舞阪 町
まいさかちょう | |||||
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2005 | |||||
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22502-9 | |||||
4.63 km2 | |||||
11,872 ( | |||||
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マツ | |||||
マツバギク | |||||
〒431-0292 | |||||
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ウィキプロジェクト |
概要
[- 2005
年 (平成 17年 )7月 1日 に周辺 市町村 とともに浜松 市 に編入 した際 、地方 自治 法 第 202条 の4に基 づく「舞阪 地域 自治 区 」が設置 された[1][2]。同 地域 自治 区 は2012年 3月 31日 をもって廃止 [3]。 - 2007
年 (平成 19年 )4月 1日 に浜松 市 が政令 指定 都市 へ移行 したことに伴 い、西 区 の一部 となった。 - 2024
年 (令 和 6年 )1月 1日 に浜松 市 の行政 区 再編 に伴 い中央 区 の一部 となった。
地理
[河川 ・湖沼
[歴史
[まず、
約 5000年 前 (縄文 中期 ) -舞阪 弁天 島 、新居 、村櫛 付近 に集団 が暮 らしていた。舞阪 町 史 上巻 P33 1行 目 より(この文章 の村 は現存 ではなくあくまで推定 、それは村櫛 で発見 された石器 と新居 で発見 された石器 、舞阪 渚 園 の石器 は海底 土砂 の埋 めてにて発見 されたもので、その出先 は不明 、またこの3点 を1.5 kmの円 で囲 んだ生活 圏 の中 に入 っており、新居 村 との特定 は不可能 である。- また、その
地点 は新居 村 ではなく、郷 北 、中之郷 の沖合 いになり、現在 その地名 はない。強 いて言 えば中之郷 である。新居 村 の存在 はなく、古 くは新居 郷 である。以上 地名 が語 る新居 より)
弥生 中期 中頃 から後期 後半 -連続 的 な生活 が確認 弁天島 海底 遺跡 - 4
世紀 から7世紀 -井戸 枠 を確認 =居住 の跡 弁天島 海底 遺跡 - 862
年 (貞 観 4年 ) -浜名 橋架 橋 (新居 )=東海道 は今 切 - 927
年 (延長 5年 ) - 岐佐神社 の記録 (延喜 式 )舞阪 の神社 - 1498
年 (明 応 7年 )地震 と津波 により今 切 出現 。弁天 島 舞阪 から切 りはなされ出現 (伝承 では1498年 、舞阪 町 史 では1498年 - 1510年 の間 )
- 1601
年 (慶長 6年 )正月 -東海道 舞阪 宿 の指定 を受 ける。 - 1709
年 (宝永 6年 ) -弁天 社 の勧請 (武蔵 国 川越 在 仙波 村 より) - 1824
年 (文政 7年 )7月 -新居 との間 で、大水 尾 を境 とする。弁天島 は舞阪 - 1882
年 (明治 15年 )7月 30日 -同日 午後 6時 過 ぎに浜名 港 を出航 した汽船 明 進 丸 が暴風 波浪 の悪天候 のため汽器が損 破 し航行 不能 、沈没 の危機 に瀕 していることを舞阪 宿 の杢 谷 淸一郎 が発見 した。杢 谷 は浜松 警察 署 の巡査 と協力 し、自己 の危難 を顧 みず手 船 を出 して汽船 の乗組 員 を救援 し救助 にあたったとして、静岡 縣 令 の具申 を経 て紅綬 褒章 を受章 した[4]。 - 1889
年 (明治 22年 ) - 1896
年 (明治 29年 )4月 1日 -敷 知 郡 が一部 を除 いて浜名 郡 となり、浜名 郡 舞阪 町 となる。 - 1899
年 (明治 32年 )8月 -舞阪 小学校 が現在 の位置 に建 てられる。 - 1903
年 (明治 36年 )5月 4日 -舞阪 町 漁業 組合 の設立 - 1904
年 (明治 37年 )8月 1日 -東海道 本線 が浜松 ⇔鷲津 間 で、複線 で敷設 される。 - 1906
年 (明治 39年 )7月 1日 -弁天島 仮 停車場 開設 - 1909
年 (明治 42年 )3月 20日 -舞阪 町 役場 、仲町 養泉 寺 より西町 旧 脇本 陣 へ移転 、舞阪 郵便 局 、電話 交換 開始 - 1911
年 (明治 44年 )4月 -浜浦 銀行 (現 静岡銀行 )舞阪 支店 開業 - 1916
年 (大正 5年 )9月 1日 -弁天島 駅 常設 化 - 1918
年 (大正 7年 )8月 1日 -役場 西町 角 に移転 - 1921
年 (大正 10年 ) -弁天 島 西野島 浦 に塩水 プールを作 る(個人 所有 )。 - 1923
年 (大正 12年 )9月 -関東大震災 の救援 のため、舞阪 の漁船 が弁天 橋 より東京 芝浦 港 へ物資 輸送 - 1932
年 (昭和 7年 )- 7
月 -松葉 座 (映画 芝居 舘 )完成 - 8
月 19日 -弁天 島 (千鳥 園 、観月 園 、乙女 園 )埋立 編入 - 8
月 22日 -中浜 名 橋 、西浜 名 橋 開通
- 7
- 1933
年 (昭和 8年 )- 8
月 -弁天島 地区 都市 計画 法 による風致 地区 指定 - 11月22
日 -仲町 、砂 町 地 先 埋立 編入
- 8
- 1936
年 (昭和 11年 )7月 4日 -弁天 島 (日之出 島 )埋立 編入 - 1937
年 (昭和 12年 )1月 13日 -舞阪 町 全域 都市 計画 区域 に指定 - 1940
年 (昭和 15年 )4月 11日 -浜表 船 揚場 埋立 編入 - 1942
年 (昭和 17年 )9月 1日 - これまで新居町 地 先 の弁天島 が舞阪 町 へ編入 (現在 の区分 となる=三 番 鉄橋 新幹線 北 より二 番 鉄橋 新幹線 南 、中浜 名 橋 西側 から1本 目 の橋脚 の間 )が新居 町 との境界 - 1943
年 (昭和 18年 )11月 -現 国道 1号線 開通 (弁天 大橋 ‐稲荷 山地 先 ) - 1944
年 (昭和 19年 )12月7日 -東 南海 地震 発生 (震度 5)、弁天橋 が沈下 する。 - 1945
年 (昭和 20年 )- 4
月 21日 - B24爆撃 機 が漁船 を襲撃 、死者 4名 、重傷 5名 - 6月18
日 -浜松 市 大 空襲 死者 1157名 - 6月26
日 - B29爆撃 機 1機 が舞阪 監視 哨北70m付近 に爆 弾 4個 を投下 、死者 2名 、重傷 1名 、軽傷 1名
- 4
- 1947
年 (昭和 22年 )4月 24日 -弁天 島 千鳥 園 の浜松 市 健 民 舘 を仮 校舎 に舞阪 中学校 開校 - 1948
年 (昭和 23年 )4月 1日 -農協 法 により、舞阪 町 農業 会 が舞阪 町 農業 共同 組合 に変更 - 1949
年 (昭和 24年 )- 1
月 -舞阪 中学校 が現在地 に移転 - 8
月 -浜名湖 養魚 漁業 協同 組合 、舞阪 町 に設立 (現 事務所 は馬郡 町 )
- 1
- 1953
年 (昭和 28年 )- 8
月 -弁天 島 乙女 園 に浜名湖 競艇 場 を開設 - 9月25
日 -台風 13号 による高潮 、弁天島 全域 で床上 浸水 、砂 町 の一部 も水 につかる。災害 救助 法 の適用 を受 ける。
- 8
- 1954
年 (昭和 29年 )9月 1日 -県営 水族館 が乙女 園 に開設 される。 - 1956
年 (昭和 31年 )- 4
月 1日 -町 水道 給水 開始 - 11月1
日 -千鳥 園地 先 、蓬莱 園 東側 埋立 編入
- 4
- 1958
年 (昭和 33年 )- 11月1
日 -西野島 浦 、保育 園地 先 埋立 編入 - 11月22
日 -浜表 に防潮 提 完成
- 11月1
- 1959
年 (昭和 34年 )9月 24日 -伊勢湾 台風 により二 弁 地区 で浸水 、災害 救助 法 の適用 を受 ける。 - 1960
年 (昭和 35年 )10月 10日 -弁天島 温泉 誕生 - 1968
年 (昭和 43年 )4月 -旧 浜名湖 競艇 場 が閉鎖 、新居 町 の現在地 に移転 する。 - 1964
年 (昭和 39年 )4月 21日 -舞阪 灯台 が設置 点灯 - 1978
年 (昭和 53年 )3月 24日 -国道 1号 浜名 バイパスが供用 開始 - 1990
年 (平成 2年 )「舞阪 町 流域 関連 公共 下水道 水 緑 景観 モデル事業 」で、平成 2年度 手 づくり郷土 賞 (花 と緑 の手 づくりふるさと)受賞 。 - 2005
年 (平成 17年 )7月 1日 -浜松 市 に編入 され、舞阪 町 は消滅 。 - 2007
年 (平成 19年 )4月 1日 -政令 指定 都市 移行 により、旧 町 域 は西 区 の一部 になる。 - 2024
年 (令 和 6年 )1月 1日 -浜松 市 の行政 区 再編 により、旧 町 域 は中央 区 の一部 になる。
なお、
年表 資料 は舞阪 町 史 (上 、中 、下巻 )、夕景 を使用 。
隣接 していた自治体
[産業
[養鰻 業 ほか水産 業 - ウォータースポーツ、レジャー
産業 製造 品 出荷 額 - 12,838百 万 円 (静岡 県 統計 室 「平成 13年 工業 統計 調査 報告 書 (従業 者 4人 以上 を集計 )」)農業 産出 額 - 11千 万 円 (静岡 統計 情報 事務所 「平成 13年 生産 農業 所得 統計 」)
また、
町内 に本社 を置 く主 な企業
[行政
[教育
[小学校
[浜松 市立 舞阪 小学校
中学校
[浜松 市立 舞阪 中学校
交通
[鉄道
[道路
[
静岡 県 道 323号 舘山寺 弁天島 線 (二 番 鉄橋 下 -中ノ島 大橋 )
出身 人物
[脚注
[- ^
浜松 市 地域 自治 区 の設置 等 に関 する条例 (平成 17年 浜松 市 条例 第 40号 ) 2005年 6月 1日 公布 - ^
浜松 市区 及 び地域 自治 区 の設置 等 に関 する条例 (平成 18年 浜松 市 条例 第 78号 ) 2006年 12月1日 公布 - ^
浜松 市区 及 び地域 自治 区 の設置 等 に関 する条例 の一部 を改正 する条例 (平成 21年 浜松 市 条例 第 48号 ) 2009年 9月 4日 公布 - ^ 『
官報 』第 76号 、「褒賞 」1883年 9月 27日 。p.9 - ^
舞阪 町 史 、上中 下巻 及 び夕景 には、舞阪 駅 の記述 はない。 - ^
元禄 高 帳 より作成 図 を分析 、別途 資料 では宇布見 村 などは、幕府 領 、吉田 藩 領 (豊橋 )、浜松 藩 領 の記載 があり、複雑 ではある。 - ^
舞阪 町 夕景 閉庁 記念 誌 〜舞阪 町 116年 のあゆみ〜平成 12年度 のデータを分析 - ^
舞阪 町 史 上巻 序章 P4より平成 元年 九 月 三 十 日 発行 - ^
概要 |東京大学 大学院 農学 生命 科学 研究 科 附属 水産 実験 所
関連 項目
[外部 リンク
[天竜川 ・浜名湖 地域 合併 協議 会 (2005/07/21アーカイブ) -国立 国会図書館 Web Archiving Project舞阪 町 (2005/06/28アーカイブ) -国立 国会図書館 Web Archiving Project