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ふういき

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふういき
もく星号の残骸が発見された、伊豆大島の三原山カルデラ周辺
もくせいごう残骸ざんがい発見はっけんされた、伊豆いず大島おおしま三原山みはらやまカルデラ周辺しゅうへん
著者ちょしゃ 松本まつもと清張せいちょう
発行はっこう 1974ねん2がつ1にち
発行はっこうもと 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ
ジャンル 小説しょうせつ
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
形態けいたい うえ製本せいほん
文庫ぶんこばん
ページすう 364/412/370
上巻じょうかん/なかまき/下巻げかん、2016年版ねんばん
コード ISBN 978-4-09-352256-4上巻じょうかん
ISBN 978-4-09-352261-8ちゅうまき
ISBN 978-4-09-352265-6下巻げかん
ウィキポータル 文学ぶんがく
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ふういき』(かぜのいき)は、松本まつもと清張せいちょう長編ちょうへん推理すいり小説しょうせつ日本にっぽんにおける航空こうくうがすべてアメリカ空軍くうぐんによって管制かんせいされていた、連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょう1952ねん4がつこったもくせいごう墜落ついらく事故じこをもとに、フィクションかたち推理すいり展開てんかいした長編ちょうへん小説しょうせつである。『赤旗あかはた』に連載れんさいされ(1972ねん2がつ15にちづけ - 1973ねん4がつ13にちづけ連載れんさいちゅう挿絵さしえすぎちょんただし)、1974ねん2がつ朝日新聞社あさひしんぶんしゃより刊行かんこうされた。

1982ねんにテレビドラマされている。

あらすじ

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アメリカ空軍くうぐん管轄かんかつのジョンソン基地きち所在しょざいした、航空こうくう自衛隊じえいたい入間いるま基地きち周辺しゅうへん

1965ねんのこと、古書こしょてんいとな中浜なかはまはじめかいのもとに中年ちゅうねん婦人ふじんおとずれ、おっと蔵書ぞうしょである航空こうくう関係かんけい専門せんもんしょ売却ばいきゃくする。1952ねんのもくせいごう墜落ついらく事故じこかんする資料しりょうおもわれたが、そこへ古本屋ふるほんや常連じょうれん新聞しんぶんしゃ論説ろんせつ委員いいん伊東いとうゆたかかおし、事故じこ当時とうじ回顧かいこする。大学院生だいがくいんせい小枝さえ欣一きんいちは、そうかい参加さんかする俳句はいく同人どうじんせきで、伊豆いず大島おおしま三原山みはらやまのぼったさい発見はっけんしたダイヤモンドのブローチを披露ひろう、もくせいごう女性じょせい乗客じょうきゃくとされるあいぜん八重子やえこ遺品いひんではないかと推測すいそくする。欣一きんいちはブローチを八重子やえこ遺族いぞくわたそうと身元みもと調しらべるが、杳としてれない。

そうかい伊東いとう好奇心こうきしんからあいぜん八重子やえこ秘密ひみつ調しらはじめる。そうかい古書こしょてん資料しりょう売却ばいきゃくした婦人ふじんのもとをたずね、おっと服部はっとり道夫みちお科学かがく雑誌ざっしもと編集へんしゅうちょう事件じけん調査ちょうさ熱心ねっしんだったことをき、もと部下ぶか広田ひろた佐紀子さきこ服部はっとり資料しりょういでいるのではないかとかんがえるが、広田ひろた佐紀子さきこ行方ゆくえをくらませてしまう。そうかいはダイヤモンドがべいぐん占領せんりょう接収せっしゅうダイヤに由来ゆらいするとかんがえ、服部はっとり道夫みちおさぐっていた研磨けんま加工かこう拠点きょてんである甲府こうふ欣一きんいち派遣はけん欣一きんいちあいぜん八重子やえこ身元みもとって、神戸こうべ福岡ふくおかけん飯塚いいづか名古屋なごやへとおもむく。

伊東いとう新聞しんぶんしゃ航空こうくう島崎しまざきそうかい紹介しょうかいし、島崎しまざき発表はっぴょうされたもくせいごう墜落ついらく事故じこ調査ちょうさ委員いいんかい調査ちょうさ結果けっか検討けんとう当時とうじすべての航空こうくう管制かんせいけんをアメリカ空軍くうぐんにぎっているにもかかわらず、アメリカ空軍くうぐん委員いいんかい参加さんかせず、管制かんせい指示しじ録音ろくおんテープの提出ていしゅつこばんでおり、朝鮮ちょうせん戦争せんそうともないもくせいごうがアメリカ極東きょくとう空軍くうぐん作戦さくせん区域くいきはいっていることに注意ちゅういうながし、くわえて、もくせいごう館山たてやま上空じょうくうからじゅう分間ふんかん高度こうどせんフィートで飛行ひこうせよと指令しれいされたことを、「東京とうきょうモニター」がつたえ、村上むらかみ義一ぎいち運輸うんゆ大臣だいじんが5月9にち衆議院しゅうぎいん運輸うんゆ委員いいんかいらしたことをつたえる。日本にっぽん政府せいふがアメリカを否定ひていする発言はつげんができるわけがないが、ではもし「東京とうきょうモニター」がアメリカぐん関係かんけいしゃであれば、なぜアメリカぐん権威けんい失墜しっついさせるようなことをしたのか、「東京とうきょうモニター」の情報じょうほうが、機長きちょう完全かんぜんなミスということですっきりした解決かいけつになるとおもわれた墜落ついらく事故じこたいし、疑惑ぎわくまねくことになったと島崎しまざきべる。

伊東いとうは、日航にっこう本社ほんしゃをはじめ日本にっぽんがわに「舞阪まいさかおき海上かいじょう不時着ふじちゃく」「アメリカ軍機ぐんき生存せいぞんしゃ発見はっけん」「乗客じょうきゃく全員ぜんいん無事ぶじ」などのかい情報じょうほうながれたことについて、単純たんじゅん航空こうくう事故じこであれば、アメリカぐん当局とうきょくはすぐに正確せいかく情報じょうほうし、館山たてやま大島おおしまあいだ海上かいじょうだい捜索そうさくはや時間じかんかい情報じょうほう積極せっきょくてきすことができたはずだが、正確せいかく情報じょうほうさなかった理由りゆうは、もくせいごうとアメリカ空軍くうぐんとの重要じゅうよう関係かんけいであり、日本にっぽんがわ真相しんそうられてはこまるから、一切いっさい舞浜まいはまおき集中しゅうちゅうさせるトリックが案出あんしゅつされたと推理すいりべる。島崎しまざきは「事故じこ調査ちょうさ報告ほうこくしょ」のコピーをすが、村上むらかみ運輸うんゆ大臣だいじん発言はつげんにある、アメリカ空軍くうぐん付近ふきん航行こうこうちゅうであったという事実じじつ報告ほうこくしょから脱漏だつろうしていることにむねかい疑問ぎもんいだく。調査ちょうさかいはなぜ追及ついきゅうしなかったのか。「優秀ゆうしゅうなアメリカの軍用ぐんよう日航にっこう空中くうちゅう接触せっしょくおこすようなバカなことはない」という先入せんにゅう観念かんねんが、敗戦はいせんこく日本人にっぽんじんにあったからではないかとかんがえる。

帰京ききょうした欣一きんいちから、あいぜん八重子やえこ出入でいりしていた名古屋なごや大和やまと生命せいめいビル(徴兵ちょうへいビル)がだい空軍くうぐん司令しれい出先でさき機関きかんであったこと、墜落ついらく事故じこ国防総省こくぼうそうしょうからゴーランド少将しょうしょう小牧こまき基地きちいていたことをき、そうかい国会図書館こっかいとしょかんでゴーランドが東京とうきょう訪問ほうもんしていないか調しらべようとするが、それとあわせて「アイ」写真しゃしん新聞しんぶん墜落ついらく事故じこ当時とうじ記事きじみ、同誌どうし記者きしゃのマスコミにさきんじて事故じこ現場げんば到着とうちゃくしているのを不審ふしんおもう。またアメリカの救難きゅうなんたい医療いりょう隊員たいいん2めいさきんじて現場げんば落下傘らっかさん降下こうかしたことがほうじられているが、かれらはかならずしも「現場げんば保存ほぞん」にっていたとはいえないと伊東いとう示唆しさする。そうかい当時とうじ「アイ」写真しゃしん新聞しんぶん嘱託しょくたく通信員つうしんいんだった宮田みやた忠彦ただひこい、宮田みやた情報じょうほうつたえた部長ぶちょう同誌どうし解散かいさん急死きゅうししたこと、宮田みやたっている科学かがく雑誌ざっし航空こうくう情報じょうほう』1952ねん7がつごう対談たいだん記事きじから、もくせいごうみぎ補助ほじょつばさタブ発見はっけんという情報じょうほうる。補助ほじょつばさタブについては事故じこ調査ちょうさ報告ほうこくしょれられていないが、調査ちょうさかい官僚かんりょうてき組織そしきで、報告ほうこくしょはアメリカがわ刺激しげきしないよう八方はっぽう円満えんまんな「作文さくぶん」になったと伊東いとうかんがえる。補助ほじょつばさタブはアメリカ空軍くうぐんから機関きかんじゅうたれたのではないかと、そうかい空想くうそうべる。

欣一きんいち墜落ついらく事故じこ徴兵ちょうへいビルに出入でいりした日本にっぽんがわ航空こうくう調査官ちょうさかん人相にんそう特徴とくちょう通訳つうやくからききだし、島崎しまざきは、事故じこ調査ちょうさかい事務じむ局長きょくちょうかくだったはら文夫ふみおではないかとこたえる。はら文夫ふみお事故じこ調査ちょうさかい中心ちゅうしんたとにらんだそうかい伊東いとうは、欣一きんいちはら学生がくせい時代じだいいである野村のむら源一郎げんいちろう接触せっしょくさせ、はら克明こくめい日記にっきをつけていることをく。

野村のむら紹介しょうかいじょうけ、欣一きんいちはらとの直接ちょくせつ対決たいけつはいる。「日本にっぽん生存せいぞんにとってアメリカというくに必要ひつようなんだ。だから思想しそうてき反米はんべい主義しゅぎ危険きけんだ」とはらたいし、欣一きんいちは、演習えんしゅうちゅうのアメリカ空軍くうぐんがもくせいごう仮想かそうてきとして機銃きじゅうったとする仮説かせつべるが、はら補助ほじょつばさタブのきからしてそれはありえないと、欣一きんいち矛盾むじゅんき、事故じこ調査ちょうさおおくのひと迷惑めいわくがかかるのでやめたほうがいいと欣一きんいち忠告ちゅうこくする。伊藤いとうそうかいはら経歴けいれき調しらべ、はらとブッシュの接点せってん発見はっけん欣一きんいちは、もくせいごう唯一ゆいいつ外国がいこくじん乗客じょうきゃくであったリードが、空軍くうぐん将校しょうこうなのに日航にっこうっていたことに疑問ぎもんつ。伊東いとう島崎しまざきからまえ運輸省うんゆしょう飛行ひこう審査しんさかん藤原ふじわら卯三郎うさぶろう紹介しょうかいけ、伊東いとう調査ちょうさデータを藤原ふじわらして航空こうくう専門せんもん判断はんだんもとめ、「藤原ふじわら所見しょけん」を入手にゅうしゅする。

航空こうくう専門せんもん所見しょけん知識ちしき武装ぶそうした欣一きんいちは、はらとの度目どめ対決たいけつのぞむ。主翼しゅよくフラッププロペラまが具合ぐあいについて報告ほうこくしょ記述きじゅつされなかった不備ふび欣一きんいちたいし、はらは「空想くうそうだ。証拠しょうこがない」、欣一きんいちは「反証はんしょうがないかぎり、その憶測おくそくにも反論はんろんができないとおもいます」と平行へいこうせん辿たどり、はらは、アメリカ民間みんかん航空局こうくうきょくのブッシュが録音ろくおんテープをき、公表こうひょうすれば事故じこ民間みんかん航空局こうくうきょくがわ責任せきにんではないことがはっきりするが、空軍くうぐんがわ反対はんたいおさえられたこと、録音ろくおんテープには、もくせいごう通常つうじょう事故じことはいえない事故じこ発生はっせいはいっていたという想像そうぞうゆるされるとおもうとべるが、欣一きんいちせつには「肯定こうてい否定ひていもできない。そういう資格しかくがない」と問答もんどうつづく。伊東いとう大島おおしまもと炭焼すみやき人夫にんぷ情報じょうほうや『航空こうくう情報じょうほう』の記事きじから、被弾ひだんではなく空軍くうぐんとの接触せっしょく可能かのうせい指摘してきする。

クライマックスの舞台ぶたいとなる、宗像むなかた鐘崎かねざき地区ちく

はら休暇きゅうか福岡ふくおかけん宗像むなかたにいることを秘書ひしょおかからいた欣一きんいちは、神湊こうのみなとはらさん度目どめ接触せっしょくたす。「政府せいふ発表はっぴょう調査ちょうさ報告ほうこくしょ多少たしょうちがったところがてきたところで、いまさらどうにもならないことではないか。無益むえきなことだ。のみならず、それは反米はんべい感情かんじょうをそそり、アカ(共産きょうさん主義しゅぎもの)の連中れんちゅう利用りようされることにおいて有害ゆうがいですらある」とはら暗示あんじする。欣一きんいちは、右翼うよくフラップが原形げんけいたもったのに左翼さよくフラップがけて溶解ようかいしたようにつぶれており、空中くうちゅうにおけるなんらかの衝撃しょうげきによって左翼さよくフラップ付近ふきん部分ぶぶんてき火災かさい発生はっせいした可能かのうせい指摘してき、「東京とうきょうモニター」は、もくせいごう事故じこ原因げんいん日本人にっぽんじん熱心ねっしんりたがることを予想よそうしたアメリカ空軍くうぐん関係かんけいしゃが、緊急きんきゅう着陸ちゃくりく疑念ぎねんいだかせないためにつくった虚像きょぞうである、はら村上むらかみ義一ぎいち大臣だいじんもアメリカにいっぱいくわされたのだとし、きゅう日本にっぽんぐん将校しょうこう自衛隊じえいたい幹部かんぶからいたはなしもとづき、もくせいごうはIFF装置そうちてき味方みかた識別しきべつ装置そうち)をんでいた可能かのうせいがある、IFFの発信はっしんたいして応答おうとうがないのでおとさない程度ていど威嚇いかく警告けいこくようったが、それがあやまって、もくせいごう機体きたいあたった、という推測すいそくべる。

当時とうじ調査ちょうさ資料しりょうがすでに廃棄はいき処分しょぶん証拠しょうこ湮滅いんめつ)されたことをいた欣一きんいちは、はら日記にっきせるよう懇願こんがんする。しかしはら文夫ふみおはほどなく急死きゅうしかくたる裏付うらづけはなにられず「すべて崩壊ほうかい」にわる。

おも登場とうじょう人物じんぶつ

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アメリカ極東空軍司令部が所在した、東京・丸の内の明治生命館 大和生命ビル(旧名古屋日本徴兵館)が所在した、名古屋市の広小路クロスタワー
アメリカ極東きょくとう空軍くうぐん司令しれい所在しょざいした、東京とうきょうまるうち明治生命めいじせいめいかん
大和やまと生命せいめいビル(きゅう名古屋なごや日本にっぽん徴兵ちょうへいかん)が所在しょざいした、名古屋なごや広小路ひろこうじクロスタワー
  • 原作げんさくにおける設定せってい記述きじゅつ
中浜なかはまはじめかい
阿佐ヶ谷あさがや古書こしょてん蒼古そうこくつ」の主人しゅじん
伊東いとうゆたか
有楽町ゆうらくちょうにあるR新聞しんぶんしゃ論説ろんせつ委員いいん。「蒼古そうこくつ」の常連じょうれん一人ひとり
小枝さえ欣一きんいち
A大学だいがく大学院生だいがくいんせい地質ちしつがく専攻せんこうそうかい参加さんかする「いわかたまり」の同人どうじん
あいぜん八重子やえこ[1]
墜落ついらくしたもくせいごう唯一ゆいいつ女性じょせいきゃく宝石商ほうせきしょう本名ほんみょう江藤えとうケイ子けいこ
服部はっとり道夫みちお
科学かがく雑誌ざっし科学かがく日本にっぽんもと編集へんしゅうちょう。もくせいごう墜落ついらく事故じこ調しらべていた。
服部はっとり和枝かずえ
服部はっとり道夫みちおつま航空こうくう関係かんけいしょりに「蒼古そうこくつ」をおとずれる。
広田ひろた佐紀子さきこ
服部はっとり道夫みちおもと部下ぶか編集へんしゅうしゃ服部はっとり道夫みちお遺志いしぎ、事故じこ調しらべる。
中浜なかはま江津子えつこ
そうかいつま広田ひろた佐紀子さきことの接触せっしょくさいそうかい協力きょうりょくする。
島崎しまざき
R新聞しんぶんしゃ嘱託しょくたくもと民間みんかん航空こうくうのパイロット。
江藤えとう菊子きくこ
あいぜん八重子やえこあね名古屋なごや在住ざいじゅう
大場おおば岩雄いわお
房総ぼうそうにちにち新聞しんぶん整理せいり部長ぶちょう事故じこ当時とうじ「アイ」写真しゃしん新聞しんぶん[2]社会しゃかいデスク。
宮田みやた忠彦ただひこ
民放みんぽうテレビ局てれびきょくのカメラマン。事故じこ当時とうじ「アイ」写真しゃしん新聞しんぶん大島おおしま通信員つうしんいん
はら文夫ふみお
アイガー航空こうくう貨物かもつ輸送ゆそう会社かいしゃ社長しゃちょうで、事故じこ当時とうじ事故じこ調査ちょうさかい事務じむ局長きょくちょう[3]
おか比佐子ひさこ
はら文夫ふみお秘書ひしょはら文夫ふみお欣一きんいち面会めんかいぐ。
D・J・キング
ノースウェスト航空こうくうふく社長しゃちょう
ウェーン・ブッシュ
アメリカ民間みんかん航空局こうくうきょくのハワイ駐在ちゅうざいいん墜落ついらく事故じこ大島おおしま現地げんち調査ちょうさおこなう。
ゴーランド
アメリカ国防総省こくぼうそうしょうづけ空軍くうぐん顧問こもん墜落ついらく事故じこ名古屋なごや訪問ほうもんする。
リード
ジョンソン基地きち空軍くうぐん将校しょうこう大尉たいい

エピソード

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  • ほんさく執筆しっぴつ契機けいきについて著者ちょしゃは、1971ねん7がつ30にち発生はっせいした全日空ぜんにっくう雫石しずくいし衝突しょうとつ事故じこ旅客機りょかくき航空こうくう自衛隊じえいたい戦闘せんとう空中くうちゅう衝突しょうとつ事故じこ)をげている[4]
  • 作中さくちゅう紹介しょうかいされる『航空こうくう情報じょうほう』1952ねん7がつごう対談たいだんは、こおりとし今井いまいひとしによる「ノー・モア・三原みはらさん 対談たいだん もくせいごう事故じこ調査ちょうさはどのようにおこなわれたか」が実際じっさい記事きじとなる。
  • 取材しゅざいには当時とうじ赤旗あかはた編集へんしゅうしゃであった下里しもさと正樹まさき参加さんかした。森村もりむら誠一せいいちによれば(下里しもさとはのちに森村もりむら秘書ひしょつとめた)、資料しりょう入手にゅうしゅした下里しもさとが「これをれるには非常ひじょうほねりましたので、せめてぼく名前なまえほんのどこかにれていただけませんか」とったところ、清張せいちょう下里しもさとまえで、資料しりょうをビリビリとやぶき、その要求ようきゅう拒否きょひした[5]
  • 日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅうしゃ岡田おかだゆたかは、作中さくちゅうでなされた事故じこ調査ちょうさ報告ほうこくしょたいする「作文さくぶん」の記述きじゅつについて、1966ねん全日空ぜんにっくう羽田はたおき墜落ついらく事故じこさいして、航空こうくうジャーナリストの藤田ふじた日出男ひでおによる記述きじゅつのこされた最終さいしゅう報告ほうこくしょは、だれんでも辻褄つじつまわない稚拙ちせつ作文さくぶんとなった」との関連かんれん示唆しさしている[6]
  • 推理すいり作家さっか北村きたむらかおるは「なぞきの場面ばめん延々えんえんつづくと退屈たいくつになりがちなのに『ふういき』のその部分ぶぶん迫力はくりょくといったらない。この作家さっかとしての力量りきりょうにはしたくしかありません」とべている[7]

『「もくせいごう遭難そうなん事件じけん』および『いちきゅうねん日航にっこう撃墜げきつい事件じけん』との関係かんけい

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  • 1960ねん発表はっぴょうされた『日本にっぽんくろきりちゅうの『「もくせいごう遭難そうなん事件じけん』では、舞阪まいさかおき遭難そうなんかい情報じょうほうについて「(ジョンソン基地きち管制かんせいしつの)過失かしつ糊塗ことするため」とべられ、また、墜落ついらく原因げんいんについて「謀略ぼうりゃくによる墜落ついらくではなさそうである」と結論けつろんづけられていたが、ほんさくではこれら『「もくせいごう遭難そうなん事件じけん』における見解けんかいとはことなる推理すいり展開てんかいされている。
  • 日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく研究けんきゅうしゃ岡田おかだゆたかは「『ふういき』では、フィクションがめる割合わりあいし、さらに専門せんもんせいたか航空機こうくうきをめぐる論争ろんそう場面ばめんによって問題もんだい深部しんぶせま傾向けいこうつよまる」「複数ふくすう角度かくどから事故じこかたるという方法ほうほう徹底てっていしている」と指摘してきしている[6]
  • あいぜん八重子やえこ小原おはらいん陽子ようし)について、ほんさくでは「あいぜん八重子やえこあと」のふしで「ダイヤモンドのほうはあきらめよう。これ以上いじょう調しらべてもわからないよ」として、以後いご墜落ついらく事故じこ推理すいり焦点しょうてんしぼられる展開てんかいとなっている。小原おはらいん陽子ようしとダイヤモンドについての考察こうさつは、著者ちょしゃさい晩年ばんねん1992ねん刊行かんこうされた小説しょうせついちきゅうねん日航にっこう撃墜げきつい事件じけん』にされている。

関連かんれん項目こうもく

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  • こう弘一こういち - ほん作中さくちゅうの「佐久さく孝一こういち[8]のモデル。
  • トアロード - 神戸こうべにあるほんさく舞台ぶたいひと[9]
  • ブラウン神父しんぷ童心どうしん - ほん作中さくちゅうの「さて、そのブラウン神父しんぷもののなかに、トリックのはなしとしてているのが、いちまいかくすにはどうしたらいいかという方法ほうほうだな。(中略ちゅうりゃく)そんなのあるもりつからないときは、どうしたらよいか。そのときは(後略こうりゃく)」[10]箇所かしょは、どう推理すいり小説しょうせつしゅう収録しゅうろくの「れたけん」をしている。
  • 曳光弾えいこうだん照明しょうめいだん[11]
  • ウィリアム・マーカット - GHQの経済けいざい科学かがく局長きょくちょう[12]
  • ゲアハルト・ハウプトマン - ほん作中さくちゅうで『沈鐘ちんしょう』と宗像むなかた鐘崎かねざき地名ちめい由来ゆらいけるせつべられている[13]
  • I.F.ストーン英語えいごばん - ほん作中さくちゅう言及げんきゅうされる『秘史ひし朝鮮ちょうせん戦争せんそう』の筆者ひっしゃ[14]
  • F-80F-84MiG-15 - - ほん作中さくちゅう言及げんきゅうされるアメリカおよびソビエト連邦れんぽう戦闘せんとう[14]
  • ターゲット・ドローン - ほん作中さくちゅうでは「無人むじん標的ひょうてき[14]
  • てき味方みかた識別しきべつ装置そうち - ほん作中さくちゅうでは「IFF装置そうち[14]
  • 擾乱じょうらん射撃しゃげき英語えいごばん - ほん作中さくちゅうでは「ハラッシング・ファイア」[14]
  • 航空こうくう阻止そし - ほん作中さくちゅうでは「エア・インターディクション」[14]
  • ニアミス事故じこ - 自衛隊じえいたい幹部かんぶもと航空こうくう将校しょうこうげんとして「昭和しょうわじゅうななねんのころはそら過密かみつによるニア・ミスはすくなかったからだ、というのです。あるとすれば、戦闘せんとう編隊へんたいによる意識いしきてきなニア・ミス、意識いしきてきなニアミスとは、すべて襲撃しゅうげき戦闘せんとう前提ぜんていとする異常いじょう接近せっきんだ、とはなしてくれました」とべられている[14]

書誌しょし情報じょうほう

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テレビドラマ

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松本まつもと清張せいちょうふういき
ジャンル テレビドラマ
原作げんさく 松本まつもと清張せいちょうふういき
企画きかく 野村のむら芳太郎よしたろう
脚本きゃくほん 新藤しんどう兼人かねと
監督かんとく さだながかたひさし
出演しゅつえんしゃ 栗原くりはら小巻こまき
根津ねづ甚八じんぱちほか
音楽おんがく 菅野かんのひかりあきら
くに地域ちいき 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
製作せいさく
プロデューサー 白崎しらさき英介えいすけテレビ朝日てれびあさひ
佐々木ささきはじめ松竹しょうちく
制作せいさく テレビ朝日てれびあさひ
松竹しょうちく
放送ほうそう
放送ほうそうチャンネルテレビ朝日てれびあさひ
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1982ねん4がつ10日とおか
放送ほうそう時間じかん21:02-23:51
放送ほうそうわく土曜どようワイド劇場げきじょう
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松本まつもと清張せいちょうふういき」のタイトル(サブタイトル「事故じこか!謀略ぼうりゃくか!もくせいごう三原みはらさん墜落ついらくなぞ」)で、三原みはらさん墜落ついらくしたもくせいごう発見はっけんされた1952ねん4がつ10日とおかより30ねん日付ひづけにあたる1982ねん4がつ10日とおか(21:02-23:51)に、「土曜どようワイド劇場げきじょうわくにて放映ほうえいどうわく1980ねん放映ほうえいされた『帝銀ていぎん事件じけん』がこう視聴しちょうりつ記録きろくし、テレビ朝日てれびあさひから同様どうよう実録じつろくドラマを再度さいど製作せいさく放送ほうそうしたいとの申込もうしこみをけて企画きかく、『帝銀ていぎん事件じけん』とおな新藤しんどう兼人かねと脚本きゃくほんにより製作せいさくされた[15]広田ひろた佐紀子さきこ主要しゅよう人物じんぶつ設定せってい小枝さえ欣一きんいちとあわせて事故じこ原因げんいん展開てんかいとなっている。もくせいごう離陸りりく飛行ひこう、アメリカ空軍くうぐんによる射撃しゃげき墜落ついらくかくシーンで特撮とくさつ使用しようされている。視聴しちょうりつ21.3%(ビデオリサーチ調しらべ、関東かんとう地区ちく[15]

キャスト
スタッフ
テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 土曜どようワイド劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
松本まつもと清張せいちょうふういき
事故じこか!謀略ぼうりゃくか!もくせいごう三原みはらさん墜落ついらくなぞ
(1982ねん4がつ10日とおか

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ もくせいごう墜落ついらく事故じこにおける唯一ゆいいつ女性じょせいきゃく小原おはらいん陽子ようしがモデル。
  2. ^ 当時とうじ発行はっこうされていた毎日新聞まいにちしんぶん系列けいれつのタブロイドサン写真しゃしん新聞しんぶん』がモデル。
  3. ^ 連載れんさいは「つつみ文夫ふみお」であった。企画きかくてん図録ずろく松本まつもと清張せいちょう作品さくひんいろど単色たんしょく世界せかい」(2005ねん北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん参照さんしょう
  4. ^ 著者ちょしゃによる「着想ちゃくそうばなし (9)」(『松本まつもと清張せいちょう全集ぜんしゅう だい48かん』(1983ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう付属ふぞく月報げっぽう掲載けいさい
  5. ^ 森村もりむら誠一せいいちごうはらひろし山田やまだ有策ゆうさくによる座談ざだんかい松本まつもと清張せいちょう時代じだいきて」(『松本まつもと清張せいちょう研究けんきゅうだい4ごう(2003ねん北九州きたきゅうしゅう市立しりつ松本まつもと清張せいちょう記念きねんかん収録しゅうろく
  6. ^ a b 岡田おかだゆたか航空機こうくうき事故じこかたられかた -「もくせいごう墜落ついらく松本まつもと清張せいちょう場合ばあい中心ちゅうしんに」” (PDF). 『駒澤こまざわ国文こくぶんだい59ごう (2022ねん2がつ). 2023ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  7. ^ 北村きたむらかおる有栖川ありすがわゆうによる対談たいだん「『てんせん』にはご用心ようじん!」(『オール讀物よみもの』2018ねん2がつごう掲載けいさい
  8. ^ ゆびあいだ」のふし
  9. ^ 調査ちょうさ通信つうしん」のふし
  10. ^ 通信員つうしんいん問題もんだい」のふし
  11. ^ 接触せっしょく」のふしなど。
  12. ^ あたらしき検討けんとう」のふし
  13. ^ はら社長しゃちょう休暇きゅうか」のふし
  14. ^ a b c d e f g 「すべて崩壊ほうかい」のふし
  15. ^ a b はやし悦子えつこ松本まつもと清張せいちょう映像えいぞう世界せかい きりにかけたゆめ』(2001ねんワイズ出版しゅっぱん