サンスクリット

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サンスクリット
संस्कृतम्
Saṃskṛtam
デーヴァナーガリーしるされた「サンスクリット」
発音はつおん IPA: [ˈsɐ̃skr̩tɐm] ( 音声おんせいファイル)
はなされるくに みなみアジア
東南とうなんアジア一部いちぶ
話者わしゃすう 24,821にんインド、2011ねん[1]
1,669にんネパール、2011ねん[2]がサンスクリットを母語ぼごとすると回答かいとうしている。
言語げんご系統けいとう
初期しょき形式けいしき
表記ひょうき体系たいけい デーヴァナーガリー
をはじめとした、さまざまなブラーフミーけい文字もじ記述きじゅつされる[3][4]
ラテン文字もじ
(IAST京都きょうと・ハーバード方式ほうしきなど)[5]
アラビア文字もじ[6][4]
公的こうてき地位ちい
公用こうよう ヒマーチャル・プラデーシュしゅう[7]
ウッタラーカンドしゅう[8][9]
少数しょうすう言語げんごとして
承認しょうにん
インドの旗 インド
統制とうせい機関きかん 統制とうせいなし
言語げんごコード
ISO 639-1 sa
ISO 639-2 san
ISO 639-3 san
Glottolog sans1269[10]
Indic script
Indic script
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デーヴィー・マーハートミャ』の現存げんそんする最古さいこ複製ふくせい11世紀せいきネパールで、ブジモール英語えいごばんという書体しょたい使つかってかれており、椰子やしからできている (かい)。

サンスクリット: संस्कृतम् saṃskṛtamえい: Sanskrit[11])は、古代こだいインド・アーリアぞくする言語げんご北西ほくせいかたからインドおとずれたとされるアーリアじんによってはなされた古代こだいのち文法ぶんぽうパーニニ文法ぶんぽう詳細しょうさい研究けんきゅうした。

アーリアじんらが定住ていじゅうしたきたインド中心ちゅうしんみなみアジアもちいられ、その影響えいきょうけたひがしアジア東南とうなんアジア一部いちぶでも使用しようされた。文学ぶんがく哲学てつがく学術がくじゅつ宗教しゅうきょうなどの分野ぶんやひろもちいられ、とく大乗だいじょう仏教ぶっきょうおおくの仏典ぶってんがこの言語げんごしるされ、ヒンドゥーきょうでは現在げんざいでも礼拝れいはいよう言語げんごである。現在げんざいでは母語ぼご話者わしゃすくないが権威けんいおおきく、現代げんだいインドでは憲法けんぽうだい8附則ふそく当初とうしょから公用こうよう指定していされており、紙幣しへいでの金額きんがく記載きさいにもふくまれる[12]

サンスクリットは「まさしく構成こうせいされた(言語げんご雅語がご)」を意味いみする[13]。ただし、この言語げんごが「サンスクリット」とばれるようになったのが確認かくにんできるのは5世紀せいきから6世紀せいきごろのことである[14]

また、「サンスクリット」のみで言語げんご自体じたいすが、日本語にほんごでは言語げんごであることを明示めいじするためサンスクリットともばれる。

漢字かんじ表記ひょうき梵語ぼんご(ぼんご)は漢字かんじ文化ぶんかけんでのサンスクリットの異称いしょう。サンスクリットの起源きげん造物ぞうぶつしん梵天ぼんてんブラフマー)とするインドの伝承でんしょうもとにした言葉ことばである。日本にっぽんでも近代きんだい以前いぜんからかんやく経典きょうてんつうじて「梵語ぼんご」が使つかわれた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族ごぞくインド・イランインドぐんぞくする古代こだいである。

リグ・ヴェーダ最古さいこ紀元前きげんぜん1500ねんごろ)をはじめとするヴェーダ文献ぶんけんもちいられていたヴェーダをそのとする。ヴェーダさい古層こそうは、インド・イランイランぐんぞくする古典こてんであるアヴェスターのガーサーの言語げんごアヴェスター)と非常ひじょうちかい。

ヴェーダ紀元前きげんぜん5世紀せいきから紀元前きげんぜん4世紀せいきパーニニがその文法ぶんぽう規定きてい[15]体系たいけい固定こていされた[16]。そのかれがくみつるぞくするカーティヤーヤナおよびパタンジャリがこの理論りろん補遺ほいおよ修正しゅうせいおこない、最終さいしゅうてき整備せいびされた[17]。この3にん、とくにパタンジャリ以後いご言語げんご古典こてんサンスクリットとばれる[18]古典こてんサンスクリット成立せいりつも、5世紀せいきバルトリハリなどのすぐれた文法ぶんぽう学者がくしゃ輩出はいしゅつし、文法ぶんぽうがく伝統でんとうつづいていった[19]

パーニニの記述きじゅつからはサンスクリットがきたインドひろ領域りょういき使用しようされていたことがうかがえるが[20]、この時期じきにはすでにサンスクリットは文語ぶんごしており、インド各地かくち地方ちほう口語こうごプラークリットばれる)がもちいられるようになっていた[21]紀元前きげんぜん3世紀せいきマウリヤあさアショーカおうによってきざまれたインド現存げんそん最古さいこ碑文ひぶんであるアショーカおう碑文ひぶんはサンスクリットでなくプラークリットできざまれており、また上座かみざ仏教ぶっきょうみなみでん仏教ぶっきょう)の仏典ぶってんもプラークリットにぞくするパーリしるされている[22]のは、この言語げんご交代こうたい当時とうじすでにこっていたことをしめしている。しかしサンスクリットは典礼てんれい言語げんごとして定着ていちゃくしており、宗教しゅうきょう(ヒンドゥーきょう仏教ぶっきょうなど)・学術がくじゅつ文学ぶんがくひとし分野ぶんや幅広はばひろなが期間きかんにわたってもちいられた。こうしたサンスクリット文化ぶんか伝承でんしょうしゃはおもにパンディットばれる学者がくしゃであり、かれらは膨大ぼうだい文章ぶんしょう暗記あんきおこない、それを読誦とくしょうし、口伝くでんによって後世こうせいへとつたえていった[23]

グプタあさではサンスクリットを公用こうようとし[24]カーリダーサなどに代表だいひょうされるサンスクリット文学ぶんがく花開はなひらいた[25]。この時期じきには碑文ひぶん完全かんぜんにプラークリットからサンスクリットできざまれるように変化へんかしており[26]、また7世紀せいきごろには外交がいこう用語ようごとして使用しようされるようになっていた[27]。10世紀せいきまつガズナあさ以降いこうデリー・スルターンあさムガル帝国ていこくといった、きたインド交代こうたいかえした中央ちゅうおうアジア起源きげんのインド王朝おうちょうペルシア公用こうようとしたが、この時期じきにもサンスクリットの学術がくじゅつてき文化ぶんかてき地位ちいらぐことはなかった[28]

13世紀せいき以降いこうイスラム王朝おうちょう支配しはい時代じだいアラビアペルシア時代じだい)から、だいえい帝国ていこく支配しはいによる英語えいご時代じだいて、その地位ちい相当そうとう低下ていかしたが、いまでも知識ちしき階級かいきゅうにおいて習得しゅうとくするひとおおく、学問がくもん宗教しゅうきょうつづけている。1972ねんデリーだい1かい国際こくさいサンスクリット会議かいぎひらかれたが、討論とうろんから喧嘩けんかまでサンスクリットでおこなわれたという。また、従来じゅうらいはサンスクリットは男性だんせい使つかうものであったが、現代げんだいでは女性じょせいがサンスクリットを使つかうようになってきている[29]

インドで実施じっしされる国勢調査こくせいちょうさにおいては現代げんだいでもサンスクリットを母語ぼごとして申告しんこくするひとびとが少数しょうすうながら存在そんざいし、2001ねんにはインドで14,135にん[30]、2011ねんにはインドで24,821にん[1]、ネパールで1,669にん[2]がサンスクリットを母語ぼごとすると回答かいとうしているが、日常にちじょうとして使用しようされているかについては疑問ぎもんていされている[31]

ただし日常にちじょうとしての使用しようはなくともサンスクリット自体じたいはいまだにきている言語げんごであり、インドではヴァーラーナシーはじめすうしょにサンスクリットを教授きょうじゅ言語げんごとする大学だいがく存在そんざいする[32]ほか、テレビでもサンスクリットによるニュース番組ばんぐみ存在そんざい[33]、サンスクリットの雑誌ざっし発行はっこうされており[32]、さらにサンスクリット映画えいがも1983ねんから2019ねんまでのあいだに8ほん製作せいさくされている。

音声おんせい[編集へんしゅう]

おおくの古代こだい同様どうよう、サンスクリットが古代こだいにどのように発音はつおんされていたかは、かならずしもあきらかではない。

母音ぼいんには、たん母音ぼいん a i uちょう母音ぼいん ā ī ū e o重母音じゅうぼいん ai au がある。e o がつねにながいことに注意ちゅういみじかい a は、[ə] のようなあいまいな母音ぼいんであった。ほかに音節おんせつ主音しゅおんてきr̥ r̥̄ l̥ があったが、現代げんだいではそれぞれ ri rī li のように発音はつおんされる。r̥̄ l̥使用しよう頻度ひんどすくなく、前者ぜんしゃわる名詞めいし複数ふくすう対格たいかくぞくかくかたちれいpitr̥̄nちちたちを」)、後者こうしゃkl̥p- 「よくう、適合てきごうする」という動詞どうしのみにあらわれる。

音節おんせつあたま子音しいん以下いかの33種類しゅるいがあった。

りょう唇音しんおん
くちびる歯音しおん
歯音しおん
歯茎はぐきおん
そりしたおん かた口蓋こうがいおん 軟口蓋なんこうがいおん 声門せいもんおん
破裂はれつおん
やぶおと
おん p b t d ṭ ḍ c j k g
おびおん ph bh th dh ṭh ḍh ch jh kh gh
鼻音びおん m n (ñ) ()
摩擦音まさつおん s ś h [ɦ]
半母音はんぼいん v r y
側面そくめんおん l

そりしたおん発達はったつしていることと、調音ちょうおん位置いちひとしくする破裂はれつおん無声むせいおん声帯せいたいおんゆうごえおんゆう声帯せいたいおんの4種類しゅるいがあることがサンスクリットの特徴とくちょうである。このうちゆう声帯せいたいおん実際じっさいにはいきもれごえであり、これらのおと現在げんざいヒンディーなどにも存在そんざいする。ヴェーダには、ほかに もあった。リグ・ヴェーダでは、母音ぼいんはさまれたときの おととしてあらわれる。

c ch j jh は破裂はれつおん [c cʰ ɟ ɟʱ] であったとするせつ[34]やぶおとであったとするせつがある[35]現代げんだいではやぶおととして発音はつおんする。ñ([ɲ]) と ([ŋ]) は、つづりのうえではほかの鼻音びおん区別くべつしてかれるが、音韻おんいんてきには n のおととみなされる。

音節おんせつまつのみに子音しいんとしては、どう器官きかんてき鼻音びおんアヌスヴァーラ)と 無声音むせいおん[h]ヴィサルガ)がある。

ヴェーダ高低こうていアクセントち、単語たんごによりアクセント位置いちさだまっていた。古典こてん時代じだいのアクセントは不明ふめいである。現代げんだいにおいては、うしろから4音節おんせつめ(単語たんごが4音節おんせつ未満みまんなら先頭せんとう)につよいきおいがあり、ただしうしろから2番目ばんめさもなくば3番目ばんめ音節おんせつながい(ちょう母音ぼいん重母音じゅうぼいんふく音節おんせつ、または閉音ぶし場合ばあい、その音節おんせつつよぜいかれる。

連声れんじょう[編集へんしゅう]

連声れんじょうれんおんsandhi)はサンスクリットのおおきな特徴とくちょうで、2つの形態素けいたいそならんだときにきるおと変化へんかのことである。れんおん変化へんか自体じたいはほかの言語げんごにもられるものだが、サンスクリットでは変化へんか規則きそくてききることと、変化へんかしたのちかたち表記ひょうきされることに特徴とくちょうがあり、連声れんじょうきたのちかたちからもとかたちもどさなければ、辞書じしょくこともできない。

単語たんごあいだ連声れんじょう外連けれんごえ語幹ごかん(または語根ごこん)と語尾ごびあいだ連声れんじょううち連声れんじょうう。両者りょうしゃ共通きょうつうする部分ぶぶんもあるが、ちがいもおおきい。

外連けれんごえれいとして、a語幹ごかん名詞めいし単数たんすう主格しゅかく語尾ごびである -aḥれいをあげる。

  • 無声むせい子音しいん後続こうぞくするとき、かた口蓋こうがいおんまえでは -aś、そりしたおんまえでは -aṣ歯音しおんまえ-as変化へんかする。それ以外いがい-aḥ のまま[36]
  • ゆうごえ子音しいん後続こうぞくするときには -o に変化へんかする。
  • a 以外いがい母音ぼいん後続こうぞくするときには -a に変化へんかする。
  • a が後続こうぞくするときには、後続こうぞく母音ぼいん融合ゆうごうして -o に変化へんかする。

文法ぶんぽう[編集へんしゅう]

名詞めいしせい区別くべつがあり、かずかくによって変化へんかする。せい男性だんせい女性じょせい中性ちゅうせいがあり、かずには単数たんすうそうすう複数ふくすうかれる。かく主格しゅかくよびかく対格たいかくかく与格よかくだつかくぞくかくしょかくの8つある。形容詞けいようし名詞めいしせいかずかくにおいて一致いっちする。代名詞だいめいし独特どくとく活用かつようおこなう。

名詞めいし形容詞けいようし語幹ごかん末尾まつびによって変化へんか仕方しかたことなる。とくに子音しいんわる語幹ごかんは、れんおんによる変化へんかがあるほか、語幹ごかんそのものが変化へんかすることがある。

動詞どうしは、人称にんしょうかずによって変化へんかする。伝統でんとうてき文法ぶんぽうでは、動詞どうし語根ごこんdhātu)によってしめされ、語根ごこんから現在げんざい語幹ごかんつく方法ほうほうによって10しゅけられている。時制じせい組織そしき現在げんざい未来みらい完了かんりょう過去かこ完了かんりょうアオリスト区別くべつするが、古典こてんサンスクリットでは完了かんりょうやアオリストは衰退すいたいしつつあった[37]たいには、能動態のうどうたいParasmaipada)と反射はんしゃたいĀtmanepada, ギリシアちゅう動態どうたい相当そうとうする。行為こういしゃ自身じしんのためにおこなわれることをあらわす)が存在そんざいするが、実際じっさいには両者りょうしゃ意味いみじょうちがいはかならずしもあきらかでない[38]受身うけみはこれとことなり、使役しえきなどとともに、動詞どうし接尾せつび付加ふかすることによってあらわされる。

動詞どうしほうにはちょく説法せっぽう命令めいれいほう希求ききゅうほう願望がんぼうほう)、条件じょうけんほう祈願きがんほう希求ききゅうほうのアオリスト)がある。ヴェーダにはほかに接続せつぞくほう指令しれいほうがあったが、パーニニの時代じだいには(固定こていした表現ひょうげんのぞき)うしなわれていた[39]条件じょうけんほう祈願きがんほう古典こてんサンスクリットでは衰退すいたいしている[40]。 サンスクリットでは不定ふてい分詞ぶんし動詞どうしてき形容詞けいようし(gerundive)などのじゅん動詞どうし非常ひじょう発達はったつしている[41]

サンスクリットでは複合語ふくごうご異常いじょう発達はったつし、言語げんごでは従属じゅうぞくぶし使つかうところを、複合語ふくごうごによって表現ひょうげんする[42]

語彙ごい[編集へんしゅう]

サンスクリットの語彙ごい非常ひじょう豊富ほうふであり、また複合語ふくごうご簡単かんたんつくることができる。多義たぎおお一方いっぽう同義語どうぎご類義語るいぎごおおい。

いちれいとして数詞すうしIAST方式ほうしきマ字まじ表記ひょうきげる。なお、サンスクリットでは語形ごけい変化へんかれんおんによってさまざまなかたちをとるが、単語たんご語尾ごびのぞいた語幹ごかんかたちであげるのが普通ふつうであり、ここでもその慣習かんしゅうによる。

数詞すうし サンスクリット ギリシア参考さんこう倍数ばいすう接頭せっとう
1 eka-, エーカ hen-
2 dvi-, ドゥヴィ di-
3 tri-, トゥリ tri-
4 catur-, チャトゥル tetra-
5 pañca-, パンチャ penta-
6 ṣaṣ-, シャシュ hexa-
7 sapta-, サプタ hepta-
8 aṣṭa-, アシュタ octa-
9 nava-, ナヴァ ennea-
10 daśa-, ダシャ deca-

実際じっさいにはこれに語尾ごびがつく。たとえば、tri- 「3」は i- 語幹ごかんであるので、(複数ふくすう男性だんせい主格しゅかくがたtrayaḥ になる。さらにこのかたりaśva-うま」を修飾しゅうしょくする場合ばあいは、れんおん変化へんかによって trayo 'śvāḥ となる[43]

文字もじ表記ひょうき[編集へんしゅう]

円形えんけいグランタ文字もじによる「ヨハネによる福音ふくいんしょ」3しょう16せつ言語げんごはサンスクリット。19世紀せいきなかば。

サンスクリットは本来ほんらい文字もじたない言語げんごであり、その近代きんだいまでは書記しょきよりも読誦とくしょうおもとする文化ぶんかつづいていた。このことがぎゃくに、時代じだい地域ちいきによってことなる様々さまざま表記ひょうきほうをサンスクリットにもたらした[44]。サンスクリットが文字もじ表記ひょうきされるようになるのは4世紀せいきごろにインドけい文字もじであるブラーフミー文字もじがサンスクリット表記ひょうき使用しようされるようになってからであるが、この文字もじ本来ほんらいよりあたらしい言語げんごであるプラークリット表記ひょうきのために開発かいはつされた文字もじであり、正確せいかく表記ひょうきのためにあらたな表記ひょうきほう開発かいはつされた[45]。さらにブラーフミー文字もじ表記ひょうきのサンスクリットはインド文化ぶんかとともに東南とうなんアジア諸国しょこく伝播でんぱし、この多様たようブラーフミーけい文字もじすこととなった[46]日本にっぽんでは伝統でんとうてき悉曇しったん文字もじシッダマートリカー文字もじ一種いっしゅ、いわゆる「梵字ぼんじ」)が使つかわれてきたし、みなみインドではグランタ文字もじによる筆記ひっきが、その使用しようしゃすくなくなったものの現在げんざいつたえられている[44]

現在げんざいでは、地域ちいきわずインド全般ぜんぱんデーヴァナーガリー使つかってサンスクリットをくことがおこなわれているが、このようになったのは最近さいきんのことである[47]ラテン文字もじによるこぼし方式ほうしきとしてはIAST一般いっぱんてきである。

情報じょうほう進展しんてんにより、コンピュータインターネット普及ふきゅうするようになってからは、子音しいん表現ひょうげん複雑ふくざつデーヴァナーガリーわり、入力にゅうりょく比較的ひかくてき容易よういなIASTなどの表記ひょうきもちいられるようになっている[48]。インド国内こくないけのサイトをのぞき、基本きほんてきにはIAST表記ひょうき中心ちゅうしんである。

言語げんご言語げんごがくへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

300ねんから1800ねんにかけてのサンスクリットの文書ぶんしょ碑文ひぶん発見はっけんされている地域ちいき。こうした歴史れきしてき文書ぶんしょ碑文ひぶんみなみアジア、東南とうなんアジア、ひがしアジアのひろ地域ちいき存在そんざいしている

サンスクリットは近代きんだいインド大陸たいりくしょ言語げんごにもおおきな影響えいきょうあたえた言語げんごであり、ドラヴィダ語族ごぞくぞくするみなみインド諸語しょごたいしても借用しゃくようなどをつうじて多大ただい影響えいきょうあたえた[49]。さらにはおも宗教しゅうきょうつうじて東南とうなんアジアひがしアジアにも影響えいきょうあたえた。東南とうなんアジアへの伝播でんぱおもにヒンドゥーきょうつうじてのものであり、クメール王国おうこくでは15世紀せいきごろまでサンスクリットの碑文ひぶんおおつくられた[50]。またひがしアジアへは大乗だいじょう仏教ぶっきょうつうじて中国ちゅうごくチベット伝播でんぱした[51]

また、サンスクリットはヒンディー成立せいりつおおきな影響えいきょうあたえた。もともときたインドのひろ範囲はんいではヒンドゥスターニー基盤きばんとしてペルシアアラビア語彙ごい文法ぶんぽうれたウルドゥー使用しようされていたのだが、19世紀せいきはいイスラム教徒きょうとヒンドゥー教徒きょうと対立たいりつはげしくなると、ヒンドゥー教徒きょうとがわはウルドゥーからペルシアやアラビア借用しゃくようのぞいてサンスクリットへとえる言語げんご純化じゅんかおこない、ヒンディー成立せいりつすることとなった[52]。このうごきは、1947ねんインド・パキスタン分離ぶんり独立どくりつによってさらにつよまった[53]

また、サンスクリットの研究けんきゅう言語げんごがく成立せいりつふかくかかわっている。イギリスの裁判官さいばんかんであったウィリアム・ジョーンズは、ベンガル最高法院さいこうほういん赴任ふにんしていた1786ねん、サンスクリットとギリシアラテン語らてんごといった欧州おうしゅうけいしょ言語げんご、さらに古代こだいペルシアとの文法ぶんぽう類似るいじてんづき、これら諸語しょご共通きょうつう祖語そごから分岐ぶんきしたとのせつベンガル・アジア協会きょうかいにおいて発表はっぴょうした。この発表はっぴょう後世こうせいおおきな影響えいきょうおよぼし、これをもって言語げんごがく誕生たんじょうしたと一般いっぱんてきかんがえられている[54]

さらにジョーンズの発見はっけんインドがく発展はってんうながし、1814ねんにはコレージュ・ド・フランスにヨーロッパはつのサンスクリット講座こうざ開設かいせつされてアントワーヌ=レオナール・ド・シェジー教授きょうじゅ就任しゅうにん[55]、1818ねんにはドイツのボン大学だいがくにも開設かいせつされ[56]以後いご徐々じょじょにヨーロッパ各地かくち大学だいがくにサンスクリット講座こうざ開設かいせつされ研究けんきゅうすすむようになった。

仏教ぶっきょうおよび日本にっぽんへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

仏教ぶっきょうでは最初さいしょ日常にちじょう言語げんごであるプラークリットをもちいて布教ふきょうおこなっており、仏典ぶってんもまたプラークリットでパーリ仏典ぶってんとしてかれていた。しかし4世紀せいきはいり、グプタあさ学術がくじゅつ振興しんこうおこなうとともにサンスクリットを公用こうようとすると、宗教しゅうきょうとの論争ろんそう教理きょうり整備せいび関係かんけいじょう仏教ぶっきょうでもサンスクリットが使用しようされるようになり[57]、また仏典ぶってんがサンスクリットに翻訳ほんやくされるようになった。このうごきはとく大乗だいじょう仏教ぶっきょうにおいてさかんとなり、以後いご大乗だいじょう仏教ぶっきょうサンスクリット仏典ぶってん主流しゅりゅうとなっていった。この過程かていで、一時いちじてき言語げんご混淆こんこうき、仏教ぶっきょう混淆こんこうサンスクリットばれるサンスクリットとプラークリットのこん合体がったい出現しゅつげんして仏典ぶってん一時期いちじきもちいられた[58]

上座かみざ仏教ぶっきょうがプラークリット(パーリ)の仏典ぶってん保持ほじしたまま東南とうなんアジア方面ほうめんきょうせんばしていったのにたいし、大乗だいじょう仏教ぶっきょうきたシルクロードまわりでひがしアジアへと到達とうたつし、仏教ぶっきょう伝播でんぱとともにサンスクリットはこれら諸国しょこくつたえられていった。ただし初期しょきかんやく仏典ぶってん原典げんてんはかならずしもサンスクリットではなかったとかんがえられており、ガンダーラのようなプラークリットに由来ゆらいする可能かのうせいもある[59]。しかし中国ちゅうごく仏教ぶっきょうひろまるにしたがい、巡礼じゅんれい仏典ぶってんもとめて仏教ぶっきょう発祥はっしょうであるインドへとおもむく、いわゆるにゅう竺求ほうそうあらわれはじめた。この時期じきにはインドの大乗だいじょう仏教ぶっきょう仏典ぶってんはほぼサンスクリットされており、このためかれらによってかえられた仏典ぶってん大半たいはんはサンスクリットによるものだった[60]。5世紀せいきほうあらわや7世紀せいきよしきよしなどがにゅう竺求ほうそうとしてられるが、なかでもこうしたそうなかもっと著名ちょめいなものは7世紀せいきとうげんであり、かえった膨大ぼうだいなサンスクリット仏典ぶってんかんやくおこなってわけけいをなした。かれ以降いこう仏典ぶってんやくわけけい区分くぶん上新かみしんやくばれ[61]、それ以前いぜんばとらによるふるい、しばしばサンスクリットからではない[62]旧訳きゅうやく区分くぶんされている[61]

日本にっぽんへは中国ちゅうごく経由けいゆで、仏教ぶっきょう仏典ぶってんとともにサンスクリットにまつわる知識ちしき単語たんごなどをれてきた。その時期じきおそくとも真言宗しんごんしゅう開祖かいそ空海くうかいまではさかのぼることができる。仏教ぶっきょう用語ようごおおくはサンスクリットの漢字かんじによる音訳おんやくであり、"そう"、"盂蘭盆うらぼん"、"卒塔婆そとうば"、"南無なむ阿弥陀あみだふつ[63]"などがある。"檀那だんな旦那だんな)"など日常にちじょうしているものもある。また、陀羅尼だらに(だらに、ダーラニー)、真言しんごんマントラ)はかんやくされず、サンスクリットをおとうつした漢字かんじ表記ひょうきされ、直接ちょくせつ読誦とくしょうされる。陀羅尼だらに現代げんだい日本にっぽんのいくつかの文学ぶんがく作品さくひんにも登場とうじょうする(いずみ鏡花きょうか高野たかのきよし」など)。卒塔婆そとうば護符ごふなどにえがかれる文字もじについては梵字ぼんじ参照さんしょう日本語にほんご五十音ごじゅうおん配列はいれつは、サンスクリットの伝統でんとうてき音韻おんいんひょう配列はいれつ影響えいきょうけているとかんがえられ、サンスクリット音韻おんいんがくである悉曇しったんがく由来ゆらいするとされる。

こうした仏教ぶっきょうとのつながりのため、明治めいじ以後いご日本にっぽんでのサンスクリット研究けんきゅう仏教ぶっきょうがくふかむすびついてきた。1876ねんには真宗しんしゅう大谷おおや南條なんじょう文雄ふみおインドがく研究けんきゅうのためオックスフォおっくすふぉド大学どだいがく派遣はけんされ[64]、1885ねん帰国きこくすると東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく梵語ぼんご講座こうざ開設かいせつし、以後いごいくつかの大学だいがくでサンスクリットがおしえられるようになった[65]

著名ちょめい文学ぶんがく哲学てつがく宗教しゅうきょう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

映画えいが音楽おんがくとサンスクリット[編集へんしゅう]

母音ぼいんひびきがよいという理由りゆう映画えいが音楽おんがくでコーラスを投入とうにゅうするさい使用しようされるケースがる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b https://www.pratidintime.com/latest-census-figure-reveals-increase-in-sanskrit-speakers-in-india/
  2. ^ a b National Population and Housing Census 2011 (PDF) (Report). Vol. 1. Kathmandu: Central Bureau of Statistics, Government of Nepal. November 2012. 2013ねん12月28にち時点じてんオリジナル (PDF)よりアーカイブ。 {{cite report}}: 不明ふめい引数ひきすう|deadurl=無視むしされます。(もしかして:|url-status=) (説明せつめい)
  3. ^ "http://aboutworldlanguages.com/sanskrit"
  4. ^ a b "http://www.sanskritbible.in/assets/txt/devanagari/43001.html"
  5. ^ "http://shashir.autodidactus.org/shashir_umich/sanskrit_transcription.html"
  6. ^ "https://omniglot.com/conscripts/arabikkhara.htm"
  7. ^ "https://omniglot.com/conscripts/arabikkhara.htm"
  8. ^ https://www.hindustantimes.com/india/sanskrit-is-second-official-language-in-uttarakhand/story-wxk51l8Re4vNxofrr7FAJK.html
  9. ^ https://www.thehindu.com/todays-paper/tp-national/tp-otherstates/Sanskrit-second-official-language-of-Uttarakhand/article15965492.ece
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]