(Translated by https://www.hiragana.jp/)
祖先崇拝 - Wikipedia コンテンツにスキップ

祖先そせん崇拝すうはい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

れい信仰しんこう(それいしんこう)は、んだ先祖せんぞからきている子孫しそんたちに影響えいきょうすることをしんじ、あるいは先祖せんぞからなんらかのものをもらえるという信仰しんこうのこと。

日本にっぽんにおいて、社会しゃかいがく分野ぶんやでは「先祖せんぞ祭祀さいし」という用語ようご定着ていちゃくしている。また、明治めいじ以降いこうでは昭和しょうわ戦後せんご1950年代ねんだいごろまでは「祖先そせん崇拝すうはい」がおお使用しようされた[1]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

世界中せかいじゅう先祖せんぞ崇拝すうはいというのは、アフリカマダガスカルひがしアジアなどにひろ存在そんざいしている。

中国ちゅうごく朝鮮ちょうせん日本にっぽんなど東北とうほくアジアのものがとく有名ゆうめいであるが、ズールーじんなど、世界せかいてきにもられる。中国ちゅうごくでは祖先そせん崇拝すうはいばれ、清明せいめいぶしなどの習慣しゅうかんがある。日本にっぽんでは、学問がくもんてきには祖先そせん崇拝すうはい名称めいしょうもちいられているほか、れい信仰しんこうという名称めいしょうもちいられている。先進せんしんこくでは、過去かこ存在そんざいしても、一神教いっしんきょうなどにわられて、超越ちょうえつされていることが、一般いっぱんてきとされる[2][3]

先祖せんぞ」を社会しゃかいてき意味いみづけする社会しゃかいにおいても、生物せいぶつがくてき遺伝いでんてきつながりのある先行せんこうしゃすべて「先祖せんぞ」となされているわけではかならずしもない。特定とくていのタイプ、カテゴリーの人間にんげんを「先祖せんぞ」としている。それにたいして、キリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょうがしっかりと根付ねついた地域ちいきでは、祖先そせん崇拝すうはいはほとんどおこなわれていないとかんがえてい。たとえばイタリアのでも古代こだいローマ時代じだいまでさかのぼれば先祖せんぞ崇拝すうはいというのはおこなっているひとたちがいたようだが、キリストきょう定着ていちゃくしてからはおこなわれていない。

祖先そせん崇拝すうはいする社会しゃかいにおいて、「先祖せんぞ」とされるひとは、その社会しゃかい親族しんぞく構造こうぞう関連かんれんせいがある。すなわち、父系ふけい社会しゃかいにおいては父方ちちかた生物せいぶつがくてき先祖せんぞであったひとが「先祖せんぞ」とされ、母系ぼけい社会しゃかいにおいては母系ぼけい生物せいぶつがくてき先祖せんぞであったひとが「先祖せんぞ」とされるなど、崇拝すうはいするがわ親族しんぞく構造こうぞう社会しゃかい制度せいど、「先祖せんぞ」とされる対象たいしょうのヒエラルキー・システムに関係かんけいがあるとされる[4][5][6]

アフリカの祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]

祖先そせん崇拝すうはいすることはアフリカの宗教しゅうきょう英語えいごばんやアフリカのスピリチュアリティー重要じゅうよう要素ようそのひとつとなっている。ただし、アフリカの場合ばあいすべての先祖せんぞ崇拝すうはいしているのではなく、あくまで尊敬そんけいあたいするほどに立派りっぱかたをした先祖せんぞだけが神聖しんせい先祖せんぞとして崇拝すうはいされている(生前せいぜんおこないがくなかった先祖せんぞは、たとえ先祖せんぞであっても崇拝すうはいするのは不適切ふてきせつだ、とかんがえられている[7]。)。 神聖しんせい先祖せんぞは、各人かくじんいのいてもらう対象たいしょうとなり、供物くもつをそなえられる。 神聖しんせい先祖せんぞかみ人間にんげんとのあいだをとりなしてくれる、としんじられており、幸福こうふく人生じんせいをおくるためには神聖しんせい先祖せんぞうやまうことが必要ひつようだとかんがえられている。

中国ちゅうごく祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく祖先そせん崇拝すうはい文化ぶんか儒教じゅきょう根源こんげんになっているとかんがえられがちだが、儒教じゅきょう思想しそうひろがるかなりまえから祖先そせん崇拝すうはい文化ぶんか存在そんざいした[8]

いん時代じだいには「病気びょうき災害さいがいは、てん祖先そせんたたり」とかんがえられており、それをなだめるために祭祀さいしおこなわれていた[8]また、いん強固きょうこ父系ふけい社会しゃかいであり、祖先そせんうやまうことは社会しゃかい秩序ちつじょ維持いじのためにも重要じゅうようであったとかんがえられている[よう検証けんしょう][8]

しゅう時代じだいになると、「ぶく祖先そせんからもたらされる」「わざわいはてんからもたらされる」とかんがえられるようになり、子孫しそん幸福こうふくのために祖先そせんまつるというかんがかたまれた[8]

このような中国ちゅうごく祖先そせん崇拝すうはい文化ぶんか孔子こうし紀元前きげんぜん552ねんまたは紀元前きげんぜん551ねん - 紀元前きげんぜん479ねんおよびその弟子でしたちが儒教じゅきょうとおして発展はってんさせた[8]孔子こうしきた春秋しゅんじゅう時代じだい従来じゅうらい身分みぶん秩序ちつじょ崩壊ほうかいした時代じだいであり、孔子こうしゆるやかな家父長制かふちょうせいもとづく家族かぞく関係かんけいをもとに社会しゃかい秩序ちつじょさい構築こうちくすることをいた[8]儒教じゅきょうはもともとおおきな社会しゃかい勢力せいりょくではなかったが、かん時代じだいになって儒教じゅきょう経典きょうてん公認こうにんされ、儒家じゅか要職ようしょく登用とうようされるようになって中国ちゅうごく全土ぜんどへと普及ふきゅうした[よう検証けんしょう][8]

中国ちゅうごく祖先そせん崇拝すうはいにおける「祖先そせん」の概念がいねんにはいくつかの条件じょうけんがあり、さき死去しきょした親族しんぞくかならずしも祖先そせんとして崇拝すうはいされるものではない[9]。まず、祖先そせんとなるには死者ししゃでなければならないが、夭折ようせつしたしゃ未婚みこんもの横死おうししたしゃ祖先そせんになれず、わるおこないをせず天寿てんじゅまっとうする必要ひつようがある。また、祖先そせんとなるもの自分じぶん崇拝すうはいしてくれる子孫しそんもうける必要ひつようがあるが、その子孫しそん自分じぶんおなせい宗族そうぞくいんであり、男子だんしもしくは婦人ふじん地位ちいをもつ女性じょせいでなければならないとされている。祖先そせん崇拝すうはい宗教しゅうきょうかんでは、祖先そせん神明しんめいおにたましいとのなかあいだてき存在そんざいであり、適切てきせつきょうかさなければ一族いちぞくさかえさせるが、きょうおこたるとおにたましいへと変化へんか子孫しそん悪影響あくえいきょうおよぼすとかんがえられている[9]

ベトナムの祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]

韓国かんこく祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]

韓国かんこく儒教じゅきょう影響えいきょうがとてもおおきなくにであり、れい信仰しんこう根強ねづよい。ソルラル (きゅう正月しょうがつ) 、あきゆう (チュソッ) 、祖父そふ祖父そふちち忌日きじつには、家族かぞくあつまって、祭祀さいし(チェサ、en:Jesa日本にっぽんの「法事ほうじ」に相当そうとうするもの)がおこなわれる。そして年長ねんちょうしゃがとても重視じゅうしされていて、祭祀さいし通常つうじょう、あくまで長男ちょうなんおこなう。 ただし、信仰しんこう対象たいしょうになるのは、自分じぶん直接ちょくせつ祖先そせんのみで、傍系ぼうけい祖先そせん信仰しんこう対象たいしょうにならない。したがって、子孫しそんのこさないまま死去しきょしたら、無縁仏むえんぼとけとしてあつかわれる。

日本にっぽん祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]
日本にっぽん仏壇ぶつだん

祖先そせんれいまつり、崇拝すうはいする。日本にっぽんでは先祖せんぞを「とお」、「祖神そしん」、「ご先祖せんぞさま」、「ホトケさま」とい、一般いっぱん家庭かていれいしゃ位牌いはい仏壇ぶつだん中央ちゅうおうにまつる慣習かんしゅうぼん彼岸ひがんにこれらのれいをまつる行事ぎょうじれい信仰しんこうぞくする。

なお、以下いかおも日本にっぽん本土ほんどにおけるれい信仰しんこうについて解説かいせつするが、奄美あまみ琉球りゅうきゅう奄美あまみ群島ぐんとう沖縄おきなわけん)の地域ちいきにおけるれい信仰しんこうについては琉球りゅうきゅう神道しんとうこう参照さんしょうのこと。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

死者ししゃると、はつななにちよんじゅうきゅうにち法要ほうようおこなって供養くようし(くわしくは中陰ちゅういん参照さんしょう)、さらに1ねんいち周忌しゅうき、2ねんさん回忌かいき、6ねんなな回忌かいき、と法要ほうようおこなう。そのさんじゅうさん回忌かいき地域ちいきによってがある。よんじゅうきゅう回忌かいきじゅう回忌かいきのところもある)をむかえると、「ちょう」といって、このような法要ほうようる。この「ちょうげ」は、生木なまきがついた塔婆とうばてたり、位牌いはいいえからてらおさめたり、かわながしたりと、地域ちいきによってことなる。この「ちょうげ」をえると、死者ししゃ供養くよう仏教ぶっきょうてき要素ようそはなれる。それまで死者ししゃそのひとれいとして個性こせいっていたれいは、「先祖せんぞれい」という単一たんいつ存在そんざい合一ごういつされる。これがれいである。れいは、きよめられた先祖せんぞれいとして、いえ屋敷やしきないちかくのやまなどにまつられ、そのいえ守護しゅごし、繁栄はんえいをもたらすかみとしてうやまわれるのである。前述ぜんじゅつとおり、先祖せんぞれいを「ホトケさま」「カミさま」「ご先祖せんぞさま」とぶことにはこのような意味いみがある。

起源きげん

[編集へんしゅう]

れい信仰しんこうは、前述ぜんじゅつのように、ぼん彼岸ひがん行事ぎょうじなどのかたち日本にっぽん全国ぜんこく普通ふつうられる信仰しんこうである。縄文じょうもん時代じだいから環状かんじょう列石れっせきによる祖先そせん崇拝すうはい中心ちゅうしんとした祭祀さいし儀礼ぎれいおこなわれていた[10][11]れい信仰しんこうのような祖先そせん崇拝すうはい日本にっぽんのぞいては、中国ちゅうごく太平洋たいへいよう地域ちいき一部いちぶかぎられた場所ばしょにしかることしかできない。

形態けいたい

[編集へんしゅう]

なつの7がつ15にち中心ちゅうしんおこなわれるぼん行事ぎょうじは、祖先そせんれいをまつる行事ぎょうじう。これは、中国ちゅうごく仏教ぶっきょうでの死者ししゃれいなぐさ供養くようする盂蘭盆会うらぼんえ(うらぼんえ)に由来ゆらいするとされる。日本にっぽんにおけるおぼん行事ぎょうじは、それまでの日本にっぽんれい信仰しんこう習合しゅうごうられる。このような経緯けいいからも日本にっぽんにおけるれい信仰しんこうという土壌どじょうかんがえることができる。

はるあきおこなわれる彼岸ひがんという行事ぎょうじも、元々もともと浄土じょうど思想しそう由来ゆらいし、西方せいほう浄土じょうど希求ききゅうする中国ちゅうごく念仏ねんぶつ行事ぎょうじであったものが、日本にっぽん仏教ぶっきょうにおいて、先祖せんぞ崇拝すうはい行事ぎょうじになった。一方いっぽう浄土真宗じょうどしんしゅうでは、成仏じょうぶつ阿弥陀あみだほとけたよるものであって人間にんげんちからではどうしようもないというかんがえから、追善ついぜん供養くようおこなわない[12]

また、先祖せんぞれいれいしゃ地域ちいきによってはそうれいしゃ)というしゃまつ場合ばあいもある。一般いっぱんいえかみだん神棚かみだな祭壇さいだんもうけて、先祖せんぞまつっている場合ばあいおおられる。

民俗みんぞくれい信仰しんこう

[編集へんしゅう]

れい信仰しんこう関連かんれんする事項じこうとして、民俗みんぞくりょうはかせいについてれる。りょうはかせいとは、死者ししゃときふたつの墓所はかしょつくることである。かつては遺体いたい埋葬まいそうするはかとしての、はか)とばれるはかと、自分じぶんいえちかくや寺院じいんうちてるまいはかもうつくることがあった。遺体いたい直接ちょくせつ埋葬まいそうするはかは、ひとちかづかない山奥やまおく野末のずえつくられ、められた遺体いたい石塔せきとうつにつれ不明ふめいになる。このはかは、そこ自体じたい死者ししゃ供養くようのための墓所はかしょとしているわけではないので、なが保存ほぞんすること目的もくてきとしていない。一方いっぽうまいはかもういえちかくや田畑たはた寺院じいんなど参詣さんけい便利べんり場所ばしょてられることがおおい。こちらのはかこそが、なが死者ししゃ供養くようをすることを目的もくてきとした墓所はかしょになる。こうして、先祖せんぞれい居住きょじゅうちかくに配置はいちし、供養くようし、いえ安泰あんたいねがうことも、れい信仰しんこうのうちのひとつとっていい。また、近世きんせいいたると、直接ちょくせつ遺体いたいほうむった場所ばしょ墓所はかしょてることもおおくなった。

屋敷やしきしん

[編集へんしゅう]

れい信仰しんこう関連かんれんする事項じこうでは、やはり墓所はかしょについて屋敷やしきはか存在そんざいげられる。屋敷やしきは、自分じぶん屋敷やしきなかはかもうけることである。史料しりょう遺構いこう確認かくにんされるのは中世ちゅうせいである。この時代じだいはかせい葬送そうそう習慣しゅうかんについての詳細しょうさいは、地域ちいき身分みぶん階級かいきゅうによってことなるから、一概いちがいにはえないめんもあるが、屋敷やしきなか死者ししゃほうむ特殊とくしゅはかせいがあるため、屋敷やしきしんとしての先祖せんぞいえなかまつったれい信仰しんこう一種いっしゅかんがえることができる。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 赤田あかだ光男みつおれい信仰しんこう』(民衆みんしゅう宗教しゅうきょう叢書そうしょ雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん 1991
  • 福田ふくだアジオ日本にっぽん民族みんぞくだい辞典じてん じょう』 吉川弘文館よしかわこうぶんかん 1999
  • 日本にっぽん民俗みんぞくがく協会きょうかい日本にっぽん社会しゃかい民俗みんぞく辞典じてん だい2かん日本にっぽん図書としょセンター 2004
  • 民俗みんぞくがく研究所けんきゅうじょ日本にっぽん民俗みんぞく学会がっかい民俗みんぞくがく辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん 1966
  • Lafcadio Hearn(小泉こいずみ八雲やくも), Japan:An attempt at Interpretation, 1904

ヨーロッパの祖先そせん崇拝すうはい

[編集へんしゅう]

キリスト教きりすときょう普及ふきゅうしたとされる地域ちいきでは唯一ゆいいつかみ以外いがいかれたかみ観念かんねんすることはないとされるものの、エドワード・バーネット・タイラー主著しゅちょ原始げんし文化ぶんか』のなかで、聖人せいじん崇拝すうはいはこれにあたり、異教いきょうかみ々を直接ちょくせついだれいられるとしている[13]

ギャラリー

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ p.332『きん現代げんだい日本にっぽん宗教しゅうきょう変動へんどう : 実証じっしょうてき宗教しゅうきょう社会しゃかいがく視座しざから』、といしば志保しほ穂積ほづみ陳重のぶしげ先祖せんぞ祭祀さいしろん
  2. ^ Encyclopedia Britannica,15th edition,1994,vol.26,page545,Systems of Religious and Spiritual Belief
  3. ^ ジョン・ダワー容赦ようしゃなき戦争せんそう、2001ねん平凡社へいぼんしゃライブラリー、259ページ
  4. ^ マイヤー・フォーテス(Meyer Fortes)によるガーナのタレンシの社会しゃかいにおける祖先そせん崇拝すうはい分析ぶんせき
  5. ^ フュステル・ド・クーランジュによる古代こだいローマの親族しんぞく制度せいどおよび宗教しゅうきょう研究けんきゅう
  6. ^ Maurice Freedmanによる中国ちゅうごく親族しんぞく制度せいどなどの研究けんきゅう
  7. ^ [[{{{1}}}]] - [[ノート:{{{1}}}|ノート]]
  8. ^ a b c d e f g 島崎しまざきすすむ中国人ちゅうごくじんかんがかたが2あいだでわかるほん』2016ねん、162-163ぺーじ 
  9. ^ a b 渡邉わたなべ欣雄『かん民族みんぞく宗教しゅうきょう社会しゃかい人類じんるいがくてき研究けんきゅうだいいち書房しょぼう <AcademicSeries NewAsia> 1991ねんISBN 4-8042-0011-8 pp.141-150.
  10. ^ http://www.jomon.or.jp/2010/12/09/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A2%93%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7%E3%81%A8%E7%A5%AD%E3%82%8A-%E8%A6%AA%E6%97%8F-%E5%9C%B0%E5%9F%9F/
  11. ^ http://www.book-stack.com/browsing/aj201104t.pdf
  12. ^ 追善ついぜん供養くようとはなにか?浄土真宗じょうどしんしゅうでは追善ついぜん供養くようはしない?
  13. ^ エドワード・バーネット・タイラー 奥山おくやま倫明みちあき 奥山おくやまあきら 長谷ながたに千代子ちよこ ほり雅彦まさひこやく (2019). 宗教しゅうきょうがく名著めいちょせん だい6かん 原始げんし文化ぶんか . 国書刊行会こくしょかんこうかい. p. 138-140. ISBN 978-4-336-05742-6 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]