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民俗 みんぞく 学 がく (みんぞくがく、英語 えいご : folklore studies / folkloristics )は、学問 がくもん 領域 りょういき のひとつ。高度 こうど な文明 ぶんめい を有 ゆう する諸 しょ 国家 こっか において、自国 じこく 民族 みんぞく の日常 にちじょう 生活 せいかつ 文化 ぶんか の歴史 れきし を、民間 みんかん 伝承 でんしょう をおもな資料 しりょう として再 さい 構成 こうせい しようとする学問 がくもん で、民族 みんぞく 学 がく や文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく の近接 きんせつ 領域 りょういき である。
民俗 みんぞく 学 がく は、風俗 ふうぞく や習慣 しゅうかん 、伝説 でんせつ 、民話 みんわ 、歌謡 かよう 、生活 せいかつ 用具 ようぐ 、家屋 かおく など古 ふる くから民間 みんかん で伝承 でんしょう されてきた有形 ゆうけい 、無形 むけい の民俗 みんぞく 資料 しりょう をもとに、人間 にんげん の営 いとな みの中 なか で伝承 でんしょう されてきた現象 げんしょう の歴史 れきし 的 てき 変遷 へんせん を明 あき らかにし、それを通 つう じて現在 げんざい の生活 せいかつ 文化 ぶんか を相対 そうたい 的 てき に説明 せつめい しようとする学問 がくもん である。
この学問 がくもん は、近代 きんだい 化 か によって多 おお くの民俗 みんぞく 資料 しりょう が失 うしな われようとするとき、消 き えゆく伝統 でんとう 文化 ぶんか へのロマン主義 しゅぎ 的 てき な憧憬 どうけい やナショナリズム の高 たか まりとともに誕生 たんじょう した若 わか い学問 がくもん であり、日本 にっぽん もその例外 れいがい ではない。日本 にっぽん の民俗 みんぞく 学 がく は、ヨーロッパ 特 とく にイギリス のケンブリッジ学派 がくは の強 つよ い影響 えいきょう をうけて、柳田 やなぎだ 國男 くにお や折口 おりぐち 信夫 しのぶ らによって近代 きんだい 科学 かがく として完成 かんせい された。通常 つうじょう はfolklore の訳語 やくご とされるが、folklore は民間 みんかん 伝承 でんしょう (民俗 みんぞく )それ自体 じたい をも指 さ すため、英語 えいご 圏 けん では民俗 みんぞく 学 がく をFolklore-StudiesやFolkloristics と呼 よ ぶことも少 すく なくない。
人間 にんげん の生活 せいかつ には、誕生 たんじょう から、育児 いくじ 、結婚 けっこん 、死 し に至 いた るまでさまざまな儀式 ぎしき が伴 ともな っている。こうした通過 つうか 儀礼 ぎれい とは別 べつ に、普段 ふだん の衣食住 いしょくじゅう や祭礼 さいれい などの中 なか にもさまざまな習俗 しゅうぞく 、習慣 しゅうかん 、しきたりがある。これらの風習 ふうしゅう の中 なか にはその由来 ゆらい が忘 わす れられたまま、あるいは時代 じだい とともに変化 へんか して元 もと の原型 げんけい がわからないままに行 おこ なわれているものもある。民俗 みんぞく 学 がく はまた、こうした習俗 しゅうぞく の綿密 めんみつ な検証 けんしょう などを通 とお して伝統 でんとう 的 てき な思考 しこう 様式 ようしき を解明 かいめい する学問 がくもん でもある。
時代 じだい や学者 がくしゃ によってその定義 ていぎ は多岐 たき にわたり、概説 がいせつ 的 てき に説明 せつめい することはむずかしいが、大 おお まかにいえば以下 いか のような特徴 とくちょう を持 も つ学問 がくもん である。
研究 けんきゅう の目的 もくてき は、ある民族 みんぞく の伝統 でんとう 的 てき な文化 ぶんか 、信仰 しんこう 、風俗 ふうぞく 、慣習 かんしゅう 、思考 しこう の様式 ようしき を解明 かいめい することにある。また、こうした対象 たいしょう の歴史 れきし 的 てき 変遷 へんせん とともに、時代 じだい をさかのぼりながらその原初 げんしょ 形態 けいたい を明 あき らかにしようとする傾向 けいこう を持 も つ。
研究 けんきゅう の対象 たいしょう が自 じ 民族 みんぞく の基層 きそう 文化 ぶんか である場合 ばあい は、他 た 民族 みんぞく の事例 じれい を自民 じみん 族 ぞく の研究 けんきゅう の補助 ほじょ 材料 ざいりょう として使 つか う場合 ばあい が多 おお い。
研究 けんきゅう の手法 しゅほう として、文献 ぶんけん 資料 しりょう のほか、現代 げんだい 社会 しゃかい に残存 ざんそん する文化 ぶんか ・風習 ふうしゅう ・思考 しこう の様式 ようしき を重視 じゅうし する。このためフィールド・ワーク による材料 ざいりょう 収集 しゅうしゅう を行 おこな う。
また未開 みかい であると考 かんが えられる他 ほか 民族 みんぞく の文化 ぶんか ・風習 ふうしゅう ・思考 しこう の様式 ようしき を、人間 にんげん のプリミティブな精神 せいしん 活動 かつどう のあらわれであると考 かんが え、これを研究 けんきゅう 上 じょう の材料 ざいりょう または補助 ほじょ 材料 ざいりょう とすることも多 おお い(この点 てん について、現在 げんざい ではポストコロニアル な考 かんが えから批判 ひはん が行 おこな われることがある)。「未開 みかい 」と「古代 こだい 」(始原 しげん )の同 どう 一 いち 視 し は民俗 みんぞく 学 がく の特色 とくしょく のひとつである。
現代 げんだい 人 じん が無意識 むいしき のうちに行 い っていること、あるいは合理 ごうり 的 てき な説明 せつめい をつけながら行 い っていることのなかに、古代 こだい 的 てき な意味 いみ を見出 みいだ す、という型 かた の研究 けんきゅう が多 おお い。
日本 にっぽん では文学 ぶんがく 研究 けんきゅう ・批評 ひひょう に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えており、この点 てん で文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく ・民族 みんぞく 学 がく とは異 こと なった特色 とくしょく がある。
特 とく に日本 にっぽん の民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう にあっては、その初期 しょき に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えた柳田 やなぎだ 國男 くにお 、折口 おりぐち 信夫 しのぶ の二人 ふたり が強烈 きょうれつ な個性 こせい の持主 もちぬし であり、西欧 せいおう 渡来 とらい の学問 がくもん の手法 しゅほう を消化 しょうか して日本 にっぽん 独自 どくじ のフォークロアを完成 かんせい させたため、「柳田 やなぎだ 学 まなぶ 」「折口 おりぐち 学 まなぶ 」といった名 な で呼 よ ばれることもある。また、柳田 やなぎだ 自身 じしん 、「新国 にいくに 学 まなぶ 」と称 しょう して民俗 みんぞく 学 がく の体系 たいけい 化 か を試 こころ みており、近世 きんせい 以来 いらい の国学 こくがく の影響 えいきょう も強 つよ い。
日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく は「在野 ざいや の学 がく 」と表現 ひょうげん され、他 た の諸 しょ 学問 がくもん と比較 ひかく したときに最 もっと も特異 とくい とされる特徴 とくちょう でもある。これは在野 ざいや とアカデミズム(民俗 みんぞく 学 がく を職業 しょくぎょう としているか否 ひ か)を区別 くべつ しない、学歴 がくれき や職業 しょくぎょう にかかわらず民俗 みんぞく 事象 じしょう に興味 きょうみ 関心 かんしん のある者 もの は誰 だれ でも参加 さんか できる学問 がくもん 、といった感覚 かんかく で用 もち いられている。これらのことから、通常 つうじょう 「在野 ざいや の民俗 みんぞく 学者 がくしゃ 」というい方 いかた がされることは少 すく ない(逆 ぎゃく に「大学 だいがく の民俗 みんぞく 学者 がくしゃ 」というい方 いかた がされることがある)。
日本 にっぽん においては民俗 みんぞく または民俗 みんぞく 学 がく という用語 ようご が一般 いっぱん には通 つう じにくいことがあり、民族 みんぞく 学 がく (文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく )と混同 こんどう されたり、ミンゾクという言葉 ことば から政治 せいじ 的 てき な活動 かつどう 、研究 けんきゅう を行 おこ なっているという勘違 かんちが いを受 う けたりすることが間々 まま ある。マスコミ や出版 しゅっぱん 物 ぶつ などにおいても「民族 みんぞく 文化財 ぶんかざい 」や「民族 みんぞく 資料 しりょう 館 かん 」といった誤植 ごしょく が多 おお く見 み られる(無論 むろん 本当 ほんとう の「民族 みんぞく 資料 しりょう 館 かん 」も存在 そんざい する)。大学 だいがく においては「紛争 ふんそう などの民族 みんぞく 問題 もんだい を学 まな びたい」、「アイヌ民族 みんぞく を勉強 べんきょう したい」という理由 りゆう で民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう 会 かい の扉 とびら をたたく学生 がくせい がいるのも新入生 しんにゅうせい の多 おお い時期 じき には良 よ くある風景 ふうけい である(民族 みんぞく 学 がく については隣接 りんせつ 学問 がくもん でもあるので、研究 けんきゅう 会 かい 、学会 がっかい の中 なか には研究 けんきゅう 対象 たいしょう に含 ふく めている団体 だんたい もある)。
日本 にっぽん で民俗 みんぞく 学 がく といった場合 ばあい 、一般 いっぱん には日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく を指 さ すが、海外 かいがい を見 み ると19世紀 せいき の欧米 おうべい を中心 ちゅうしん として、多 おお くの国 くに で民俗 みんぞく 学 がく に相当 そうとう する学問 がくもん が誕生 たんじょう している。誕生 たんじょう の経緯 けいい は国 こく ごとの政治 せいじ 的 てき 社会 しゃかい 的 てき 状況 じょうきょう や民族 みんぞく 学 がく (文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく )等 とう との関係 かんけい によって多様 たよう である上 うえ に、他 た の社会 しゃかい 科学 かがく のように国際 こくさい 的 てき な交流 こうりゅう が盛 さか んではなく各国 かっこく 独自 どくじ の進展 しんてん をしてきたこともあって、一概 いちがい に民俗 みんぞく 学 がく の歴史 れきし を語 かた ることはできない。
ヨーロッパで民俗 みんぞく 学 がく 的 てき な関心 かんしん が高 たか まった背景 はいけい には、主 おも にフランス革命 かくめい による近代 きんだい 化 か と都市 とし 化 か 、あるいは資本 しほん 主義 しゅぎ 化 か による急激 きゅうげき な社会 しゃかい 変化 へんか を前 まえ に、消 き えゆく伝統 でんとう 文化 ぶんか へのロマン主義 しゅぎ 的 てき な憧憬 どうけい や民族 みんぞく 意識 いしき の高 たか まりが存在 そんざい する。
イギリスでは1846年 ねん に、作家 さっか のウィリアム・トムズ(William John Thoms)がドイツ語 ご のフォルクスクンデ を英語 えいご に訳 やく してフォークロアfolklore の術語 じゅつご を提唱 ていしょう し、古代 こだい 文化 ぶんか の名残 なごり や民謡 みんよう などを対象 たいしょう に民俗 みんぞく 研究 けんきゅう の草分 くさわ けとなったが、学問 がくもん の組織 そしき 化 か としては、1878年 ねん にジョージ・ゴム (George Laurence Gomme)らがロンドンに“Folklore Society"(民俗 みんぞく 学 がく 協会 きょうかい )を設立 せつりつ した時期 じき を端緒 たんしょ とする。進化 しんか 主義 しゅぎ 人類 じんるい 学 がく が波及 はきゅう 力 りょく を持 も っていた19世紀 せいき 末 まつ のイギリスでは、民俗 みんぞく 学 がく も庶民 しょみん の習俗 しゅうぞく に見 み るキリスト教 きりすときょう 以前 いぜん の残存 ざんそん (Survival)を対象 たいしょう にするとともに、自民 じみん 族 ぞく のみならず海外 かいがい 植民 しょくみん 地 ち を関心 かんしん に入 い れるなど、人類 じんるい 学 がく との近接 きんせつ 性 せい が顕著 けんちょ にみとめられる。それは1885年 ねん に民俗 みんぞく 学 がく の協会 きょうかい が設立 せつりつ されたフランスも同様 どうよう であり、20世紀 せいき 初頭 しょとう にかけてサンティーヴ(Pierre Saintyves)、ロベール・エルツ (Robert Hertz)、レヴィ=ブリュル (Lucien Levi-Bruhl)、ファン・ヘネップ (Arnold van Gennep)といった学者 がくしゃ が、近代 きんだい 的 てき な民俗 みんぞく 学 がく ・人類 じんるい 学 がく 研究 けんきゅう を進 すす めた。彼 かれ らのアプローチに異同 いどう はあるにせよ、民間 みんかん 伝承 でんしょう の起源 きげん を遡及 そきゅう し原始 げんし 的 てき な民族 みんぞく 心理 しんり の究明 きゅうめい を重視 じゅうし する点 てん では概 おおむ ね共通 きょうつう している。またエルツやレヴィ=ブリュルはモース (Marcel Mauss)やデュルケーム (Emile Durkheim)などと近 ちか く、ファン・ヘネップも後 のち にターナー (Victor Turner)へ影響 えいきょう を及 およ ぼすなど、人類 じんるい 学 がく や社会 しゃかい 学 がく と不可分 ふかぶん の位置 いち にあったこともフランスの民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう の特徴 とくちょう だった。
一方 いっぽう 、ヨーロッパにおいて最 もっと も盛 さか んに研究 けんきゅう が行 おこな われてきたドイツでは、民俗 みんぞく 学 がく はフォルクスクンデ(Volkskunde)と呼 よ ばれ、フォルク(ドイツ民族 みんぞく /ドイツ国民 こくみん )に共通 きょうつう する精神 せいしん の発見 はっけん という民族 みんぞく 主義 しゅぎ 的 てき な色彩 しきさい が濃 こ い学問 がくもん であった。もともとドイツ語 どいつご 圏 けん では哲学 てつがく 者 しゃ のヘルダー (Johann Gottfried Herder)が民族 みんぞく の魂 たましい の発露 はつろ としての民謡 みんよう の概念 がいねん を提唱 ていしょう し、次 つ いで昔話 むかしばなし 収集 しゅうしゅう や古 いにしえ 法 ほう ・法 ほう 諺 ことわざ の研究 けんきゅう で有名 ゆうめい なグリム兄弟 きょうだい らが、ドイツロマン主義 しゅぎ を背景 はいけい に神話 しんわ 学 がく としての民俗 みんぞく 学 がく への道筋 みちすじ を敷 し き、それは時代 じだい 風潮 ふうちょう とも合 あ って、一種 いっしゅ のブームとなった。そのためロマン派 は のドイツ民俗 みんぞく 学 がく はゲルマニスティク (ドイツ語学 ごがく ・文学 ぶんがく 研究 けんきゅう )との重 じゅう なりが強 つよ かった。その傾向 けいこう に異 こと を唱 とな えたのは、1850年代 ねんだい のヴィルヘルム・ハインリヒ・リール であった。リールは、ロマン派 は の民俗 みんぞく 学 がく が珍 ちん 習奇俗 ぞく の収集 しゅうしゅう とそれを神話 しんわ との関係 かんけい で読 よ み解 と く好事家 こうずか 的 てき な方向 ほうこう にあることを批判 ひはん し、現実 げんじつ の民衆 みんしゅう 生活 せいかつ を体系 たいけい 的 てき に把握 はあく すべきことを説 と いた。特 とく に「学問 がくもん としてのフォルクスクンデ」が重要 じゅうよう であるが、ドイツ民俗 みんぞく 学 がく の関係 かんけい 者 しゃ がリールに注目 ちゅうもく するようになるのは20世紀 せいき に入 はい ってからであり、リール自身 じしん はグリム兄弟 きょうだい との接触 せっしょく もなく、また生前 せいぜん には民俗 みんぞく 学 がく の人脈 じんみゃく とはほとんど無関係 むかんけい であった。後 のち にリールはドイツ民俗 みんぞく 学 がく の指標 しひょう とされるようになるが、他方 たほう 、リールの思想 しそう の保守 ほしゅ 性 せい や反動 はんどう 的 てき 性格 せいかく を指摘 してき する声 こえ も根強 ねづよ く、評価 ひょうか をめぐって何 なん 度 ど も論争 ろんそう が起 お きた。
1891年 ねん にはグリム兄弟 きょうだい の晩年 ばんねん の弟子 でし でもあるカール・ヴァインホルト (ベルリン大学 だいがく 教授 きょうじゅ )がベルリン民俗 みんぞく 学会 がっかい を基礎 きそ に民俗 みんぞく 学 がく 協会 きょうかい の設立 せつりつ へと軌道 きどう を敷 し き、それが後 のち に今日 きょう のドイツ民俗 みんぞく 学会 がっかい となった。ドイツでは19世紀 せいき 後半 こうはん から民俗 みんぞく 学 がく が盛 さか んになり、研究 けんきゅう 組織 そしき や愛好 あいこう 団体 だんたい が多数 たすう あったが、統一 とういつ 的 てき 組織 そしき はなく、その意味 いみ でドイツ民俗 みんぞく 学会 がっかい の設立 せつりつ はドイツ民俗 みんぞく 学 がく の展開 てんかい においてエポックとなった[ 1] 。ヴァインホルトはドイツ語 どいつご 史 し や方言 ほうげん 研究 けんきゅう を専門 せんもん とするドイツ語学 ごがく 教授 きょうじゅ で、グリム兄弟 きょうだい の神話 しんわ を民俗 みんぞく 学 がく の方向 ほうこう へ伸 の ばし、民俗 みんぞく 学 がく を学問 がくもん へ発展 はってん させるべく学会 がっかい 機関 きかん 誌 し として『民俗 みんぞく 学 がく 誌 し 』の刊行 かんこう も始 はじ めた[ 1] 。
20世紀 せいき 前半 ぜんはん には、ハンブルク大学 だいがく において初 はじ めて大学 だいがく での民俗 みんぞく 学 がく ポスト(ただし、設置 せっち 者 しゃ の構想 こうそう ではハンブルク都市 とし 史 し に重点 じゅうてん があった)に就 つ いたオットー・ラウファー (Otto Lauffer)、ロマン派 は の民俗 みんぞく 学 がく との決別 けつべつ を劇的 げきてき に表現 ひょうげん したスイスのエードゥァルト・ホフマン=クライヤー (Eduard Hoffman-Krayer)、上層 じょうそう 文化 ぶんか /下層 かそう 文化 ぶんか の二 に 層 そう 論 ろん を提示 ていじ したナウマン (Hans Naumann)、心理 しんり 学 がく 的 てき 方法 ほうほう を提唱 ていしょう したアードルフ・シュパーマー など多 おお くの理論 りろん 家 か が生 う まれた。
しかし現行 げんこう の習俗 しゅうぞく を古代 こだい との連続 れんぞく 性 せい (Kontinuität)があるものと捉 とら え、農村 のうそん 生活 せいかつ や農民 のうみん に原初 げんしょ のドイツ民族 みんぞく 精神 せいしん を見出 みいだ そうとする傾向 けいこう をもつ民俗 みんぞく 学 がく は、本質 ほんしつ 的 てき に民族 みんぞく 主義 しゅぎ 的 てき な政治 せいじ イデオロギー に取 と り込 こ まれやすい性格 せいかく を有 ゆう しており、1933年 ねん 以降 いこう の国家 こっか 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 時代 じだい には国民 こくみん 統治 とうち および人種 じんしゅ 主義 しゅぎ の国策 こくさく 学問 がくもん へと取 と り込 こ まれていった。ナチス 政権 せいけん 下 か の国策 こくさく 民俗 みんぞく 学 がく 機関 きかん として「ローゼンベルク機関 きかん 」と「アーネンエルベ(祖先 そせん の遺産 いさん )」が組織 そしき され、ゲルマン民族 みんぞく の遺産 いさん の解明 かいめい のためあらゆる資料 しりょう が集 あつ められ、その中 なか には荒唐無稽 こうとうむけい な偽 にせ 古文書 こもんじょ も含 ふく まれ、オカルティックな偽 にせ 史 し までが国策 こくさく に利用 りよう されていった[ 2] 。ナチス 党員 とういん としてプロパガンダ 作成 さくせい や民俗 みんぞく 行事 ぎょうじ の創出 そうしゅつ に積極 せっきょく 的 てき に関 かか わった学者 がくしゃ は必 かなら ずしも多 おお くはなく、熱狂 ねっきょう 的 てき となったのは若手 わかて や少壮 しょうそう が中心 ちゅうしん で、彼 かれ らはまたナチ・エリートでもあったが、他 た の大半 たいはん の研究 けんきゅう 者 しゃ も批判 ひはん 的 てき 視点 してん をもつには程遠 ほどとお く、思想 しそう 的 てき にナチズムと同質 どうしつ ・同根 どうこん の要素 ようそ をかかえていたのが実態 じったい であり、それだけに問題 もんだい は根深 ねぶか いものがあった。そうした体質 たいしつ が、戦後 せんご 、何 なん 度 ど か波 なみ をつくりながら批判 ひはん されることになった。戦後 せんご の西 にし ドイツ民俗 みんぞく 学界 がっかい は、学問 がくもん としての信頼 しんらい を失 うしな ったフォルクスクンデを自己 じこ 批判 ひはん することを原動力 げんどうりょく に、再 さい 出発 しゅっぱつ を図 はか ることになる。ミュンヘン ではハンス・モーザー とカール=ジーギスムント・クラーマー が中心 ちゅうしん となり、民族 みんぞく 主義 しゅぎ との親和 しんわ 性 せい の高 たか い過去 かこ 遡及 そきゅう 型 がた の方法 ほうほう を放棄 ほうき し、より実証 じっしょう 的 てき な歴史 れきし 民俗 みんぞく 学 がく への道 みち を模索 もさく した。
現行 げんこう の民俗 みんぞく 事象 じしょう の把握 はあく では、テュービンゲン大学 だいがく のヘルマン・バウジンガー が最初 さいしょ の主要 しゅよう 著作 ちょさく 『科学 かがく 技術 ぎじゅつ 世界 せかい のなかの民俗 みんぞく 文化 ぶんか 』(1961年刊 ねんかん )において、科学 かがく 的 てき な技術 ぎじゅつ 機器 きき と常 つね に身近 みぢか に接 せっ する生活 せいかつ のあり方 かた こそ近 きん ・現代 げんだい の生活 せいかつ 文化 ぶんか の基本 きほん であるとの観点 かんてん に立 た ち、逆 ぎゃく に伝統 でんとう 文化 ぶんか や伝承 でんしょう には一種 いっしゅ の異質 いしつ 性 せい とそれゆえの吸引 きゅういん 力 りょく があることに着目 ちゃくもく して、民俗 みんぞく 学 がく の背景 はいけい となっていた、伝統 でんとう ・伝承 でんしょう に基底 きてい 的 てき なものを見 み てきた従来 じゅうらい の通念 つうねん を覆 くつがえ すような理解 りかい の構図 こうず を提示 ていじ した。またこれに理論 りろん 的 てき な支柱 しちゅう を得 え てハンス・モーザー がフォークロリズム (フォークロリスムス、Folklorismus)の概念 がいねん を提起 ていき し、さらにバウジンガーが補強 ほきょう したことによって、観光 かんこう 化 か された祭 まつ り・イベントや新 あら たに創出 そうしゅつ される習俗 しゅうぞく を民俗 みんぞく 学 がく の対象 たいしょう に取 と り込 こ むことが大幅 おおはば に進展 しんてん し、変化 へんか しにくいとされる伝統 でんとう 習俗 しゅうぞく に固執 こしつ する旧 ふる い民俗 みんぞく 学 がく からの脱却 だっきゃく が図 はか られた。
バウジンガーは、1971年 ねん 、テュービンゲン大学 だいがく の研究所 けんきゅうじょ からフォルクスクンデの名称 めいしょう を廃 はい し、代 か わりにInstitut fur Empirische Kulturwissenschaft (経験 けいけん 的 てき [型 かた ]文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ )の名 な を冠 かん した。このように1970年代 ねんだい 以降 いこう のドイツ民俗 みんぞく 学 がく では、戦前 せんぜん の清算 せいさん を象徴 しょうちょう するようにフォルクスクンデの名 な が消 き えつつあり、同時 どうじ にその方法 ほうほう も文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく や歴史 れきし 社会 しゃかい 学 がく など、社会 しゃかい 科学 かがく 寄 よ りへと大 おお きく変容 へんよう し、また近年 きんねん ではEUが日常 にちじょう 生活 せいかつ の次元 じげん でも枠組 わくぐ みとなる趨勢 すうせい もあって、マールブルク大学 だいがく を先駆 さきが けとするヨーロッパ・エスノロジー/フォルクスクンデ の二 に 重 じゅう 名称 めいしょう を採用 さいよう することが多 おお くなっている。日本 にっぽん でも、ドイツの動 うご きに刺激 しげき されて、民俗 みんぞく 学 がく の名称 めいしょう への疑問 ぎもん が起 お きている。ただし、学問 がくもん 名称 めいしょう をめぐっては、ドイツ民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう 者 しゃ 河野 こうの 眞 しん は、ドイツ語 ご の「フォルクスクンデ」は一般 いっぱん 語 ご であると共 とも に、<民 みん の覚 おぼ え>といった古 ふる めかしくもあれば馴染 なじ みやすくもある語感 ごかん をもち、それゆえ言葉 ことば が独 ひと り歩 ある きして混乱 こんらん を大 おお きくした面 めん があること、それに対 たい して日本語 にほんご の「民俗 みんぞく 学 がく 」は民俗 みんぞく 研究 けんきゅう をもっぱら指 さ す造語 ぞうご の性格 せいかく にあり、その違 ちが いを見 み ると、学問 がくもん 名称 めいしょう の当否 とうひ に関 かん するかぎり日本語 にほんご の場合 ばあい 大 おお きな問題 もんだい ではなく、むしろドイツ民俗 みんぞく 学界 がっかい において名称 めいしょう 変更 へんこう を機 き になされた議論 ぎろん の中身 なかみ に注目 ちゅうもく すべきであると説 と いている。
日本 にっぽん での民俗 みんぞく 学 がく は近世 きんせい における国学 こくがく や本草学 ほんぞうがく にも源流 げんりゅう が見 み られるが、本格 ほんかく 的 てき な研究 けんきゅう が開始 かいし されたのは19世紀 せいき 末 まつ である。一 ひと つの嚆矢 こうし となるのは坪井 つぼい 正 ただし 五郎 ごろう が東京 とうきょう 人類 じんるい 学会 がっかい を立 た ち上 あ げた1886年 ねん であり、民族 みんぞく 学 がく ・民俗 みんぞく 学 がく ・自然 しぜん 人類 じんるい 学 がく ・考古学 こうこがく 等 ひとし を包含 ほうがん する「人類 じんるい 学 がく 」の研究 けんきゅう として、「土俗 どぞく 」の調査 ちょうさ が行 おこな われるようになった。一方 いっぽう 、新渡戸 にとべ 稲造 いなぞう らと村落 そんらく 研究 けんきゅう の勉強 べんきょう 会 かい を行 おこな っていた農 のう 商務省 しょうむしょう 官僚 かんりょう の柳田 やなぎだ 國男 くにお は、1909年 ねん 、宮崎 みやざき 県 けん 椎葉 しいば 村 むら でききした狩猟 しゅりょう の話 はなし を「後 こう 狩 かり 詞 し 記 き 」(のちのかりのことばのき)として自費 じひ 出版 しゅっぱん し、柳田 やなぎだ 民俗 みんぞく 学 がく の第一歩 だいいっぽ を踏 ふ み出 だ す。1913年 ねん からは雑誌 ざっし 『郷土 きょうど 研究 けんきゅう 』を創刊 そうかん するとともに、当時 とうじ イギリス留学 りゅうがく から帰国 きこく した南方 みなかた 熊楠 くまぐす にゴム編 へん 『The handbook of folklore(民俗 みんぞく 学 がく 便覧 びんらん )』を借 か り受 う け、それまで余技 よぎ の道楽 どうらく ととらえていた民俗 みんぞく 学 がく を学問 がくもん として体系 たいけい 化 か する道筋 みちすじ をつけたのである。
ヨーロッパのフォークロア やエスノロジー が、残存 ざんそん の概念 がいねん によって古代 こだい との連続 れんぞく 性 せい を持 も った基層 きそう 文化 ぶんか を明 あき らかにしようとするのに対 たい して、柳田 やなぎだ は人々 ひとびと の生活 せいかつ 向上 こうじょう を初期 しょき のモチベーションに、民俗 みんぞく 学 がく の目的 もくてき は常民 じょうみん 生活 せいかつ の歴史 れきし 的 てき 変遷 へんせん と同 どう 時代 じだい の生活 せいかつ 文化 ぶんか との関係 かんけい を考察 こうさつ することにあると考 かんが えていた。柳田 やなぎだ が民俗 みんぞく 学 がく を構築 こうちく しようとした意図 いと は重層 じゅうそう 的 てき であり、一 ひと つには庶民 しょみん の生活 せいかつ 史 し を看過 かんか する既存 きそん の文献 ぶんけん 史学 しがく へのアンチテーゼ として、二 ふた つには進化 しんか 主義 しゅぎ 的 てき な民族 みんぞく 学 がく や「土俗 どぞく 学 がく 」との棲 す み分 わ けとして、三 みっ つには地方 ちほう 改良 かいりょう 運動 うんどう に代表 だいひょう される当時 とうじ の国内 こくない 文化 ぶんか 政策 せいさく への対抗 たいこう 言説 げんせつ として等 ひとし 、時代 じだい 状況 じょうきょう を反映 はんえい したさまざまな企図 きと がもくろまれていたとされる。
1935年 ねん には柳田 やなぎだ を中心 ちゅうしん に「民間 みんかん 伝承 でんしょう の会 かい 」が設立 せつりつ され、機関 きかん 誌 し の発刊 はっかん や民俗 みんぞく 学 がく 講習 こうしゅう 会 かい が行 おこな われた。またこの時代 じだい に柳田 やなぎだ は概説 がいせつ 書 しょ を精力 せいりょく 的 てき に執筆 しっぴつ しており、学説 がくせつ 史 し の中 なか では学問 がくもん としての組織 そしき や方法 ほうほう が整 ととの った1930年代 ねんだい 半 なか ばを民俗 みんぞく 学 がく の完成 かんせい 時期 じき と見 み なすのが一般 いっぱん 的 てき である。1949年 ねん 、「民間 みんかん 伝承 でんしょう の会 かい 」は日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学会 がっかい と改称 かいしょう され、この頃 ころ から大学 だいがく にも民俗 みんぞく 学 がく の講座 こうざ が設置 せっち されるようになった。それまでの民俗 みんぞく 学 がく は柳田 やなぎだ 邸 てい で行 おこな われる木曜 もくよう 会 かい や雑誌 ざっし 上 じょう において柳田 やなぎだ が学徒 がくと を直接 ちょくせつ 指導 しどう し、その成果 せいか が子弟 してい を通 つう じて全国 ぜんこく に広 ひろ まっていくという意味 いみ で、アカデミズムの枠外 わくがい で展開 てんかい した一種 いっしゅ の運 うん 動体 どうたい だったが、戦後 せんご の学制 がくせい の中 なか では國學院大學 こくがくいんだいがく や東京教育大学 とうきょうきょういくだいがく 、成城大学 せいじょうだいがく などにおいて専門 せんもん 教育 きょういく が開始 かいし されることにより、現在 げんざい にまで至 いた る教育 きょういく ・研究 けんきゅう の制度 せいど 的 てき 枠組 わくぐ みが誕生 たんじょう した。また神奈川大学 かながわだいがく ではアチック・ミューゼアム(日本 にっぽん 常民 じょうみん 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ )が移設 いせつ 設置 せっち され民俗 みんぞく 資料 しりょう 学 がく が研究 けんきゅう されている。
民俗 みんぞく 学 がく の調査 ちょうさ 手法 しゅほう としては、庶民 しょみん の生活 せいかつ を総体 そうたい 的 てき に把握 はあく するという目的 もくてき を果 は たすため、農 のう 山 やま 漁村 ぎょそん を中心 ちゅうしん とした集落 しゅうらく に滞在 たいざい し、き取 きと り(きき)調査 ちょうさ や紙 かみ 資料 しりょう を含 ふく む文字 もじ 資料 しりょう (金石 かねいし 文 あや 、棟 むね 札 さつ など)の収集 しゅうしゅう 、建築 けんちく 物 ぶつ や民 みん 具 ぐ など物質 ぶっしつ 文化 ぶんか の記録 きろく 、あるいは生業 せいぎょう 、共同 きょうどう 労働 ろうどう 、年中 ねんじゅう 行事 ぎょうじ 、人生 じんせい 儀礼 ぎれい などの場 ば への参与 さんよ 観察 かんさつ 、そして民俗 みんぞく 誌 し の記述 きじゅつ が主体 しゅたい となる。フィールドワーク の蓄積 ちくせき からエスノグラフィーを描 えが くことを重視 じゅうし するという意味 いみ では文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく の手法 しゅほう に近似 きんじ するが、マリノフスキー 以降 いこう の近代 きんだい 人類 じんるい 学 がく が研究 けんきゅう 者 しゃ 個人 こじん による数 すう ヶ月 かげつ 〜数 すう 年 ねん の長期 ちょうき 滞在 たいざい 調査 ちょうさ を基本 きほん とするのに対 たい し、民俗 みんぞく 学 がく では数日 すうじつ 〜数ヶ月 すうかげつ スパンの中 なか 短期 たんき 調査 ちょうさ を繰 く り返 かえ し行 おこな うことが多 おお く、また複数 ふくすう 研究 けんきゅう 者 しゃ による共同 きょうどう 調査 ちょうさ が実施 じっし されることも多 おお い。
初期 しょき の民俗 みんぞく 学 がく では日本 にっぽん 各地 かくち から集 あつ められた民俗 みんぞく 資料 しりょう を類型 るいけい 化 か ・比較 ひかく し、日本 にっぽん 全体 ぜんたい の枠組 わくぐ みの中 なか で民俗 みんぞく 事象 じしょう の歴史 れきし 的 てき 変遷 へんせん を明 あき らかにするという「重出 じゅうしゅつ 立証 りっしょう 法 ほう 」が採 と られた。ジョージ・ゴム(George L. Gomme)の著作 ちょさく を元 もと に柳田 やなぎだ 國男 くにお が提唱 ていしょう したこの方法 ほうほう 論 ろん は長 なが く民俗 みんぞく 学 がく の基礎 きそ 理論 りろん だったが、一方 いっぽう では山口 やまぐち 麻太郎 あさたろう や和歌森 わかもり 太郎 たろう などからは民俗 みんぞく の地域 ちいき 性 せい を過小 かしょう 評価 ひょうか する方法 ほうほう 論 ろん だとする批判 ひはん 意見 いけん も出 だ された。学説 がくせつ 史 し の中 なか で最 もっと も影響 えいきょう 力 りょく のある批判 ひはん は福田 ふくだ アジオ によるもので、民俗 みんぞく を日本 にっぽん 全体 ぜんたい での比較 ひかく ではなく、それが伝承 でんしょう される村落 そんらく や信仰 しんこう 組織 そしき 等 とう と切 き り離 はな さずに分析 ぶんせき すべきという「個別 こべつ 分析 ぶんせき 法 ほう 」を提唱 ていしょう した。構造 こうぞう 機能 きのう 主義 しゅぎ 人類 じんるい 学 がく の影響 えいきょう が色濃 いろこ い福田 ふくだ の方法 ほうほう は、村落 そんらく 社会 しゃかい において民俗 みんぞく を捉 とら え、それが生活 せいかつ の中 なか で相互 そうご に連関 れんかん しながら全体 ぜんたい として有 ゆう している意味 いみ を明 あき らかにしようとする。民族 みんぞく 全体 ぜんたい のスケールの大 おお きい歴史 れきし を追 お ってきたそれ以前 いぜん の民俗 みんぞく 学 がく に比 くら べ、福田 ふくだ の方法 ほうほう 論 ろん は小規模 しょうきぼ 集落 しゅうらく (ムラ)の歴史 れきし それ自体 じたい をより実証 じっしょう 的 てき に描 えが こうとする点 てん に特色 とくしょく があり、同 どう 世代 せだい の宮田 みやた 登 のぼる が提唱 ていしょう する地域 ちいき 民俗 みんぞく 学 がく とともにポスト柳田 やなぎだ 民俗 みんぞく 学 がく の方法 ほうほう 論 ろん として影響 えいきょう した。
もともと民俗 みんぞく 学 がく は文化 ぶんか 人類 じんるい 学 がく や社会 しゃかい 学 がく 、宗教 しゅうきょう 学 がく 、歴史 れきし 学 がく など多 おお くの分野 ぶんや と密接 みっせつ に関連 かんれん しており、ライフヒストリー研究 けんきゅう やパフォーマンス理論 りろん 、社会 しゃかい 史 し 、身体 しんたい 論 ろん 等 とう 、研究 けんきゅう 対象 たいしょう によってはそれらの分野 ぶんや に通 つう じる方法 ほうほう 論 ろん が用 もち いられることも多々 たた ある。いずれにせよ民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう 方法 ほうほう は分析 ぶんせき 的 てき (Analytical)というよりは記述 きじゅつ 的 てき (Descriptive)であり、対象 たいしょう へのインテンシブな調査 ちょうさ を元 もと に厚 あつ い記述 きじゅつ (ギルバート・ライル )を目指 めざ す、いわゆる質的 しつてき 研究 けんきゅう の一 ひと つに位置 いち づけられる。
生活 せいかつ (衣食住 いしょくじゅう 、民 みん 具 ぐ )
風習 ふうしゅう (家族 かぞく 制度 せいど 、社会 しゃかい 制度 せいど 、通過 つうか 儀礼 ぎれい 、社会 しゃかい 集団 しゅうだん 、生業 せいぎょう と産業 さんぎょう 、四季 しき の行事 ぎょうじ 、まつり、遊技 ゆうぎ ・競技 きょうぎ ・娯楽 ごらく )
説話 せつわ ・歌曲 かきょく ・俗諺 ぞくげん (伝説 でんせつ とお伽 とぎ 話 ばなし 、俗曲 ぞっきょく ・俗謡 ぞくよう 、諺 ことわざ ・謎 なぞ 、諺 ことわざ 詩 し ・俚諺 りげん )
信仰 しんこう (神道 しんとう 、仏教 ぶっきょう 、霊魂 れいこん と来世 らいせ 、妖怪変化 ようかいへんげ 、予兆 よちょう と卜 ぼく 占 うらない 、魔術 まじゅつ 、病気 びょうき と民間 みんかん 療法 りょうほう )
上 うえ に掲 かか げた伝承 でんしょう されてきたさまざまな民俗 みんぞく 事象 じしょう が、民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう 対象 たいしょう として説明 せつめい されることが多 おお いが、ドイツの民俗 みんぞく 学者 がくしゃ ハンス・ナウマン (Hans Naumann )は、民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう 対象 たいしょう を「基層 きそう 文化 ぶんか 」すなわち、表層 ひょうそう 文化 ぶんか に対 たい して、素朴 そぼく で集団 しゅうだん 的 てき 、また類型 るいけい 的 てき な日常 にちじょう 的 てき 生活 せいかつ 文化 ぶんか 、伝承 でんしょう 性 せい の濃厚 のうこう な文化 ぶんか としている。いずれにせよ、上 うえ に掲 かか げたそれぞれは、民俗 みんぞく 学 がく における基本 きほん 的 てき な資料 しりょう となっており、その意味 いみ から民俗 みんぞく 資料 しりょう と称 しょう される。
「民俗 みんぞく 資料 しりょう 」の語 かたり の使用 しよう は、柳田 やなぎだ 國男 くにお が最初 さいしょ であり、折口 おりぐち 信夫 しのぶ も用 もち いているが、2人 ふたり とも当初 とうしょ からはっきりした規定 きてい をしているわけではなかった。ただし、柳田 やなぎだ は『民間 みんかん 伝承 でんしょう 論 ろん 』のなかで、
目 め に映 えい ずる資料 しりょう <体 からだ 碑 ひ >…たとえば研究 けんきゅう 者 しゃ が旅行 りょこう の途中 とちゅう でも観 み ようとすれば可能 かのう な、形 かたち をとった事物 じぶつ 行為 こうい 伝承 でんしょう
耳 みみ に聞 き こえる言語 げんご 資料 しりょう <口碑 こうひ >…多少 たしょう とも地元 じもと の言葉 ことば に通 つう じて、耳 みみ を働 はたら かさなければつかみ得 え ない口頭 こうとう 伝承 でんしょう 。言語 げんご 芸術 げいじゅつ 。
心意 しんい 感覚 かんかく に訴 うった えてはじめて理解 りかい できる資料 しりょう <心 しん 碑 ひ >…旅人 たびびと ではつかむことの不可能 ふかのう な、同郷 どうきょう 人 じん 、同国 どうこく 人 じん の感覚 かんかく によらなければ理解 りかい できない類 るい の心意 しんい 伝承 でんしょう 。
という三 さん 分 ふん 法 ほう の類別 るいべつ を提示 ていじ しており、さらにこれを、1.有形 ゆうけい 文化 ぶんか ・生活 せいかつ 技術 ぎじゅつ 誌 し ―旅人 たびびと の学 まなべ 、2.言語 げんご 芸術 げいじゅつ ・口承 こうしょう 文芸 ぶんげい ―寄寓 きぐう 者 しゃ の学 がく 、3.生活 せいかつ 解説 かいせつ ・生活 せいかつ 観念 かんねん ・生活 せいかつ の諸 しょ 様式 ようしき ―同郷 どうきょう 人 じん の学 がく 、というように趣旨 しゅし 説明 せつめい している。
いっぽう折口 おりぐち は、
周期 しゅうき 伝承 でんしょう (年中 ねんじゅう 行事 ぎょうじ )
階級 かいきゅう 伝承 でんしょう (老若 ろうにゃく 制度 せいど ・性別 せいべつ ・職業 しょくぎょう ・生得 しょうとく による区別 くべつ )
造形 ぞうけい 伝承 でんしょう
行動 こうどう 伝承 でんしょう (舞踊 ぶよう ・演劇 えんげき )
言語 げんご 伝承 でんしょう (諺 ことわざ ・歌謡 かよう ・伝説 でんせつ 説話 せつわ )
という民俗 みんぞく 資料 しりょう の分類 ぶんるい をおこなっている。
はば広 ひろ く「民俗 みんぞく 資料 しりょう 」の語 かたり が一般 いっぱん に定着 ていちゃく し、明確 めいかく な概念 がいねん 規定 きてい が法令 ほうれい 上 じょう なされたのは、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )の「文化財 ぶんかざい 保護 ほご 法 ほう 」の第 だい 一 いち 次 じ 改正 かいせい において「衣食住 いしょくじゅう 、生業 せいぎょう 、信仰 しんこう 、年中 ねんじゅう 行事 ぎょうじ 等 とう に関 かん する風俗 ふうぞく 慣習 かんしゅう 及 およ びこれに用 もち いられる衣服 いふく 、器具 きぐ 、家屋 かおく その他 た の物件 ぶっけん でわが国民 こくみん の生活 せいかつ の推移 すいい の理解 りかい のため欠 か くことのできないもの」として文化財 ぶんかざい のひとつとして保護 ほご の対象 たいしょう となって以来 いらい であった。以後 いご 、文化庁 ぶんかちょう 文化財 ぶんかざい 保護 ほご 部 ぶ (現在 げんざい の文化財 ぶんかざい 部 ぶ )によって「無形 むけい の民俗 みんぞく 資料 しりょう 記録 きろく 」なども編 あ まれるに至 いた っている。
「民俗 みんぞく 資料 しりょう 」の名称 めいしょう とともに、そのなかで資料 しりょう 価値 かち の高 たか いものが文化財 ぶんかざい となって、保護 ほご の対象 たいしょう となりうることの了解 りょうかい が社会 しゃかい で広 ひろ がり、今日 きょう では文化財 ぶんかざい の分類 ぶんるい 名称 めいしょう としての「民俗 みんぞく 資料 しりょう 」は「民俗 みんぞく 文化財 ぶんかざい 」と改称 かいしょう されている。その一方 いっぽう で、現代 げんだい では、文化財 ぶんかざい の指定 してい の有無 うむ とは関係 かんけい なく、民俗 みんぞく 学 がく において、庶民 しょみん の生活 せいかつ 史 し の推移 すいい の理解 りかい のために必要 ひつよう な伝承 でんしょう 資料 しりょう 全般 ぜんぱん を民俗 みんぞく 資料 しりょう と呼称 こしょう している。
都市 とし 化 か によって民俗 みんぞく 学 がく が主 しゅ たるフィールドとしてきた閉鎖 へいさ 性 せい の高 たか い農村 のうそん は実質 じっしつ 的 てき に消滅 しょうめつ し、一見 いっけん 伝統 でんとう 的 てき な生活 せいかつ 様式 ようしき を保 たも っているように見 み える地域 ちいき にも、過疎 かそ 化 か や観光 かんこう 開発 かいはつ 、産業 さんぎょう 構造 こうぞう の変化 へんか 等 とう 、古 ふる いタイプの民俗 みんぞく 調査 ちょうさ ではカバーしきれない状況 じょうきょう が生 う まれつつある。また民俗 みんぞく 学 がく の黎明 れいめい 期 き には日本 にっぽん の人口 じんこう の多 おお くを占 し めてきた農村 のうそん 人口 じんこう も、現在 げんざい では都市 とし 人口 じんこう に圧倒 あっとう され、都市 とし 住民 じゅうみん および都市 とし の生活 せいかつ 様式 ようしき が一般 いっぱん 性 せい を持 も つに到 いた った。こうした対象 たいしょう の変化 へんか に対 たい して、現代 げんだい の民俗 みんぞく 学 がく はさまざまな新分野 しんぶんや を開拓 かいたく しつつある。
「民俗 みんぞく の消滅 しょうめつ 」が盛 さか んに議論 ぎろん された1970年代 ねんだい 〜80年代 ねんだい にかけては、都市 とし 民俗 みんぞく 学 がく のブームやアメリカ民俗 みんぞく 学 がく の影響 えいきょう を受 う けた都市 とし 伝説 でんせつ 研究 けんきゅう の隆盛 りゅうせい が見 み られた。また1990年代 ねんだい 以降 いこう は観光 かんこう 人類 じんるい 学 がく の影響 えいきょう を受 う けた地域 ちいき 開発 かいはつ ・観光 かんこう 化 か の研究 けんきゅう 、文化財 ぶんかざい 制度 せいど の研究 けんきゅう 等 とう 、現代 げんだい 社会 しゃかい のシステムと地域 ちいき の関係 かんけい を問 と う動 うご きが増加 ぞうか する。更 さら に同 どう 時期 じき には国民 こくみん 国家 こっか 論 ろん 批判 ひはん の文脈 ぶんみゃく から柳田 やなぎだ 國男 くにお の民俗 みんぞく 学 がく 観 かん の批判 ひはん 的 てき 検証 けんしょう が盛 さか んに行 おこな われ、柳田 やなぎだ 民俗 みんぞく 学 がく が中心 ちゅうしん 的 てき に扱 あつか ってこなかった漂泊 ひょうはく 民 みん などのいわゆるサンカ、「非 ひ 常民 じょうみん 」、性 せい を主題 しゅだい とする研究 けんきゅう に焦点 しょうてん が当 あ てられることも増加 ぞうか した。
また、韓国 かんこく や台湾 たいわん 、中国 ちゅうごく 、モンゴル 、東南 とうなん アジア などで比較 ひかく 民俗 みんぞく 学 がく の観点 かんてん から実地 じっち 調査 ちょうさ を行 おこな ったり、ヨーロッパの村落 そんらく を調査 ちょうさ する試 こころ みも現 あらわ れている。
在野 ざいや の学 がく としての日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく [ 編集 へんしゅう ]
戦後 せんご 学問 がくもん としての民俗 みんぞく 学 がく の体系 たいけい がおおよそ完成 かんせい し、大学 だいがく などにおける研究 けんきゅう が盛 さか んになったが、民間 みんかん における研究 けんきゅう 活動 かつどう が収縮 しゅうしゅく したわけではなく、「在野 ざいや 」と「アカデミズム」が混在 こんざい または並立 へいりつ する日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく 独特 どくとく の研究 けんきゅう 体制 たいせい が存在 そんざい する。
「在野 ざいや 」においては、戦前 せんぜん から日本 にっぽん 各地 かくち に地方 ちほう 学会 がっかい と呼 よ ばれる学会 がっかい 、研究 けんきゅう 会 かい が組織 そしき され、地域 ちいき に根 ね ざした研究 けんきゅう 活動 かつどう がなされており、日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく の大 おお きな一角 いっかく を担 にな っている。会 かい 名 めい に都道府県 とどうふけん 名 めい を冠 かん した団体 だんたい が多 おお い。石仏 いしぼとけ (石造 せきぞう 物 ぶつ )、特定 とくてい の宗派 しゅうは などの専門 せんもん 特 とく 化 か した研究 けんきゅう 団体 だんたい も多 おお く設立 せつりつ され、地域 ちいき 、分野 ぶんや など様々 さまざま な切 き り口 くち で研究 けんきゅう がなされており、自治体 じちたい 誌 し 編纂 へんさん や文化財 ぶんかざい 調査 ちょうさ にも活躍 かつやく している。
大学 だいがく においては、民俗 みんぞく 学 がく 関係 かんけい の大学院 だいがくいん 教育 きょういく が充実 じゅうじつ さを増 ま し、國學院大學 こくがくいんだいがく 、筑波大学 つくばだいがく (1975年 ねん )、成城大学 せいじょうだいがく (1973年 ねん )、神奈川大学 かながわだいがく (1921年 ねん アチック・ミューゼアム(日本 にっぽん 常民 じょうみん 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ )の移設 いせつ )などが著名 ちょめい である。また、1950年代 ねんだい に正規 せいき の学科 がっか 、研究 けんきゅう 科 か のほかに学生 がくせい や卒業生 そつぎょうせい 、教職員 きょうしょくいん などを対象 たいしょう にした研究 けんきゅう 会 かい 、学生 がくせい サークル が多 おお く設立 せつりつ された。正課 せいか 授業 じゅぎょう などと連携 れんけい して研究 けんきゅう や教育 きょういく が積極 せっきょく 的 てき に行 おこ なう方法 ほうほう や(國學院大學 こくがくいんだいがく 、成城大学 せいじょうだいがく などの学生 がくせい サークル)、民俗 みんぞく 調査 ちょうさ (民俗 みんぞく 採集 さいしゅう )や資料 しりょう 収集 しゅうしゅう に特 とく 化 か するなど、形式 けいしき 、目的 もくてき は様々 さまざま だが、いずれも民俗 みんぞく 資料 しりょう 収集 しゅうしゅう や研究 けんきゅう 者 しゃ 養成 ようせい に大 おお きく貢献 こうけん するなど、日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学界 がっかい において重要 じゅうよう な地位 ちい を占 し めている。
研究 けんきゅう 団体 だんたい の多 おお くは、入会 にゅうかい に際 さい して職業 しょくぎょう 、学歴 がくれき 、住所 じゅうしょ 等 とう を問 と われないのが一般 いっぱん 的 てき であり、日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学会 がっかい も民俗 みんぞく 学 がく に興味 きょうみ がある、会費 かいひ 納入 のうにゅう などの一般 いっぱん 的 てき な条件 じょうけん を除 のぞ いては会員 かいいん 資格 しかく を特 とく に定 さだ めていない(ただし、会員 かいいん による紹介 しょうかい と理事 りじ 会 かい の承認 しょうにん が必要 ひつよう とされている)。これには、会員 かいいん 資格 しかく を特 とく に定 さだ めないことにより、民俗 みんぞく 事象 じしょう に関心 かんしん があるという以外 いがい に共通 きょうつう 項 こう がない者 もの 同士 どうし の横 よこ のつながりを持 も たせるという機能 きのう がある。
研究 けんきゅう を行 おこな う者 もの の職業 しょくぎょう は、民俗 みんぞく 学 がく の研究 けんきゅう を職業 しょくぎょう としている者 もの のほかには、会社 かいしゃ 員 いん 、公務員 こうむいん 、自営業 じえいぎょう 、主婦 しゅふ 、農業 のうぎょう 、無職 むしょく (定年 ていねん 退職 たいしょく した者 もの など)など様々 さまざま であり、学生 がくせい や大学 だいがく 等 とう の研究 けんきゅう 者 しゃ の中 なか には民俗 みんぞく 学 がく を専 せん 門 もん にしていない(まったく関 かか わりが無 な い分野 ぶんや )者 しゃ もいる。これにより、学会 がっかい などでの発表 はっぴょう や会合 かいごう で名乗 なの る肩書 かたが きは、在住 ざいじゅう 都道府県 とどうふけん 名 めい と氏名 しめい を名乗 なの ることが慣習 かんしゅう として行 おこ なわれてきたが、最近 さいきん では在籍 ざいせき 研究 けんきゅう 機関 きかん 名 めい を名乗 なの る者 もの も出 で てきている。ちなみに研究 けんきゅう 機関 きかん に所属 しょぞく していない研究 けんきゅう 者 しゃ が在職 ざいしょく の会社 かいしゃ 名 めい を名乗 なの ったり、無職 むしょく 、主婦 しゅふ などの職業 しょくぎょう 名 めい で名乗 なの ることはあまり無 な い。
研究 けんきゅう 職 しょく 以外 いがい の者 もの が研究 けんきゅう を続 つづ けるには、本人 ほんにん の意志 いし 、家族 かぞく の協力 きょうりょく 、経済 けいざい 的 てき 余裕 よゆう (研究 けんきゅう 費用 ひよう は原則 げんそく 自己 じこ 負担 ふたん になる。特 とく に民俗 みんぞく 採訪 さいほう の際 さい の交通 こうつう 費 ひ や滞在 たいざい 費 ひ 、資料 しりょう の購入 こうにゅう 費 ひ がかさむ)、時間 じかん 的 てき 余裕 よゆう などの一定 いってい の要件 ようけん が必要 ひつよう になってくる。サラリーマン(特 とく に公務員 こうむいん )では、兼職 けんしょく や副業 ふくぎょう と誤解 ごかい されたり、“趣味 しゅみ にかまけている”といった評価 ひょうか を受 う けたりしないためにも、場合 ばあい によっては勤務 きんむ 先 さき の理解 りかい も必要 ひつよう な場合 ばあい がある。
「民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう 者 しゃ 」の定義 ていぎ もあいまいになる。日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく の中心 ちゅうしん 的 てき な機関 きかん は日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学会 がっかい であり、本格 ほんかく 的 てき 研究 けんきゅう を行 おこ なっている者 もの はほぼ会員 かいいん になっている(同 どう 学会 がっかい の歴史 れきし に柳田 やなぎだ が大 おお きく関 かか わっているため“反 はん 柳田 やなぎだ ”的 てき な研究 けんきゅう 者 しゃ の中 なか にはあえて入 はい らない者 もの もいる)が、事実 じじつ 上 じょう 、日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学会 がっかい 会員 かいいん =民俗 みんぞく 学者 がくしゃ という構図 こうず が暗黙 あんもく の了解 りょうかい として存在 そんざい していた。これ以外 いがい には、地元 じもと の源義経 みなもとのよしつね や弘法大師 こうぼうだいし の伝説 でんせつ などが実話 じつわ であることの証拠 しょうこ や資料 しりょう 探 さが しに奔走 ほんそう している者 もの や、いわゆる郷土 きょうど 史 し 家 いえ と呼 よ ばれる者 もの の中 なか には民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう 者 しゃ を名乗 なの る者 もの がたまにあり、誰 だれ でも“研究 けんきゅう 者 しゃ ”を名乗 なの れてしまう問題 もんだい もある。
なお、同 どう 学会 がっかい の会員 かいいん では、会員 かいいん 名簿 めいぼ の情報 じょうほう の範囲 はんい において、近年 きんねん は大学 だいがく 等 とう の研究 けんきゅう 者 しゃ 、博物館 はくぶつかん 学芸 がくげい 員 いん 、文化財 ぶんかざい 関係 かんけい 者 しゃ などの割合 わりあい が増 ふ えている。また、現在 げんざい の同 どう 学会 がっかい の役員 やくいん は、ほぼ全員 ぜんいん が大学 だいがく 等 とう の研究 けんきゅう 者 しゃ であり、必然 ひつぜん 的 てき に大卒 だいそつ 以上 いじょう の学歴 がくれき を所持 しょじ している。
研究 けんきゅう を始 はじ めるきっかけも様々 さまざま で、単純 たんじゅん に自 みずか らの住 す む地域 ちいき の文化 ぶんか ・風習 ふうしゅう に興味 きょうみ を持 も ったというものから、他 た 分野 ぶんや (社会 しゃかい 学 がく ・歴史 れきし 学 がく ・経済 けいざい 学 がく ・農学 のうがく 等 ひとし )の研究 けんきゅう 者 しゃ ・出身 しゅっしん 者 しゃ が隣接 りんせつ 分野 ぶんや として興味 きょうみ を持 も ち始 はじ めるもの、民俗 みんぞく 事象 じしょう に関連 かんれん がある趣味 しゅみ (歴史 れきし 散策 さんさく 、旅行 りょこう 、鉄道 てつどう 、登山 とざん 、神社 じんじゃ 仏閣 ぶっかく めぐりなど)を通 つう じて興味 きょうみ を持 も ち始 はじ めるものなど多種 たしゅ 多様 たよう である。民俗 みんぞく 学 がく 自体 じたい が他 た の諸 しょ 学問 がくもん などと密接 みっせつ に、有機 ゆうき 的 てき に関 かか わりがあることを表 あらわ している。また、大学生 だいがくせい が民俗 みんぞく 学 がく 関係 かんけい の大学 だいがく ・研究 けんきゅう 室 しつ ・サークルに入 はい った理由 りゆう としては、「田舎 いなか が好 す き」、「妖怪 ようかい や都市 とし 伝説 でんせつ に興味 きょうみ がある」、「民謡 みんよう 、昔話 むかしばなし が好 す き」、「博物館 はくぶつかん に就職 しゅうしょく したい」などを挙 あ げる者 もの が多 おお く、入学 にゅうがく 当初 とうしょ に学問 がくもん 体系 たいけい としての民俗 みんぞく 学 がく 自体 じたい に関心 かんしん がある者 もの は比較的 ひかくてき 少 すく ない。
民俗 みんぞく 学界 がっかい において在野 ざいや 性 せい やアカデミズムに関 かん する議論 ぎろん は、職業 しょくぎょう などによる区別 くべつ (差別 さべつ )、日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学 がく 史上 しじょう の多 おお くの民間 みんかん 研究 けんきゅう 者 しゃ の功績 こうせき などの問題 もんだい があるためあまりされてこなかった(最近 さいきん では2005年 ねん の第 だい 57回 かい 日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学会 がっかい 年会 ねんかい において「野 の の学問 がくもん とアカデミズム」がテーマとして取 と り上 あ げられた)。議論 ぎろん を間違 まちが えると、学歴 がくれき や職業 しょくぎょう によって対立 たいりつ が起 お こりかねない。また、大学 だいがく 等 とう の研究 けんきゅう 者 しゃ の中 なか にはこの在野 ざいや 性 せい を嫌 きら うものもおり、これらを排除 はいじょ して大学 だいがく などに所属 しょぞく する職業 しょくぎょう 民俗 みんぞく 学者 がくしゃ のみを民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう 者 しゃ とする「普通 ふつう の学問 がくもん 」にすべき、考古学 こうこがく や天文学 てんもんがく のように民俗 みんぞく 学者 がくしゃ と民俗 みんぞく 学 がく ファンといった形 かたち でたとえ緩 ゆる やかにでも区分 くぶん すべきという論調 ろんちょう も見 み られる。
在野 ざいや 性 せい を帯 お びるという特性 とくせい から、大学 だいがく 関係 かんけい 者 しゃ を除 のぞ いて上下 じょうげ 関係 かんけい や師弟 してい 関係 かんけい もほとんど無 な く、他 た 分野 ぶんや の研究 けんきゅう 者 しゃ からは自由 じゆう な学風 がくふう と評 ひょう されることも多 おお い。しかし反面 はんめん 、“みんなで研究 けんきゅう ”という雰囲気 ふんいき や、特 とく に地方 ちほう 学会 がっかい において学術 がくじゅつ 研究 けんきゅう 的 てき 思考 しこう や論文 ろんぶん 執筆 しっぴつ に不慣 ふな れな者 もの が多 おお いことから、情緒 じょうちょ 的 てき 、趣味 しゅみ 的 てき と揶揄 やゆ されたり、妖怪 ようかい や方言 ほうげん 、民謡 みんよう 、昔話 むかしばなし といった“素 もと 人受 ひとう け”をする分野 ぶんや を抱 かか えることなどから、民俗 みんぞく 学 がく を非 ひ 科学 かがく 的 てき なイメージで捉 とら える者 もの も少 すく なからずいる。また、他 た の学問 がくもん 分野 ぶんや や諸 しょ 趣味 しゅみ 、海外 かいがい の民俗 みんぞく 学界 がっかい などと連携 れんけい や共有 きょうゆう できる部分 ぶぶん が多 おお くあるものの、これまではあまり積極 せっきょく 的 てき にされてこなかった。日本 にっぽん 民俗 みんぞく 学界 がっかい は、これからは社会 しゃかい の変化 へんか に対 たい して民俗 みんぞく 学 がく がどうあるべきかといった議論 ぎろん はもちろん、こうした他 た 分野 ぶんや や社会 しゃかい とどういった関 かか わりを持 も つことが出来 でき るのか模索 もさく していくことになる。
日本 にっぽん の代表 だいひょう 的 てき な民俗 みんぞく 学者 がくしゃ [ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん の代表 だいひょう 的 てき な民俗 みんぞく 学 がく 研究 けんきゅう 団体 だんたい [ 編集 へんしゅう ]
民俗 みんぞく 学 がく に関 かか わった作家 さっか ・現代 げんだい 作家 さっか [ 編集 へんしゅう ]
基礎 きそ 資料 しりょう 神社 じんじゃ 祭祀 さいし と祭礼 さいれい 関連 かんれん 用語 ようご