(Translated by https://www.hiragana.jp/)
平林たい子 - Wikipedia コンテンツにスキップ

平林ひらばやしたい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
平林ひらばやし たい
(ひらばやし たいこ)
主婦しゅふ生活社せいかつしゃ主婦しゅふ生活せいかつ』5がつごう(1960)より
誕生たんじょう 1905ねん10月3にち
長野ながのけん諏訪すわぐん中洲なかずむらげん:諏訪すわ
死没しぼつ (1972-02-17) 1972ねん2がつ17にち(66さいぼつ
東京とうきょう新宿しんじゅく信濃しなのまち慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく病院びょういん
墓地ぼち 長野ながのけん諏訪すわ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 長野ながのけん諏訪すわよう高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう
活動かつどう期間きかん 1927ねん - 1972ねん
ジャンル 小説しょうせつ
文学ぶんがく活動かつどう 無頼ぶらい転向てんこう文学ぶんがく
代表だいひょうさく施療せりょうしつにて』(1927ねん
『かういふおんな』(1946ねん
地底ちていうた』(1948ねん
砂漠さばくはな』(1955ねん - 1957ねん
秘密ひみつ』(1967ねん
宮本みやもと百合子ゆりこ』(1972ねん
おも受賞じゅしょうれき 女流じょりゅう文学ぶんがくしゃしょう(1946ねん
女流じょりゅう文学ぶんがくしょう(1967ねん
日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう恩賜おんししょう(1972ねん没後ぼつご
デビューさくあざける』(1927ねん
配偶はいぐうしゃ 小堀こぼり甚二じんじ1927ねん - 1955ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
テンプレートを表示ひょうじ

平林ひらばやし たい(ひらばやし たいこ、1905ねん明治めいじ38ねん10月3にち - 1972ねん昭和しょうわ47ねん2がつ17にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ本名ほんみょうタイ

しょく転々てんてんとしながら、同棲どうせい離別りべつ検挙けんきょ生活せいかつ破綻はたん中国ちゅうごく大陸たいりく朝鮮ちょうせんでの放浪ほうろうなどをて、その体験たいけんから『あざける』『施療せりょうしつにて』を発表はっぴょうプロレタリア作家さっかとして出発しゅっぱつした。戦後せんご反共はんきょう姿勢しせいつよめ、晩年ばんねん難病なんびょうくるしんだが、社会しゃかい人生じんせい不条理ふじょうりたくましい筆致ひっちえがいた作品さくひんられた。没後ぼつご日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう恩賜おんししょうけ、平林ひらばやしたい文学ぶんがくしょう設定せっていされた。

生涯しょうがい

[ソースを編集へんしゅう]

現在げんざい長野ながのけん諏訪すわきゅう諏訪すわぐん中洲なかずむら出身しゅっしんまずしい農家のうかまれ、12さいころロシア文学ぶんがくんだことがきっかけで作家さっかになることを決心けっしんし、上諏訪かみすわ町立ちょうりつ諏訪すわ高等こうとう女学校じょがっこう現在げんざい長野ながのけん諏訪すわよう高等こうとう学校がっこう)に首席しゅせき入学にゅうがくこうおんな時代じだい社会しゃかい主義しゅぎ関心かんしんはじめ、同校どうこう卒業そつぎょう上京じょうきょうして交換こうかんしゅ見習みならいとしてはたらはじめ、アナーキスト山本やまもと虎三とらぞう同棲どうせい山本やまもとあねたよって朝鮮ちょうせんわたるが、1ヶ月かげつ帰国きこく関東大震災かんとうだいしんさい直後ちょくごのどさくさのなか検挙けんきょされ、東京とうきょうからはなれることを条件じょうけん釈放しゃくほうされる。結局けっきょく日本にっぽんでは生活せいかつできなかったため山本やまもとあにがいた満州まんしゅうき、大連たいれん病院びょういん出産しゅっさんするが、この女児じょじ栄養えいよう不足ふそくのため、まれてわずか24にち死亡しぼうした。不敬ふけいざい投獄とうごくされた山本やまもとのこして帰国きこくし、満州まんしゅう生活せいかつえがいた小説しょうせつげすてよ!』執筆しっぴつ[1]労農ろうのう芸術げいじゅつ連盟れんめいぞくし、その体験たいけんもとづく『施療せりょうしつにて』でプロレタリア作家さっかとしてみとめられる。1927ねん昭和しょうわ2ねん小堀こぼり甚二じんじ見合みあ結婚けっこん1955ねん昭和しょうわ30ねん)、小堀こぼりかくがいたことが判明はんめいしたため離婚りこんしている)。

1947ねん昭和しょうわ22ねん)『かういふおんな』(『展望てんぼう』1946ねん10がつ)でだい1かい女流じょりゅう文学ぶんがくしゃしょう受賞じゅしょうした。

竹山たけやま恒寿つねとし中央ちゅうおう)と平林ひらばやしたいアサヒグラフ』 1954ねん新年しんねんごう 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ

戦後せんごは、転向てんこう文学ぶんがく代表だいひょうてき作家さっかともわれ、政治せいじてきにも民社党みんしゃとう結党けっとう当初とうしょから支持しじするなど反共はんきょう右派うはいろつよめていった。さら保守ほしゅけい言論げんろんじん団体だんたいである日本にっぽん文化ぶんかフォーラム言論げんろんじん懇話こんわかいにも参加さんかしている。 1958ねんソ連それん政府せいふボリス・パステルナークノーベル文学ぶんがくしょう授与じゅよ辞退じたいさせたさい日本にっぽんペンクラブふく会長かいちょう青野あおの季吉すえきちら)のソ連それん政府せいふよりの姿勢しせいを、平林ひらばやしエドワード・G・サイデンステッカーらととも批判ひはんした[2]

週刊文春しゅうかんぶんしゅん』 1959ねん12月14にちごう 文春ぶんしゅん歌舞伎かぶき京鹿子きょうがのこ娘道成寺むすめどうじょうじ』のいち場面ばめんみぎから、加藤かとう芳郎よしお平岩ひらいわ弓枝ゆみえ小山こやまいとしば好子よしこ五味ごみ康祐こうすけ平林ひらばやしたい森田もりたたま

松本まつもと清張せいちょうについて、複数ふくすう助手じょしゅ作家さっか使つかった工房こうぼう形式けいしき作品さくひんつくっているのではないか、と韓国かんこく雑誌ざっし思想しそうかい』で指摘してきした。これにたい松本まつもとは、『日本にっぽん読者どくしゃ新聞しんぶん』において反論はんろんしている。 また『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう1963ねん昭和しょうわ38ねん)7がつごう掲載けいさいされた対談たいだんでの発言はつげんについて、創価学会そうかがっかいから組織そしきてきともえる抗議こうぎけている(なお、この対談たいだんでは藤原ふじわらひろしたち出席しゅっせきしており同様どうよう藤原ふじわら抗議こうぎけた)。

平林ひらばやし作品さくひんは、どう時代じだい文学ぶんがくしゃ平林ひらばやし自身じしんをモデルに創作そうさくされた小説しょうせつのほか、社会しゃかい時評じひょう随筆ずいひつなど多岐たきにわたる。戦時せんじちゅう博徒ばくと石黒いしぐろ政一まさかずたすけられたことでヤクザ世界せかい興味きょうみち、『くろさつ』、『地底ちていうた』、『なぐられるあいつ』などの任侠にんきょう小説しょうせついた。

1967ねん昭和しょうわ42ねん)『秘密ひみつ』でだい7かい女流じょりゅう文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう

1972ねん昭和しょうわ47ねん)2がつ17にち急性きゅうせい肺炎はいえんのため慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく病院びょういん死去しきょ[3]没後ぼつご日本にっぽん芸術げいじゅついんしょう恩賜おんししょう(1972ねん)をおくられ[4]遺言ゆいごんにより「平林ひらばやしたい文学ぶんがくしょう」が創設そうせつされた。

記念きねんかんなど

[ソースを編集へんしゅう]
平林ひらばやしたい記念きねんかん長野ながのけん諏訪すわ

諏訪すわ福島ふくしまに「平林ひらばやしたい記念きねんかん」がある[5]

  • 開館かいかん日曜日にちようびのみ。(つき土曜日どようびは ※予約よやくがあれば開館かいかんする場合ばあいあり)
  • 開館かいかん時間じかん、9:00-16:00入館にゅうかんりょう無料むりょう
  • おも収蔵しゅうぞうひん遺品いひん平林ひらばやしたい自筆じひつ原稿げんこう

諏訪すわ図書館としょかん2かい郷土きょうど資料しりょうコーナーには、遺族いぞくからおくられた蔵書ぞうしょやく4,000さつおさめられた平林ひらばやし記念きねん文庫ぶんこがある。

宇野うの千代ちよとの交流こうりゅう

[ソースを編集へんしゅう]

作風さくふうまったちがうが、宇野うの千代ちよへのおもれはつよく、宇野うの着物きものみせ常連じょうれんきゃくでありつづけ、宇野うの事業じぎょう失敗しっぱいしたさいにも、宇野うのたのまれるまま、だまって20まんえん現在げんざいの500まんえん相当そうとう)をしている[6]。しかし、宇野うの執筆しっぴつより事業じぎょう熱心ねっしんであることに不満ふまんっており、その執筆しっぴつ態度たいど趣味しゅみてきであると批判ひはんてきだった[7]

作品さくひんリスト

[ソースを編集へんしゅう]
  • 施療せりょうしつにて 平林ひらばやしたい短篇たんぺんしゅう文芸ぶんげい戦線せんせんしゃ出版しゅっぱん 1928
  • なぐる』改造かいぞうしゃ 1929
  • 敷設ふせつ列車れっしゃ日本にっぽんプロレタリア傑作けっさく選集せんしゅう 日本にっぽん評論ひょうろんしゃ 1929
  • 耕地こうち新鋭しんえい文学ぶんがく叢書そうしょ 改造かいぞうしゃ 1930
  • 石鹸せっけん工場こうじょう同志どうし鹽川しおかわ書房しょぼう プロレタリア前衛ぜんえい小説しょうせつ戯曲ぎきょくしん選集せんしゅう 1930
  • 花子はなこ結婚けっこんけいまつどう 1933
  • かなしき愛情あいじょう』ナウカしゃ 1935
  • 『かういふおんな筑摩書房ちくましょぼう 1947 のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • わたしきる』板垣いたがき書店しょてん 1947 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 人生じんせい実験じっけん八雲やくも書店しょてん 1948
  • おんな親分おやぶん 7へん青々あおあおどう出版しゅっぱん 1949
  • 『たい日記にっきしょう板垣いたがき書店しょてん 1949
  • 地底ちていうた文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1949 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • のいのち』文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1949
  • 栄誉えいよ夫人ふじん東京とうきょう文庫ぶんこ 1950 - 園田そのだたかしひかりこうをモデルとした小説しょうせつのち平林ひらばやし小説しょうせつ新潮しんちょう編集へんしゅうちょう東京とうきょう文庫ぶんこ発行はっこう責任せきにんしゃらが名誉めいよ棄損きそんうったえられる[8]
  • 情熱じょうねつ紀行きこうだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1950
  • はるのめざめ』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1950
  • ゆめみるおんな六興ろっこう出版しゅっぱんしゃ 1950
  • ほのおあいみなと書房しょぼう 1951
  • 夫婦ふうふめぐり』主婦しゅふともしゃ 1952
  • 愛情あいじょう旅行りょこう新潮社しんちょうしゃ 1953 のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 桃色ももいろむすめ読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1953
  • われるおんな毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1954
  • 『うつむくおんな新潮社しんちょうしゃ 1956 のち文庫ぶんこ
  • おんなひとり』だい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ ロマン・ブックス 1956
  • おんなにん近代きんだい生活せいかつしゃ 近代きんだい生活せいかつ新書しんしょ 1956
  • なぐられるあいつ』文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1956
  • あいあらば』弥生やよい書房しょぼう 1957
  • おんなだれのためにきる』村山むらやま書店しょてん 1957
  • 砂漠さばくはな光文社こうぶんしゃ 1957
  • つまうたう』毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1957 のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • ほのおおんな 妲妃のおひゃく花井はないうめ高橋たかはしでん新潮社しんちょうしゃ 1958
  • 『にくまれ問答もんどう光文社こうぶんしゃカッパ・ブックス 1959
  • あいかなしみのとき文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1960
  • おとこたち』新潮社しんちょうしゃ 1960
  • 自伝じでんてき交友こうゆうろく実感じっかんてき作家さっかろん文芸春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1960
  • 情熱じょうねつ講談社こうだんしゃ 1960
  • 『ソヴィエト文学ぶんがく悲劇ひげき パステルナーク研究けんきゅうへん 思潮しちょうしゃ 1960
  • 豊満ほうまん聖女せいじょ角川書店かどかわしょてん 1960
  • 不毛ふもう講談社こうだんしゃ 1962
  • 現代げんだい貞女ていじょ講談社こうだんしゃ 1965
  • あいまぼろし講談社こうだんしゃ 1966
  • 真昼まひる妖術ようじゅつ』サンケイ新聞しんぶん出版しゅっぱんきょく 1967
  • 作家さっかのとじいと芳賀はが書店しょてん 1968
  • 秘密ひみつ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1968
  • てつなげき』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1969
  • はやし芙美子ふみこ新潮社しんちょうしゃ 1969
  • 平林ひらばやしたい自選じせん作品さくひん 現代げんだい女流じょりゅう作家さっか二見ふたみ書房しょぼう 1972
  • 宮本みやもと百合子ゆりこ文芸春秋ぶんげいしゅんじゅう 1972
  • 平林ひらばやしたい全集ぜんしゅうぜん12かん 潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1976-79
  • 『こういうおんな施療せりょうしつにて』講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 1996
  • はやし芙美子ふみこ /宮本みやもと百合子ゆりこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ、2003
  • 平林ひらばやしたい毒婦どくふ小説しょうせつしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2006

映画えいが作品さくひん

[ソースを編集へんしゅう]

参考さんこう書籍しょせき

[ソースを編集へんしゅう]

関連かんれん書籍しょせき

[ソースを編集へんしゅう]
  • 小堀こぼり甚二じんじ小説しょうせつ 妖怪ようかいた』角川書店かどかわしょてん 1959
  • 阿部あべ浪子なみこへん人物じんぶつ書誌しょし大系たいけい 平林ひらばやしたい日外にちがいアソシエーツ 1985
  • 阿部あべ浪子なみこ平林ひらばやしたい はなを』武蔵野むさしの書房しょぼう 1986
  • 村野むらの民子たみこ沙漠さばく平林ひらばやしたいわたし武蔵野むさしの書房しょぼう 1991
  • 中山なかやま和子かずこ平林ひらばやしたいしんてんしゃ 女性じょせい作家さっか評伝ひょうでんシリーズ 1999

脚注きゃくちゅう

[ソースを編集へんしゅう]
  1. ^ 西荘にしのしょう平林ひらばやしたい施療せりょうしつにて」ろん : 喪失そうしつされる子供こども視点してんから」『福岡女学院大学ふくおかじょがくいんだいがく紀要きよう. 人文学部じんぶんがくぶへんだい15かん福岡女学院大学ふくおかじょがくいんだいがく人文学部じんぶんがくぶ、2005ねん2がつ、97-114ぺーじCRID 1050282812579524992hdl:11470/446ISSN 13492136 
  2. ^ エドワード・G・サイデンステッカー日本にっぽんとの50ねん戦争せんそう―ひと・くに・ことば」(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ)P.211
  3. ^ 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)277ぺーじ
  4. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1972ねん4がつ12にち東京とうきょう本社ほんしゃ発行はっこう朝刊ちょうかん、23ぺーじ
  5. ^ コトバンク日本にっぽん美術館びじゅつかん博物館はくぶつかんINDEX平林ひらばやしたい記念きねんかんとは 参照さんしょう
  6. ^ 岡田おかだ秀子ひでこ意識いしき近代きんだい文学ぶんがく(3) なま表現ひょうげん」『法政大学ほうせいだいがく教養きょうよう紀要きよう. 人文じんぶん科学かがくへん= 法政大学ほうせいだいがく教養きょうよう紀要きよう. 人文じんぶん科学かがくへんだい54かん法政大学ほうせいだいがく教養きょうよう、1985ねん1がつ、27-47ぺーじCRID 1390290699803426560doi:10.15002/00005331hdl:10114/4444ISSN 0288-2388 
  7. ^ カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「宇野うの千代ちよ」(1)
  8. ^ てんこうこう女子じょしおこ栄誉えいよ夫人ふじん筆者ひっしゃらを告訴こくそ」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん昭和しょうわ25ねん12月12にち

関連かんれん項目こうもく

[ソースを編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[ソースを編集へんしゅう]