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山岡やまおか荘八しょうはち

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山岡やまおか 荘八しょうはち
(やまおか そうはち)
新編しんぺん現代げんだい日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい27かん』(1958ねん)より
誕生たんじょう 山内やまうち 庄蔵しょうぞう
(1907-01-11) 1907ねん1がつ11にち
日本の旗 日本にっぽん 新潟にいがたけん北魚沼きたうおぬまぐん小出こいでまちげん魚沼うおぬま佐梨さなし[1]
死没しぼつ (1978-09-30) 1978ねん9月30にち(71さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう豊島としま上池袋かみいけぶくろ
墓地ぼち 春秋しゅんじゅうえん
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 無線むせん電信でんしん講習こうしゅうしょ本科ほんか電機でんき学校がっこう
代表だいひょうさく徳川とくがわ家康いえやす』(1953ねん - 1967ねん
小説しょうせつ明治天皇めいじてんのう』(1963ねん - 1968ねん
太平洋戦争たいへいようせんそう』(1962ねん - 1971ねん
はる坂道さかみち』(1971ねん
おも受賞じゅしょうれきサンデさんで毎日まいにち大衆たいしゅう文芸ぶんげい入選にゅうせん(1938ねん
野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう(1942ねん
中日ちゅうにち文化ぶんかしょう(1958ねん
長谷川はせがわしんしょう(1967ねん
吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう(1968ねん
紫綬褒章しじゅほうしょう(1973ねん
くんとう瑞宝章ずいほうしょう(1978ねん
子供こども 山岡やまおか賢次けんじ養子ようし
親族しんぞく 山岡やまおかいたるまるまご
ウィキポータル 文学ぶんがく
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山岡やまおか 荘八しょうはち(やまおか そうはち、1907ねん明治めいじ40ねん1がつ11にち - 1978ねん昭和しょうわ53ねん9月30にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ位階いかいしたがえよん

歴史れきし小説しょうせつ中心ちゅうしん活躍かつやく本名ほんみょう藤野ふじの庄蔵しょうぞう(ふじの しょうぞう)。『徳川とくがわ家康いえやす』によりだい2かい吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう日本にっぽんまもかい代表だいひょう委員いいんつとめた[2]

自由党じゆうとうもと衆議院しゅうぎいん議員ぎいん山岡やまおか賢次けんじ養子ようし[3]立憲りっけん民主党みんしゅとう衆議院しゅうぎいん議員ぎいん山岡やまおかいたるまるまご

来歴らいれき

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経済けいざい展望てんぼうしゃ経済けいざい展望てんぼうだい30かんだい11がつごう(1958ねん)より
徳川とくがわ家康いえやす連載れんさい再開さいかい意気込いきごみをかた山岡やまおか荘八しょうはち(1963ねん
みぎから山内やまうち一史かずし山岡やまおか長男ちょうなん)、山岡やまおか荘八しょうはち山岡やまおか道枝みちえ山岡やまおかつま)、山内やまうち幹雄みきおいち)、山内やまうち政枝まさえいちつま)、山内やまうちやや山岡やまおか長女ちょうじょ)。1964ねんごろ撮影さつえい

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新潟にいがたけん北魚沼きたうおぬまぐん小出こいでまち大字だいじ佐梨さなしげん魚沼うおぬま佐梨さなし)の山内さんないまれる[1]1918ねんかわおよいでいて前額ぜんがく強打きょうだ瀕死ひんし重傷じゅうしょう後々あとあとまでこぶとしてのこる。1920ねん高等こうとう小学校しょうがっこう中退ちゅうたいして上京じょうきょう博文ひろぶみかん印刷所いんさつしょ文選ぶんせんこうとしてはたらきつつ逓信ていしんしょう研究所けんきゅうじょまなぶ。1924ねんより印刷いんさつ製本せいほんぎょうはじめる。

1932ねん萬里ばんりかく入社にゅうしゃ雑誌ざっし『ギャング』の編集へんしゅうにあたる[4]。『変態へんたい銀座ぎんざデカメロン』を連載れんさい

1933ねん2がつ萬里ばんりかく発行はっこうの『大衆たいしゅう倶楽部くらぶ』の編集へんしゅう責任せきにんしゃだった藤野ふじの秀子ひでこ結婚けっこん[4]山岡やまおかにとっては後妻ごさいであった。秀子ひでこ石川いしかわけん能美のみぐん安宅あたかまちげん小松こまつ)の出身しゅっしん[4]一人娘ひとりむすめだったため、山岡やまおか藤野ふじの養子ようしになった。秀子ひでこ筆名ひつめい山岡やまおか道枝みちえとしていた。長谷川はせがわしん入門にゅうもんした。

1938ねんに「約束やくそく」で「サンデさんで毎日まいにち大衆たいしゅう文芸ぶんげい入選にゅうせん長谷川はせがわしんしんたかかい入会にゅうかい1939ねんはつ著書ちょしょ『からゆき軍歌ぐんか』を上梓じょうし

従軍じゅうぐん作家さっかとなる

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1940ねん従軍じゅうぐん作家さっか志願しがんして、ちゅうささえ海南かいなんとうみなみささえなどをめぐった。1941ねん陸軍りくぐんいのちけてふたた中国ちゅうごく大陸たいりくわたった[5]

1942ねん2がつ大本営だいほんえい海軍かいぐん徴用ちょうようされる。報道ほうどうはんいんとして中国ちゅうごく、タイ、マレーなどに従軍じゅうぐんした。同年どうねん10がつ、『軍神ぐんしん杉本すぎもと中佐ちゅうさ』を刊行かんこう。11月、『海底かいてい戦記せんき』を刊行かんこう同書どうしょその野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう受賞じゅしょうした[6]かく戦線せんせんをまわり、時局じきょくてき小説しょうせつつづけた[7]

1943ねん1がつ、『たて』の連載れんさい雑誌ざっし『キング』で開始かいし。1944ねん9がつ海軍かいぐん報道ほうどう唐木とうぼく中佐ちゅうさとの対談たいだん「サイパン以後いご決選けっせん覚悟かくごかたる」を発表はっぴょう[6]

1945ねん1がつ、「神風かみかぜ特攻隊とっこうたい少年しょうねんたち」を『飛行ひこう少年しょうねん』に寄稿きこう同月どうげつ17にちづけ朝日新聞あさひしんぶんに「神風かみかぜたい先駆せんく有馬ありま中将ちゅうじょう遺訓いくん」を寄稿きこう同年どうねん4がつ、「神風かみかぜたいおうへるみち」を『うみ日本にっぽん』に寄稿きこう。4月から7がつにかけて「硫黄いおうしま栗林くりばやし忠道ちゅうどう大将たいしょうでん」を『週刊しゅうかん朝日あさひ』に連載れんさい[6]

徳川とくがわ家康いえやす』を執筆しっぴつ

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1947ねん公職こうしょく追放ついほうとなる[8]。1950ねん3がつ29にち、「北海道新聞ほっかいどうしんぶん」が夕刊ゆうかん再開さいかい同時どうじ山岡やまおかの『徳川とくがわ家康いえやす』の連載れんさいはじまる[5][9]同年どうねん10月13にち公職こうしょく追放ついほう解除かいじょ[10]。1951ねん1がつ1にちより『徳川とくがわ家康いえやす』の連載れんさいは「中部ちゅうぶ日本にっぽん新聞しんぶん」「神戸こうべ新聞しんぶん」などに拡大かくだいされる[5]1953ねん11月より単行本たんこうぼん刊行かんこうはじまり、ベストセラーとなる。

1958ねん10がつ4にちからきし信介しんすけ首相しゅしょう藤山ふじやま愛一郎あいいちろう外相がいしょうダグラス・マッカーサー2せい大使たいしらは日米にちべい合同ごうどう委員いいんかいひらき、安保あんぽ条約じょうやく改定かいてい交渉こうしょう開始かいしした[11][12]交渉こうしょうすすむにつれ、安保あんぽ条約じょうやく改定かいてい反対はんたいこえたかまっていくが、きし政権せいけん批判ひはんする新聞しんぶんなな投書とうしょらんいきどおりをかんじた山岡やまおかは、以前いぜんからきたかった「政治せいじ小説しょうせつ」のだいいちさく主人公しゅじんこうきしえらぶことをおもく。1959ねん5がつ10日とおか実名じつめい小説しょうせつ小説しょうせつきし信介しんすけ』を上梓じょうしした[13]

1958ねん中日ちゅうにち文化ぶんかしょう受賞じゅしょう1963ねんしんたかかい理事りじ就任しゅうにん1966ねん文壇ぶんだん長者ちょうじゃ番付ばんづけいちとなった。

1967ねんに『徳川とくがわ家康いえやす』が完結かんけつし、長谷川はせがわしんしょう受賞じゅしょう昌平しょうへい短期大学たんきだいがく名誉めいよ学長がくちょう1968ねん徳川とくがわ家康いえやす』により、だい2かい吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう1973ねん紫綬褒章しじゅほうしょう受章じゅしょう

1978ねん4がつ笹川ささかわ良一りょういち伝記でんき小説しょうせつ破天荒はてんこう 人間にんげん笹川ささかわ良一りょういち』(有朋ありともしゃ)を刊行かんこう同年どうねん9がつ30にちホジキンリンパしゅ急性きゅうせい肺炎はいえん併発へいはつし、東京とうきょう豊島としま上池袋かみいけぶくろ癌研究会がんけんきゅうかい総合そうごう病院びょういん死去しきょ。71さいぼつ戒名かいみょう山岡やまおかいんしゃく荘八しょうはちとく居士こじ[14]没後ぼつごしたがえよんくんとう瑞宝章ずいほうしょう

政治せいじ活動かつどう人物じんぶつ

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作品さくひん

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徳川とくがわ家康いえやすだい1かん。1953ねん11月14にち初版しょはん発行はっこう
戦前せんぜん戦中せんちゅう
  • おとここい近代きんだい小説しょうせつしゃ(近代きんだい小説しょうせつ文庫ぶんこ)1938
  • 太田おおたおさむでん春日かすが書房しょぼう 1939
  • 『からゆき軍歌ぐんか博文ひろぶみかん 1939
  • ははみち読切よみき講談社こうだんしゃ 1940
  • ほのお跫音きょうおん博文ひろぶみかん 1941
  • 隅田すみたさんあんず書院しょいん 1941
  • 丹那になトンネル』博文ひろぶみかん(小説しょうせつ選集せんしゅう) 1942
  • おとこ餞別せんべつさんあんず書院しょいん 1942
  • ほのお生活せいかつつくだ書房しょぼう 1942
  • 海底かいてい戦記せんきだいいち公論こうろんしゃ 1942 のちちゅう公文こうぶん
  • あたらしき奔流ほんりゅう錦城きんじょう出版しゅっぱんしゃ 1942
  • 軍神ぐんしん杉本すぎもと中佐ちゅうさ講談社こうだんしゃ 1942
  • よんおく一人ひとりなりたけどう(国防こくぼう文芸ぶんげい叢書そうしょ) 1942
  • 太陽たいよう春江はるえどう 1942-1944-
  • たて講談社こうだんしゃ 1944
  • 元帥げんすい山本やまもと五十六いそろく講談社こうだんしゃ 1944
  • そら艦長かんちょう偕成社かいせいしゃ 1944
戦後せんご
  • 竜胆りんどう洋洋ようようしゃ 1947
  • まち太陽たいよう春江はるえどう 1948
  • 家庭かていはた鷺ノ宮さぎのみや書房しょぼう 1948
  • はなかたりぬ』みなと書房しょぼう 1948
  • はなふう中川なかがわ書店しょてん 1948
  • なぞまき』むさし書房しょぼう 1948
  • 怪傑かいけつしょう天狗てんぐ光文社こうぶんしゃ 1949
  • 怪童かいどう不動ふどうまる偕成社かいせいしゃ 1950
  • かねりやまず』しん小説しょうせつしゃ(しん小説しょうせつ文庫ぶんこ) 1951
  • 真珠しんじゅかず』東方とうほうしゃ 1951
  • 元禄げんろく地獄変じごくへんどうひかりしゃ磯部いそべ書房しょぼう 1951
  • むねはなをおけ』ポプラ社ぽぷらしゃ 1952
  • 『このかねて』講談社こうだんしゃ(少年しょうねん少女しょうじょ評判ひょうばん読物よみもの選集せんしゅう) 1952
  • 千葉ちば周作しゅうさく東方とうほうしゃ 1952-1954 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 花粉かふんうみ東方とうほうしゃ 1952
  • 八幡やはたせん東方とうほうしゃ 1952
  • 日蓮にちれん東方とうほうしゃ 1952 のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 紅白こうはくうめ双紙ぞうし東方とうほうしゃ 1953
  • みどり花垣はながき東方とうほうしゃ 1953
  • 七彩しちさいくも東方とうほうしゃ 1953
  • 天使てんしつみ東方とうほうしゃ 1953
  • 徳川とくがわ家康いえやすぜん26かん だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1953-1967 のち文庫ぶんこ
  • 暗黒あんこくがい少年しょうねんポプラ社ぽぷらしゃ 1954
  • 変幻へんげん髑髏しゃれこうべまる偕成社かいせいしゃ 1954
  • 富士ふじふうあり』ポプラ社ぽぷらしゃ 1954
  • うみ花壇かだん東方とうほうしゃ 1954
  • 桃源とうげんおに山田やまだ書店しょてん 1954 のち春陽しゅんよう文庫ぶんこ
  • 月夜つきよさくら東方とうほうしゃ 1954
  • おんな一生いっしょう東方とうほうしゃ 1954
  • かおのないおとこ豊文とよふみしゃ 1954
  • 『彦左青春せいしゅん東方とうほうしゃ 1954
  • はな寝室しんしつ豊文とよふみしゃ 1954
  • 『やっこ歌舞伎かぶきだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1954 「越後えちご騒動そうどう光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • はたひかりともに』ポプラ社ぽぷらしゃ 1955
  • 『このこえてんにとどけ』ポプラ社ぽぷらしゃ 1955
  • 満月まんげつじょう聞』偕成社かいせいしゃ 1955
  • くな太陽たいようポプラ社ぽぷらしゃ 1955
  • もえゆるうたポプラ社ぽぷらしゃ 1955
  • 『わがたましいはたポプラ社ぽぷらしゃ 1955
  • わか千葉ちば周作しゅうさく河出かわで新書しんしょ 1955
  • 獅子じし北辰ほくしんどう 1955
  • 浅草あさくさ観音かんのん東方とうほうしゃ 1955
  • 風流ふうりゅうばん大岡おおおか政談せいだん桃源とうげんしゃ(新撰しんせん大衆たいしゅう小説しょうせつ全集ぜんしゅう) 1955
  • 女難じょなん開眼かいがん千葉ちば周作しゅうさく河出かわで新書しんしょ 1955
  • 織田おだ信長のぶながぜん8かん だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1955-1960 のち文庫ぶんこ山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • べに蜘蛛くもぐるい』東方とうほう新書しんしょ 1956
  • 柔肌やわはだとうげどうひかりしゃ(長篇ちょうへん時代じだい小説しょうせつ全集ぜんしゅう) 1956
  • うみおおかみ無頼ぶらいかずどう出版しゅっぱんしゃ 1956
  • 山岡やまおか孫吉まごきちでん さんえんろくじゅうぜにからひゃくおく長者ちょうじゃへ』だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1956
  • 坂本さかもと竜馬りょうま東京とうきょう文芸ぶんげいしゃ 1956 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 山田やまだ長政ながまさ同人どうじんしゃ(昭和しょうわ名作めいさく選書せんしょ) 1956 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 『おさけかみどうひかりしゃ(大衆たいしゅう小説しょうせつ名作めいさくせん) 1956
  • しん太平たいへいぜん8かん だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1957-1962 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • みなもと頼朝よりともぜん3かん 桃源とうげんしゃ 1957-1960 のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 山岡やまおか荘八しょうはち長篇ちょうへん作品さくひん選集せんしゅうぜん4かん かずどう出版しゅっぱんしゃ 1957-1958
  • 風流ふうりゅう奉行ぶぎょう桃源とうげんしゃ 1957 のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • 水戸黄門みとこうもんどうひかりしゃ出版しゅっぱん 1957 のち春陽しゅんよう文庫ぶんこ、「水戸みと光圀みつくに山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • むっつの悲劇ひげき東方とうほうしゃ 1957
  • 小説しょうせつきし信介しんすけだいいち世論せろんしゃ 1959
  • 『おんな天下でんか物語ものがたり桃源とうげんしゃ 1959
  • とんび物語ものがたり講談社こうだんしゃ 1959
  • きていた光秀みつひで講談社こうだんしゃ 1963
  • 随想ずいそう徳川とくがわ家康いえやす講談社こうだんしゃ 1963
  • 少年しょうねん徳川とくがわ家康いえやすぜん5かん 講談社こうだんしゃ 1964
  • 毛利もうり元就もとなり東都とうと書房しょぼう 1964 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 柳生やぎゅう一族いちぞく桃源とうげんしゃ 1964 「柳生やぎゅう石舟いしふねとき山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 少年しょうねん織田おだ信長のぶなが秋田あきた書店しょてん(少年しょうねん少女しょうじょ小説しょうせつ文庫ぶんこ) 1965
  • 太平洋戦争たいへいようせんそうぜん9かん 講談社こうだんしゃ 1965-1971 「小説しょうせつ太平洋戦争たいへいようせんそう山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 黒船くろふね懐胎かいたい文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ(ポケット文春ぶんしゅん) 1965
  • 異本いほん太閤たいこうぜん7かん 講談社こうだんしゃ 1965 「豊臣とよとみ秀吉ひでよし講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 高杉たかすぎ晋作しんさく講談社こうだんしゃ 1966 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 柳生やぎゅうさん天狗てんぐ桃源とうげんしゃ 1967 のち光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 徳川とくがわ家康いえやす名言めいげんしゅう講談社こうだんしゃ 1967
  • べにえぬ』ポプラ社ぽぷらしゃ(ジュニア小説しょうせつシリーズ) 1967
  • 明治天皇めいじてんのうぜん3かん 講談社こうだんしゃ 1968 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 吉田よしだ松陰しょういん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ 1968 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 日本人にっぽんじんあじ太平たいへい出版しゅっぱん 1969
  • 柳生やぎゅう金魚きんぎょ東京とうきょう文芸ぶんげいしゃ 1970
  • 伊達だてまさしむね毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1970-1973 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 『あばれ公子こうし桃源とうげんしゃ 1970
  • はる坂道さかみち[ちゅう 1]日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい 1971 「柳生やぎゅう宗矩むねのり山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 徳川とくがわ家康いえやす 歴史れきし対談たいだん桑田くわたただしおや 講談社こうだんしゃ 1972 のち文庫ぶんこ
  • 少年しょうねんばん太平洋戦争たいへいようせんそうぜん5かん 少年しょうねん少女しょうじょ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1973
  • 徳川とくがわ家光いえみつぜん3かん 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1974-1976 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 徳川とくがわ慶喜よしのぶぜん5かん 講談社こうだんしゃ 1974 のち山岡やまおか荘八しょうはち歴史れきし文庫ぶんこ
  • 前進ぜんしん樋口ひぐち俊夫としおちょう常識じょうしき商法しょうほう』フェイス出版しゅっぱん 1974
  • える軌道きどうぜん4かん 学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ 1974 (廣池ひろいけせん九郎くろう
  • 破天荒はてんこう 人間にんげん笹川ささかわ良一りょういち有朋ありともしゃ 1978
  • にら文殊もんじゅ 随想ずいそうしゅう講談社こうだんしゃ 1979
  • ぜんめぐかん 世界せかいのファスナーおう吉田よしだ忠雄ただおでんせいつづけ 千広ちひろ企画きかく出版しゅっぱん 1980-1981
  • 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅうぜん46かん 講談社こうだんしゃ 1981-1984

回想かいそう

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  • 山岡やまおか荘八しょうはち自伝じでん 遺稿いこう山岡やまおか賢次けんじへん講談社こうだんしゃ、1984ねん
  • 山内やまうち健生たけおわたしなか山岡やまおか荘八しょうはち おも伯父おじ荘八しょうはち ひとつの山岡やまおか荘八しょうはちろんてんてんしゃ、2014ねん新装しんそうばん2023ねん

映像えいぞう作品さくひん

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映画えいが

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コミック作品さくひん

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横山よこやま光輝みつてるが『徳川とくがわ家康いえやす』など、山岡やまおか歴史れきし小説しょうせつ1982ねんから講談社こうだんしゃ次々つぎつぎコミカライズしている。

  • 徳川とくがわ家康いえやす
  • 織田おだ信長のぶなが
  • 豊臣とよとみ秀吉ひでよし -異本いほん太閤たいこう-』
  • 伊達だてまさしむね

山岡やまおか荘八しょうはちえんじた人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 柳生やぎゅうしんかげりゅう始祖しそ柳生やぎゅう宗矩むねのり生涯しょうがいえがく。NHK大河たいがドラマのためにろされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, p. 389.
  2. ^ a b 藤生とうにゅう 2018, p. 140.
  3. ^ プロフィール山岡やまおか賢次けんじ公式こうしきサイト
  4. ^ a b c 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, p. 397.
  5. ^ a b c うえ昭子あきこ山岡やまおか荘八しょうはちにおける作品さくひん変容へんよう連続れんぞく―『徳川とくがわ家康いえやす』・『たて』を中心ちゅうしんに―」 『日本にっぽん文学ぶんがく文化ぶんか』2010ねん東洋大学とうようだいがく日本にっぽん文学ぶんがく文化ぶんか学会がっかい
  6. ^ a b c 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, pp. 402–405.
  7. ^ a b 山岡やまおか 荘八しょうはち(ヤマオカ ソウハチ)とは”. コトバンク. 2024ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, p. 407.
  9. ^ (かぶ)北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ北海道新聞ほっかいどうしんぶんじゅうねん』(1952.08) 82ページ”. 渋沢しぶさわしゃデータベース. 2024ねん8がつ19にち閲覧えつらん
  10. ^ まんめい追放ついほう解除かいじょ」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん昭和しょうわ25ねん10がつ14にち1めん
  11. ^ だい30かい国会こっかい 衆議院しゅうぎいん 外務がいむ委員いいんかい だい3ごう 昭和しょうわ33ねん10がつ8にち”. 国会こっかい会議かいぎろく検索けんさくシステム. 2024ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん
  12. ^ 外交がいこう時報じほう』1958ねん12がつごう外交がいこう時報じほうしゃ、40-46ぺーじ
  13. ^ 山岡やまおか荘八しょうはち小説しょうせつきし信介しんすけだいいち世論せろんしゃ、1959ねん5がつ10日とおか、294-297ぺーじ
  14. ^ 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)336ぺーじ
  15. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1967ねん4がつ10にちづけ朝刊ちょうかん、14ぺーじ、「政治せいじづく文化ぶんか芸能人げいのうじん 候補こうほなみに多忙たぼう」。
  16. ^ 藤生とうにゅう 2018, pp. 223–224.
  17. ^ 明治維新めいじいしんひゃくねん明治めいじ神宮じんぐう記録きろく明治めいじ神宮じんぐう明治めいじ神宮じんぐう崇敬すうけいかい、1969ねん12月20にち
  18. ^ 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, p. 441.
  19. ^ 藤生とうにゅう 2018, pp. 137–138.
  20. ^ <あのころ>天皇てんのう在位ざいい50ねん記念きねん式典しきてん 政府せいふ主催しゅさい、7500にん参列さんれつ”. 共同通信きょうどうつうしん (2023ねん11月10にち). 2024ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  21. ^ たわら義文よしふみ (2019ねん5がつ30にち). “元号げんごう自明じめいか?:元号げんごう法制ほうせい戦後せんご日本にっぽん社会しゃかい”. Web日本にっぽん評論ひょうろん. 2024ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  22. ^ 青木あおき 2016, pp. 32–33.
  23. ^ 国民こくみん運動うんどうあゆ”. 日本にっぽん会議かいぎ. 2024ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  24. ^ ころもりゅう哲生てつお国民こくみん主権しゅけん挑戦ちょうせんする元号げんごう法制ほうせい」 『社会しゃかい主義しゅぎ』1979ねん4がつ社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい
  25. ^ 中島なかじま三千男みちお政治せいじ反動はんどうにおける宗教しゅうきょう教団きょうだん役割やくわり」 『戦後せんご反動はんどうイデオロギー』170-171ぺーじ
  26. ^ a b 破天荒はてんこう 人間にんげん笹川ささかわ良一りょういち』 1978, pp. 339–341.
  27. ^ 山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36』, p. 445.
  28. ^ 番組ばんぐみエピソード 大河たいがドラマ『はる坂道さかみち』 - NHKアーカイブス
  29. ^ 番組ばんぐみエピソード 大河たいがドラマ『徳川とくがわ家康いえやす』- NHKアーカイブス

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 山岡やまおか荘八しょうはち山岡やまおか荘八しょうはち全集ぜんしゅう 36 短篇たんぺん名作めいさくしゅう講談社こうだんしゃ、1984ねん1がつ26にち 
  • 山岡やまおか荘八しょうはち破天荒はてんこう 人間にんげん笹川ささかわ良一りょういち有朋ありともしゃ、1978ねん4がつ5にち 
  • 藤生とうにゅうあかり徹底てってい検証けんしょう 神社じんじゃ本庁ほんちょう ―その起源きげんから内紛ないふん保守ほしゅ運動うんどうまで』筑摩書房ちくましょぼうちくま新書しんしょ〉、2018ねん10がつ4にちISBN 978-4480071767 
  • 青木あおきさとし日本にっぽん会議かいぎ正体しょうたい平凡社へいぼんしゃ平凡社へいぼんしゃ新書しんしょ〉、2016ねん7がつ9にちISBN 978-4582858181 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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