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麻紙まし

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麻紙まし原料げんりょうしゅうあさ栃木とちぎけん鹿沼かぬま)。

麻紙まし(まし、あさがみ)とは、あさ繊維せんい原料げんりょうとするかみのこと[1]

概要がいよう

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麻紙ましかみ起源きげんとされ、以前いぜん大半たいはん絹布けんぷである帛書(はくしょ)に文字もじいた[2]かみ起源きげんとして、おも古布こふ麻布まふ原料げんりょうとした、狭義きょうぎあさ大麻たいま)がおおく、少量しょうりょう苧麻からむし(からむし)がじった麻紙まし発掘はっくつされており、歴史れきししょによれば105ねん蔡倫(さいりん)がふる製紙せいしほう改良かいりょうして樹皮じゅひなまあさ処理しょりしてくわえられるようになった。中国ちゅうごく日本にっぽんで12世紀せいきごろまでよくもちいられたかみである。

日本書紀にほんしょき』における製紙せいし技術ぎじゅつ伝来でんらいした明確めいかく記載きさいは610ねんであるが、それ以前いぜん伝来でんらいしたともかんがえられ諸説しょせつある。日本にっぽんふるくは平安へいあん時代じだいの『延喜えんぎしき』に記載きさいされていたが、麻紙まし生産せいさん一度いちど断絶だんぜつし、大正たいしょう時代じだい福井ふくいけん岩野いわの平三郎へいさぶろう麻紙まし復元ふくげんし、くもはだ麻紙ましあさこうぞ)として日本にっぽん支持しじたいとして主流しゅりゅうとなった。日本にっぽん画用紙がようしとしては高知こうち麻紙まし苧麻からむしこうぞ)も登場とうじょうした。またこのながれとはべつに、おも栃木とちぎけんしゅうあさのみを使つかった、素材そざいあじかした麻紙ましつくられている。

特徴とくちょう

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こくくらべると緻密ちみつ上品じょうひんあじわいがあるとされ、また紙魚しみにもつよいことから、重要じゅうよう文書ぶんしょ用紙ようし利用りようされたが、反面はんめんかみはだあらいためにあらかじ表面ひょうめん加工かこうしておかないとふではしりがわるくなる場合ばあいがある。次第しだいこくわられていった。以降いこう上級じょうきゅうかみとして利用りようされることがおおい。

あさ繊維せんい強靭きょうじんながいために抄造しょうぞう作業さぎょう困難こんなんであった。まず原料げんりょうであるあさこまかくったのち繊維せんいを叩解する必要ひつようがあったが、作業さぎょう円滑えんかつのためにあさ発酵はっこうさせて繊維せんいやわらかくしたり、石臼いしうすつぶしたり、ぼうかいしたりなどの方法ほうほうおこなわれたほかさかなもう麻布まふなどをこまかく裁断さいだんするなどの工夫くふうおこなわれた。

かみ起源きげんである麻紙ましとその展開てんかい

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最古さいこかみのひとつである灞橋(はきょうし)は、大麻たいまおもとし、少量しょうりょう苧麻からむしふくまれていた。

中国ちゅうごくにて、おこりもとまえせんすうひゃくねんまえに、文字もじ原型げんけいができると、かめ甲羅こうら動物どうぶつほね使つかわれ、のちいし陶器とうきなどにき、次第しだいに、木簡もっかんたけ簡やそのどう時代じだい大半たいはん帛書(はくしょ)にいた[2]

かみ起源きげんとしては、『こう漢書かんしょ』の記載きさいでは、(こうかん[3]蔡倫(さいりん)が105ねんこうかんもときょう元年がんねん)にみかどかみ献上けんじょうしたとあるため、これが一般いっぱん起源きげんとされてきた[4]。しかし、『漢書かんしょ』(前漢ぜんかんしょ)には、すでに「前漢ぜんかんかみがある」としるされており[2]遺跡いせきから出土しゅつどした麻紙まし存在そんざいは、蔡倫よりも起源きげんをさかのぼらせている[3]

あさ大麻たいま)は中国ちゅうごくふるくからもちいられ、紀元前きげんぜん1000ねんには帽子ぼうし生地きじなどに使つかわれた[5]陝西せんせいしょうにて出土しゅつどした灞橋(はきょうし)は[6]紀元前きげんぜん140ねん-87ねんころのもので、同時どうじ出土しゅつどした貨幣かへいから紀元前きげんぜん118ねん以前いぜん推定すいていされ、主要しゅよう原料げんりょう大麻たいまで、少量しょうりょう苧麻からむしふく植物しょくぶつ繊維せんいだと断定だんていされている[7]前漢ぜんかんせんみかど紀元前きげんぜん73ねん-49ねん)のころのものとされる麻紙ましは、中国ちゅうごくにてロブ・ノール(1933ねん出土しゅつどしん疆省)、かねせき(1973-74ねん出土しゅつど甘粛かんせいしょう)、ちゅうかお(1978ねん出土しゅつど陝西せんせいしょう)であり[7][8][6]原料げんりょうあさ大麻たいま)とされる[4]。蔡倫より、さらに100ねんふるいとみられる西にしかん時代じだい文字もじ記載きさいされた麻紙ましも2006ねん同定どうていされている[5][9]

こうした証拠しょうこによって、蔡倫は、こうぞくわえることで麻紙まし改良かいりょうしたともかんがえられるようになった[4]。この麻紙ましは蔡侯ばれた[2]。蔡倫は、樹皮じゅひのほか、あさあたま(まとう、あさくず)、敝布(へいふ、ぼろ)、漁網ぎょもう原料げんりょうとして麻紙ましつくったが、このうしろ3つはあさ原料げんりょうである[1]あさあたまなま原料げんりょうであるが、おもとなったのはあさ原料げんりょう2しゅであり[10]せいあさ繊維せんい処理しょりするより、ぼろとなった繊維せんい原料げんりょうとした[1]以前いぜん前漢ぜんかん時代じだいには、ふけおこなわれていなかったが、蔡倫はかみ改良かいりょうし、ふけ発見はっけんしたため樹皮じゅひなまあさ処理しょりできるようになったと、かみ再現さいげんしてみた中国ちゅうごく研究けんきゅうしゃべている[11]

とうだいには、重要じゅうよう文書ぶんしょ黄蘗きはだしょく(きはだ-)にめた黄麻おうまくことをさだめられた[12]とうだいいたやくせんねん前後ぜんこう麻紙ましもっとおお使つかわれた[11]みなみそう(なんそう、1127ねん - 1279ねん)の時代じだいはいり、綿花めんか栽培さいばいさかんとなった結果けっかあさ織物おりもの原料げんりょうであるあさ栽培さいばい減少げんしょうし、このことが麻紙まし減少げんしょうさせていった[10]こうぞ竹紙ちくしなど抄造しょうぞう簡便かんべんかみもちいられるようになった。

また、西方せいほうへの製紙せいし技術ぎじゅつ伝搬でんぱんは、751ねんか、せつでは757ねんにはサマルカンドかみつくるようになり、793ねんにはバグダッド製紙せいし工場こうじょうをつくり、かみ普及ふきゅう結果けっかイスラムけん学術がくじゅつ急速きゅうそく発展はってんした[13]。エジプトで発見はっけんされた8世紀せいきから10世紀せいきのアラビア写本しゃほんはすべて麻紙ましで、原料げんりょうはぼろぬのであり、中国ちゅうごく製紙せいしいだものであった[13]

日本にっぽんにおける歴史れきし

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法隆寺ほうりゅうじ献物けんもつちょう天平てんぴょうかちたから8さい・756ねん

日本書紀にほんしょき』の610ねん(推古18ねん)のこうには、高句麗こうくりから渡来とらいしたそう曇徴どんちょう(どんちょう)が製紙せいし技術ぎじゅつつたえたとしるされる[2]。しかし、469ねん雄略天皇ゆうりゃくてんのう7ねん)にはおおくの渡来とらいじん記載きさい、538ねんせん3ねん)の仏教ぶっきょう伝来でんらいがあるため、610ねん以前いぜん伝搬でんぱんしていたものとも推論すいろんできる[2]

日本にっぽんでは、奈良なら時代じだいには、麻紙まし使用しよう優勢ゆうせいであり、平安へいあん時代じだいにはこくえ、後期こうきには紙屋かみやいん麻紙まし製造せいぞうされなくなった[1]

奈良なら時代じだいから平安へいあん時代じだいにかけて詔書しょうしょ勅書ちょくしょ宣命せんみょうった重要じゅうよう公文書こうぶんしょ原紙げんし色麻しかま)や、写経しゃきょう材料ざいりょうとしてもちいられた。せいくらいんの「東大寺とうだいじ献物けんもつちょう」(光明皇后こうみょうこうごう東大寺とうだいじ大仏だいぶつ献納けんのうした宝物ほうもつ目録もくろく)や東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞうの「法隆寺ほうりゅうじ献物けんもつちょう」などが現存げんそんする麻紙まし古文書こもんじょ代表だいひょうれいである。

延喜えんぎしき』にはあさ樹皮じゅひ調布ちょうふおも麻布まふおおかった)を原料げんりょうとしてそれらを裁断さいだんうすかい(すりつぶ)してかみ材料ざいりょうとする規定きてい存在そんざいしていた。また『延喜えんぎしき』では、位記いきちゅうこよみ表紙ひょうし用紙ようしとして麻紙まし規定きていされている。なお日本にっぽんでの麻布まふは、大麻たいま苧麻からむし使つかわれた。あさ織物おりもの参照さんしょう

延喜えんぎしき』では麻紙まし原料げんりょうには、あさそのものを原料げんりょうにするものと、麻布まふ原料げんりょうにするものとが記載きさいされている。『延喜えんぎしき』の規定きていでは、麻紙ましつくるには、麻布まふ600グラムにたいし斐(がんぴ)を180グラムを混合こんごうしたものである[14]。『延喜えんぎしき』に、宣命せんみょう(せんみょう)をかみは、伊勢神宮いせじんぐうあいにてめたしるべ(はなだし、あおけい)に、加茂かも神社じんじゃべにに、ほかはにとさだめられ、これは麻布まふ原料げんりょうとした麻紙まししみであるが、のちには麻紙まし以外いがいもちいられたようである[15]色麻しかまであり、写経しゃきょうにももちいられた[1]色麻しかま天然てんねん植物しょくぶつ色素しきそ麻紙ましめたもので[11]、その防虫ぼうちゅう効果こうか期待きたいしたものである。(神道しんとう祭祀さいし参照さんしょう

平安へいあん時代じだい後期こうきには、日本にっぽんではあさかみ原料げんりょうではなくなり、その理由りゆうは、律令制りつりょうせい衰退すいたいするにともな京都きょうと紙屋かみやいんおさめられるものがとぼしくなり、また処理しょり手間てまがかかったことである[16]。また、うえこく比較ひかくしてふではしりがわるく、『延喜えんぎしき』にもうえこく書写しょしゃする場合ばあいは1にちあたり1700こと記載きさいされているのにたいし、麻紙ましは100ことらすとしるされている[17]

福井ふくいけん岩野いわの平三郎へいさぶろうが、1926ねん大正たいしょう15ねん)に麻紙まし復元ふくげんし、日本にっぽんとしてもちいられるようになった[1]岩野いわのくもはだ麻紙ましは、あさ大麻たいま)とこうぞ繊維せんい模様もようくもはだのごとくとのことで名付なづけられている[18]。このころ九州きゅうしゅう製紙せいし会社かいしゃかみ原料げんりょうとして、東北とうほく地方ちほうからの麻布まふ使つかわれたとのことである[19]岩野いわの工房こうぼうでは特注とくちゅう色麻しかまつくられているが[12]、1976ねん書籍しょせきでは合成ごうせい染料せんりょう使つかっているとのことである[18]京都きょうと綾部あやべ黒谷くろたにまち高知こうち伊野いのまちでもつくられており、せい繊維せんい手間てまをかけて処理しょりしている[1]

日本にっぽん麻紙まし

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しゅうあさと、真菰まこも(まこも)の麻紙まし陽光ようこうにあてたもの。しゅうあさおも神道しんとう用途ようと出荷しゅっかされており、その素材そざいあじかした麻紙ましつくられている。

前述ぜんじゅつのとおり福井ふくい越前えちぜん)の岩野いわの平三郎へいさぶろうが20世紀せいき初頭しょとう麻紙まし復元ふくげんし、日本にっぽんとしてもちいられるようになった。麻紙まし奈良なら平安へいあん時代じだいには絵画かいがによく使つかわれたが、のち日本にっぽんこくこうぞ)でなくすみ発色はっしょく中国ちゅうごくかみもちいており、岩野いわのによる復元ふくげんによってふたた日本にっぽん麻紙まし日本にっぽんにおいて主流しゅりゅうとなったというより、いわばともあゆんできた[20]顕微鏡けんびきょうると、ずい時代じだい黄麻おうま比較ひかくして、現代げんだい福井ふくい麻紙ましは叩解は不平等ふびょうどうで、繊維せんい不揃ふぞろい、隙間すきまおおきい[21]

日本にっぽんよう麻紙ましには、あさこうぞ原料げんりょうにしたもの(おも岩野いわの麻紙まし)と、苧麻からむしこうぞ原料げんりょうにしたもの(おも高知こうち麻紙まし)があり、前者ぜんしゃ製法せいほう職人しょくにん手作業てさぎょうおおく、また前者ぜんしゃふでせっした部分ぶぶん以上いじょうにじむため、かみほどこにじめの処理しょり仕方しかたによって加減かげん調整ちょうせいできる、後者こうしゃはそれ以上いじょうにじみはしょうじない[22]。このみは、日本にっぽん画家がかこのんだものである[20]。また、処理しょりちゅうつぎ塩酸えんさん苛性かせいソーダをもちいている[20]。これについては、岩野いわの4代目だいめが2016ねんよりもとめられるかみわっているということで、大量たいりょう生産せいさんてきした3代目だいめ製法せいほうよりは初代しょだい製法せいほう回帰かいきし、こうぞ薬剤やくざいをソーダはいもどしたり、塩素えんそけいではなく酸素さんそけい漂白ひょうはく使つかうなど、かみ劣化れっかふせぐための製法せいほうれつつある[23]

京都きょうと黒谷くろたに和紙わしではひゃくまんとう陀羅尼だらに復元ふくげんをきっかけとして、あさ大麻たいま)、苧麻からむしあさ織物おりもののぼろとう使つかい、苛性かせいソーダなど化学かがく薬品やくひん排除はいじょかんがえられるかぎいにしえほうにてつくった麻紙ましが、1979ねん書籍しょせきにて、まだ試作しさくであるとして紹介しょうかいされたことがある(しかしこの黒谷くろたに麻紙ましほか資料しりょう記載きさいはない)[24]高知こうち土佐とさ麻紙ましげん高知こうち麻紙まし)は、尾崎おざきによってつくられており、1979ねん書籍しょせきではあさ大麻たいま)を原料げんりょうとしてかいでこなし、すみせんがかすれる特徴とくちょう日本にっぽんようとしてこのまれると紹介しょうかいされたことがある[25]尾崎おざききむしゅん製紙せいししょつくられる高知こうち麻紙ましは、くもはだ麻紙ましよりあらたにできた日本にっぽん画用紙がようしであり、苧麻からむし1、こうぞ1の比率ひりつ混合こんごうされ、また苧麻からむし100%の麻紙ましもある[26][27]画材がざいとしての高知こうち麻紙まし代用だいようではないが、苧麻からむし使つかった阿波あわ和紙わし特徴とくちょう麻紙まし開発かいはつちゅうとの情報じょうほうが2016ねん製造せいぞうしゃからせられたことがある[28]

栃木とちぎけん鹿沼かぬましゅうあさ(やしゅう-)の産地さんちであり、1600年代ねんだいにもあさ大麻たいま)の生産せいさんさかんであるとしるされてきた土地とちであり、(21世紀せいきはいり)地元じもとあさ使つかった紙漉かみすきがおこなわれており、麻紙まし使つかった照明しょうめいつくられている[29]。そのしゅう麻紙まし工房こうぼうは2001ねんひらかれ、おなじように処理しょり手間てまがかかる竹紙ちくし職人しょくにんもと修行しゅぎょうて、その経験けいけんもとあさ加工かこうし、あさ繊維せんい部分ぶぶんせいあさだけを原料げんりょうとした麻紙ましや、麻幹おがらあさくずあさあか:おあか)をぜてつくるものもある[30]に、はがき、書道しょどう版画はんが壁紙かべがみ障子しょうじようなど、その手触てざわりやあたたかみ、やわらぎをかした製品せいひんつくられている[30]自然しぜん素材そざい興味きょうみがあり、ったあさをアルカリすいるといった工程こうてい[30]

2017ねんには美濃和みのわ岐阜ぎふけん)のこう草紙ぞうし工房こうぼうが、大麻たいまのみ、またこうぞあさとの麻紙まし使つかった朱印しゅいんちょう制作せいさくしたこともある[31]

古代こだい技術ぎじゅつ

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中国ちゅうごくでは麻紙まし衰退すいたいしただけであって、日本にっぽんのように断絶だんぜつはしておらず、陝西せんせいしょうおおとりしょうかみ坊村ぼうむらには麻紙まし古代こだい技法ぎほうつたえられており、あさ鞋やあされを原料げんりょうとしている[10]不純物ふじゅんぶつ染色せんしょくもあるため、かわすいあらい、くさ木灰きばい石灰せっかい漂白ひょうはくし、うすでよくついたのだが、かみ坊村ぼうむらでは、3かいあらい、3かいうすをひく[10]

ヨーロッパの手漉てすは、現在げんざいでも中国ちゅうごくからつたわった伝統でんとう技術ぎじゅつ温存おんぞんされている[32]西欧せいおうは、比較的ひかくてき忠実ちゅうじつにその技術ぎじゅつ継承けいしょうしており、あさ大麻たいま)や亜麻あまのぼろぬの原料げんりょうとしている[1]

日本にっぽん麻紙まし復元ふくげんこころみた福井ふくいけん高知こうちけん栃木とちぎけん紙漉かみす職人しょくにんは、処理しょり手間てまがかかることをかたっている[10][30]奈良なら時代じだい日本にっぽん麻紙まし製法せいほううしなわれており、1980年代ねんだい日本にっぽんでその再現さいげんがこころみられている[32]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h 久米くめ康生やすお 1995, 和紙わし文化ぶんか辞典じてん§麻紙まし.
  2. ^ a b c d e f 吉野よしのさとしたけ肉眼にくがん観察かんさつによる素材そざい研究けんきゅう 麻紙まし」『和紙わし文化ぶんか研究けんきゅうだい4ごう、1996ねん12月、105-123ぺーじNAID 40005025171 
  3. ^ a b 久米くめ康生やすお 1985, p. 6.
  4. ^ a b c 小林こばやしりょうせいすみ和紙わし : 長寿ちょうじゅ記録きろく材料ざいりょう」『化学かがく教育きょういくだい36かんだい3ごう、1988ねん、240-242ぺーじdoi:10.20665/kakyoshi.36.3_240NAID 110001826647 
  5. ^ a b Lu X , R.C.Clarke (1995). “The cultivation and use of hemp (Cannabis sativa L.) in ancient China”. Journal of the inernational Hemp Association 2 (1): 26-30. http://www.druglibrary.org/olsen/hemp/iha/iha02111.html. 
  6. ^ a b 灞橋ちゅうかお詳細しょうさいかみ発生はっせいから普及ふきゅうまで(16)」『かみわざきょうだい50かんだい12ごう、1996ねん12月1にち、1794-1795ぺーじdoi:10.2524/jtappij.50.1794NAID 10029493618 
  7. ^ a b 久米くめ康生やすお 1985, pp. 18-19、33.
  8. ^ 伊藤いとう通弘みちひろかみ発生はっせいから普及ふきゅうまで(15)」『かみわざきょうだい50かんだい11ごう、1996ねん11月1にち、1639-1640ぺーじdoi:10.2524/jtappij.50.1639NAID 10029493556 
  9. ^ 世界せかい最古さいこかみ麻紙まし」、敦煌とんこう博物館はくぶつかんでの保管ほかん判明はんめい甘粛かんせいしょう敦煌とんこう”. Record china (2006ねん8がつ12にち). 2017ねん11月15にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d e 久米くめ康生やすお 1985, pp. 34–35.
  11. ^ a b c 伊藤いとう通弘みちひろかみ発生はっせいから普及ふきゅうまで (19)」『かみわざきょうだい51かんだい3ごう、1997ねん、528-528ぺーじdoi:10.2524/jtappij.51.528NAID 130003688093 
  12. ^ a b 久米くめ康生やすお 1995, 和紙わし文化ぶんか辞典じてん§しょく麻紙まし.
  13. ^ a b 伊藤いとう通弘みちひろかみ発生はっせいから普及ふきゅうまで (24)」『かみわざきょうだい51かんだい8ごう、1997ねん、1205-1205ぺーじdoi:10.2524/jtappij.51.1205NAID 130003688150 
  14. ^ 町田まちだ誠之せいし天平てんぴょうかみ」『かみわざきょうだい30かんだい10ごう、1976ねん、522-526ぺーじdoi:10.2524/jtappij.30.10_522NAID 130003451975 
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  16. ^ 久米くめ康生やすお 1985, p. 33.
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 久米くめ康生やすお和紙わし文化ぶんか辞典じてん雄松おまつどう出版しゅっぱん、1995ねんISBN 4841903941