イブン・ハイサム

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イブン・ハイサムのイメージぞう

イブン・ハイサムابن الهيثم, Ibn al-Haytham もしくは Ibn al-Haitham, イブン・アル=ハイサム, ラテンめい: アルハゼン)は、イスラムけん数学すうがくしゃ天文学てんもんがくしゃ物理ぶつり学者がくしゃ医学いがくしゃ哲学てつがくしゃ音楽おんがく学者がくしゃ[1]965ねん - 1040ねん)。

イブン・ハイサムは光学こうがくしょ原理げんり発見はっけん科学かがく実験じっけん手法しゅほう発展はってんたいし、近代きんだい科学かがく重要じゅうよう貢献こうけんをした人物じんぶつである。またかれのこした光学こうがくかんする書物しょもつレンズかがみ使つかった屈折くっせつ反射はんしゃ実験じっけんなどから「光学こうがくちち」ともみなされている。「アルハゼンの定理ていり」やつきのクレーターアルハゼン英語えいごばん」はかれにちなむ。

名前なまえ[編集へんしゅう]

フルネームはアブー・アリー・アル=ハサン・イブン・アル=ハサン・イブン・アル=ハイサム(Abū ‘Alī al-Ḥasan ibn al-Ḥasan ibn al-Haytham, أبو علي الحسن بن الحسن بن الهيثم)で、直訳ちょくやくは「アリーのちちこと、アル=ハイサムの息子むすこ(≒アル=ハイサムもの)であるアル=ハサンの息子むすこたるアル=ハサン」。

日本語にほんごでは「イブン・アル=ハイサム」または定冠詞ていかんしアル=をはぶいた「イブン・ハイサム表記ひょうきおおられる。

西洋せいようではファーストネームであるアル=ハサンのラテン語らてんご風発ふうはつおんであるアルハゼンアルハーゼン(Alhacen 、Alhazen)のられていた。ただし本名ほんみょうかんしては異説いせつがあり、アル=ハサンではなくムハンマドともわれている[2]

イラク都市としバスラ出身しゅっしんであったことから「アル=バスリー」(al-Baṣrī, البصري, 「バスラ出身しゅっしんの(ひと)」の)ともばれていた。

なお「イブン・アル=ハイサム」は学者がくしゃ本人ほんにんのファーストネームやそのちち名前なまえだとわれている「アル=ハサン」ではなくアラブ世界せかい多用たようされる出自しゅつじ表示ひょうじ方法ほうほうで、名字みょうじ相当そうとうする部分ぶぶんを「イブン・アル=ハイサム」という形式けいしき表現ひょうげんしているもの。「アル=ハイサムの息子むすこ」という直訳ちょくやくになるがここではイブンは実父じっぷ以外いがい先祖せんぞ名前なまえはい事例じれいであり、アル=ハイサムは実父じっぷではなくすうだいまえ祖先そせん名前なまえ[2]で、「アル=ハイサム出身しゅっしんしゃ)」といった意味いみ使つかわれる家名かめい名字みょうじ相当そうとう部分ぶぶんとなっている。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

1572ねんラテン語らてんご翻訳ほんやくされたイブン・ハイサム(アルハゼン)のしょ Thesaurus opticus (光学こうがくしょ)の表紙ひょうし太陽光たいようこうあつめてシラクサおき軍艦ぐんかんやすアルキメデス装置そうちえがかれている

イブン・ハイサムは光学こうがく理論りろん研究けんきゅう、および科学かがく研究けんきゅう実践じっせん手法しゅほうかんして重大じゅうだい貢献こうけんをした、史上しじょうもっと偉大いだい科学かがくしゃ一人ひとりである。

イブン・ハイサムの伝記でんきには不明ふめい部分ぶぶんおお[3]かれはアッバースあさ時代じだいの965ねんバスラまれた。父親ちちおや官吏かんりつとめており、息子むすこ地元じもとバスラにて十分じゅうぶん教育きょういくけさせた[4]という。

かれバグダード学業がくぎょう修了しゅうりょうしバスラでカーディー裁判官さいばんかん)となったが、当時とうじれていた宗教しゅうきょう対立たいりつこうそうあらしなかしょく学者がくしゃみちへと転向てんこう資料しりょうによっては父方ちちかたおじから医学いがくまな[5]医師いしけん官吏かんりとして宮廷きゅうてい仕官しかんしていた[6]ともされている。

イラクもしくはシャーム(現在げんざいのシリア近辺きんぺん)にいたころにナイルがわとめすいせき構想こうそうつたいたファーティマあさカリフのハーキムによりエジプトカイロ招聘しょうへいされ移住いじゅう同地どうちでそのままらし1040ねん死去しきょ埋葬まいそうされたものとられる。

ファーティマあさカリフによるエジプト招聘しょうへい[編集へんしゅう]

後世こうせい伝記でんきによれば、学芸がくげい保護ほごする一方いっぽう冷酷れいこく奇人きじんとしてもられたエジプトのファーティマあさだい6だいカリフハーキムによってカイロにまねかれた。イブン・ハイサムが毎年まいとし氾濫はんらんこすナイルがわ治水ちすい実現じつげんむすびつく科学かがくてき見解けんかいアスワンせきつくればナイルがわ流量りゅうりょう調節ちょうせつし、氾濫はんらん渇水かっすいかにかかわらずみず供給きょうきゅうできるようになるーをあきらかにしたとつたいたハーキムのつよ希望きぼうによるものだった[7]という。

ハーキムはカイロ郊外こうがいの(アル=)ハンダクとばれたでイブン・ハイサムをむかえ、かれのために用意よういした住居じゅうきょまで同行どうこう生活せいかつ警護けいごなどの援助えんじょ提供ていきょう[8]し、公的こうてき地位ちいあたえた[9]

カリフの意向いこういたイブン・ハイサムは技術ぎじゅつしゃらとナイルがわ遡上そじょうしながらまわることにしたが、現地げんち調査ちょうさ結果けっか自身じしんてた治水ちすい構想こうそう実現じつげんうつすことは不可能ふかのうであると判断はんだん古代こだいエジプトに建設けんせつされた数々かずかず遺跡いせきとその技術ぎじゅつりょくたきがあるアスワン付近ふきんむずかしい地形ちけい祖国そこくながれるティグリスがわ・ユーフラテスがわとはことなる荒々あらあらしいナイルがわ実際じっさいながれをにして、自分じぶんがエジプトのまないまま机上きじょうした推論すいろん当時とうじ技術ぎじゅつりょくではナイルがわおさめるにはりなかったとさとったからだともつたえられ[7]ている。

治水ちすい事業じぎょう約束やくそくしたかたち出立しゅったつしたもののそれが無理むりだったとさとったイブン・ハイサムは、アスワンからもどったのちにハーキムに謝罪しゃざい[10]。ハーキムは自身じしん理論りろん不備ふびがあったことを正直しょうじきみとめた[11]イブン・ハイサムをその処刑しょけいしたり国外こくがい追放ついほうしたりすることはせず、謝罪しゃざい実現じつげん不可能ふかのうである理由りゆうにも納得なっとくしたように見受みうけられ、それなりの公職こうしょくあらためてあたえた。これについてはイブン・ハイサムが他国たこく為政者いせいしゃによってその才能さいのう活用かつようされることをふせ手元てもといておく目論見もくろみもあったのではないかとろんじるせつ、シーアであるファーティマあさ支配しはいにあるカイロがごしやすかったためイブン・ハイサム自身じしんがそのまま逗留とうりゅうすることをえらんだのではないかといった見方みかたもあるという[10]

ハーキムの真意しんい了解りょうかいとは程遠ほどとおいのではないかとかんがえたイブン・ハイサムはカリフのまぐれと翻意ほんいによって殺害さつがいされることをおそ[12]みずからがかれた不安定ふあんてい状況じょうきょうれない官吏かんりしょくから唯一ゆいいつのがれられる方法ほうほうとしてイスラームほうじょう責任せきにんわれず死刑しけいからまぬかれることのできる狂人きょうじんになったかのようにふるまうことを選択せんたくした。

狂気きょうきよそおったものの結局けっきょく公職こうしょく剥奪はくだつ財産ざいさん書籍しょせきなどの所持しょじひん没収ぼっしゅう[13]され、ハーキムが1021ねんなぞげるまで自宅じたく軟禁なんきん生活せいかつおくった[4]。ハーキムによって監視かんし使用人しようにんをつけられていたことから狂人きょうじんになったふりはハーキムが死去しきょするまでのやく10年間ねんかんにわたってつづけざるをず、カリフ死去しきょにようやく正気しょうきもどったふりができるようになり学究がっきゅう生活せいかつ公然こうぜんおこなうようになった。

軟禁なんきんされていた自宅じたくからアズハルモスクのそばに転居てんきょ。アズハル学院がくいん講義こうぎおこな複数ふくすう学者がくしゃらがかれもと巣立すだっていった。また生活せいかつらくでなかったことからエウクレイデスやプトレマイオス(ちょ『アルマゲスト』)といった書籍しょせき写本しゃほん翻訳ほんやくなどをおこなうなどして生計せいけい[14]ながら研究けんきゅう没頭ぼっとうしたという。

外出がいしゅつ禁止きんし期間きかんちゅう研究けんきゅうのための十分じゅうぶん時間じかんて、光学こうがく数学すうがく物理ぶつりがく薬学やくがく、および学問がくもん分類ぶんるい研究けんきゅう手法しゅほうかんするおおくの書物しょもつあらわすにいたった。『光学こうがくしょ』もそのなかひとつであった。

著作ちょさく成果せいか[編集へんしゅう]

後世こうせい作成さくせいされたかれ著作ちょさくのリストをつきあせると、200じゃくのタイトルをかぞえることができ、そのうち60程度ていどがアラビア写本しゃほんまた断片だんぺん現存げんそんしている。 そのなかで『كِتَابُ الْمَنَاظِرِ』(転写てんしゃ:Kitāb al-Manāẓir, キターブ・アル=マナーズィル, 実際じっさい発音はつおん:kitābu-l-manāẓir, キターブ・ル=マナーズィル, 邦題ほうだい光学こうがくしょ1015ねん - 1021ねん)はとく重要じゅうよう著書ちょしょであり、12世紀せいきすえから13世紀せいき中頃なかごろまでのあいだおそらくはスペインでラテン語らてんご翻訳ほんやくされ、ヘブライ、およびイタリアやくされた。 『光学こうがくしょ』をあわせてけいみっつの著作ちょさくラテン語らてんごやくされた [15]

プトレマイオスの『光学こうがく』『アルマゲスト』など、古代こだいギリシア古代こだいローマ光学こうがく天文学てんもんがく数学すうがく批判ひはんてき継承けいしょうし、画期的かっきてき成果せいかげた。

かれ名前なまえかんした施設しせつなど[編集へんしゅう]

かれ肖像しょうぞう2003ねん、イラクの10,000ディナール紙幣しへい登場とうじょうしたほか、テヘラン本部ほんぶイラン原子力げんしりょくちょう英語えいごばんにあるイラン最大さいだいレーザー研究けんきゅう施設しせつにもかれかんされている。つきのクレーターアルハゼン英語えいごばん」のほか、小惑星しょうわくせい59239「アルハゼン」もかれ記念きねんしてづけられた。

業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

古代こだいギリシアてき自然しぜんたいするアプローチには、自然しぜんがくによるものと数学すうがくてきしょがくによるものがあった。後者こうしゃ狭義きょうぎ数学すうがく幾何きかがく算術さんじゅつ代数だいすう)のほか天文学てんもんがく光学こうがく(視学しがく)、和声わせいがくせい力学りきがく(いのがく)などをふくんでいた。

イブン・ハイサムは後者こうしゃ専門せんもんで、狭義きょうぎ数学すうがくのほか、光学こうがく(視学しがく)、天文学てんもんがくせい力学りきがく(いのがく)においておおきな業績ぎょうせきがあった。とくに、光学こうがくにおける業績ぎょうせき名高なだかい。

自然しぜんがく数学すうがくてきしょがくのアプローチは、対象たいしょうおなじでも基本きほんてきにはべつのものとされた。たとえば「天文学てんもんがく天体てんたい運行うんこう幾何きかがくてき側面そくめんかんする理論りろんであって、その原因げんいん本性ほんしょうについてはかたらない」などとされた。イブン・ハイサムは高度こうど数学すうがく駆使くしする一方いっぽう自然しぜんがくてき問題もんだい意識いしき重視じゅうしした。

光学こうがく[編集へんしゅう]

イブン・ハイサムは、古代こだい以来いらいバラバラにおこなわれてきたひかり視覚しかくかんする研究けんきゅう綜合そうごうし、ふかめ、後世こうせい光学こうがく研究けんきゅう決定的けっていてき影響えいきょうあたえた[ちゅう 1]とく視覚しかくひかりによってこされることをあきらかにし、あらたな解析かいせき手法しゅほう(てん解析かいせき[ちゅう 2]開発かいはつしたことはおおきな貢献こうけんであった。また、実験じっけん効果こうかてき多用たようした。屈折くっせつ光学こうがくかんしては、近代きんだい以前いぜんでは、数少かずすくない包括ほうかつてき信頼しんらいできる典拠てんきょひとつであった。

古代こだいひかり視覚しかく研究けんきゅう[編集へんしゅう]

古代こだいギリシア古代こだいローマにおいて、光学こうがく(optica, 視学しがく)は、ユークリッドプトレマイオスらによって高度こうど幾何きかがくてき理論りろんとなっていたが、しゅたる目的もくてき視覚しかく説明せつめいであった。反射はんしゃきょう太陽光たいようこういちてんあつめる研究けんきゅう(こげきょうディオクレス英語えいごばん)、トラレスのアンテミオス)もあったが、それらはべつ学問がくもんとされた。にじかさなどの大気たいき光学こうがく現象げんしょうは、気象きしょうがくあつかわれ、数学すうがくてき学問がくもん専門せんもんによる研究けんきゅうのこっていない。

また、視覚しかく原因げんいんいては、ひかり主要しゅよう原因げんいんとはされなかった。まず、ユークリッドプトレマイオスらの光学こうがくは、から放出ほうしゅつされる「視線しせん」が対象たいしょう到達とうたつして成立せいりつするとした(そとおく理論りろん英語えいごばん))。ついで医学いがくしゃガレノスは、視覚しかくろん神経しんけいのう解剖かいぼうがく生理学せいりがくはじめて本格ほんかくてきれたが、かれ視覚しかくろんもまた、あるしゅそとおく理論りろんだった[ちゅう 3]。このほか、プラトンやストア哲学てつがくしゃたちをふくめ、そとおく理論りろん圧倒的あっとうてき多数たすうであった。

一方いっぽう、アリストテレスは「いろ」が空気くうきなどの媒体ばいたいかいして感覚かんかく流入りゅうにゅうすることで成立せいりつするとし[ちゅう 4]視線しせん理論りろん批判ひはんした。たとえば「ほしにまで瞬時しゅんじとど視線しせんかんがえねばならないのは不自然ふしぜん」といった議論ぎろんは、素朴そぼくながらかりやすい[20]。また、古代こだいにおいて、はじめてまとまった感覚かんかく理論りろん展開てんかいし、プトレマイオスやガレノスにも影響えいきょうあたえた。だが、視覚しかくろんについてはあまり賛同さんどうしゃはいなかった。なお、アリストテレスにおいては、「ひかり」とは発光はっこうたい作用さようによって空気くうきなどの媒質ばいしつ活性かっせいされた状況じょうきょうのことを[ちゅう 5]

視覚しかくひかり関係かんけい[編集へんしゅう]

イブン・ハイサムは古代こだい幾何きかがくてき視覚しかくろん、とりわけプトレマイオス光学こうがく』をおおいに利用りようしているが、「視線しせん」の物理ぶつりてき不自然ふしぜんさについては、アリストテレス見解けんかい同意どういした。しかしアリストテレスの視覚しかくろんにもくみせず、ひかり物体ぶったいの「いろ」をとどけるという、あらたな理論りろんした[ちゅう 6]古代こだい主要しゅよう視覚しかくろんでは、ひかり補助ほじょてき役割やくわりしかあたえられなかったが、これによってひかり視学しがく主要しゅよう場所ばしょめることになった。また、かれは、光線こうせん視線しせんおおむおな経路けいろぎゃくきにすすむと結論けつろんし、古代こだい幾何きかがくてき視覚しかくろん成果せいかむことができた。

また、ひかり視線しせんことなってけむりほこり経路けいろかびがらせることができ、その性質せいしつ実験じっけん多角たかくてき調しらべることができた。たとえば、そとおく理論りろんへの反論はんろんで、複数ふくすう視線しせん空気くうきちゅう交錯こうさくした場合ばあい効果こうか問題もんだいする議論ぎろんがあった。ひかりについても、たような問題もんだいかんがえられる。そこでイブン・ハイサムは、ロウソクからはっせられるひかりかべけたちいさなあなじらわせたのちスクリーンに投影とうえいし、ロウソクがほんでもぞうみだれないことをしめした。そして、ひかり光源こうげんから四方しほう均等きんとう放出ほうしゅつされて直進ちょくしんするとして実験じっけん結果けっか説明せつめいした。これはカメラ・オブスクラの特殊とくしゅ場合ばあいである。

視覚しかくひかり説明せつめいした結果けっか古代こだい視覚しかくろんでは問題もんだいにされなかった、におけるぞう形成けいせい問題もんだい浮上ふじょうした。ひかり独自どくじ法則ほうそくしたがって直進ちょくしんするだけであるので、はいって適切てきせつぞうむすぶかどうかはまった自明じめいではない。

イブン・ハイサムは当時とうじガレノスりゅう解剖かいぼうがく参考さんこうにしてこの問題もんだいんだ。しかし、当時とうじ構造こうぞうろんは、この目的もくてきにはまった不十分ふじゅうぶんであった[ちゅう 7]かれ理論りろんでは、水晶すいしょうたいひかり屈折くっせつさせるほかに水晶すいしょうたい表面ひょうめん垂直すいちょく光線こうせんのみをえら役割やくわりたさせた。また、水晶すいしょうたいから網膜もうまくまでのプロセスは、純粋じゅんすい光学こうがくてき現象げんしょうとはされなかった。せい立像りつぞう準拠じゅんきょしたことをふくめ、古代こだい視覚しかくろん基本きほんてき構造こうぞうたも結果けっかとなった。

しかし、問題もんだい設定せってい分析ぶんせき手法しゅほうとくてんじょう解析かいせきヨハネス・ケプラー以降いこう視覚しかくろんでも継承けいしょうされる[22]。また、入射にゅうしゃしたひかり屈折くっせつてから感知かんちされることを証明しょうめいするなど、するど見識けんしき発揮はっきしているところもある。証明しょうめい一環いっかんとして、古代こだい視線しせん理論りろんでは説明せつめいできない現象げんしょうたくみな実験じっけんしめしており、かれはこの発見はっけん視線しせん理論りろんたいする、みずからの理論りろん優位ゆうい根拠こんきょとした[21]

実験じっけんてき手法しゅほう[編集へんしゅう]

イブン・ハイサムとそれ以前いぜん光学こうがく研究けんきゅう相違そういてんひとつには、実験じっけん効果こうかてき多用たようがある。『光学こうがくしょ』に記述きじゅつされる実験じっけんかずプトレマイオスのそれよりも圧倒的あっとうてきかずおおく、ほぼすべての重要じゅうよう論点ろんてんについて一々いちいち実験じっけんてき証明しょうめいけている。実験じっけんは、ひかり性質せいしつかんする、自然しぜんがくてき議論ぎろんけるための手段しゅだんとして多用たようされた形跡けいせきがある。それゆえに論証ろんしょうのためのレトリックにぎず、実際じっさいには実験じっけん実行じっこうしていないのではないか、という疑念ぎねんはある。たとえば、のちべる屈折くっせつ実験じっけんは、様々さまざま困難こんなん指摘してきされており、どこまで実際じっさい実行じっこうしたか疑問ぎもんたれている。だが、提示ていじされている実験じっけん結果けっかは、すべ健全けんぜん結果けっかしめしており、すべてが思考しこう実験じっけんであったとはかんがえられない。また、かれ実験じっけんてき手法しゅほう近代きんだいてき実験じっけん科学かがく関係かんけいについては様々さまざま議論ぎろんがある[ちゅう 8]

てんじょう解析かいせき[編集へんしゅう]

かれ理論りろんてき分析ぶんせきかぎになったのはてんじょう解析かいせき(point analysis) で、これは発光はっこうたいやそれにらされた物体ぶったい表面ひょうめんかくてんからぜん方向ほうこう一様いちようひかり放出ほうしゅつされ、受光じゅこうかくてん感知かんちされるとする。また、あかるさは光線こうせん密度みつど比例ひれいするとするとする[ちゅう 9]

この理論りろんひとつのいちじるしい成果せいかカメラ・オブスクラ(ピンホールカメラ)ある[ちゅう 10]古代こだいから、あなかたちうつされるぞうにほとんど影響えいきょうしないことが難問なんもんとしてして指摘してきされていたが[ちゅう 11]、それに明快めいかいこたえをしたのがイブン・ハイサムの『日食にっしょくかたちについて』という論考ろんこうである[ちゅう 12]本書ほんしょつたわらなかった欧州おうしゅうでは、この問題もんだいあつかいについて当初とうしょ迷走めいそう[ちゅう 13]、イブン・ハイサムの水準すいじゅん到達とうたつしたのは、16〜17せいのケプラーやマウリョリコであった[ちゅう 14]

反射はんしゃ屈折くっせつ[編集へんしゅう]

古代こだい幾何きかがくてき視覚しかく理論りろん重要じゅうよう話題わだいに、反射はんしゃ屈折くっせつによるぞう反転はんてん変形へんけい問題もんだいがあった。これらの問題もんだいにおいて、イブン・ハイサムは幾何きか学者がくしゃとしての手腕しゅわんあますことなく発揮はっきしている。

まず反射はんしゃ光学こうがくcatoptrics)では、球面きゅうめんきょうでの反射はんしゃかんする「アルハーゼンの問題もんだい[ちゅう 15]en:Alhazen's problemアルハゼンの定理ていり)の円錐えんすい曲線きょくせんもちいたかい構成こうせい方法ほうほうあた[ちゅう 16]、このかいもちいて球面きゅうめんきょう円筒えんとうきょうおよび円錐えんすいきょうによるぞう解析かいせきした。なお、イブン・ハイサム自身じしん代数だいすうがく幾何きかてき未知みちりょうもとめる問題もんだいべつ分野ぶんや学問がくもんかんがえており、この問題もんだい純粋じゅんすい幾何きかがくてきあつかっている。この「アルハーゼンの問題もんだい」は17世紀せいき欧州おうしゅう数学すうがくしゃたちの興味きょうみき、ホイヘンス非常ひじょうにエレガントなべつかいあたえている[ちゅう 17]

屈折くっせつ光学こうがくいては、入射にゅうしゃかく屈折くっせつかくあいだ定性的ていせいてき関係かんけい不等式ふとうしきをいくつか提示ていじし、それらにもとづいて巧妙こうみょう球面きゅうめんレンズによるぞう拡大かくだい収差しゅうさなどの、ひかり経路けいろ幾何きかがくてき性質せいしつくわしくろんじている[29]。これらの洗練せんれんされた理論りろんは、のちにTheodoric of Freiberg(英語えいごばん)やal-Fārisī(英語えいごばん)のにじ研究けんきゅう土台どだいになる。

屈折くっせつ法則ほうそく実験じっけんてき研究けんきゅうは、かれ主要しゅよう業績ぎょうせきとして紹介しょうかいされることがある。しかし、かれ実験じっけんのスキームには様々さまざま難点なんてん指摘してきされており、十分じゅうぶん精度せいどられなかったとおもわれ、実際じっさいには実施じっししなかったとする見解けんかいもある[ちゅう 18]。『光学こうがくしょ』には、実験じっけん結果けっか記載きさいはなく、理論りろんもちいている関係かんけいしき数値すうちは、プトレマイオス光学こうがく』の屈折くっせつについてのかずひょう整合せいごうてきである。ただし、プトレマイオス実験じっけん本質ほんしつてき視線しせん屈折くっせつ対象たいしょうにしているのにたいして、イブン・ハイサムは光線こうせん入射にゅうしゃかく屈折くっせつかく直接ちょくせつ計測けいそく意図いとしているてんあたらしい。なお、プトレマイオスのかずひょう現代げんだい屈折くっせつ理論りろん良好りょうこう近似きんじになっており、イブン・ハイサムのもちいた関係かんけいしき結論けつろんおおむただしい。

また、イブン・ハイサムの屈折くっせつ光学こうがくは、近代きんだい以前いぜんいては突出とっしゅつしていることは事実じじつである。古代こだいでも中世ちゅうせいでも、かれ以前いぜんは、イブン・サフル英語えいごばん)を例外れいがいとして、プトレマイオス光学こうがく』はあまりもちいられず、屈折くっせつ反射はんしゃ概念がいねんじょう区別くべつすら曖昧あいまいで、混乱こんらんした記述きじゅつおおくなされていた。かれの『光学こうがくしょ』は、屈折くっせつ光学こうがく信頼しんらいできる希少きしょう典拠てんきょであった。

地平線ちへいせん近辺きんぺん天体てんたい拡大かくだいされてえる「つき錯視さくし」を地表ちひょうめんちかくの水蒸気すいじょうきおおふくんだ大気たいきによる屈折くっせつと、心理しんりがくてき効果こうか双方そうほう説明せつめいしようとした[ちゅう 19]

あつかわれた問題もんだい範囲はんい[編集へんしゅう]

光学こうがくしょ』であつかわれた題材だいざいは、おおむ古代こだい光学こうがく(幾何きかがくてき視覚しかくろん視学しがく)の範囲はんいえない。実際じっさい構造こうぞうろんのぞけば、プトレマイオス光学こうがく』と構成こうせいふくめ、おおきくかさなる。反射はんしゃ屈折くっせつ問題もんだいいても、最後さいご視覚しかくへの影響えいきょう問題もんだいとされる。

それら以外いがい問題もんだいたとえばかがみやレンズによるしゅうこう[ちゅう 20]、そして、アリストテレス気象きしょうろん以来いらいおも気象きしょうろん対象たいしょうだったにじかさについて、各々おのおの論考ろんこうあらわしている[ちゅう 21]。なお、にち出前でまえ薄明はくめい日没にちぼつ薄暮はくぼから大気たいきたかさを推測すいそくしたしょ『Liber de crepusculis』はかれでラテン世界せかい流通りゅうつうし、いまでもイブン・ハイサムにする記述きじゅつがあるが、これは12世紀せいきのスペインのイスラムけん天文学てんもんがくしゃ数学すうがくしゃ Ibn Muʿādh al-Jayyānī(en:Ibn Muʿādh al-Jayyānī)の著作ちょさくである[33]

このように、イブン・ハイサムの研究けんきゅうはそれまで別個べっこあつかわれてきたひかり視覚しかくかかわる様々さまざまなテーマを網羅もうらしており、たんなる視覚しかくろんから脱却だっきゃくしたあらたな光学こうがく出発しゅっぱつ予感よかんさせる[34]一方いっぽう古代こだいの「光学こうがく」にぞくしないテーマは、一部いちぶ例外れいがいひかり性質せいしつあつかだいいちかんさんしょうなど)をのぞいて、『光学こうがくしょ以外いがい著作ちょさくでカバーしていることは注意ちゅういすべきである[ちゅう 22]

影響えいきょう[編集へんしゅう]

イブン・ハイサムののち、しばらくのあいだはその光学こうがく研究けんきゅう継承けいしょうするものはあまりあらわれなかった。とく東方とうほうイスラム世界せかいにおいては言及げんきゅう自体じたいまれ[ちゅう 23]、14世紀せいき初頭しょとうになってはじめてal-Fārisī(英語えいごばん)が『光学こうがくしょ』に着目ちゃくもくする。かれ注釈ちゅうしゃくしょKitab Tanqih al-Manazir (The Revision of the Optics)をあらわし、イブン・ハイサムの光学こうがく関連かんれん著作ちょさくも「一連いちれんのテーマである」として添付てんぷした。「ひかり」を主軸しゅじくとした学問がくもんとしての「光学こうがく」が明瞭めいりょう意識いしきされていることがわかる[36]。またal-Fārisī自身じしん独創どくそうてき研究けんきゅうふくめた。とくに、そのにじ研究けんきゅうは、イブン・ハイサムの屈折くっせつ光学こうがく発展はってんさせたもので、デカルト以前いぜんではもっともすぐれたていた[37]。このal-Fārisīの著作ちょさくはイスラムけんにおける光学こうがく標準ひょうじゅんてき書物しょもつとなったが、その同書どうしょえる成果せいかあらわれなかった。

一方いっぽうラテン西欧せいおうでは、al-Fārisīに先立さきだって『光学こうがくしょ』(光学こうがくしょ英語えいごばん)は13世紀せいき中頃なかごろからふか研究けんきゅうされるはじめる。中世ちゅうせいだい科学かがくしゃロジャー・ベーコン光学こうがく研究けんきゅう同書どうしょつよ影響えいきょうにあり、ウィテロ, Pecham(英語えいごばん),フライベルクのデートリッヒ(英語えいごばん)といった光学こうがく理論りろんらがのちつづいた。1250-1400ねんまでのあいだにはおおくの写本しゃほんがつくられた形跡けいせきがあり、このあいだ、14世紀せいきには俗語ぞくごであるイタリアにも翻訳ほんやくされ、絵画かいが理論りろんたちにも利用りようされた。その本書ほんしょから発展はってんした光学こうがくしょ流布るふしたこともあり下火したびになるが、1572ねん出版しゅっぱんされたRisner (en:Friedrich Risner)の『Opticae Thesaurus』に改訳かいやく収録しゅうろくされ[ちゅう 24]、これがひろ流布るふすることになる。

16世紀せいきわりには、解剖かいぼうがく進歩しんぽ数学すうがくてき知識ちしき深化しんかささえられ、ヨハネス・ケプラーによってイブン・ハイサムの視覚しかくろん大幅おおはばえられる。しかし、そもそも光学こうがく機器ききとして必要ひつようせい認識にんしきや、かくてんからぜん方位ほうい射出しゃしゅつされるひかりいかけるという解析かいせきは、元々もともとはイブン・ハイサム由来ゆらいである[38]。その光学こうがくあらたな段階だんかいはいるが、デカルトにおいても若干じゃっかん影響えいきょうがみられる。

せい力学りきがくおよび動力どうりょくがく [編集へんしゅう]

現存げんそんはしないものの、イブン・ハイサムはしずか力学りきがくしょあらわしており、11-12世紀せいきハーズィニーの 『いのしょKitāb mīzān al-ḥikma内容ないよう紹介しょうかいがある。ただし、このレビューは、アブー・サフル・アル=クーヒー理論りろんとイブン・ハイサムの理論りろん一体いったいのものとして紹介しょうかいしており、両者りょうしゃ差異さいはこれからはあきらかではない。

このハーズィニーの要約ようやくによれば、物体ぶったい地球ちきゅう中心ちゅうしん当時とうじにおいては宇宙うちゅう中心ちゅうしん)にかう傾向けいこうせいであるおも(thiql)を、ばかりではかることが出来でき場所ばしょ依存いぞんせずにまるりょうwaznから区別くべつした。この「おもさ」は物体ぶったい場所ばしょ依存いぞんする。たとえば、てこ支点してんにおいては「おもさ」はく、支点してんからの距離きょり比例ひれいして増加ぞうかする(これはてこ原理げんり整合せいごうする)。これを地球ちきゅう中心ちゅうしんてこ支点してん見立みたてるアナロジーから、「おもさ」は地球ちきゅう中心ちゅうしんからの距離きょり依存いぞんするとした。この理論りろんでは、地球ちきゅう中心ちゅうしんでは「おもさ」はくなる[39]

また、かれの『光学こうがくしょ』では、ひかり反射はんしゃ屈折くっせつ投射とうしゃたい運動うんどうとの比喩ひゆ説明せつめいしている。そのさい球体きゅうたいかべ衝突しょうとつをややこまかく分析ぶんせきしているが、運動うんどうかべ垂直すいちょく方向ほうこう水平すいへい方向ほうこうけて各々おのおの分析ぶんせきしたあとにかさわせる議論ぎろんながれは、近代きんだいてき雰囲気ふんいきただよ[40]。まず、かべ垂直すいちょく成分せいぶんは、かべ直角ちょっかく球体きゅうたいとしたりぶつけた場合ばあい同様どうよう運動うんどうになり、衝突しょうとつ前後ぜんごはやさは不変ふへんきが反転はんてんする。かべ平行へいこう成分せいぶんは、なにさまたげのない運動うんどうおなじで、直進ちょくしんつづける。これらの合成ごうせいとして、球体きゅうたい反発はんぱつ説明せつめいれる。ただし、以上いじょう球体きゅうたい重量じゅうりょう無視むしした分析ぶんせきであるとし、実際じっさいにはおもさの効果こうか上記じょうき進路しんろからそれるとする。この分析ぶんせきをもって、近代きんだい力学りきがくしょ概念がいねん先取さきどりしていたかのような解説かいせつがされることもあるが、かれ議論ぎろんおおむ中世ちゅうせいてきインペトゥスの理論りろん(英語えいごばん)のわくない理解りかいできるものである。

このようにひかり反射はんしゃ屈折くっせつ投射とうしゃたい運動うんどうとのアナロジーで説明せつめいする理論りろんは、『光学こうがくしょ』に影響えいきょうけた欧州おうしゅう中世ちゅうせい光学こうがく研究けんきゅう熱心ねっしんんだところであり、ルネ・デカルトアイザック・ニュートン反射はんしゃ屈折くっせつ力学りきがくてき説明せつめいもそのような伝統でんとうなか理解りかいすることができる。

天文学てんもんがく[編集へんしゅう]

天文学てんもんがく著作ちょさくとしては、『世界せかい配置はいち』(“Configuration of the World”)と『プトレマイオスへの懐疑かいぎ』(Doubts on Ptolemy)が重要じゅうようである。

前者ぜんしゃ当時とうじプトレマイオスてき天文学てんもんがくのモデルにもとづいて、天球てんきゅうさん次元じげんてき構造こうぞうえがしたもので、数学すうがくはおろか数値すうちすらもほとんどあらわれず、非常ひじょう初等しょとうてきかれている。プトレマイオス円運動えんうんどうわせで惑星わくせい複雑ふくざつ運動うんどう近似きんじしてせたが、本書ほんしょでは、アリストテレスてきかんがえにもとづき、それらのえん透明とうめいかた球体きゅうたいという、物理ぶつりてき実体じったいあたえている。ヘブライラテン語らてんごやくされ、両者りょうしゃともよくまれたが、とく前者ぜんしゃひろまれた。

後者こうしゃは、プトレマイオスの3つの著作ちょさくアルマゲスト』『惑星わくせい仮説かせつ』『光学こうがく』の問題もんだいてん列挙れっきょしたものである。『惑星わくせい仮説かせつ』への批判ひはんは、おもに『アルマゲスト』との齟齬そごかんするてんである。『アルマゲスト批判ひはんでは、理論りろんなか重要じゅうよう役割やくわりたしているエカントやprosneusis、ぬきのモデルへの批判ひはんべた部分ぶぶん歴史れきしじょう重要じゅうようである。これらの数学すうがくてきなモデルが、かた球体きゅうたいひとしそく回転かいてんという物理ぶつりてきな描像に馴染なじまないことが批判ひはん根拠こんきょである。

プトレマイオス理論りろん問題もんだいてんは、『アルマゲスト』でも一部いちぶ告白こくはくされており、古代こだい末期まっきから中世ちゅうせいにかけて、様々さまざま批判ひはんがあった。イブン・ハイサムの議論ぎろんは、とく新規しんきてんはなかったが、本書ほんしょふくめた一連いちれん著作ちょさく問題もんだい包括ほうかつてきにそして徹底的てっていてきげたため、よくげられた。こののち東方とうほうイスラム世界せかいにおいてはマラーガ学派がくは革新かくしんてき数理すうり天文学てんもんがくまれ、またスペインの西方にしかたイスラム世界せかいいてはイブン・ルシュドアル・ビトゥルージらが独自どくじ天文学てんもんがく改革かいかく志向しこうした。このどちらにおいても、イブン・ハイサムの著作ちょさく参照さんしょうされている。西方にしかたイスラム世界せかいのこの議論ぎろんイブン・ルシュドのアリストテレスの著作ちょさくへの注釈ちゅうしゃくかいしてラテン欧州おうしゅうにもひろられ、コペルニクスも言及げんきゅうしている。一方いっぽう、マラーガ学派がくは数理すうりモデルとコペルニクスのそれは様々さまざま類似るいじ指摘してきされる[41]

また、光学こうがく天文学てんもんがく中間ちゅうかんにあたる著作ちょさくとして『つき模様もようについて』『あまがわについて』といった論考ろんこうがある。 アリストテレスてき宇宙うちゅうかんによれば、天体てんたい組成そせい均一きんいつでその形状けいじょう完全かんぜんたまであるとされる。これに一見いっけんして矛盾むじゅんするようにおもわれるのが、均質きんしつたまであるべきつきにじみのような模様もようであり、また定形ていけいえるあまがわであった。

当時とうじつき模様もようかんしては、①地球ちきゅうとのなかあいだてんにある何者なにものかである②がつ表面ひょうめんかがみのように地表ちひょうめんなにかをうつしている、といったアリストテレスせつ擁護ようごがあったが、『つき模様もようについて』でかれは、光学こうがく研究けんきゅうもとづいた知見ちけん援用えんようしてそれらを論駁ろんばくし、つきそのものが均一きんいつであるとしている[42]

また、あまがわについてはアリストテレスは、大気たいき上層じょうそう現象げんしょうだとしている。これにたいしては古代こだいヨハネス・ピロポノスなどから「気象きしょう現象げんしょうにしてはかたち一定いっていすぎる」といった反論はんろんがあったが、データにもとづいた緻密ちみつ検討けんとうはなかった。『あまがわについて』では、プトレマイオスとみずからの観測かんそくデータをあわせてもちいて、そらかわ視差しさ場所ばしょによるえる角度かくどのずれ)を吟味ぎんみし、つきよりも(おそらくは非常ひじょうに)とおくにあるとしている[43]

数学すうがく[編集へんしゅう]

数学すうがくにおいては、おも幾何きかがく分野ぶんや功績こうせきのこし、代数だいすうがくにはあまり関与かんよしていない。とくに、アポロニウスやアルキメデスの仕事しごと発展はってんさせ、円錐えんすい曲線きょくせんろんおよび図形ずけい面積めんせき立体りったい体積たいせきもとめせき[44]において重要じゅうよう業績ぎょうせきをのこしている。

ナイルがわ治水ちすい構想こうそう[編集へんしゅう]

イブン・ハイサムが実現じつげん不可能ふかのうだとさと狂気きょうきよそお原因げんいんとなったせき建設けんせつ計画けいかくだが、現代げんだいのエジプトではこのナイル治水ちすい構想こうそうアスワン・ハイ・ダム計画けいかくつうじるアイデアだったと評価ひょうか[7]されている。イブン・ハイサムが現場げんば視察しさつしていない段階だんかいせきつくるべき場所ばしょとして目星めぼしをつけた地域ちいきはアスワン・ハイ・ダムの場所ばしょとほぼ一致いっちしており、かれ洞察どうさつりょく知識ちしきたしかさを裏付うらづけるものだという。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • Rozhanskaya, M. (1996). Statics. In R. Rashed & R. Morélon (Eds.), Encyclopaedia of the history of Arabic science (Vol. II). London/New York: Routledge.

よりくわしい文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • Kheirandish, E. (2009). Footprints of "Experiment" in Early Arabic Optics. Early Science and Medicine, 14(1/3), 79-104. Retrieved October 14, 2020
  • Lindberg, D.C. The theory of Pinhole images from antiquity to the thirteenth century. Arch. Rational Mech. 5, 154–176 (1968).
  • Raynaud, Dominique. A Critical Edition of Ibn al-Haytham’s On the Shape of the Eclipse. 10.1007/978-3-319-47991-0 (2016).
  • Omar, Saleh Beshara. Ibn al-Haytham and Greek optics: a comparative study in scientific methodology. PhD Dissertation, Univ. of Chicago, Dept. of Near Eastern Languages and Civilizations, June 1975.
  • Rashed, R., Ibn al-Haytham and Analytical Mathematics A History of Arabic Sciences and Mathematics Volume 2, Routledge, 2013.
  • Sabra, A. I., trans. The Optics of Ibn al-Haytham. Books I-II-III: On Direct Vision. English Translation and Commentary. 2 vols. Studies of the Warburg Institute, vol. 40. London: The Warburg Institute, University of London, 1989. ISBN 0-85481-072-2, https://archive.org/details/TheOpticsOfIbnAlHaythamBooksI
  • Sabra, A. I., "The astronomical origin of Ibn al-Haytham’s concept of experiment," pp. 133-136 in Actes du XIIe congrès international d’histoire des sciences, vol. 3. Paris: Albert Blanchard, 1971; reprinted in A. I. Sabra, Optics, Astronomy and Logic: Studies in Arabic Science and Philosophy. Collected Studies Series, 444. Aldershot: Variorum, 1994 ISBN 0-86078-435-5
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脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 本節ほんぶし記述きじゅつは、ことわりのないかぎり、Smith 2001のintroduction, Lindberg 1976. および Raynoud 2016のintroductionおよび Chapter 3による。なお、イブン・ハイサムまでの前史ぜんしにおいては、古代こだい末期まっきやイスラム進展しんてん(6世紀せいきヨハネス・ピロポノスや9世紀せいきキンディーなど)も無視むしできない。
  2. ^ 英語えいごでは the punctiform analysis[16] または the point analysis[17] とされる。
  3. ^ これらの視線しせん理論りろん背景はいけいとしては、プラトンやストア影響えいきょうかんがえられる[18]。プラトンの視線しせん理論りろんについては『ティマイオス』にくわしい[19]
  4. ^ 霊魂れいこんろん』『感覚かんかく感覚かんかくされるものについて』など。ただしガレノスとはことなり、神経しんけい構造こうぞうやそこにおける具体ぐたいてきなプロセスにはれない。
  5. ^ ただし、古代こだい後期こうきから末期まっきにかけて、アフロディシアスのアレキサンドロスピロポノスらの注釈ちゅうしゃくたちは、光源こうげん作用さようはまず近辺きんぺん空気くうき作用さようし、ついで隣接りんせつする空気くうき作用さようし。。と直線ちょくせんじょう効果こうか伝播でんぱするとした。この伝播でんぱはまず光源こうげんから視覚しかく対象たいしょうへ、ついで視覚しかく対象たいしょうからいたる。この経路けいろ光学こうがくの「視線しせん」とおなじコースをぎゃく辿たどるとして、光学こうがく理論りろんとアリストテレスてき視覚しかくろん折衷せっちゅうした。このほか、原子げんしろんしゃ独自どくじ視覚しかくろんてており、主流しゅりゅうとはならなかったものの、古代こだい著作ちょさく視覚しかくろん列挙れっきょするさいには、そとおく理論りろんならんでしばしば言及げんきゅうされている。
  6. ^ イブン・ハイサムのかんがえでは、「いろひかりとはべつのものであって、各々おのおの物体ぶったい性質せいしつひとつである」とされ、「ひかりわさって物体ぶったいから伝搬でんぱんする。また、光源こうげんはっするいちこう(primary light)が不透明ふとうめい物体ぶったい照射しょうしゃされると、一度いちどすべて吸収きゅうしゅうされ、あらたにこう(secondary light)がしょうじる」とされた。「いちこうこうちがったもの」とされたので、反射はんしゃ屈折くっせつなどの法則ほうそくはすべて各々おのおのべつ確認かくにんされている[21]。なお、現在げんざいでは、いろひかり性質せいしつである波長はちょう反映はんえいであり、またいちこうこう区別くべつ存在そんざいしない。
  7. ^ フナイン・イブン・イスハークの『科学かがくについてのじゅうしょう』(英語えいごばん)などに依拠いきょしているとおもわれる。フナインの同書どうしょ水晶すいしょうたい眼球がんきゅう中央ちゅうおうえた。これはガレノスが水晶すいしょうたい視覚しかく機能きのう中核ちゅうかくになわせたからであり、断面だんめん正面しょうめんいちまいあらわすためにも都合つごうがよかった。また、白内障はくないしょう水晶すいしょうたい角膜かくまくあいだにある白濁はくだくかんがえられたため、その外科げか手術しゅじゅつ経験けいけんからも水晶すいしょうたい位置いちはややおくにあるとされていた。ただし、様々さまざま部分ぶぶん形状けいじょう配列はいれつ順序じゅんじょ記述きじゅつはおおむねただしい。最終さいしゅうてき水晶すいしょうたい位置いち修正しゅうせいされるのは16世紀せいきすえで、ケプラーはこの成果せいか利用りようしている。
  8. ^ Kheirandish, 2009の導入どうにゅう部分ぶぶんには、たとえば、近代きんだいにおける「探求たんきゅうてき実験じっけん」は中世ちゅうせいにはなく「検証けんしょうてき実験じっけん」だけがあるといった主張しゅちょう紹介しょうかいされている。また、『光学こうがくしょ』などにおいて、実験じっけん数値すうちてきなデータがしめされていることがないこと、もちいられた機器きき簡素かんそであること(かべあなをあけたくら部屋へやなど)であることは同書どうしょ翻訳ほんやくSmith, 2001などで確認かくにんできる。さらにSmith, 2001のintroductionでは実験じっけん圧倒的あっとうてきかずおおくかつ効果こうかてきもちいられていることをみとめながら、プトレマイオス光学こうがく』ですでに実験じっけんもちいられていることを指摘してき一方いっぽう、Raynoud 2016では、『しょくかたちについて』の分析ぶんせきから、イブン・ハイサムの手法しゅほう近代きんだいてき実験じっけん科学かがく手法しゅほうたすべき様々さまざま基準きじゅんをみたしているとする。またSabra 1994やRaynoud 2016は用語ようご分析ぶんせきから、プトレマイオスの天文学てんもんがくにおける、データによる仮説かせつ検証けんしょう影響えいきょう主張しゅちょうしている。
  9. ^ この手法しゅほう元々もともとは9世紀せいきの「アラブの哲学てつがくしゃキンディー視線しせん理論りろん改良かいりょうのために開発かいはつしたもので、イブン・ハイサムはそれをあらたなひかり理論りろんわせて改変かいへんしたうえ洗練せんれんした。
  10. ^ もっとふるいこの現象げんしょう記述きじゅつ古代こだい中国ちゅうごくの『ぼく』にえる。簡潔かんけつ文章ぶんしょうなかぞう反転はんてんなど重要じゅうようなポイントを的確てきかく指摘してきしている。
  11. ^ アリストテレスかんした古代こだいの『問題もんだいしゅう』には隙間すきまかられたひかりぞうあなかたちしたがわずに太陽たいようかたちになり、日食にっしょくにはそのけるよう反映はんえいされることを指摘してきしている。また、あみかご四角形しかっけい隙間すきまかられるひかりぞうまるみをびることも指摘してきしている。ともあなかたちうつされるぞう関係かんけいについての問題もんだいである[23]同書どうしょではつき場合ばあいけがぞう反映はんえいされないとしている。なお、あなてん近似きんじできるほどちいさいカメラ・オブスクラについては、ラテン語らてんごやくされた『光学こうがくしょ』にもややくわしくべられており、アリストテレスのかんした『問題もんだいしゅう』などとともに欧州おうしゅうでの研究けんきゅう出発しゅっぱつてんになっている。
  12. ^ あな円形えんけい場合ばあいについてはくわしくべ、それ以外いがいかたちあな場合ばあい同様どうよう解析かいせき可能かのうであることと結論けつろんだけをべている。この詳細しょうさいふくめてくわしくあきらかにしているのは、のちべるal-Farisiである。かれ実験じっけんにおいてもとりうつしだすなどより進歩しんぽしている。
  13. ^ 13世紀せいき後半こうはんロジャー・ベーコン欧州おうしゅうの錚々たる光学こうがくたちがこの問題もんだいについて迷走めいそうした[24]。Pechamはかれになる光学こうがくしょで「こうまるくなる傾向けいこうがある」などとし、カメラ・オブスクラの現象げんしょうひかり直進ちょくしんせい両立りょうりつしうるか疑問ぎもんていした。
  14. ^ なお、イスラム世界せかいにおいては、14世紀せいき初頭しょとうにal-Fārisī(英語えいごばん)がイブン・ハイサムの研究けんきゅう実験じっけん理論りろん双方そうほうにおいてふかめている。欧州おうしゅうにおいても14世紀せいきにポーランドのEgidius of Baisiuとフランス南部なんぶのユダヤじん学者がくしゃゲルソニデスただしい方向ほうこうかった理論りろんてき考察こうさつをしており[25]後者こうしゃはそれを太陽たいよう半径はんけい観測かんそく応用おうようしていた。ただし、それらもまだ不完全ふかんぜんてん多々たたあり、またひろられることはなかった[26]
  15. ^ このは17世紀せいき欧州おうしゅう由来ゆらいする。現在げんざい最初さいしょ問題もんだい提出ていしゅつしたプトレマイオスのあわせてかんすることがある。
  16. ^ Smithも指摘してきしているように、ほん問題もんだいのレビューのおおくが混乱こんらんしている[27]
  17. ^ ほん問題もんだい代数だいすうてき側面そくめんは、現代げんだいでも趣味しゅみてき周辺しゅうへんてきななテーマとしてではあるが、一定いってい興味きょうみいている[28]
  18. ^ Smith自身じしんはこの実験じっけんおこなわれなかったと推測すいそくしている[30]
  19. ^ かれのこれらの説明せつめいいまあやまりであることがしめされている[31]
  20. ^ それらのなかで『放物線ほうぶつせんきょうによるしゅうこう』はラテン語らてんごやくされひろまれた。これは紀元前きげんぜん2-3世紀せいき数学すうがくしゃDioclesの放物線ほうぶつせんきょうかんする『あつまりこうきょうについて』の写本しゃほんにおいて、証明しょうめい完全かんぜん欠落けつらくしていたのをおぎなったものである。また『球面きゅうめんレンズによるしゅうこう』はのちべるal-Farisiによって発展はってんされ、にじ研究けんきゅうかされた
  21. ^ にじかさについて』において、くも全体ぜんたいひとつの球面きゅうめんきょうすとしてひかり反射はんしゃ法則ほうそくもちいてにじ形状けいじょう説明せつめいした[32]勿論もちろんこの理論りろん今日きょうにおいてただしくない。
  22. ^ Sabra, 1989による。ただし、Rashedは『光学こうがくしょ』の反射はんしゃ屈折くっせつあつかった部分ぶぶんのかなりの部分ぶぶんが、問題もんだい記述きじゅつこそ形式けいしきてき視覚しかくをもちだすものの、実質じっしつてきにはひかりそのものの研究けんきゅうであるとしている[34]
  23. ^ スペインの西方にしかたイスラム世界せかいでは多少たしょう様子ようすことなる[35]
  24. ^ にウィテロのPerspectiva, Ibn Muʿādh al-JayyānīのLiber de crepusculis が収録しゅうろくされている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  17. ^ Raynoud, 2016
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  26. ^ Raynaud 2016 参照さんしょう
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  31. ^ Smith 2010, vol. 2のちゅう193と194を参照さんしょう
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

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