月刊げっかんペン事件じけん

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最高裁判所さいこうさいばんしょ判例はんれい
事件じけんめい名誉めいよ毀損きそん事件じけん
事件じけん番号ばんごう昭和しょうわ55(あ)273
1981ねん(昭和しょうわ56ねん)4がつ16にち
判例はんれいしゅう けいしゅうだい35かん3ごう84ぺーじ
裁判さいばん要旨ようし
  • たとえ私人しじん私生活しせいかつじょう行状ぎょうじょうであっても、その関与かんよする社会しゃかいてき活動かつどう性質せいしつおよびこれをつうじて社会しゃかいおよぼす影響えいきょうりょく程度ていどとう如何いかによっては、その社会しゃかいてき活動かつどうへの批判ひはんないし評価ひょうかひとつの資料しりょうとして、刑法けいほう230じょうの2だい1こうの「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」に該当がいとうする場合ばあいがある。
  • おおくの信徒しんとようし、わがくに有数ゆうすう宗教しゅうきょう団体だんたい教義きょうぎないしそのありかた批判ひはんし、そのあやまりを指摘してきするにさいして、その例証れいしょうとして摘示した「宗教しゅうきょう団体だんたい会長かいちょう当時とうじ)の女性じょせい関係かんけい乱脈らんみゃくをきわめており、どう会長かいちょう関係かんけいのあつた女性じょせいめいどう会長かいちょうによつて国会こっかいおくまれていること」とう事実じじつは、会長かいちょうが、宗教しゅうきょう団体だんたい内部ないぶで、その教義きょうぎをもって実践じっせんすべき信仰しんこうじょうのほぼ絶対ぜったいてき指導しどうしゃであって、公私こうしわずその言動げんどう信徒しんと精神せいしん生活せいかつとう重大じゅうだい影響えいきょうあたえる立場たちばにあったひとし判示はんじする事実じじつ関係かんけいしたでは、刑法けいほう230じょうの2だい1こうにいう「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」に該当がいとうする。
  • 刑法けいほう230じょうの2だい1こうにいう「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」に該当がいとうするかの判断はんだんにおいては、摘示された事実じじつ自体じたい内容ないよう性質せいしつらして客観きゃっかんてき判断はんだんがなされるべきであって、事実じじつを摘示するさい表現ひょうげん方法ほうほう事実じじつ調査ちょうさ程度ていどとうは、どうじょうのいわゆる公益こうえき目的もくてき有無うむ認定にんていとうかんして考慮こうりょされるべき事象じしょうであり、摘示された事実じじつが「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」に該当がいとうするかかの判断はんだん左右さゆうするものではない。
だいいちしょう法廷ほうてい
裁判さいばんちょう だんふじ重光しげみつ
陪席ばいせき裁判官さいばんかん 藤崎ふじさき萬里ばんり 本山もとやまとおる 中村なかむら治朗じろう
意見いけん
多数たすう意見いけん 全員ぜんいん一致いっち
意見いけん なし
反対はんたい意見いけん なし
参照さんしょう法条ほうじょう
刑法けいほう230じょうの2だい1こう
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月刊げっかんペン事件じけん(げっかんペンじけん)は、日本にっぽん雑誌ざっし月刊げっかんペン』が1976ねん昭和しょうわ51ねん)3がつごう掲載けいさいした「よんじゅうじゅう大罪だいざいおか創価学会そうかがっかい」、4がつごう掲載けいさいした「極悪ごくあく大罪だいざいおか創価学会そうかがっかい実相じっそう」という記事きじ創価学会そうかがっかいどうかい池田いけだ大作だいさく会長かいちょうのち名誉めいよ会長かいちょうSGI会長かいちょう)、およ女性じょせい会員かいいん2めい名誉めいよ毀損きそんした名誉めいよ毀損きそんざい刑法けいほう230じょうノ2)にあたるとして、編集へんしゅうちょう隈部くまべ大蔵たいぞう刑事けいじ告訴こくそされ、有罪ゆうざい判決はんけつけた事件じけん

出版しゅっぱん関係かんけいしゃ刑事けいじ告訴こくそされた名誉めいよ毀損きそん事件じけん有罪ゆうざい判決はんけつけた最初さいしょ事例じれいである。

経緯けいい[編集へんしゅう]

1976ねん昭和しょうわ51ねん6月11にち創価学会そうかがっかいがわより名誉めいよ毀損きそん刑事けいじ告訴こくそ隈部くまべ逮捕たいほ起訴きそされる。内容ないよう創価学会そうかがっかいどうかい池田いけだ大作だいさく会長かいちょう当時とうじ)、およ女性じょせい会員かいいん2めい名誉めいよ毀損きそんしたというものである。

いちしん1978ねん昭和しょうわ53ねん6月29にち東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょ判決はんけつしん1979ねん昭和しょうわ54ねん12月12にち東京とうきょう高等こうとう裁判所さいばんしょ判決はんけつとも、記事きじには「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」にてはまらず、名誉めいよ毀損きそんたるとして、記事きじ内容ないよう真実しんじつであるかどうかについての検討けんとうおこなわれない状態じょうたい隈部くまべ有罪ゆうざいとし、懲役ちょうえき10カ月かげつ執行しっこう猶予ゆうよ1ねん判決はんけつをいいわたした。

1981ねん昭和しょうわ56ねん)4がつ16にち最高裁判所さいこうさいばんしょだいいちしょう法廷ほうていは、隈部くまべによる上告じょうこくには理由りゆうがないとしたうえで、私人しじんであっても一定いってい社会しゃかいてき影響えいきょうりょくがあればその私生活しせいかつかんする評論ひょうろんをすることには公共こうきょう利害りがいかんする事実じじつたる場合ばあいがある、というあらたな基準きじゅんし、職権しょっけんはら判決はんけつ破棄はきし、東京とうきょう地裁ちさいもどした。

  • 私人しじん私生活しせいかつじょう行状ぎょうじょうであつても、そのたずさわる社会しゃかいてき活動かつどう性質せいしつおよびこれをつうじて社会しゃかいおよぼす影響えいきょうりょく程度ていどなどのいかんによつては、その社会しゃかいてき活動かつどうたいする批判ひはんないし評価ひょうかいち資料しりょうとして、刑法けいほうさんじょうだいいちこうにいう「公共こうきょう利害りがいせきスル事実じじつ」にあたる場合ばあいがあるとかいすべきである

もどしん地裁ちさい[編集へんしゅう]

事実じじつ審理しんりはいったもどだいいちしんでは、記事きじ内容ないようについては真実しんじつ証明しょうめいがないとされ、1983ねん昭和しょうわ58ねん6がつ10日とおか東京とうきょう地裁ちさい隈部くまべたいし「罰金ばっきん20まんえん」の有罪ゆうざい判決はんけつくだした。これは当時とうじ罰金ばっきんけいとしてはさい高額こうがくである。マスコミ関係かんけいしゃ名誉めいよ毀損きそん刑事けいじばつがいいわたされることはきわめてまれであり(戦後せんごでは月刊げっかんペン事件じけんうわさ真相しんそう事件じけんかみばくだん事件じけんのみ)、きわめておも処罰しょばつといえる。

  • 結局けっきょくのところ、本件ほんけん摘示事実じじつについては、いずれも真実しんじつ証明しょうめいがないことにする。」「全体ぜんたいつうじてると、被告人ひこくにん本件ほんけんにつき入手にゅうしゅしていたという資料しりょう情報じょうほうは、その件数けんすう一見いっけんおおいようにえるものの、情報じょうほう提供ていきょうしゃ信頼しんらいせいという基本きほんてき部分ぶぶん検討けんとうがはなはだ不十分ふじゅうぶんであつてそのてんおおきな欠点けってんつているうえ内容ないようてきにも関連かんれんせいうすきかつたりあるいは具体ぐたいせいのないものがおおく、たまたま具体ぐたいせいのあるものは裏付うらづけをとろうとするとできなかつたり、かえつて破綻はたんをきたしたりし、さらえば、そもそも裏付うらづけ取材しゅざいしち克明こくめいさにもかけていたこととう特徴とくちょうてきであり、結局けっきょく情報じょうほうとう確度かくど検討けんとうするじょう必要ひつようめをき、一方いっぽうてきなものをあまりにも容易よういれたこと、さらには情報じょうほうとう内容ないようから直接ちょくせつまた合理ごうりてき推論すいろんしうる事実じじつ範囲はんい見極みきわめや推論すいろん手法しゅほう強引ごういんさがつきまとつていたこととう本件ほんけんまね結果けっかになつたとの印象いんしょうぬぐうことができない」

もどしん高裁こうさい[編集へんしゅう]

1984ねん昭和しょうわ59ねん7がつ18にちには東京とうきょう高裁こうさい隈部くまべ控訴こうそ棄却ききゃく記事きじ内容ないようには真実しんじつせい立証りっしょうされたとはいいがたく、真実しんじつしんじるに証拠しょうこもないと判示はんじした。

  • 男女だんじょ関係かんけい示唆しさするものとして関係かんけい証人しょうにんによつて指摘してきされたしょ事実じじつは、(中略ちゅうりゃく根拠こんきょ薄弱はくじゃくなものであつたり、うわさ、風聞ふうぶんのたぐいをないものであつたり、事実じじつそのものがうたがわしく証言しょうげん内容ないようの措信しがたいものなどに終始しゅうしし、到底とうていその真実しんじつせい立証りっしょうされたとはいいがたい」「いずれも被告人ひこくにんにおいて真実しんじつせいしんずるにりる相当そうとう理由りゆうのあることを基礎きそづける資料しりょう根拠こんきょとはいいえないものであることなどにつき詳細しょうさい説示せつじするところは、いずれも正当せいとうとしてとう裁判所さいばんしょもこれを是認ぜにんすることができ、はら判決はんけつ所論しょろんあやまりがあるとはみとめられない」

隈部くまべはさらに最高裁さいこうさい上告じょうこくしたが、1987ねん昭和しょうわ62ねん)に本人ほんにん死亡しぼうし、審理しんり終了しゅうりょうした。

被告ひこく[編集へんしゅう]

月刊げっかんペンしゃ東京とうきょう中央ちゅうおう銀座ぎんざ3丁目ちょうめ美術家びじゅつか会館かいかんビルないにあった出版しゅっぱんしゃで、財界ざいかいから資本しほんきん1おくえんあつめ、1968ねん設立せつりつされた[1]代表だいひょう原田はらだ倉治くらじ福島ふくしまけん出身しゅっしん右翼うよくすじ総会そうかいで、児玉こだまほまれおっととは同郷どうきょう[1]。ゴルフじょう高根たかねカントリー倶楽部くらぶ」を経営けいえいする熊谷くまがい観光かんこう広告こうこく会社かいしゃ東京とうきょう弘報社こうほうしゃ代表だいひょうつとめていた[1][2][3]

月刊げっかんペン』編集へんしゅうちょう隈部くまべ大蔵たいぞう (1920-1987)は熊本くまもとけん出身しゅっしん日大にちだいそつ[4]陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう出身しゅっしんで、戦後せんごべい陸軍りくぐん情報じょうほう機関きかんCICスタッフとしてはたらいたのち、西日本にしにほん新聞しんぶん論説ろんせつ委員いいんて、1974ねん総合そうごう月刊げっかんペン』編集へんしゅうちょう就任しゅうにん[4][5]法華経ほけきょうけいの「大乗だいじょう教団きょうだん」の信者しんじゃでもあり、月刊げっかんペン以前いぜんにも『日蓮にちれん正宗まさむね創価学会そうかがっかい公明党こうめいとう破滅はめつ - 日蓮にちれん正宗まさむね 危険きけん宗教しゅうきょう政党せいとう体系たいけいてき解剖かいぼう』(あゆみ出版しゅっぱんしゃ、1970ねん、「隅田すみたひろし名義めいぎ)、『現代げんだいのさまよえるたましい - 釈尊しゃくそん邪教じゃきょう対話たいわ』(あゆみ出版しゅっぱんしゃ、 1970ねん)、『創価学会そうかがっかい公明党こうめいとう解明かいめい』(展望てんぼうしゃ1969ねん太陽たいよう出版しゅっぱん1970ねん、「福島ふくしまやすしあきら名義めいぎ) といった創価学会そうかがっかい批判ひはんほん上梓じょうしするも創価学会そうかがっかいからの出版しゅっぱん妨害ぼうがいっていた(言論げんろん出版しゅっぱん妨害ぼうがい事件じけん参照さんしょう)。その著書ちょしょに『秘密ひみつせんあかはな きている中野なかの学校がっこうたましい』(日新にっしん報道ほうどう 1973ねん)。

判決はんけつぶん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 『「月刊げっかんペン」事件じけん内幕うちまく: ねらわれた創価学会そうかがっかい丸山まるやまみのる幸洋ゆきひろ出版しゅっぱん, 1982、p37-44
  2. ^ 関西大学かんさいだいがく法学ほうがく論集ろんしゅう』29かん、p158
  3. ^ 倶楽部くらぶ歴史れきし高根たかねカントリー倶楽部くらぶ
  4. ^ a b 隈部くまべ大蔵たいぞう くまべ-だいぞうコトバンク
  5. ^ 池田いけだ大作だいさく宮本みやもと顕治けんじだかしんじ平凡社へいぼんしゃ, 2020、「月刊げっかんペン事件じけん 前代未聞ぜんだいみもんうら工作こうさく」のこう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • はじめさわ真澄ますみ表現ひょうげん自由じゆうとその規制きせい : 公人こうじん名誉めいよけん保障ほしょう・「『月刊げっかんペン』事件じけん」を中心ちゅうしんに《だいかい 東洋大学とうようだいがく公法こうほう研究けんきゅうかい報告ほうこく東洋大学とうようだいがく、2012ねんISSN 05640245http://id.nii.ac.jp/1060/00000855/