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マリオ・アンチッチ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリオ・アンチッチ
Mario Ančić
マリオ・アンチッチ
基本きほん情報じょうほう
愛称あいしょう スーパーマリオ
国籍こくせき クロアチアの旗 クロアチア
出身しゅっしん どう・スプリト
生年月日せいねんがっぴ (1984-03-30) 1984ねん3月30にち(40さい
身長しんちょう 195cm
体重たいじゅう 81kg
きて みぎ
バックハンド りょう手打てう
ツアー経歴けいれき
デビューねん 2001ねん
引退いんたいねん 2011ねん
ツアー通算つうさん 8しょう
シングルス 3しょう
ダブルス 5しょう
生涯しょうがい通算つうさん成績せいせき 276しょう177はい
シングルス 208しょう135はい
ダブルス 68しょう42はい
生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきん $4,024,686
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・シングルス
ちょんつよし 4回戦かいせん(2003・07)
ぜんふつ ベスト8(2006)
ちょんすぐる ベスト4(2004)
全米ぜんべい 2回戦かいせん(2005)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・ダブルス
ちょんつよし 2回戦かいせん(2004)
ぜんふつ 3回戦かいせん(2004)
ちょんすぐる 1回戦かいせん(2003)
全米ぜんべい ベスト8(2003)
くにべつ対抗たいこうせん最高さいこう成績せいせき
デビスはい 優勝ゆうしょう(2005)
キャリア自己じこ最高さいこうランキング
シングルス 7(2006ねん7がつ10日とおか
ダブルス 47(2004ねん6がつ14にち
獲得かくとくメダル
男子だんし テニス
オリンピック
どう 2004 アテネ ダブルス

マリオ・アンチッチMario Ančić, 1984ねん3月30にち - )は、クロアチアスプリト出身しゅっしん男子だんしプロテニス選手せんしゅ。クロアチアの先輩せんぱい選手せんしゅゴラン・イワニセビッチおなじスプリット出身しゅっしんで、顔立かおだちも試合しあいちゅう挙動きょどうもよくていることから、「イワニセビッチ2せい」とばれることがおおい。人気にんきテレビゲームの『スーパーマリオブラザーズ』にちなんだ“スーパーマリオ”というニックネームもある。

シングルス自己じこ最高さいこうランキングは7(2006ねん7がつ)。男子だんしテニスこくべつ対抗たいこうせんデビスカップ2005で、同僚どうりょうイワン・リュビチッチとともにデビスカップクロアチア代表だいひょうはつ優勝ゆうしょうみちびいた。ATPツアーでシングルス3しょう、ダブルス5しょうげた。身長しんちょう195cm、体重たいじゅう81kgの長身ちょうしん選手せんしゅいもうとサンヤ・アンチッチもプロテニス選手せんしゅになった。

選手せんしゅ経歴けいれき

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7さいからテニスはじめ、10さいときからゴラン・イワニセビッチ一緒いっしょ練習れんしゅうするようになった。ジュニア時代じだいには、2000ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん男子だんしジュニア部門ぶもんじゅん優勝ゆうしょうがある。2001ねんに17さいでプロり。2002ねんウィンブルドン選手権せんしゅけん1回戦かいせんで、アンチッチはだい7シードのロジャー・フェデラーを6-3, 7-6(2), 6-3のストレートで圧倒あっとうした。つづく2回戦かいせんやぶれたが、この勝利しょうりで「イワニセビッチ2せい」は一躍いちやく有名ゆうめいになり、現地げんちイギリス新聞しんぶんから「スーパーマリオ」のニックネームもつけられた。2003ねん全豪ぜんごうオープンフアン・カルロス・フェレーロとの4回戦かいせんまですすみ、ぜんふつオープンの2回戦かいせんではだい1シードのアンドレ・アガシに7-5, 6-1, 4-6, 2-6, 5-7のスコアで逆転ぎゃくてんけをきっした。2004ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんでさらなる成長せいちょうぶりをせ、アンディ・ロディックとの準決勝じゅんけっしょうまで進出しんしゅつしたが、4-6, 6-4, 5-7, 5-7でやぶれている。同年どうねんアテネ五輪ごりんにもクロアチア代表だいひょうとして出場しゅつじょうし、イワン・リュビチッチとペアをんで男子だんしダブルスのどうメダルを獲得かくとくした。このとしATPツアーで4じゅん優勝ゆうしょうがあり、あと1でツアーはつ優勝ゆうしょうのがしていた。

2005ねん6がつ、アンチッチはウィンブルドン選手権せんしゅけん前哨ぜんしょうせんの1つであるオルディナ・オープン決勝けっしょうミカエル・ロドラを7-5, 6-4のストレートでくだしついにツアーはつ優勝ゆうしょうかざった。同年どうねん10がつジャパン・オープン・テニス選手権せんしゅけんにも出場しゅつじょう、ここでも決勝けっしょう進出しんしゅつしたが、対戦たいせん相手あいてウェスリー・ムーディに6-1, 6-7, 4-6の逆転ぎゃくてんやぶれ、年間ねんかん2しょうはならなかった。12月2にちから4にちデビスカップ2005決勝けっしょうクロアチアスロバキア対戦たいせんした。会場かいじょうはスロバキアの首都しゅとブラチスラヴァおこなわれたが、アンチッチとリュビチッチ活躍かつやくし、3しょう2はいでクロアチアにデビスカップはいはつ優勝ゆうしょうをもたらした。

2006ねんぜんふつオープンはじめてぜんふつ準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつしたが、フェデラーに4-6, 3-6, 4-6のストレートでやぶれた。オルディナ・オープン大会たいかい2連覇れんぱ達成たっせいしたのちウィンブルドン準々じゅんじゅん決勝けっしょうでもフェデラー連敗れんぱいする。ウィンブルドン終了しゅうりょう、アンチッチははじめての世界せかいランキングトップ10りをたし、自己じこ最高さいこうの7んだ。しかし、2007ねん初頭しょとうから伝染でんせんせいたんかくしょうなやまされ、2がつから半年はんとしあいだ戦線せんせん離脱りだつ経験けいけんした。

アンチッチはウィンブルドン1回戦かいせんフェデラーやぶった2002ねん地元じもとにあるスプリト大学だいがく法学部ほうがくぶ入学にゅうがくし、2008ねん4がつ大学だいがく卒業そつぎょうした[1]

大学だいがく卒業そつぎょうから2かげつかれオルディナ・オープンのダブルスでユルゲン・メルツァーんで優勝ゆうしょうし、ダブルス通算つうさん5しょうげた。ウィンブルドンでも2ねんぶりの準々じゅんじゅん決勝けっしょうすすみ、ここでもフェデラーやぶれた。

2009ねんにはたんかくしょう再発さいはつけ、同年どうねん5がつオーストリア・オープン出場しゅつじょうしたのを最後さいご療養りょうようためまたもツアー離脱りだつ余儀よぎなくされた[2][3]

2011ねん2がつ21にち、アンチッチは現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうした。引退いんたい弁護士べんごし目指めざしている[4]

ATPツアー決勝けっしょう進出しんしゅつ結果けっか

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シングルス: 11かい (3しょう8はい)

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大会たいかいグレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ (3–7)
サーフェスべつタイトル
ハード (0–7)
クレー (0-0)
しば (2-0)
カーペット (1-1)
結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい サーフェス 対戦たいせん相手あいて スコア
じゅん優勝ゆうしょう 1. 2004ねん2がつ15にち イタリアの旗 ミラノ カーペット (室内しつない) フランスの旗 アントニー・デュピュイ 4–6, 7–6(12), 6–7(5)
じゅん優勝ゆうしょう 2. 2005ねん2がつ27にち アメリカ合衆国の旗 スコッツデール ハード オーストラリアの旗 ウェイン・アーサーズ 5–7, 3–6
優勝ゆうしょう 1. 2005ねん6がつ13にち オランダの旗 スヘルトーヘンボス しば フランスの旗 ミカエル・ロドラ 7–5, 6–4
じゅん優勝ゆうしょう 3. 2005ねん10がつ9にち 日本の旗 東京とうきょう ハード 南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ 6–1, 6–7(7), 4–6
じゅん優勝ゆうしょう 4. 2006ねん1がつ15にち ニュージーランドの旗 オークランド ハード フィンランドの旗 ヤルコ・ニエミネン 2–6, 2–6
じゅん優勝ゆうしょう 5. 2006ねん2がつ19にち フランスの旗 マルセイユ ハード (室内しつない) フランスの旗 アルノー・クレマン 4–6, 2–6
優勝ゆうしょう 2. 2006ねん6がつ19にち オランダの旗 スヘルトーヘンボス しば チェコの旗 ヤン・ヘルニチ 6–0, 5–7, 7–5
じゅん優勝ゆうしょう 6. 2006ねん9がつ17にち 中華人民共和国の旗 北京ぺきん ハード キプロスの旗 マルコス・バグダティス 4–6, 0–6
優勝ゆうしょう 3. 2006ねん10がつ23にち ロシアの旗 サンクトペテルブルク カーペット (室内しつない) スウェーデンの旗 トーマス・ヨハンソン 7–5, 7–6(2)
じゅん優勝ゆうしょう 7. 2008ねん2がつ13にち フランスの旗 マルセイユ ハード (室内しつない) イギリスの旗 アンディ・マリー 3–6, 4–6
じゅん優勝ゆうしょう 8. 2009ねん2がつ8にち クロアチアの旗 ザグレブ ハード (室内しつない) クロアチアの旗 マリン・チリッチ 3–6, 4–6

ダブルス: 5かい (5しょう0はい)

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結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい サーフェス パートナー 対戦たいせん相手あいて スコア
優勝ゆうしょう 1. 2003ねん7がつ23にち アメリカ合衆国の旗 インディアナポリス ハード イスラエルの旗 アンディ・ラム アメリカ合衆国の旗 ディエゴ・アヤラ
アメリカ合衆国の旗 ロビー・ジネプリ
2–6, 7–6(3), 7–5
優勝ゆうしょう 2. 2005ねん4がつ25にち ドイツの旗 ミュンヘン クレー オーストリアの旗 ユリアン・ノール ドイツの旗 フロリアン・マイヤー
ドイツの旗 アレクサンダー・ワスケ
6–3, 1–6, 6–3
優勝ゆうしょう 3. 2006ねん9がつ11にち 中華人民共和国の旗 北京ぺきん ハード インドの旗 マヘシュ・ブパシ ドイツの旗 ミヒャエル・ベラー
デンマークの旗 ケネス・カールセン
6–4, 6–3
優勝ゆうしょう 4. 2006ねん9がつ26にち インドの旗 ムンバイ ハード インドの旗 マヘシュ・ブパシ インドの旗 ロハン・ボパンナ
インドの旗 en:Mustafa Ghouse
6–4, 6–7(6), [10-8]
優勝ゆうしょう 5. 2008ねん6がつ15にち オランダの旗 スヘルトーヘンボス しば オーストリアの旗 ユルゲン・メルツァー インドの旗 マヘシュ・ブパシ
インドの旗 リーンダー・パエス
7–6(5), 6–3

4だい大会たいかいシングルス成績せいせき

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略語りゃくご説明せつめい
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝ゆうしょう, F=じゅん優勝ゆうしょう, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦かいせん敗退はいたい, RR=ラウンドロビン敗退はいたい, Q#=予選よせん#回戦かいせん敗退はいたい, LQ=予選よせん敗退はいたい, A=大会たいかい不参加ふさんか, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ちいきゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピックきんメダル, S=オリンピックぎんメダル, B=オリンピックどうメダル, NMS=マスターズシリーズから降格こうかく, P=開催かいさい延期えんき, NH=開催かいさいなし.

大会たいかい 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 通算つうさん成績せいせき
全豪ぜんごうオープン A 4R 3R 3R 3R 4R A 3R 14–6
ぜんふつオープン LQ 2R 3R 3R QF A 3R A 11–5
ウィンブルドン 2R 1R SF 4R QF A QF A 17–6
全米ぜんべいオープン 1R 1R 1R 2R A A A A 1–4

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ProAthletesOnly.com (2008ねん4がつ17にち). “ATP’s Ancic Earns Law Degree From University Of Split In Croatia”. 2009ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ tennis365.net (2009ねん6がつ6にち). “アンチッチがデビスはい米国べいこくせん出場しゅつじょう 体調たいちょうふたた悪化あっか”. 2009ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ daviscup.com (2009ねん6がつ5にち). “Ancic to miss Davis Cup”. 2009ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ Reuters (2011ねん2がつ22にち). “テニス=アンチッチが26さい現役げんえき引退いんたい弁護士べんごし目指めざ”. 2011ねん2がつ22にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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