虹 にじ (画像 がぞう の主 しゅ 虹 にじ の上部 じょうぶ に薄 うす く副 ふく 虹 にじ が見 み える)
滝 たき の水 みず 飛沫 しぶき による虹 にじ (アイスランド ・グトルフォス )
波 なみ の水 みず 飛沫 しぶき による虹 にじ
虹 にじ (にじ、英 えい : rainbow )とは、大気 たいき 中 ちゅう に浮遊 ふゆう する水滴 すいてき の中 なか を光 ひかり が通過 つうか する際 さい に、分散 ぶんさん することで特徴 とくちょう 的 てき な模様 もよう が見 み られる大気 たいき 光学 こうがく 現象 げんしょう である[1] 。
「虹 にじ 」を意味 いみ する漢語 かんご 表現 ひょうげん に、虹 にじ 霓 (こうげい)、天 てん 弓 ゆみ (てんきゅう)などがある。また、虹 にじ 、蜺 、蝃 、蝀 などのように、虹 にじ を意味 いみ する漢字 かんじ は虫偏 むしへん のものが多 おお く存在 そんざい する。これに見 み るように中国 ちゅうごく 語 ご では、虹 にじ を蛇 へび や竜 りゅう の一種 いっしゅ と見 み なす風習 ふうしゅう があるため。
環状 かんじょう の虹 にじ
虹 にじ は、円弧 えんこ 状 じょう の光 ひかり の帯 おび であり、帯 おび の中 なか には様々 さまざま な色 いろ の光 ひかり の束 たば が並 なら んでいるように見 み える。色 いろ の配列 はいれつ は決 き まっており、端 はし は必 かなら ず赤 あか と紫 むらさき である。
雨 あめ 上 あ がり、水 みず しぶきをあげる滝 たき 、太陽 たいよう を背 せ にしてホース で水 みず まきをした時 とき などに見 み ることができる。なお、月 つき の光 ひかり でも虹 にじ は見 み られる[1] 。
虹 にじ が描 えが く弧 こ は、観察 かんさつ 者 しゃ を基点 きてん として、太陽 たいよう とは正 せい 反対 はんたい の方向 ほうこう 、対 たい 日 にち 点 てん が中心 ちゅうしん となる。対 たい 日 にち 点 てん は、観察 かんさつ 者 しゃ から見 み れば地平線 ちへいせん の下 した にあるので、虹 にじ は半円 はんえん に見 み える。
飛行機 ひこうき 周辺 しゅうへん の空気 くうき が水蒸気 すいじょうき を多 おお く含 ふく んでいる場合 ばあい には、窓 まど から眼下 がんか に360度 ど 円 まどか 環 たまき 状 じょう の虹 にじ が見 み られることがある。雲海 うんかい を超 こ える高 たか い山 やま でも、眼下 がんか に虹 にじ が見 み えることがある。この飛行機 ひこうき や雲海 うんかい の虹 にじ はブロッケン現象 げんしょう によるもので、光 ひかり の回折 かいせつ で現 あらわ れる。通常 つうじょう の虹 にじ やホースの水 みず による虹 にじ とは原理 げんり が異 こと なる。
虹 にじ の仕組 しく み(下 した が主 しゅ 虹 にじ ・上 うえ が副 ふく 虹 にじ )
主 しゅ 虹 にじ と副 ふく 虹 にじ [ 編集 へんしゅう ]
主 しゅ 虹 にじ (しゅこう、しゅにじ)または1次 じ の虹 にじ と呼 よ ばれるはっきりとした虹 にじ の外側 そとがわ に、副 ふく 虹 にじ (ふくこう、ふくにじ)または2次 じ の虹 にじ と呼 よ ばれるうっすらとした虹 にじ が見 み られることがある。主 しゅ 虹 にじ は、赤 あか が一 いち 番外 ばんがい 側 がわ で紫 むらさき が内側 うちがわ という構造 こうぞう をとるが、副 ふく 虹 にじ は逆 ぎゃく に、赤 あか が内側 うちがわ 、紫 むらさき が外側 そとがわ となる。
主 しゅ 虹 にじ は、「太陽 たいよう 」-「プリズム となる水滴 すいてき 」-「観察 かんさつ 者 しゃ 」のなす角度 かくど が40度 ど から42度 ど となる位置 いち に見 み られる。このため、虹 にじ は太陽 たいよう の反対 はんたい 側 がわ に見 み られ、太陽 たいよう が高 たか い位置 いち にあるときは小 ちい さな虹 にじ が、夕方 ゆうがた など太陽 たいよう が低 ひく い位置 いち にあるときは大 おお きな虹 にじ が見 み られる。また、副 ふく 虹 にじ は、「太陽 たいよう 」-「プリズムとなる水滴 すいてき 」-「観察 かんさつ 者 しゃ 」のなす角度 かくど が51度 ど から53度 ど となる位置 いち に見 み られる。
光学 こうがく 的 てき 説明 せつめい [ 編集 へんしゅう ]
虹 にじ 角 かく
雨滴 うてき 内 ない の光 ひかり の進行 しんこう
主 しゅ 虹 にじ
副 ふく 虹 にじ
虹 にじ の正体 しょうたい は、雨滴 うてき の内部 ないぶ で反射 はんしゃ した光 ひかり である。右 みぎ 図 ず のように、主 しゅ 虹 にじ では1回 かい 、副 ふく 虹 にじ では2回 かい 、光 ひかり は反射 はんしゃ し、雨滴 うてき に入 はい るときと出 で るときで各 かく 1回 かい 屈折 くっせつ する。光 ひかり の屈折 くっせつ 率 りつ は色 いろ によって異 こと なるため、水滴 すいてき で屈折 くっせつ した光 ひかり は分散 ぶんさん する。このため、雨滴 うてき から出 で る際 さい の進行 しんこう 方向 ほうこう は、色 いろ によって異 こと なる。背面 はいめん の太陽光 たいようこう に対 たい して虹 にじ が見 み える角度 かくど を虹 にじ 角 かく というが、赤 あか は約 やく 42度 ど 、紫 むらさき は約 やく 40度 ど になる。この結果 けっか 、1つの雨粒 あまつぶ からは1つの色 いろ のみが観察 かんさつ 者 しゃ の目 め に届 とど く。たくさんの雨粒 あまつぶ から「太陽 たいよう 」-「プリズムとなる水滴 すいてき 」-「観察 かんさつ 者 しゃ 」のなす角度 かくど によって異 こと なる色 いろ の光 ひかり が見 み えた時 とき 、虹 にじ となって見 み える。
この角度 かくど は、空気 くうき と水 みず との屈折 くっせつ 率 りつ の比 ひ により主 しゅ 虹 にじ 、副 ふく 虹 にじ ともに決 き まっているため、太陽 たいよう の高度 こうど によって見 み えやすさや虹 にじ の大 おお きさが決 き まる。太陽 たいよう 高度 こうど が40度 ど から50度 ど よりも低 ひく いと、観察 かんさつ 者 しゃ から遠 とお い上空 じょうくう の雨粒 あまつぶ を通 とお って虹 にじ が見 み えるため、大 おお きな虹 にじ ができる。太陽 たいよう 高度 こうど が40度 ど から50度 ど よりも高 たか いと、観察 かんさつ 者 しゃ に近 ちか い地上 ちじょう 付近 ふきん の雨粒 あまつぶ を通 とお って虹 にじ が見 み えるため、虹 にじ は小 ちい さく見 み えにくい。日 ひ の出 で や日没 にちぼつ 時 じ の虹 にじ は水平 すいへい に進 すす む光 ひかり が虹 にじ 角 かく 42度 ど で半円 はんえん の虹 にじ を作 つく る。太陽 たいよう 高度 こうど が42度 ど 以上 いじょう になると虹 にじ は地平線 ちへいせん 下 か となり見 み えなくなる。
雨粒 あまつぶ 内 ない の光 ひかり の進行 しんこう (主 しゅ 虹 にじ )。入射 にゅうしゃ 光 こう (Incident rays) が水滴 すいてき 内 ない に入 はい る高 たか さを徐々 じょじょ に上 あ げていくと、出射 しゅっしゃ 光 こう (Outgoing rays) の出 で る角度 かくど が変化 へんか し、ある高 たか さで変化 へんか が逆 ぎゃく になる。
雨粒 あまつぶ 内 ない の光 ひかり の進行 しんこう (副 ふく 虹 にじ )。入射 にゅうしゃ 光 こう の高 たか さを徐々 じょじょ に下 さ げていくと、同様 どうよう の変化 へんか が起 お こる。
厳密 げんみつ には、虹 にじ はプリズムの分光 ぶんこう と同 おな じではなく、より複雑 ふくざつ な現象 げんしょう である。水滴 すいてき 外 がい の入射 にゅうしゃ 光 こう を延長 えんちょう したラインと水滴 すいてき の中心 ちゅうしん の距離 きょり (粒子 りゅうし 衝突 しょうとつ における衝突 しょうとつ 径 みち 数 すう に相当 そうとう 。以下 いか "
b
{\displaystyle b}
"を用 もち いる)が異 こと なると、光 ひかり と水滴 すいてき 表面 ひょうめん のなす角度 かくど が変 か わるため、出射 しゅっしゃ 光 こう の角度 かくど も様々 さまざま なものとなる。それにもかかわらず、ある波長 はちょう の光 ひかり が特定 とくてい の角度 かくど で強 つよ くなるのは、この散乱 さんらん 角 かく θ しーた がbの関数 かんすう で表 あらわ したときに極 きょく 値 ち を持 も ち、その角度 かくど では、単位 たんい 角度 かくど あたりの入射 にゅうしゃ 光 こう のbの範囲 はんい (つまり逆 ぎゃく 関数 かんすう b(θ しーた )の微分 びぶん )が発散 はっさん するからである。これを虹 にじ 散乱 さんらん (rainbow scattering)といい、光学 こうがく だけでなく原子 げんし 物理 ぶつり や核 かく 物理 ぶつり での原子 げんし 虹 にじ と呼 よ ばれる類似 るいじ の現象 げんしょう も指 さ している。
平 ひら たく言 い えば、水滴 すいてき を固定 こてい して太陽光 たいようこう (入射 にゅうしゃ 光 こう )を水平 すいへい に入 い れ、入射 にゅうしゃ 光 こう の高 たか さを水滴 すいてき の中心 ちゅうしん 方向 ほうこう (水平 すいへい )から徐々 じょじょ に上 あ げていくと、太陽光 たいようこう が水滴 すいてき から出 で る方向 ほうこう も次第 しだい に下向 したむ きになる。しかし、入射 にゅうしゃ 光 こう がある高 たか さ付近 ふきん になると、太陽光 たいようこう が水滴 すいてき から出 で る方向 ほうこう の変化 へんか が小 ちい さくなり、今度 こんど は逆 ぎゃく に上 あ がり始 はじ める。この高 たか さ付近 ふきん から入 はい る太陽光 たいようこう はみなほぼ同 おな じ方向 ほうこう に出 で て行 い くことになり、この部分 ぶぶん だけ強 つよ い光 ひかり が出 で て行 い くことになる。このような仕組 しく みで、「太陽 たいよう 」-「プリズムとなる水滴 すいてき 」-「観察 かんさつ 者 しゃ 」のなす角度 かくど が特定 とくてい の角度 かくど になったときに虹 にじ が見 み え、色 いろ が分 わ かれる。
理論 りろん 的 てき には、赤色 あかいろ B線 せん (686.719ナノメートル )の場合 ばあい には、水滴 すいてき 内 ない で太陽光 たいようこう が、5回 かい 、6回 かい 、9回 かい 、10回 かい 、11回 かい ...(2回 かい 以外 いがい を表示 ひょうじ )と多数 たすう 反射 はんしゃ する場合 ばあい も、その散乱 さんらん 光 こう が観測 かんそく 者 しゃ の目 め に届 とど くため虹 にじ として見 み ることも可能 かのう だが、反射 はんしゃ 回数 かいすう が増 ふ えるほどその回数 かいすう 分 ぶん だけ強度 きょうど 反射 はんしゃ 率 りつ (S偏 へん 光 こう ではRs 、P偏 へん 光 こう ではRp )を掛 か けることになるので、水滴 すいてき から出 で てきた散乱 さんらん 光 こう は相当 そうとう 光 こう が弱 よわ くなる。
理論 りろん 的 てき に強度 きょうど を計算 けいさん すると、2回 かい 反射 はんしゃ して出 で てくる赤色 あかいろ B線 せん の散乱 さんらん 光 こう の場合 ばあい は主 しゅ 虹 にじ の赤色 あかいろ の強度 きょうど の約 やく 42.6パーセント 程度 ていど だからある意味 いみ よく見 み えるが、5回 かい 反射 はんしゃ の場合 ばあい は約 やく 10.3パーセント、6回 かい 反射 はんしゃ では約 やく 7.5パーセント程度 ていど だから肉眼 にくがん ではほとんど観測 かんそく されない。また水滴 すいてき 内 ない で太陽光 たいようこう が3回 かい 、4回 かい 、7回 かい 、8回 かい ...と反射 はんしゃ して出 で てくる散乱 さんらん 光 こう を観測 かんそく する場合 ばあい の虹 にじ 角 かく は、4次 じ が50.7度 ど で太陽 たいよう と反対 はんたい 側 がわ 、5次 じ が42.1度 ど で太陽 たいよう 方向 ほうこう 、6次 じ が43.2度 ど で太陽 たいよう 方向 ほうこう 、7次 じ は52.3度 ど で太陽 たいよう と反対 はんたい 方向 ほうこう 、8次 じ は31.6度 ど で太陽 たいよう と反対 はんたい 方向 ほうこう に見 み えることになる。このように多重 たじゅう の虹 にじ が存在 そんざい する訳 わけ だが、実際 じっさい に観測 かんそく できるのは2次 じ の副 ふく 虹 にじ ですら、よほど太陽光 たいようこう 線 せん が強 つよ いときでないと見 み えないので、3次 じ 以降 いこう の虹 にじ は光 ひかり が極 きわ めて弱 よわ く見 み ることが困難 こんなん である。日本 にっぽん 国内 こくない では沖縄 おきなわ で数 すう 回 かい の撮影 さつえい 例 れい がある[16] 。
白虹 はくこう ・赤 あか 虹 にじ [ 編集 へんしゅう ]
雨粒 あまつぶ を構成 こうせい する水滴 すいてき の大 おお きさも虹 にじ の色 いろ に影響 えいきょう する。水滴 すいてき の半径 はんけい が0.5から1ミリメートル と大 おお きければ、紫 むらさき や緑 みどり 、赤 あか がはっきり見 み えるが、青色 あおいろ は薄 うす くなる。水滴 すいてき が小 ちい さくなるにつれて赤 あか は薄 うす くなり、半径 はんけい 0.1から0.15ミリメートルでは赤 あか は見 み えなくなる。そして水滴 すいてき が半径 はんけい 0.03ミリメートルで白 しら みを帯 お び、0.025ミリメートル以下 いか になると色 いろ が分 わ かれなくなり、白 しろ く明 あか るい半円 はんえん が見 み えるようになる。これを白虹 はくこう (しろにじ、はっこう)という。霧 きり や雲 くも を構成 こうせい する水滴 すいてき でよく見 み られるので霧 きり 虹 にじ や雲 くも 虹 にじ とも言 い う。また、このとき朝焼 あさや けや夕焼 ゆうや けなどの時間 じかん 帯 たい で太陽光 たいようこう 線 せん が赤 あか みを帯 お びていると、白虹 はくこう が赤 あか く見 み えることがあり、これを赤 あか 虹 にじ と呼 よ ぶ。
白 しろ い虹 にじ に関 かん する記述 きじゅつ は、古 ふる くは『続 ぞく 日本 にっぽん 紀 き 』からあり、宝 たから 亀 ひさし 6年 ねん (775年 ねん )5月 がつ 14日 にち 条 じょう において、発見 はっけん が報告 ほうこく されている。
14世紀 せいき の『十 じゅう 八 はち 史 し 略 りゃく 』には、白虹 はくこう が太陽 たいよう を横切 よこぎ ってかかることを兵乱 へいらん の前兆 ぜんちょう と考 かんが える記述 きじゅつ があり、ここからことわざ の「白虹 はくこう (はっこう)日 び を貫 つらぬ く」が生 しょう じた。
ReflectionRainbow(反射 はんしゃ 虹 にじ )
過剰 かじょう 虹 にじ (干渉 かんしょう 虹 にじ )
主 しゅ 虹 にじ と副 ふく 虹 にじ の間 あいだ に見 み える空 あき や風景 ふうけい は、虹 にじ に比 くら べて相対 そうたい 的 てき に暗 くら くなる。特 とく に後 うし ろの雲 くも が真 ま っ黒 くろ でよどんだ空 そら だと、暗 くら い部分 ぶぶん がはっきりと帯状 おびじょう に見 み える。これをアレキサンダーの暗 くら 帯 たい (アレキサンダーのあんたい、英 えい : Alexander's dark band [18] )あるいはアレキサンダーの帯 おび という。これは、4次 じ 散乱 さんらん に極 きょく 値 ち があることと、3次 じ 、4次 じ 共 とも に散乱 さんらん 光 こう がやってこない領域 りょういき があるためである。これが主 しゅ 虹 にじ と副 ふく 虹 にじ の間 あいだ の領域 りょういき となる。
地表 ちひょう の水面 すいめん などに反射 はんしゃ した光 ひかり が太陽光 たいようこう と同 おな じように水滴 すいてき 内 ない を通 とお って反射 はんしゃ すると、同 おな じように虹 にじ ができることがある。これを反射 はんしゃ 虹 にじ という。反射 はんしゃ 虹 にじ は直接 ちょくせつ 光 ひかり による虹 にじ よりも高 たか い高度 こうど に表 あらわ れる。高度 こうど が高 たか いため虹 にじ の丸 まる みが多 おお くなる。反射 はんしゃ 虹 にじ にも主 しゅ 虹 にじ と副 ふく 虹 にじ がある。反射 はんしゃ 虹 にじ が描 えが く円弧 えんこ の中心 ちゅうしん は、直接 ちょくせつ 光 こう の虹 にじ とは異 こと なるため、普通 ふつう の虹 にじ と反射 はんしゃ 虹 にじ は同心円 どうしんえん 状 じょう にはならず、ずれて見 み える。
このほか、主 しゅ 虹 にじ の下 した 側 がわ や副 ふく 虹 にじ の上側 うわがわ に、さらに色 いろ のついた部分 ぶぶん が淡 あわ く見 み えることがある。これを、余 あま り虹 にじ (あまりにじ)、過剰 かじょう 虹 にじ (かじょうにじ)あるいは干渉 かんしょう 虹 にじ (かんしょうにじ)という。これは、水滴 すいてき がある大 おお きさになったときに、太陽光 たいようこう が干渉 かんしょう して弱 よわ め合 あ ったり強 つよ め合 あ ったりした結果 けっか 、主 しゅ 虹 にじ の内側 うちがわ の接近 せっきん したところに光 ひかり が強 つよ め合 あ う部分 ぶぶん が存在 そんざい するためである。
ハワイで見 み られた月 つき 虹 にじ (Moonbow)
月 つき の光 ひかり でも同様 どうよう に虹 にじ ができる。この場合 ばあい は月 つき 虹 にじ (げっこう、英 えい : Moonbow )という。月 つき 虹 にじ は低空 ていくう に明 あか るい月 つき があるなどの限 かぎ られた条件 じょうけん でないと見 み られない。アリストテレス は「虹 にじ は昼間 ひるま 見 み えるが、夜 よる にも月 つき によって生 しょう ずる虹 にじ が見 み えることがある。ところが昔 むかし の人々 ひとびと は、そのようなものがあるとは考 かんが えていなかった。それは夜 よる の虹 にじ はまれにしか見 み えないためである。(略 りゃく )暗 くら いところでは色 いろ が見 み えないし、多 おお くの条件 じょうけん が一致 いっち しなければ見 み えない。その上 うえ 、一 いち か月 げつ のうち満月 まんげつ の一 いち 日 にち だけに、月 つき の出 だし と月 つき の入 い りのときにしか見 み られないからである。そこで我々 われわれ は50年 ねん 以上 いじょう もの間 あいだ に、ただ2回 かい しか出会 であ わなかった」と書 か いている。
虹 にじ の認識 にんしき の歴史 れきし [ 編集 へんしゅう ]
虹 にじ 「生 い き物 もの 」説 せつ [ 編集 へんしゅう ]
古代 こだい ギリシャでは紀元前 きげんぜん 300年 ねん 頃 ごろ まで、中国 ちゅうごく では西暦 せいれき 1000年 ねん 頃 ごろ まで、日本 にっぽん では西暦 せいれき 1200年 ねん 頃 ごろ まで「虹 にじ は生 い き物 もの だ」と考 かんが えられていた。その後 ご は多 おお くの著者 ちょしゃ が「虹 にじ は生 い き物 もの ではない」として「虹 にじ は生 い き物 もの だ」と書 か く本 ほん は無 な くなった。中国 ちゅうごく では「蛇 へび =へび」「蛙 かえる =かえる」と同様 どうよう に「むしへん」を用 もち いて「虹 にじ 」と書 か いた。虹 にじ には「霓(げい)」という文字 もじ でも虹 にじ を表 あらわ した。「虹 にじ (こう)」は「オスの虹 にじ 」で「霓(げい)」は「メスの虹 にじ 」の意味 いみ だった。また、古代 こだい 中国 ちゅうごく の『礼 れい 記 き 』の「月 つき 令 れい 」には「虹 にじ は3月 がつ に現 あらわ れて10月 がつ に消 き える」という話 はなし が書 か かれていて、多 おお くの本 ほん に引用 いんよう されていた。この場合 ばあい 、虹 にじ は春 はる に発生 はっせい して秋 あき に姿 すがた を消 け す虫 むし や蛇 へび のように考 かんが えられていた。冬 ふゆ に雨 あめ が少 すく ない地域 ちいき ではこのような現象 げんしょう が見 み られたと思 おも われる。英語 えいご 圏 けん では「レインボウ」と呼 よ ぶが、「レイン=雨 あめ 」と「ボウ=弓 ゆみ 」が結 むす びついた言葉 ことば である。西洋 せいよう でも東洋 とうよう でも大昔 おおむかし から「にじは雨 あめ の子 こ 、雨 あめ の作 つく り出 だ すもの、雨 あめ が大好 だいす きな生 い き物 もの 」と思 おも われていた。
虹 にじ 生 い き物 もの 説 せつ の否定 ひてい [ 編集 へんしゅう ]
虹 にじ が生 い き物 もの ではないことを証明 しょうめい したのは「虹 にじ が人工 じんこう 的 てき に作 つく れる」という事実 じじつ の発見 はっけん だった。中国 ちゅうごく では1100年 ねん 頃 ごろ に「虹 にじ は物理 ぶつり 現象 げんしょう だ」とする考 かんが えが始 はじ まり、宋 そう の沈括 (1031年 ねん - 1095年 ねん )は、『夢 ゆめ 渓 けい 筆談 ひつだん 』(1088)に「虹 にじ はすなわち雨中 うちゅう の日 ひ の影 かげ なり。日 ひ が雨 あめ を照 て らせばこれあり」と書 か いた。宋 そう の朱 しゅ 熹 (朱子 しゅし )(1130年 ねん - 1200年 ねん )に代表 だいひょう される人々 ひとびと は「虹 にじ は太陽 たいよう が雲 くも に映 うつ った影 かげ だ」とした。紀元前 きげんぜん 300年代 ねんだい のギリシャのアリストテレス は、人工 じんこう 的 てき に虹 にじ を作 つく る方法 ほうほう を知 し っていた。アリストテレスは『気象 きしょう 論 ろん 』の中 なか で「虹 にじ は我々 われわれ の視線 しせん が太陽 たいよう に向 む かって反射 はんしゃ するものである」と考 かんが え、虹 にじ の色 いろ は 赤 あか 、 青 あお 、 緑 みどり の三 さん 色 しょく で、赤 あか と緑 みどり の間 あいだ にはしばしば 黄色 おうしょく が現 あらわ れると書 か いた。中国 ちゅうごく でも1100年 ねん 前後 ぜんこう 、日本 にっぽん でも1650年 ねん 頃 ごろ には人工 じんこう 的 てき に虹 にじ を作 つく り出 だ す方法 ほうほう が知 し られていた。滝 たき や噴水 ふんすい などの水 みず しぶきで虹 にじ ができることに気 き がついたことがきっかけと思 おも われる。日本 にっぽん では1268年 ねん 頃 ごろ に書 か かれた『塵 ちり 袋 ぶくろ 』全 ぜん 11巻 かん の巻 まき 1第 だい 3項 こう に「日 ひ が西 にし にあれば虹 にじ は東 ひがし にあり。影 かげ の映 うつ りむかいて見 み ゆ」と虹 にじ の生 い き物 もの 説 せつ を否定 ひてい した。日本 にっぽん で初 はじ めて虹 にじ を人工 じんこう 的 てき に作 つく る方法 ほうほう を記 しる したのは京都 きょうと の醍醐 だいご に住 す んでいた医者 いしゃ の中川 なかがわ 三柳 みつやなぎ (なかがわさんりゅう)(1614年 ねん - 1684年 ねん )である。江戸 えど 時代 じだい の1714年 ねん に西川 にしかわ 如見 じょけん (1648年 ねん - 1724年 ねん )が書 か いた本 ほん には「あるとき、数 すう 人 にん の子 こ どもたちが家 いえ の軒下 のきした で遊 あそ んでいましたが、そのうちの一人 ひとり が「虹 にじ を作 つく って遊 あそ ぼうよ」と言 い い出 だ して、水 みず をいっぱい口 くち に入 い れてきました。そして斜 なな めに差 さ し込 こ む日光 にっこう に向 む かって、太陽 たいよう を背 せ にして、水 みず をふきだし、霧 きり のようにしました。その霧 きり の中 なか に虹 にじ が現 あらわ れたので、みんなは喜 よろこ んで代 か わる代 か わる虹 にじ を作 つく って楽 たの しんでいました。」とある。
スコラ学者 がくしゃ の発見 はっけん [ 編集 へんしゅう ]
ディートリヒの虹 にじ の実験 じっけん 。1は水 みず を満 み たしたフラスコの下部 かぶ から赤 あか い光 ひかり が出 で ている。2はフラスコの下部 かぶ から青 あお い光 ひかり が出 で ている。3はフラスコの上部 じょうぶ を塞 ふさ ぐと、下部 かぶ の光 ひかり が消 き えることから、フラスコの上 うえ から入 はい った太陽光 たいようこう が内部 ないぶ で反射 はんしゃ して下 した から出 で る光 ひかり が色 いろ づいて見 み えることがわかる。
中国 ちゅうごく 、日本 にっぽん 、アリストレテスにも中世 ちゅうせい のスコラ学者 がくしゃ にも解決 かいけつ できなかった問題 もんだい は「虹 にじ の色 いろ はどうして発生 はっせい するか」ということだった。アリストテレスは「ものが見 み えるのは目 め から視線 しせん が出 で ているだめだ」と考 かんが えていた。しかし、アリストテレスを受 う け継 つ いだアラビアのイブン・ハイサム (965年 ねん - 1039年 ねん )やイブン・シーナ (980年 ねん - 1037年 ねん )は、「ものが目 め に見 み えるのは、その物体 ぶったい から出 で る光 こう が目 め に入 はい るからだ」と正 ただ しく理解 りかい した。イブン・ハイサムは丸 まる いガラス容器 ようき に水 みず を満 み たして光 ひかり の実験 じっけん も行 おこな った。
虹 にじ はキリスト教 きりすときょう では神 かみ との契約 けいやく をあらすものとされていたため、中世 ちゅうせい のスコラ学者 がくしゃ たちは虹 にじ の研究 けんきゅう を盛 さか んに行 い った。アラビアの科学 かがく を受 う け継 つ いだ中世 ちゅうせい ヨーロッパのスコラ学者 がくしゃ アルベルトゥス・マグヌス (1193年 ねん または1206年 ねん - 1280年 ねん )は、「虹 にじ は窓 まど から入 はい った光 ひかり が、水 みず を満 み たしたフラスコ瓶 びん に当 あ たって、反対 はんたい の壁 かべ に跳 は ね返 かえ るのと似 に たものではないか」という考 かんが えに達 たっ した。彼 かれ は「光線 こうせん は雲 くも から落 お ちる雨粒 あまつぶ によって屈折 くっせつ させられるが、何 なん 回 かい もの屈折 くっせつ によって強 つよ められる。水 みず の入 はい ったガラス瓶 がらすびん と同 おな じようなたくさんの水滴 すいてき が、それぞれの光 ひかり を屈折 くっせつ させはね返 かえ すのから色 いろ が付 つ くのではないか」と考 かんが えた。ロジャー・ベーコン (1219年 ねん - 1292年 ねん )は「虹 にじ の見 み える角度 かくど 」を測定 そくてい して、「太陽 たいよう の高度 こうど が42度 ど 以上 いじょう だと虹 にじ が現 あらわ れない」ということを発見 はっけん した。
ドイツのフライブルクのディートリヒ (英語 えいご 版 ばん ) (1250年 ねん 頃 ごろ - 1310年 ねん 頃 ごろ )(ラテン名 めい はテオドリクス)[40] は、「虹 にじ の色 いろ はどうしてできるのか」を研究 けんきゅう していたが、ある日 ひ 、蜘蛛 くも の巣 す についた水滴 すいてき がまるで虹 にじ のように輝 かがや いて見 み えることに気 き がついた。ディートリヒはもっと大 おお きな水滴 すいてき を作 つく るために、丸 まる いフラスコに水 みず を入 い れて、太陽 たいよう の光 ひかり を当 あ てればきれいな色 いろ が見 み えるかもしれないと考 かんが えて実験 じっけん した。フラスコの中 なか で反射 はんしゃ した太陽光 たいようこう の光点 こうてん が、フラスコの下 した の縁 えん に位置 いち するようにすると、それまで白 しろ く見 み えていた光 ひかり が赤 あか く変 か わるのを発見 はっけん した。そのままフラスコを少 すこ しずつ下 した に下 さ げると、光 ひかり は「 赤 あか → 黄 き → 緑 みどり → 青 あお 」と変化 へんか した。ディートリヒはこの色 いろ の順番 じゅんばん が虹 にじ と同 おな じあることを確認 かくにん した。ディートリヒはさらにこの光 ひかり がどこから入 はい っているのかを確 たし かめ、フラスコの上 うえ から入 はい った太陽光 たいようこう が内部 ないぶ で反射 はんしゃ して、フラスコの下 した の方 ほう から出 で ると色 いろ が付 つ くことを発見 はっけん した。ディートリヒはさらに、フラスコをもっと上 うえ に上 あ げると、今度 こんど は下 した から入 はい った光 ひかり が反射 はんしゃ して上 うえ から出 で る時 とき にも色 いろ が付 つ くことを発見 はっけん し、これは副 ふく 虹 にじ と同 おな じ順番 じゅんばん に色 いろ が見 み えることも確認 かくにん した。
分光 ぶんこう 学 がく 的 てき 発見 はっけん の過程 かてい [ 編集 へんしゅう ]
プリズムによる白色 はくしょく 光 こう の色 いろ 分解 ぶんかい
三角 さんかく プリズムで分光 ぶんこう した太陽光 たいようこう
1600年代 ねんだい に入 はい ると望遠鏡 ぼうえんきょう が発明 はつめい され、光 ひかり の屈折 くっせつ の研究 けんきゅう が本格 ほんかく 化 か し、プリズムによる分光 ぶんこう 実験 じっけん が注目 ちゅうもく を浴 あ びるようになった。イタリアの科学 かがく 者 しゃ ガリレオ・ガリレイ は1623年 ねん の『偽金 にせがね 鑑識 かんしき 官 かん 』の中 なか で「虹 にじ はつねに太陽 たいよう の動 うご く方向 ほうこう と同 おな じ方向 ほうこう へ動 うご く」ことを明 あき らかにし、「虹 にじ は太陽 たいよう に同伴 どうはん し、それに付 つ き従 したが って運動 うんどう する」と書 か いた。
フランス の哲学 てつがく 者 しゃ であるルネ・デカルト は1637年 ねん に刊行 かんこう された『方法 ほうほう 序説 じょせつ 』で、虹 にじ が大気 たいき 中 ちゅう の細 こま かな水滴 すいてき で太陽光 たいようこう が屈折 くっせつ して生 しょう じるものであることを突 つ き止 と め、虹 にじ をよく調 しら べることができるように、ディートリヒと同 おな じく、丸 まる いガラス瓶 がらすびん を水 みず で満 み たしたものを使 つか って実験 じっけん を行 おこな い、虹 にじ 角 かく を42度 ど と計算 けいさん した。これらの光 ひかり を再 ふたた び集 あつ めれば白 しろ い光 ひかり が再現 さいげん されるだろうと示唆 しさ した[48] 。
その後 ご ボヘミアのプラハ大学 だいがく 医学部 いがくぶ 教授 きょうじゅ のマルキ(Marci)(1595年 ねん - 1667年 ねん )は1648年 ねん の著書 ちょしょ でプリズムによる分光 ぶんこう 実験 じっけん の結果 けっか を示 しめ し、光 ひかり は屈折 くっせつ 角 かく の相違 そうい で分光 ぶんこう することを示 しめ し、さらに「一 いち 度 ど 分光 ぶんこう した光 ひかり をさらに屈折 くっせつ させても分光 ぶんこう しない」ことを発見 はっけん した。
イギリス の物理 ぶつり 学者 がくしゃ であるアイザック・ニュートン (1642年 ねん - 1727年 ねん )は、プリズム1対 つい に凸 とつ レンズとスリットを組 く み合 あ わせた実験 じっけん を行 おこな い、「一 いち 度 ど プリズムで分 わ けた光 ひかり をまた一 ひと つにまとめると、もとのような白色 はくしょく 光 こう になる」ということを実験 じっけん で示 しめ し、「白色 はくしょく の太陽光 たいようこう 線 せん は、虹 にじ のような色 いろ の光 ひかり が混 ま じったものである」ことを完全 かんぜん に証明 しょうめい した。ニュートンはその成果 せいか を1672年 ねん に発表 はっぴょう し、虹 にじ の色 いろ を 赤 あか ・ 黄 き ・ 緑 みどり ・ 青 あお ・ 紫 むらさき の5色 しょく とした。しかし、ニュートンは「色 いろ 帯 たい の幅 はば が色 いろ によって異 こと なること」が気 き になり、音階 おんかい の7つの音 おと の差 さ もその幅 はば が一定 いってい ではないことに気 き がつき、「光 ひかり のスペクトルの色 いろ 幅 はば 」と「音階 おんかい の音 おと の幅 はば 」を対照 たいしょう させる仮説 かせつ を思 おも いついて、スペクトルの色 いろ を7色 しょく と考 かんが えた。そこで 橙 だいだい と 藍 あい を加 くわ えて7色 しょく とした。ニュートンの『光学 こうがく 』は1704年 ねん に出版 しゅっぱん されたが、その本 ほん の前 まえ の方 ほう では「5色 しょく 」としているが、後半 こうはん では音階 おんかい との対照 たいしょう も取 と り入 い れて7色 しょく としている。ニュートンのスペクトルと音階 おんかい の対照 たいしょう は間違 まちが っていたため、現在 げんざい では無視 むし されているが、「7色 しょく 説 せつ 」の権威 けんい だけは残 のこ って後世 こうせい に影響 えいきょう を与 あた えた。
ニュートンはプリズムに白色 はくしょく 光 こう をあてると虹色 にじいろ が見 み られることから、光 ひかり は様々 さまざま な粒子 りゅうし の混 こん 合体 がったい であるという「光 ひかり の微粒子 びりゅうし 説 せつ 」を唱 とな えたが、ロバート・フック やクリスティアーン・ホイヘンス などから激 はげ しく批判 ひはん された。
ニュートンの最初 さいしょ の五色 ごしき
赤 あか
黄 き
緑 みどり
青 あお
紫 むらさき
ニュートンの最後 さいご の七 なな 色 しょく
赤 あか
橙 だいだい
黄 き
緑 みどり
青 あお
藍 あい
紫 むらさき
現代 げんだい の七 なな 色 しょく
赤 あか
橙 だいだい
黄 き
緑 みどり
青 あお
藍 あい
紫 むらさき
ニュートンはラテン語 らてんご で cæruleus と indicus と記 しる し[52] 、それぞれ blue (青 あお )、indigo (藍 あい ) と翻訳 ほんやく されたが、cæruleus はセルリアンブルー の語源 ごげん でもあるように、空色 そらいろ の意味 いみ で使 つか い、濃 こ い青 あお を意味 いみ するために indicus という新 あたら しい言葉 ことば を使 つか ったものである。したがって現代 げんだい 語 ご ではシアン と青 あお に相当 そうとう する[53] 。
ニュートンの7色 しょく 説 せつ の権威 けんい とその乗 の り越 こ え [ 編集 へんしゅう ]
虹 にじ の拡大 かくだい 図 ず 。上 うえ から順 じゅん に、計算 けいさん 上 じょう の理想 りそう 的 てき 図 ず 、実際 じっさい に撮影 さつえい された物 もの 、コンピュータ処理 しょり 済 ず みの図 ず 。クリックで拡大 かくだい
虹 にじ の色 いろ 数 すう は文化 ぶんか の問題 もんだい とする説 せつ [ 編集 へんしゅう ]
物理 ぶつり 学者 がくしゃ の桜井 さくらい 邦 くに 朋 とも は『考 かんが え方 かた の風土 ふうど 』(1979年 ねん )の中 なか で「虹 にじ の色 いろ の数 かず にしても、私 わたし たちは何 なん の疑問 ぎもん もなしに7と答 こた えられるのに、アメリカでは6としか答 こた えられないことを知 し ったときには、まさに、文化 ぶんか 的 てき 風土 ふうど 、い換 いか えれば思考 しこう のパターンなどに反映 はんえい される知的 ちてき 風土 ふうど が、彼我 ひが で完全 かんぜん に異 こと なるのだという有無 うむ をも言 い わさぬ結論 けつろん を示 しめ されたようで、私 わたし にはたいへんなショックであった」と書 か いている。また言語 げんご 社会 しゃかい 学者 がくしゃ の鈴木 すずき 孝夫 たかお は『日本語 にほんご と外国 がいこく 語 ご 』(1990年 ねん )の中 なか で、欧米 おうべい での同様 どうよう な経験 けいけん をふまえて「欧米 おうべい では虹 にじ は5〜6色 しょく と思 おも っている人 ひと が少 すく なくない」[55] と書 か いていて、「こういう認識 にんしき はそれぞれの言語 げんご の背後 はいご にある文化 ぶんか によってもともと違 ちが うと理解 りかい した方 ほう がいいのだ」と述 の べた。さらに鈴木 すずき 孝夫 たかお は「日本人 にっぽんじん にとっては虹 にじ の色 いろ は昔 むかし から七 なな と決 き まっている。虹 にじ と言 い えば七 なな 色 しょく 、七 なな 色 しょく と言 い えば虹 にじ というほど、この二 ふた つの結 むす びつきは固 かた い。(略 りゃく )つまり日本 にっぽん 文化 ぶんか の中 なか では虹 にじ は七 なな と決 き まっている。(略 りゃく )このような連続 れんぞく 的 てき に存在 そんざい する対象 たいしょう を、日本人 にっぽんじん が七 なな つの離散 りさん 的 てき な部分 ぶぶん に分節 ぶんせつ して分 わ けるのは、多分 たぶん に言語 げんご 文化 ぶんか 的 てき な慣習 かんしゅう のせいと言 い えよう」とした。生物 せいぶつ 学者 がくしゃ の日高 ひだか 敏隆 としたか も「日本 にっぽん では七 なな 色 しょく の虹 にじ がアメリカでは六 ろく 色 しょく になり、ベルギーでは五 ご 色 しょく になってしまうのは、たいへんおもしろかった」と書 か いた。
虹 にじ の七 なな 色 しょく はニュートンの影響 えいきょう [ 編集 へんしゅう ]
このような考 かんが えに対 たい して科学 かがく 史家 しか ・科学 かがく 教育 きょういく 研究 けんきゅう 者 しゃ の板倉 いたくら 聖 きよし 宣 せん は、「日本人 にっぽんじん の虹 にじ は七 なな 色 しょく だとする常識 じょうしき の方 ほう が間違 まちが っていて、欧米 おうべい 人 じん の方 ほう がまともだ」と批判 ひはん した。板倉 いたくら は鈴木 すずき 孝夫 たかお の説 せつ を否定 ひてい し、日本 にっぽん で「虹 にじ が七 なな 色 しょく 」と言 い われるようになったのは、幕末 ばくまつ から明治 めいじ 時代 じだい 初期 しょき に欧米 おうべい の科学 かがく が導入 どうにゅう されてから以後 いご であることを明 あき らかにした。江戸 えど 時代 じだい の人々 ひとびと は「紅緑 こうろく の虹 にじ 」と書 か いていたが、それは中国 ちゅうごく 伝来 でんらい の表記 ひょうき 法 ほう をそのまま用 もち いたものだった。江戸 えど 時代 じだい の西川 にしかわ 如見 じょけん (1648-1724)の絵 え には「紅緑 こうろく の虹 にじ 」として4色 しょく に彩色 さいしき されたものがある。江戸 えど 後期 こうき に宇田川 うだがわ 榕庵 ようあん はニュートンの音階 おんかい と虹色 にじいろ の対応 たいおう を翻訳 ほんやく 紹介 しょうかい した。明治 めいじ 以後 いご の日本 にっぽん の学校 がっこう 教育 きょういく では欧米 おうべい から伝来 でんらい した自然 しぜん 科学 かがく の入門 にゅうもん 書 しょ の「虹 にじ の色 いろ は七 なな 色 しょく 」という記述 きじゅつ に従 したが って教 おし えられることになった。明治 めいじ 初期 しょき に輸入 ゆにゅう され翻訳 ほんやく されベストセラーとなった『理学 りがく 初歩 しょほ 』にも「虹 にじ の色 いろ はViolet、indigo、blue、green、yellow、orange、redの七 なな 色 しょく 」と記 しる されていたが、これはアメリカで書 か かれた入門 にゅうもん 書 しょ であった。
英語 えいご 圏 けん では虹 にじ の七 なな 色 しょく を覚 おぼ えるために「R ichard o f Y ork g ave B attle i n v ain」(ヨークのリチャード の挑戦 ちょうせん はむなしかった)という語呂合 ごろあ わせがある。日本 にっぽん でも「せき・とう・おう・りょく・せい・らん・し」と覚 おぼ える方法 ほうほう があった。日本 にっぽん もアメリカも、その他 た の近代 きんだい 科学 かがく の成果 せいか を受 う け入 い れた国々 くにぐに なら「ニュートンの虹 にじ は七 なな 色 しょく 説 せつ 」が教 おし えられた。
アメリカでの六 ろく 色 しょく への転換 てんかん [ 編集 へんしゅう ]
欧米 おうべい では1700年 ねん - 1800年代 ねんだい の色彩 しきさい 学者 がくしゃ のあいだでは、ニュートンの「虹 にじ は七 なな 色 しょく 」説 せつ は否定 ひてい されて、六 ろく 色 しょく 説 せつ が主流 しゅりゅう になっていた。明治 めいじ 中頃 なかごろ までには日本 にっぽん の色彩 しきさい 学者 がくしゃ の間 あいだ でも「ニュートンによる虹 にじ は七 なな 色 しょく 説 せつ は誤 あやま りであり、あらゆる面 めん から見 み て虹 にじ は六 ろく 色 しょく とした方 ほう がいい」とされていた。日本 にっぽん と欧米 おうべい の色彩 しきさい 学者 がくしゃ の間 あいだ ではニュートンの権威 けんい は決定的 けっていてき なものではなかった。
しかし、1938年 ねん から1949年 ねん までのアメリカの小学校 しょうがっこう 理科 りか 教科書 きょうかしょ では虹 にじ は7色 しょく と教 おし えられていた。それが6色 しょく に変 か わったのはバーサ・モリス・パーカー(Bertha Morris Parker)[注 ちゅう 1] の『Teaching Manual to accompany 』(1941年 ねん - 1944年 ねん )の影響 えいきょう である。そこには「プリズムを設置 せっち して壁 かべ に色 いろ の帯 おび を映 うつ します。それを教科書 きょうかしょ の虹色 にじいろ の帯 おび の図 ず と壁 かべ に映 うつ った色 いろ 帯 たい を比 くら べさせます。」そして「どれか壁 かべ の上 うえ の色 いろ 帯 たい に見 み つけるのが難 むずか しい色 いろ がありますか?それはどれですか?」と問 と うようになっていた。そして「インディゴ(藍色 あいいろ )というのはほとんど青 あお や紫 むらさき と区別 くべつ がつきませんね」と子 こ どもたちに気 き づかせる授業 じゅぎょう を行 おこな い、「虹 にじ は七 なな 色 しょく ではなくて六 ろく 色 しょく と考 かんが えた方 ほう がいい」「七 なな 色 しょく に見 み えなくても心配 しんぱい しなくてもいい」と教 おし えるものだった。アメリカでは1948年 ねん 以降 いこう の教科書 きょうかしょ にはパーカーの「虹 にじ は、水色 みずいろ はなしの六 ろく 色 しょく 」が受 う け入 い れられた。
日本 にっぽん での虹 にじ の六 ろく 色 しょく 説 せつ の受 う け入 い れ[ 編集 へんしゅう ]
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご に文部省 もんぶしょう が作 つく った理科 りか 教科書 きょうかしょ はパーカーの単元 たんげん 別 べつ 教科書 きょうかしょ をモデルにしていたが、虹 にじ は7色 しょく として、パーカーらの考 かんが えは受 う け継 つ がなかった。これによって「アメリカでは虹 にじ は6色 しょく 、日本 にっぽん では7色 しょく 」と別 わか れることになった。
日本 にっぽん で「虹 にじ は6色 しょく 」と書 か いてあるもっとも初期 しょき の本 ほん は近藤 こんどう 耕 こう 蔵 ぞう [74] の『日用 にちよう 物理 ぶつり 学 がく 講義 こうぎ 』(1917年 ねん :大正 たいしょう 6年 ねん )である。近藤 こんどう は「スペクトルは6色 しょく に大別 たいべつ するがよし」と書 か いた。近藤 こんどう の考 かんが えは「青 あお と菫 すみれ の間 あいだ に藍 あい を入 い れると、この部分 ぶぶん だけ色 いろ を細 こま かく分 わ けすぎることになるから、無理 むり に藍 あい を入 い れずに〈虹 にじ は6色 しょく 〉としたほうがいい」というものだった。しかしその当時 とうじ 物理 ぶつり 学者 がくしゃ が書 か いた教科書 きょうかしょ では虹 にじ は6色 しょく と書 か いたものは1冊 さつ も無 な かった。
東北 とうほく 帝 みかど 大 だい の物理 ぶつり 学 がく 教授 きょうじゅ で光学 こうがく を専 せん 門 もん にしていた愛知 あいち 敬一 けいいち (1880年 ねん - 1923年 ねん )は啓蒙 けいもう 書 しょ の中 なか で「虹 にじ は6色 しょく 」と書 か いたが、そのすぐ後 ご の記述 きじゅつ ではゆらいで「虹 にじ は7色 しょく 」説 せつ を繰 く り返 かえ していた。近藤 こんどう の虹 にじ は6色 しょく 説 せつ は、近藤 こんどう の弟子 でし 以外 いがい には当時 とうじ の教育 きょういく 関係 かんけい 者 しゃ には受 う け入 い れられなかった。1942年 ねん の啓蒙 けいもう 書 しょ でも、霧吹 きりふ きで作 つく った虹 にじ の色 いろ を子 こ どもに数 かぞ えさせるお話 はなし の中 なか で、最初 さいしょ に子 こ どもに「赤 あか 、橙 だいだい 、黄色 おうしょく 、緑 みどり 、青 あお 、もっと濃 こ い青 あお 、紫 むらさき 」と言 い わせて、大人 おとな が「もっと濃 こ い青 あお 」を「藍 あい 」だと教 おし えて、7色 しょく としている。日本 にっぽん でも欧米 おうべい でもニュートンの権威 けんい を乗 の り越 こ えられたのは、物理 ぶつり 学者 がくしゃ ではなく色彩 しきさい 学者 がくしゃ や技術 ぎじゅつ 者 しゃ 、実業 じつぎょう 教育 きょういく 研究 けんきゅう 関係 かんけい の教師 きょうし たち、科学 かがく 啓蒙 けいもう 家 か といった人々 ひとびと だった。
日本 にっぽん の分光 ぶんこう 学 がく の専門 せんもん 家 か がスペクトルの認識 にんしき を変 か えたのは1947年 ねん の中村 なかむら 清二 せいじ 『中村 なかむら 物理 ぶつり 学 がく ・上巻 じょうかん 』で、「色 いろ の数 かず を数 かぞ えることはできない」としながらも6色 しょく をあげている。1952年 ねん ごろまでに6色 しょく への転換 てんかん が行 おこな われたが、その当時 とうじ の検定 けんてい 教科書 きょうかしょ では大 だい 部分 ぶぶん が虹 にじ は7色 しょく だった。専門 せんもん 家 か がニュートンの権威 けんい を乗 の り越 こ えても、日本 にっぽん では常識 じょうしき の権威 けんい を越 こ えることができなかった。また、日本 にっぽん では早 はや くから虹 にじ の教育 きょういく は小学校 しょうがっこう の教材 きょうざい ではなくなったため、高校 こうこう の物理 ぶつり で初 はじ めてスペクトルを習 なら うことになり、高校 こうこう の物理 ぶつり 教科書 きょうかしょ で虹 にじ は6色 しょく となっていても、その一般 いっぱん 常識 じょうしき を変 か えることが遅 おく れた。
光 ひかり の場合 ばあい は波長 はちょう の違 ちが いが色 いろ の違 ちが いに相当 そうとう する。可視 かし 光線 こうせん の波長 はちょう は長 なが い方 ほう から、6.563×10-4 mm 赤 あか 、5.893×10-4 mm 橙色 だいだいいろ 、5.800×10-4 mm 黄色 おうしょく 、5.461×10-4 mm 緑 みどり 、4.861×10-4 mm 青 あお 、4.340×10-4 mm 藍色 あいいろ 、3.968×10-4 mm 紫 むらさき という順 じゅん である。
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "虹 にじ " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年 ねん 10月 がつ )
虹 にじ の色 いろ を何 なに 色 しょく とするかは、地域 ちいき や民族 みんぞく ・時代 じだい により大 おお きく異 こと なる。
例 たと えば、日本 にっぽん では7色 しょく ( 赤 あか ・ 橙 だいだい ・ 黄 き ・ 緑 みどり ・ 青 あお ・ 藍 あい ・ 紫 むらさき )、アメリカ やイギリス では地方 ちほう では6色 しょく ( 赤 あか ・ 橙 だいだい ・ 黄 き ・ 緑 みどり ・ 青 あお ・ 紫 むらさき )、ドイツ や中国 ちゅうごく では5色 しょく ( 赤 あか ・ 橙 だいだい ・ 黄 き ・ 緑 みどり ・ 青 あお )、パプアニューギニア などでは2色 しょく ( 赤 あか ・ 黒 くろ )とされている。なお現代 げんだい でも、かつての沖縄 おきなわ のように明 あきら 、暗 くら の2色 しょく として捉 とら える民族 みんぞく は多 おお い。
インドネシア のフローレンス島 とう 地方 ちほう では、虹 にじ の色 いろ は、 赤地 あかじ に 黄 き ・ 緑 みどり ・ 青 あお の縞 しま 模様 もよう (色 いろ の順番 じゅんばん としては、 赤 あか ・ 黄 き ・ 赤 あか ・ 緑 みどり ・ 赤 あか ・ 青 あお ・ 赤 あか となる)とするが、この例 れい のようにスペクトル として光学 こうがく 的 てき に定 さだ められた概念 がいねん とは異 こと なった順序 じゅんじょ で虹 にじ の色 いろ が認識 にんしき されることも多 おお い。
虹 にじ の色 いろ は言語 げんご 圏 けん によっても捉 とら え方 かた が異 こと なる。実際 じっさい に、ジンバブエ のショナ語 ご では虹 にじ を3色 しょく と捉 とら え、リベリア のバッサ語 ご (英語 えいご 版 ばん ) を話 はな す人々 ひとびと は虹 にじ を2色 しょく と考 かんが えている。このように、虹 にじ の色 いろ とはそれぞれの言語 げんご の区切 くぎ り方 かた によって異 こと なる色 いろ の区切 くぎ り方 かた がなされるのである[85] 。
虹 にじ の色 いろ が何 なに 色 しょく に見 み えるのかは、科学 かがく の問題 もんだい ではなく、文化 ぶんか の問題 もんだい で、何 なに 色 しょく に見 み えるかではなく、何 なに 色 しょく と見 み るかということであるという主張 しゅちょう もある。
台湾 たいわん 高地 こうち の先住民 せんじゅうみん セデック族 ぞく の文化 ぶんか として、成人 せいじん 儀式 ぎしき (男性 だんせい は首狩 くびが り、女性 じょせい は機織 はたお りが上手 うま くなった証 あか し)として、虹 にじ の入 い れ墨 ずみ が行 おこな われた。これは祖先 そせん の国 くに (他界 たかい )へ行 い くための通行 つうこう 手形 てがた としての意味 いみ もある[86] 。
ハワイ のように虹 にじ が日常 にちじょう 的 てき にみられる地域 ちいき もあるが、多 おお くの地域 ちいき では虹 にじ を見 み る条件 じょうけん が限 かぎ られ世界 せかい 各地 かくち で虹 にじ に関 かん する伝説 でんせつ が伝承 でんしょう されている[1] 。
キリスト教 きりすときょう においては虹 にじ は「神 かみ との契約 けいやく 」「約束 やくそく の徴 しるし 」を意味 いみ する(創世 そうせい 記 き 9章 しょう 16節 せつ )。
中国 ちゅうごく には虹 にじ を龍 りゅう の姿 すがた とするい伝 いつた えがある[87] 。明確 めいかく に龍 りゅう 虹 にじ と呼 よ ぶ地域 ちいき (広東 かんとん 省 しょう 増 ぞう 城市 じょうし )や、「広東 かんとん 鍋 なべ の取 と っ手 て の龍 りゅう 」を意味 いみ する鑊耳龍 りゅう (広東 かんとん 省 しょう 台山 だいやま 市 し )と呼 よ ぶ地域 ちいき もある。
虹 にじ を
蛇 へび の
一種 いっしゅ と
見 み なす
風習 ふうしゅう については「
虹 にじ 蛇 へび 」を
参照 さんしょう
中世 ちゅうせい の日本 にっぽん では、虹 にじ の見 み える所 ところ に市場 いちば を立 た てた[88] 。これは市場 いちば が、天界 てんかい や冥府 めいふ といった他界 たかい と俗界 ぞっかい の境界 きょうかい 領域 りょういき に立 た てられるものという考 かんが えに基 もと づき[88] 、現代 げんだい の感覚 かんかく では理解 りかい しづらいが、墓場 はかば にすら市 し が立 た てられたのも境界 きょうかい 領域 りょういき と見 み られていたためであり[88] 、『万葉集 まんようしゅう 』において、柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ が亡 な き妻 つま を想 おも って、「軽 けい の市 し 」に行 い き、妻 つま をしのぶ歌 うた を作 つく ったのも、こうした考 かんが え方 かた に基 もと づく[88] 。『枕草子 まくらのそうし 』において、「おふさの市 し 」=虹 にじ の市 し が登場 とうじょう し、中世 ちゅうせい の書物 しょもつ や貴族 きぞく の日記 にっき にも、虹 にじ の立 た つところに市 し を立 た てなければならないという観念 かんねん が確認 かくにん でき[88] 、これは虹 にじ が天 てん と地 ち の懸 か け橋 はし という考 かんが え方 かた に基 もと づいていたためと見 み られ、神 かみ 々が降 お りる場 ば であり、それを迎 むか える行事 ぎょうじ として市 し が開 ひら かれたと考 かんが えられる[89] 。また中世 ちゅうせい 貴族 きぞく は虹 にじ が確認 かくにん されれば、陰陽 いんよう 道 どう の天文 てんもん 博士 はかせ にそれが吉凶 きっきょう どちらかの予兆 よちょう か占 うらな わせた[88] 。ブロニスワフ・マリノフスキ は、西太平洋 にしたいへいよう のトロブリアンド諸島 しょとう のクラと呼 よ ばれる部族 ぶぞく 間 あいだ の原始 げんし 的 てき 交換 こうかん 儀式 ぎしき の際 さい 、呪術 じゅじゅつ 師 し に虹 にじ を呼 よ び出 だ す呪 のろい 詞 し が唱 とな えられる事例 じれい を報告 ほうこく しており、虹 にじ と原初 げんしょ 的 てき 市 し の関係 かんけい の古 ふる さが分 わ かる[89] 。
虹 にじ の根元 ねもと にはお宝 たから が眠 ねむ るといったい伝 いつた えもみられる[87] 。
一方 いっぽう で、アイヌ民族 みんぞく は虹 にじ をラヨチと呼 よ び、魔物 まもの として恐 おそ れていた(後述 こうじゅつ 書 しょ p.157)。このことに関 かん して、中川 なかがわ 裕 ひろし は、美 うつく しいものに魔物 まもの が惹 ひ きつけられる(狙 ねら う)という考 かんが え方 かた と関係 かんけい すると指摘 してき している[90] (アイヌ語 ご で魂 たましい をラマッ、死 し ぬことをライといい、ラ音 おん には不吉 ふきつ な意味 いみ が含 ふく まれる)。
虹 にじ に類似 るいじ した大気 たいき 光学 こうがく 現象 げんしょう [ 編集 へんしゅう ]
学術 がくじゅつ 的 てき には虹 にじ でなくとも、色 いろ が分 わ かれていたり、弧 こ を描 えが いたりしていて、一般 いっぱん 的 てき には虹 にじ と混同 こんどう されやすい大気 たいき 光学 こうがく 現象 げんしょう が多数 たすう ある。
ブロッケン現象 げんしょう ・光輪 こうりん - 観察 かんさつ 者 しゃ を中心 ちゅうしん として、太陽 たいよう と正 せい 反対 はんたい の方向 ほうこう にできる。虹 にじ と同様 どうよう に色 いろ 分 わ かれがあり、水滴 すいてき によって起 お こるが、光 ひかり が水滴 すいてき 内 ない を通過 つうか する際 さい のメカニズムが異 こと なる。
暈 かさ (かさ、うん、ハロー) - 太陽 たいよう の周 まわ りにできる。虹 にじ と同様 どうよう に色 いろ 分 わ かれがあるが、氷 こおり 晶 あきら によって起 お こる点 てん が異 こと なる。
光 ひかり 環 たまき (光 ひかり 冠 かんむり ) - 太陽 たいよう の周 まわ りにできる。色 いろ 分 わ かれはほとんど無 な く、光 こう が回折 かいせつ することで起 お こる。
彩雲 さいうん - 雲 くも に重 かさ なって見 み え、できる位置 いち はさまざま。色 いろ 分 わ かれはほとんど無 な く、光 ひかり が回折 かいせつ することで起 お こる。
このほかに環 かん 水平 すいへい アーク 、環 かん 天頂 てんちょう アーク 、外接 がいせつ ハロ 、幻 まぼろし 日 び など、虹 にじ のように色 いろ 分 わ かれする現象 げんしょう は多数 たすう ある。
星 ほし 虹 にじ (せいこう、英語 えいご : starbow )とは、光速 こうそく 近 ちか くで移動 いどう する宇宙船 うちゅうせん から星空 ほしぞら を眺 なが めると、ドップラー効果 こうか と特殊 とくしゅ 相対性理論 そうたいせいりろん の効果 こうか によって、星 ほし の見 み かけの位置 いち が進行 しんこう 方向 ほうこう 前方 ぜんぽう に移動 いどう し、進行 しんこう 方向 ほうこう を中心 ちゅうしん とした同心円 どうしんえん 状 じょう に星 ほし の色 いろ が変化 へんか して虹 にじ のように見 み える、といわれている現象 げんしょう である。英語 えいご のスターボウ(starbow)は、雨 あめ が作 つく る弓 ゆみ 型 がた であるrainbowから、星 ほし が作 つく る弓 ゆみ 型 がた という意味 いみ で作 つく られた造語 ぞうご 。また星 ほし 虹 にじ はその直訳 ちょくやく 語 ご である。
通過 つうか する救急 きゅうきゅう 車 しゃ のサイレン や、電車 でんしゃ 内 うち から聴 き く踏切 ふみきり の警報 けいほう など、音源 おんげん からの距離 きょり が連続 れんぞく 的 てき に変化 へんか することで周波数 しゅうはすう を圧縮 あっしゅく ・延伸 えんしん され、音 おと が歪 いが んで聞 き こえる現象 げんしょう (ドップラー効果 こうか )は日常 にちじょう 的 てき に体感 たいかん することができるが、これらの音波 おんぱ と同 おな じように、相対 そうたい 的 てき に接近 せっきん し遠 とお ざかってゆく星 ほし 々から、飛行 ひこう 中 ちゅう の宇宙船 うちゅうせん に向 む かって飛 と んで来 く る光 ひかり の波長 はちょう が圧縮 あっしゅく ・延伸 えんしん されることにより色 いろ が歪 いが んで見 み えるため、全体 ぜんたい が虹 にじ の様 よう に色 いろ を帯 お びて目 め に映 うつ るのではないかと仮説 かせつ したもの。
しかし、仮 かり に全 すべ ての恒星 こうせい などからの光 ひかり がすべて単一 たんいつ の波長 はちょう であるならば赤 あか から紫 むらさき まで明瞭 めいりょう に色 いろ が分 わ かれた虹 にじ に見 み えるであろうが、実際 じっさい には様々 さまざま な星 ほし が様々 さまざま な波長 はちょう の光 ひかり を放出 ほうしゅつ しているため、七 なな 色 しょく に分 わ かれた一般 いっぱん の虹 にじ のように見 み えることはない。星 ほし のスペクトルを黒 くろ 体 たい 輻射 ふくしゃ と仮定 かてい してドップラー効果 こうか による色 いろ 変化 へんか を検証 けんしょう した科学 かがく 論文 ろんぶん [91] によれば、ドップラー効果 こうか による色 いろ 変化 へんか は星 ほし 温度 おんど の変化 へんか と同様 どうよう で虹 にじ にもドーナツ状 じょう にもならないことが示 しめ されている。シミュレーションソフト[92] で再現 さいげん した場合 ばあい も進行 しんこう 方向 ほうこう に明 あか るく青 あお っぽくなり、側 がわ 方 かた 、後方 こうほう の星 ほし は赤 あか く暗 くら くなる色 いろ 変化 へんか は観測 かんそく されるが星 ほし 虹 にじ は出現 しゅつげん しない。
いずれにせよ亜 あ 光速 こうそく で飛行 ひこう できる宇宙船 うちゅうせん が実際 じっさい に在 あ ると仮定 かてい した場合 ばあい にのみ、観測 かんそく が可能 かのう となる空想 くうそう 科学 かがく 上 うえ の現象 げんしょう であり、現代 げんだい の科学 かがく 技術 ぎじゅつ ではそのような宇宙船 うちゅうせん はまだ理論 りろん の上 うえ にも現 あらわ されていない。
虹 にじ に関 かん する表現 ひょうげん ・意味 いみ [ 編集 へんしゅう ]
色彩 しきさい やデザイン においては、虹 にじ のように多色 たしょく を規則 きそく 的 てき に並 なら べる技法 ぎほう がある。このとき規則 きそく 的 てき に並 なら んだ色 いろ を「虹色 にじいろ 」と呼 よ ぶことがある。
虹 にじ には「幸運 こううん の前触 まえぶ れ」や「願 ねが い事 ごと をかなえてくれる存在 そんざい 」とい意味 いみ がある[93] 。
マイヨ・アルカンシエル を着 き る2020年 ねん 世界 せかい 選手権 せんしゅけん 女子 じょし オムニアム 優勝 ゆうしょう 者 しゃ 、梶原 かじはら 悠 ゆう 未 み
スポーツの世界 せかい では、世界 せかい 選手権 せんしゅけん 自転車 じてんしゃ 競技 きょうぎ 大会 たいかい の優勝 ゆうしょう 者 しゃ だけが着 き ることを許 ゆる される、1927年 ねん 以来 いらい の伝統 でんとう であるマイヨ・アルカンシエル (英語 えいご では「レインボージャージ」とも)にも「五 いつ つの大陸 たいりく 」を意味 いみ し、デザインとして虹 にじ があしらわれている。優勝 ゆうしょう 者 しゃ は生涯 しょうがい 、ユニフォーム等 とう の一部 いちぶ に虹色 にじいろ のデザインをあしらうことも認 みと められる。
「平和 へいわ の旗 はた 」としての虹 にじ の旗 はた は、1960年代 ねんだい にイタリアで考案 こうあん され、2003年 ねん のイラク戦争 せんそう 前後 ぜんこう には世界 せかい 各地 かくち で使 つか われた。
直接 ちょくせつ 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ の実現 じつげん を目指 めざ すハンガリー のインターネット民主党 みんしゅとう (2004年 ねん - 2010年 ねん )は虹 にじ をそのシンボルに採用 さいよう していた。
LGBTレインボーフラッグ登場 とうじょう ・普及 ふきゅう 以後 いご [ 編集 へんしゅう ]
レインボーフラッグ
虹 にじ はさまざまな色 いろ を含 ふく むが、そのすべてが太陽 たいよう の白色 はくしょく 光 こう から分 わ かれたものであり、各 かく 色 いろ の間 あいだ に明確 めいかく な境界 きょうかい を引 ひ くこともできない性質 せいしつ から、虹色 にじいろ の旗 はた が「多様 たよう 性 せい 」「共存 きょうぞん 」の象徴 しょうちょう として、1978年 ねん にセクシュアリティ の多様 たよう 性 せい と共存 きょうぞん という意味合 いみあ いからLGBT の象徴 しょうちょう としても用 もち いられるようになった。2000年代 ねんだい 以降 いこう にはアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 外 がい にも、この意味 いみ が普及 ふきゅう した(レインボーフラッグ [注 ちゅう 2] )。
虹 にじ を題材 だいざい とした楽曲 がっきょく [ 編集 へんしゅう ]
^ 教育 きょういく 学者 がくしゃ のジョン・デューイ が1896年 ねん に創立 そうりつ したシカゴ大学 だいがく 実験 じっけん 学校 がっこう (英語 えいご 版 ばん ) の所属 しょぞく 。
^ 初期 しょき には同性愛 どうせいあい コミュニティで使用 しよう された象徴 しょうちょう であり、そのためゲイプライド旗 はた とも呼 よ ばれる。
^ a b c 武田 たけだ 2014 , p. 45。
^ 服部 はっとり 貴昭 たかあき の備忘録 びぼうろく /第 だい 三 さん 次 じ 虹 にじ
^
村井 むらい , 昭夫 あきお 、鵜山 うやま , 義晃 よしあき 『雲 くも のカタログ 空 そら がわかる全 ぜん 種 たね 分類 ぶんるい 図鑑 ずかん 』草 くさ 思 おもえ 社 しゃ 、2011年 ねん 、121頁 ぺーじ 。ISBN 978-4-7942-1823-0 。
^ ドイツのスコラ哲学 すこらてつがく 者 しゃ ,自然 しぜん 学者 がくしゃ 。ラテン名 めい Theodoricus Teutonicus。ドミニコ会 かい 士 し で、1293年 ねん - 1296年 ねん ドイツ管区 かんく 長 ちょう 。プロクロスとアウグスチヌスの影響 えいきょう を受 う けて新 しん プラトン主義 しゅぎ 的 てき 形而上学 けいじじょうがく を展開 てんかい ,ドイツ神秘 しんぴ 主義 しゅぎ に影響 えいきょう を及 およ ぼした。また虹 にじ の現象 げんしょう の画期的 かっきてき な説明 せつめい を行 おこ なった。主著 しゅちょ 『知性 ちせい と知 し られうるものについて』 De intellectu et intelligibili,『虹 にじ 論 ろん 』 De iride。(ブリタニカ国際 こくさい 大 だい 百科 ひゃっか 事典 じてん 小 しょう 項目 こうもく 事典 じてん )
^ 松本 まつもと 2019 , p. 22。
^ Isaac Newton, Optice: Sive de Reflexionibus, Refractionibus, Inflexionibus & Coloribus Lucis Libri Tres, Propositio II, Experimentum VII, edition 1740: Ex quo clarissime apparet, lumina variorum colorum varia esset refrangibilitate : idque eo ordine, ut color ruber omnium minime refrangibilis sit, reliqui autem colores, aureus, flavus, viridis, cæruleus, indicus, violaceus, gradatim & ex ordine magis magisque refrangibiles.
^ Waldman, Gary (1983). Introduction to Light: The Physics of Light, Vision, and Color (2002 revised ed.). Mineola, New York: Dover Publications . p. 193. ISBN 978-0486421186 . https://books.google.com/books?id=PbsoAXWbnr4C&dq=%22the+color+he+called+indigo%22&pg=RA1-PA193 Newton named seven colors in the spectrum: red, orange, yellow, green, blue, indigo, and violet. More commonly today we only speak of six major divisions, leaving out indigo. A careful reading of Newton’s work indicates that the color he called indigo, we would normally call blue; his blue is then what we would name blue-green or cyan.
^ ドイツ では5色 しょく とされることも多 おお い(鈴木 すずき 孝夫 たかお 、1978年 ねん 、124頁 ぺーじ )。全体 ぜんたい の色 いろ の並 なら びはロシア語 ご ではもっと文学 ぶんがく 的 てき に「すべての狩人 かりゅうど はキジ がどこに留 と まるかを知 し りたい。」という文章 ぶんしょう の各 かく 単語 たんご の最初 さいしょ の文字 もじ (КОЖЗГСФ )が色 いろ を現 げん わす単語 たんご の最初 さいしょ の文字 もじ になるようにして覚 おぼ える。
^ 明治 めいじ 6年 ねん 神奈川 かながわ 県 けん 生 う まれ。神奈川 かながわ 尋常 じんじょう 師範 しはん 学校 がっこう を明治 めいじ 29年 ねん に卒業 そつぎょう 。東京 とうきょう 女子 じょし 高等 こうとう 師範 しはん 学校 がっこう 教授 きょうじゅ 。(小野 おの 健司 けんじ 、2011、p.3)
^ 大修館書店 たいしゅうかんしょてん 『社会 しゃかい 人 じん のための英語 えいご 百科 ひゃっか 』(監修 かんしゅう 大谷 おおや 泰 やすし 照 あきら 、堀内 ほりうち 克明 かつあき )163頁 ぺーじ 。
^ 設楽 したら 博己 ひろみ 『顔 かお の考古学 こうこがく 異形 いぎょう の精神 せいしん 史 し 』 吉川弘文館 よしかわこうぶんかん 2021年 ねん p.216.
^ a b 武田 たけだ 2014 , p. 46.
^ a b c d e f 網野 あみの 1988 , p. 154
^ a b 網野 あみの 1988 , p. 155
^ 中川 なかがわ 裕 ひろし 『アイヌ文化 ぶんか で読 よ み解 と く「ゴールデンカムイ」』集英社 しゅうえいしゃ 〈集英社 しゅうえいしゃ 新書 しんしょ 〉、2019年 ねん 、157-158頁 ぺーじ 。ISBN 978-4-08-721072-9 。
^ John M. McKinley and Paul Doherty (1979). “In search of the "starbow": The appearance of the starfield from a relativistic spaceship”. Am. J. Phys. 47 (4): 309-316. doi :10.1119/1.11834 .
^ HippLiner -- A 3D interstellar spaceship simulator with constellation writing function
^ LIB_zine. “虹 にじ が持 も つスピリチュアルなメッセージとは? 特徴 とくちょう ・状況 じょうきょう 別 べつ の意味 いみ 10個 こ ”. 「マイナビウーマン」 . 2023年 ねん 8月 がつ 7日 にち 閲覧 えつらん 。
ニュートン, アイザック 著 ちょ 、田中 たなか 一郎 いちろう 訳 やく 『ニュートン 光学 こうがく 』朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ 〈科学 かがく の名著 めいちょ 6〉、1981年 ねん 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :81018518
板倉 いたくら , 聖 せい 宣 せん 『ミニ授業 じゅぎょう 書 しょ 虹 にじ は七 なな 色 しょく か六 ろく 色 しょく か 真理 しんり と教育 きょういく の問題 もんだい を考 かんが える』仮説 かせつ 社 しゃ 、2003年 ねん 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :20596516
板倉 いたくら , 聖 せい 宣 せん 「虹 にじ は七 なな 色 しょく か? 押 お しつけはどのようにして忍 しの び込 こ むか」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 236巻 かん 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2001a、6-21頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら , 聖 せい 宣 せん 「授業 じゅぎょう 書 しょ 《虹 にじ と光 ひかり 》とその解説 かいせつ 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 237巻 かん 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2001b、7-57頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら , 聖 せい 宣 せん 「人 ひと びとは虹 にじ をどのように考 かんが えてきたか 中国 ちゅうごく ・日本 にっぽん ・西洋 せいよう での虹 にじ の研究 けんきゅう 史 し 略 りゃく 」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 237巻 かん 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2001c、58-74頁 ぺーじ 。
板倉 いたくら , 聖 せい 宣 せん 「常識 じょうしき はどのようにして変 か わるか「虹 にじ は7色 しょく 」から「虹 にじ は6色 しょく 」へ」『たのしい授業 じゅぎょう 』第 だい 240巻 かん 、仮説 かせつ 社 しゃ 、2001d、8-43頁 ぺーじ 。
小野 おの , 健司 けんじ 「権威 けんい 主義 しゅぎ を乗 の り越 こ えた人 ひと びと--続 つづけ 《虹 にじ は七 なな 色 しょく か六 ろく 色 しょく か》」『四国大学 しこくだいがく 紀要 きよう 自然 しぜん 科学 かがく 編 へん 第 だい 32号 ごう 』第 だい 35巻 かん 、四国大学 しこくだいがく 紀要 きよう 委員 いいん 会 かい 、2011年 ねん 、1-14頁 ぺーじ 。 国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん 書誌 しょし ID:11066109。
野村 のむら , 正雄 まさお 「宇田川 うだがわ 榕 よう 菴稿『和 かず 蘭 らん 邦訳 ほうやく 洋楽 ようがく 入門 にゅうもん 』の原典 げんてん 解明 かいめい とニュートンによる音階 おんかい と虹色 にじいろ の対応 たいおう 」『一 いち 滴 てき 洋学 ようがく 研究 けんきゅう 誌 し 』第 だい 27巻 かん 、津山 つやま 洋学 ようがく 資料 しりょう 館 かん 、2020年 ねん 、23-51頁 ぺーじ 。 国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん 書誌 しょし ID:030398596。
日高 ひだか , 敏隆 としたか 「虹 にじ は何 なん 色 しょく か」『現代 げんだい 思想 しそう 』第 だい 6巻 かん 第 だい 5号 ごう 、青土 おうづち 社 しゃ 、1978年 ねん 、20-22頁 ぺーじ 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :00007340
鈴木 すずき , 孝夫 たかお 「虹 にじ の色 いろ は何 なん 色 しょく か」『慶応義塾大学 けいおうぎじゅくだいがく 言語 げんご 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 紀要 きよう 』第 だい 10巻 かん 、慶応義塾大学 けいおうぎじゅくだいがく 言語 げんご 文化 ぶんか 研究所 けんきゅうじょ 、1978年 ねん 、107-128頁 ぺーじ 。 国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん 書誌 しょし ID:1980904。
松原 まつばら , 宏遠 こうえん 「虹 にじ はどうして見 み えるか」『科学 かがく 教室 きょうしつ 少 しょう 国民 こくみん 科学 かがく 文庫 ぶんこ 』第 だい 1巻 かん 、春陽 しゅんよう 堂 どう 書店 しょてん 、1942年 ねん 、8-21頁 ぺーじ 。 全国 ぜんこく 書誌 しょし 番号 ばんごう :45025079
西條 さいじょう , 敏美 としみ 『「ひと」Books 授業 じゅぎょう 虹 にじ の科学 かがく 』太郎 たろう 次郎 じろう 社 しゃ エディタス、2015年 ねん 。ISBN 978-4-8118-0779-9 。
武田 たけだ , 康男 やすお 『不思議 ふしぎ で美 うつく しい「空 そら の色彩 しきさい 」図鑑 ずかん 』PHP研究所 けんきゅうじょ 、2014年 ねん 。
上 うえ 横手 よこて , 雅 まさ 敬 たかし 、網野 あみの , 善彦 よしひこ 、石井 いしい , 進 すすむ 、大隅 おおすみ , 和雄 かずお 、勝俣 かつまた , 鎭夫 しずお 『日本 にっぽん 中世 ちゅうせい 史 し 像 ぞう の再 さい 検討 けんとう 』山川 やまかわ 出版 しゅっぱん 社 しゃ 、1988年 ねん 。ISBN 978-4-634-60210-6 。
松本 まつもと , 英恵 はなえ 『人 ひと を動 うご かす「色 いろ 」の科学 かがく 』SBクリエイティブ〈サイエンス・アイ新書 しんしょ 〉、2019年 ねん 。ISBN 978-4797398212 。
尚 なお 学 がく 図書 としょ 編 へん 『日本 にっぽん 方言 ほうげん 大 だい 辞典 じてん 』徳川 とくがわ 宗 そう 賢 けん 監修 かんしゅう 、小学館 しょうがくかん 、1989年 ねん 。ISBN 4-09-508201-1 。
ウィキメディア・コモンズには、
虹 にじ に
関連 かんれん する
メディア および
カテゴリ があります。