藤島ふじしまやすし

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藤島ふじしま やすし
(ふじしま たいすけ)
新刊しんかん展望てんぼう』1966ねん1がつ15にちごうより
ペンネーム ポール・ボネ
誕生たんじょう 1933ねん1がつ9にち
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
死没しぼつ (1997-06-28) 1997ねん6月28にち(64さいぼつ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ評論ひょうろん新聞しんぶん記者きしゃ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 学習院大学がくしゅういんだいがく政経学部せいけいがくぶ
配偶はいぐうしゃ メリー喜多川きたがわ
子供こども 藤島ふじしまジュリー景子けいこ
親族しんぞく 藤島ふじしまはんひらた祖父そふ
藤島ふじしま敏男としおちち
ウィキポータル 文学ぶんがく
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藤島ふじしま やすし(ふじしま たいすけ、1933ねん昭和しょうわ8ねん1がつ9にち - 1997ねん平成へいせい9ねん6月28にち[1])は、日本にっぽん小説しょうせつ[1]評論ひょうろん新聞しんぶん記者きしゃポール・ボネ名義めいぎ著作ちょさく多数たすう刊行かんこうジャニーズ事務所じむしょもと名誉めいよ会長かいちょうメリー喜多川きたがわは2番目ばんめつまどう事務所じむしょもと社長しゃちょう藤島ふじしまジュリー景子けいこむすめ

来歴らいれき[編集へんしゅう]

日本銀行にっぽんぎんこう監事かんじ藤島ふじしま敏男としお孝子こうし夫妻ふさい長男ちょうなんとして東京とうきょう東京とうきょうまれる[2]生母せいぼ孝子こうし死後しご継母けいぼ紀子のりこちち敏男としお後妻ごさい)にそだてられる。

初等しょとうから大学だいがくまで学習がくしゅういんまなぶ。皇太子こうたいし明仁あきひと親王しんのう学友がくゆう一人ひとりで、ともエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人ふじん)の教育きょういくけている。ただ大学だいがく卒業そつぎょう疎遠そえんであったという。

1955ねん昭和しょうわ30ねん)3がつ学習院大学がくしゅういんだいがく政経学部せいけいがくぶ卒業そつぎょう東京とうきょう新聞しんぶんしゃげん中日新聞ちゅうにちしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ)に入社にゅうしゃ社会しゃかい記者きしゃとなる。

孤獨こどくひと』はベストセラーとなり、1957ねん津川つがわ雅彦まさひこ主演しゅえん映画えいがされた。

1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつ学習がくしゅういん高等こうとう時代じだい皇太子こうたいしと「ご学友がくゆう」たちを題材だいざいにした小説しょうせつ孤獨こどくひと』を出版しゅっぱんどうさくには「ご学友がくゆう」たちのヴァイニング夫人ふじんへの反発はんぱつられざるエピソードなどがまれている。三島みしま由紀夫ゆきお序文じょぶんせ、「うますぎて心配しんぱいなほど」と評価ひょうかしている[3][4]どうさく翌年よくねん映画えいがされ話題わだいとなった。

1958ねん昭和しょうわ33ねん)、独立どくりつまえケニアウガンダ旅行りょこう帰国きこく同年どうねん8がつに『アフリカ紀行きこう』を出版しゅっぱん

1963ねん昭和しょうわ39ねん)、高浜たかはま虚子きょしまご朋子ともこ結婚けっこん[5][6][ちゅう 1]結婚けっこん当時とうじ朋子ともこ円満えんまんらしていたが[5][6]、そのメリー喜多川きたがわ内縁ないえん関係かんけいとなる[5][6]

1966ねん昭和しょうわ41ねん)7がつ20日はつか、メリーとのあいだ長女ちょうじょ藤島ふじしまジュリー景子けいこ誕生たんじょうする[5][6]。その東京とうきょう新聞しんぶん退社たいしゃし、作家さっか専業せんぎょうとなる。フランスパリでの生活せいかつ体験たいけんもとに「在日ざいにちフランスじんポール・ボネ名義めいぎあらわした『不思議ふしぎくにニッポン』シリーズ、海外かいがい生活せいかつ題材だいざいにしたエッセイ旅行りょこうなど多数たすう著作ちょさく発表はっぴょう

週刊しゅうかんプレイボーイ』1967ねん5がつ9にちごう新聞しんぶん広告こうこく女性じょせい関係かんけい注目ちゅうもくされ、週刊しゅうかんでもげられた。

1967ねん昭和しょうわ42ねん)、『週刊しゅうかん読売よみうり』に『忠誠ちゅうせい登録とうろく』を連載れんさいどう連載れんさい戦後せんご日本にっぽん最初さいしょ日系にっけいアメリカじん強制きょうせい収容しゅうよう歴史れきしつたえ、社会しゃかい問題もんだいしたものだとわれる[7]。また社会しゃかい評論ひょうろんとしても活動かつどうした。評論ひょうろんとしては大宅おおたく壮一そういち門下生もんかせいである。右派うは保守ほしゅけい論陣ろんじんり、『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』や『諸君しょくん!』などに論考ろんこう寄稿きこう

1968ねん昭和しょうわ43ねん)、石原いしはら慎太郎しんたろうだい8かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ全国ぜんこくから自由民主党じゆうみんしゅとう公認こうにん立候補りっこうほしたさい石原いしはら全面ぜんめんてき支援しえんし、代理だいり演説えんぜつけた[8][ちゅう 2]石原いしはらはトップではつ当選とうせんした。

1970ねん昭和しょうわ45ねん)にエベレスト・スキーたい総本部そうほんぶちょうとしてヒマラヤ山脈ひまらやさんみゃく遠征えんせい

1971ねん昭和しょうわ46ねん)、内妻ないさい長女ちょうじょとともにアメリカフロリダしゅう移住いじゅうし、アメリカ生活せいかつ体験たいけんした。

1972ねん昭和しょうわ47ねん)、朋子ともこ正式せいしき離婚りこん[5][6]。そのメリーと正式せいしき再婚さいこんした[6]

1973ねん昭和しょうわ48ねん)、日本にっぽん帰国きこく月刊げっかんなみ曼』に参与さんよ昭和しょうわ50ねん2がつごう休刊きゅうかん

1974ねん昭和しょうわ49ねん)、日本にっぽんペンクラブ代表だいひょうするかたち仏文ふつぶん学者がくしゃ白井しらい浩司こうじ韓国かんこく訪問ほうもんぼく正煕せいき独裁どくさい政権せいけんおこなわれた詩人しじん金芝河きむじはへの死刑しけい判決はんけつを「金芝河きむじは有罪ゆうざい文学ぶんがく活動かつどうではなく、政治せいじ活動かつどうによるもの」とコメント。ペンクラブからは有吉ありよし佐和子さわこ司馬しばりょう太郎たろう立原たちはら正秋まさあきなどが脱会だっかい理事りじだった安岡やすおか章太郎しょうたろう阿川あがわ弘之ひろゆき辞意じい表明ひょうめいするなど、運営うんえいおおきな混乱こんらんこした。

同年どうねん5がつ29にち前回ぜんかい衆院しゅういんせん落選らくせんしたきゅう東京とうきょう4小峰こみねやなぎおお死去しきょ小峰こみね所属しょぞくしていた自民党じみんとう派閥はばつからはなしがあり、小峰こみね地盤じばん継承けいしょう次期じき衆院しゅういんせん立候補りっこうほするため、選挙せんきょ区内くない渋谷しぶや中野なかの杉並すぎなみ)に事務所じむしょ開設かいせつした[11]菓子かしりをって地元じもと町内ちょうないかい商店しょうてんがいまわったときのことを藤島ふじしまはのちに「この連中れんちゅう品性ひんせい下劣げれつなこと、おな東京とうきょうに、これほど程度ていどわる人種じんしゅ棲息せいそくしていたのか、なるほど東京とうきょうひろいと感心かんしんした」とつづっている。しんなかで「無知むち蒙昧もうまいやから」「選挙せんきょみんはしにもぼうにもかからぬ馬鹿ばかども」とどくづきながらやく1年間ねんかん活動かつどうおこなうが、資金しきん枯渇こかつしたため出馬しゅつば断念だんねんした[11]

1977ねん昭和しょうわ52ねん)、だい11かい参議院さんぎいん議員ぎいん通常つうじょう選挙せんきょ自由民主党じゆうみんしゅとう公認こうにん全国ぜんこく立候補りっこうほしん日本にっぽん宗教しゅうきょう団体だんたい連合れんごうかい関連かんれんしょ団体だんたい推薦すいせんけるなどして188387ひょう獲得かくとく法定ほうてい得票とくひょうすうたっしたが66落選らくせんした。

1981ねん昭和しょうわ56ねん)、景子けいこのアメリカ留学りゅうがく同行どうこうし、ふたたびアメリカで生活せいかつする。

1992ねん平成へいせい4ねん)、天皇てんのう中国ちゅうごく訪問ほうもん反対はんたいするしょう田村たむら四郎しろう大原おおはら康男やすお小堀こぼり桂一郎けいいちろう中村なかむらつばららによる「ご訪中ほうちゅう問題もんだい懇話こんわかい」が組織そしきされると、谷沢たにさわ永一えいいち古山ふるやま高麗こうらいゆうらとともに賛同さんどう訪中ほうちゅう反対はんたい意見いけん広告こうこくつらねる。

1996ねん平成へいせい8ねん)、ガン食道しょくどうがん告知こくちけ、1997ねん平成へいせい9ねん)6がつ28にち都内とない病院びょういんにて死去しきょ。64さいぼつ

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

ケニアモンバサ藤島ふじしま(1958ねん撮影さつえい

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

藤島ふじしま

後妻ごさいメリー喜多川きたがわは1950年代ねんだいから四谷よつやさん丁目ちょうめ円通寺えんつうじざか入口いりくち右手みぎてかくにあった「スポット」というのカウンターバーを経営けいえいしていた。そのころ、バーのきゃくであった藤島ふじしま当時とうじ東京とうきょう新聞しんぶん記者きしゃ)と男女だんじょ関係かんけいになる。1972ねん昭和しょうわ47ねん)に藤島ふじしま正式せいしき離婚りこん[5]したのち、結婚けっこんした。作家さっか仲間なかまあいだではおしどり夫婦ふうふとしてられたという[よう出典しゅってん]

むすめ景子けいこ2004ねん平成へいせい16ねん)に芸能げいのうかいとは無関係むかんけい一般いっぱん男性だんせい結婚けっこん男性だんせい婿養子むこようしとして藤島ふじしまはいった。景子けいこは2004ねん平成へいせい16ねんれ、たい輔・メリー夫妻ふさいまごとなる女児じょじ出産しゅっさんしている。

藤島ふじしま草創そうそうジャニーズ事務所じむしょ経済けいざいてきにバックアップし、マスコミ・政財界せいざいかい関係かんけいしゃなど自身じしん知己ちき紹介しょうかい、ジャニー社長しゃちょう業界ぎょうかい関係かんけいしゃへの人脈じんみゃく拡大かくだい手助てだすけしたといわれる。

藤島ふじしま昌平しょうへいちち敏男としおおとうと[2]昌平しょうへいつま三沢みさわ信一しんいちさんじょ[2]三沢みさわ次女じじょ下河辺しもこうべ牧場ぼくじょう創業そうぎょうしゃ下河辺しもこうべ孫一まごいち結婚けっこんしたため[13][14][15]下河辺しもこうべ昌平しょうへい義兄ぎけいにあたる。

義理ぎり叔父おじ山口やまぐち利彦としひこ山武やまたけハネウェル(きゅう山武商会やまたけしょうかいげんアズビル)の社長しゃちょう会長かいちょう歴任れきにんした[16]利彦としひこつまたい輔のちち敏男としおいもうと千代ちよ[2][16]山武商会やまたけしょうかい創業そうぎょうしゃ山口やまぐち武彦たけひこ利彦としひこちち[16]

義理ぎり従弟じゅうてい福澤ふくさわ雄吉ゆうきち福澤ふくさわ堅次けんじ綾子あやこ夫妻ふさい長男ちょうなん[17]雄吉ゆうきちつま山口やまぐち利彦としひこ千代ちよ夫妻ふさい長女ちょうじょたい輔の従妹じゅうまい[16][17]雄吉ゆうきちちち堅次けんじ福澤ふくさわ諭吉ゆきちまごもと三菱みつびし瓦斯がす化学かがく取締役とりしまりやく[17]雄吉ゆうきちはは綾子あやこ岩崎いわさき弥太郎やたろう孫娘まごむすめ岩崎いわさき久弥ひさやさんじょ[17]

親戚しんせき

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

  • 孤獨こどくひと三笠みかさ書房しょぼう、1956ねんNDLJP:1355242  - 1957ねん日活にっかつ映画えいが監督かんとく西河にしかわ克己かつみ
    • 孤獨こどくひと文春ぶんしゅんネスコ、1989ねん2がつISBN 4-89036-762-4 
    • 孤獨こどくひと読売新聞社よみうりしんぶんしゃ戦後せんごニッポンをむ〉、1997ねん3がつISBN 4-643-97021-9 
    • 孤獨こどくひと岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ〉、2012ねん5がつISBN 978-4-00-602201-3 
  • 真紅しんくひと三笠みかさ書房しょぼう、1957ねんNDLJP:1356146 
  • くろ魅惑みわくだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ〈ロマン・ブックス〉、1957ねん 
  • 『アフリカ紀行きこう小山こやま書店しょてんしんしゃ、1958ねんNDLJP:3004756 
  • 『アンコールの帝王ていおう クメール文化ぶんかなぞ展望てんぼうしゃ、1960ねんNDLJP:2986075 
  • 『ヘソまがり太平たいへい読売新聞社よみうりしんぶんしゃ〈サラリーマン・ブックス〉、1964ねん 
  • 『ヘソまがり太平たいへいつづけ読売新聞社よみうりしんぶんしゃ〈サラリーマン・ブックス〉、1965ねん 
  • 日本にっぽん上流じょうりゅう社会しゃかい 高貴こうきなる秘境ひきょう探検たんけんする』光文社こうぶんしゃ〈カッパ・ブックス〉、1965ねんNDLJP:3032057 
  • 『ヘソまがり太平たいへい続々ぞくぞく読売新聞社よみうりしんぶんしゃ〈サラリーマン・ブックス〉、1966ねん 
  • 『ホラふき太平たいへい読売新聞社よみうりしんぶんしゃ〈サラリーマン・ブックス〉、1966ねん 
  • 『ヘソまがり太平たいへい 決定けっていばん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1966ねん 
  • おとこ契約けいやく秋田あきた書店しょてん〈サンデー新書しんしょ〉、1966ねん 
  • 忠誠ちゅうせい登録とうろく読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、1967ねんNDLJP:1362807 
  • 心臓しんぞう英語えいごのすすめ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう文春ぶんしゅんビジネス〉、1969ねんNDLJP:12161238 
  • 上流じょうりゅう夫人ふじん 皇室こうしつをいろどった女性じょせい』サンケイ新聞しんぶんしゃ出版しゅっぱんきょく、1969ねんNDLJP:12207449 
  • しろ日本人にっぽんじん講談社こうだんしゃ、1969ねん 
  • あお群島ぐんとう報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、1969ねん 
  • 『ピガールの恋人こいびと集英社しゅうえいしゃ、1970ねん 
  • 上流じょうりゅう社会しゃかい 小説しょうせつ講談社こうだんしゃ、1970ねん 
  • 青春せいしゅん座標ざひょう』PHP研究所けんきゅうじょ〈PHP青春せいしゅんほん 6〉、1972ねん 
  • 『よくもわるくも日本人にっぽんじん実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、1972ねん 
  • 天皇てんのう青年せいねん 三島みしま由紀夫ゆきおをめぐって』日本教文社にっぽんきょうぶんしゃ、1973ねん 
  • 『もとのもくあみ』白馬しろうま出版しゅっぱん、1973ねん 
  • 男性だんせいてき旅行りょこうろん日本交通公社にほんこうつうこうしゃ出版しゅっぱん事業じぎょうきょく、1975ねん 
  • 『ハロー・アメリカ』国際こくさい商業しょうぎょう出版しゅっぱん、1976ねんNDLJP:12181050 
  • 藤島ふじしまやすし輔大冒険ぼうけん ロマンをもとめてヒマラヤ・アメリカ』たか書房しょぼう、1977ねん5がつ 
  • 戦後せんごとはなに日本にっぽん選択せんたくすべきみち』マネジメントしゃ、1981ねん6がつNDLJP:12238219 
  • 『ヘソまがり親父おやじ乾杯かんぱい!』さんてん書房しょぼう、1982ねん1がつ 
  • 中流ちゅうりゅうからの脱出だっしゅつ あたらしいステータスをもとめて』ダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1986ねん3がつISBN 4-478-79010-8NDLJP:12125678 
  • 東京とうきょうやま人々ひとびと』サンケイ出版しゅっぱん、1987ねん6がつISBN 4-383-02631-1 
  • 『クロス・カルチャーの時代じだい 文化ぶんか交流こうりゅう事業じぎょうするおとこ山内やまうちいさおせい』IN通信つうしんしゃ、1987ねん9がつ 
  • 馬主ばしゅたのしみ ランニングフリーとわたしくさおもえしゃ、1991ねん10がつISBN 4-7942-0432-9 

共著きょうちょ編著へんちょ共編きょうへんちょ[編集へんしゅう]

  • 猛獣もうじゅう草原そうげんくにく」- 大宅おおたく, 壮一そういち桑原くわばら, 武夫たけお阿川あがわ, 弘之ひろゆき へん世界せかいたび 3』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1962ねん 
  • 「アンコール」- 大宅おおたく, 壮一そういち桑原くわばら, 武夫たけお阿川あがわ, 弘之ひろゆき へん世界せかいたび 8』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1962ねん 
  • 石井いしい好子よしこ結婚けっこん家庭かてい雄鶏社おんどりしゃ幸福こうふくへの対話たいわ だい4〉、1969ねん 
  • 松下まつした幸之助こうのすけ日々ひびあらたに 対談たいだん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1970ねん 
  • 日本人にっぽんじんうしなったもの 対談たいだんしゅう日新にっしん報道ほうどう、1975ねんNDLJP:12241689 
  • 依光よりみつたかし・イラスト忠誠ちゅうせい登録とうろく国土こくどしゃ国土こくどしゃ・ノンフィクション全集ぜんしゅう 11〉、1976ねん3がつ 
  • 監修かんしゅう実録じつろく今上きんじょう天皇てんのう 天皇てんのう裕仁ひろひと激動げきどう昭和しょうわふみ』ゆまにて出版しゅっぱん、1983ねん11月。

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • V・パッカード『ウルトラ・リッチ ちょう富豪ふごうたちの素顔すがお価値かちかん役割やくわりダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1990ねん1がつISBN 4-478-79021-3 
  • ウィリアム・D・グランプ名画めいが経済けいざいがく 美術びじゅつ市場いちば支配しはいする経済けいざい原理げんりダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1991ねん9がつISBN 4-478-79024-8 

ポール・ボネ名義めいぎ[編集へんしゅう]

  • 不思議ふしぎくにニッポン』 シリーズ vol.1-22、ダイヤモンド社だいやもんどしゃ、1975ねん-1996ねん
    • 不思議ふしぎくにニッポン』 シリーズ vol.1-21、角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、1982ねん-1996ねん
  • 『だから日本にっぽんたたかれる』角川書店かどかわしょてん〈Kadokawa books〉、1987ねん10がつ 
    • 『だから日本にっぽんたたかれる』角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、1989ねん5がつISBN 4-04-327515-3 
  • しずまぬ太陽たいようニッポン ゆたかさとのたたかい』角川書店かどかわしょてん、1990ねん8がつISBN 4-04-834009-3 
    • しずまぬ太陽たいようニッポン ゆたかさとのたたかい』角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、1992ねん12月。ISBN 4-04-327519-6 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 藤島ふじしま結婚けっこんした高浜たかはま朋子ともこ高浜たかはま年尾としおさんじょ
  2. ^ 石原いしはら慎太郎しんたろうは1965ねんにミュージカル『ほのおのカーブ』の脚本きゃくほん演出えんしゅつつとめ、よく1966ねんにもミュージカル『宝島たからじま』の脚本きゃくほん演出えんしゅつつとめたが、そのどちらにもジャニーズ出演しゅつえんした[9][10]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 藤島ふじしま やすし輔とはコトバンク。2019ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d 昭和しょうわ人名じんめい辞典じてん だい1かん 東京とうきょうへん』、856ぺーじ
  3. ^ 三島みしま 1975a
  4. ^ 三島みしま 1975b
  5. ^ a b c d e f g h i 週刊しゅうかん新潮しんちょう』1974ねん昭和しょうわ49ねん)9がつ5にちごう結婚けっこん
  6. ^ a b c d e f g h i 週刊しゅうかん新潮しんちょう』1997ねん平成へいせい9ねん)7がつ10にちごう墓碑銘ぼひめい
  7. ^ つくだ陽子ようこ日本にっぽん大衆たいしゅうメディアにおける日系にっけいじん表象ひょうしょう」『成城せいじょう法学ほうがく.教養きょうよう論集ろんしゅうだい27かん成城大学せいじょうだいがくほう学会がっかい、2018ねん3がつ、69-85ぺーじISSN 0389-8075CRID 1050282812451428096 
  8. ^ 藤島ふじしまやすし輔「衆愚しゅうぐ時代じだい―あァ、参議院さんぎいん選挙せんきょ!」 『月刊げっかんカレント』1983ねん7がつごう潮流ちょうりゅうしゃ、24-27ぺーじ
  9. ^ 石原いしはら慎太郎しんたろう栗原くりはら裕一郎ゆういちろう豊崎とよさき由美ゆみ (2022ねん6がつ9にち). “石原いしはら慎太郎しんたろうさんおわかれのかい 文壇ぶんだんのアウトサイダーがかた青春せいしゅん時代じだいおとうと石原いしはら裕次郎ゆうじろうとクラブがよいや、東宝とうほう入社にゅうしゃ1にちでの退職たいしょく三島みしま由紀夫ゆきおとボクシング観戦かんせんも」”. 婦人ふじん公論こうろん. 2023ねん11月9にち閲覧えつらん
  10. ^ 映画えいがストーリー』1965ねん6がつごう雄鶏社おんどりしゃ、224-225ぺーじ、232-233ぺーじ
  11. ^ a b 藤島ふじしまやすし輔「衆愚しゅうぐ時代じだい選挙せんきょ内幕うちまく」 『月刊げっかんカレント』1983ねん4がつごう潮流ちょうりゅうしゃ、64-67ぺーじ
  12. ^ 藤島ふじしまやすし輔「衆愚しゅうぐ時代じだい戸塚とつかさんに最敬礼さいけいれい」 『月刊げっかんカレント』1983ねん11がつごう潮流ちょうりゅうしゃ、56-59ぺーじ
  13. ^ 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい6はん』、432ぺーじ
  14. ^ 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい7はん』、382ぺーじ
  15. ^ 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい8はん』、404ぺーじ
  16. ^ a b c d 昭和しょうわ人名じんめい辞典じてんII だい1かん 東京とうきょうへん』、870ぺーじ
  17. ^ a b c d 門閥もんばつ きゅう華族かぞく階層かいそう復権ふっけん』、262-263ぺーじ
  18. ^ a b c 人事じんじ興信録こうしんろく だい13はん フ61ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2019ねん7がつ11にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c d 人事じんじ興信録こうしんろく だい15はん フ16ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2019ねん7がつ11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい13はん 人事じんじ興信所こうしんじょ、1941ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい15はん 人事じんじ興信所こうしんじょ、1948ねん
  • 訪中ほうちゅう問題もんだい懇話こんわかい へん天皇陛下てんのうへいか訪中ほうちゅう問題もんだい 検証けんしょう総括そうかつてんてんしゃ〈てんでんブックレット no.1〉、1992ねん12月。 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお藤島ふじしまやすし輔著「孤独こどくひとじょ」、三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう 27』新潮社しんちょうしゃ、1975ねん 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお「うますぎて心配しんぱい藤島ふじしまやすし輔著「孤独こどくひと」)」、三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう 35』新潮社しんちょうしゃ、1975ねん 
  • 宮崎みやざき正弘まさひろ三島みしま由紀夫ゆきお以後いご日本にっぽんが「日本にっぽんでなくなる」』並木なみき書房しょぼう、1999ねん10がつ 
  • 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい6はん現代げんだい名士めいし系譜けいふ刊行かんこうかい、1984ねん10がつ、432ぺーじ 
  • 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい7はん現代げんだい名士めいし系譜けいふ刊行かんこうかい、1986ねん12月、382ぺーじ 
  • 財界ざいかい系譜けいふ大観たいかん だい8はん現代げんだい名士めいし系譜けいふ刊行かんこうかい、1988ねん11月、404ぺーじ 
  • 昭和しょうわ人名じんめい辞典じてん だい1かん 東京とうきょうへん日本にっぽん図書としょセンター、1987ねん10がつ、856ぺーじISBN 4-8205-0693-5 
  • 昭和しょうわ人名じんめい辞典じてんII だい1かん 東京とうきょうへん日本にっぽん図書としょセンター、1989ねん2がつ、870ぺーじISBN 4-8205-2036-9 
  • 佐藤さとうちょうたい門閥もんばつ きゅう華族かぞく階層かいそう復権ふっけんたてふう書房しょぼう、1987ねん4がつ、262-263ぺーじISBN 4-651-70032-2 
  • 結婚けっこん渦中かちゅうひと藤島ふじしまやすし輔氏の“だい結婚けっこん”」『週刊しゅうかん新潮しんちょう』、新潮社しんちょうしゃ、1974ねん9がつ5にち、108ぺーじ 
  • 墓碑銘ぼひめい 天皇てんのうのご学友がくゆう孤独こどくひと藤島ふじしまやすし輔氏のがん」『週刊しゅうかん新潮しんちょう』、新潮社しんちょうしゃ、1997ねん7がつ10日とおか、123ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]