佐藤さとうしん (演出えんしゅつ)

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佐藤さとう しん(さとう まこと、1943ねん8がつ23にち[1] - )は、日本にっぽん演出えんしゅつげき作家さっか寺山てらやま修司しゅうじから十郎じゅうろう鈴木すずき忠志ただしらとともに、アングラ演劇えんげき代表だいひょうてき人物じんぶつとして活動かつどうした。

映画えいがライターの佐藤さとうゆいむすめ[2]音楽おんがくプロデューサー、映像えいぞうディレクターの河内かわうちおさむ義兄ぎけい

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1943ねん東京とうきょう新宿しんじゅくまれ[1]目黒めぐろだいじゅう中学校ちゅうがっこうでは安田やすだみなみ同級生どうきゅうせい[3]東京とうきょう都立とりつ駒場こまんば高等こうとう学校がっこうでは加藤かとう登紀子ときこ同級生どうきゅうせいおな放送ほうそうだった。1965ねん早稲田大学わせだだいがくだい文学部ぶんがくぶ西洋せいよう哲学てつがく専修せんしゅう中退ちゅうたい劇団げきだん俳優座はいゆうざ付属ふぞく演劇えんげき研究所けんきゅうじょ俳優座はいゆうざ養成ようせいしょ修了しゅうりょう(14)。1966ねん串田くしだ和美かずみ斎藤さいとう吉田よしだ日出子ひでこらとアンダーグラウンドシアター自由じゆう劇場げきじょう創立そうりつ[4]

1968ねんろくがつ劇場げきじょう津野つのかい太郎たろう山元やまもときよしら)、自由じゆう劇場げきじょう発見はっけんかい瓜生うりゅう良介りょうすけら)が共同きょうどうしての「演劇えんげきセンター68」(げん劇団げきだんくろテント設立せつりつくわわる。1970ねんからは大型おおがたのテント劇場げきじょう中心ちゅうしんてき演出えんしゅつげき作家さっかとして、1990ねんまでの20年間ねんかん日本にっぽん全国ぜんこく120都市としにおよぶ上演じょうえん活動かつどう展開てんかい

初期しょき代表だいひょうさく喜劇きげき昭和しょうわ世界せかい さんさく』(「阿部あべじょういぬ」「キネマと怪人かいじん」「ブランキごろし・上海しゃんはいはる」1973ねん - 1979ねん)をはじめ、独特どくとく幻想げんそうてき文体ぶんたいによって社会しゃかい歴史れきし批評ひひょうする戯曲ぎきょく執筆しっぴつ。そのおも戯曲ぎきょくに「ハロー・ヒーロ」「あたしのビートルズ」「鼠小僧次郎吉ねずみこぞうじろきち」(5連作れんさく)「つばさやす天使てんしたちの舞踏ぶとう」「よるよるよる」「逆光線ぎゃくこうせん玉葱たまねぎ」「荷風かふうのオペラ」「絶対ぜったい飛行機ひこうき」などがある[5]。1986ねんには、山口やまぐち小夜子さよこ出演しゅつえんした「わすれなぐさ」の演出えんしゅつ上演じょうえんをおこなった[6]

演出えんしゅつとしては、自作じさくのほか、ルイジ・ルナーリ()、ベルナール=マリ・コルテス(ふつ)、かくたからこん(シンガポール)、エドワード・ボンドなど、海外かいがいげき作家さっか作品さくひん日本にっぽん初演しょえん、オペラ、シアターピース、日本にっぽん舞踊ぶようのう現代げんだい舞踊ぶよう人形にんぎょう芝居しばい、レビューなど、多彩たさい分野ぶんや演出えんしゅつむ。オペラの演出えんしゅつでは、にちちゅう共同きょうどうオペラ「ふえ」、「オペラ支倉はせくら常長つねながとお』」「ルル」などをがける[5]。また「アジア演劇えんげき」「演劇えんげきワークショップ」「演劇えんげき公共こうきょうせい」「演劇えんげき教育きょういく」などについての活動かつどうをおこなった。

民間みんかん公共こうきょう劇場げきじょう開設かいせつについて、劇場げきじょう空間くうかん制作せいさく現場げんばものとして30ねん以上いじょうわた活動かつどう銀座ぎんざ博品館はくひんかん劇場げきじょう、1985ねんスパイラルホール初代しょだい芸術げいじゅつかんに、1989ねんオープンの東急文化村とうきゅうぶんかむらオーチャードホール初代しょだいプロデューサーの一人ひとり就任しゅうにんしている。

公共こうきょうホールとまちづくりにかんしては、碧南へきなん文化ぶんかむらいわき芸術げいじゅつ文化ぶんか交流こうりゅうかんなどの公共こうきょうホール開設かいせつたずさわるとともに、世田谷せたがやパブリックシアター劇場げきじょう監督かんとく(1997ねん - 2002ねん)、高円寺こうえんじ(杉並すぎなみ区立くりつ杉並すぎなみ芸術げいじゅつ会館かいかん初代しょだい芸術げいじゅつ監督かんとく(2009ねん -2023ねん )、久留くるべいシティプラザ久留米くるめ参与さんよ(2012ねん - )をつとめ、地域ちいきどもたちや住民じゅうみんのためのワークショップ、開館かいかん地域ちいき商店しょうてんがいとの連携れんけいした大道芸だいどうげいフェスティバルをげた。

国内こくない、アジア各地かくち(インド、インドネシア、中国ちゅうごく香港ほんこんなど)での演劇えんげき(コミュニケーション)ワークショップを実践じっせんするほか、1998ねんから2009ねんまで、東京学芸大学とうきょうがくげいだいがく教授きょうじゅとして、演劇えんげき教育きょういく演劇えんげきワークショップ研究けんきゅうをおこなった。また、高円寺こうえんじでは、次世代じせだい公共こうきょう劇場げきじょうになそだてる、「劇場げきじょう創造そうぞうアカデミー」(ねんせい)を創設そうせつし、全国ぜんこく公共こうきょう劇場げきじょう、および立教大学りっきょうだいがくなどの教育きょういく機関きかん連携れんけいした専門せんもん教育きょういくんでいる。

1980年代ねんだい初頭しょとうから、香港ほんこん、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピンなど、東南とうなんアジアを中心ちゅうしん中心ちゅうしんとする近隣きんりん諸国しょこく演劇えんげきじんとの交流こうりゅう作品さくひん創造そうぞうをおこなう。1990年代ねんだいからは、ヨーロッパ各国かっこく演劇えんげきさいでの作品さくひん上演じょうえんおよび共同きょうどう制作せいさくにもんでいる。

2017ねん6がつ横浜よこはまなか民間みんかんアートセンター若葉わかばまちウォーフを設立せつりつ

にちしるし国交こっこう樹立じゅりつ50周年しゅうねん記念きねんプログラムダンス01公演こうえん 『ダンス東風こち ぶねもなく』の演出えんしゅつにちちゅう合作がっさくオペラ「ふえ まほうのふえ」(1989ねん東京とうきょう公演こうえん[7]、1991ねん北京ぺきん公演こうえん)のプロデューサー、演出えんしゅつ。2010ねん開催かいさいされた上海しゃんはい万博ばんぱく日本にっぽん政府せいふかん演出えんしゅつ。2011ねん中国ちゅうごく江蘇ちぁんすーしょう演芸えんげい集団しゅうだんこんげきいんとの共同きょうどう企画きかく朱鷺ときフェスティバル」での継続けいぞくてきなワークショップと作品さくひん上演じょうえん。2013ねん - 北京ぺきんよもぎ蒿劇じょう(Penghao Theatre)との共同きょうどう企画きかくでワークショップ、作品さくひん上演じょうえん個人こじん劇団げきだんかもめ主宰しゅさい劇団げきだんくろテント 演出えんしゅつ若葉わかばまちウォーフ代表だいひょう

おも演劇えんげき作品さくひん[編集へんしゅう]

  • 1986ねんわすれなぐさ演出えんしゅつ
  • 2000ねん 世田谷せたがやパブリックシアター サミュエル・ベケットゴドーをちながら美術びじゅつ演出えんしゅつ
  • 2005ねん 劇団げきだんくろテント ベルナール=マリ・コルテス『ロベルト・ズッコ』演出えんしゅつ
  • 2006ねん かもめ ハイナ・ミューラー『ハムレット/マシーン』美術びじゅつ演出えんしゅつ
  • 2008ねん あうるすぽっと ウジェーヌ・イヨネスコ『瀕死ひんしおう美術びじゅつ演出えんしゅつ
  • かもめ ゲオルグ・ビューヒナー『ダントンのについて』演出えんしゅつ
  • 2009ねん びわホール アルバン・ベルク オペラ『ルル』美術びじゅつ演出えんしゅつ
  • 2010ねん 高円寺こうえんじ 斎藤さいとう憐『アメリカン・ラプソディ』美術びじゅつ演出えんしゅつ
  • 2011ねん 高円寺こうえんじ 宮沢みやざわ賢治けんじ原作げんさく『ふたごのほし脚本きゃくほん演出えんしゅつ
  • かもめ かくたからこん『The Spirits Play れいおどけ構成こうせい演出えんしゅつ美術びじゅつ
  • 2012ねん 南京なんきんこんげきいんえき構成こうせい演出えんしゅつ
  • 2013ねん 高円寺こうえんじ 『リア』上演じょうえん台本だいほん演出えんしゅつ
  • 高円寺こうえんじ 『ピン・ポン』構成こうせい演出えんしゅつ
  • かもめ『しあわせ日和びより』『もり直前ちょくぜんよる

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 眼球がんきゅうしゃぶり』(演劇えんげき論集ろんしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 『あたしのビートルズ』(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 嗚呼ああ鼠小僧次郎吉ねずみこぞうじろきち』(だい16かい岸田きしだ國士くにお戯曲ぎきょくしょう受賞じゅしょう)(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 喜劇きげき阿部あべじょう』(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 『キネマと怪人かいじん』(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 『ブランキごろし・上海しゃんはいはる』(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • よるよるよる』(戯曲ぎきょくしゅう 晶文社しょうぶんしゃ
  • 学校がっこうという劇場げきじょうから』(へん)(ろんそうしゃ 2011ねん

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 読売よみうり年鑑ねんかん 2016年版ねんばん』(読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ、2016ねん)p.544
  2. ^ 浦崎うらさきひろし香花こうばなしょう映画えいがじんしのんで」『キネマ旬報きねまじゅんぽう』2013ねん7がつ上旬じょうじゅんごう、p.79
  3. ^ だい148かい 安田やすだ みなみ(1)ジャズシンガーへん 撰者せんじゃ:松井まつい三思さんしりょ 万象ばんしょうどう
  4. ^ 佐藤さとうしん 2023ねん8がつ18にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう
  6. ^ 山口やまぐち小夜子さよこ 未来みらいひと」 p.138. 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  7. ^ 昭和音楽大学しょうわおんがくだいがくオペラ研究所けんきゅうじょ オペラ情報じょうほうセンター

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]