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平田ひらたオリザ

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平田ひらた オリザ
(ひらた オリザ)
誕生たんじょう (1962-11-08) 1962ねん11月8にち(61さい
日本の旗 東京とうきょう
職業しょくぎょう げき作家さっか演出えんしゅつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
活動かつどう期間きかん 1981ねん -
代表だいひょうさく東京とうきょうノート』(1995ねん
ソウル市民しみんさんさく(1989ねん - 2006ねん
まくがる』(2012ねん
おも受賞じゅしょうれき 岸田きしだ國士くにお戯曲ぎきょくしょう(1995ねん
読売よみうり演劇えんげき大賞たいしょう優秀ゆうしゅう演出えんしゅつしょう(1998ねん
読売よみうり演劇えんげき大賞たいしょう優秀ゆうしゅう作品さくひんしょう(2002ねん
モンブラン国際こくさい文化ぶんかしょう(2006ねん
親族しんぞく 平田ひらた内蔵ないぞうきち祖父そふ
平田ひらたみのるせいちち
平田ひらた慶子けいこはは
筒井つつい広志ひろし岳父がくふ
大林おおばやし宣彦のぶひこ叔父おじ
平田ひらたひろしさいしたがえ伯父おじ
平田ひらた晋策しんさく大叔父おおおじ
公式こうしきサイト welcome to seinendan site
ウィキポータル 文学ぶんがく
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平田ひらた オリザ(ひらた オリザ、1962ねん11月8にち - )は、日本にっぽんげき作家さっか演出えんしゅつ劇団げきだん青年せいねんだん主宰しゅさいこまばアゴラ劇場げきじょう支配人しはいにん芸術げいじゅつ文化ぶんか観光かんこう専門せんもんしょく大学だいがく学長がくちょう初代しょだい)。戯曲ぎきょく代表だいひょうさくに『東京とうきょうノート』『ソウル市民しみんさんさくなど。小説しょうせつまくがる』は2015ねん映画えいがされ、だい70かい毎日まいにち映画えいがコンクール(TSUTAYA映画えいがファンしょう日本にっぽん映画えいが部門ぶもん)などを受賞じゅしょう[1]

現代げんだい口語こうご演劇えんげき理論りろん提唱ていしょうしゃであり、自然しぜん会話かいわとやりとりで進行しんこうしていく「しずかな演劇えんげき」のさくげきじゅつ定着ていちゃくさせた[2]戯曲ぎきょくしゅうのほか『現代げんだい口語こうご演劇えんげきのために』など理論りろんてき著書ちょしょおおい。

現在げんざい東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがくアートイノベーションセンターとくにん教授きょうじゅ四国学院大学しこくがくいんだいがく客員きゃくいん教授きょうじゅ学長がくちょう特別とくべつ補佐ほさ京都きょうと文教大学ぶんきょうだいがく臨床りんしょうこころ理学部りがくぶ客員きゃくいん教授きょうじゅ大阪大学おおさかだいがくコミュニケーションデザインセンター客員きゃくいん教授きょうじゅ東京都立大学とうきょうとりつだいがく客員きゃくいん教授きょうじゅシューレ大学だいがくアドバイザー、日本にっぽんげき作家さっか協会きょうかい理事りじ、NPO法人ほうじんワークショップデザイナー推進すいしん機構きこう理事りじ日本にっぽん学術がくじゅつ会議かいぎ委員いいんつとめる。

祖父そふ医師いし平田ひらた内蔵ないぞうきちちちシナリオライター平田ひらたみのるせいはは心理しんりカウンセラー平田ひらた慶子けいこ父方ちちかた大叔父おおおじに『しん戦艦せんかんだか千穂ちほ』の著者ちょしゃである平田ひらた晋策しんさく母方ははかた叔父おじ映画えいが監督かんとく大林おおばやし宣彦のぶひこ[3]がいる。歌手かしゅ舞台ぶたい女優じょゆうのひらたよーこと1989ねん結婚けっこんしたが、2011ねん離婚りこん。2013ねん団員だんいん渡辺わたなべ香奈かな再婚さいこん[4][5]。2017ねん12月7にち青年せいねんだん公演こうえん「さよならだけが人生じんせいか」の記者きしゃ会見かいけんで、55さい自身じしんにはじめての子供こども誕生たんじょうしたと発表はっぴょうした[6]

経歴けいれき

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東京とうきょう目黒めぐろ駒場こまばまれる。平田ひらたオリザ本名ほんみょうで、ラテン語らてんごのoryza(正確せいかく発音はつおんは「オリューザ」にちかい)が「いね」を意味いみすることから、オリザのちち平田ひらたみのるせいによって「どもがいっぱぐれないように」とのねがいをこめてつけられた。目黒めぐろ区立くりつだいいち中学校ちゅうがっこう1年生ねんせいのときに学芸がくげいかいげきはじめて演出えんしゅつし、そのとき主演しゅえんデーモン閣下かっかであった。中学ちゅうがく卒業そつぎょうして都立とりつ駒場こまんば高校こうこう定時ていじせい進学しんがく高校こうこう2ねん、16さいのときに高校こうこう休学きゅうがく(のち中退ちゅうたい)し、自転車じてんしゃによる世界せかい一周いっしゅう旅行りょこう決行けっこう。その世界せかい26かこく放浪ほうろうし、1981ねん旅行りょこうじゅうろくさいのオリザのいまだかつてためしのない勇気ゆうき到達とうたつした最後さいごてんと、到達とうたつしえた極限きょくげんとをあきらかにして、上々じょうじょう首尾しゅびにいたった世界せかい一周いっしゅう自転車じてんしゃ旅行りょこう冒険ぼうけんをしるすほん』(ばんこえしゃ)として出版しゅっぱんしている。

大学だいがく入学にゅうがく資格しかく検定けんてい試験しけんて1982ねん国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく入学にゅうがく同年どうねん処女しょじょさく執筆しっぴつ翌年よくねん劇団げきだん青年せいねんだん結成けっせい。1984ねん国際こくさい教育きょういく基金ききん奨学しょうがくきんにより韓国かんこく延世大えんせいだいがくに1年間ねんかん公費こうひ留学りゅうがくする。1986ねん国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく教養きょうよう学部がくぶ人文じんぶん科学かがく卒業そつぎょう。そのすぐ父親ちちおや自宅じたく改装かいそう借金しゃっきんをしてつくったこまばアゴラ劇場げきじょう劇場げきじょう経営けいえいしゃになる。1994ねん代表だいひょうさく東京とうきょうノート初演しょえんどう作品さくひん翌年よくねんだい39かい岸田きしだ國士くにお戯曲ぎきょくしょう受賞じゅしょうどうさくは1999ねん韓国かんこく公演こうえん以来いらい青年せいねんだんにより世界せかい15カ国かこく海外かいがい公演こうえんされている。そのは1998ねんに『つきみさき』で読売よみうり演劇えんげき大賞たいしょう優秀ゆうしゅう演出えんしゅつしょう、2002ねん上野動物園うえのどうぶつえん再々さいさい襲撃しゅうげき』でどう優秀ゆうしゅう作品さくひんしょう、およびにち韓国かんこくみん交流こうりゅう記念きねん事業じぎょう『そのかわをこえて、五月ごがつ』で朝日あさひ舞台ぶたい芸術げいじゅつしょうグランプリ、2006ねんモンブラン国際こくさい文化ぶんかしょう受賞じゅしょう。2011ねんにフランスの芸術げいじゅつ文化ぶんか勲章くんしょうシュヴァリエにじょされる[7]。2012ねん平田ひらたオリザと青年せいねんだん焦点しょうてんてたそう田和たわひろし監督かんとくによる長編ちょうへんドキュメンタリー映画えいが演劇えんげき1』『演劇えんげき2』が釜山ぷさん国際こくさい映画えいがさいでワールド・プレミアされ、日本にっぽんでも劇場げきじょう公開こうかいされた。2019ねん、『日本にっぽん文学ぶんがく盛衰せいすい』でだい22かい鶴屋つるや南北なんぼく戯曲ぎきょくしょう受賞じゅしょう[8][9]

2012ねん執筆しっぴつした処女しょじょさくとなる小説しょうせつまくがる』は、2015ねんおどだい捜査そうさせんシリーズでられるほんこう克行かつゆき監督かんとくにより映画えいがされた(2がつ28にち公開こうかい)。これによって小説しょうせつにも注目ちゅうもくあつまり、平田ひらた作家さっか人生じんせいにおいてはつとなる累計るいけい10まんベストセラー(2015ねん2がつ現在げんざい)となった[10]

学識がくしきしゃとしての経歴けいれき

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その東京大学とうきょうだいがく教育きょういく学部がくぶ講師こうし早稲田大学わせだだいがく文学部ぶんがくぶ講師こうしなどを歴任れきにんしている。

現代げんだい口語こうご演劇えんげき理論りろん

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映像えいぞう外部がいぶリンク
まくがる』映画えいが予告編よこくへん - YouTube
げきちゅうげきとして『銀河ぎんが鉄道てつどうよる』がえんじられ、現代げんだい口語こうご演劇えんげき理論りろん反映はんえいされた舞台ぶたい演出えんしゅつがなされた。

芝居しばいがかったセリフではなく、日常にちじょうてきはな言葉ことば舞台ぶたい演出えんしゅつする方法ほうほう体系たいけいした理論りろんである。その手法しゅほうは、演劇えんげきかいおおきな影響えいきょうあたえた。

日本にっぽんにおける近代きんだい演劇えんげき(いわゆる新劇しんげき)は西洋せいよう演劇えんげき輸入ゆにゅう翻訳ほんやくにウェイトをいてはじまったものであり、戯曲ぎきょく創作そうさくまでもが西洋せいようてき論理ろんりのっとっておこなわれてきたのではないかと平田ひらた批判ひはんし、このためその日本にっぽん演劇えんげきは、日本語にほんごはなれた無理むりのある文体ぶんたい口調くちょう論理ろんり構成こうせいによっておこなわれ、またそれにリアリティをたせるため俳優はいゆう演技えんぎいがんだかたちになっていったのではないか、とかんがえた。これを改善かいぜんするために提唱ていしょうしたのが、現代げんだい口語こうご演劇えんげき理論りろんである[25]日本人にっぽんじん生活せいかつ基点きてん演劇えんげき見直みなおし、1980年代ねんだいしょう劇場げきじょうにおいてられた絶叫ぜっきょうがたげきたいして、「しずかな演劇えんげき」としょうされた1990年代ねんだいしょう劇場げきじょう演劇えんげきながれをつくった[25]

平田ひらた演劇えんげき外見がいけんてき特徴とくちょうとして「ときにききとれないようなぼそぼそしたこえしゃべる」「役者やくしゃ客席きゃくせきけてしゃべる」「複数ふくすうのカップルの会話かいわ同時どうじ進行しんこうする」(同時どうじ多発たはつ会話かいわ)などがげられる[25]。また、登場とうじょう人物じんぶつたちはただただ舞台ぶたいじょう淡々たんたん会話かいわつづけていく。これらはみな、「人間にんげん日常にちじょうはドラマティックな出来事できごと連続れんぞくではなく、しずかで淡々たんたんとした時間じかんおおくをめるが、人間にんげんのそのものの存在そんざい十分じゅうぶん劇的げきてきであり、おどろきにちている」という理念りねんからており、これまでのありのままの日本語にほんごから乖離かいりした演劇えんげき理論りろん見直みなおして、日本人にっぽんじんのあるべき自然しぜん言葉ことば舞台ぶたいじょうさい構築こうちくし、それをつめなおしていこうという意思いしめられている。このよう演劇えんげきスタイルを、なに公演こうえんかえされる舞台ぶたい安定あんていして実現じつげんするために、かん偶然ぐうぜんだけにたよらず、びょう単位たんいうごきを計算けいさんする手法しゅほうなどがとられる[26]俳優はいゆうについては「実験じっけん材料ざいりょう」「かんがえるこま」と表現ひょうげんしており、げき作家さっか演出えんしゅつ創作そうさく方法ほうほう様式ようしきふか理解りかいしてもらったうえで身体しんたいてき再現さいげんすることを要求ようきゅうする[27]

2000年代ねんだい以降いこう現代げんだい口語こうご演劇えんげき理論りろん消化しょうか発展はってんさせた次世代じせだいげき作家さっかたちが登場とうじょうし、とくチェルフィッチュ岡田おかだとしぶんまわしは「ちょう口語こうご演劇えんげき」としょうされた[28]

著書ちょしょ関連かんれん書籍しょせき

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戯曲ぎきょく

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  • 東京とうきょうノート・S高原こうげんから 戯曲ぎきょくしゅう1』(1995ねん ばんこえしゃ のちハヤカワ文庫ぶんこ
  • 転校生てんこうせい 戯曲ぎきょくしゅう2』(1995ねん ばんこえしゃ
  • 火宅かたく修羅しゅらか・暗愚あんぐ小伝しょうでん-平田ひらたオリザ戯曲ぎきょくしゅう〈3〉』(1996ねん ばんこえしゃ
  • みなみへ・さよならだけが人生じんせいか-平田ひらたオリザ戯曲ぎきょくしゅう〈4〉』(2000ねん ばんこえしゃ
  • 『バルカン動物どうぶつえん』(2001ねん ENBU研究所けんきゅうじょ
  • 冒険ぼうけんおう』(2001ねん ENBU研究所けんきゅうじょ

小説しょうせつ

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評論ひょうろん

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  • じゅうろくさいのオリザのいまだかつてためしのない勇気ゆうき到達とうたつした最後さいごてんと、到達とうたつしえた極限きょくげんとをあきらかにして、上々じょうじょう首尾しゅびにいたった世界せかい一周いっしゅう自転車じてんしゃ旅行りょこう冒険ぼうけんをしるすほんばんこえしゃ 1981ねん[29] のち『じゅうろくさいのオリザの冒険ぼうけんをしるすほん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 受験じゅけんくにのオリザ』ばんこえしゃ 1983ねん
  • 道路どうろ劇場げきじょう、バヌアツへく』ばんこえしゃ 1992ねん
  • 平田ひらたオリザの仕事しごと〈1〉現代げんだい口語こうご演劇えんげきのために』ばんこえしゃ 1995ねん
  • 平田ひらたオリザの仕事しごと〈2〉都市とし祝祭しゅくさいはいらない』ばんこえしゃ 1997ねん
  • 演劇えんげき入門にゅうもん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉1998ねん
  • 対話たいわのレッスン』小学館しょうがくかん 2001ねん のち講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ〉2015ねん
  • 芸術げいじゅつ立国りっこくろん集英社しゅうえいしゃ集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ〉2001ねん
  • 『「リアル」だけがびる』ウェイツ〈That's Japan〉2003ねん
  • 地図ちずつくたび-青年せいねんだんわたし履歴りれきしょ白水しろみずしゃ 2004ねん
  • 演技えんぎ演出えんしゅつ講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉2004ねん
  • 演劇えんげきのことば』岩波書店いわなみしょてん 2004ねん のち〈岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ〉2014ねん
  • 『わかりあえないことから コミュニケーション能力のうりょくとはなにか』講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉2012ねん
  • あたらしい広場ひろばをつくる-市民しみん芸術げいじゅつ概論がいろん綱要こうよう岩波書店いわなみしょてん 2013ねん
  • 世界せかいとわたりあうために』徳間書店とくましょてん 2014ねん
  • くだざかをそろそろとくだる』講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉2016ねん
  • 名著めいちょ入門にゅうもん 日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがく50せん朝日あさひ新書しんしょ 2022ねん

共編きょうへんちょ

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  • 『gikyoku-workshop』山岡やまおかいさお貴子たかこ共著きょうちょ(2001ねん 演劇えんげきぶっくしゃ
  • はな言葉ことば日本語にほんご』(2002ねん 小学館しょうがくかん共著きょうちょ井上いのうえひさし
  • 『16さいおやのあいだには』(編著へんちょ 2007ねん 岩波ジュニア新書いわなみじゅにあしんしょ
  • 『ニッポンには対話たいわがない まなびとコミュニケーションの再生さいせい北川きたがわ達夫たつお共著きょうちょ(2008ねん 三省堂さんせいどう
  • 『ことばの見本みほんじょう』(編著へんちょ 2009ねん 岩波書店いわなみしょてん
  • 『コミュニケーションりょく演劇えんげきワークショップのすすめ』はちすぎょう共著きょうちょ(2009ねん PHP新書しんしょ
  • 総理そうり原稿げんこう あたらしい政治せいじ言葉ことば模索もさくした266にち松井まつい孝治こうじ共著きょうちょ(2011ねん岩波書店いわなみしょてん
  • 問題もんだい解決かいけつ!先生せんせいづきをすコミュニケーション えんじてまなぶコンサルテーション研修けんしゅう岡村おかむら章司しょうじ,宇野うの宏幸ひろゆき編著へんちょ たに芳恵よしえ,八乙女やおとめ利恵りえ共著きょうちょ ジアース教育きょういくしんしゃ 2016
  • 演劇えんげきコミュニケーションがくはちすぎょうども編著へんちょ 日本にっぽん文教ぶんきょう出版しゅっぱん 2016

出演しゅつえん

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ネット番組ばんぐみ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 毎日まいにち映画えいがコンクール 大賞たいしょう橋口はしぐち監督かんとくの「恋人こいびとたち」”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2016ねん1がつ21にち). 2016ねん1がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ 平田ひらたオリザ 『平田ひらたオリザI 東京とうきょうノート』 ハヤカワ演劇えんげき文庫ぶんこ、2007ねん、207ぺーじ内田うちだ洋一よういち解説かいせつ)および見返みかえし。
  3. ^ 平田ひらた慶子けいこと、大林おおばやしつま恭子きょうことが、慶子けいこあねとなる姉妹しまい
  4. ^ あいのおわり』 青年せいねんだん公式こうしきホームページ
  5. ^ 文藝ぶんげい別冊べっさつ平田ひらたオリザ」(2015ねん 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  6. ^ 55さいげき作家さっか平田ひらたオリザさん、だいいち誕生たんじょう「できるだけ普通ふつう名前なまえに」 舞台ぶたい「さよならだけが人生じんせいか」発表はっぴょう会見かいけん報告ほうこく”. 産経さんけいニュース (2017ねん12月7にち). 2017ねん12月8にち閲覧えつらん
  7. ^ 平田ひらたオリザ芸術げいじゅつ文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう”. ちゅうにちフランス大使館たいしかん (2012ねん1がつ10日とおか). 2021ねん6がつ25にち閲覧えつらん
  8. ^ 鶴屋つるや南北なんぼくしょう平田ひらたオリザさん「日本にっぽん文学ぶんがく盛衰せいすい
  9. ^ 日本にっぽん文学ぶんがく盛衰せいすい鶴屋つるや南北なんぼく戯曲ぎきょくしょう受賞じゅしょう劇団げきだん 青年せいねんだん(有)ゆうげんがいしゃアゴラ企画きかく
  10. ^ “『まくがる』累計るいけいじゅうまん!”. 主宰しゅさいからの定期ていき便びん. http://www.seinendan.org/oriza/2015/02/08/4241 2015ねん2がつ8にち閲覧えつらん 
  11. ^ 政治せいじで、のちに首相しゅしょうとなった鳩山はとやま由紀夫ゆきおたか評価ひょうかし、政治せいじてき応援おうえん。スピーチライターてき役割やくわりつと内閣ないかく官房かんぼう参与さんよ役職やくしょくについた。
  12. ^ [1]
  13. ^ 鳩山はとやま総理そうり 佐々木ささきかをりの「今日きょうおもい」 ブログ(2010ねん02がつ14にち
  14. ^ 船橋ふなばし洋一よういち「カウントダウン・メルトダウン」(文春ぶんしゅん文庫ぶんこ下巻げかん P.240-244
  15. ^ 富士見ふじみ文化ぶんか芸術げいじゅつアドバイザーを委嘱いしょくしました富士見ふじみホームページ、2011ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  16. ^ 平田ひらたオリザが富士見ふじみ文化ぶんか芸術げいじゅつアドバイザーに(シアターガイド、2011ねん5がつ19にち
  17. ^ 平田ひらたオリザ略歴りゃくれき劇団げきだん 青年せいねんだん(有)ゆうげんがいしゃアゴラ企画きかく
  18. ^ [2]
  19. ^ 客員きゃくいん教授きょうじゅ就任しゅうにんのご案内あんない平田ひらたオリザ客員きゃくいん教授きょうじゅ就任しゅうにん京都きょうと文教大学ぶんきょうだいがく
  20. ^ 城崎きのさき国際こくさいアートセンターの芸術げいじゅつ監督かんとくになりました劇団げきだん 青年せいねんだん(有)ゆうげんがいしゃアゴラ企画きかく
  21. ^ 平田ひらたオリザを「教育きょういく文化ぶんかのまちづくりかん」に任命にんめい産経さんけいデジタル
  22. ^ 豊岡とよおか移転いてんについて(3)劇団げきだん 青年せいねんだん(有)ゆうげんがいしゃアゴラ企画きかく
  23. ^ 平田ひらたオリザさんが西宮にしのみや政策せいさくアドバイザーに就任しゅうにんしました|西宮にしのみやホームページ
  24. ^ 学長がくちょう作家さっか平田ひらたオリザ兵庫ひょうご豊岡とよおかに4ねんせい県立けんりつ専門せんもんしょく大学だいがくひらけがく産経さんけいデジタル
  25. ^ a b c 平田ひらたオリザ『まくがる』”. CINRA. http://www.cinra.net/review/20130108_book_makugaagaru.php 2015ねん1がつ7にち閲覧えつらん 
  26. ^ そう田和たわひろし演劇えんげき1』。
  27. ^ 平田ひらたオリザ『演劇えんげき入門にゅうもん』p172。
  28. ^ ちょう口語こうご演劇えんげき Hyper-Colloquial Theater Theory
  29. ^ このほん出版しゅっぱん当時とうじ日本語にほんごかれたもっとなが題名だいめいほんとしてられていた。

外部がいぶリンク

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