世界選手権自転車競技大会トラックレース(せかいせんしゅけんじてんしゃきょうぎたいかいトラックレース、UCI Track cycling World Championships)は、例年2月ないし3月に行われる世界選手権自転車競技大会(世界自転車選手権)のトラックレース部門の大会である。「UCIトラック世界選手権大会」「UCIトラックサイクリング世界選手権」「UCIトラックサイクリングワールドチャンピオンシップス」とも呼ばれる。
現在の開催種目はタイムトライアル、ケイリン、個人パシュート、チームパシュート、ポイントレース、スクラッチ、スプリント、チームスプリント、オムニアム、マディソン。
1893年、シカゴ万国博覧会の開催中に併せて、第1回の大会が同地で行われた。第1回の実施種目はスクラッチ(現在の個人スプリント)、ドミフォン、10 kmの3種目であった。1894年まではアマチュアの種目のみ実施されたが、1895年より、プロの種目も実施されるようになった。
1900年より国際自転車競技連合 (UCI) 主催となり、優勝者にマイヨ・アルカンシエルというジャージが贈呈されるようになった。なお、世界自転車選手権では1920年まで、トラックレースのみが実施され、1921年よりロードレースが実施されるようになったが、1995年まで一部の年を除きトラックレースとロードレースの包括開催が続いた。また、スクラッチ(現在の個人スプリント)とドミフォンしか実施されない期間が第二次世界大戦による中断直前まで続いた。しかし、同大戦終了後最初の開催となった1946年にプロとアマの個人追抜が実施されるようになってから徐々に種目数も増えていった。
1958年の開催より、女子の種目(現在の個人スプリントと個人追抜の2種目)も行われるようになり、また既にオリンピックで実施されていた男子アマ・団体追抜(1962年)、男子アマ・1000mタイムトライアル(1966年)と男子アマ・タンデム(1966年〜1994年)が実施されるようになると、オリンピックで実施される種目数とほとんど変わらなくなった。一方、1972年から1992年まで、オリンピック開催年においては、オリンピックで実施される種目(つまりは一部のアマチュア種目)については、当大会では実施されなかった。また男子アマでは1977年から、男子プロでは1980年、女子は1988年からポイントレースが実施されることになった。そして、日本自転車競技関係者のたっての希望が叶い、1980年より、男子プロ・ケイリンが開始された。
1996年のアトランタオリンピックより、プロ、アマの垣根が取り払われ、オープン化することが決定したことを受け、1993年の大会よりオリンピックにさきがけてオープン化を実施した。しかし一方で、タンデムスプリントとドミフォンについては、オープン化に対応できる見通しが立たないとして、1994年の大会をもって廃止されることになった。その後、男子チームスプリント・男子マディソン・女子500mタイムトライアル(いずれも1995年より開始)、男女スクラッチ・女子ケイリン(2002年)、男女オムニアム・女子チームスプリント(2007年)、女子団体追抜(2008年)という形で、続々と新種目が実施されるようになり、2011年現在、男子10種目、女子9種目が行われている。
ロードレースとの分離開催が行なわれるようになった1996年以降、概ね9月ないし10月に開催されていたが、2004年については、アテネオリンピックの選考大会の意味合いも兼ねて5月に実施。さらに翌2005年からは、UCIのトラックレース振興策を受け、現在の開催時期に移行することになった。
なお、ジュニア部門についてはジュニア世界選手権自転車競技大会、マスターズ部門についてはマスターズ世界選手権自転車競技大会にてそれぞれ行われており、当大会では実施されない。
歴代優勝者、上位入賞者[編集]
種別 |
参照項目
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男子スプリント |
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男子チームスプリント |
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男子ケイリン |
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男子個人パシュート |
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男子チームパシュート |
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男子ポイントレース |
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男子マディソン |
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男子1Kmタイムトライアル |
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男子スクラッチ |
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男子オムニアム |
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女子 |
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金メダル獲得数ランキング[編集]
日本人選手の主な記録[編集]
日本人選手が初めて当大会に参加したのは、1936年のチューリッヒ大会。しかしその後勃発した第二次世界大戦の影響により、その後参加するのは21年後の1957年となった。同年にはアマチュアの他、競輪選手である中井光雄、中野泰満の2人がプロ部門に参加。以後一部の年を除き、毎年欠かさず参加している。
1968年、プロ選手団が平間誠記の事故死を受けて参加を見送ったのに対してアマ選手団は参加することになったが、男子タンデムスプリントにおいて、井上三次、班目隆雄のコンビが当大会史上日本人選手として初めての銅メダルを獲得した。その後、1975年に阿部良二がプロ・スクラッチ(現在の個人スプリント)において、競輪選手として初めて銅メダルを獲得。さらには承知の通り、1977年から1986年まで、中野浩一がプロ・スクラッチ(後にプロ・スプリントと名称変更)で10連覇を達成することになる。この間、競輪選手は当大会において15年連続でメダル獲得、さらには1990年の自国・前橋におけるタンデムスプリントの銀メダル獲得を含めると、実に16年連続でメダル獲得を果たした。
その後暫くメダル獲得ができないという低迷期があったものの、日本人選手から見ると、大変のゲンのいい大会であるということがいえる。
2015年の大会では、上野みなみが女子ポイントレースで決勝戦2着となり銀メダルを獲得、日本人女子としては初のメダリストとなった。
2020年の大会では、梶原悠未が女子オムニアムで優勝し、日本人女子としては初のマイヨ・アルカンシエルを獲得した。
2021年の大会では、佐藤水菜が女子ケイリンで決勝戦2着となり銀メダルを獲得、日本人女子としては初の短距離種目(ケイリン)でメダリストとなった。
2022年の大会では、佐藤未菜が女子ケイリンで決勝戦2着となり2年連続で銀メダルを獲得した。また、窪木一茂が男子スクラッチで決勝戦2着となり、同種目では日本人として12年ぶりのメダリスト、また日本人初の銀メダルを獲得。
2023年の大会では、窪木一茂が男子スクラッチにて2年連続で銀メダルを獲得したほか、男子オムニアムで今村駿介が決勝戦3着となり、同種目では日本人初となるメダリストとなった。女子では内野艶和が女子ポイントレースで決勝戦3着となり銅メダルを獲得、同種目では8年ぶりの日本人女子メダリストとなった。
- 当大会のメダリスト一覧(太字は金メダル)
歴代開催地[編集]