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びょう

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霊廟れいびょうから転送てんそう

びょう(びょう)とは

  1. 宗教しゅうきょう施設しせつとして、
    1. 死者ししゃまつ宗教しゅうきょう施設しせつとくかく親族しんぞく集団しゅうだんにおいて祖先そせんまつるものをいう(仏壇ぶつだんなど)。霊廟れいびょう祖廟そびょう。このこう記述きじゅつする。
    2. 1からてんじて墳墓ふんぼのこと。とく建造けんぞうぶつともな墳墓ふんぼをいうことがある。
    3. 1からてんじて神仏しんぶつまつ宗教しゅうきょう施設しせつ神殿しんでん寺院じいん
  2. 王宮おうきゅうぜん殿しんがりで、政治せいじおこなところ

中国ちゅうごく起源きげんびょう

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せき帝廟ていびょう神戸こうべ

中国ちゅうごくにおいてびょうとは祖先そせんれいまつであるが、墓所はかしょべつ存在そんざいする。そのため仏教ぶっきょうにおける仏壇ぶつだんのような位置いちづけであるが、仏壇ぶつだんとはちが母屋もやなかにはく、霊廟れいびょう専用せんよう別棟べつむねがある。祖先そせんあつうやま中国ちゅうごくでは、古代こだいから家中いえじゅうもっと重要じゅうよう場所ばしょとされていた。また、孔子こうしまつびょうせきはねまつびょう各地かくち多数たすう存在そんざいするように祖先そせんれいだけではなく民衆みんしゅう敬愛けいあいする英雄えいゆうふるくから信仰しんこうされる神祇じんぎびょう建立こんりゅうしてまつっていることもある。

さんきょう合流ごうりゅう(儒・みちふつ習合しゅうごう)の結果けっか寺院じいん神祇じんぎ聖賢せいけんまつられていることもあり「てらびょう」と総称そうしょうされる。

儒教じゅきょう

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孔子こうしなどをまつびょう学問がくもんしょなどに存在そんざいする。有名ゆうめいなものとしては、世界せかい遺産いさんとしてられるあなびょう東京とうきょう昌平しょうへいざか学問がくもんしょ昌平しょうへい黌)に付属ふぞくした湯島ゆしま聖堂せいどうがある。

道教どうきょう

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各地かくちに、しろ隍神まつしろ隍廟や、せきはねまつせき帝廟ていびょうたけまつたけおうびょうなどが存在そんざいする。

日本にっぽんにおけるびょう

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慈眼じげんどう

概要がいよう

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日本にっぽんでは、特定とくてい人物じんぶつまつ建物たてものを、霊廟れいびょう(れいびょう)、びょう(びょう)、または霊屋たまや(たまや)[1]御霊屋おたまや(みたまや・おたまや)といい、おおきく、神式しんしき霊廟れいびょう仏式ぶっしき霊廟れいびょう儒式霊廟れいびょうなどにけられている。また、各地かくち中華ちゅうかがいにはせき帝廟ていびょう存在そんざいする。

神式しんしき

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おも通常つうじょう神社じんじゃ大差たいさない方式ほうしきまつられている。『延喜えんぎしきかみめいちょう』に「だいおびひめびょう神社じんじゃ」(げん宇佐うさ神宮じんぐう本社ほんしゃひとつ)とあるが、一方いっぽうでは『かみめいちょう』にないが延喜えんぎしき式部しきぶしきこうに「橿かしびょう」(げん香椎かしいみや)とあり[2]神社じんじゃ区別くべつされているれいもあったらしい。

有名ゆうめいなものでは豊国とよくに神社じんじゃ日光にっこう東照宮とうしょうぐうがある。江戸えど時代じだい創建そうけんされたかくはんはんまつ神社じんじゃ明治めいじ以降いこう創建そうけんされた別格べっかくかんぬさしゃなどがある。また、戦死せんししゃなどをまつ靖国神社やすくにじんじゃ殉職じゅんしょく警察官けいさつかん消防しょうぼうなどをまつ弥生やよい神社じんじゃげん弥生やよい慰霊いれいどう)、航空こうくう事故じこ犠牲ぎせいしゃまつ飛行ひこう神社じんじゃなど、集合しゅうごうてき慰霊いれい目的もくてきとしてまつれいおおい。

上記じょうきれいてもかるように、政治せいじ権力けんりょく政策せいさくむすびつくこともおおい。

天満てんまみや菅原すがわら道真みちざねまつるのでびょうにはちがいないが、天神てんじんとしてのかみまつっているという認識にんしきほう一般いっぱんてきである。

霊廟れいびょうとしての神社じんじゃれいしゃでは、建築けんちく様式ようしき権現造ごんげんづくりもちいられることがおおい。

仏式ぶっしき

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おも宗祖しゅうそ有力ゆうりょく檀家だんか将軍家しょうぐんけ藩主はんしゅとう)などが寺院じいん付随ふずいしてまつられていることがおおい。有名ゆうめいなものでは伊達だてまさしむねまつ瑞鳳ずいほう殿でん天海てんかいまつ慈眼じげんどうなどがある。 また浄土真宗じょうどしんしゅう本願寺ほんがんじ本山もとやま西本願寺にしほんがんじ真宗しんしゅう大谷おおや本山もとやま東本願寺ひがしほんがんじは、元々もともと宗祖しゅうそ親鸞しんらん遺骨いこつ御影みかげ安置あんちする「大谷おおや廟堂びょうどう」がルーツである。

出典しゅってん

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  1. ^ 霊屋たまや』 - コトバンク
  2. ^ もり浩一こういち記紀きき考古学こうこがく(10)タラシナカツ彦のをめぐって」『ろんだい55ごう朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、222ぺーじ、1999ねん11月https://books.google.co.jp/books?id=1K-yAAAAIAAJ。"しんめいちょうにはないが『延喜えんぎしき』の式部しきぶしきには、橿かしびょうがあって、特異とくいあつかいがみられる。"。 

関連かんれん項目こうもく

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