水窪みさくぼまち

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みさくぼちょう
水窪みさくぼまち
西浦観音堂
水窪町旗 水窪町章
水窪みさくぼまちはた 水窪みさくぼまちあきら
1952ねん2がつ29にち制定せいてい
廃止はいし 2005ねん平成へいせい17ねん)7がつ1にち
廃止はいし理由りゆう 編入へんにゅう合併がっぺい
浜北はまきた天竜てんりゅう引佐いなさぐん引佐いなさまち細江ほそえまち三ケ日みっかびまち浜名はまなぐん雄踏ゆうとうまち舞阪まいさかまち磐田いわたぐん佐久間さくままち水窪みさくぼまち龍山たつやまむら周智しゅうちぐん春野はるのまち浜松はままつ
現在げんざい自治体じちたい 浜松はままつ
廃止はいし時点じてんのデータ
くに 日本の旗 日本にっぽん
地方ちほう 中部ちゅうぶ地方ちほう東海とうかい地方ちほう
都道府県とどうふけん 静岡しずおかけん
ぐん 磐田いわたぐん
市町村しちょうそんコード 22488-0
面積めんせき 271.28 km2
そう人口じんこう 3,219ひと
推計すいけい人口じんこう、2005ねん平成へいせい17ねん)6がつ1にち
隣接りんせつ自治体じちたい 静岡しずおかけん佐久間さくままち春野はるのまち本川根ほんかわねまち
愛知あいちけん富山とやまむら
長野ながのけん天龍てんりゅうむら南信濃みなみしなのむら
まち とち
まちはな 山百合やまゆり
まちとり ヤマガラ
水窪みさくぼまち役場やくば
所在地しょざいち 437-1292
静岡しずおかけん磐田いわたぐん水窪みさくぼまち奥領家おくりょうけ2955番地ばんちの1
座標ざひょう 北緯ほくい3509ふん48びょう 東経とうけい13752ふん08びょう / 北緯ほくい35.16336 東経とうけい137.86894 / 35.16336; 137.86894座標ざひょう: 北緯ほくい3509ふん48びょう 東経とうけい13752ふん08びょう / 北緯ほくい35.16336 東経とうけい137.86894 / 35.16336; 137.86894
水窪町の県内位置
合併がっぺい時点じてんにおける位置いち緑色みどりいろ部分ぶぶん水窪みさくぼまち
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水窪みさくぼまち(みさくぼちょう)は、かつて静岡しずおかけん存在そんざいしたまち磐田いわたぐんぞくした。けん西部せいぶとおしゅう)のきたとおばれる地域ちいきにあった。

2005ねん平成へいせい17ねん)7がつ1にち周辺しゅうへん10市町村しちょうそんとともに浜松はままつへと編入へんにゅう合併がっぺいされ消滅しょうめつし、2007ねん平成へいせい19ねん)4がつ1にち浜松はままつ政令せいれい指定してい都市とし移行いこうしたのにともな天竜てんりゅう一部いちぶとなった。

浜松はままつへの合併がっぺい合併がっぺいまえ水窪みさくぼまち区域くいきをもって地方ちほう自治じちほうだい202じょうの4もとづく「水窪みさくぼ地域ちいき自治じち」が設置せっちされた[1][2]どう地域ちいき自治じちは2012ねん平成へいせい24ねん)3がつ31にちをもって廃止はいし[3]

地理ちり[編集へんしゅう]

静岡しずおかけん西部せいぶ地区ちく北部ほくぶきたとお)に位置いちするやまふか地域ちいきであった。

天竜川てんりゅうがわ支流しりゅう水窪川みさくぼがわ沿ったかたち人家じんか存在そんざいし、中央ちゅうおう構造こうぞうせん沿盆地ぼんちになっている。JR飯田線いいだせん水窪みさくぼえきこう市場いちばえき付近ふきん神原かみはら水窪みさくぼこう市場いちば集落しゅうらく[注釈ちゅうしゃく 1]まち中心ちゅうしんである。ここに水窪みさくぼ町内ちょうない公共こうきょう施設しせつ商店しょうてん人家じんかほとんどがあつまっているため、人口じんこうすくなさと高齢こうれいりつたかさのわり活気かっきがある。赤石山脈あかいしさんみゃくみなみみね位置いちするため、静岡しずおかけんでは数少かずすくない豪雪ごうせつ地帯ちたいである。1914ねん7がつ30にち最高さいこう気温きおん42.0℃を記録きろくした[4]

水窪川みさくぼがわ沿ったかたち国道こくどう152ごう敷設ふせつされており、きたとおから伊那いな地方ちほうとおけることができるが、拡幅かくふくやトンネル工事こうじ逐次ちくじすすんでいるものの、やはり山間さんかんけわしい斜面しゃめんひらいた隘路あいろおおい。とく水窪みさくぼ以北いほく伊那いな地方ちほうへのみちは、中央ちゅうおう構造こうぞうせん付近ふきん軟弱なんじゃく地盤じばんもあって整備せいびおくれており、交通こうつうりょう増加ぞうか見込みこみづらい。とく県境けんきょう国道こくどう青崩峠あおくずれとうげによって分断ぶんだんされている。近年きんねんでは、三遠南信自動車道としていち整備せいびされた草木くさきトンネルわり、青崩峠あおくずれとうげ道路どうろ事業じぎょうされており、とおしゅう信州しんしゅうむすあらたな交通こうつうとして期待きたいされている。

飯田線いいだせんでならすぐの佐久間さくままち中部ちゅうぶ佐久間さくま集落しゅうらく (20km)、国道こくどう152ごう沿いに水窪川みさくぼがわ下流かりゅうになる佐久間さくままち城西じょうさい集落しゅうらく、および天竜川てんりゅうがわ合流ごうりゅうしてからの下流かりゅうである天竜てんりゅう (55km) や浜松はままつ中心ちゅうしん (75km) とのむすびつきがおおきい。なお、佐久間さくままち天竜てんりゅう水窪みさくぼまちとも浜松はままつ合併がっぺいしている。

おくまった場所ばしょだが、警察けいさつしょ・タクシー会社かいしゃがある。また小和田こわだえき大嵐おおあらしえきなど飯田線いいだせん沿いの集落しゅうらくから水窪みさくぼこう市場いちば集落しゅうらくものなどにおとずれる。

中央ちゅうおう構造こうぞうせんおお変成岩へんせいがん一種いっしゅである「領家りょうけ変成岩へんせいがん」や、とお九州きゅうしゅうまでつづ広域こういき変成へんせいたい領家りょうけ変成へんせいたい」の水窪みさくぼ町内ちょうないにある「奥領家おくりょうけ」の地名ちめいからとられている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

こう根城ねじろ

原始時代げんしじだいでは、縄文じょうもん時代じだい遺跡いせきとして、神原かみはら遺跡いせきこう市場いちば遺跡いせきなどがある。

信州しんしゅうとおしゅうむすしおみち秋葉あきば街道かいどう)が古来こらいよりとおっており、宿場しゅくばまちとしての風情ふぜいいまでもたもたれている。709ねん和銅わどう2ねん創建そうけん山住やまずみ神社じんじゃなど、歴史れきしある神社じんじゃもみられる。719ねん養老ようろう3ねん)にそう行基ぎょうき水窪みさくぼおとずれたのをきっかけとして祭礼さいれいがはじまった西浦にしうら田楽でんがくは、くに重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざいとして現在げんざいつづいている。

中世ちゅうせいには地方ちほう豪族ごうぞく奥山おくやまによってこう根城ねじろつくられた。こう根城ねじろをめぐって、甲斐かい武田たけだ信玄しんげん西上にしがみ作戦さくせんさいとうげえてどおしゅう侵攻しんこうしたとき、こう根城ねじろ改修かいしゅうし、武田たけだぐん拠点きょてんにしたとかんがえられている。

江戸えど時代じだいから周智しゅうちぐん領家りょうけむら水久保みずくぼであった。

  • 1889ねん明治めいじ22ねん)10がつ1にち - 周智しゅうちぐん地頭方じとうがたむら山住やまずみむら相月あいづきむら奥領家おくりょうけむら合併がっぺいし、奥山おくやまむらとなる。
  • 1903ねん明治めいじ36ねん)12月1にち - 周智しゅうちぐん奥山おくやまむら一部いちぶ相月あいづき奥領家おくりょうけ一部いちぶ)が分立ぶんりつし、周智しゅうちぐん城西じょうさいむら発足ほっそく
  • 1925ねん大正たいしょう14ねん)5がつ10日とおか - 周智しゅうちぐん奥山おくやまむら町制ちょうせい施行しこう改称かいしょう水窪みさくぼまちとなる。
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん3月24にち - 白倉山しらくらやま御料林ごりょうりん国有こくゆうりん)に中華航空ちゅうかこうくう墜落ついらく。インドじん乗員じょういん乗客じょうきゃく7にん全員ぜんいん死亡しぼう機体きたい同年どうねん9がつ24にちきこりおっと遠望えんぼうするなか発見はっけんした[5]
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん)7がつ1にち - 水窪みさくぼまち城西じょうさいむらが、周智しゅうちぐんから磐田いわたぐん移行いこうする。
  • 2005ねん平成へいせい17ねん)7がつ1にち - きゅう浜松はままつなど11の市町村しちょうそん合併がっぺいし、しん浜松はままつ一部いちぶとなる[6]水窪みさくぼまちにあった名称めいしょうを、水窪みさくぼまちかんしたものに変更へんこうした[7]

施設しせつ[編集へんしゅう]

水窪みさくぼまち民俗みんぞく資料しりょうかん

教育きょういく[編集へんしゅう]

水窪みさくぼ町立ちょうりつ水窪みさくぼ小学校しょうがっこう

水窪みさくぼまち高校こうこうはない。もっともちか高校こうこう磐田いわたぐん佐久間さくままち中部ちゅうぶ静岡しずおか県立けんりつ浜松はままつ湖北こほく高等こうとう学校がっこう佐久間さくま分校ぶんこう境界きょうかい特例とくれい愛知あいちけん新城しんじょう高校こうこう通学つうがく可能かのう実績じっせきもある。阿南あなみ高校こうこうなど、長野ながのけんみなみしん公立こうりつ高校こうこうへの境界きょうかい特例とくれいもあったが、近年きんねん通学つうがく実績じっせき皆無かいむ状態じょうたい

中学校ちゅうがっこう[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこう[編集へんしゅう]

幼稚園ようちえん[編集へんしゅう]

  • 水窪みさくぼまち水窪みさくぼ幼稚園ようちえん

名所めいしょ旧跡きゅうせき観光かんこうスポット[編集へんしゅう]

山住やまずみ神社じんじゃ
  • 山住やまずみ神社じんじゃ
  • 高根たかね城跡じょうせき
  • 青崩峠あおくずれとうげ
  • みちえきしおみち こくり」
  • 日月じつげつ神社じんじゃ
  • 春日しゅんじつ神社じんじゃ
  • せい八幡やはた神社じんじゃ
  • 八幡宮はちまんぐう
  • 金吾きんご八幡やはた神社じんじゃ
  • 若宮わかみや神社じんじゃ諏訪すわ神社じんじゃ
  • 八坂神社やさかじんじゃ二宮にのみや神社じんじゃ伊豆いず神社じんじゃ
  • 日月じつげつ神社じんじゃ
  • 向山むかいやま神社じんじゃ
  • 勝智かつとも神社じんじゃ
  • あししん神社じんじゃ
  • 稲荷山いなりやま ぜんじゅうてら
  • 金岩かないわさん 永福寺えいふくじ
  • 三島みしまさん 附属ふぞくてら
  • りゅう雲山くもやま 永沢寺えいたくじ
  • とうやすさん なが泉寺いずみでら

交通こうつう[編集へんしゅう]

JR飯田線いいだせん水窪みさくぼえき

路線ろせんバス[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

大嵐おおあらしえき位置いちこそ水窪みさくぼ町内ちょうないであるが、すぐ対岸たいがん愛知あいちけん富山とやまむらげん豊根とよねむら)の玄関げんかんこう色合いろあいがつよく、水窪みさくぼまちがわ人家じんかほとんい。また、小和田こわだえき秘境ひきょうえきひとつにかぞえられ、このえきまでの車道しゃどうく、ひと在住ざいじゅうしている家屋かおく小和田こわだ集落しゅうらくにはすでにく、最寄もよりの人家じんかまでは山道さんどう徒歩とほやく1あいだである。

道路どうろ[編集へんしゅう]

一般いっぱん国道こくどう

県道けんどう

電気でんき[編集へんしゅう]

水窪みさくぼ発電はつでんしょ

一般いっぱん供給きょうきゅう[編集へんしゅう]

水窪みさくぼまちでは、中部電力ちゅうぶでんりょく株式会社かぶしきがいしゃ電気でんき供給きょうきゅうしていた。同社どうしゃ発足ほっそくするのは1951ねん昭和しょうわ26ねん)であるが、それ以前いぜん大正たいしょうから昭和しょうわ初期しょきにかけては奥山おくやま電灯でんとう株式会社かぶしきがいしゃ(おくやまでんとう)という電力でんりょく会社かいしゃ町内ちょうない存在そんざいした。

奥山おくやま電灯でんとうは、水窪みさくぼまち当時とうじ奥山おくやまむら)での電気でんき事業じぎょう目的もくてき設立せつりつされた。資本しほんきんは1まん5せんえんで、事務所じむしょ奥山おくやまむら奥領家おくりょうけ設置せっち奥山おくやまむら隣接りんせつする城西じょうさいむら供給きょうきゅう範囲はんいとして、1919ねん大正たいしょう8ねん)1がつ開業かいぎょうした。発電はつでんしょ奥山おくやまむら地頭方じとうがたカワシマにあり、天竜川てんりゅうがわ水系すいけい河内川かわうちがわ利用りようする出力しゅつりょく25キロワット水力すいりょく発電はつでんしょであった。その需要じゅよう増大ぞうだい対処たいしょするため、1929ねん昭和しょうわ4ねん)に発電はつでんしょは150メートル下流かりゅう移設いせつされ、出力しゅつりょくも42キロワットに増強ぞうきょうされた[8]奥山おくやま電灯でんとうの1937ねんまつ企業きぎょうデータは以下いかとお[9]

  • 事務所じむしょ静岡しずおかけん周智しゅうちぐん水窪みさくぼまち奥領家おくりょうけ
  • 代表だいひょうしゃ高木たかぎ 文治ぶんじ社長しゃちょう)、従業じゅうぎょうしゃ:11にん
  • 資本しほんきん:10まんえん
  • 電灯でんとう取付とりつけすう:1,701個いっこ電力でんりょく契約けいやく:6.7キロワット、電熱でんねつ契約けいやく:2.7キロワット
  • 供給きょうきゅう範囲はんい周智しゅうちぐん水窪みさくぼまち城西じょうさいむら
  • 発電はつでん地点ちてん周智しゅうちぐん水窪みさくぼまち河内川かわうちがわ発電はつでんしょ出力しゅつりょく42キロワット)※1939ねん1がつ発電はつでんしょめいを「水窪みさくぼ」に変更へんこうした[10]

戦時せんじ電力でんりょく国家こっか管理かんり推進すいしんされると、小規模しょうきぼ電気でんき事業じぎょうしゃ統合とうごう推奨すいしょうされるようになった。このながれをけて奥山おくやま電灯でんとうは、1939ねん昭和しょうわ14ねん)4がつ事業じぎょう中央ちゅうおう電力でんりょく譲渡じょうとした。その中央ちゅうおう電力でんりょく配電はいでん統制とうせいにより3ねん1942ねん昭和しょうわ17ねん)に中部ちゅうぶ配電はいでん統合とうごうされている。奥山おくやま電灯でんとう建設けんせつした水窪みさくぼ発電はつでんしょ水路すいろ損傷そんしょうひどくなったため中部ちゅうぶ配電はいでん時代じだい1945ねん昭和しょうわ20ねん)9がつ運転うんてん休止きゅうしし、中部電力ちゅうぶでんりょく移管いかん1952ねん昭和しょうわ27ねん)10がつ廃止はいしされた[8]

太平洋戦争たいへいようせんそう事業じぎょう再編さいへんともない1951ねん中部電力ちゅうぶでんりょく発足ほっそくすると、水窪みさくぼまち同社どうしゃ供給きょうきゅう区域くいきれられ[11]現在げんざいいたっている。

発電はつでんしょ[編集へんしゅう]

中部電力ちゅうぶでんりょく水窪みさくぼ発電はつでんしょ廃止はいし1969ねん昭和しょうわ44ねん)6がつ町内ちょうない地頭方じとうがた水窪川みさくぼがわ沿いに電源でんげん開発かいはつ水窪みさくぼ発電はつでんしょ建設けんせつされた。最大さいだい出力しゅつりょくは5まんキロワットで、水窪川みさくぼがわ支流しりゅう戸中川とちゅうがわ建設けんせつされた水窪みさくぼダム奥領家おくりょうけ所在しょざい)などから取水しゅすいしている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく
  1. ^ 水窪みさくぼまち公式こうしき小字こあざ設定せっていされていないが、神原かみはら水窪みさくぼ大字だいじ奥領家おくりょうけこう市場いちば大字だいじ地頭方じとうがた小字こあざ相当そうとうする。
出典しゅってん
  1. ^ 浜松はままつ地域ちいき自治じち設置せっちとうかんする条例じょうれい平成へいせい17ねん浜松はままつ条例じょうれいだい40ごう平成へいせい17ねん〈2005ねん〉6がつ1にち公布こうふ
  2. ^ 浜松はままつ市区しくおよ地域ちいき自治じち設置せっちとうかんする条例じょうれい平成へいせい18ねん浜松はままつ条例じょうれいだい78ごう平成へいせい18ねん〈2006ねん〉12月1にち公布こうふ
  3. ^ 浜松はままつ市区しくおよ地域ちいき自治じち設置せっちとうかんする条例じょうれい一部いちぶ改正かいせいする条例じょうれい平成へいせい21ねん浜松はままつ条例じょうれいだい48ごう平成へいせい21ねん〈2009ねん〉9がつ4にち公布こうふ
  4. ^ 区内くない観測かんそくしょ記録きろくとして全国ぜんこく歴代れきだい2タイ。Rank'in Ranking ~気温きおん Weather navigator、2006ねん6がつ30にち現在げんざいオリジナルよりアーカイブ。2021ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  5. ^ 断崖だんがい激突げきとつした中華航空ちゅうかこうくう遺体いたい確認かくにん昭和しょうわ17ねん9がつ29にち 朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん))『昭和しょうわニュース辞典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん』p238
  6. ^ 市町村しちょうそんはいおけ分合ぶんごう平成へいせい17ねん総務そうむしょう告示こくじだい456ごう)『官報かんぽう平成へいせい17ねん(2005ねん)4がつ18にちづけ 本紙ほんし だい4076ごう p. 4
  7. ^ 名称めいしょう変更へんこう平成へいせい17ねん静岡しずおかけん告示こくじだい799ごう静岡しずおかけん公報こうほうだい1681ごう 平成へいせい17ねん(2005ねん)6がつ7にち (PDF) pp. 1579-1582
  8. ^ a b 芳賀はが信男のぶおひがし三河そうご地方ちほう電気でんき事業じぎょう沿革えんかく』、2001ねん、pp.164-166ほか
  9. ^ 逓信ていしんしょう電気でんききょくへん)『電気でんき事業じぎょう要覧ようらんだい29かい電気でんき協会きょうかい、1938ねん、pp.36,732,864。NDLJP:1073650
  10. ^ 中部電力ちゅうぶでんりょく電気でんき事業じぎょう編纂へんさん委員いいんかいへん)『中部ちゅうぶ地方ちほう電気でんき事業じぎょう下巻げかん中部電力ちゅうぶでんりょく、1995ねん、p.332
  11. ^ 静岡しずおかけんでは富士川ふじかわ以西いせい地域ちいき中部電力ちゅうぶでんりょく供給きょうきゅう区域くいきである。中部電力ちゅうぶでんりょく10ねん編集へんしゅう委員いいんかいへん)『中部電力ちゅうぶでんりょく10ねん』、中部電力ちゅうぶでんりょく、1961ねん、p.11

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]