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雅号がごう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

雅号がごう(がごう)は、文人ぶんじん画家がか書家しょかなどが、本名ほんみょう以外いがいにつける風雅ふうがのことである。

概要がいよう

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雅号がごう風習ふうしゅう中国ちゅうごくからつたわったものである。とくに、俳人はいじんであれば俳号はいごう(俳名)、吟詠ぎんえいであればぎんごうなどともいう。ここで本名ほんみょうとは明治維新めいじいしん以前いぜん公的こうてきもちいられた「本姓ほんせい(ウヂ)」+「いみな」(朝廷ちょうていとの関係かんけいにおける公式こうしきめい)、「家名かめい名字みょうじ」+「通称つうしょう」(封建ほうけんてき主従しゅうじゅう関係かんけいにおける公式こうしきめい)、およびこれらの構成こうせい要素ようそあるいは明治維新めいじいしん以降いこう公的こうてき人名じんめいである戸籍こせきめいす。

本来ほんらいみずからが自由じゆう名乗なのるものではあるが、今日きょうならごとなどにおいては、師匠ししょうにつけてもらう、師匠ししょうからいちもらう、技術ぎじゅつ段階だんかい段位だんいとう)によってまったもちいる、といった制約せいやくがある場合ばあいもある。しかしその場合ばあいでも、技術ぎじゅつ段階だんかいによって雅号がごうあらためることがおおい。

江戸えど時代じだいまでは上記じょうきのように、個人こじん名前なまえせいいみな名字みょうじ通称つうしょう、さらにはなど、複数ふくすう名前なまえ一人ひとりつことがみとめられてきた。しかし、明治めいじ時代じだいになると氏名しめい戸籍こせき記録きろくされ、それ以外いがい名前なまえつことはきんじられた。これに反発はんぱつするかたちで、「雅号がごう」が当時とうじ知識ちしきじんおおられるようになった。明治めいじ初期しょき文人ぶんじん漱石そうせき鷗外のような雅号がごう使用しようしているものおおいのはそのためである。また、知識ちしきじん以外いがいにも、軍人ぐんじん商人しょうにんなど、およそ文化ぶんかとは関係かんけいないものまで使用しようする流行りゅうこうとなった。これがぎゃく知識ちしきじん反発はんぱつまねき、さかい利彦としひこのように「『枯川こせん』といふごう使用しようしません」と、雅号がごう使用しようをやめるものがえ、大正たいしょうには雅号がごう流行りゅうこうわり、一部いちぶ使用しようにとどまっている。

有名ゆうめい雅号がごうれい

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もっぱよりも雅号がごうられる人物じんぶつ

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雅号がごうばれることもある人物じんぶつ

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関連かんれん項目こうもく

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