まぼろしはな (松本まつもと清張せいちょう)

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まぼろしはな
小説中の「ブルーボネー」が所在する設定とされる、銀座八丁目付近
小説しょうせつちゅうの「ブルーボネー」が所在しょざいする設定せっていとされる、銀座ぎんざはち丁目ちょうめ付近ふきん
作者さくしゃ 松本まつもと清張せいちょう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 長編ちょうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし連載れんさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつオール讀物よみもの1983ねん2がつごう - 1984ねん6がつごう
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
挿絵さしえ 濱野はまのあきらおや
刊本かんぽん情報じょうほう
刊行かんこうまぼろしはな
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1985ねん5月1にち
装幀そうてい 伊藤いとう憲治けんじ
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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まぼろしはな』(げんか)は、松本まつもと清張せいちょう長編ちょうへん小説しょうせつ。『オール讀物よみもの』に連載れんさいされ(1983ねん2がつごう - 1984ねん6がつごう連載れんさいちゅう挿絵さしえ濱野はまのあきらおや)、1985ねん5月、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうより刊行かんこうされた。

あらすじ[編集へんしゅう]

銀座ぎんざ放浪ほうろうしてさんじゅうねん小寺こでらすけは、映画えいがプロデューサーの森園もりぞの忠郎ただお銀座ぎんざはち丁目ちょうめ邂逅かいこうし、一世いっせい風靡ふうびしたクラブ「ブルーボネー」の近況きんきょう話題わだいる。しばらくぶりに再訪さいほうしたブルーボネーは閑古鳥かんこどりき、ママの鳥井とりい香津こうづ酒乱しゅらんになっていた。

ブルーボネーは北陸ほくりくちいさなまちから上京じょうきょうした香津こうづが、教養きょうようある紳士しんし社交しゃこうじょうとしてみせち、財界ざいかい政界せいかいのトップにくわえて文化ぶんかじん一堂いちどうあつまる、銀座ぎんざ代表だいひょうする高級こうきゅうサロンとなった。関西かんさいから春子はるこ運営うんえいする「クラブ・小春こはる」が銀座ぎんざ進出しんしゅつすると、香津こうづ小春こはるんで火花ひばならし、うちかしたことで絶頂ぜっちょうとなる。しかし情勢じょうせいわり、客層きゃくそう変化へんか高貴こうきなエリートきゃく集団しゅうだんさんじ、芸術げいじゅつ文士ぶんし厚遇こうぐうしたブルーボネーは、時代じだい対応たいおうない営業えいぎょう方針ほうしん次第しだいにとりのこされ、衰微すいびしていった。ブルーボネーにホステスとしてつとめていた狩野かの富子とみこ生駒いこま桐子きりこ片山かたやま泰子やすこはそれぞれひとりちし、社用しゃようぞくけのやすいクラブを成功せいこうしているが、もうろくねんななねんもブルーボネーをのぞこうともしない。

すけさんにんのママを説得せっとくし、香津こうづ元気げんきづけるためにパーティをひらこうとする。しかし、Rホテルでもよおした開店かいてんさんじゅう周年しゅうねん記念きねんパーティは盛大せいだいひらかれるも、内容ないよう主役しゅやく香津こうづがかすんでしまい、ブルーボネー出身しゅっしんさんママが跳梁ちょうりょう時代じだい変遷へんせん客層きゃくそう変化へんかをまざまざとせつけられ、だい失敗しっぱいわる。

いちげつ香津こうづは、すけたちが企画きかくした内輪うちわ祝賀会しゅくがかいのステージで、万雷ばんらい拍手はくしゅかこまれ、最高さいこう幸福こうふくかんつつまれる。

おも登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

鳥井とりい香津こうづ
銀座ぎんざ一世いっせい風靡ふうびした老舗しにせクラブ「ブルーボネー」のママ。上背うわぜいたか大柄おおがら北陸ほくりく出身しゅっしん
小寺こでらすけ
小寺こでら誠心せいしんどう製薬せいやく会長かいちょう会長かいちょうばかりで隠居いんきょ同様どうようよる銀座ぎんざ彷徨ほうこうしている。67さい
森園もりぞの忠郎ただお
東邦とうほう映画えいが常務じょうむでプロデューサー。
春子はるこ
北新地きたしんちから銀座ぎんざんできた「クラブ・小春こはる」のママ。京美きょうみじん
狩野かの富子とみこ
クラブ「サンレモ」のママ。「ブルーボネー」出身しゅっしん
生駒いこま桐子きりこ
クラブ「マルジュ」のママ。「ブルーボネー」出身しゅっしん
片山かたやま泰子やすこ
クラブ「サボア」のママ。「ブルーボネー」出身しゅっしん
多田ただ秀平しゅうへい
極東きょくとう生命せいめい保険ほけん会長かいちょう。かつての香津こうづ最大さいだいのパトロン。
小栗おぐり芳子よしこ
「ブルーボネー」のげんマネージャー。

エピソード[編集へんしゅう]

  • ほんさく連載れんさい当時とうじきりプロダクションに勤務きんむしていたはやし悦子えつこは、清張せいちょうが「あなたは『サンセット大通おおどお』という映画えいがたことがあるかね」「往年おうねんのハリウッドのだいスターが、年老としおいてもはなやかな銀幕ぎんまくスターだった過去かこわすれられず、最後さいごには発狂はっきょうしてしまうんだ。とくにそのラストが印象いんしょうてきで、自分じぶんいまだいスターだとおもんでいる彼女かのじょが、自分じぶん屋敷やしきだい階段かいだんだい芝居しばいえんじながら、しずしずとりてくるんだよ」と身振みぶ手振てぶりでそのシーンを再現さいげんし、「過去かこ栄光えいこうはなやかであればあるほど、だれ自分じぶん相手あいてにしてくれなくなった孤独こどく最期さいごみじめなものだ。銀座ぎんざいちのバーのママを主人公しゅじんこうにしてそういう小説しょうせつ今度こんどオール(『オール讀物よみもの』)に連載れんさいしようとおもっているんだが、どうかね」とその大筋おおすじはなして反応はんのう観察かんさつしていたと回顧かいこし、「この作品さくひん発表はっぴょうされたころ川口かわぐち松太郎まつたろうの『よるちょう』を彷彿ほうふつとさせるとわれもしたが、その意味いみではまったちがうテーマの作品さくひん」とべている[1]
  • 当時とうじ清張せいちょうかよっていた銀座ぎんざのバーは、「まゆ」「ラモール」「はなねずみ」といった文壇ぶんだんバーであった[2]。「まゆ」は京都きょうとから進出しんしゅつした「おそめ」からの独立どくりつぐみであり、「エスポワール」の川辺かわべるみと「おそめ」のうえしゅうは1950年代ねんだい後半こうはん銀座ぎんざのクラブのきょうとしてられるが、「おそめ」の客層きゃくそうが「エスポワール」とこうむっていたため、おおくのきゃくながれたこと、常連じょうれんきゃくが「おそめ」にいるとった川辺かわべるみが、しかけてうえしゅう平手打ひらてうちしたなどの逸話いつわられている[3]ほんさく鳥井とりい香津こうづ川辺かわべるみ同様どうようたか設定せってい[4]春子はるこうえしゅう同様どうよう京美きょうみじん設定せっていとなっており[5]、また「ブルーボネー」が「鳥井とりい学校がっこう」とばれる設定せってい[6]は、「まゆ」が「銀座ぎんざ大学だいがく」としょうされたことと共通きょうつうしている[3]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ はやし悦子えつこ松本まつもと清張せいちょう 映像えいぞう世界せかい -きりにかけたゆめ』 ワイズ出版しゅっぱん、2001ねん、33-34ぺーじ
  2. ^ 週刊しゅうかん松本まつもと清張せいちょうだい4ごう、ディアゴスティーニ、2009ねん、11ぺーじ
  3. ^ a b よるちょう」が流行りゅうこうになった!『エスポワール』『おそめ』銀座ぎんざ伝説でんせつママ”. NEWSポストセブン (2021ねん9がつ1にち). 2023ねん12月1にち閲覧えつらん
  4. ^ 壮麗そうれい荒廃こうはい」のふしなどで言及げんきゅう
  5. ^ 競争きょうそう」のふしなどで言及げんきゅう
  6. ^ 招待しょうたいじょう」のふしなどで言及げんきゅう