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恩誼おんぎひも

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
恩誼おんぎひも
本作の舞台とされる下関市本町の山口合同ガス近くの崖下
ほんさく舞台ぶたいとされる下関しものせき本町ほんまち山口合同やまぐちごうどうガスちかくのがけ
作者さくしゃ 松本まつもと清張せいちょう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつオール讀物よみもの1972ねん3がつごう
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
刊本かんぽん情報じょうほう
収録しゅうろくしんころせ
出版しゅっぱんもと 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1973ねん8がつ15にち
装幀そうてい 鈴木すずき誠一郎せいいちろう
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

恩誼おんぎひも』(おんぎのひも)は、松本まつもと清張せいちょう短編たんぺん小説しょうせつ。『オール讀物よみもの1972ねん3がつごう掲載けいさいされ、1973ねん8がつたん編集へんしゅうしんころせ収録しゅうろくの1へんとして、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうより刊行かんこうされた。

あらすじ[編集へんしゅう]

きゅうさいたつふとしは、祖母そぼのヨシをたずねるため、がけしたのそのいえっていた。中国ちゅうごく地方ちほう言葉ことばで、祖母そぼのことを、ババやんとぶ。祖母そぼはそのいえ住込すみこみのやとばばをしていた。ヨシがよその住込すみこ女中じょちゅうをしているのは息子むすこ平吉へいきち埓のためだった。平吉へいきちはヨシの本当ほんとう息子むすこではない。たつふとしまごでもとおってなかった。が、ヨシはまご可愛かわいがった。

このいえにはおくさんとババやんしかいなかった。ババやんはおくさんの使つかいでがいていく。ババやんは可哀想かわいそうだとたつふとしおもった。こんな年寄どしよりを使つかってあそんでいるおくさんがきでなかった。おくさんは、ババやんがいようといまいと、たつふとしにはあまりこうをきかなかった。ははにはいってない内緒ないしょごとがたつふとしにはあった。ちち平吉へいきちがババやんに小遣こづかいをせびりにくることである。父親ちちおやは、ぞろりとしたやす銘仙めいせん着物きものていたが、子供こどもにもその絹物きぬものはくたびれていた。ははは、いまからおもうと、よくできたおんなだった。ちちによくつくした。世話せわきすぎたともいえる。

あるつめたいふう地面じめんなかに、ちちっていた。ちちは、いえなかからきこえてくる三味線しゃみせんみみかたむけ、いまおくさんはひとりか、といた。ついぞちちがそんな質問しつもんをしたことがないので、たつふとしみょうがした。三味線しゃみせんのひとり稽古けいこをするおくさんは不眠症ふみんしょうだった。ちちはあたりをまわすと、玄関げんかんではなく、横手よこてのほうに下駄げたおとしのばせるようにしてはいってった。屋根やねうえには灰色はいいろくろむらくもがひろがり、そこからつめたいふうちていた。

週間しゅうかんぎたとき、たつふとしはババやんのところにまった。あさ、いつもはやきるはずのおくさんはてこなかった。睡眠薬すいみんやくんでいるおくさんは、たつふとしくちなか雑巾ぞうきんんだとき、くるしそうにもがいたが、手足てあしにはちからがなかった。おくさんをそんなふうにする気持きもちなにだったのだろうか。これでやっとババやんがひどいっているいえから、自分じぶんいえもどれるということもあった。ははと、おくさんとの比較ひかくがどうもあったようである。もうひとつ、はっきりした理由りゆうがあった。ちち平吉へいきちは、おくさんがころされたばん、そのいえのまわりをうろついていたのをものがある。その人相にんそうかられ、二日ふつかあと警察けいさつつかまった。平吉へいきち裁判さいばん証拠しょうこ不十分ふじゅうぶんによる理由りゆう無罪むざいになった。かねこまってそのいえはいるため、そのばん徘徊はいかいしていたことはみとめたが、裏口うらぐちからは侵入しんにゅうしたがおくはい決心けっしんがつかずにかえしたといった。これこそ、たつふとしおくさんをああいうことにしたかんがえのひとつだった。ここのつの子供こども犯行はんこうとはだれもおもわなかった。

祖母そぼは、おくさんのことは一口ひとくちもいわなかった。さん年間ねんかんもそこにはたらいていたのだから、なにむかしおもばなしらしそうなものだったが、ほかのことはいってもおくさんのことはなに言葉ことばにしなかった。祖母そぼ老衰ろうすいんだ。たつふとしじゅうのときだった。ババやんが寝込ねこんで昏睡こんすい状態じょうたいになるろくにちまえ、みとっているたつふとしのほうをむいてかすれたこえした。「たつふとしや、わしがんでも、あのからおまえまもってやるけんのう」「たつふとしや、おまえまもってやるけに。。もう、わるいことはするなや」たつふとし死相しそううかんでいる盲目もうもく老婆ろうばつめた。- ババやんは、っていた。

エピソード[編集へんしゅう]

  • 著者ちょしゃは「わたしの幼年ようねん時代じだいおもがこのフィクションにはいっている。『半生はんせい』(1966ねん10月刊げっかん)、『ほねつぼ風景ふうけい』(1980ねん2がつ発表はっぴょう)などにその背景はいけいとなる一部いちぶ自伝じでんてきいている」とべている[1]
  • 北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん学芸がくげい担当たんとう主任しゅにん中川なかがわ里志さとしは、『ほねつぼ風景ふうけい』での記述きじゅつ比較ひかくしながら、「表通おもてどおり」[2]園田そのだまち坂道さかみち田中たなかまちから壇之浦だんのうらまちつうじている市道しどう)、「道中どうちゅうなかあたりのところ」[2]にある市場いちばおく小路こうじ市場いちば、「おおきな醤油じょうゆ[2]下関しものせき醤油じょうゆ醸造じょうぞう業者ぎょうしゃ大津おおつ比定ひていしている。祖母そぼヨシの奉公ほうこうするいえについては「ずいぶんおおきないえ」「めずらしい駄菓子だがし」をくれたとあるが、これはヨシとたつふとしまずしさ、雇用こようぬしとの格差かくさ強調きょうちょうするためにくわえられた創作そうさく虚構きょこう)であり「殺人さつじん事件じけん伏線ふくせんとなっている」とべている[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 著者ちょしゃによる『うしろがき』(単行本たんこうぼんしんころせ』(1973ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう巻末かんまつ掲載けいさい
  2. ^ a b c 1せつ言及げんきゅう
  3. ^ 中川なかがわ里志さとし清張せいちょう下関しものせき-松本まつもと清張せいちょう地理ちりてき理解りかい()」(『松本まつもと清張せいちょう研究けんきゅうだいじゅういちごう(2020ねん北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん))