかんづけ私設しせつ情報じょうほうかんという地位ちいまであたえていたオット大使たいしや、国家こっか社会しゃかい主義しゅぎドイツ労働ろうどうしゃとう東京とうきょう支部しぶ在日ざいにちドイツじん特派とくはいん一同いちどうもゾルゲの逮捕たいほ容疑ようぎ不当ふとうなものであると抗議こうぎする声明せいめいぶんした[10]

またオット大使たいしやマイジンガーは、ゾルゲが逮捕たいほされた直後ちょくごから、「友邦ゆうほう国民こくみんたいする不当ふとう逮捕たいほ」だとして様々さまざま外交がいこうルートを使つかってゾルゲを釈放しゃくほうするよう日本にっぽん政府せいふたいしてつよもとめていた。しかし、もなく特別とくべつ面会めんかいゆるされたオットは、ゾルゲ本人ほんにんからスパイであることをかされる。

これをけてオット大使たいしは、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務がいむ大臣だいじん辞表じひょう提出ていしゅつしたが拒否きょひされた。さらにその1941ねん12月に日本にっぽんがイギリスやアメリカなどの連合れんごうこく開戦かいせんし、ドイツもアメリカとのあいだ開戦かいせんしたこともあり、帰国きこくルートがざされたことから(ドイツはすでにソ連それんとのあいだ開戦かいせんしていたため、シベリア鉄道てつどう経由けいゆ帰国きこく不可能ふかのうであった)繁忙はんぼうなか大使たいししょくまりつづけ、ようやく1942ねん11月になりフォン・リッベントロップ外務がいむ大臣だいじんよりちゅうにち大使たいし解任かいにんされた、その南京なんきん国民こくみん政府せいふ北京ぺきんへと家族かぞくとともにかい、そこで終戦しゅうせんまでのあいだらした。

なおマイジンガーは、その本国ほんごく政府せいふからつみわれることはなく、1945ねん5月のドイツの敗戦はいせんまで大使館たいしかんづけ警察けいさつ武官ぶかんけん国家こっか保安ほあん本部ほんぶ将校しょうこうとして勤務きんむし、そのどう8がつ日本にっぽん敗戦はいせんいたるまでは日本にっぽん当局とうきょくにより河口湖かわぐちこホテル軟禁なんきんされていた。しかし、終戦しゅうせん直後ちょくごアメリカぐん逮捕たいほされ、そのワルシャワ駐在ちゅうざい時代じだいこした虐殺ぎゃくさつ事件じけん首謀しゅぼうしゃとして死刑しけいしょされている。

裁判さいばん

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ゾルゲらは1942ねん国防こくぼう保安ほあんほう軍機ぐんき保護ほごほう軍用ぐんよう資源しげん秘密ひみつ保護ほごほう治安ちあん維持いじほう違反いはん[11]などにより起訴きそされた。1しんは1943ねん9がつからよく44ねん3がつにかけて東京とうきょう刑事けいじ地方裁判所ちほうさいばんしょだいきゅうおこなわれ(裁判さいばんちょう判事はんじ - 高田たかだただし判事はんじ - 樋口ひぐちまさる満田みつた文彦ふみひこ)、以下いか判決はんけつくだされた。

ゾルゲ・尾崎おざき被告ひこくだい部分ぶぶん大審院だいしんいん上告じょうこくしたが、すべ棄却ききゃくされけい確定かくていした[12]

近衛このえ総理そうり関与かんよ

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近衛このえ首相しゅしょう(1941ねん10がつ

尾崎おざき特別とくべつ関係かんけいにあった陸軍りくぐん軍務ぐんむきょく関係かんけいしゃ尾崎おざき検挙けんきょ反対はんたいであり、とく新聞しんぶん記者きしゃとしてちゅうにちドイツ大使たいしオイゲン・オット信頼しんらいることに成功せいこうしていたゾルゲとの関係かんけいにおいて、陸軍りくぐん捜査そうさりを要求ようきゅうしたが、だい3近衛このえないかくそう辞職じしょく首相しゅしょう就任しゅうにんした東条とうじょう英機ひできは、尾崎おざき調しらべによってかれ近衞このえとの密接みっせつ関係かんけいかびてきたことをり、この事件じけんによって一挙いっきょ近衞このえ抹殺まっさつすることをかんがえ、ぎゃく徹底的てっていてき調査ちょうさめいじた。

しかしその時点じてんにちえいべい開戦かいせん直後ちょくごで、日本にっぽん政治せいじさい上層じょうそう責任せきにんしゃとして重要じゅうよう立場たちばにあった近衞このえおよびその周辺しゅうへん人物じんぶつをこの事件じけんによってほうむることがいかに巨大きょだい影響えいきょう国政こくせいあたえるかを考慮こうりょした検察けんさつ当局とうきょくは、その捜査そうさ範囲はんい国防こくぼう保安ほあんほうせんのみに限定げんていせざるをず、彼等かれら謀略ぼうりゃく活動かつどうをできるかぎ回避かいひすべく苦心くしんしたという[13]

1942ねん昭和しょうわ17ねん)11月18にち近衞このえ予審よしん判事はんじ中村なかむら光三みつぞうからわずかな形式けいしきてき訊問じんもんけ、「記憶きおくしません」を連発れんぱつ尾崎おざきとの親密しんみつ関係かんけい隠蔽いんぺいしたが[14]もとアメリカ共産党きょうさんとういん宮城みやぎあずかとく検事けんじ訊問じんもん(1942ねん3がつ17にち)にたいして、「近衛このえ首相しゅしょう防共ぼうきょう連盟れんめい顧問こもんであるからはんてきひとだとおもってたところ、ささえ問題もんだい解決かいけつためむしソ連それんにぎってもよいとかんがえるほどソ連それんてきであることがわかりました」と証言しょうげんした[15]国家こっか総動員そうどういんほう大政たいせい翼賛よくさんかいによる立憲りっけん自由じゆう主義しゅぎ議会ぎかいせいデモクラシー破壊はかいもう反対はんたいした鳩山はとやま一郎いちろうは、これよりまえ日記にっき昭和しょうわじゅうねんじゅういちがついちにちじょう)に、「近衛このえ時代じだいける政府せいふ施設しせつすべてコミンテルンのテーゼにもとづく。まことこわるべし。一身いっしん犠牲ぎせいにして奉公ほうこうすべき時期じきちかづくを痛感つうかんす」といていた[よう出典しゅってん]

処刑しょけい

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けい確定かくていしたゾルゲらは巣鴨すがも拘置こうちしょ拘留こうりゅうされた。そのけい執行しっこうされないままどう拘置こうちしょ拘留こうりゅうされつづけたが、1944ねん11月7にちロシア革命かくめい記念きねんに、ゾルゲと尾崎おざき死刑しけい執行しっこうされた。

死刑しけい執行しっこう直前ちょくぜんのゾルゲの最後さいご言葉ことばは、日本語にほんごで「これはわたし最後さいご言葉ことばです。ソビエト赤軍せきぐん国際こくさい共産きょうさん主義しゅぎまんさい」であったとわれている。よく1945ねん1がつにはヴーケリッチも北海道ほっかいどう網走あばしり刑務所けいむしょ獄死ごくししたが、マックス・クラウゼン戦後せんご夫婦ふうふともども連合れんごう国軍こくぐんによって釈放しゃくほうされ、きて故郷こきょうひがしドイツもどることができた。

その

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ロシア大使館たいしかん

ゾルゲ事件じけんかんしてヨシフ・スターリンおな内容ないよう情報じょうほうすで暗号あんごう解読かいどくができていたざいドイツ日本にっぽん大使館たいしかん通信つうしん傍受ぼうじゅ解析かいせきからっており重要じゅうようはしなかったが、ニキータ・フルシチョフ時代じだい終焉しゅうえんした1964ねん11月5にちになってソ連それん政府せいふから名誉めいよ回復かいふくおこなわれ、「ソ連邦それんぽう英雄えいゆう」となっている。ソ連それん崩壊ほうかいロシアちゅうにち大使たいし東京とうきょう郊外こうがい多磨たま霊園れいえんにあるゾルゲのはか墓参ぼさんするのが慣行かんこうとなっている。これはゾルゲの功績こうせきソ連それん、ロシア政府せいふたか評価ひょうかしていることをマスコミやひろ日本人にっぽんじんにアピールしている態度たいどめるのが妥当だとうおもわれる。

2022ねん1がつ26にち、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相がいしょうはゾルゲの遺骨いこつサハリンしゅう南部なんぶやクリール諸島しょとう南部なんぶ改葬かいそうする構想こうそう表明ひょうめい日本にっぽんがわ協議きょうぎしていると発表はっぴょうした[16]。しかし、日本にっぽんがわ松野まつの博一ひろかず官房かんぼう長官ちょうかん翌日よくじつ記者きしゃ会見かいけんでこのような提案ていあんけていないとした[16]

ロシア連邦れんぽう大統領だいとうりょうであるウラジーミル・プーチンフランス製作せいさくしたゾルゲの映画えいが少年しょうねん時代じだいKGBのスパイをこころざしたともされる[17]

宮城みやぎには1965ねん1がつ19にち当時とうじソ連それん政府せいふからだい祖国そこく戦争せんそうだいとう勲章くんしょう授与じゅよされること決定けっていした(尾崎おざき同様どうよう叙勲じょくんされている)が、宮城みやぎは1943ねん獄死ごくし遺族いぞく消息しょうそく不明ふめいであったため、2010ねん1がつにようやくめい所在しょざい確認かくにんされロシアから伝達でんたつされた[18]

資料しりょう

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ゾルゲ事件じけん調しらべをおこなった大橋おおはし秀雄ひでおもと警視庁けいしちょう警部補けいぶほ)が保管ほかんしていた調書ちょうしょ、ノート、ゾルゲから大橋おおはしへの書簡しょかんほかすうせんてん資料しりょう遺族いぞくから沖縄国際大学おきなわこくさいだいがく寄贈きぞうされ、保管ほかん公開こうかいされる予定よていである[19]

研究けんきゅうしょ回想かいそう

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※ゾルゲの著書ちょしょリヒャルト・ゾルゲ#著書ちょしょ回想かいそう参照さんしょう

  • チャールズ・ウィロビー赤色あかいろスパイだん全貌ぜんぼう : ゾルゲ事件じけん福田ふくだ太郎たろうやく東西とうざい南北社なんぼくしゃかん、1953ねん
  • 大橋おおはし秀雄ひでお松橋まつはし忠光ただみつ『ゾルゲとの約束やくそくたす』オリジン出版しゅっぱんセンター、1988ねん1がつ
  • 尾崎おざき秀樹ひでききているユダ』 角川かどかわ文庫ぶんこ新版しんぱん)、2003ねんISBN 4041390028
  • 尾崎おざき秀樹ひでき越境えっきょうしゃたち ゾルゲ事件じけん人々ひとびと文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1977ねん
  • 片島かたしま紀男のりお『ゾルゲ事件じけん・ヴケリッチのつま淑子としこあい国境こっきょうえて』 どう時代じだいしゃ、2006ねんISBN 4886835945
  • 加藤かとう哲郎てつろう『ゾルゲ事件じけん くつがえされた神話しんわ平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ、2014ねんISBN 978-4582857252
  • ロベール・ギラン『ゾルゲの時代じだい三保さんぼうもとわけ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1980ねん
  • マリヤ・コレスニコワ、ミハエル・コレスニコワ ちょ中山なかやま一郎いちろう やく『リヒアルト・ゾルゲ 悲劇ひげき諜報ちょうほういん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1973ねん6がつNDLJP:12224802 
  • 齋藤さいとうたかしこう昭和しょうわ発掘はっくつ まぼろし特務とくむ機関きかん「ヤマ」』 新潮しんちょう新書しんしょ、2003ねんISBN 4106100266
    「ヤマ」- ゾルゲの無線むせん通信つうしん解読かいどくこころみていた陸軍りくぐんしょう軍事ぐんじ資料しりょう無線むせん傍受ぼうじゅ機関きかん
  • 斎藤さいとう恵子けいこきゅう房子ふさここえだけをのこし』みすず書房しょぼう、2020ねんISBN 978-4-622-08925-4
  • 下斗米しもとめ伸夫のぶおNHK取材しゅざいはん国際こくさいスパイ ゾルゲの真実しんじつ』- 1991ねん放送ほうそうのドキュメント番組ばんぐみ書籍しょせき
  • チャルマーズ・ジョンソン しる荻原おぎわらみのる やく尾崎おざき・ゾルゲ事件じけん : その政治せいじがくてき研究けんきゅう弘文こうぶんどう、1966ねん3がつ10日とおかNDLJP:2992218 
    • ぞうていばん(1990年刊ねんかん)の新訳しんやく 『ゾルゲ事件じけんとはなにか』篠崎しのざきつとむやく加藤かとう哲郎てつろう解説かいせつ岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ〉、2013ねんISBN 978-4-00-603263-0 
  • 白井しらい久也ひさや小林こばやし俊一しゅんいち へん『ゾルゲはなぜ死刑しけいにされたのか 「国際こくさいスパイ事件じけん」の深層しんそう社会しゃかい評論ひょうろんしゃ、2000ねんISBN 4784505520
  • 白井しらい久也ひさや へん国際こくさいスパイ ゾルゲの世界せかい戦争せんそう革命かくめい社会しゃかい評論ひょうろんしゃ、2003ねんISBN 4784505555
  • 白井しらい久也ひさや『ゾルゲ事件じけんなぞく 国際こくさい諜報ちょうほうだん内幕うちまく社会しゃかい評論ひょうろんしゃ、2008ねんISBN 4784505822
    • 旧版きゅうばん未完みかんのゾルゲ事件じけん恒文社こうぶんしゃ、1994ねん
  • F.W. ディーキン/G.R. ストーリィ『ゾルゲ追跡ついせき リヒアルト・ゾルゲの時代じだい生涯しょうがい
  • ジョセフ・ニューマン『グッバイ・ジャパン - 50ねん真実しんじつ篠原しのはら成子しげこやく朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1993ねん
  • 平澤ひらさわただし曠『汚名おめい ゾルゲ事件じけん北海道ほっかいどうじん北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ<道新どうしん選書せんしょ>、1987ねん
  • オーウェン・マシューズ『ゾルゲでん スターリンのマスター・エージェント』
    • しん資料しりょうかたるゾルゲ事件じけん2」加藤かとう哲郎てつろう鈴木すずき規夫のりお わけ、みすず書房しょぼう、2023ねん
  • 松橋まつはし忠光ただみつ大橋おおはし秀雄ひでお『ゾルゲとの約束やくそくたす - 真相しんそうゾルゲ事件じけん』オリジン出版しゅっぱんセンター、1988ねん
  • ユリウス・マーダー『ゾルゲ事件じけん真相しんそう スパイ戦史せんしシリーズ12』植田うえだ敏郎としおわけ朝日あさひソノラマ文庫ぶんこ、1986ねん
  • 宮下みやしたひろし特高とっこう回想かいそう - ある時代じだい証言しょうげん田畑たばた書店しょてん、1978ねん
  • 安田やすだ一郎いちろう安田やすだひろし へん)『ゾルゲをたすけた医者いしゃ安田やすだ徳太郎とくたろうと<悪人あくにん>たち―』青土おうづちしゃ、2020ねん
  • 山崎やまざきひろし へん『ブランコ・ヴケリッチ 日本にっぽんからの手紙てがみ―ポリティカ掲載けいさい記事きじいちきゅうさんさん~いちきゅうよん〇)』 未知みちだに、2007ねんISBN 4896422066
  • 山崎やまざき淑子としこ へん『ブランコ・ヴケリッチ 獄中ごくちゅうからの手紙てがみ未知みちだに、2005ねん ISBN 4896421205
  • 山村やまむら八郎はちろう中村なかむらきぬ次郎じろう)『ソ連それんはすべてをつていた』 紅林くればやししゃ、1949ねん
  • ロバート・ワイマント『ゾルゲ 引裂ひきさかれたスパイ』 西木にしき正明まさあきわけ新潮社しんちょうしゃ、1996ねんISBN 4105329014
  • 渡部わたなべとみいつわりの烙印らくいん伊藤いとうただし・スパイせつ崩壊ほうかいがつ書房しょぼう、1993ねん新装しんそうばん1998ねん

資料しりょう文献ぶんけん

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  • 尾崎おざき秀実ひでみ『ゾルゲ事件じけん 上申じょうしんしょ岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2003ねんISBN 4006030754
  • みすず書房しょぼう編集へんしゅう へん現代げんだい資料しりょう ゾルゲ事件じけん』(ぜん4かん)、みすず書房しょぼう、1962ねん - 1971ねん普及ふきゅうばん2022ねん
  • 『ゾルゲ・ファイル1941-1945 赤軍せきぐん情報じょうほう本部ほんぶ機密きみつ文書ぶんしょ
  • 白井しらい久也ひさや へん『【米国べいこく公文書こうぶんしょ】ゾルゲ事件じけん資料集しりょうしゅう社会しゃかい評論ひょうろんしゃ、2007ねんISBN 978-4784505609
  • 加藤かとう哲郎てつろうへん解説かいせつ)『ゾルゲ事件じけん史料しりょう集成しゅうせい――太田おおたたいづくり関係かんけい文書ぶんしょ』(ぜん10かん出版しゅっぱん、2019-2020ねん

関連かんれん作品さくひん

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歴史れきし小説しょうせつ

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  • 太田おおた尚樹なおきあか諜報ちょうほういん ゾルゲ、尾崎おざき秀実ひでみ、そしてスメドレー』講談社こうだんしゃ、2007ねん。ドキュメント・ノベル
  • 太田おおた尚樹なおき尾崎おざき秀実ひでみとゾルゲ事件じけん 近衛このえ文麿ふみまろかげ暗躍あんやくしたおとこ吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2016ねん
  • モルガン・スポルテス 『ゾルゲ 破滅はめつのフーガ』 吉田よしだ恒雄つねおやく岩波書店いわなみしょてん、2005ねんISBN 4000237101

戯曲ぎきょく

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  • 『オットーとばれる日本人にっぽんじんいちへん 木下きのした順二じゅんじ戯曲ぎきょくせんⅢ』 岩波いわなみ文庫ぶんこ、1982ねん
    • 表題ひょうだいさく木下きのしたがこの事件じけん題材だいざいとしてろした戯曲ぎきょくで、度々たびたび舞台ぶたい

映画えいが

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テレビドラマ

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漫画まんが

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 特高とっこう資料しりょうでは「9がつ28にち」とされているが、上記じょうき褒賞ほうしょう上申じょうしんしょ」や和歌山わかやまけん北林きたばやし逮捕たいほったもと和歌山わかやま県警けんけい刑事けいじ証言しょうげんにより実際じっさい逮捕たいほは9月27にちであることが渡部わたなべとみ哉によって確認かくにんされている[4]

出典しゅってん

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  1. ^ 山村やまむら八郎はちろう(1949)21ぺーじ
  2. ^ [1]
  3. ^ 白井しらい久也ひさや編著へんちょ国際こくさいスパイ・ゾルゲの世界せかい戦争せんそう革命かくめい
  4. ^ [2]
  5. ^ 3)モスクワで発掘はっくつされた「特高とっこう功労こうろう上申じょうしんしょ - 渡部わたなべとみ哉「ゾルゲ事件じけん真相しんそう究明きゅうめいからえてくるもの」(ちきゅうスタディルーム)
  6. ^ ゾルゲの紹介しょうかいにはフランクフルター・ツァイトゥングの「東京とうきょう特派とくはいんだった」という記述きじゅつ散見さんけんされるが、ゾルゲ逮捕たいほの1941ねん11月に新聞しんぶんしゃがドイツ外務省がいむしょうした書簡しょかん日本にっぽん支局しきょく代表だいひょうしゃは、ゾルゲとは正式せいしき特派とくはいん契約けいやくむすんだことがないこと、1936ねん3がつにベルリンの編集へんしゅうちょうあてにゾルゲから手紙てがみみがあってから寄稿きこうしゃとして利用りようしたことをしるしている(NHK取材しゅざいはん下斗米しもとめ伸夫のぶお国際こくさいスパイ ゾルゲの真実しんじつ角川書店かどかわしょてん<角川かどかわ文庫ぶんこ>、1995ねん、pp.91 - 94)
  7. ^ 早崎はやさきえりな『ベルリン・東京とうきょう物語ものがたり』p.226-227(音楽之友社おんがくのともしゃ、1994ねん
  8. ^ 山村やまむら八郎はちろう(1949)12-19ぺーじ
  9. ^ エルヴィン・ヴィッケルト『戦時せんじのドイツ大使館たいしかん』P.34 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
  10. ^ エルヴィン・ヴィッケルト『戦時せんじのドイツ大使館たいしかん』P.33 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
  11. ^ 山村やまむら八郎はちろう(1949)23ぺーじ
  12. ^ 現代げんだい資料しりょう ゾルゲ事件じけん』(ぜん4かんみすず書房しょぼう編集へんしゅうへん
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  14. ^ 現代げんだい資料しりょう ゾルゲ事件じけん2かん』みすず書房しょぼう、1971ねん、402ぺーじ
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  21. ^ “リヒャルト・ゾルゲと石井いしい花子はなこ だけが二人ふたりかつ”. スプートニクニュース. (2019ねん4がつ19にち). https://sputniknews.jp/20190419/6152377.html 2020ねん7がつ5にち閲覧えつらん 

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