(Translated by https://www.hiragana.jp/)
日夏耿之介 - Wikipedia コンテンツにスキップ

日夏ひなつ耿之介こうのすけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日夏ひなつ 耿之介こうのすけ
(ひなつ こうのすけ)
日夏ひなつ耿之介こうのすけ(1954ねん
ペンネーム ふうせまいん
なつねむ
ねむり道人みちひと
ねむりどう主人しゅじん
誕生たんじょう 樋口ひぐち こくとう
1890ねん2がつ22にち
長野ながのけん下伊那しもいなぐん飯田いいだまちげん飯田いいだ知久ちくまち[1]
死没しぼつ (1971-06-13) 1971ねん6月13にち(81さいぼつ
長野ながのけん飯田いいだ
墓地ぼち 飯田いいだかしわこころてら
職業しょくぎょう 詩人しじん作家さっか英文えいぶん学者がくしゃ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 文学ぶんがく博士はかせ
最終さいしゅう学歴がくれき 早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょう
文学ぶんがく活動かつどう 象徴しょうちょう主義しゅぎ
代表だいひょうさく日本にっぽん現代げんだい大系たいけい
明治めいじなみ文學ぶんがく
日夏ひなつ耿之介こうのすけぜん詩集ししゅう
おも受賞じゅしょうれき 読売よみうり文学ぶんがくしょう(1950ねん
毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう(1951ねん
日本にっぽん藝術げいじゅついんしょう(1952ねん
飯田いいだ名誉めいよ市民しみん(1953ねん
デビューさく轉身てんしんの頌』
親族しんぞく 樋口ひぐち龍峡りゅうきょう
松尾まつお勢子せこ
小林こばやし一三かずみ
テンプレートを表示ひょうじ

日夏ひなつ 耿之介こうのすけ(ひなつ こうのすけ、1890ねん明治めいじ23ねん2がつ22にち - 1971ねん昭和しょうわ46ねん6月13にち)は、日本にっぽん詩人しじん英文えいぶん学者がくしゃ本名ほんみょう樋口ひぐち こくとう(ひぐち くにと)(通称つうしょうは「圀登」の字体じたい愛用あいよう[2]ごうなつねむりねむり道人みちひとねむりどう主人しゅじん、聴雪主人しゅじん石上いしがみ好古よしふるみぞなど30数種類すうしゅるい存在そんざいする。広範こうはん学識がくしき多岐たきにわたる文学ぶんがく活動かつどうで「学匠がくしょう詩人しじん」としょうされる。

詩人しじんとしてはみずからゴスィック・ローマン詩體したいしょう高踏こうとうてき荘重そうちょう幽玄ゆうげんふうであり、その神秘しんぴ主義しゅぎてき象徴しょうちょうるいをみない個性こせいはなっている。また、訳詩やくし文学ぶんがく論考ろんこう随筆ずいひつなどの幅広はばひろ著作ちょさくがあり、明治めいじ大正たいしょう文学ぶんがくろんでもられる。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

ちと学究がっきゅう

[編集へんしゅう]

長野ながのけん下伊那しもいなぐん飯田いいだまちげん飯田いいだ知久ちくまち)に樋口ひぐちふじ治郎じろう、以志(樋口ひぐち龍峡りゅうきょうあね)の長男ちょうなんとしてまれる。樋口ひぐち清和せいわはじめにつながる家系かけいで、すうひゃくねんまえ木曽きそからうつった。祖父そふきょうたいら北原きたはらから養子ようしはいり、文芸ぶんげいこの考古学こうこがく研究けんきゅうで、郊戸神社じんじゃ愛宕あたご神社じんじゃ宮司ぐうじつとめた。ちち伊藤いとうから養子ようしはいり、信濃しなの商業しょうぎょう銀行ぎんこうひゃくじゅうなな銀行ぎんこう支店してんちょうつとめた。母方ははかた親戚しんせき勤王きんのう松尾まつお勢子せこがいる。いとこのつま小林こばやし一三かずみめい。のちに歌集かしゅう貞心ていしんしょう』をしたはは薫陶くんとうそだ[3]飯田いいだ尋常じんじょう小学校しょうがっこうかよい、当時とうじ小学しょうがく新聞しんぶん』(きたたかしかん)に投稿とうこうぶん掲載けいさいされた。長野ながの県立けんりつ飯田いいだ中学ちゅうがく入学にゅうがく、このころから詩作しさくはじめ、友人ゆうじん読書どくしょかい結成けっせい会長かいちょうとなり、廻覧かいらん少年しょうねん文芸ぶんげい』を編集へんしゅうかぜしょう、萍翠まがひとごうもちいた。1904ねん上京じょうきょうして母方ははかた叔父おじ樋口ひぐち龍峡りゅうきょうせ、旧制きゅうせい京北けいほく中学校ちゅうがっこう2ねん転入てんにゅう校友こうゆうかい雑誌ざっしふうせまふうせまいんごう短文たんぶん発表はっぴょうする。1906ねん病気びょうきのために中退ちゅうたい

せいさかずき創刊そうかんごう表紙ひょうし

翌年よくねん北海道ほっかいどう旅行りょこうし、旭川あさひかわ新聞しんぶんに「北海ほっかい印象いんしょう」を連載れんさい。1908ねん島村しまむら抱月ほうげつ目当めあてで早稲田大学わせだだいがく高等こうとう入学にゅうがくし、飯田いいだ中学ちゅうがく校友こうゆうかい雑誌ざっしツルゲーネフせんはゞや」の翻訳ほんやく発表はっぴょう。また、えい文学ぶんがくふつ文学ぶんがく恩師おんしで、同郷どうきょうでもある吉江よしえ喬松たかまつ私淑ししゅくする[4]在学ざいがくちゅうの1912ねんから西條さいじょう八十やそ森口もりぐち多里たり堀口ほりぐち大學だいがく石井いしいかしわていじん長谷川はせがわきよし永瀬ながせ義郎よしおらと同人どうじんきよしはい』を創刊そうかんし、戯曲ぎきょく遍路へんろ」や和歌わか連作れんさく随想ずいそうなどを発表はっぴょう、ペンネームの日夏ひなつ耿之介こうのすけごうなつねむりひなかいもちはじめる。翌年よくねん假面かめん』に改題かいだいし、1915ねんまで発行はっこうする。1913ねん國學院こくがくいん雑誌ざっし』に「國語こくご語感ごかん表現ひょうげんと」を発表はっぴょうし、以後いごも『早稲田わせだ文学ぶんがく』『水甕みずがめ』『詩歌しか』などに作品さくひん発表はっぴょう。1914ねん吉江よしえ喬松たかまつや『仮面かめん』の一部いちぶメンバー西條さいじょう八十やそ松田まつだりょう四郎しろうらに、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ山宮さんぐうまことくわえて、愛蘭土あいるらんどアイルランド文学ぶんがくかい結成けっせい芥川あくたがわしたしくなる。1916ねん鎌倉かまくら坂ノ下さかのした転居てんきょおなごろ鎌倉かまくら療養りょうようしていた萩原はぎはら朔太郎さくたろう交友こうゆうち、翌年よくねん刊行かんこうされた朔太郎さくたろうの『つきえる』には理解りかいしめ書評しょひょういた[5]。1917ねん大森おおもり山王さんのう移転いてん

文学ぶんがく

[編集へんしゅう]

1917ねんだいいち詩集ししゅう轉身てんしんの頌』を家蔵かぞうばんとして刊行かんこう以後いご黒衣くろご聖母せいぼ』『ねむりじょう』『咒文』を出版しゅっぱん。1922ねんから『中央公論ちゅうおうこうろん』で明治めいじ大正たいしょう詩史ししについて掲載けいさいはじめる。1920ねん天佑てんゆうしゃワイルド全集ぜんしゅうだい4かんとして「ワイルド詩集ししゅう」を翻訳ほんやく。また「朝日新聞あさひしんぶん」に寄稿きこうはじめる。

1924ねんさい従妹じゅうまい中島なかじま添子と結婚けっこん大正たいしょう末期まっきから「大正たいしょうデモクラシイ詩壇しだん」からの批判ひはん嫌気いやけがさして、ほとんど執筆しっぴつをしなくなり(『文学ぶんがく詩歌しか談義だんぎ』「ついで」)、学究がっきゅうてき仕事しごとと、欧米おうべい翻訳ほんやくオカルティズム研究けんきゅう随筆ずいひつ執筆しっぴつなどをおもにするようになり、ヨーロッパ象徴しょうちょう主義しゅぎ背景はいけいとして、ロマン主義しゅぎデモノロジーにも博識はくしきぶりをしめした[6]。1924ねんから1927ねんまで、石川いしかわ道雄みちお堀口ほりぐち大學だいがく西条さいじょう八十やそじょう左門さもんらと雑誌ざっし東邦とうほう藝術げいじゅつ」(3ごうから「おご灞都サバト」)を発行はっこうフランスイタリアイギリスアイルランド文学ぶんがく紹介しょうかい翻訳ほんやくなどをおこない、ここでの企画きかくおご灞都みなみ柯叢しょだいいち刊行かんこう目録もくろく」とされた53さつのうち、E.T.A.ホフマン黄金おうごんたからつぼ』(石川いしかわ道雄みちおやく)、E.A.ポー『タル博士はかせとファザア教授きょうじゅ治療ちりょうほう』(龍膽りんどうてらみんやく)の2さつ刊行かんこうされた。

1927ねんすわえしゅう文學ぶんがくこう」ではいちはやゴシック・ロマンス日本にっぽん紹介しょうかいするとともに、日本にっぽん古典こてん怪奇かいき幻想げんそう文学ぶんがくとの対比たいひおこない、1951ねん徳川とくがわ恠異だん系譜けいふ」もあらわす。1928ねん雑誌ざっし『パンテオン』を監修かんしゅう発刊はっかんし、翌年よくねんまで10ごう発行はっこう若年じゃくねんから病弱びょうじゃく肋間ろっかん神経症しんけいしょう喘息ぜんそく持病じびょうとし、1930ねんから7年間ねんかん療養りょうよう生活せいかつおくり、42さいからは心臓しんぞうきゅう搏症で、1933-34ねんには鵠沼くげぬま海岸かいがん転地てんち。1931ねん早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ就任しゅうにん。1932ねん雑誌ざっしおどけえん監修かんしゅう創刊そうかん翌年よくねん2ごうして廃刊はいかん。1934ねん阿佐ヶ谷あさがやうつる。1939ねんジョン・キーツのオード創作そうさく心理しんり過程かてい漢詩かんし比較ひかくろん司祭しさい - John KeatsのOdeにかんする研究けんきゅう」で早稲田大学わせだだいがくより文学ぶんがく博士はかせごう授与じゅよ

飯田いいだ生活せいかつ

[編集へんしゅう]

1945ねん郷里きょうり飯田いいだ疎開そかいし、早稲田大学わせだだいがく教授きょうじゅ辞任じにんよく1946ねん帰京ききょう。1952ねんから青山学院大学あおやまがくいんだいがく文学ぶんがくろん比較ひかく文学ぶんがくろんこうじる。1956ねん岸田きしだ国士くにお命日めいにち法要ほうようかけるさい脳溢血のういっけつ発作ほっさたおれ、みぎ半身不随はんしんふずいとなってふたた飯田いいだ帰郷ききょうし、愛宕あたご神社じんじゃ境内けいだいきょかまえる。1959ねん飯田いいだにて古希こき祝賀しゅくがかい記念きねん講演こうえんかいもよおされ、また同市どうし風越かざこし山頂さんちょう句碑くひ建立こんりゅうされ、「秋風あきかぜいぬまろうどやまほねうめむ」のきざまれた。同年どうねんねむりかいなどによる雑誌ざっしさけ創刊そうかんにわないにも句碑くひ建立こんりゅう。1962ねん飯田いいだりんご並木なみきに、谷口たにぐち吉郎よしろう設計せっけい齋藤さいとう磯雄いそおせんによる詩碑しひ建立こんりゅう、「咒文の周圍しゅうい最終さいしゅうれんきざまれた。1967ねん随筆ずいひつしゅう 涓滴』出版しゅっぱん記念きねんかいもよおされ、市立しりつ飯田いいだ図書館としょかんぜん著作ちょさく展示てんじかんひらかれた。1971ねん飯田いいだ自宅じたくにてぼっす。

日夏ひなつ耿之介こうのすけ記念きねんかん長野ながのけん飯田いいだ
歌碑かひ日夏ひなつ耿之介こうのすけ記念きねんかん

1989ねん飯田いいだ美術びじゅつ博物館はくぶつかん付帯ふたい施設しせつとして、愛宕あたご神社じんじゃないにあった自宅じたく復元ふくげんした日夏ひなつ耿之介こうのすけ記念きねんかん開館かいかんきゅう蔵書ぞうしょ9500さつ絵画かいがじくるい150てんらい簡集1500つう寄贈きぞうされた[7]庭園ていえんには自然しぜんせき句碑くひ水鶏くいなゆくやこのそうけんちりを滌ふ」がっている。

翻訳ほんやくしゃとしては、壮麗そうれい雅語がご駆使くししてワイルドポー日本語にほんごうつえ、三島みしま由紀夫ゆきお澁澤しぶさわ龍彦たつひこ多大ただい影響えいきょうあたえた。またみずからを「頑迷がんめい固陋ころうなる徳川とくがわ文人もんとがたきゅう詩人しじん」としょうし、書画しょが骨董こっとうおおくの蔵書ぞうしょかこまれてらし、部屋へやには聖母せいぼマリアけられていた。篆刻てんこくたしなみ、『風塵ふうじん静寂しじまぶん見返みかえしページで印影いんえい18顆をまとめていて、著作ちょさく検印けんいんにも使つかっていた[8]

木下きのした杢太郎もくたろうが『スバル掲載けいさいころから評価ひょうかし、なが交友こうゆうち、医師いしとして発疹はっしん治療ちりょうけた[9]

年譜ねんぷ

[編集へんしゅう]

作品さくひん評価ひょうか

[編集へんしゅう]

文体ぶんたいは、まず『轉身てんしんの頌』序文じょぶんにて「象形しょうけい文字もじ使用しようする本邦ほんぽう現代げんだい言語げんごは、不完全ふかんぜん語法ごほうじょう制約せいやくしばられて、複雑ふくざつ思想しそう多様たよう韻律いんりつとをりひびかするに先天的せんてんてき不具ふぐである。」ことから、「象形しょうけい文字もじ精霊せいれいは、おおくの視覚しかくつうじて大脳だいのう伝達でんたつされる。音調おんちょう以外いがいのあるものは視覚しかくに倚らなければならぬ。形態けいたい音調おんちょうとの錯綜さくそう完全かんぜん使命しめいである。」として「黄金おうごん均衡きんこう(ゴールドウン・アベレイジ)」を目指めざすものとされ、『黒衣くろご聖母せいぼ序文じょぶんにいたり「かりにゴスィック・ロオマン詩體したいともいはばいうべきふう」が「最近さいきんわたしといふ人間にんげん思想しそう感情かんじょうはこれらのによってもっと妥當だとう表現ひょうげんせられる」とべられた。そして「黒衣くろご聖母せいぼ芽生めばねむりじょう成長せいちょうしたわたくしのいはゆるゴシック・ロマン詩體したいが、順当じゅんとうねりきん叙情詩じょじょうしふうとして展開てんかいしたのが『咒文詩集ししゅう』であった」(そうもとしゃばんぜん詩集ししゅうじょ」)とかたられた。これはそのくちずさむことによって「音調おんちょう形態けいたいとは、精神せいしん不可思議ふかしぎ領域りょういきいて渾然こんぜん交感こうかん照応しょうおうしつつ、交響楽こうきょうがく力強ちからづよさを以って「喚起かんき魔術まじゅつ」を達成たっせいするのである。」、また特殊とくしゅ措辞そじ象形しょうけい文字もじ多用たようについては「古語こご廃語はいご俚語りご難語なんごも、一切いっさいが、旋律せんりつたくましい息吹いぶき協力きょうりょくする緊密きんみつな諧音と、かけがへのない和声わせいとなるのだ。」(齋藤さいとう磯雄いそお解説かいせつ[12])とひょうされた。

これらは「評論ひょうろん学的がくてき研究けんきゅうとこのみっつのジャンルにわたってそれぞれゆう一家いっか堂堂どうどうたる業績ぎょうせき」のざいが「うら緊密きんみつあい結合けつごうし、そうおぎなっている」(佐藤さとう正彰まさあき解説かいせつ」-『日夏ひなつ耿之介こうのすけ詩集ししゅう[13])とひょうされる。『轉身てんしんの頌』発表はっぴょうには、柳澤やなぎさわけん「マラルメよりももっと容易ようい奪取だっしゅできない城砦じょうさいを、霊魂れいこん劇場げきじょうを、所有しょゆうしている!」(読売新聞よみうりしんぶん)、堀口ほりぐち大學だいがくわたしおもす、あの有名ゆうめいなマラルメがエロヂアッドのいちせつなるつぎ詩句しくを<Qui C’est pour moi, que je fleuris…>」(『三田みた文学ぶんがく』9かん2ごう)など、ステファヌ・マラルメふうしてひょうされた[14]

視覚しかくてき要素ようその、審美しんびてき重要じゅうようせい」のために、活字かつじ形態けいたい繊細せんさいであり、「大文字おおもじ奢侈しゃししるしほん必要ひつようとする」など、ほん装幀そうていへのつよいこだわりもっていた[12]

日本にっぽん作家さっかでは、上田うえだ秋成あきなりもり鷗外幸田こうだ露伴ろはん樋口ひぐち一葉かずはいずみ鏡花きょうからをたか評価ひょうかしており、とく永井ながい荷風かふうについておおくの論考ろんこう[15]がある。また、昭和しょうわ初期しょきにおいて文壇ぶんだん大御所おおごしょ低俗ていぞくさを批判ひはんしたもの荷風かふう日夏ひなつ佐藤さとう春夫はるおの3にんのみだったと回想かいそうしている[16]。『明治めいじなみ文學ぶんがく』では、ヨーロッパのロマン主義しゅぎ文学ぶんがく発生はっせい系統けいとう比較ひかくして、日本にっぽん作品さくひん比較ひかく文学ぶんがくてき分析ぶんせきおこなっている。

澁澤しぶさわ龍彦たつひこは「西欧せいおう文明ぶんめいかくれたおおきなながれであるところの、世紀せいきまつデカダン文学ぶんがくやデモノロギア、神秘しんぴ主義しゅぎ思想しそう魔法まほうかんする前人未到ぜんじんみとう業績ぎょうせきのこされた」とべている[17]。また三島みしま由紀夫ゆきおは、1960ねんにワイルド『サロメ』の演出えんしゅつ上演じょうえんにあたり日夏ひなつやくいんきょくべい』をえらび、みずからの死後しごいち周忌しゅうき上演じょうえん演目えんもくにもこれを指定していしていた。

著作ちょさくほか

[編集へんしゅう]

たんちょ

[編集へんしゅう]
  • 轉身てんしんの頌 詩集ししゅう光風こうふうかん書店しょてん 1917ねんアルス増補ぞうほばん)1922ねん
  • 黒衣くろご聖母せいぼ 詩集ししゅう』アルス 1921ねん復刻ふっこく長野ながの郷土きょうど出版しゅっぱんしゃ、2000ねん
  • 古風こふうつき新潮社しんちょうしゃ現代げんだい詩人しじん叢書そうしょだい10へん) 1922ねん
  • 神秘しんぴ思想しそう近代詩きんだいし春秋しゅんじゅうしゃ 1924ねん
  • 詩壇しだん散歩さんぽしん詩壇しだんしゃ 1924ねん
  • ひとみじん閑語かんごこうしゃ 1925ねん随筆ずいひつしゅう
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけ定本ていほん詩集ししゅうだいいち書房しょぼうぜん3かん)1926-27ねん
    轉身てんしんの頌』『黒衣くろご聖母せいぼ』『ねむりじょう[18]長谷川はせがわきよし挿画そうが
  • 明治めいじ大正たいしょう詩史しし新潮社しんちょうしゃ上下じょうげ索引さくいん)1929ねん普及ふきゅうばん1936ねん
  • 明治めいじ文學ぶんがく襍考』あずさ書房しょぼう 1929ねん
  • 『咒文 詩集ししゅう私家版しかばん 1933ねん復刻ふっこく限定げんてい330冬至とうじ書房しょぼう、1965ねん
  • 日本にっぽん象徴しょうちょう研究けんきゅうたくみじんしゃ日本にっぽん現代げんだい研究けんきゅう〉 1933ねん
  • 殘夜ざんや焚艸ろく竹村たけむら書房しょぼう 1934ねん随筆ずいひつしゅう
  • やまいそうこう石川いしかわ道雄みちお 1935ねん歌集かしゅう
  • みぞ槀』野田のだ書房しょぼう 1937ねん句集くしゅう
  • 司祭しさい ジョン・キイツがオウドの創作そうさく心理しんり過程かてい研究けんきゅう三省堂さんせいどう 1939ねん博士はかせ論文ろんぶん
  • 『聴雪いおり小品しょうひん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1940ねん随筆ずいひつしゅう
  • えい吉利よしとしなみ象徴しょうちょうふう白水しろみずしゃ上下じょうげ) 1940-41ねん
  • 輓近ばんきんさんだい文學ぶんがくひんだい実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1940ねん復刻ふっこく日本にっぽん図書としょセンター「近代きんだい文芸ぶんげい評論ひょうろん叢書そうしょ」、1992ねん
  • ねむり文學ぶんがく随筆ずいひつもも書房しょぼう 1941ねん
  • 文學ぶんがく詩歌しか談義だんぎ実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1941ねん
  • 風塵ふうじん静寂しじまぶん櫻井さくらい書房しょぼう 1942ねん
  • ねむり零墨れいぼくようしょかく赤門あかもん書房しょぼう 1942ねん
  • 詩歌しか文章ぶんしょう雑談ざつだん実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1942ねん
  • たいびょう東峰とうほう書房しょぼう 1943ねんせき書院しょいん 1948ねん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけ選集せんしゅう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1943ねん
  • 文學ぶんがく講筵こうえん青年せいねん通信つうしんしゃ 1943ねん
  • 鴎外おうがい文學ぶんがく実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1944ねん復刻ふっこく日本にっぽん図書としょセンター「近代きんだい作家さっか研究けんきゅう叢書そうしょ」、1983ねん
  • 婆羅門ばらもん誹諧はいかいあきらもりしゃ 1944ねん句集くしゅう
  • 山居さんきょ讀書どくしょじん姫城ひめぎ書院しょいん 1946ねん随筆ずいひつしゅう
  • 鏡花きょうか藤村ふじむら龍之介りゅうのすけ そのほか』光文社こうぶんしゃ學藝がくげい選書せんしょ〉 1946ねん
  • 随筆ずいひつ あきくもせき書院しょいん 1947ねん
  • 文人ぶんじん畫風がふうせき書院しょいん 1947ねん歌集かしゅう
  • 『サバト恠異じょう早川書房はやかわしょぼう 1948ねん副題ふくだい『サバト大草おおくさ紙巻かみまきいち』)
  • 鴎外おうがい露伴ろはんそうもとしゃそうもと選書せんしょ〉 1949ねん
  • 日本にっぽん近代きんだい詩史ししろん角川書店かどかわしょてん 1949ねん
  • じゅうしるし 輓近ばんきんさんだい文學ぶんがくひんだい実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1949ねん
  • 明治めいじ大正たいしょう詩史しし 改訂かいてい増補ぞうほ東京とうきょうそうもとしゃ上中かみなか) 1948-49ねん新装しんそうばん1971ねん
  • 谷崎たにざき文學ぶんがく朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1950ねん復刻ふっこく日本にっぽん図書としょセンター「近代きんだい作家さっか研究けんきゅう叢書そうしょ」、1983ねん
  • 荷風かふう文學ぶんがく三笠みかさ書房しょぼう 1950ねん復刻ふっこく日本にっぽん図書としょセンター「近代きんだい作家さっか研究けんきゅう叢書そうしょ」、1984ねん
  • ははしのぶの朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1950ねん
  • 明治めいじ大正たいしょう詩人しじんよう書房しょぼうよう選書せんしょ〉 1950ねん
  • 明治めいじなみ文學ぶんがく中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1951ねん新装しんそうばん1968ねん・1978ねん
  • 明治めいじ大正たいしょう小説しょうせつ角川かどかわ文庫ぶんこ 1951ねん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけぜん詩集ししゅうつくもとしゃそうもと選書せんしょ〉 1952ねん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけ詩集ししゅう新潮しんちょう文庫ぶんこ 1953ねん復刊ふっかん1994ねん‐※詩集ししゅう4さつからの抜粋ばっすいばん
  • 明治めいじ大正たいしょう詩人しじん角川かどかわ文庫ぶんこ 1953ねん
  • 書齋しょさいなか嗟嘆さたん元々もともとしゃ民族みんぞく教養きょうよう新書しんしょ〉 1954ねん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけ詩集ししゅうつばめせきへん河出かわで書房しょぼう河出かわで文庫ぶんこ〉 1954ねん
  • 風雪ふうせつなか對話たいわ讀賣新聞社よみうりしんぶんしゃ讀賣よみうり新書しんしょ〉 1955ねん対話たいわ随筆ずいひつ
  • たけえだまち巷談こうだん的場まとば書房しょぼう 1955ねん自叙伝じじょでん
  • 日本にっぽん藝術げいじゅつがくはなし新樹あらきしゃ 1957ねん再版さいはん1972ねん
  • 随筆ずいひつしゅう 涓滴』市立しりつ飯田いいだ図書館としょかん 1968ねん限定げんていばん
  • ねむりせん大雅たいがどう 1970ねん限定げんていばん100
翻訳ほんやく
  • 全集ぜんしゅう1 ワイルド詩集ししゅう天祐てんゆうしゃ 1920ねんぜん5かん復刻ふっこく日本にっぽん図書としょセンター 1995ねん
  • 英国えいこく神秘しんぴ詩鈔ししょう』アルス 1922ねん
  • フランシス・グリアソン『近代きんだいしん秘説ひせつ新潮社しんちょうしゃ 1922ねんModern Misticism
  • いち阡壹よるたん世界せかい童話どうわ大系たいけい刊行かんこうかい 1925ねん
  • モンタギュー・サマーズ『吸血きゅうけつ妖魅こうたけ侠社 1931ねんThe Vampire in EuropeThe Vampire:His kith and Kin
    • 復刻ふっこく吸血きゅうけつ妖魅こう せい科学かがく全集ぜんしゅう11』クレス出版しゅっぱん、2009ねん
  • エドガー・アラン・ポーだいからす野田のだ書房しょぼう 1935ねん私家しかばん光昭みつあきかん 1936ねん
  • 魔法まほううま(アラビアンナイト)』山本やまもと文庫ぶんこ 1936ねん
  • うみひょうしゅう野田のだ書房しょぼう 1937ねん訳詩やくししゅう
  • オスカー・ワイルドいんきょく撒羅まい蘭台らんだいやまぼう 1937ねん角川かどかわ文庫ぶんこ 1954ねん
  • 『ポオしゅう洗心せんしん書林しょりん 1947ねん
    • 『ポオ詩集ししゅうそうもと選書せんしょ 1950ねん
  • 『ワイルドぜんそうもと選書せんしょ 1950ねん
  • 巴里ぱり幻想げんそうやく詩集ししゅう東京とうきょう限定げんていほん倶楽部くらぶ 1951ねん矢野目やのめげんいちじょう左門さもんともやく
  • 唐山からやま感情かんじょうしゅう彌生やよい書房しょぼう 1959ねん漢詩かんしやくしゅう
  • れいようしゅう 唐山からやま感情かんじょうしゅう拾遺しゅうい大雅たいがほら 1960ねん限定げんていばん75うればん25

おも編著へんちょ

[編集へんしゅう]
  • 『アラビアンナイト』(ぜん6かん春陽しゅんようどう 1932ねん
  • 貞心ていしんしょう私家版しかばん 1939ねんはは以志の歌集かしゅう
  • 吉江よしえ喬松たかまつ追悼ついとう記念きねん文集ぶんしゅう 寂光じゃっこうしゅうもも書房しょぼう 1941ねん
  • 近代きんだいえいべい詩集ししゅう小山こやま書店しょてん小山こやま文庫ぶんこ〉1949ねん
  • 『バイロン詩集ししゅう三笠みかさ書房しょぼう 1949-51ねん監修かんしゅうぜん3かん
  • 東西とうざい古今ここんしゅうたけなわとうしゃ詩人しじん全書ぜんしょ〉1950ねん
  • 薄田うすだ泣菫きゅうきん しろひつじみやたけなわとうしゃ詩人しじん全書ぜんしょ〉1950ねん
  • 近代きんだい日本にっぽん詩集ししゅう弘文こうぶんどう〈アテネ文庫ぶんこ〉1951ねん
  • 日本にっぽん現代げんだい大系たいけい河出かわで書房しょぼう監修かんしゅうぜん10かん)1950ねん復刊ふっかん1974ねんだい2・3かん浪漫ろうまん」を担当たんとう
  • 明治めいじ大正たいしょうしんせん』(うえしたそうもとしゃそうもと選書せんしょ〉1950ねん
  • めい名譯めいやくそうもとしゃそうもと選書せんしょ〉1951ねん共編きょうへん新装しんそうばん再刊さいかん
  • 『イギリス抒情詩じょじょうししゅう河出かわで書房しょぼう 1952ねん世界せかい抒情詩じょじょうしせん
  • 『アメリカ抒情詩じょじょうししゅう河出かわで書房しょぼう 1953ねん世界せかい抒情詩じょじょうしせん
  • 萬葉まんよう集大成しゅうたいせい平凡社へいぼんしゃぜん22かん) 1954-55ねん復刊ふっかん1986ねん
    • 萬葉まんよう比較ひかく文學ぶんがくてきフィールド・ワアク』、だい7かん収録しゅうろく
    • 萬葉まんよう美学びがく』、だい20かん収録しゅうろく
  • 上田うえださとし詩集ししゅう弘文こうぶんどう〈アテネ文庫ぶんこ〉1954ねん
  • 木下きのした杢太郎もくたろう詩集ししゅう弘文こうぶんどう〈アテネ文庫ぶんこ〉1954ねん
  • 薄田うすだ泣菫きゅうきん詩集ししゅう新潮しんちょう文庫ぶんこ 1955ねん
  • 東西とうざい詩抄ししょう元々もともとしゃ民族みんぞく教養きょうよう新書しんしょ〉1956ねん

没後ぼつご刊行かんこう

[編集へんしゅう]
  1. 詩集ししゅう
  2. 譯詩やくし翻譯ほんやく
  3. 明治めいじ大正たいしょう詩史しし
  4. 日本にっぽん文學ぶんがく
  5. 作家さっかろん
  6. 司祭しさい
  7. 外國がいこく文學ぶんがく
  8. 随筆ずいひつ創作そうさく
わけちょ没後ぼつご
  • 画集がしゅう だいからすエドガー・アラン・ポーギュスターヴ・ドレ薔薇ばらじゅうしゃ、1972ねん出帆しゅっぱんしゃ、1975ねん
  • いんきょく 撒羅まいオスカー・ワイルドひがし出版しゅっぱん限定げんていばん1975ねん、1977ねんオオブリ・ビアズレイ
  • サロメ』 ワイルド、おご霸都だて、1977ねん。アラステア挿絵さしえ
  • 『スフィンクス』 ワイルド、おご霸都かん、1983ねん。アラステア挿絵さしえ限定げんていばん
  • 吸血きゅうけつ妖魅こうモンタギュー・サマーズまき神社じんじゃ、1976ねんちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2003ねん
  • 近代きんだいしん秘説ひせつ づけ神秘しんぴ思想しそう近代詩きんだいし』 フランシス・グリーアスン、まき神社じんじゃ、1977ねんきたそうしゃ復刻ふっこくばん)、1996ねん
  • 『ポオ詩集ししゅう、サロメ』 講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ、1995ねん解説かいせつ窪田くぼた般彌、作家さっか案内あんない井村いむら君江きみえ
  • 『ワイルドぜん』 オスカー・ワイルド、講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ、1995ねん解説かいせつ窪田くぼた般彌
  • だいからす』 エドガー・アラン・ポー、沖積舎ちゅうせきしゃ、2005ねん新版しんぱん2018ねん
  • いんきょく サロメ』 ワイルド、沖積舎ちゅうせきしゃ、2004ねん
  • 巴里ぱり幻想げんそうやく詩集ししゅう国書刊行会こくしょかんこうかい新装しんそうばん)、2008ねん

回想かいそう評伝ひょうでん目録もくろく

[編集へんしゅう]
  • 詩人しじん日夏ひなつ耿之介こうのすけ』(ねむりかいへん新樹あらきしゃ、1972ねん)。追悼ついとう文集ぶんしゅう島田しまだ謹二きんじひとしによりまれた
  • 井村いむら君江きみえ日夏ひなつ耿之介こうのすけ世界せかい』(国書刊行会こくしょかんこうかい、2015ねん)。門下生もんかせいによる評伝ひょうでん公開こうかい写真しゃしん多数たすう収録しゅうろく
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけコレクション目録もくろくI - 遺愛いあい書画しょがへん』(飯田いいだ美術びじゅつ博物館はくぶつかん、1999ねん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけコレクション目録もくろくⅡ - 書簡しょかんへん』(どう、2010ねん)。日夏ひなつ耿之介こうのすけあて書簡しょかん
  • 日夏ひなつ耿之介こうのすけコレクション目録もくろくⅢ - 自筆じひつ書画しょがへん』(どう、2016ねん

作詞さくし

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 日夏ひなつ耿之介こうのすけ記念きねんかん 飯田いいだ美術びじゅつ博物館はくぶつかん 2023ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ 戸籍こせき謄本とうほんでは「くにとう」ととどけられている。(井村いむら君江きみえ日夏ひなつ耿之介こうのすけ年譜ねんぷ」『ほん手帖てちょう』1968ねん11がつごう
  3. ^ 井村いむら君江きみえ解説かいせつ(『日夏ひなつ耿之介こうのすけ文集ぶんしゅう』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2004ねん
  4. ^ 吉江よしえ喬松たかまつ博士はかせ自分じぶん」(『日夏ひなつ耿之介こうのすけ文集ぶんしゅう』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  5. ^ 富士川ふじかわ英郎ひでお鎌倉かまくら二人ふたり詩人しじん」『ほん手帖てちょう』「特集とくしゅう 日夏ひなつ耿之介こうのすけ」1968ねん11がつごう
  6. ^ 富士川ふじかわ義之よしゆき解説かいせつ(『荷風かふう文学ぶんがく平凡社へいぼんしゃライブラリー、2005ねん
  7. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1988ねん7がつ15にち
  8. ^ 鈴木すずき信太郎しんたろう素白そはく私語しご」『ほん手帖てちょう』1968ねん11がつごう
  9. ^ 杢太郎もくたろう情調じょうちょう」(『日夏ひなつ耿之介こうのすけ文集ぶんしゅう』ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ
  10. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1952ねん3がつ26にち東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう夕刊ゆうかん、2ぺーじ
  11. ^ 洋書ようしょ1678さつ蔵書ぞうしょは、飯田いいだ愛宕あたご神社じんじゃちかくの「眠草ねむりぐさどう書庫しょこ」に所蔵しょぞう
  12. ^ a b 齋藤さいとう磯雄いそお日夏ひなつ耿之介こうのすけろん-技法ぎほうたましい」(『現代げんだい日本にっぽん文學ぶんがく大系たいけい 12』筑摩書房ちくましょぼう 1971ねん)、のち『著作ちょさくしゅうⅠ』東京とうきょうそうもとしゃ
  13. ^ 新潮しんちょう文庫ぶんこ、1953ねん思潮しちょうしゃ現代げんだい詩文しぶんさいろく
  14. ^ 井村いむら君江きみえ「『轉身てんしんの頌』じょ意味いみするもの」『ほん手帖てちょう』1968ねん11がつごう
  15. ^ 永井ながい荷風かふうとその時代じだい」(『荷風かふう文学ぶんがく』)
  16. ^ 荷風かふう文学ぶんがく補註ほちゅう」(『荷風かふう文学ぶんがく』)
  17. ^ 日夏ひなつ耿之介こうのすけ全集ぜんしゅう広告こうこくパンフレット「かねまぼろしゆめがれ・・・」(『朝日新聞あさひしんぶん』1991ねん12月12にち井村いむら君江きみえ日夏ひなつ耿之介こうのすけ全集ぜんしゅう復刻ふっこく」)
  18. ^ 現代げんだい詩人しじん全集ぜんしゅう だい7かん新潮社しんちょうしゃ 1930ねんに、2だんぐみで『ねむりじょう』『黒衣くろご聖母せいぼ』『轉身てんしんの頌』(じゅんに)収録しゅうろく

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]