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まぶしじん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぶしじん
作者さくしゃ 松本まつもと清張せいちょう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 長編ちょうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし連載れんさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ中央公論ちゅうおうこうろん1977ねん2がつごう - 1980ねん9がつごう
出版しゅっぱんもと 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
刊本かんぽん情報じょうほう
刊行かんこうまばゆじん
出版しゅっぱんもと 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1980ねん11月30にち
挿絵さしえ 平山ひらやま郁夫いくお
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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まぶしじん』(げんじん)は、松本まつもと清張せいちょう歴史れきし小説しょうせつ仏教ぶっきょうそうげん視点してんから、とう長安ながやす奈良なら時代じだい宮廷きゅうていえが長編ちょうへん小説しょうせつ。『中央公論ちゅうおうこうろん』に連載れんさいされ(1977ねん2がつごう - 1980ねん9がつごう)、1980ねん11月に中央公論社ちゅうおうこうろんしゃから刊行かんこうされた。まぶしじん(あるいはまぼろしじん)とは、著者ちょしゃ説明せつめいによれば、魔法使まほうつかいにちかく、ペルシアじんなど西域せいいき出身しゅっしんの、麻薬まやく道具どうぐにしたじゅつしている[1]

遣唐使けんとうしのルート(げん昉は717ねんわたりとうした)

あらすじ

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とうわたじゅうすうねん日本にっぽんへの帰国きこくかんがえていたげん昉は、堕落だらくした生活せいかつおく日本にっぽんそうおもんみやす伝手つてで、西域せいいき商人しょうにんかん忠恕ただひろう。日本にっぽん薬草やくそう知識ちしき興味きょうみったかん忠恕ただひろは、げん昉をゾロアスターきょうつどほこらさそう。地下ちか斎場さいじょうきょうされた液体えきたいんだげん昉は、不可思議ふかしぎ淫猥いんわい幻想げんそうゆめる。

西域せいいき出身しゅっしん少年しょうねんかんもとせいともな帰朝きちょうしたげん昉は、とう仕込しこんだ知識ちしき幻術げんじゅつ武器ぶきに、朝廷ちょうていでの権力けんりょく伸張しんちょうねらう。

登場とうじょう人物じんぶつ

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作中さくちゅうにおける設定せってい記述きじゅつ

げん
遣唐使けんとうし学問がくもんそうとして参加さんかしたが、目下めした長安ながやす風俗ふうぞくがい色事いろごとふけ日々ひびおくる。他方たほう帰国きこく自分じぶん有利ゆうり考慮こうりょし、精力せいりょくてきまわる。
ひそかかげ
ぞく日本にっぽんちゅういちヶ所かしょ言及げんきゅうのある人物じんぶつ[2]作中さくちゅうでは、架空かくう西域せいいきじんかんもとせい」が改名かいめいした人物じんぶつとなっている。げん昉をぶ。
吉備真備きびのまきび
作中さくちゅうでは下道げどう(しもつみちの)真備まびばれる。努力どりょくがた凡庸ぼんようだが、権力けんりょく動向どうこうには敏感びんかん利害りがい一致いっちしたげん昉とむ。
藤原ふじわら宮子みやこ
くび皇子おうじ聖武天皇しょうむてんのう)を出産しゅっさんしんてき障害しょうがいとなるが、ある方法ほうほうによって回復かいふくする。
聖武天皇しょうむてんのう
幼少ようしょうから宮人みやびと大事だいじそだてられる。藤原ふじわらひろ嗣のらん遷都せんと事業じぎょう大仏だいぶつ建立こんりゅう熱心ねっしんすすめる。
光明皇后こうみょうこうごう
聖武天皇しょうむてんのう実質じっしつてきうごかす存在そんざいになる。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ 著者ちょしゃによる『着想ちゃくそうばなし』(『松本まつもと清張せいちょう全集ぜんしゅうだい51かん(1984ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう月報げっぽう掲載けいさい参照さんしょう
  2. ^ なみ斯人ひそかかげとうニハヲ授クルコト、アリ」(天平てんぺいはちねんじゅういちがつさんにち)。ぞく日本にっぽんかんじゅう

参考さんこう文献ぶんけん

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紀元きげん700ねんころにおけるアジアしょ地域ちいき