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ホームステイ (英 えい : homestay )は、留学 りゅうがく 生 なま などが、その国 くに の一般 いっぱん 家庭 かてい と寄宿 きしゅく し生活 せいかつ 体験 たいけん をすることである。または、その制度 せいど 。受 う け入 い れる家庭 かてい のことをホスト 、その家族 かぞく をホストファミリー と呼 よ ぶ。農家 のうか に寄宿 きしゅく し、農場 のうじょう 体験 たいけん をするのは、ファームステイ (farmstay)という。
協会 きょうかい のボランティア として無料 むりょう で受 う け入 い れてくれる家庭 かてい もあるが、近年 きんねん はビジネス目的 もくてき で、家賃 やちん を請求 せいきゅう するホストが多 おお い。ホテルや下宿 げしゅく ではないので、すべてのホストファミリーで参加 さんか 者 しゃ が望 のぞ むような対応 たいおう をしてくれる訳 わけ ではない。そのため近年 きんねん は、提示 ていじ した条件 じょうけん に合 あ ったホストファミリーを探 さが し、紹介 しょうかい する留学 りゅうがく エージェント もある。
夏休 なつやす み などの長期 ちょうき 休養 きゅうよう 期間 きかん を利用 りよう して、普段 ふだん は行 い くことの難 むずか しい学生 がくせい なども気軽 きがる に体験 たいけん 出来 でき るものもある。
現在 げんざい の「ホームステイ」は、1932年 ねん にアメリカ のドナルド・ワット 博士 はかせ が提案 ていあん した「国際 こくさい 生活 せいかつ 体験 たいけん 」がその起源 きげん といわれている。
ワットは幼少 ようしょう 期 き から世界 せかい の様々 さまざま な国 くに に行 い く機会 きかい に恵 めぐ まれていた。ペンシルベニア州 しゅう ランカスターでデパートを経営 けいえい する父 ちち が、商用 しょうよう でイギリス やフランス 、ドイツ などに行 い く機会 きかい を利用 りよう し諸国 しょこく の風俗 ふうぞく 習慣 しゅうかん に接 せっ する機会 きかい をもてたのである。アメリカ人 じん の典型 てんけい であるような開拓 かいたく 精神 せいしん に満 み ちた彼 かれ は、第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の中 なか 、YMCA の使節 しせつ 団 だん の一員 いちいん としてインド やイラン で働 はたら いた。そこで目 ま の当 あ たりにした、インド・イラン・イギリス軍 ぐん の間 あいだ に見 み られる人種 じんしゅ 的 てき ・階級 かいきゅう 的 てき 差別 さべつ に、ワットは強烈 きょうれつ な嫌悪 けんお の情 じょう をいだいたのだった。大戦 たいせん 後 ご 、使節 しせつ 団 だん としての義務 ぎむ も終 お わり、ペルシャ、インド、中国 ちゅうごく 、日本 にっぽん を経 へ て帰国 きこく 、その後 ご ペンシルベニア 、イェール 、ハーバード の各 かく 大学 だいがく で、心理 しんり 学 がく の研究 けんきゅう に専念 せんねん することとなる。
1921年 ねん に亡 な くなった父親 ちちおや から、ワットは50万 まん ドルもの遺産 いさん を受 う け取 と り、いかにしてその遺産 いさん を社会 しゃかい のために還元 かんげん できるかということを考 かんが えるようになった。当時 とうじ 発足 ほっそく したばかりの国際 こくさい 連盟 れんめい が中心 ちゅうしん となってスイス で開催 かいさい された国際 こくさい 青少年 せいしょうねん 代表 だいひょう キャンプ に、ワットはアメリカ代表 だいひょう として参加 さんか することとなった。しかし、自国 じこく へのプライドばかりで互 たが いに肩 かた をいからせる青年 せいねん たちを見 み ていたく失望 しつぼう する。また、毎日 まいにち 続 つづ く討論 とうろん 会 かい と講演 こうえん に嫌気 いやけ がさし、もっと違 ちが った方法 ほうほう で国際 こくさい 理解 りかい を効果 こうか 的 てき に深 ふか める道 みち はないかと探 さぐ っていきたどりついたのが、外国 がいこく での「家庭 かてい 生活 せいかつ 体験 たいけん 」という試 こころ みであった。
こうして、1930年 ねん に12人 にん のアメリカの少年 しょうねん たちをヨーロッパに連 つ れて行 い き、ドイツやフランスの少年 しょうねん たちと交流 こうりゅう させるプログラムを実施 じっし した。少年 しょうねん たちは、互 たが いに相手 あいて 国 こく の言語 げんご や習慣 しゅうかん の理解 りかい につとめ、スポーツやハイキングなどの活動 かつどう をともにすることで親善 しんぜん の絆 きずな を作 つく り上 あ げた。その中 なか で、キャンプよりもホームステイを、しかも3ヶ国 かこく ではなく1ヶ国 かこく で体験 たいけん することのほうが実 みの りが多 おお いのではないかと考 かんが え、翌年 よくねん はホームステイのグループを送 おく り大 だい 成功 せいこう を収 おさ めた。さらにイギリス、フランス、ドイツでのホームステイにも成功 せいこう したワットは、1932年 ねん に正式 せいしき に「The Experiment in International Living」("Experiment in International Living" in English )を発足 ほっそく させ、世界 せかい 各国 かっこく の旧知 きゅうち を頼 たよ り、また巨額 きょがく の私財 しざい も投 とう じてこの組織 そしき の発展 はってん に努力 どりょく した。
もともとアメリカではホストファミリーはボランティアで受 う け入 い れる形式 けいしき のホームステイが発展 はってん した。一方 いっぽう 、イギリスでは金銭 きんせん を支払 しはら って受 う け入 い れる形式 けいしき のホストファミリーに滞在 たいざい するホームステイが発展 はってん した。オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどほとんどの英語 えいご 圏 けん でも、イギリスの形式 けいしき でホームステイが発展 はってん していった。近年 きんねん 、アメリカでもこの有償 ゆうしょう でのホストファミリー形式 けいしき が増 ふ えてきている。
アメリカから初 はじ めてホームステイグループが来日 らいにち したのは1940年 ねん のことであった。当時 とうじ はもちろん「ホームステイ」などという言葉 ことば も概念 がいねん もなく、このことを取 と り上 あ げた都 と 新聞 しんぶん (現在 げんざい の東京 とうきょう 新聞 しんぶん )の記事 きじ には「交換 こうかん 息子 むすこ 」という文字 もじ が記 しる されている。記事 きじ によると、「来年度 らいねんど は日本 にっぽん からも派遣 はけん する予定 よてい で、日米 にちべい 間 あいだ の国際 こくさい 感情 かんじょう が悪化 あっか している中 なか 、両国 りょうこく の若者 わかもの が自然体 しぜんたい で生活 せいかつ を共 とも にするこの“集団 しゅうだん 交換 こうかん 息子 むすこ と娘 むすめ ”の成果 せいか は大 おお いに期待 きたい されている」という内容 ないよう が書 か かれている。皮肉 ひにく にも翌年 よくねん の1941年 ねん 12月には日米 にちべい 開戦 かいせん となり、「平和 へいわ 」を願 ねが った交流 こうりゅう の芽 め が育 そだ つのは、終戦 しゅうせん を待 ま たなければならなかった。
1955年 ねん 、日本 にっぽん の東京大学 とうきょうだいがく 婦人 ふじん 会 かい と日米 にちべい 教育 きょういく 委員 いいん 会 かい (フルブライト委員 いいん 会 かい )に関 かか わりのあった真木 まき 雪子 ゆきこ あてにアメリカのEIL本部 ほんぶ から日本 にっぽん でのホームステイ実施 じっし について依頼 いらい があった。受入 うけいれ 地 ち として白羽 しらは の矢 や が立 た ったのは、現在 げんざい でも小 しょう 京都 きょうと として知 し られている「金沢 かなざわ 」。真木 まき の出身 しゅっしん 地 ち でもあり、戦後 せんご まもないこと、反米 はんべい 感情 かんじょう が強 つよ くないこと、戦災 せんさい や占領 せんりょう の影響 えいきょう が大 おお きくないこと、また、文化 ぶんか 的 てき 土壌 どじょう も豊 ゆた かで「アメリカ文化 ぶんか センター」もあったことなどから、金沢 かなざわ が受入 うけいれ 地区 ちく となったわけである。翌年 よくねん 、4月 がつ の初旬 しょじゅん から1ヶ月 かげつ 間 あいだ 、ワット博士 はかせ 夫妻 ふさい の率 ひき いる一 いち 行 ぎょう 6名 めい が日本 にっぽん で最初 さいしょ の「ホームステイ 」を金沢 かなざわ で体験 たいけん した。
ホストファミリーがボランティアか有償 ゆうしょう かで、また、年齢 ねんれい (主 おも に高校生 こうこうせい 以下 いか か、大学生 だいがくせい 以上 いじょう か)によって違 ちが いは出 で てくる。有償 ゆうしょう の場合 ばあい 、ホームステイとはいえ、家族 かぞく の一員 いちいん というより、実質 じっしつ 的 てき に寮 りょう や下宿 げしゅく のような形態 けいたい のものも存在 そんざい する。
寄宿 きしゅく する間 あいだ は家族 かぞく の一員 いちいん となること が基本 きほん であり、その家庭 かてい のルールで生活 せいかつ しなければならない。これはホームステイをする際 さい 最初 さいしょ にあげられる基本 きほん 的 てき ルールである。家族 かぞく の一員 いちいん であるため遠慮 えんりょ せず、自分 じぶん の意見 いけん をきちんと伝 つた えるためにも、コミュニケーションはとっておく。
出来 でき るだけホストファミリーと一緒 いっしょ に過 す ごす。家族 かぞく 団欒 だんらん の輪 わ の中 なか に入 はい ることも望 のぞ ましい。また、他人 たにん だからといってお客様 きゃくさま 気分 きぶん にならず、手伝 てつだ いは積極 せっきょく 的 てき にする様 よう に心 こころ がける。
家 いえ で食事 しょくじ を取 と らない場合 ばあい は、ホストに事前 じぜん に伝 つた える。
帰宅 きたく が遅 おく れるとき、もしくは外泊 がいはく する場合 ばあい は、連絡 れんらく して用件 ようけん を伝 つた える。なお、帰宅 きたく が遅 おそ くなると予見 よけん できる場合 ばあい は事前 じぜん に外出 がいしゅつ 先 さき を連絡 れんらく しておくと便利 べんり である。
ホームステイを終了 しゅうりょう する時 とき は、自分 じぶん の荷物 にもつ を全 すべ てまとめ、部屋 へや を整頓 せいとん する。
通学 つうがく を含 ふく め全 すべ ての交通 こうつう 費 ひ 、電話 でんわ の通話 つうわ 料金 りょうきん は自分 じぶん で支払 しはら う。国際 こくさい 電話 でんわ 用 よう プリペイドカード かコレクトコール を利用 りよう する。
外出 がいしゅつ は公共 こうきょう 交通 こうつう 機関 きかん を利用 りよう し、ホスト先 さき の車 くるま での送迎 そうげい は緊急 きんきゅう 時 じ を除 のぞ きできるだけ依頼 いらい しないこと。
私的 してき な行事 ぎょうじ または用事 ようじ でホストファミリーと出 で かける際 さい の費用 ひよう は自分 じぶん で出 だ す(だが費用 ひよう を出 だ してくれるファミリーもいるため、その際 さい は遠慮 えんりょ せずに受 う け取 と る)。ただし経費 けいひ に含 ふく まれている行事 ぎょうじ の場合 ばあい は、ファミリー側 がわ に費用 ひよう を支払 しはら う義務 ぎむ が生 しょう ずるため、本人 ほんにん が出 だ す必要 ひつよう はない。
衣服 いふく の洗濯 せんたく に関 かん しては、事前 じぜん に尋 たず ねる。基本 きほん 的 てき には自分 じぶん の服 ふく は自分 じぶん で洗濯 せんたく する。
文化 ぶんか の違 ちが いなどから、トラブルが起 お きることもあるが、ホストファミリーから不当 ふとう な要求 ようきゅう をされた場合 ばあい には必 かなら ず断 ことわ ること。日本人 にっぽんじん は断 ことわ りにくい傾向 けいこう にあるが、そのような場合 ばあい には断 ことわ る必要 ひつよう がある。余 あま りに頻発 ひんぱつ するのであれば、エージェント への相談 そうだん や、引 ひ っ越 こ しも考慮 こうりょ した方 ほう が良 よ い。
文化 ぶんか 、コミュニケーション の違 ちが いによることもあるが、ホストファミリーからセクハラ ・性的 せいてき 虐待 ぎゃくたい を受 う けたという事例 じれい がある。勘違 かんちが いを生 う まないためにも、過剰 かじょう なスキンシップ を不快 ふかい に感 かん じた場合 ばあい は、拒否 きょひ することが大切 たいせつ である。
例 たと えばホストファミリーから金銭 きんせん の貸借 たいしゃく を求 もと められた時 とき には絶対 ぜったい に貸 か さないこと。いくらホストファミリーだからと言 い って、お金 かね を貸 か す義務 ぎむ は全 まった くない。