豊田とよだみのる

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豊田とよだとよだ みのるみのる
生誕せいたん 1920ねん3月14にち
死没しぼつ (1994-01-30) 1994ねん1がつ30にち(73さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
最終さいしゅう階級かいきゅう 海軍かいぐん中尉ちゅうい
除隊じょたい 新聞しんぶん記者きしゃ作家さっか
墓所はかしょ 冨士ふじ霊園れいえん
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豊田とよだ みのる(とよだ じょう、1920ねん大正たいしょう9ねん3月14にち - 1994ねん平成へいせい6ねん1がつ30にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ作家さっか海軍かいぐん軍人ぐんじん海兵かいへい68最終さいしゅう階級かいきゅう海軍かいぐん中尉ちゅうい本名ほんみょう豊田とよだ みのる(とよだ みのる)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

生立おいた[編集へんしゅう]

満州まんしゅうよんたいらがいまれる。その郷里きょうり岐阜ぎふけん本巣もとすぐん穂積ほづみまちげん瑞穂みずほ)へもどり、1937ねん昭和しょうわ12ねん)3がつ岐阜ぎふ県立けんりつ本巣もとす中学校ちゅうがっこうげん岐阜ぎふ県立けんりつ本巣もとす松陽しょうよう高等こうとう学校がっこう)を卒業そつぎょう

海軍かいぐん時代じだい[編集へんしゅう]

1937ねん昭和しょうわ12ねん)4がつ海軍兵学校かいぐんへいがっこう入校にゅうこう。1940ねん昭和しょうわ15ねん)8がつ卒業そつぎょう68)。同期どうきおしどりふちこうばん勝久かつひさ広尾ひろおあきら松永まつなが市郎いちろう酒巻さかまき和男かずおがいる。

1941ねん昭和しょうわ16ねん)4がつだい36飛行ひこう学生がくせいになる。12月8にち真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきおこなわれ、とくせん出撃しゅつげきした10めいのうち、酒巻さかまき和男かずお捕虜ほりょとなる。当時とうじ豊田とよだ霞ヶ浦かすみがうら海軍かいぐん航空こうくうたい飛行ひこう学生がくせいであったが、すでぐん内部ないぶでもそのうわさひろまっており、同期どうき一人ひとりが「酒巻さかまきやつ自決じけつしてくれないかなぁ。クラスの名誉めいよにかかわるからなぁ」とうのをいたという[1]

1942ねん昭和しょうわ17ねん)4がつ1にち中尉ちゅうい進級しんきゅう[2]宇佐うさ航空こうくうたい所属しょぞく当時とうじ、のちにともに捕虜ほりょとなったかわけんうえ曹と出会であ[3]。6月、だい36飛行ひこう学生がくせい卒業そつぎょう艦上かんじょう爆撃ばくげき操縦そうじゅういんとなる。7月に富高とみたか飛行場ひこうじょう、9月に鹿屋かのや飛行場ひこうじょう[4]、2がつ空母くうぼたか所属しょぞくとなる。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)4がつ3にちごう作戦さくせん参加さんかのため、ラバウル移動いどう[5]。7にちきゅうきゅうかんばく操縦そうじゅうガダルカナルとう飛行場ひこうじょう攻撃こうげきさいソロモン方面ほうめんサボとうおきグラマン撃墜げきついされ、偵察ていさついんかわけんうえ曹とともに脱出だっしゅつ、ゴムボートで3日間にちかん漂流ひょうりゅうしたのちニュージーランド海軍かいぐん哨戒しょうかいていひろわれ捕虜ほりょになる[5]水兵すいへいがコーヒーとパンをってときかわ自決じけつねがたが、豊田とよだはそれをめた[6]数日すうじつ、ガダルカナルとうから飛行機ひこうきニューカレドニアおくられ、40にちハワイフォードとう海兵かいへいたい拘禁こうきんしょ連行れんこうされ、5かげつあいだにわたる尋問じんもんける。このとき通訳つうやくかんであったドナルド・キーン訊問じんもんした最初さいしょ捕虜ほりょとなる[7]

豊田とよだは、捕虜ほりょになったときから名前なまえ大谷おおやまこと東京とうきょう四谷よつや出身しゅっしん商船しょうせん学校がっこうだし輸送ゆそうパイロットを名乗なのっていたが、辻褄つじつまわない陳述ちんじゅつでベテランの尋問じんもんかんをだますことは出来できず、はやくも2にちには海兵かいへい出身しゅっしんれいせんパイロットであることを自白じはくする[8]尋問じんもんかんからは「利口りこううそつき能力のうりょくぬし」と皮肉ひにくられた[8]くちかたうそおおかったことから重要じゅうよう情報じょうほうかくしているとおもったべいぐんはさらに追及ついきゅうつづけ、くら独房どくぼうで2週間しゅうかん尋問じんもんけたこともあった[6]。その結果けっかれいせん性能せいのう装備そうび、ほかの空母くうぼ性能せいのう消息しょうそく最高さいこう機密きみつである大和やまと速力そくりょく主砲しゅほう口径こうけいまで自白じはくしてしまう[8]

またあるとき捕虜ほりょとはいえてきへいである豊田とよだ真珠湾しんじゅわんにて主力しゅりょく空母くうぼである空母くうぼエンタープライズ内部ないぶ見学けんがくねが実現じつげんした[8]。なおこのとき案内あんないやく副長ふくちょう誘導ゆうどうされ、はやぶさたか構造こうぞう性能せいのう自白じはくしてしまっている[8]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく本土ほんど移送いそうシカゴ西北せいほくのマッコイ捕虜ほりょ収容しゅうようしょへの移送いそうまり、1944ねん4がつ8にち夕方ゆうがた、スパルタえき到着とうちゃく。そこで収容しゅうようしょがわとの交渉こうしょうやくとして「捕虜ほりょとしての訓示くんじ」をおこなっていた酒巻さかまき再会さいかい[1]。そのよる、ビールの小瓶こびん一本いっぽん酒巻さかまき2人ふたりだけのクラスかいひら[1]。20にんばかりの将校しょうこうとうはいった豊田とよだは、酒巻さかまき補佐ほさやくをやりつつ小説しょうせつはじめる。恋愛れんあいものにもけたが時代じだい小説しょうせつ好評こうひょうで、「原稿げんこうりょうタダの流行りゅうこう作家さっかだった」と回想かいそうする[8]一方いっぽうで、少尉しょうい詐称さしょうしハワイ収容しゅうようしょにて牢名主ろうなぬししか振舞ふるまっていた太田おおた清二せいじとう整備せいび兵曹へいそうへのつるげをおこない、下士官かしかんへいとともに凄惨せいさんなリンチを展開てんかいさせたとされる[9]

1946ねん昭和しょうわ21ねん)3がつ酒巻さかまきとともに輸送ゆそうせんモーマックレーンごう浦賀うらが上陸じょうりくし、帰国きこくする[10]

新聞しんぶん記者きしゃ作家さっかとして[編集へんしゅう]

1946ねん昭和しょうわ21ねん)、海軍かいぐん機関きかん学校がっこう出身しゅっしん同期どうきコレス)の紹介しょうかい岐阜ぎふ新聞しんぶんしゃ入社にゅうしゃ名古屋なごや中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ記者きしゃであった1947ねん昭和しょうわ22ねん)、処女しょじょさく「ニューカレドニア」を発表はっぴょう翌年よくねん職業しょくぎょう軍人ぐんじんパージい、そうだてしゃという出版しゅっぱんしゃつとめ、『小説しょうせつ講談こうだん』を担当たんとうおおくの作家さっか知遇ちぐうて、宮内みやうち寒弥かんや紹介しょうかい丹羽にわ文雄ふみおらのじゅうにちかい出入でいりする。[11]。しかし1949ねん昭和しょうわ24ねん)、そうだてしゃ廃業はいぎょう岐阜ぎふ教科書きょうかしょ会社かいしゃ教育きょういく図書としょ勤務きんむ

1951ねん昭和しょうわ26ねん)、『ミッドウェー海戦かいせん』で岐阜ぎふけん文化ぶんかしょう受賞じゅしょう会社かいしゃ上京じょうきょう小説しょうせつく。1952ねん昭和しょうわ27ねん)、公職こうしょく追放ついほう解除かいじょにより中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ復帰ふっき1956ねん昭和しょうわ31ねん)、東京とうきょう支社ししゃ文化ぶんか転属てんぞく1971ねん昭和しょうわ46ねん)、『長良川ながらがわ』でだい64かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう以降いこう職業しょくぎょう作家さっかとして執筆しっぴつ活動かつどう専念せんねんするが[10]自由じゆう出勤しゅっきんみとめられたため中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ定年ていねんまでつとめる[12]

豊田とよだとも捕虜ほりょになった相川あいかわは、戦後せんご航空こうくう自衛隊じえいたいはいってさんとう空佐くうさ退官たいかんし、伊東いとう温泉おんせんでマッサージをしていたが、1976ねん3がつ8にち割腹かっぷく自決じけつげた[13]もと部下ぶかへのききとりから、動機どうき捕虜ほりょとなっていたことへのであるとかり、自著じちょ割腹かっぷく』にて「海上かいじょう漂流ひょうりゅうする浮舟うきふね二人ふたりのうち、一人ひとり突然とつぜんわかれの挨拶あいさつもかけずに消滅しょうめつし、自分じぶんだけが浮舟うきふねうえのこされたのを意識いしきした。」としるした[14]

1981ねん昭和しょうわ56ねん)、このとし公開こうかいされた東宝とうほう映画えいが連合れんごう艦隊かんたい』で、児島こじまじょうとの共同きょうどうで、映画えいが企画きかく協力きょうりょく担当たんとう

1986ねん昭和しょうわ61ねん)、紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう1992ねん平成へいせい4ねん)、中日ちゅうにち文化ぶんかしょう受賞じゅしょう[15]

1994ねん平成へいせい6ねん)、死去しきょ享年きょうねん74。墓所はかしょ冨士ふじ霊園れいえん文学ぶんがくしゃはか

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

豊田とよだふくとは血縁けつえん関係かんけいではないが、海軍かいぐん時代じだい機関きかんちょうから豊田とよだふく息子むすこかとかれるくらい体格たいかくていた。

だい世界せかい大戦たいせんについて「日本にっぽんをあの戦争せんそうんだのは、日本にっぽんかこむいわゆるABCD包囲ほういもうそれにフランスソ連それんくわえたしょ外国がいこくうごきをべつにすれば、日本にっぽんという国家こっかおよ日本人にっぽんじんそれ自体じたい体質たいしつ、そして、軍事ぐんじよりむしろ、政治せいじ経済けいざい外交がいこう性格せいかく方向ほうこうづけに問題もんだいがあったのではないかと、わたしかんがえるようになった」とべている。

豊田とよだぜん著作ちょさく執筆しっぴつさい参考さんこうにした戦史せんし戦記せんき伝記でんき資料しりょうなどは、故郷こきょう岐阜ぎふ岐阜ぎふけん図書館としょかんに「豊田とよだみのる文庫ぶんこ」として収蔵しゅうぞうされている。

追悼ついとう出版しゅっぱんに『長良川ながらがわ悲憤ひふん 豊田とよだみのるれいささぐ』(進藤しんどう純孝すみたかほかへん中日新聞ちゅうにちしんぶん本社ほんしゃ、1996ねん

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • ミッドウェー海戦かいせん川瀬かわせ書店しょてん 1951
  • うみなる墓標ぼひょうとら書房しょぼう 1956
  • 長良川ながらがわ作家さっかしゃ 1970 のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ光人みつひとしゃ文庫ぶんこ
  • られざるソ連それん 15共和きょうわこく素顔すがお日本交通公社にほんこうつうこうしゃ(ベルブックス) 1971
  • そらけん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1971
  • 『ニューカレドニアの青春せいしゅんだいさん文明ぶんめいしゃ 1972
  • 海兵かいへいよんごう生徒せいと文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1972 のち文庫ぶんこ
  • 江田島えたじま教育きょういく新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ 1973 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこしん人物じんぶつ文庫ぶんこ
  • なみまくらいくたびぞ 悲劇ひげき提督ていとく南雲なぐも忠一ただかず中将ちゅうじょう講談社こうだんしゃ 1973 のち文庫ぶんこ
  • 『ミッドウェー戦記せんき文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1973 のち文庫ぶんこ 
  • あおいざめるしん冬樹ふゆきしゃ 1973
  • 寂光じゃっこうひと文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1973 のち改題かいだい順逆じゅんぎゃくひと――小説しょうせつ三島みしま由紀夫ゆきお』勁文しゃ(ケイブンシャ文庫ぶんこ)1985
  • 小野田おのだもと少尉しょういはは講談社こうだんしゃ 1974
  • 南十字星みなみじゅうじせい戦場せんじょう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1974 のち文庫ぶんこ
  • うみ紋章もんしょう新潮社しんちょうしゃ 1974 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 攻撃こうげきたい発進はっしんせよ!』毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1974
  • 艦隊かんたい山越やまご征服せいふくおうスルタン・メフメット講談社こうだんしゃ 1974
  • 月明げつめい湾口わんこう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1974
  • 『ラバウル心中しんちゅうのしおぶんしゃ(シリーズ戦争せんそう人間にんげん) 1975
  • 世界せかいあるく』日本交通公社にほんこうつうこうしゃ 1975 のちケイブンシャ文庫ぶんこ 
  • ほのお提督ていとく ホレイシオ・ネルソン毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1975 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 処刑しょけいしま文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1976
  • みずづる 栄光えいこう空母くうぼ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1976
  • よんほん火柱ひばしら 比叡ひえい霧島きりしまきむつよし榛名はるな毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1977 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 小説しょうせつ平岡ひらおか養一よういち木琴もっきん人生じんせいぶくあきらどう(Sunny novels) 1977
  • 『われぎしに』講談社こうだんしゃ 1977
  • 海軍かいぐん特別とくべつ年少ねんしょうへい青樹あおきしゃ 1978 「激戦げきせん集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 激流げきりゅう孤舟こしゅう 提督ていとく米内よない光政みつまさ生涯しょうがい講談社こうだんしゃ 1978 のち文庫ぶんこ
  • 攻撃こうげきたい発進はっしんせよ!』青樹あおきしゃ 1978 「撃沈げきちん集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ光人みつひとしゃ文庫ぶんこ
  • 撃墜げきつい 太平洋たいへいよう航空こうくう戦記せんき集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1978 のち光人みつひとしゃ文庫ぶんこ
  • 蒼空そうくううつわ わか撃墜げきついおう生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1978 のち文庫ぶんこ
  • える怒濤どとう 真珠湾しんじゅわんのいちばんなが三笠みかさ書房しょぼう、1978 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 太平洋たいへいようさかずき ソロモンの光人みつひとしゃ 1979
  • 松岡まつおか洋右ようすけ 悲劇ひげき外交がいこうかん新潮社しんちょうしゃ 1979 のち文庫ぶんこ
  • 空港くうこう太平洋たいへいようかいそら戦記せんき光人みつひとしゃ 1979 「海軍かいぐん特別とくべつ攻撃こうげきたい集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • さんにん卜伝ぼくでん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979 のち中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • ななにん生還せいかんしゃ講談社こうだんしゃ 1979
  • 出撃しゅつげき集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1979
  • 割腹かっぷく 虜囚りょしゅうロッキーをえる』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1979 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 漂流ひょうりゅう三笠みかさ書房しょぼう 1979
  • ははふたりの三笠みかさ書房しょぼう 1980
  • 航空こうくう巡洋艦じゅんようかん利根とね筑摩ちくま死闘しとう講談社こうだんしゃ 1980
  • 空母くうぼ信濃しなの生涯しょうがい集英社しゅうえいしゃ 1980 のち文庫ぶんこ光人みつひとしゃ文庫ぶんこ
  • しん蒼空そうくううつわ 大空おおぞらのサムライななにん生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1980 のち文庫ぶんこ
  • おとこ人生じんせい劇場げきじょう新潮社しんちょうしゃ 1980
  • きたボルネオ転進てんしん玉砕ぎょくさい!』三笠みかさ書房しょぼう 1980 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ、「玉砕ぎょくさい 日米にちべいりく戦記せんき光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ 1999
  • 同期どうきさくら かえらざる青春せいしゅん記録きろく光人みつひとしゃ 1981 のち文庫ぶんこ
  • 坂本さかもと竜馬りょうま学研がっけん 1981、のち学陽書房がくようしょぼう人物じんぶつ文庫ぶんこ 1996、学研がっけん文庫ぶんこ
  • 古戦場こせんじょうつ』日本交通公社にほんこうつうこうしゃ 1982
  • 最後さいご元老げんろう西園寺さいおんじ公望きんもち新潮社しんちょうしゃ 1982 のち文庫ぶんこ
  • 空母くうぼみずづる生涯しょうがい集英社しゅうえいしゃ 1982 のち文庫ぶんこ
  • 『シルクロードのちちよ』新潮社しんちょうしゃ 1982
  • 『それぞれの戦争せんそうぜん2かん 光人みつひとしゃ 1982
  • 蒼茫そうぼううみ 軍縮ぐんしゅくちち 提督ていとく加藤かとう友三郎ともさぶろう生涯しょうがいプレジデントしゃ 1983 のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 戦記せんき作家さっか雑記ざっきちょう あおえんぴつあかえんぴつ』光人みつひとしゃ 1983
  • 小説しょうせつ東京とうきょう裁判さいばん講談社こうだんしゃ 1983
  • ゆきふうハ沈マズ きょううん駆逐くちくかん栄光えいこう生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1983 のち文庫ぶんこ
  • 夜明よあけのしお 近藤こんどう真琴まこと教育きょういく子弟していたち』新潮社しんちょうしゃ 1983
  • 明治めいじ大正たいしょう宰相さいしょうだい4-8 講談社こうだんしゃ 1983-84[16]
  • 恩讐おんしゅう川面かわも新潮社しんちょうしゃ 1984
  • 日本にっぽん交響楽こうきょうがくぜん10かん 講談社こうだんしゃ 1984 のち文庫ぶんこ
  • 人間にんげん交響楽こうきょうがくぜん7かん 講談社こうだんしゃ 1985-86
  • 同期どうきさくら 完結かんけつへん光人みつひとしゃ 1985
  • 旗艦きかん三笠みかさ生涯しょうがい』勁文しゃ 1986 「戦艦せんかんさんかさ東郷とうごう元帥げんすい文庫ぶんこ
  • 名将めいしょう宮崎みやざきしげる三郎さぶろう 不敗ふはい最前線さいぜんせん指揮しきかん生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1986 のち文庫ぶんこ
  • だい西郷さいごう兄弟きょうだい物語ものがたり 西郷さいごう隆盛たかもり西郷さいごう従道つぐみち物語ものがたり光人みつひとしゃ 1987 のち文庫ぶんこ
  • 初代しょだい総理そうり伊藤いとう博文ひろぶみ講談社こうだんしゃ 1987 のち文庫ぶんこ
  • 海軍かいぐん軍令ぐんれい講談社こうだんしゃ 1987 のち文庫ぶんこ
  • 情報じょうほう将軍しょうぐん明石あかし元二郎もとじろう ロシアをたおしたスパイ大将たいしょう生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1987 のち文庫ぶんこ
  • 平和へいわ交響楽こうきょうがく講談社こうだんしゃ ぜん3かん 1988
  • 建川たてかわ永沼ながぬま秀文ひでふみ 二人ふたり挺進ていしん将軍しょうぐん光人みつひとしゃ 1988
  • 豊臣とよとみ秀吉ひでよし講談社こうだんしゃ(少年しょうねん少女しょうじょ伝記でんき文学ぶんがくかん) 1988
  • 飛行機ひこうきおう中島なかじま知久平ちくへい講談社こうだんしゃ 1989 のち文庫ぶんこ光人みつひとしゃ文庫ぶんこ
  • 私論しろん連合れんごう艦隊かんたい生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1989 のち文庫ぶんこ
  • 鳩山はとやま一郎いちろう 英才えいさい家系かけい講談社こうだんしゃ 1989 「英才えいさい家系かけい文庫ぶんこ
  • 孤高ここう外相がいしょう重光しげみつまもる講談社こうだんしゃ 1990
  • とりかげ講談社こうだんしゃ 1990(心不全しんふぜん体験たいけんえがいた)
  • 宰相さいしょう若槻わかつき礼次郎れいじろう ロンドン軍縮ぐんしゅく会議かいぎ首席しゅせき全権ぜんけん講談社こうだんしゃ 1990
  • 革命かくめいきた一輝いっき日本にっぽん改造かいぞう法案ほうあん大綱たいこう」と昭和しょうわ維新いしん講談社こうだんしゃ 1991 のち文庫ぶんこ
  • 人間にんげん機関きかんしゃ浅沼あさぬま稲次郎いねじろう講談社こうだんしゃ 1991 のち学陽書房がくようしょぼう人物じんぶつ文庫ぶんこ
  • 『あふれるあい にじいの聖母せいぼ講談社こうだんしゃ 1992(コンウォール・リー
  • 史談しだんくに合戦かっせん 戦乱せんらんおもて舞台ぶたいうら舞台ぶたい大陸たいりく文庫ぶんこ 1992
  • 悲運ひうん大使たいし野村のむら吉三郎きちさぶろう講談社こうだんしゃ 1992
  • 世界せかいなか山本やまもと五十六いそろく 歴史れきしうごかした英雄えいゆうたちの研究けんきゅう光人みつひとしゃ 1992
  • 心臓しんぞう告知こくち講談社こうだんしゃ 1992 のち文庫ぶんこ
  • 福島ふくしま安正やすまさ 情報じょうほう将校しょうこう先駆せんく ユーラシア大陸たいりく単騎たんき横断おうだん講談社こうだんしゃ 1993
  • 戦争せんそう虜囚りょしゅうのわがはん世紀せいき講談社こうだんしゃ 1993
  • 北洋ほくよう開拓かいたくしゃ 郡司ぐんじ成忠しげただ大尉たいい挑戦ちょうせん講談社こうだんしゃ 1994
  • 最後さいご重臣じゅうしん岡田おかだ啓介けいすけ 終戦しゅうせん和平わへい尽瘁じんすいしたかげ仕掛しかけじん生涯しょうがい光人みつひとしゃ 1994

著作ちょさくしゅう[編集へんしゅう]

  • 豊田とよだみのる戦記せんき文学ぶんがくしゅう』(ぜん11かん講談社こうだんしゃ 1982-84
  1. マレーおき海戦かいせん
  2. ミッドウェー海戦かいせん
  3. ハワイ海戦かいせん南雲なぐも中将ちゅうじょう
  4. 提督ていとく決断けつだん
  5. 戦艦せんかん武蔵むさしレイテにす 
  6. 戦艦せんかんじゅうじゅん死闘しとう
  7. 空母くうぼ爆沈ばくちん
  8. 蒼空そうくううつわ 撃墜げきついおうおしどりふちこう大尉たいい
  9. 空戦くうせん
  10. ああ海軍兵学校かいぐんへいがっこう 豊田とよだみのる自伝じでん
  11. うみ紋章もんしょう 豊田とよだみのる自伝じでん
  • 豊田とよだみのる文学ぶんがく/戦記せんき全集ぜんしゅう』(ぜん20かん光人みつひとしゃ 1990-92

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • ウィリアム・D・ブランケンシップ「タイガー ・テン れいせん捕獲ほかく作戦さくせん三笠みかさ書房しょぼう 1979
  • ハリー・ゴードン「爼上のこい カウラ収容しゅうようしょ日本人にっぽんじん捕虜ほりょ集団しゅうだん脱走だっそう事件じけん双葉社ふたばしゃ 1979
  • エドワード・ローアー「ぬすまれた暗号あんごう 山本やまもと五十六いそろく謀殺ぼうさつ真相しんそう三笠みかさ書房しょぼう 1979

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c はた 1998, p. 174.
  2. ^ 豊田とよだ 1984, p. 143.
  3. ^ はた 1998, p. 53.
  4. ^ 豊田とよだ 1984, p. 106.
  5. ^ a b はた 1998, p. 175.
  6. ^ a b はた 1998, p. 176.
  7. ^ ドナルド・キーン「わたしの日本語にほんご修行しゅぎょう」(白水しろみずしゃ 2014ねん
  8. ^ a b c d e f はた 1998, p. 177.
  9. ^ はた 1998, p. 196.
  10. ^ a b はた 1998, p. 179.
  11. ^ 仮面かめんひと」『寂光じゃっこうひと』142-3p
  12. ^ 豊田とよだ 1984, p. 305.
  13. ^ はた 1998, p. 180.
  14. ^ はた 1998, p. 181.
  15. ^ 中日ちゅうにち文化ぶんかしょう 受賞じゅしょうしゃ一覧いちらん”. 中日新聞ちゅうにちしんぶん. 2022ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  16. ^ だい1-3戸川とがわいの佐武さたけ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • はたいく日本人にっぽんじん捕虜ほりょ 白村はくそんこうからシベリア抑留よくりゅうまで うえはら書房しょぼう、1998ねんISBN 4-562-03071-2 
  • 豊田とよだみのる割腹かっぷく 虜囚りょしゅうロッキーをえる』集英社しゅうえいしゃ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ〉、1984ねんISBN 4-08-750780-7