昭和 史 発掘
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1965 | ||
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ジャンル | ノンフィクション | |
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『
内容 [編集 ]
数字 は収録 巻数 、ーは未 収録 を示 す。
タイトル | (1965 |
(1973 |
(1978 |
(2005 | ||
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1 | 1 | ー | 1 | 1 | ||
2 | 1 | 32 | 1 | 1 | ||
3 | 1 | 32 | 1 | 1 | ||
4 | 2 | 32 | 2 | 1 | ||
5 | 2 | 32 | 2 | 1 | ||
6 | 2 | 32 | 2 | 2 | ||
7 | 3 | ー | 3 | 2 | ||
8 | 3 | 32 | 3 | 2 | ||
9 | 3 | 32 | 3 | 2 | ||
10 | 4 | 32 | 4 | 2 | ||
11 | 「 |
4 | ー | 4 | 3 | |
12 | 4 | ー | 4 | 3 | ||
13 | スパイ"M"の |
5 | 32 | 5 | 3 | |
14 | 5 | ー | 5 | 4 | ||
15 | 6 | ー | 6 | 4 | ||
16 | ー | ー | ー | ー | ||
17 | 6 | ー | 6 | 4 | ||
18 | 「お |
ー | ー | ー | ー | |
19 | 6 | ー | 6 | 4 | ||
20 | 7 | ー | 7 | 5 | ||
21 | 7 | ー | 7 | 5 | ||
22 | 8 | ー | 8 | 5 | ||
23 | 8 | ー | 8 | 6 | ||
24 | 9 | ー | 9 | 6 | ||
25 | 9 | ー | 9 | 6 | ||
26 | 10 | ー | 10 | 7 | ||
27 | 10 | ー | 10 | 7 | ||
28 | 11 | ー | 11 | 7 | ||
29 | 11 | ー | 11 | 8 | ||
30 | 11 | ー | 11 | 8 | ||
31 | 12 | ー | 12 | 8 | ||
32 | 12 | ー | 12 | 9 | ||
33 | 13 | ー | 13 | 9 | ||
34 | 13 | ー | 13 | 9 |
単行本 第 13巻 の末尾 には、74ページにわたる全巻 の人名 索引 が付 されているが、文庫 新装 版 では索引 が省略 されている。内容 の詳 しい検討 を望 む人 は留意 されたい。
単行本 未 収録 作品 [編集 ]
第 16話 「政治 の妖雲 ・穏田の行者 」『週刊文春 』第 9巻 第 1 - 2号 (1967年 1月 2日 号 - 1月 9・16日 合併 号 ) -飯野 吉三郎 。第 18話 「「お鯉 」事件 」『週刊文春 』第 9巻 第 14 - 19号 (1967年 4月 10日 号 - 5月15日 号 ) - 1934年 に起 こった事件 。小山 松吉 法相 が検事 総長 時代 に赤坂 の待合 「鯉 住 」で接待 を受 けた、として岡本 一巳 代議士 らにより告発 されたが、逆 に岡本 が誣告 として有罪 となった。「鯉 住 」の女将 が、元 芸妓 で桂 太郎 の愛妾 であったお鯉 こと安藤 てるであり、彼女 が小山 が「鯉 住 」に来 たことを証言 した(のち偽証 で有罪 )ことからこの名 がある。
エピソード[編集 ]
当時 文藝春秋 に在職 していた半藤 一利 は、『日本 の黒 い霧 』連載 時 の『文藝春秋 』編集 長 で同 作 の仕掛 け人 とされる田川 博一 が『週刊文春 』に異動 し、清張 と親 しかった田川 が池島 信平 と共 に、同誌 への本 作 連載 を決 めたと推測 している[1]。藤井 康 栄 は、連載 前半 の『週刊文春 』編集 長 は「ひとつずつの章 が短 いほうが、俺 だって読 める」と言 い、毎週 「(連載 を)止 めろ、早 く止 めろ」と藤井 に対 して言 ったが、藤井 は「でも私 は意地 でも作家 には言 いませんでした。呼 びつけられてもき流 していたわけです」とし[3]、やがて編集 長 が交代 して「好 きなだけやれ」と言 ったので、後半 の二 ・二 六 事件 は長 くなったと述 べている[4]。藤井 は「学者 が書 くものは、ほとんどが、公的 資料 とか、残 っている資料 に頼 る。自分 たちで探 して見 つけて書 くわけではないですから、そういう人 の論文 をいくら読 んでも、なんだか歯 がゆいわけですよ。現実 のことが知 りたいのにって。だから深入 りしすぎて、危 ないこともあったんですけどね」と述 べ、連載 中 には藤井 が右翼 に呼 び出 され、自宅 まで尾 けられるなどの目 にあったが、「(清張 は)ぜんぜん平気 。大丈夫 ですかと聞 いても「その時 はその時 」と、肝 が据 わっていました」と述 べている。加 えて、藤井 が北九州 市立 松本 清張 記念 館 の仕事 を始 めて以降 も、「藤井 さんに『俺 はまだ生 きているぞ』って伝 えろ」と院外団 関係 者 からの接触 があったことを明 かしている[4]。考察 や資料 はしばしば専門 研究 者 によって引用 されることもあるが、筒井 清 忠 は「関係 者 のき取 りを元 にしなければ書 けないような有意義 な情報 を多 く含 んでいるのだが、どこまでが確実 な調査 に基 づくもので、どこまでが推理 によるものなのか判然 としないので、取 り扱 いに慎重 を要 する」としている[5]。
脚注 ・出典 [編集 ]
- ^ a b
佐野 洋 ・半藤 一利 ・郷 原 宏 による「週刊 誌 連載 時代 の松本 清張 」(『松本 清張 研究 』第 8号 北九州 市立 松本 清張 記念 館 2007年 ) - ^
松本 清張 『昭和 史 発掘 特別 篇 』文藝春秋 〈文春 学藝 ライブラリー〉、2019年 8月 10日 、8頁 。ISBN 978-4-16-813082-3。 - ^
青山 真治 ・田中 慎 弥 との対談 「海峡 の先輩 へ遥 かな清張 」(『松本 清張 研究 』第 15号 北九州 市立 松本 清張 記念 館 2014年 ) - ^ a b
阿 刀 田高 ・保阪 正 康 ・山田 有策 との対談 「多様 なる松本 清張 の世界 へ」(『松本 清張 研究 』第 19号 北九州 市立 松本 清張 記念 館 2018年 ) - ^
筒井 清 忠 『昭和 戦 前期 の政党 政治 』(ちくま新書 、2012年 )67頁