(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宮本常一 - Wikipedia コンテンツにスキップ

宮本みやもと常一つねいち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮本みやもと 常一つねいちみやもと つねいち
逓信ていしん協会きょうかい雑誌ざっし』1961ねん8がつごうより
人物じんぶつ情報じょうほう
ぜん 宮本みやもと 常一つねいち
生誕せいたん (1907-08-01) 1907ねん8がつ1にち
日本の旗 日本にっぽん 山口やまぐちけん大島おおしまぐん家室かむろ西方にしほうむら
死没しぼつ (1981-01-30) 1981ねん1がつ30にち(73さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう府中ふちゅう都立府中病院とりつふちゅうびょういん
出身しゅっしんこう 大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこう
学問がくもん
時代じだい 昭和しょうわ時代じだい
活動かつどう地域ちいき 日本の旗 日本にっぽん
研究けんきゅう分野ぶんや 民俗みんぞくがく 農政のうせいがく 観光かんこうがく
研究けんきゅう機関きかん アチックミューゼアム
日本にっぽん観光かんこう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ
学位がくい 文学ぶんがく博士はかせ東洋大学とうようだいがく、1961ねん
称号しょうごう 東和とうわまち名誉めいよ町民ちょうみん
武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ
主要しゅよう作品さくひんわすれられた日本人にっぽんじん
日本にっぽん離島りとう
民俗みんぞくがくへのたび
影響えいきょうけた人物じんぶつ 渋沢しぶさわ敬三けいぞう
柳田やなぎだ國男くにお
影響えいきょうあたえた人物じんぶつ 網野あみの善彦よしひこ
司馬しばりょう太郎たろう
ひめ忠義ちゅうぎ
香月かつき洋一郎よういちろう
エバレット・ケネディ・ブラウン
学会がっかい 日本にっぽん民俗みんぞく学会がっかい
おも受賞じゅしょうれき だい9かい日本にっぽんエッセイスト・クラブしょう
くんさんとう瑞宝章ずいほうしょう
テンプレートを表示ひょうじ

宮本みやもと 常一つねいち(みやもと つねいち、1907ねん8がつ1にち - 1981ねん1がつ30にち)は、日本にっぽん民俗みんぞく学者がくしゃ農村のうそん指導しどうしゃ社会しゃかい教育きょういく

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

山口やまぐちけん屋代島やしろじま周防すおう大島おおしままれ。大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこうげん大阪教育大学おおさかきょういくだいがく専攻せんこう卒業そつぎょう

学生がくせい時代じだい柳田やなぎだ國男くにお研究けんきゅう関心かんしんしめし、その渋沢しぶさわ敬三けいぞう見込みこまれて食客しょっきゃくとなり、本格ほんかくてき民俗みんぞくがく研究けんきゅうおこなうようになった。

1930年代ねんだいから1981ねんくなるまで、生涯しょうがいわた日本にっぽん各地かくちフィールドワークつづけ(1200けん以上いじょう民家みんか宿泊しゅくはくしたとわれる)、膨大ぼうだい記録きろくのこした。

宮本みやもと民俗みんぞくがくは、非常ひじょうはばひろ後年こうねん観光かんこうがく研究けんきゅうのさきがけとしても活躍かつやくした。民俗みんぞくがく分野ぶんやではとく生活せいかつ用具ようぐ技術ぎじゅつ関心かんしんせ、みんがくというあらたな領域りょういききずいた。

宮本みやもと所属しょぞくしたアチックミューゼアムは、のち日本にっぽん常民じょうみん文化ぶんか研究所けんきゅうじょとなり、神奈川大学かながわだいがく吸収きゅうしゅうされ網野あみの善彦よしひこらの活動かつどうとなった。

学風がくふう

[編集へんしゅう]

宮本みやもと学問がくもんはもとより民俗みんぞくがくわくおさまるものではないが、民俗みんぞくがく研究けんきゅうしゃとしては漂泊ひょうはくみん差別さべつみんせいなどの問題もんだい重視じゅうししたため、柳田やなぎだ國男くにお学閥がくばつからは無視むし冷遇れいぐうされた。

20世紀せいきまつになってさい評価ひょうか機運きうんたかまった。益田ますだ勝実かつみ[1]宮本みやもとひょうし、柳田やなぎだ民俗みんぞくがくもの地域ちいきせい出発しゅっぱつてんにしつつもそれらを捨象しゃしょうして日本にっぽん全体ぜんたい普遍ふへんしようとする傾向けいこうつよかったのにたいし、宮本みやもと自身じしん柳田やなぎだ民俗みんぞくがくから出発しゅっぱつしつつも、渋沢しぶさわからまなんだみんという視点してん文献ぶんけん史学しがく方法ほうほうろんれることで、柳田やなぎだ民俗みんぞくがくえようとしたと位置いちづけている。

宮本みやもとのこした調査ちょうさ記録きろく相当そうとう部分ぶぶんべつしゅうふくめ、長年ながねんにわたり刊行かんこうした『宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう』(未來社みらいしゃ)で把握はあくできるが、収録しゅうろく記録きろくすくなくない。

年譜ねんぷ

[編集へんしゅう]
  • 1907ねん明治めいじ40ねん) - 山口やまぐちけん周防すおう大島おおしま東和とうわまち農家のうかまれる[2]生家せいか善根ぜんこん宿やどでもあった。
  • 1922ねん大正たいしょう11ねん) - 地元じもと小学校しょうがっこう卒業そつぎょういえいで農家のうかとなる[2]
  • 1923ねん大正たいしょう12ねん) - ちちすすめで大阪おおさか叔父おじ世話せわになり大阪おおさか逓信ていしん講習こうしゅうしょ入所にゅうしょ[2]
  • 1924ねん大正たいしょう13ねん) - 大阪おおさか逓信ていしん講習こうしゅうしょ卒業そつぎょう、4がつ高麗橋こうらいばし郵便ゆうびんきょく勤務きんむ[3]
  • 1926ねん大正たいしょう15ねん) - 大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこうだい入学にゅうがく[3]
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん) - 大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこう卒業そつぎょう泉南せんなんぐんゆうしんこうやつむらおさむひとし尋常じんじょう小学校しょうがっこうげん岸和田きしわだ市立しりつおさむひとし小学校しょうがっこう)に赴任ふにんする[4]
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん) - 大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこう専攻せんこう入学にゅうがく[4]
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん) - 大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ師範しはん学校がっこう専攻せんこう卒業そつぎょう泉南せんなんぐん田尻たじり尋常じんじょう小学校しょうがっこうげん田尻たじり町立ちょうりつ小学校しょうがっこう)に赴任ふにん[5]
  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん) - 肺結核はいけっかくにより休職きゅうしょく周防すおう大島おおしま療養りょうよう[5]療養りょうようちゅうに『たび伝説でんせつ』に論文ろんぶんなどを投稿とうこうするようになり、それらが柳田やなぎだ國男くにおにとまり書翰しょかんおくられる[5]
  • 1932ねん昭和しょうわ7ねん) - 泉北せんぼくぐんきた池田いけだ尋常じんじょう高等こうとう小学校しょうがっこうげん和泉いずみ市立しりつきた池田いけだ小学校しょうがっこう)に復職ふくしょく[6]
  • 1933ねん昭和しょうわ8ねん) - 小谷おたにほうあきららとガリ版がりばん雑誌ざっし口承こうしょう文学ぶんがく」を出版しゅっぱん[6]。1936ねんまで12ごう[7]。また私家しかばん歌集かしゅう歌集かしゅう じゅかげ』を[8]
  • 1934ねん昭和しょうわ9ねん) - 泉北せんぼくぐんやしなえとく小学校しょうがっこう尋常じんじょう小学校しょうがっこう転任てんにん[8]。このとし柳田やなぎだ國男くにおう。小谷おたにほうあきら世話せわ大阪おおさか民俗みんぞく談話だんわかい(のちの近畿きんき民俗みんぞく学会がっかい)をひらく。
  • 1935ねん昭和しょうわ10ねん) - 室戸むろと台風たいふうのためやしなえとく小学校しょうがっこう廃校はいこうとなり、泉北せんぼくぐん取石とりいし尋常じんじょう小学校しょうがっこうげん高石たかいし市立しりつ取石とりいし小学校しょうがっこう)に転任てんにん[9]。このとし大阪おおさか民俗みんぞく談話だんわかい渋沢しぶさわ敬三けいぞう出会であ[9]柳田やなぎだ國男くにお還暦かんれき記念きねん講習こうしゅうかい出席しゅっせき[9]講習こうしゅうかいちゅう渋沢しぶさわのアチック・ミューゼアムを見学けんがく[9]
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん) - 國學院大学こくがくいんだいがく院友会いんゆうかいかんでの民俗みんぞくがく講習こうしゅうかい参加さんか[10]民間みんかん伝承でんしょうかい山村さんそん生活せいかつ研究けんきゅう奈良ならけん吉野よしのぐん天川あまかわむら山村さんそん調査ちょうさをおこなう[10]
  • 1937ねん昭和しょうわ12ねん) - 福井ふくいけん石徹白いとしろむら調査ちょうさをおこなう[10]。「アチック・ミューゼアム」の瀬戸内海せとないかい巡航じゅんこう参加さんかひがし瀬戸内海せとないかい島々しまじましゅう[10]
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん) - 教員きょういん退職たいしょくし、渋沢しぶさわすすめで「アチック・ミューゼアム」にはい[11]以後いご本格ほんかくてき民俗みんぞく調査ちょうさ没頭ぼっとう中国ちゅうごく山地さんち民俗みんぞく調査ちょうさ[11]
  • 1940ねん昭和しょうわ15ねん) - みなみ九州きゅうしゅう民俗みんぞく調査ちょうさ[12]東北とうほくオシラサマ(イタコ)調査ちょうさ[12]
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん) - 土佐とさはじめ調査ちょうさ淡路あわじ沼島ぬしま調査ちょうさ[12]津軽つがる川倉かわくら小泊こどまりオシラサマ調査ちょうさ[12]
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん) - 釣針つりばり調査ちょうさ兵庫ひょうごけん[13]
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん) - 戦争せんそう激化げきかのため調査ちょうさ旅行りょこうひかえるようになる。
  • 1944ねん昭和しょうわ19ねん) - 奈良なら県立けんりつ郡山こおりやま中学校ちゅうがっこう教諭きょうゆ嘱託しょくたくとなる[14]
  • 1945ねん昭和しょうわ20ねん) - 大阪おおさか嘱託しょくたく農業のうぎょう技術ぎじゅつ指導しどういん就任しゅうにんさかいへの空襲くうしゅう戦前せんぜんからの取材しゅざいノート、写真しゃしんなど膨大ぼうだい資料しりょううしな[15]
  • 1946ねん昭和しょうわ21ねん) - 社団しゃだん法人ほうじんしん自治じち協会きょうかい中央ちゅうおう理事りじ就任しゅうにん
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん) - 大阪おおさか農地のうち農業のうぎょう組合くみあい嘱託しょくたくとなり、農地のうち解放かいほう開拓かいたく農業のうぎょう指導しどう農業のうぎょう協同きょうどう組合くみあい育成いくせいにあたる[16]
  • 1949ねん昭和しょうわ24ねん) - 徳島とくしまけんリンパ腺りんぱせん化膿かのうのため危篤きとくとなるがペニシリンを投与とうよされ一命いちめいをとりとめる[17]農林省のうりんしょう水産すいさん資料しりょう保存ほぞん委員いいんかい調査ちょうさいん嘱託しょくたくせられ、しゅとして瀬戸内海せとないかい漁村ぎょそん調査ちょうさにあたる[17]民俗みんぞく学会がっかい評議ひょうぎいんになる[17]
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん) - 民族みんぞく学会がっかい評議ひょうぎいんになる[17]はち学会がっかい連合れんごう対馬つしま調査ちょうさ参加さんかし、しゅとして漁業ぎょぎょう調査ちょうさおこなう。壱岐いき調査ちょうさする[18]
  • 1951ねん昭和しょうわ26ねん) - きゅう学会がっかい連合れんごう対馬つしま調査ちょうさ[18]能登のと国家こっか調査ちょうさ[18]山階やましな芳正よしまさらと島嶼とうしょ社会しゃかい研究けんきゅうかいはい[18]
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん) - 五島列島ごとうれっとう調査ちょうさ[18]きゅう学会がっかい連合れんごう能登のと調査ちょうさ参加さんか[19]離島りとう振興しんこうほう制定せいてい尽力じんりょくする。
  • 1953ねん昭和しょうわ28ねん) - 肺結核はいけっかく再発さいはつ入院にゅういんする[19]離島りとう振興しんこうほう成立せいりつ[19]
  • 1954ねん昭和しょうわ29ねん) - 全国ぜんこく離島りとう振興しんこう協議きょうぎかい初代しょだい事務じむ局長きょくちょう就任しゅうにん[19]林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさかい設立せつりつ[19]
  • 1956ねん昭和しょうわ31ねん) - 名古屋大学なごやだいがく人間にんげん関係かんけい綜合そうごう研究けんきゅうだん文化ぶんか人類じんるいがく民族みんぞくがくはん特別とくべつ協力きょうりょくしゃとして参加さんかし、愛知あいちけん名倉なぐらむら佐久島さくしま調査ちょうさ[20]
  • 1957ねん昭和しょうわ32ねん) - 『風土記ふどき日本にっぽん』(平凡社へいぼんしゃ刊行かんこう開始かいし[20]文化庁ぶんかちょう文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい調査ちょうさ委員いいんを1958ねん3がつまでつとめる[20]
  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん) - 広島ひろしまけん文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい専門せんもん委員いいんとなる[21]木下きのした順二じゅんじらと雑誌ざっし民話みんわ』を創刊そうかん[22]
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん) - 佐渡さわたり調査ちょうさ[22]佐渡さど歴史れきしてき遺産いさんによるむらおこしを提唱ていしょう、そのみん博物館はくぶつかんげを支援しえん平凡社へいぼんしゃから『日本にっぽん残酷ざんこく物語ものがたり刊行かんこう開始かいし(~61ねん完結かんけつ)。編集へんしゅうおよ執筆しっぴつにおいて、メイン・メンバーとして参加さんか[22]
  • 1960ねん昭和しょうわ35ねん) - 山口やまぐちけん見島みしま調査ちょうさ。『わすれられた日本人にっぽんじん』を刊行かんこう[23]一躍いちやく脚光きゃっこうびる。
  • 1961ねん昭和しょうわ36ねん) - 論文ろんぶん瀬戸内海せとないかい研究けんきゅう島嶼とうしょ開発かいはつとその社会しゃかい形成けいせい海人あま定住ていじゅう中心ちゅうしんに」の研究けんきゅうと、長年ながねんのフィールドワークの業績ぎょうせきにより、東洋大学とうようだいがくより文学ぶんがく博士はかせごう授与じゅよ[24]。『日本にっぽん離島りとう』でだい9かい日本にっぽんエッセイスト・クラブしょう[25]
  • 1962ねん昭和しょうわ37ねん) - 東京水産大学とうきょうすいさんだいがく水産すいさん学部がくぶ講師こうし就任しゅうにん
  • 1963ねん昭和しょうわ38ねん) - きゅう学会がっかい連合れんごう下北半島しもきたはんとう調査ちょうさ参加さんか[26]長谷川はせがわりゅうせいらと日本にっぽん発見はっけんかいをつくり雑誌ざっし日本にっぽん発見はっけん』を創刊そうかん[27]
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん) - 武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく非常勤ひじょうきん教授きょうじゅ就任しゅうにん[27]日本にっぽんしおぎょう研究けんきゅうかい会長かいちょうとなる[27]
  • 1965ねん昭和しょうわ40ねん) - 武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく教授きょうじゅ就任しゅうにん[28]近畿日本きんきにっぽんツーリストふく社長しゃちょう馬場ばばいさむ要請ようせい日本にっぽん観光かんこう文化ぶんか研究所けんきゅうじょをつくることになり近畿日本きんきにっぽんツーリスト提供ていきょうの「日本にっぽん詩情しじょう」の企画きかく監修かんしゅうにあたる[28]長野ながのけん奈川ながわ安曇あずみ調査ちょうさ。『にっぽんのやど』発行はっこう。このころから宮本みやもと企画きかく監修かんしゅうのテレビドキュメント『日本にっぽん詩情しじょう』(日経にっけい映画えいがしゃ)の制作せいさくはじまる。
  • 1966ねん昭和しょうわ41ねん) - 近畿日本きんきにっぽんツーリスト出資しゅっしにより、日本にっぽん観光かんこう文化ぶんか研究所けんきゅうじょげんたび文化ぶんか研究所けんきゅうじょ)を開設かいせつ[29]初代しょだい所長しょちょう就任しゅうにんし、後進こうしん育成いくせいにあたる。武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく生活せいかつ文化ぶんか研究けんきゅうかいをつくり、学生がくせいとも共同きょうどう調査ちょうさをおこなう[29]
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん) - 東京とうきょう府中ふちゅう文化財ぶんかざい専門せんもん委員いいんかい議長ぎちょうを1979ねん3がつまでつとめる[29]雑誌ざっし「あるくみるきく」創刊そうかん[30]早稲田大学わせだだいがく理工学部りこうがくぶ講師こうし就任しゅうにん[30]結核けっかく再発さいはつ入院にゅういん[30]
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん) - 広島ひろしまけんせん調査ちょうさ[30]
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん) - 「佐渡さどくにおに太鼓たいこ結成けっせいかかわる[31]
  • 1970ねん昭和しょうわ45ねん) - 武蔵野美術大学むさしのびじゅつだいがく調査ちょうさだん団長だんちょうとして横浜よこはまみどりきりおか遺跡いせき発掘はっくつ[32]新潟にいがたけん山古志やまこしむら調査ちょうさ
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん) - 山口やまぐちけん文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい専門せんもん委員いいん就任しゅうにん[33]
  • 1972ねん昭和しょうわ47ねん) - 『広島ひろしまけん民俗みんぞくへん』のための調査ちょうさ[33]岡山大学おかやまだいがく法文学部ほうぶんがくぶ講師こうし[34]日本にっぽん生活せいかつ学会がっかい理事りじ[34]
  • 1973ねん昭和しょうわ48ねん) - 農林省のうりんしょう生活せいかつ改善かいぜん資料しりょう収集しゅうしゅう委員いいんかい委員いいん、NHK放送ほうそう文化財ぶんかざいライブラリー諮問しもん委員いいんかい委員いいん日本にっぽん文化ぶんか研究所けんきゅうじょ理事りじ[34]
  • 1974ねん昭和しょうわ49ねん) - 『三原みはら民俗みんぞくへん』の調査ちょうさ[35]みなみ佐渡さど調査ちょうさ[35]
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん) - ひがしアフリカ調査ちょうさ[36]はつ国外こくがい調査ちょうさとなった[36]日本にっぽんみん学会がっかい設立せつりつ幹事かんじとなる[36]
  • 1977ねん昭和しょうわ52ねん) - 武蔵野美大むさしのびだい定年ていねん退職たいしょく[37]武蔵野美大むさしのびだいより名誉めいよ教授きょうじゅ称号しょうごう授与じゅよ[37]。「周防すおうさるまわしのかい設立せつりついま和次郎わじろうしょう受賞じゅしょう[37]日本にっぽん海女あま系譜けいふ調査ちょうさのため済州さいしゅうとう調査ちょうさ[37]
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん) - 今西いまにし錦司きんじ四手よつでつなえい河合かわい雅雄まさお広瀬ひろせ江原えばら昭善あきよし岩本いわもと光雄みつおむら﨑修ひめ忠義ちゅうぎらとさる教育きょういく研究けんきゅうグループを結成けっせい[38]
  • 1979ねん昭和しょうわ54ねん) - 国土こくど審議しんぎかい離島りとう振興しんこう対策たいさく特別とくべつ委員いいんかい委員いいん委員いいんちょう代理だいり[39]台湾たいわん調査ちょうさ
  • 1980ねん昭和しょうわ55ねん) - 故郷こきょう周防すおう大島おおしまに「周防すおう大島おおしま郷土きょうど大学だいがく」を設立せつりつ[39]志摩しま阿児あごまち志摩しま民俗みんぞく資料しりょうかん設立せつりつ[39]都立とりつ府中ふちゅう病院びょういん入院にゅういん大晦日おおみそか退院たいいん[40]
  • 1981ねん昭和しょうわ56ねん) - 再度さいど入院にゅういんし、1がつ30にち胃癌いがんのため東京とうきょう府中ふちゅうにて死去しきょ、73さい[40]くんさんとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょう
  • 1986ねん昭和しょうわ61ねん) - 最初さいしょ山口やまぐちけん東和とうわまち名誉めいよ町民ちょうみん称号しょうごう追贈ついぞう[41]

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]

著作ちょさくしゅう

[編集へんしゅう]
  • 宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう』(ぜん50かん[42]田村たむら善次郎ぜんじろうほかへん解説かいせつ未來社みらいしゃ、1967ねん - 2008ねん
    • 宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう 51 わたしまなんだひと』(未來社みらいしゃ、2012ねん)。以後いごだい2
    • 著作ちょさくしゅう 52 周防すおう大島おおしま民俗みんぞく 続篇ぞくへん』(2021ねん)。つづけかん予定よてい巻数かんすう未定みてい
  • わたし日本にっぽん地図ちず宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅうべつしゅう』(ぜん15かん香月かつき洋一郎よういちろうへん未來社みらいしゃ、2008ねん3がつ - 2016ねん10がつ
    • もとはんわたし日本にっぽん地図ちず』(ぜん15かん同友どうゆうかん、1967ねん - 1976ねん)。写真しゃしん解説かいせつ
  • のう漁村ぎょそん採訪さいほうろく』(14かんまでかん田村たむら善次郎ぜんじろうほか監修かんしゅう校閲こうえつ周防すおう大島おおしま文化ぶんか交流こうりゅうセンター、のち宮本みやもと常一つねいち記念きねんかん、2005ねん3がつ - 2019ねん3がつ
  • 宮本みやもと常一つねいち離島りとう論集ろんしゅう』(ぜん5かん別巻べっかん森本もりもとたかしへん全国ぜんこく離島りとう振興しんこう協議きょうぎかい日本にっぽん離島りとうセンター・周防すおう大島おおしま文化ぶんか交流こうりゅうセンター監修かんしゅう、みずのわ出版しゅっぱん、2009ねん10がつ - 2013ねん6がつ
  • 宮本みやもと常一つねいち講演こうえん選集せんしゅう』(ぜん8かん田村たむら善次郎ぜんじろうへんのうやま漁村ぎょそん文化ぶんか協会きょうかい、2013ねん9がつ - 2014ねん11月)

たんちょ

[編集へんしゅう]
  • 歌集かしゅう じゅかげ』(私家版しかばん、1933ねん11月)
  • 周防すおう大島おおしま中心ちゅうしんとしたるうみ生活せいかつ』(アチック・ミューゼアム、1936ねん2がつ
  • 民間みんかんれき』(ろくにんしゃ民俗みんぞく選書せんしょ」、1942ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1985ねん
  • 村里むらざとく』(さんこく書房しょぼう女性じょせい叢書そうしょ」、1943ねん未來社みらいしゃ、1961ねん
  • 家郷かきょうくん』(さんこく書房しょぼう女性じょせい叢書そうしょ」、1943ねん岩波いわなみ文庫ぶんこ、1984ねん
  • はぎはな』(私家版しかばん、1946ねん10がつ
  • 愛情あいじょう子供こどもともに』(馬場ばば書店しょてん、1948ねん
  • 丸木まるき先生せんせい収穫しゅうかく育苗いくびょうほう』(しん自治じち協会きょうかい、1948ねん
  • むら社会しゃかい』(昭和しょうわ書院しょいん、1948ねん
  • 越前えちぜん石徹白いとしろ民俗みんぞく』(三省堂さんせいどう出版しゅっぱん全国ぜんこく民俗みんぞく叢書そうしょ」、1949ねん
  • 『ふるさとの生活せいかつ』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1950ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1986ねん
  • むら生活せいかつとコンミュニティスクール』(長吉ちょうきち小中学校しょうちゅうがっこうPTA、1950ねん
  • 日本にっぽんむら中学生ちゅうがくせい全集ぜんしゅう』(筑摩書房ちくましょぼう、1953ねん
  • うみをひらいたひとびと:小学生しょうがくせい全集ぜんしゅう』(筑摩書房ちくましょぼう、1955ねん
    • 日本にっぽんむらうみをひらいたひとびと』(ちくま文庫ぶんこ、1995ねん
  • 緒方おがた青木あおき一族いちぞくやす下浦しもうら夜話やわ』(だい島民とうみんほうしゃ、1955ねん
  • 民俗みんぞくがくへのみち』(岩崎いわさき書店しょてん民俗みんぞく民芸みんげい双書そうしょ」、1955ねん
  • 中国ちゅうごく風土記ふどき』(広島ひろしま農村のうそん人文じんぶん協会きょうかい、1958ねん
  • わすれられた日本人にっぽんじん』(未來社みらいしゃ、1960ねん岩波いわなみ文庫ぶんこ、1984ねん、ワイドばん1995ねん) 
  • 日本にっぽん離島りとうだい1・2しゅう』(未來社みらいしゃ、1960ねん - 1966ねん
  • 庶民しょみん発見はっけん』(未來社みらいしゃ、1961ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1987ねん) 
  • 都市としまつり民俗みんぞく』(けいともしゃ、1961ねん
  • はは』(私家版しかばん、1962ねん3がつ
  • 甘藷さつまいも歴史れきし』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 7)、1962ねん
  • 松浦まつうら文化ぶんか経済けいざい』(長崎ながさきけん、1962ねん
  • 開拓かいたく歴史れきし』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 1)、1963ねん
  • 民衆みんしゅう知恵ちえたずねて』(未來社みらいしゃ、1963ねん
  • むら若者わかものたち』(いえひかり協会きょうかい「レインボウブックス」、1963ねん
  • やまきるひとびと』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 2)、1964ねん河出かわで文庫ぶんこ、2011ねん11月)
  • うみきるひとびと』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 3)、1964ねん河出かわで文庫ぶんこ、2015ねん7がつ
  • 離島りとうたび』(人物じんぶつ往来おうらいしゃ、1964ねん
  • 民俗みんぞくのふるさと』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ日本にっぽん民俗みんぞく 1)、1964ねん河出かわで文庫ぶんこ、2012ねん3がつ
  • 瀬戸内海せとないかい研究けんきゅうだい1』(未來社みらいしゃ、1965ねん
    • 瀬戸内海せとないかい研究けんきゅう島嶼とうしょ開発かいはつとその社会しゃかい形成けいせい海人あま定住ていじゅう中心ちゅうしんに』(未來社みらいしゃ、1992ねん
  • 生業せいぎょう推移すいい』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ日本にっぽん民俗みんぞく 3)、1965ねん
    • きていく民俗みんぞく生業せいぎょう推移すいい』(河出かわで文庫ぶんこ、2012ねん
  • 辺境へんきょうあるいた人々ひとびと』(さ・え・ら書房しょぼう伝記でんきライブラリー、1966ねん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2005ねん12月/河出かわで文庫ぶんこ、2018ねん6がつ
  • むらのなりたち』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 4)、1966ねん
  • みなみしま開拓かいたくした人々ひとびと』(さ・え・ら書房しょぼう伝記でんきライブラリー、1968ねん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2006ねん1がつ
  • まちのなりたち』(來社らいしゃ日本にっぽん民衆みんしゅう 5)、1968ねん
  • 大隅半島おおすみはんとう民俗みんぞく採訪さいほうろく』(けいともしゃ常民じょうみん文化ぶんか叢書そうしょ」、1968ねん)- ※以降いこうおもに「著作ちょさくしゅう」でかん
  • 民俗みんぞくがくたび』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1978ねん12月/講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1993ねん/「人間にんげん記録きろく日本にっぽん図書としょセンター、2000ねん)。回想かいそう
  • みんがく提唱ていしょう』(來社らいしゃ民族みんぞく文化ぶんか双書そうしょ 1〉、1979ねん9がつ
  • 野田のだいずみひかりいん』(來社らいしゃ旅人たびびとたちの歴史れきし 1〉、1980ねん3がつ新版しんぱん2009ねん
  • 菅江すがえ真澄ますみ』(來社らいしゃ旅人たびびとたちの歴史れきし 2〉、1980ねん10がつ新版しんぱん1996ねん
  • 生命せいめいのゆらめき 歌集かしゅう』(現代げんだい創造そうぞうしゃ、1981ねん1がつ
  • 絵巻物えまきもの日本にっぽん庶民しょみん生活せいかつ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ〉、1981ねん3がつ)- ※遺著いちょ図版ずはん解説かいせつ
  • 日本にっぽん文化ぶんか形成けいせい』(そしえて、1981ねん12月/ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ ぜん3かん、1994ねん4がつ講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2005ねん7がつ) 
  • 古川ふるかわ古松こまつのき/イザベラ・バード』(來社らいしゃ旅人たびびとたちの歴史れきし 3〉、1984ねん10がつ新版しんぱん2008ねん
  • しおみち』(講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、1985ねん3がつ)- もとはん下記かき日本にっぽん海洋かいようみん』のだい2しょうより
  • 宮本みやもと常一つねいち ちくま日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう053』(筑摩書房ちくましょぼう、1993ねんちくま文庫ぶんこちくま日本にっぽん文学ぶんがく022〉、2008ねん
  • そらからの民俗みんぞくがく』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2001ねん
  • おんな民俗みんぞく』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2001ねん
  • 宮本みやもと常一つねいち、アフリカとアジアをあるく』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、2001ねん
  • 炉辺ろへん夜話やわ日本人にっぽんじんのくらしと文化ぶんか』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2005ねん5がつ河出かわで文庫ぶんこ、2013ねん8がつ
  • 日本人にっぽんじんまい:きるのかたちとその変遷へんせん』(田村たむら善次郎ぜんじろうへんのうやま漁村ぎょそん文化ぶんか協会きょうかいひゃく知恵ちえ双書そうしょ〉、2007ねん3がつ
  • 宮本みやもと常一つねいち 伝書鳩でんしょばとのように』(平凡社へいぼんしゃ、2019ねん6がつ)- 選書せんしょでの入門にゅうもんしょ
かく八坂やさか書房しょぼう田村たむら善次郎ぜんじろうへん解説かいせつ) 
  • 和泉いずみくに青春せいしゅん』(2010ねん5がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちたび手帖てちょう村里むらざと風物ふうぶつ』(2010ねん10がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちたび手帖てちょう:ふるさとのしおり』(2011ねん1がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちたび手帖てちょう庶民しょみん世界せかい』(2011ねん2がつ
  • とし習俗しゅうぞく事典じてん』(2011ねん8がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちたび手帖てちょういとしき島々しまじま』(2011ねん10がつ
  • 聞書ききがき わすれえぬ歳月さいげつ 東日本ひがしにっぽんへん』(2012ねん1がつ
  • 聞書ききがき わすれえぬ歳月さいげつ 西日本にしにほんへん』(2012ねん1がつ
  • 飢餓きがからの脱出だっしゅつ生業せいぎょう発展はってん分化ぶんか』(2012ねん8がつ
  • 日本にっぽん年中ねんじゅう行事ぎょうじ』(2012ねん12がつ
  • やま日本人にっぽんじん』(2013ねん5がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちたん編集へんしゅう見聞けんぶん巷談こうだん』(2013ねん11月)
  • 宮本みやもと常一つねいち本棚ほんだな』(2014ねん3がつ
  • 口承こうしょう文学ぶんがく論集ろんしゅう』(2014ねん11月)
  • 宮本みやもと常一つねいち座談ざだんろく生活せいかつ文化ぶんか』(2015ねん3がつ
  • わすれられたどもたち』(2015ねん11月)
  • 日本にっぽん人生じんせい行事ぎょうじ ひと一生いっしょう通過つうか儀礼ぎれい』(2016ねん7がつ
  • 日本にっぽん葬儀そうぎはか 最期さいご人生じんせい行事ぎょうじ』(2017ねん3がつ新版しんぱん2024ねん
  • 瀬戸内せとうち文化ぶんか』(2018ねん1がつ
みずのわ出版しゅっぱん宮本みやもと常一つねいちふるさと選書せんしょ宮本みやもと常一つねいち記念きねんかんへん
  • 古老ころう人生じんせいく』(2021ねん4がつ)。青少年せいしょうねん
  • 『ふるさとを憶う』(2022ねん5がつ

共編きょうへんちょ

[編集へんしゅう]
  • 内田うちだ武志たけし 共編きょうへんやく)『菅江すがえ真澄ますみ遊覧ゆうらんぜん5かん)』(平凡社へいぼんしゃ東洋文庫とうようぶんこ、1965‐1968ねん、ワイドばん2004ねん平凡社へいぼんしゃライブラリー、2000ねん
  • 財前ざいぜんつかさいち)『日本にっぽん民俗みんぞく 35 山口やまぐち』(第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1974ねん
  • 川添かわぞえのぼる)『日本にっぽん海洋かいようみん』(未來社みらいしゃ、1974ねん新版しんぱん2008ねん
  • 広島ひろしまけん 民俗みんぞくへん』(広島ひろしまけん、1978ねん)。編者へんしゃ代表だいひょう
  • 大野おおのすすむほか)『東日本ひがしにっぽん西日本にしにほん』(日本にっぽんエディタースクール出版しゅっぱん、1981ねんよういずみしゃMC新書しんしょ、2006ねん
  • 岡本おかもとじょう)『東和とうわまち』(東和とうわまち、1982ねん
  • 宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう べつしゅう1 とろし 大阪おおさか泉北せんぼくぐん取石とりいしむら生活せいかつ』(未來社みらいしゃ、1982ねん)。戦前せんぜんかん郷土きょうど
  • 宮本みやもと常一つねいち著作ちょさくしゅう べつしゅう2 民話みんわとことわざ』(未來社みらいしゃ、1983ねん)。座談ざだん討論とうろんでの民話みんわろん
  • 対談たいだんしゅう日本人にっぽんじんかんがえる:歴史れきし民俗みんぞく文化ぶんか』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2006ねん3がつ
  • 対談たいだんしゅうたび民俗みんぞくがく』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2006ねん8がつ
  • 対談たいだんしゅう『なつかしいはなし歴史れきし風土ふうど民俗みんぞくがく』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2007ねん9がつ
  • あんけいゆう解説かいせつ)『調査ちょうさされるという迷惑めいわく-フィールドにまえんでおくほん』(みずのわ出版しゅっぱん、2008ねん増補ぞうほばん2024ねん
  • 田村たむら善次郎ぜんじろう香月かつき節子せつこ共編きょうへん)『ダムにしずんだむらみん生活せいかつ広島ひろしまけん高田たかだぐん八千代やちよまち土師はじ』(八坂やさか書房しょぼう、2011ねん7がつ

編著へんちょ

[編集へんしゅう]
  • 河内かわちこく滝畑たきはた左近さこんぐまふとしおうきゅうことだん』(アチック・ミューゼアム、1937ねん
  • 出雲いずも八束やつかぐん片句かたくうら民俗みんぞく聞事ききごと』(アチック・ミューゼアム、1942ねん
  • 吉野よしの西奥にしおく民俗みんぞく採訪さいほうろく』(アチック・ミューゼアム、1942ねん
  • 屋久島やくしま民族みんぞく』(日本にっぽん常民じょうみん文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1943ねん
  • 周防すおう大島おおしま昔話むかしばなししゅう』(山口やまぐち大島おおしま文化ぶんか研究けんきゅう連盟れんめい、1956ねん瀬戸内せとうち物産ぶっさん出版しゅっぱん、1985ねん河出かわで文庫ぶんこ、2012ねん
  • 日本人にっぽんじん子供こどもたち 写真しゃしんでみる日本人にっぽんじん生活せいかつ全集ぜんしゅう』(岩崎いわさき書店しょてん、1957ねん
  • 僻地へきちたび』(修道しゅうどうしゃ、1961ねん
  • 秘境ひきょう』(有紀ゆうき書房しょぼう、1961ねん
  • しま』(有紀ゆうき書房しょぼう、1961ねん
  • 日本にっぽん海女あま』(東京とうきょう中日新聞社ちゅうにちしんぶんしゃ、1962ねん)。解説かいせつ中村なかむらゆかりしん写真しゃしん
  • 日本にっぽん宿やど』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1965ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 1)、1987ねん新編しんぺん2006ねん
  • 大名だいみょうたび 本陣ほんじんたずねて』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1968ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 2)、1987ねん
  • たび発見はっけん 日本にっぽん文化ぶんかかんがえる』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1969ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 3)、1987ねん
  • 庶民しょみんたび』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1970ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 4)、1987ねん新編しんぺん2006ねん
  • 伊勢いせ参宮さんぐう』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1971ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 5)、1987ねんぞうていばん2013ねん3がつ
  • たび民俗みんぞく:のりものとはきもの』(社会しゃかい思想しそうしゃ現代げんだい教養きょうよう文庫ぶんこ〉、1972ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 6)、1987ねん
  • うみ日本人にっぽんじん』(八坂やさか書房しょぼう、1973ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 7)、1987ねん
  • やまみち』(八坂やさか書房しょぼう、1974ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 8)、1987ねん新編しんぺん2006ねん
  • かわみち』(八坂やさか書房しょぼう、1975ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 9)、1987ねん新編しんぺん2009ねん
  • うみみち』(八坂やさか書房しょぼう、1977ねん八坂やさか書房しょぼうたび民俗みんぞく歴史れきし 10)、1987ねん
  • 渋沢しぶさわ敬三けいぞう民俗みんぞくがく組織そしきしゃ』(講談社こうだんしゃ日本にっぽん民俗みんぞく文化ぶんか大系たいけい 3〉、1978ねん6がつ)。責任せきにん編集へんしゅう

おも調査ちょうさ報告ほうこく

[編集へんしゅう]
  • 泉佐野いずみさのける産業さんぎょう発展はってん過程かてい概要がいよう』(泉佐野いずみさの、1951ねん
  • 岡山おかやまけん円城えんじょうむら国有こくゆう林地りんちもと利用りようじょうきょう実態じったい調査ちょうさ報告ほうこく』(林野庁りんやちょう調査ちょうさ、1953ねん
  • 島根しまねけん日原にっぱらむら林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさ報告ほうこく』(林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさかい、1955ねん
  • 宮城みやぎけん栗駒くりごまむら山村さんそん経済けいざい実態じったい調査ちょうさ報告ほうこく』(林野庁りんやちょう調査ちょうさ、1956ねん
  • 秋田あきたけん上小阿仁かみこあにむら山村さんそん経済けいざい実態じったい調査ちょうさ報告ほうこく』(林野庁りんやちょう調査ちょうさ、1956ねん
  • 広島ひろしまけん大朝おおあさまち林業りんぎょう金融きんゆう木曽きそ調査ちょうさ報告ほうこく』(林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさかい、1956ねん
  • 林道りんどう林業りんぎょう金融きんゆう基礎きそ調査ちょうさ報告ほうこく』(林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさかい、1957ねん
  • 愛知あいちけん名倉なぐらむら林業りんぎょう金融きんゆう基礎きそ調査ちょうさ報告ほうこく』(林業りんぎょう金融きんゆう調査ちょうさかい、1957ねん
  • 離島りとう振興しんこう実態じったい調査ちょうさ報告ほうこくしょ 愛媛えひめ広島ひろしま山口やまぐち』(全国ぜんこく離島りとう振興しんこう協議きょうぎかい、1960ねん)、編者へんしゃ
  • 山村さんそん地域ちいき文化ぶんか保存ほぞんについて』(山村さんそん振興しんこう調査ちょうさかい、1970ねん)、編者へんしゃ
  • 宮本みやもと常一つねいち林道りんどう行政ぎょうせい論集ろんしゅう民俗みんぞくがく巨人きょじん 林道りんどうへの遺産いさん』(日本にっぽん林道りんどう協会きょうかい、2002ねん)、復刻ふっこく解説かいせつ

監修かんしゅうほか

[編集へんしゅう]
  • 日本にっぽん残酷ざんこく物語ものがたりぜん5かん〉』(平凡社へいぼんしゃ、1959ねん平凡社へいぼんしゃライブラリー、1995ねん)。監修かんしゅう
  • 日本にっぽん名産めいさん事典じてん』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1977ねん)。遠藤えんどう元男もとお児玉こだまみゆき編者へんしゃ代表だいひょう
  • 探訪たんぼう日本にっぽん古寺ふるでらぜん15かん〉』(小学館しょうがくかん、1981ねん)。監修かんしゅう
  • 早川はやかわ孝太郎こうたろう全集ぜんしゅうぜん12かん〉』(未來社みらいしゃ、1973ねん - 2003ねん)。没後ぼつご宮田みやたのぼる須藤すとういさお編集へんしゅう
  • 日本にっぽん庶民しょみん生活せいかつ史料しりょう集成しゅうせい』(さんいち書房しょぼう)。編集へんしゅう委員いいん
  • 菅江すがえ真澄ますみ全集ぜんしゅうぜん12かん別巻べっかん〉』(未來社みらいしゃ、1971ねん - 1981ねん)。内田うちだ武志たけし編集へんしゅう別巻べっかんは『菅江すがえ真澄ますみ研究けんきゅう

写真しゃしんしゅうほか

[編集へんしゅう]
  • 宮本みやもと常一つねいち 写真しゃしん日記にっき集成しゅうせい』(うえした別巻べっかん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2005ねん
  • 宮本みやもと常一つねいち日記にっき 青春せいしゅんへん』(田村たむら善次郎ぜんじろうへん毎日新聞まいにちしんぶんしゃ、2012ねん6がつ)。CD‐ROM
  • 宮本みやもと常一つねいち写真しゃしん図録ずろく』(ぜん3かん周防すおう大島おおしま文化ぶんか交流こうりゅうセンターほか編著へんちょ森本もりもとたかしほか監修かんしゅう、みずのわ出版しゅっぱん、2007ねん - 2011ねん
  • 宮本みやもと常一つねいちった昭和しょうわ情景じょうけい』(うえした毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2009ねん6がつ
  • 宮本みやもと常一つねいちとあるいた昭和しょうわ日本にっぽん』(ぜん25かん田村たむら善次郎ぜんじろう宮本みやもと千晴ちはる監修かんしゅう須藤すとういさお森本もりもとたかしほかへんのうやま漁村ぎょそん文化ぶんか協会きょうかい、2010ねん - 2012ねん
  • 景観けいかん写真しゃしんろんノート:宮本みやもと常一つねいちのアルバムから』(香月かつき洋一郎よういちろう編著へんちょ筑摩書房ちくましょぼう、2013ねん
  • 宮本みやもと常一つねいち文庫ぶんこ目録もくろく書籍しょせきⅠ』(周防すおう大島おおしま文化ぶんか交流こうりゅうセンター・こうえいしげるへん広島大学ひろしまだいがく地域ちいき連携れんけいセンター、2009ねん

DVD・ビデオ

[編集へんしゅう]
  • 学問がくもん情熱じょうねつ だい15かん 宮本みやもと常一つねいち 民衆みんしゅう知恵ちえたずねて』 紀伊國屋きのくにや書店しょてん評伝ひょうでんシリーズ(47ふん
    田村たむら善次郎ぜんじろう宮本みやもと千晴ちはる監修かんしゅう、ナレーター木内きうちみどり。DVD:2008ねん8がつ 

関連かんれん文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
佐野さの眞一しんいち藤本ふじもときよし碓井うすいたくみ小泉こいずみ立松たてまつ和平わへい
以下いか入門にゅうもんしょ以外いがい
  • 宮本みやもと常一つねいち追悼ついとう文集ぶんしゅう編集へんしゅう委員いいんかいへん宮本みやもと常一つねいち どう時代じだい証言しょうげんただしつづけ)』(日本にっぽん観光かんこう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1981ねん復刻ふっこくばんマツノ書店しょてん、2004ねん
  • 写真しゃしんでつづる宮本みやもと常一つねいち』(須藤すとういさおへん未來社みらいしゃ、2005ねん
  • 宮本みやもと常一つねいちコレクションガイド』(宮本みやもと常一つねいち記念きねんかんへん森本もりもとたかし監修かんしゅう、みずのわ出版しゅっぱん、2017ねん
  • 佐野さの眞一しんいち宮本みやもと常一つねいちのまなざし』(みずのわ出版しゅっぱん、2003ねん)- おも講演こうえんろく
  • 田尾たおしんさく宮本みやもと常一つねいちという世界せかい』(みずのわ出版しゅっぱん、2004ねん
  • 田尾たおしんさくふうひと宮本みやもと常一つねいち』(みずのわ出版しゅっぱん、2008ねん
  • 田中たなか慎二しんじ荒木あらきはじめ写真しゃしん田尾たおしんさくぶん宮本みやもと常一つねいち たびげんけい』(みずのわ出版しゅっぱん、2005ねん
  • たびする巨人きょじん宮本みやもと常一つねいち:にっぽんの記憶きおく』(みずのわ出版しゅっぱん、2006ねん
読売新聞よみうりしんぶん西部せいぶ本社ほんしゃへん全国ぜんこく離島りとう振興しんこう協議きょうぎかい日本にっぽん離島りとうセンター・屋代島やしろじま周防すおう大島おおしま文化ぶんか交流こうりゅうセンター監修かんしゅう
  • 長浜ながはまいさお彷徨ほうこうのまなざし:宮本みやもと常一つねいちたび学問がくもん』(明石書店あかししょてん、1995ねん
  • 長浜ながはまいさお日本にっぽん民衆みんしゅう文化ぶんか実像じつぞう宮本みやもと常一つねいち世界せかい』(明石書店あかししょてん、1995ねん
  • 毛利もうり甚八じんぱち宮本みやもと常一つねいちあるく:日本にっぽん辺境へんきょうたびする(うえした)』(小学館しょうがくかん、1998ねん
  • さなだゆきたか『宮本みやもと常一つねいち伝説でんせつ』(阿吽あうんしゃ、2002ねん
  • 岩田いわた重則しげのり宮本みやもと常一つねいち逸脱いつだつ民俗みんぞく学者がくしゃ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2013ねん新版しんぱん2024ねん
  • 岩田いわた重則しげのり日本人にっぽんじんのわすれもの:宮本みやもと常一つねいちわすれられた日本人にっぽんじん』をなおす』(現代書館げんだいしょかん「いまむ!名著めいちょ」、2014ねん
  • 木村きむら哲也てつや『『わすれられた日本人にっぽんじん』の舞台ぶたいたびする』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2006ねん河出かわで文庫ぶんこ、2024ねん
    • 宮本みやもと常一つねいちたびする』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2018ねん)- 改訂かいてい新版しんぱん
  • 斎藤さいとう卓志たかし世間師せけんし宮本みやもと常一つねいち仕事しごと』(春風しゅんぷうしゃ、2008ねん
  • 小松こまつ正之まさゆき宮本みやもと常一つねいちとクジラ』(雄山閣ゆうざんかく、2009ねん
  • 長岡ながおか秀世ひでよ知行ちぎょう合一ごういつ旅人たびびと宮本みやもと常一つねいち そのすみみん思想しそう伏流ふくりゅうすい』(あずさ書院しょいん、2011ねん
  • 坂野さかのとおる『フィールドワークの戦後せんご宮本みやもと常一つねいちきゅう学会がっかい連合れんごう』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2012ねん
  • 福田ふくだ晴子はるこ宮本みやもと常一つねいちたびがく かんぶんけん旅人たびびとたち』(宮本みやもと千晴ちはる監修かんしゅう八坂やさか書房しょぼう、2022ねん
  • 門田かどたたけしひさ宮本みやもと常一つねいち抵抗ていこう〉の民俗みんぞくがく 地方ちほうからの叛逆はんぎゃく』(慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、2023ねん
  • 山古志やまこしむら写真しゃしん製作せいさく委員いいんかい編著へんちょ『ふるさと山古志やまこしきる:むら財産ざいさんかす宮本みやもと常一つねいち提案ていあん』(のうやま漁村ぎょそん文化ぶんか協会きょうかい、2007ねん
    • 写真しゃしんしゅう 山古志やまこしむら宮本みやもと常一つねいち昭和しょうわ46(1971)ねんらし』(須藤すとういさお解説かいせつ同上どうじょう、2005ねん) 

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 論考ろんこう宮本みやもと常一つねいちろんぶみ」、新版しんぱんは『説話せつわ文学ぶんがく絵巻えまきほか 益田ますだ勝実かつみ仕事しごと1』(ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2006ねん)に収録しゅうろく
  2. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:195
  3. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:196
  4. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:197
  5. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:198
  6. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:199
  7. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:200
  8. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:200
  9. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:201
  10. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:202
  11. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:203
  12. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:204
  13. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:205
  14. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:206
  15. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:207
  16. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:208
  17. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:209
  18. ^ a b c d e 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:210
  19. ^ a b c d e 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:211
  20. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:213
  21. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:214
  22. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:214
  23. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:215
  24. ^ 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. “博士はかせ論文ろんぶん瀬戸内海せとないかい島嶼とうしょ開発かいはつとその社会しゃかい形成けいせい”. 2023ねん5がつ9にち閲覧えつらん
  25. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:215
  26. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:216
  27. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:217
  28. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:218
  29. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:219
  30. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:220
  31. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:221
  32. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:222
  33. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:223
  34. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:224
  35. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:225
  36. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:226
  37. ^ a b c d 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:227
  38. ^ 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:228
  39. ^ a b c 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:229
  40. ^ a b 宮本みやもと常一つねいち年譜ねんぷ 2006:230
  41. ^ 周防すおう大島おおしままち名誉めいよ町民ちょうみん一覧いちらん”. 周防すおう大島おおしままち. 2022ねん7がつ22にち閲覧えつらん
  42. ^ 生前せいぜん刊行かんこうだい25かん(1977ねん)まで。50かん渋沢しぶさわ敬三けいぞう評伝ひょうでん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]