この項目 こうもく では、英語 えいご における「thought」の和訳 わやく の1つについて説明 せつめい しています。他 た の類似 るいじ 語 ご については「思想 しそう 」をご覧 らん ください。
ポンペイ の壁画 へきが 、「紙 かみ とペンを持 も つ女 おんな 」
「思考 しこう 」を表現 ひょうげん するイラストレーション
思考 しこう ( しこう 、( 英 えい : thinking )は、考 かんが えや思 おも いを巡 めぐ らせる行動 こうどう [1] であり、結論 けつろん を導 みちび き出 だ す[2] など何 なに かしら一定 いってい の状態 じょうたい に達 たっ しようとする過程 かてい において、筋道 すじみち や方法 ほうほう など模索 もさく する精神 せいしん の活動 かつどう である[3] 。広義 こうぎ には人間 にんげん が持 も つ知的 ちてき 作用 さよう を総称 そうしょう する言葉 ことば 、狭義 きょうぎ では概念 がいねん ・判断 はんだん ・推理 すいり を行 おこな うことを指 さ す[1] 。知的 ちてき 直感 ちょっかん を含 ふく める場合 ばあい もあるが、感性 かんせい や意欲 いよく とは区別 くべつ される[1] 。哲学 てつがく 的 まと には思惟 しい (しい、しゆい)と同義 どうぎ [3] だが、大森 おおもり 荘 そう 蔵 ぞう は『知 ち の構築 こうちく とその呪縛 じゅばく 』(p152)にて思考 しこう と思惟 しい の差 さ について言及 げんきゅう し、思惟 しい とは思考 しこう を含 ふく みつつ感情 かんじょう なども包括 ほうかつ した心 しん の働 はたら きと定義 ていぎ している[4] 。
論理 ろんり 学 がく 分野 ぶんや で研究 けんきゅう されてきた思考 しこう の定義 ていぎ は定 さだ まっておらず[5] 、多様 たよう な側面 そくめん を持 も つ[6] 。心理 しんり 学 がく 分野 ぶんや の研究 けんきゅう では、思考 しこう とは何 なん らかの思想 しそう や問題 もんだい 対処 たいしょ 法 ほう を立 た ち上 あ げる心 しん の過程 かてい や操作 そうさ を示 しめ し[1] 、その対象 たいしょう は問題 もんだい 解決 かいけつ 、方略 ほうりゃく 、推理 すいり 、理解 りかい 、表象 ひょうしょう (心像 しんぞう 、観念 かんねん 、概念 がいねん など)知識 ちしき といった現象 げんしょう を取 と り扱 あつか う[7] [6] 。
思考 しこう とは何 なに かという疑問 ぎもん は、人類 じんるい の歴史 れきし の中 なか で繰 く り返 かえ し問 と いかけられてきた。ただし思考 しこう だけを独立 どくりつ させて取 と り扱 あつか うのではなく、知能 ちのう や生命 せいめい 、さらに社会 しゃかい など総体 そうたい 的 てき に人間 にんげん が生 い きる側面 そくめん のひとつとみなし、複雑 ふくざつ 系 けい を構成 こうせい する要素 ようそ として組織 そしき 的 てき に扱 あつか う必要 ひつよう がある[8] 。イマヌエル・カント は、近代 きんだい 的 てき な個人 こじん の思考 しこう とはひとりでは成 な りたせることは不可能 ふかのう であり、必 かなら ず他者 たしゃ と共同 きょうどう され、公開 こうかい し、主観 しゅかん を共有 きょうゆう する状態 じょうたい からしか生 う まれないと述 の べた。そうでないものを「未成年 みせいねん 状態 じょうたい 」と定 さだ め、それを脱却 だっきゃく するために啓蒙 けいもう が必要 ひつよう と説 と いた。したがって、言論 げんろん の自由 じゆう とは意思 いし を発表 はっぴょう する権利 けんり という点 てん に止 と まらず、思考 しこう の権利 けんり でもあると考 かんが えた[9] 。
オーギュスト・ロダン 『考 かんが える人 ひと 』
思考 しこう とは、何 なん らかの事象 じしょう や目標 もくひょう などの対象 たいしょう について考 かんが える働 はたら きまたは過程 かてい の事 こと であり[10] [6] 、対象 たいしょう となるものの意味 いみ を知 し る、または意味 いみ づけを行 おこな うことで働 はたら かせる理性 りせい 的 てき な脳 のう や[11] 心 しん の作用 さよう を言 い う[12] 。これには二 ふた つの意味 いみ がある[13] 。
広義 こうぎ には「心 しん 」が動 うご くことそのものを言 い い[13] 、「内 うち 化 か された心像 しんぞう ・概念 がいねん ・言語 げんご を操作 そうさ すること」[14] である[11] 。このような意味 いみ では、思考 しこう とは、心 しん の中 なか で自発 じはつ 的 てき につくられた観念 かんねん が、時間 じかん の経過 けいか とともにそれぞれが連鎖 れんさ し変遷 へんせん する「心 しん 的 てき 過程 かてい 」のひとつと言 い うことが出来 でき [15] 、人間 にんげん は常 つね に何 なに かを思考 しこう している[13] 。逆 ぎゃく に思考 しこう をしないためには心 しん を空 そら にする特別 とくべつ な修練 しゅうれん を積 つ む必要 ひつよう がある[13] 。
狭義 きょうぎ には、何 なん らかの目標 もくひょう 達成 たっせい や問題 もんだい 解決 かいけつ のために行 おこな う一連 いちれん の情報処理 じょうほうしょり を指 さ し、思考 しこう する対象 たいしょう の意味 いみ を理解 りかい しながら進 すす められる認知 にんち 的 てき な行動 こうどう である[13] 。ここで思考 しこう が使 つか う情報 じょうほう とは、記憶 きおく の中 なか に分布 ぶんぷ するホログラム と言 い える[16] [17] 。そして思考 しこう は、組織 そしき 化 か された外部 がいぶ 情報 じょうほう を成分 せいぶん 要素 ようそ とする内的 ないてき なシミュレーション と定義 ていぎ される[11] 。これによって人間 にんげん は様々 さまざま な予測 よそく を得 え る。しかし、その予想 よそう 精度 せいど には、精確 せいかく で豊富 ほうふ かつそれらが有機 ゆうき 的 てき に繋 つな がった情報 じょうほう (知識 ちしき )を元 もと に精確 せいかく なモデルを構築 こうちく し、それをさらに精確 せいかく なシミュレーション(思考 しこう )に掛 か ける必要 ひつよう がある[11] 。
狭義 きょうぎ の思考 しこう は情報処理 じょうほうしょり のひとつである。ただしそれは断片 だんぺん 的 てき な情報 じょうほう を連想 れんそう で引 ひ き出 だ しつつ論理 ろんり 的 てき に繋 つな ぎ合 あ わせながら[18] 言語 げんご やイメージ を用 もち いて行 おこな う内的 ないてき なもので、思考 しこう 自体 じたい は直面 ちょくめん した問題 もんだい に対応 たいおう してどのような行動 こうどう を取 と ることが適切 てきせつ かという回答 かいとう を捻出 ねんしゅつ する努力 どりょく を払 はら っているまでの状態 じょうたい と言 い え[19] 、その際 さい に外部 がいぶ へ向 む けた行動 こうどう は止 と まっている[20] 。しかし思考 しこう を孤立 こりつ したものと捉 とら えるのは間違 まちが いであり、問題 もんだい に直面 ちょくめん して行 い き詰 づ まったような場合 ばあい に行動 こうどう へ修復 しゅうふく をかけるための手段 しゅだん としても活用 かつよう される[21] 。この意味 いみ では、思考 しこう は一連 いちれん の行動 こうどう におけるひとつの要素 ようそ と言 い える[21] 。
ジル・ドゥルーズ は、思考 しこう を「解釈 かいしゃく でなく、実験 じっけん 」と言 い う[22] 。これは、解釈 かいしゃく が対象 たいしょう を解釈 かいしゃく 者 しゃ の範囲 はんい の中 なか に入 い れ込 こ んでしまう行動 こうどう なのに対 たい し、思考 しこう は限定 げんてい される範囲 はんい が無 な い創造 そうぞう 的 てき 活動 かつどう だという主張 しゅちょう である[23] 。
雑念 ざつねん や空想 くうそう も思考 しこう の一 いち 形態 けいたい である。ただし一般 いっぱん に言 い われる思考 しこう とは本人 ほんにん が意図 いと して取 と り組 く む自主 じしゅ 的 てき なものという受 う け取 と られ方 かた をしており、それに対 たい して雑念 ざつねん は「浮 う かぶ」「湧 わ く」などの自動詞 じどうし で表現 ひょうげん される通 とお り、意図 いと せず偶然 ぐうぜん に侵入 しんにゅう してくる邪魔 じゃま 者 しゃ のような観念 かんねん で捉 とら えられ、空想 くうそう とは異 こと なり好 この ましくは見 み られていない。雑念 ざつねん 恐怖症 きょうふしょう のように神経症 しんけいしょう のひとつにも受 う け取 と られる。しかし、両者 りょうしゃ は明瞭 めいりょう に区別 くべつ できるものではなく、瞬間 しゅんかん 的 てき な何 なに かの思 おも いつきなどを継続 けいぞく して考 かんが えれば思考 しこう になり、継続 けいぞく させたくないという意思 いし が働 はたら けば雑念 ざつねん になるとも言 い える。そしてこのような刻々 こっこく の思 おも いつきは人間 にんげん にとって自然 しぜん な事 こと である[24] 。
ギルバート・ライル は、思考 しこう の本質 ほんしつ として以下 いか の特徴 とくちょう を挙 あ げている。1) 必 かなら ず新奇 しんき な事象 じしょう を含 ふく む。 2) 状況 じょうきょう に敏感 びんかん に反応 はんのう し、修正 しゅうせい や新 あたら しいルーチン を作 つく り出 だ す。 3) 目的 もくてき のため多様 たよう なルーチンを用 もち いる。 4) 試行錯誤 しこうさくご と見直 みなお しを繰 く り返 かえ すため、必 かなら ずしも合理 ごうり 的 てき 、正当 せいとう とは言 い いがたい。 5) 過去 かこ に学習 がくしゅう で得 え たルーチンを一般 いっぱん 化 か し別 べつ の状況 じょうきょう に適合 てきごう できる。 6) 階層 かいそう 的 てき であり、背景 はいけい に期待 きたい や疑 うたが いなどが介在 かいざい する。ライルはまた、思考 しこう とは特定 とくてい の技術 ぎじゅつ や技能 ぎのう を行使 こうし するものという意見 いけん にも反対 はんたい する。思考 しこう とは確立 かくりつ された技術 ぎじゅつ などと異 こと なり、必 かなら ずしも結論 けつろん に至 いた るものではない。思考 しこう の過程 かてい とは成功 せいこう への道筋 みちすじ が存在 そんざい しない中 なか で、暫定 ざんてい 的 てき 、実験 じっけん 的 てき 、懐疑 かいぎ 的 てき なさまざまな糸口 いとぐち らしきものを探 さが し、失敗 しっぱい にも多 おお く行 い き当 あ たりながら思索 しさく を進 すす めるものと論 ろん じた[25] 。
人間 にんげん の思考 しこう とは、対称 たいしょう モードと非対称 ひたいしょう モードが混合 こんごう する、いわゆる複 ふく 論理 ろんり 的 てき 構造 こうぞう (bi-logical structure) を持 も つという。非対称 ひたいしょう モード(非 ひ 均質 きんしつ モード)とは純粋 じゅんすい 理論 りろん に相当 そうとう する。それに対 たい し対称 たいしょう モードとは本来 ほんらい 対称 たいしょう と取 と らない二 に 項 こう (例 たと えば「全体 ぜんたい 」と「部分 ぶぶん 」、「質 しつ 」と「量 りょう 」など)を対称 たいしょう 的 てき に捉 とら え、それらを無意識 むいしき に圧縮 あっしゅく や置 お き換 か え、時間 じかん 性 せい の無視 むし 、相互 そうご 矛盾 むじゅん の無視 むし 、外的 がいてき と内的 ないてき の取 と り替 か えなどを加 くわ える[26] 。
人間 にんげん と動物 どうぶつ の違 ちが い[ 編集 へんしゅう ]
昆虫 こんちゅう や動物 どうぶつ が高 たか い選択 せんたく 性 せい をもって行動 こうどう している場合 ばあい があり、それはまるで思考 しこう をめぐらせて得 え られた結論 けつろん から起因 きいん したもののように見 み える事 こと がある。しかし、実際 じっさい にはそれぞれが生存 せいぞん や繁殖 はんしょく する上 じょう で必要 ひつよう な刺激 しげき 情報 じょうほう を感覚 かんかく 的 てき に取 と り入 い れて行 おこな う本能 ほんのう 行動 こうどう に過 す ぎず、たとえ学習 がくしゅう を経 へ て会得 えとく した高度 こうど な行動 こうどう パターンでもこの域 いき を出 で ない[27] 。
例 たと えば、メス のダニ は交尾 こうび を終 お えると木 き の枝 えだ で哺乳類 ほにゅうるい が通 とお り過 す ぎるのを待 ま ち、その体 からだ へ移 うつ る。だが動物 どうぶつ が通 とお ることは非常 ひじょう に稀 まれ で、そのためダニは場合 ばあい によっては数 すう 年間 ねんかん も待 ま ち続 つづ け、数少 かずすく ない機会 きかい を選択 せんたく して飛 と び移 うつ る。この行動 こうどう は一見 いっけん 外部 がいぶ 情報 じょうほう をダニが選択 せんたく し、思考 しこう を巡 めぐ らせて飛 と ぶか否 ひ かを決 き めているように見 み える。しかしその実態 じったい は動物 どうぶつ の体 からだ が放 はな つ酪酸 臭 におい に反応 はんのう するだけで、あらかじめ身体 しんたい に仕込 しこ まれた反射 はんしゃ 行動 こうどう でしかない。雛 ひな を守 まも る親 しん 鶏 にわとり の行動 こうどう も思考 しこう し選択 せんたく をしているように見 み えるが、これも雛 ひな の鳴 な き声 ごえ という部分 ぶぶん 的 てき な信号 しんごう によって誘発 ゆうはつ される行動 こうどう であり、見掛 みか け思考 しこう をしているようであってもその実 じつ は限定 げんてい された感覚 かんかく 的 てき 情報 じょうほう に突 つ き動 うご かされた本能 ほんのう 的 てき 反応 はんのう でしかない[27] 。
人類 じんるい に近 ちか いチンパンジー について、ドイツ の心理 しんり 学者 がくしゃ ヴォルフガング・ケーラー は、手 て が届 とど かないバナナ を道具 どうぐ を使 つか って取 と らせる実験 じっけん (『類人猿 るいじんえん の知恵 ちえ 試験 しけん 』[28] )を行 おこな い、思考 しこう についての考察 こうさつ を纏 まと めた。それによると、棒 ぼう とバナナが同 おな じ視野 しや に入 はい らない場合 ばあい 、チンパンジーがバナナを獲得 かくとく することは非常 ひじょう に困難 こんなん になる。また、無用 むよう なものも含 ふく めた複数 ふくすう の道具 どうぐ がある状況 じょうきょう では、成功 せいこう するまで数々 かずかず の道具 どうぐ を使 つか った試行錯誤 しこうさくご を繰 く り返 かえ す。これらは、バナナを見 み つけたチンパンジーは本能 ほんのう からそれを手 て に入 い れることへ行動 こうどう エネルギーがベクトル [要 よう 曖昧 あいまい さ回避 かいひ ] 化 か され、実 じつ は有用 ゆうよう な道具 どうぐ 類 るい も同時 どうじ に見 み えない限 かぎ り意味 いみ を見出 みだ せず、視線 しせん を外 はず したとたん切捨 きりす てられる傾向 けいこう があるためである。また、複数 ふくすう の道具 どうぐ の有用 ゆうよう 性 せい を事前 じぜん には想像 そうぞう できず、試 ため さなければ判 わか らないという点 てん も汲 く み取 と れる[27] 。
これら本能 ほんのう 行動 こうどう には無駄 むだ が存在 そんざい する余地 よち は無 な く、感覚 かんかく 器 き が収拾 しゅうしゅう する情報 じょうほう は狭 せま い選択 せんたく 範囲 はんい に限定 げんてい されている。これに対 たい し人間 にんげん は、文明 ぶんめい をき上 ずきあ げ本能 ほんのう 行動 こうどう に依存 いぞん しない生存 せいぞん 環境 かんきょう を作 つく り出 だ したこと、そのために生 い きるための環境 かんきょう への適応 てきおう 能力 のうりょく を失 うしな ったがゆえに雑多 ざった な外的 がいてき 情報 じょうほう を無秩序 むちつじょ に受 う け入 い れる余地 よち を得 え た。さらにアルノルト・ゲーレン によれば、人間 にんげん は生物 せいぶつ としての衝動 しょうどう 的 てき なエネルギーが本能 ほんのう によって方向 ほうこう づけされていないために、関心 かんしん ともい換 いか えられる衝動 しょうどう エネルギーが生存 せいぞん の維持 いじ とはさほど関係 かんけい しない事象 じしょう にまで向 む けられる特質 とくしつ を持 も つと言 い う。そして、この一見 いっけん 無駄 むだ とも思 おも えるエネルギーが無秩序 むちつじょ な世界 せかい を把握 はあく する方向 ほうこう に向 む けられた結果 けっか が、自然 しぜん の制御 せいぎょ など人類 じんるい が生存 せいぞん できる環境 かんきょう の作 つく り変 か えに発展 はってん した[27] 。
さらに人間 にんげん は、一旦 いったん 眼 め にしたものを言語 げんご 化 か して記憶 きおく し、それを後 のち に取 と り出 だ して別 べつ な場面 ばめん で関連付 かんれんづ けることができる。それは経験 けいけん に裏打 うらう ちされた過去 かこ の情報 じょうほう でも可能 かのう である。このような後天的 こうてんてき な学習 がくしゅう で得 え た情報 じょうほう を使 つか ってなにかしらを判断 はんだん することが思考 しこう であり、これは人間 にんげん のみが獲得 かくとく した特質 とくしつ と言 い える[27] 。
思考 しこう の生理 せいり 的 てき 解釈 かいしゃく [ 編集 へんしゅう ]
人間 にんげん の高次 こうじ 神経 しんけい 系 けい を3つに分 わ けて説明 せつめい したイワン・パブロフ は、思考 しこう とは大脳皮質 だいのうひしつ の言語 げんご 神経 しんけい 系 けい (第 だい 二 に 信号 しんごう 系 けい )が行 おこな う概念 がいねん 化 か の活動 かつどう と考察 こうさつ した。ただしこの第 だい 二 に 信号 しんごう 系 けい 活動 かつどう は原始 げんし 的 てき ・情動 じょうどう 的 てき 活動 かつどう を司 つかさど る第 だい 一 いち 信号 しんごう 系 けい と本能 ほんのう 的 てき な体系 たいけい 部分 ぶぶん と切 き り離 はな されている訳 わけ ではなく、密接 みっせつ に関連 かんれん し合 あ いながら相互 そうご に影響 えいきょう を与 あた える[29] 。
心理 しんり 学者 がくしゃ ・神経 しんけい 科学 かがく 者 もの のポール・マクリーン(en) は「内臓 ないぞう 脳 のう 」/「辺 あたり 縁 えん 系 けい 」と「三 さん 型 がた 階層 かいそう 性 せい 脳 のう 」説 せつ を唱 とな えた。これによると、人間 にんげん は進化 しんか の過程 かてい で言語 げんご 野 の である大脳皮質 だいのうひしつ を発達 はったつ させた。そうして他者 たしゃ や集団 しゅうだん とのコミュニケーションが行 おこな われ、抽象 ちゅうしょう 的 てき 概念 がいねん を用 もち いた思考 しこう を獲得 かくとく し、動物 どうぶつ 的 てき な情動 じょうどう を抑 おさ え、洞察 どうさつ するという手段 しゅだん を手 て に入 い れた[29] 。
脳 のう における思考 しこう のメカニズムは、感情 かんじょう や記憶 きおく ・学習 がくしゅう などと同様 どうよう にシナプス の働 はたら きを基盤 きばん としており[30] 、電気 でんき 生理学 せいりがく や分子生物学 ぶんしせいぶつがく 手法 しゅほう にて研究 けんきゅう が行 おこな われている[31] 。光 ひかり トポグラフィー を用 もち いた実験 じっけん では、論理 ろんり 的 てき な思考 しこう には脳 のう の右 みぎ 半球 はんきゅう 下 しも 前頭 まえがしら 回 かい (inferior frontal gyrus) 領域 りょういき が活発 かっぱつ な活動 かつどう を起 お こすことが示 しめ された[32] 。
一方 いっぽう で、神経 しんけい エネルギーの観点 かんてん から思考 しこう を解説 かいせつ し、これらと身体 しんたい 行動 こうどう との関連 かんれん も説明 せつめい されている。感覚 かんかく によって喚起 かんき された感情 かんじょう や思考 しこう は、別 べつ の感情 かんじょう や思考 しこう を起 お こす引 ひ き金 がね になり連続 れんぞく 的 てき に続 つづ く。これは神経 しんけい エネルギーの流 なが れが作用 さよう する現象 げんしょう である。一方 いっぽう で、この神経 しんけい エネルギーは思考 しこう ・感情 かんじょう だけでなく身体 しんたい 活動 かつどう にも影響 えいきょう するため、これら3つの要素 ようそ は関連 かんれん 性 せい を持 も っている。例 たと えば、身体 しんたい を激 はげ しく動 うご かすと思考 しこう や感情 かんじょう に注 そそ がれるエネルギーは相対 そうたい 的 てき に低下 ていか し、逆 ぎゃく に思考 しこう へ極端 きょくたん に集中 しゅうちゅう すると活動 かつどう や感情 かんじょう は抑 おさ えられる[33] 。
思考 しこう と情報 じょうほう [ 編集 へんしゅう ]
コンピュータ などの情報 じょうほう 機器 きき は、思考 しこう を手助 てだす けする有効 ゆうこう なツールである。
思考 しこう とは、心 しん に色々 いろいろ な事柄 ことがら を思 おも い浮 う かべる(心像 しんぞう :mental image)行動 こうどう を通 つう じて、それらの関係 かんけい を構築 こうちく する作業 さぎょう である。この心像 しんぞう には、五感 ごかん で受 う け取 と った像 ぞう (知覚 ちかく 心像 しんぞう )と、それらを脳 のう 内 ない で再 さい 構成 こうせい した像 ぞう (記憶 きおく 心像 しんぞう )があり、思考 しこう ではこの2種類 しゅるい の心像 しんぞう を複数 ふくすう 照会 しょうかい し合 あ いながら同定 どうてい し、判断 はんだん に至 いた る作業 さぎょう を行 おこな う[34] [35] 。
思考 しこう は人間 にんげん が直面 ちょくめん する問題 もんだい を解決 かいけつ するために問題 もんだい と状況 じょうきょう を「理解 りかい 」し「解 かい 」を導 みちび き出 だ す心 しん の働 はたら きである点 てん から、対象 たいしょう について多角 たかく 的 てき なアプローチが行 おこな われつつ検討 けんとう が繰 く り返 かえ されるため、漸進 ぜんしん 的 てき でありかつ累積 るいせき 的 てき に進 すす むところを特徴 とくちょう とする。また、思考 しこう は心 しん の働 はたら きではあるが閉 と じている訳 わけ ではなく、外部 がいぶ から得 え る情報 じょうほう を取 と り込 こ みながら行 おこな われる[36] 。この情報 じょうほう とは、短期 たんき 記憶 きおく や思考 しこう する際 さい に五感 ごかん から得 え られた外的 がいてき 情報 じょうほう でなければならない事 こと は無 な く、過去 かこ に得 え た知識 ちしき を用 もち いた[37] [6] 経験 けいけん 的 てき な長期 ちょうき 記憶 きおく や連想 れんそう などだけでもよい[13] 。
コンピュータ など情報 じょうほう 機器 きき は、思考 しこう を支援 しえん することができる。思考 しこう する対象 たいしょう の情報 じょうほう を得 え て理解 りかい する段階 だんかい にて、情報 じょうほう を得 え る早 はや さや検索 けんさく 機能 きのう など適切 てきせつ な情報 じょうほう に行 い き当 あ たる確 かく 率 りつ の向上 こうじょう 、そして絶対 ぜったい 的 てき な情報 じょうほう 量 りょう の多 おお さや統計 とうけい 的 てき な整理 せいり 、図案 ずあん 化 か など理解 りかい しやすい表現 ひょうげん などが可能 かのう となる。また、具体 ぐたい 例 れい を示 しめ したり、情報 じょうほう の属性 ぞくせい に応 おう じた検索 けんさく などは洞察 どうさつ を深 ふか め発想 はっそう に繋 つな がる。記憶 きおく の蓄積 ちくせき や操作 そうさ 、整理 せいり 統合 とうごう にも役立 やくだ ち、この点 てん は思考 しこう 過程 かてい を一部 いちぶ 外 そと 化 か していることになる。これらの思考 しこう 支援 しえん 機能 きのう の各 かく 要素 ようそ を同 おな じ環境 かんきょう 下 か に備 そな える「統合 とうごう 的 てき 思考 しこう 支援 しえん 環境 かんきょう 」の開発 かいはつ は、情報処理 じょうほうしょり 機器 きき の研究 けんきゅう 開発 かいはつ が目指 めざ すひとつの目標 もくひょう となっている[36] 。
思考 しこう とは、何 なん らかの事象 じしょう へ反射 はんしゃ 的 てき に行 おこな われるものではなく、複雑 ふくざつ な内的 ないてき 過程 かてい を経 へ て結論 けつろん へ導 みちび かれる考 かんが え[38] である[6] 。この過程 かてい を段階 だんかい 的 てき に捉 とら える試 こころ みは数多 かずおお くあり、多様 たよう な説明 せつめい がなされている。
次 つぎ の例 れい では、思考 しこう 過程 かてい を5つの過程 かてい で説明 せつめい する。1) 分析 ぶんせき では、単位 たんい 情報 じょうほう をそれが持 も つ要素 ようそ や性質 せいしつ まで分解 ぶんかい すること 2)総合 そうごう では、分解 ぶんかい した要素 ようそ や性質 せいしつ に着目 ちゃくもく し情報 じょうほう を結合 けつごう させること 3)比較 ひかく では、分解 ぶんかい した要素 ようそ や性質 せいしつ を比較 ひかく して情報 じょうほう 間 あいだ の相違 そうい や類似 るいじ 部分 ぶぶん を洗 あら い出 だ すこと 4)抽象 ちゅうしょう では、情報 じょうほう の本質 ほんしつ は何 なに かを見出 みいだ すこと 5)概括 がいかつ では、見出 みいだ した情報 じょうほう の本質 ほんしつ をまとめ上 あ げることである[2] 。
思考 しこう には不可欠 ふかけつ である言葉 ことば (ロゴス)と関連 かんれん させ、思考 しこう ‐言語 げんご を相関 そうかん させた3段階 だんかい で成 な された説明 せつめい もあり、これは思考 しこう の「概念 がいねん 」「判断 はんだん 」「推理 すいり 」を言語 げんご の「名 めい 辞 じ 」「命題 めいだい 」「推論 すいろん 」の作用 さよう と対応 たいおう させている。思考 しこう は先 ま ず、「概念 がいねん (concept)」の形成 けいせい から始 はじ まる。これは複数 ふくすう の対象 たいしょう に共通 きょうつう する特徴 とくちょう を把握 はあく し、それらを包括 ほうかつ 的 てき ・概括 がいかつ 的 てき に認識 にんしき することにあり、対象 たいしょう 群 ぐん を抽象 ちゅうしょう 化 か する過程 かてい 、本質 ほんしつ 的 てき な特徴 とくちょう を見極 みきわ めること[39] でもある。この把握 はあく された特徴 とくちょう は言葉 ことば によって表 あらわ され(「名 めい 辞 じ 」)、概念 がいねん として認識 にんしき されることになる。このような特徴 とくちょう は、名 な 辞 じ された言葉 ことば が持 も つ意味 いみ 内容 ないよう と紐付 ひもつき けされた内包 ないほう (intension) 要素 ようそ と、言葉 ことば が適用 てきよう される対象 たいしょう の範囲 はんい を示 しめ す外延 がいえん (extension) 要素 ようそ の2つで構成 こうせい される。概念 がいねん が構成 こうせい されると、次 つぎ にそれらを組 く み合 あ わせて大 おお きな単位 たんい を作 つく る段階 だんかい である「判断 はんだん (judgment)」 ‐言語 げんご 単位 たんい では「命題 めいだい (proposition)」 ‐に入 はい る。これは対象 たいしょう である存在 そんざい (being) とその性質 せいしつ や特徴 とくちょう を示 しめ す属性 ぞくせい (attribute) または複数 ふくすう の対象 たいしょう 間 あいだ にある関係 かんけい (relation) について、主語 しゅご ‐客語 かくご ‐連 れん 辞 じ という文章 ぶんしょう 形式 けいしき で組 く み立 た てられる[40] 。判断 はんだん が構成 こうせい されると、次 つぎ にこれを前提 ぜんてい に置 お いて結論 けつろん が導 みちび き出 だ される[41] [42] 。この過程 かてい は「推理 すいり (inference) 」‐言語 げんご 単位 たんい では「推論 すいろん 」‐と呼 よ ばれ、ひとつ以上 いじょう の真実 しんじつ と思 おも われる判断 はんだん を元 もと に、別 べつ の判断 はんだん を真実 しんじつ とみなす思考 しこう の作用 さよう である[39] 。この推理 すいり を進 すす める方法 ほうほう には、経験 けいけん を排除 はいじょ し論理 ろんり に基 もと づいて結論 けつろん を導 みちび く演繹 えんえき 的 てき 推理 すいり と[43] 、個別 こべつ 事情 じじょう を勘案 かんあん しそこから一般 いっぱん 的 てき な結論 けつろん を見出 みいだ す帰納 きのう 的 てき 推理 すいり がある[44] 。推論 すいろん の種類 しゅるい には、ひとつの判断 はんだん から直接的 ちょくせつてき に別 べつ の判断 はんだん の真偽 しんぎ を判定 はんてい する直接 ちょくせつ 推論 すいろん と[45] 、いわゆる三段論法 さんだんろんぽう のように2つの判断 はんだん から結論 けつろん を導 みちび く間接 かんせつ 推論 すいろん [42] がある[46] 。
数学 すうがく における反省 はんせい 的 てき 思考 しこう という範疇 はんちゅう では、ジョン・デューイ は思考 しこう とは5つの段階 だんかい を踏 ふ むと提唱 ていしょう した。1) 暗示 あんじ 、2) 知性 ちせい 的 てき 整理 せいり 、3) 仮説 かせつ (指導 しどう 的 てき 観念 かんねん )、4) 推理 すいり 作用 さよう 、5) 仮説 かせつ の検証 けんしょう をそれぞれ踏 ふ む事 こと で問題 もんだい 解決 かいけつ を成 な すという。これは、対象 たいしょう が記号 きごう 化 か ・言語 げんご 化 か され、感覚 かんかく 的 てき に捉 とら えたそれら情報 じょうほう を意識 いしき 的 てき か否 ひ かに関 かか わらず論理 ろんり 的 てき に斟酌 しんしゃく する行動 こうどう を指 さ す[47] 。
思考 しこう とは言葉 ことば の操作 そうさ であり[48] 、これを指 さ してプラトン は「思考 しこう 」を自分 じぶん 自身 じしん との内的 ないてき な「対話 たいわ 」と呼 よ んだ[49] 。同様 どうよう に藤沢 ふじさわ 令 れい 夫 おっと は、思考 しこう とは言葉 ことば (ロゴス )を発 はっ する本人 ほんにん が同時 どうじ に発 はっ する言葉 ことば を聞 き く行為 こうい が必 かなら ず付随 ふずい するため、結果 けっか 的 てき に自己 じこ 内 ない で対話 たいわ (ディアロゴス)をしている状態 じょうたい になり、これが思考 しこう の本質 ほんしつ でありそのダイナミズムを適切 てきせつ に表現 ひょうげん していると論 ろん じた[50] 。ただし、現象 げんしょう 学 がく を研究 けんきゅう するエトムント・フッサール は、この対話 たいわ とは通常 つうじょう のコミュニケーションと比較 ひかく すると「告知 こくち 作用 さよう 」に欠 か け、「意味 いみ 作用 さよう 」のみの働 はたら きと分析 ぶんせき している[51] 。
思考 しこう と言語 げんご が密接 みっせつ に関係 かんけい するということは、言葉 ことば が曖昧 あいまい なものだと、それが言語 げんご を超越 ちょうえつ した直感 ちょっかん でも無 な い限 かぎ り思考 しこう の内容 ないよう である語義 ごぎ と意図 いと が曖昧 あいまい であることを意味 いみ する[48] 。また、サピア=ウォーフの仮説 かせつ では、思考 しこう は言語 げんご 構造 こうぞう に規定 きてい されるということ(言語 げんご 相対 そうたい 性 せい 仮説 かせつ )が提案 ていあん されている。これは、何 なん らかの対象 たいしょう について思考 しこう する際 さい 、それぞれの人間 にんげん が使 つか う言語 げんご が持 も つ個別 こべつ 概念 がいねん が影響 えいきょう を及 およ ぼすというものである。例 たと えば本来 ほんらい 区切 くぎ りが無 な い虹 にじ について、ある言語 げんご で「虹 にじ は六 ろく 色 しょく 」、他 た では「七 なな 色 しょく 」と分類 ぶんるい されていると、それを使 つか う人間 にんげん の思考 しこう では虹 にじ はそれぞれの数 かず の色分 いろわ けをして然 しか るべきという認識 にんしき が課 か せられる[52] 。
思考 しこう と言葉 ことば の関係 かんけい そのものについても、それぞれの言語 げんご 種類 しゅるい で捉 とら え方 かた に違 ちが いがある。日本語 にほんご では両者 りょうしゃ は分 わ けられる傾向 けいこう にあり、「声 こえ に出 だ して思考 しこう する」という表現 ひょうげん は馴染 なじ まない。しかしドイツ語 ご の分離 ぶんり 動詞 どうし 「nachdenken」には「熟考 じゅっこう する」という意味 いみ の他 ほか に、副詞 ふくし と結 むす びついて「laut nachdenken」では「熟考 じゅっこう した結果 けっか を公 おおやけ にする」という意味 いみ を持 も つ。日本語 にほんご の思考 しこう では頭 あたま (または心 しん )の中 なか だけの行動 こうどう と取 と られがちだがドイツ語 ご では思考 しこう と言葉 ことば を同 おな じものとみなす傾向 けいこう があり、細分 さいぶん すると思考 しこう は表現 ひょうげん する前 まえ の言葉 ことば であり、言葉 ことば は表現 ひょうげん した思考 しこう となって、両者 りょうしゃ は本質 ほんしつ 的 てき に同 おな じものと捉 とら えられている[53] 。
思考 しこう は人間 にんげん の知能 ちのう を知 し る上 じょう で重要 じゅうよう な要素 ようそ である。しかし、知能 ちのう の解明 かいめい は未 いま だ不充分 ふじゅうぶん であり、その背景 はいけい には本来 ほんらい 密接 みっせつ に関連 かんれん する思考 しこう と言語 げんご がばらばらに研究 けんきゅう されてきた事 こと がある[2] 。
このような思考 しこう と言語 げんご の関係 かんけい について、ギルバート・ライル は異 こと なる観点 かんてん を提示 ていじ している。多 おお くある思考 しこう は自分 じぶん 自身 じしん への語 かた りかけであり言語 げんご またはシンボル の形態 けいたい を取 と るという意見 いけん に反論 はんろん し、ライルは思考 しこう 過程 かてい において言語 げんご が使 つか われてもそれは思考 しこう が目標 もくひょう に向 む かう過程 かてい で経由 けいゆ した単 たん なる段階 だんかい でしかなく、誰 だれ かに聞 き かせる意図 いと を持 も つものではないと論 ろん じ、思考 しこう は言語 げんご に限 かぎ らない多 おお くの伝達 でんたつ 手段 しゅだん を自己 じこ に対 たい して実験 じっけん 的 てき に投 な げかけているものだと主張 しゅちょう した[25] 。思考 しこう は言語 げんご を基礎 きそ に行 おこな われるが、それだけではなくイメージなども関与 かんよ する。また、感情 かんじょう や動機 どうき づけなども影響 えいきょう を与 あた える複 ふく 合 あい 的 てき な過程 かてい である[36] 。
思考 しこう を説明 せつめい するに当 あ たり、論理 ろんり 的 てき 思考 しこう など「…的 てき 思考 しこう 」という表現 ひょうげん などが使 つか われる事 こと が多 おお い。以下 いか ではいくつかの例 れい を示 しめ す。
「論理 ろんり 的 てき 思考 しこう 」の定義 ていぎ は様々 さまざま である。これについて井上 いのうえ 尚美 なおみ は、3つの定義 ていぎ を提唱 ていしょう した。狭義 きょうぎ では推論 すいろん が形式 けいしき 論 ろん 理学 りがく の規則 きそく に従 したが っている事 こと を挙 あ げ、次 つぎ に論証 ろんしょう の形式 けいしき である前提 ぜんてい ‐結論 けつろん や主張 しゅちょう ‐理由 りゆう という骨格 こっかく がある事 こと 、広義 こうぎ には直感 ちょっかん やイメージからの思考 しこう ではなく概念的 がいねんてき 思考 しこう である事 こと としている[54] 。この論理 ろんり 的 てき 思考 しこう は、直感 ちょっかん 的 てき 発想 はっそう にある正確 せいかく 性 せい や明示 めいじ 性 せい に欠 か ける点 てん を補 おぎな い、妥当 だとう なものかどうかを確認 かくにん ・察知 さっち する有効 ゆうこう な手段 しゅだん であり、前提 ぜんてい を漏 も れなく明示 めいじ しつつ真偽 しんぎ を検証 けんしょう し、さらに推論 すいろん のプロセスを明瞭 めいりょう にして検証 けんしょう 可能 かのう な状態 じょうたい にすることができる[55] 。しかし、論理 ろんり 的 てき 思考 しこう で得 え られた結論 けつろん が必 かなら ず正 ただ しいとは言 い い切 き れず、また絶対 ぜったい に結論 けつろん を得 え られるものではない点 てん にも留意 りゅうい する必要 ひつよう がある[56] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の高等 こうとう 教育 きょういく において重要 じゅうよう な目標 もくひょう とされる[57] 「批判 ひはん 的 てき 思考 しこう 」の定義 ていぎ は明瞭 めいりょう ではなく、研究 けんきゅう 者 しゃ の間 あいだ でも把握 はあく 概念 がいねん に違 ちが いが見 み られる[58] 。ひとつの有力 ゆうりょく な説明 せつめい では「信 しん じるもの、取 と るべき行動 こうどう の判断 はんだん を下 した に当 あ たって行 おこな う反省 はんせい 的 てき 思考 しこう 」[59] と言 い い、具体 ぐたい 的 てき な説明 せつめい では「根拠 こんきょ に基 もと づく評価 ひょうか と判断 はんだん を行 おこな う能力 のうりょく と意思 いし 」[60] と言 い う[61] 。
「白黒 しろくろ はっきりつける」「ものの善悪 ぜんあく 」など、二律背反 にりつはいはん で事象 じしょう を思考 しこう する傾向 けいこう を「二分 にぶん 法的 ほうてき 思考 しこう 」と言 い う。これは情報 じょうほう の理解 りかい や思考 しこう の結果 けっか である判断 はんだん を素早 すばや く下 くだ せる利点 りてん があるが、一方 いっぽう でパーソナリティ障害 しょうがい [62] や完全 かんぜん 主義 しゅぎ [63] および人間 にんげん 関係 かんけい の悪化 あっか に繋 つな がる場合 ばあい もある。二分 にぶん 法的 ほうてき 思考 しこう は、物事 ものごと を明確 めいかく にしたいという「二分 にぶん 法 ほう の選好 せんこう 」、物事 ものごと は2つのグループ に分 わ けられるという「二分 にぶん 法的 ほうてき 信念 しんねん 」、そして自分 じぶん にとって利益 りえき があるものか否 ひ かという「損得 そんとく 勘定 かんじょう 」の3つの因子 いんし が影響 えいきょう している[64] [65] 。
心理 しんり 学者 がくしゃ のアーヴィング・ジャニス が提唱 ていしょう した「集団 しゅうだん 思考 しこう 」(Groupthink、集団 しゅうだん 的 てき 浅慮 せんりょ )は、集団 しゅうだん で思考 しこう して得 え た結論 けつろん が、時 とき に個人 こじん の思考 しこう で導 みちび いた結論 けつろん よりも不合理 ふごうり であったり間違 まちが っていたりすることを指 さ す。このようなことが起 お こる要因 よういん は、集団 しゅうだん に結束 けっそく 力 りょく があること (cohesive) と、集団 しゅうだん が一致 いっち を求 もと める傾向 けいこう にあること (concurrence-seeking tendency) がある[66] [67] 。これを社会 しゃかい 心理 しんり 学 がく 的 てき 実験 じっけん で検証 けんしょう したR.S.バロンは、各人 かくじん が個別 こべつ に否定 ひてい 的 てき な情報 じょうほう を持 も っているような場合 ばあい に、集団 しゅうだん の一致 いっち 性 せい を志向 しこう する傾向 けいこう が高 たか まり、異論 いろん が封殺 ふうさつ されるという結果 けっか を得 え た。逆 ぎゃく に、コンピュータを介 かい して匿名 とくめい のまま議論 ぎろん をする場合 ばあい には集団 しゅうだん 思考 しこう の傾向 けいこう は現 あらわ れにくくなるという結果 けっか もあった[68] [69] 。
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