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四谷 よつや シモン (よつや シモン、本名 ほんみょう :小林 こばやし 兼光 かねみつ 、1944年 ねん 7月 がつ 12日 にち - )は日本 にっぽん の人形 にんぎょう 作家 さっか 、俳優 はいゆう 。人形 にんぎょう 学校 がっこう 「エコール・ド・シモン」主宰 しゅさい 。弟 おとうと は写真 しゃしん 家 か の渡辺 わたなべ 兼人 かねと 。
東京 とうきょう 都 と 出身 しゅっしん [1] 。少年 しょうねん の頃 ころ より人形 にんぎょう 制作 せいさく を好 この み、川崎 かわさき プッペに私淑 ししゅく する。中学 ちゅうがく 卒業 そつぎょう 後 ご 、アルバイトをしながら人形 にんぎょう 制作 せいさく を続 つづ ける。林 はやし 俊郎 としお 、坂内 ばんない 俊美 としみ に師事 しじ する[2] 。
17歳 さい の時 とき 、一時 いちじ ぬいぐるみ人形 にんぎょう 作家 さっか 水上 みずかみ 雄次 ゆうじ の内弟子 うちでし になる。新宿 しんじゅく のジャズ喫茶 きっさ に出入 でい りして、金子 かねこ 國義 くによし 、コシノジュンコ らと出会 であ う。歌手 かしゅ のニーナ・シモン が好 す きだったことから「シモン」の渾名 あだな が付 つ く。ロカビリー 歌手 かしゅ としても活動 かつどう する[2] 。
昭和 しょうわ 40年 ねん (1965年 ねん )、雑誌 ざっし 『新 しん 婦人 ふじん 』に掲載 けいさい されていた、澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ の紹介 しょうかい [3] によるハンス・ベルメール の球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう を見 み て衝撃 しょうげき を受 う け、それまでの人形 にんぎょう 制作 せいさく 方法 ほうほう を捨 す てる[2] 。
昭和 しょうわ 42年 ねん (1967年 ねん )金子 かねこ 國義 くによし を通 つう じて、澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ 、唐 から 十郎 じゅうろう と知 し り合 あ う。同年 どうねん 5月 がつ 、唐 から 十 じゅう 郎 ろう の状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の芝居 しばい 「ジョン・シルバー新宿 しんじゅく 恋 こい しや夜鳴 よなき 篇 へん 」に女形 おんながた として出演 しゅつえん する。その後 ご 、渋谷 しぶや 東急 とうきゅう 本店 ほんてん 開店 かいてん キャンペーンのためにディスプレイ用 よう 人形 にんぎょう を作 つく り、それは「前衛 ぜんえい マネキン」として雑誌 ざっし に紹介 しょうかい される。またこの制作 せいさく 過程 かてい で張 は り子 こ 人形 にんぎょう の技法 ぎほう とメイクの方法 ほうほう を学 まな ぶ。同年 どうねん 12月 がつ 、しばらく滞在 たいざい するつもりでパリに行 い くが、あまりの寒 さむ さに、アンティーク人形 にんぎょう やベルメールの写真 しゃしん 集 しゅう を買 か っただけでまもなく帰 かえ る[4] 。
昭和 しょうわ 43年 ねん (1968年 ねん )3月 がつ から6月 がつ にかけて、状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の紅 べに テント の芝居 しばい 「由井 ゆい 正雪 しょうせつ 」に「的場 まとば のお銀 ぎん 」役 やく で出演 しゅつえん する。このときから「四谷 よつや シモン」の芸名 げいめい を使 つか う。昭和 しょうわ 46年 ねん (1971年 ねん )まで状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の役者 やくしゃ として活動 かつどう する。その間 あいだ 、昭和 しょうわ 44年 ねん には、「新宿 しんじゅく 西口 にしぐち 中央公園 ちゅうおうこうえん 事件 じけん 」(新宿 しんじゅく 西口 にしぐち 中央 ちゅうおう 公園 こうえん において、無 む 許可 きょか でテントを立 た て公演 こうえん を行 おこな った事件 じけん )や、寺山 てらやま 修司 しゅうじ の天井 てんじょう 桟敷 さじき と状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の乱闘 らんとう 事件 じけん が起 お きた[4] 。「新宿 しんじゅく 西口 にしぐち 中央公園 ちゅうおうこうえん 事件 じけん 」の際 さい の四谷 よつや シモンを、共演 きょうえん 者 しゃ で現場 げんば に居合 いあ わせた麿 まろ 赤 あか 児 じ は「民衆 みんしゅう を扇動 せんどう するジャンヌ・ダルクのように光 ひか って見 み えた」と記 しる している[5] 。
昭和 しょうわ 45年 ねん (1970年 ねん )、大阪 おおさか 万国博覧会 ばんこくはくらんかい の「せんい館 かん 」のために「ルネ・マグリットの男 おとこ 」を制作 せいさく する[6] 。
昭和 しょうわ 47年 ねん (1972年 ねん )2月 がつ 、新宿 しんじゅく の紀伊國屋 きのくにや 画廊 がろう で「10人 にん の写真 しゃしん 家 か による被写体 ひしゃたい 四 よん 谷 たに シモン展 てん 」が開 ひら かれ、会場 かいじょう の中央 ちゅうおう にはガラスケースに入 はい った人形 にんぎょう 「ドイツの少年 しょうねん 」が飾 かざ られる。この作品 さくひん が人形 にんぎょう 作家 さっか として本格 ほんかく 的 てき に活動 かつどう する転換 てんかん 点 てん となった[2] 。
昭和 しょうわ 48年 ねん (1973年 ねん )10月 がつ 、銀座 ぎんざ の青木 あおき 画廊 がろう で第 だい 1回 かい 個展 こてん を開催 かいさい 。タイトル「未来 みらい と過去 かこ のイヴ」は澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ による[7] 。昭和 しょうわ 50年 ねん (1975年 ねん )「慎 つつし み深 ふか さのない人形 にんぎょう 」を発表 はっぴょう する。
昭和 しょうわ 53年 ねん (1978年 ねん )、人形 にんぎょう 学校 がっこう 「エコール・ド・シモン」開校 かいこう 。当初 とうしょ は既製 きせい のパーツを使 つか った人形 にんぎょう 作 づく りを教 おし えていたが、自由 じゆう 創作 そうさく へ方針 ほうしん 転換 てんかん する。昭和 しょうわ 56年 ねん (1981年 ねん )2月 がつ 、紀伊国屋 きのくにや 画廊 がろう で「第 だい 1回 かい エコール・ド・シモン展 てん 」開催 かいさい 。以来 いらい 、展覧 てんらん 会 かい はほぼ毎年 まいとし 恒例 こうれい になっている。
昭和 しょうわ 53年 ねん (1978年 ねん )、パリの装飾 そうしょく 美術館 びじゅつかん で開催 かいさい された『間 あいだ 』展 てん に参加 さんか 、禅僧 ぜんそう の人形 にんぎょう を展示 てんじ [8] 。
「少女 しょうじょ の人形 にんぎょう 」「少年 しょうねん の人形 にんぎょう 」「機械 きかい 仕掛 しか けの少年 しょうねん 」「解剖 かいぼう 学 がく の少年 しょうねん 」などの作品 さくひん を発表 はっぴょう 。一方 いっぽう で昭和 しょうわ 59年 ねん (1984年 ねん )ふたたび状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の芝居 しばい に出演 しゅつえん 。昭和 しょうわ 60年 ねん (1985年 ねん )にはNHK大河 たいが ドラマ「春 はる の波涛 はとう 」にレギュラー出演 しゅつえん 。またいくつかのドラマに出演 しゅつえん する。演出 えんしゅつ 家 か 久世 くぜ 光彦 みつひこ のドラマの常連 じょうれん 俳優 はいゆう だった。
昭和 しょうわ 62年 ねん (1987年 ねん )、彼 かれ の精神 せいしん 的 てき 支柱 しちゅう であり、理解 りかい 者 しゃ であった澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ が死去 しきょ 。しばらくのあいだ茫然 ぼうぜん 自失 じしつ となる。昭和 しょうわ 63年 ねん (1988年 ねん )より「天使 てんし -澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ に捧 ささ ぐ」シリーズを制作 せいさく する[4] 。
以降 いこう 、「少女 しょうじょ の人形 にんぎょう 」「目前 もくぜん の愛 あい 」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」「木 き 枠 わく でできた少女 しょうじょ 」などを発表 はっぴょう する。
平成 へいせい 12年 ねん (2000年 ねん )から平成 へいせい 13年 ねん (2001年 ねん )にかけて、大分 おおいた 市 し 美術館 びじゅつかん を皮切 かわき りに、全国 ぜんこく 5カ所 かしょ の美術館 びじゅつかん で大 だい 規模 きぼ な個展 こてん を開催 かいさい [9] 。
平成 へいせい 15年 ねん (2003年 ねん )人形 にんぎょう 作品 さくひん 「男 おとこ 」が、押井 おしい 守 まもる 監督 かんとく のアニメ映画 えいが 『イノセンス 』のキャラクター、キムのモデルとなる。
平成 へいせい 16年 ねん (2004年 ねん )、1月 がつ 、パリ市立 しりつ アル・サン・ピエール美術館 びじゅつかん の「人形 にんぎょう POUPEES」展 てん に4点 てん の人形 にんぎょう を出展 しゅってん 。同展 どうてん では、展覧 てんらん 会 かい 全体 ぜんたい のポスターに四谷 よつや シモンの「少女 しょうじょ の人形 にんぎょう 」が採用 さいよう される[10] 。2月、東京 とうきょう 都 と 現代 げんだい 美術館 びじゅつかん の「球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう 展 てん 」(押井 おしい 守 まもる 監修 かんしゅう )に「男 おとこ 」など11点 てん の人形 にんぎょう を出展 しゅってん [11] 。
平成 へいせい 19年 ねん (2007年 ねん )、森 もり 美術館 びじゅつかん で開催 かいさい の「六本木 ろっぽんぎ クロッシング 2007 未来 みらい への脈動 みゃくどう 」展 てん に出展 しゅってん 。
平成 へいせい 22年 ねん (2010年 ねん )、若 わか い頃 ころ に影響 えいきょう を受 う けたベルメールの生誕 せいたん 地 ち カトヴィツェ (ポーランド)の芸術 げいじゅつ 団体 だんたい アルス・カメラリスの招待 しょうたい を受 う け、同地 どうち で球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう 「ピグマリオニスム・ナルシシズム」等 とう を展示 てんじ [12] 。
平成 へいせい 26年 ねん (2014年 ねん )、そごう美術館 びじゅつかん (横浜 よこはま )、西宮 にしのみや 市 し 大谷 おおや 記念 きねん 美術館 びじゅつかん で、個展 こてん 「SIMONDOLL 四谷 よつや シモン」開催 かいさい [13] 。
平成 へいせい 28年 ねん (2016年 ねん )、2月 がつ 、ロンドンの美術館 びじゅつかん テート・モダン で、細江 ほそえ 英 えい 公 こう が撮影 さつえい した四谷 よつや シモンの写真 しゃしん 「シモン私 わたし 風景 ふうけい 」シリーズ26点 てん が展示 てんじ される[14] 。同年 どうねん 12月 がつ 、山崎 やまざき 哲 あきら ・作 さく 構成 こうせい 演出 えんしゅつ の『骨 ほね 風 ふう 』(原作 げんさく ・篠原 しのはら 勝之 かつゆき )に出演 しゅつえん [2] 。
平成 へいせい 16年 ねん (2004年 ねん )より、主要 しゅよう 作品 さくひん を「四谷 よつや シモン人形 にんぎょう 館 かん 」(香川 かがわ 県 けん 坂出 さかいで 市 し 、鎌田 かまた 醤油 じょうゆ 内 ない )で常設 じょうせつ 展示 てんじ 。
大阪 おおさか 万国博覧会 ばんこくはくらんかい のために制作 せいさく した「ルネ・マグリットの男 おとこ 」は、巨体 きょたい の不気味 ぶきみ な老人 ろうじん が15体 たい 、薄暗 うすぐら い中 なか に屹立 きつりつ していて、その間 あいだ を繊維 せんい に見立 みた てた赤 あか いレーザービームが行 い き来 き するという作品 さくひん だった。のちにこのうちの一体 いったい は状況 じょうきょう 劇場 げきじょう の舞台 ぶたい 装置 そうち として使 つか われた。
初期 しょき の作品 さくひん 「未来 みらい と過去 かこ のイヴ」は、裸 はだか にガーターベルトと網 あみ タイツを付 つ けた姿 すがた の人形 にんぎょう 。パーマをかけた金髪 きんぱつ に、濃 こ い色 いろ の口紅 くちべに を付 つ けており、一種 いっしゅ 挑発 ちょうはつ 的 てき な印象 いんしょう を受 う ける。それに続 つづ く「慎 つつし み深 ふか さのない人形 にんぎょう 」も同様 どうよう に挑発 ちょうはつ 的 てき な作品 さくひん 。手足 てあし のない裸 はだか で、上半身 じょうはんしん と下半身 かはんしん が180度 ど 逆 ぎゃく に付 つ いている。シュルレアリスム の影響 えいきょう が直接的 ちょくせつてき に顕 あらわ れているようである。しかし以降 いこう の作品 さくひん からは挑発 ちょうはつ 的 てき な印象 いんしょう が隠 かく れ、その表情 ひょうじょう は永遠 えいえん の相 そう を見 み ているような穏 おだ やかなものになっている。
「機械 きかい 仕掛 しかけ の少女 しょうじょ 」「機械 きかい 仕掛 しかけ の少年 しょうねん 」は、エコール・ド・シモンの生徒 せいと であった荒木 あらき 博志 ひろし との共同 きょうどう 作業 さぎょう によるもの。一部 いちぶ は実際 じっさい に動 うご く作品 さくひん 。
「少女 しょうじょ の人形 にんぎょう 」の一体 いったい は澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ の所有 しょゆう となり、『少女 しょうじょ コレクション序説 じょせつ 』『裸婦 らふ の中 なか の裸婦 らふ 』などにより読書 どくしょ 界 かい でも有名 ゆうめい な作品 さくひん となった。
人形 にんぎょう 制作 せいさく にはナルシシズム が抜 ぬ きがたいものだという発見 はっけん により、「ナルシシズム」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」を制作 せいさく した。これはシモン自身 じしん を人形 にんぎょう 化 か した作品 さくひん 。
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『シモンのシモン』(イザラ書房 しょぼう 、1975年 ねん のちにライブ出版 しゅっぱん 、1989年 ねん ) <『四谷 よつや シモン前編 ぜんぺん 』に収載 しゅうさい >
『機械 きかい 仕掛 しかけ の神 かみ 』(イザラ書房 しょぼう 、1978年 ねん ) <『四谷 よつや シモン前編 ぜんぺん 』に収載 しゅうさい >
『四谷 よつや シモン人形 にんぎょう 愛 あい 』<監修 かんしゅう ・澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ 、撮影 さつえい ・篠山 しのやま 紀 きの 信 しん > (美術 びじゅつ 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、1985年 ねん )
『Narcissisme』<篠山 しのやま 紀 きの 信 しん 撮影 さつえい > (佐野 さの 画廊 がろう 、1998年 ねん )
『人形 にんぎょう 作家 さっか 』(講談社 こうだんしゃ 現代新書 げんだいしんしょ 、2002年 ねん )
『病院 びょういん ギャラリー ― 717days 2001‐2003』(ライブ出版 しゅっぱん 、2003年 ねん )
『四谷 よつや シモン前編 ぜんぺん 』<創作 そうさく ・随想 ずいそう ・発言 はつげん 集成 しゅうせい > (学習研究社 がくしゅうけんきゅうしゃ 、2006年 ねん )
『四谷 よつや シモン人形 にんぎょう 日記 にっき 』(平凡社 へいぼんしゃ コロナ・ブックス、2011年 ねん )
『人形 にんぎょう 作家 さっか 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ <中央公論 ちゅうおうこうろん 新 しん 社 しゃ >、2017年 ねん ) <講談社 こうだんしゃ 現代新書 げんだいしんしょ 版 ばん 『人形 にんぎょう 作家 さっか 』の改訂 かいてい 新版 しんぱん >
『日本 にっぽん の名 めい 随筆 ずいひつ 別巻 べっかん 81 人形 にんぎょう 』編 へん (作品社 さくひんしゃ , 1997年 ねん )
『新 しん 婦人 ふじん 』1965年 ねん 3月 がつ 号 ごう (文化 ぶんか 実業 じつぎょう 社 しゃ 、1965年 ねん ) <澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ の連載 れんさい 記事 きじ 「女 おんな の王国 おうこく 」を掲載 けいさい 、この記事 きじ は、後 のち に澁澤 しぶさわ の著作 ちょさく 『幻想 げんそう の画廊 がろう から』に収載 しゅうさい >
別冊 べっさつ 『太陽 たいよう 』1970年 ねん 2月 がつ 号 ごう <特集 とくしゅう ・世界 せかい の人形 にんぎょう > (平凡社 へいぼんしゃ 、1970年 ねん )
『四谷 よつや シモン-人形 にんぎょう 愛 あい 』展 てん 図録 ずろく (「四谷 よつや シモン展 てん 」実行 じっこう 委員 いいん 会 かい 、2000年 ねん ) <2000年 ねん ~01年 ねん に行 おこな われた回顧 かいこ 展 てん の図録 ずろく >
『htwi(ヒッティ)』NO.8 (メディアプロダクション、2001年 ねん )
『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年 ねん ) <2004年 ねん にパリで開催 かいさい された人形 にんぎょう 展 てん の図録 ずろく >
『球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう 展 てん 』図録 ずろく (日本テレビ放送網 にほんてれびほうそうもう 発行 はっこう 、2004年 ねん ) <2004年 ねん に行 おこな われた『球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう 展 てん 』の図録 ずろく >
『Una stupita fatticita』 (Massimo Canevacci著 ちょ 、Costa & Nolan、2007年 ねん )
『知 し るを楽 たの しむ 私 わたし のこだわり人物 じんぶつ 伝 でん 』テクスト10月 がつ 11月 がつ 号 ごう 「澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ 、白洲 しらす 正子 まさこ 特集 とくしゅう 」88-105頁 ぺーじ (日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、2007年 ねん )
季刊 きかん 『プリンツ21』2008年 ねん 夏 なつ 号 ごう (プリンツ21、2008年 ねん )
『快男児 かいだんじ 麿 まろ 赤 あか 児 じ がゆく 憂 う き世 よ 戯 じゃ れて候 こう ふ』 (朝日新聞 あさひしんぶん 出版 しゅっぱん 、2011年 ねん ) <状況 じょうきょう 劇場 げきじょう で四谷 よつや シモンと共演 きょうえん した麿 まろ 赤 あか 児 じ の自伝 じでん >
『SIMONDOLL 四谷 よつや シモン』 (求 もとむ 龍 りゅう 堂 どう 、2014年 ねん ) <2014年 ねん に行 おこな われた回顧 かいこ 展 てん の図録 ずろく >
『Pavilionesque』創刊 そうかん 号 ごう 30-35頁 ぺーじ (Centre for the Documentation of the Art of Tadeus Kantor Cricoteka、2015年 ねん ) <Bruno Fernandesの記事 きじ 「Yotsuya Simon the Metabolic Magician」を掲載 けいさい >
『Performing for Camera』 (Simon Baker & Fiontan Moran編集 へんしゅう 、Tate Publishing、2016年 ねん ) <2016年 ねん にテート・モダンで開催 かいさい された写真 しゃしん 展 てん の図録 ずろく >
『人形 にんぎょう の文化 ぶんか 史 し ヨーロッパの諸相 しょそう から』 (香川 かがわ 檀 まゆみ 編 へん 、水声 すいせい 社 しゃ 、2016年 ねん ) <香川 かがわ 檀 まゆみ の論考 ろんこう 「予兆 よちょう のなかのベルメール人形 にんぎょう 」及 およ び香川 かがわ と四谷 よつや シモンの対談 たいだん を収載 しゅうさい >
『四谷 よつや シモン ベルメールへの旅 たび 』 (菅原 すがわら 多喜夫 たきお 著 ちょ 、愛育 あいいく 出版 しゅっぱん 、2017年 ねん ) <2010年 ねん にポーランドで開催 かいさい された展覧 てんらん 会 かい と展覧 てんらん 会 かい 準備 じゅんび のための旅行 りょこう の記録 きろく >
『一角獣 いっかくじゅう の変身 へんしん 青木 あおき 画廊 がろう クロニクル』 (風 ふう 濤社、2017年 ねん )
『シモン私 わたし 風景 ふうけい 』<細江 ほそえ 英 えい 公 こう 撮影 さつえい > (Akio Nagasawa Publishing、2012年 ねん )
『Simon, The Actor』<沢渡 さわわたり 朔 さく 撮影 さつえい > (Akio Nagasawa Publishing、2016年 ねん )
『SIMON, 1972』<加納 かのう 典明 のりあき 撮影 さつえい > (Akio Nagasawa Publishing、2016年 ねん )
『美 び と出会 であ う』~「聖 せい なる顔 かお を求 もと めて」(2002年 ねん 1月 がつ 、NHK)
『知 し るを楽 たの しむ 私 わたし のこだわり人物 じんぶつ 伝 でん 』 「澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ 眼 め の宇宙 うちゅう 」 第 だい 1回 かい (2007年 ねん 11月6日 にち 、NHK教育 きょういく )
TBS向田 むかいだ 邦子 くにこ 新春 しんしゅん シリーズ
『女 おんな の人差 ひとさ し指 ゆび 』(1986年 ねん )
『わが母 はは の教 おし えたまいし』(1989年 ねん )
『華燭 かしょく 』(1992年 ねん
『家族 かぞく の肖像 しょうぞう 』(1993年 ねん )
『いとこ同志 どうし 』(1994年 ねん )
『風 かぜ を聴 き く日 ひ 』(1995年 ねん )
『響子 きょうこ 』(1996年 ねん )
『空 そら の羊 ひつじ 』(1997年 ねん )
『終 お わりのない童話 どうわ 』(1998年 ねん )
『小鳥 ことり のくる日 ひ 』(1999年 ねん )
『あ・うん 』 (2000年 ねん )
『風 ふう 立 た ちぬ』(2001年 ねん )
^ 『読売 よみうり 年鑑 ねんかん 2016年版 ねんばん 』(読売新聞 よみうりしんぶん 東京 とうきょう 本社 ほんしゃ 、2016年 ねん )p.495
^ a b c d e 『人形 にんぎょう 作家 さっか 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ )
^ 『新 しん 婦人 ふじん 』1965年 ねん 3月 がつ 号 ごう (文化 ぶんか 実業 じつぎょう 社 しゃ )
^ a b c 『人形 にんぎょう 作家 さっか 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ )
^ 『快男児 かいだんじ 麿 まろ 赤 あか 児 じ がゆく 憂 う き世 よ 戯 じゃ れて候 こう ふ』86頁 ぺーじ
^ 別冊 べっさつ 『太陽 たいよう 』1970年 ねん 2月 がつ 号 ごう 46-50頁 ぺーじ (平凡社 へいぼんしゃ )
^ 『一角獣 いっかくじゅう の変身 へんしん 』(風 ふう 濤社)
^ 『人形 にんぎょう 作家 さっか 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ )
^ 『四谷 よつや シモン-人形 にんぎょう 愛 あい 』展 てん 図録 ずろく (「四谷 よつや シモン展 てん 」実行 じっこう 委員 いいん 会 かい )
^ 『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年 ねん )
^ 『球体 きゅうたい 関節 かんせつ 人形 にんぎょう 展 てん 』図録 ずろく (日本テレビ放送網 にほんてれびほうそうもう 発行 はっこう 、2004年 ねん )
^ 『四谷 よつや シモン ベルメールへの旅 たび 』(愛育 あいいく 出版 しゅっぱん )
^ 『SIMONDOLL 四谷 よつや シモン』 (求 もとむ 龍 りゅう 堂 どう 、2014年 ねん )
^ 『Performing for Camera』(Tate Publishing)