アファナシェヴォ文化ぶんか

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アファナシェヴォ文化ぶんか(アファナシェヴォぶんか、えい: Afanasevo culture)は、紀元前きげんぜん3500ねんから2500ねんごろ中央ちゅうおうアジア北東ほくとうからシベリア南部なんぶにかけてさかえた文化ぶんかで、銅器どうき時代じだい後期こうきないし青銅器せいどうき時代じだい前期ぜんきたる。シベリア・ミヌシンスク盆地ぼんちのアファナシェヴォで最初さいしょ発掘はっくつ調査ちょうさされたが、現在げんざいモンゴル西部せいぶ新疆しんきょうウイグル自治じち北部ほくぶカザフスタンちゅう東部とうぶにまでひろがっていた。さらにタジキスタンアラル海あらるかい方面ほうめん文化ぶんか関連かんれんがあるとされる。

アファナシェヴォ文化ぶんか領域りょういき

生活せいかつ様式ようしきはん遊牧ゆうぼくてき牧畜ぼくちくかんがえられる。うしひつじまたは山羊やぎうま飼育しいくしたが、野生やせい動物どうぶつ狩猟しゅりょうおこなったようであり、ともに出土しゅつどするれいおおい。そうせい特徴とくちょうがあり、はか槨は円錐えんすいがたまたは矩形くけいおおくは仰臥ぎょうが埋葬まいそうされて赤土あかつちがかけられ、環状かんじょう列石れっせきてられた。集落しゅうらく遺跡いせき多数たすう発見はっけんされ、金属きんぞく製品せいひんくるま発見はっけんされている。

人種じんしゅてきにはコーカソイドであり、そうせいには西方せいほうポンティック・ステップ地帯ちたいヤムナ文化ぶんか竪穴たてあな文化ぶんか)などとの類似るいじてんおおい。ギンブタスによって提唱ていしょうされたクルガン仮説かせつ(ヤムナ文化ぶんかをクルガンIVとする)によれば、これらははらしるしおう民族みんぞくあるいはその後継こうけいしゃによるものとされる。アファナシェヴォ文化ぶんか印欧語いんおうごぞくによるものとすれば、そのなか非常ひじょうふる時代じだいもっと北東ほくとう位置いちした民族みんぞくということになる。

以上いじょう関連かんれんして、トカラ紀元きげんまで南方なんぽうタリム盆地ぼんちなどではなされ文字もじかれた)の源流げんりゅうであるとするせつ有力ゆうりょくである。これについては、紀元前きげんぜん1800ねんごろのタリム盆地ぼんちにおけるそうせい(「ろうらん美女びじょ」などのミイラで有名ゆうめい)や、家畜かちく野生やせい動物どうぶつほねがともに出土しゅつどするなどの共通きょうつうてん指摘してきされているが、直接的ちょくせつてきには証明しょうめいされていない。

アファナシェヴォ文化ぶんかのちみなみシベリアではモンゴロイド主体しゅたいとするオクネフ文化ぶんかつづく。さらに西方せいほうみなみウラル方面ほうめんあらわれたアンドロノヴォ文化ぶんかインド・イラン関係かんけいがあるとするせつ有力ゆうりょく)がこの地域ちいきにまでひろがる。

遺伝いでんがく[編集へんしゅう]

ヤムナヤ文化ぶんか関連かんれんする移民いみんながれ, Anthony(2007),[1] 2017;[2] Narasimhanら (2019);[3] Nordqvist and Heyd (2020)による:[4]
* 紀元前きげんぜん 3000 ねん: アファナシェヴォ文化ぶんか開始かいしする最初さいしょひがし方向ほうこうへの移住いじゅう、おそらく はらトカラ。 * 紀元前きげんぜん 2900 ねん: 縄目なわめぶん土器どき文化ぶんかはこ北西ほくせい方向ほうこう移住いじゅうかねじょうビーカー文化ぶんか変化へんか。Anthonyによれば、カルパティアの西にしからヤムナヤとしてハンガリーに西方せいほう移動いどうし、かねじょうビーカー文化ぶんか変化へんかし、おそらく インド・ケルトの祖先そせんであるとかんがえられています (議論ぎろんあり)。 * 紀元前きげんぜん 2700 ねん: 縄目なわめぶん土器どき文化ぶんかとしてカルパティア山脈さんみゃくひがしからはじまった 2 かいひがし方向ほうこうへの移動いどうファチャノヴォ-バラノヴァ (紀元前きげんぜん 2800 ねん) → アバシェヴォ (紀元前きげんぜん 2200 ねん)→ に変化へんかシンタシュタ (紀元前きげんぜん2100-1900ねん) → アンドロノヴォ (紀元前きげんぜん1900-1700ねん) → インド・アーリアじん

アファナシェヴォ個体こたい完全かんぜんなゲノム分析ぶんせきにより、かれらはポントス・カスピ海かすぴかい草原そうげんヤムナヤ個体こたいぐん遺伝いでんてき非常ひじょうちかかったことがしめされた[5][6][7]。アファナシエボとヤムナヤ個体こたいぐんは、地理ちりてきにこの2つの個体こたいぐんあいだ位置いちするグループよりも、相互そうごによくていました (アファナシェボのサンプルとはことなり、シベリア東部とうぶ狩猟しゅりょう採集さいしゅうみんからの祖先そせんおおふくまれていました)。これは、アファナシエヴォ文化ぶんかがユーラシア西部せいぶ草原そうげんからの移住いじゅうかいしてアルタイ地域ちいきにもたらされたことをしめしており、この移住いじゅう地元じもと住民じゅうみんとの混合こんごうがほとんどなかった[7][8]

アルタイ山脈さんみゃくから、草原そうげん由来ゆらいのアファナシェヴォの祖先そせんひがしにモンゴルに、みなみしん疆にひろがりました。アファナシェヴォのヤムナヤ関連かんれん系統けいとう祖先そせんは、青銅器せいどうき時代じだい過程かていでアルタイ地方ちほうとモンゴルで姿すがたし、西にしから到来とうらいするシンタシュタ文化ぶんか移住いじゅう集団しゅうだんってわられた。ズンガリアではアファナシェヴォ関連かんれん祖先そせんすくなくとも紀元前きげんぜん1千年紀せんねんき後半こうはんまで存続そんぞくした[9][10]

父系ふけいハプログループ[編集へんしゅう]

ヤムナヤとアファナシェボの集団しゅうだん遺伝いでんてきちかさは、片親かたおやのハプログループ、とくに Y 染色せんしょくたいハプログループ R1b の優位ゆういせいにも反映はんえいされている[7][note 1]ぞくしていた。

母系ぼけいハプログループ[編集へんしゅう]

2018ねん研究けんきゅうでは、7とうのアファナシエボ標本ひょうほん母親ははおやのハプログループが分析ぶんせきされた。 71%は西にしユーラシアの母性ぼせいハプログループUHRぞくし、28.5%はひがしユーラシアの母性ぼせいハプログループCにぞくした[11]

文化ぶんかとの関連かんれんせい[編集へんしゅう]

アファナシエヴォ文化ぶんか遺伝いでんてき近似きんじ () 古代こだい (色付いろづき)および現代げんだい(灰色はいいろ)の集団しゅうだん主成分しゅせいぶん分析ぶんせき詳細しょうさい[12]

アファナシェボ文化ぶんかじん集団しゅうだん混血こんけつ比率ひりつひがしヨーロッパ狩猟しゅりょう採集さいしゅうみん ( EHG), コーカサス狩猟しゅりょう採集さいしゅうみん ( CHG) およひアナトリアしん石器せっき時代じだいじん ()を祖先そせんとする混血こんけつである.[13]

遺伝子いでんし研究けんきゅうにより、アファナシエヴォとそののシベリア起源きげんオクネヴォ文化ぶんかあいだには不連続ふれんぞくせいがあり、またアファナシエヴォとタリム盆地ぼんち発見はっけんされたミイラあいだには遺伝いでんてき差異さいがあることが証明しょうめいされている[14]。2021ねん発表はっぴょうされたゲノム研究けんきゅうでは、タリム盆地ぼんち最古さいこ文化ぶんかタリム盆地ぼんちのミイラ年代ねんだいはc.紀元前きげんぜん2000ねん)の集団しゅうだんにはこうレベルの古代こだいきたユーラシア祖先そせんがあり、アファナシェボ住民じゅうみんとの関係かんけいはなかった[15]

おおくの学者がくしゃが、アファナシェヴォ文化ぶんか中国ちゅうごくへの冶金やきん導入どうにゅう関与かんよしている可能かのうせいがあると示唆しさしている[16][17][18]とくに、アファナシエヴォ文化ぶんかうま家屋かおく文化ぶんかおよびひとし文化ぶんかとの接触せっしょくが、青銅せいどう技術ぎじゅつ伝達でんたつ関連かんれんがあったとかんがえられている[19] [20]

アファナシエヴォ文化ぶんかには、初期しょきばん坡文 (紀元前きげんぜん 4000 ねんごろ) からの文化ぶんかてき借用しゃくようしめされている可能かのうせいがあり、アファナシエヴォ文化ぶんかやエニセイ中期ちゅうき地域ちいきのその文化ぶんかふく合体がったいたいする極東きょくとうとくしん石器せっき時代じだい中国ちゅうごくからの影響えいきょう示唆しさされている。[21][22]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ アレントフトら (2015)は、 アファナシェボ培養ばいようぶつから 4 にん女性じょせいをサンプリングし、2 にんは mtDNA ハプログループ J2a2a保有ほゆうし、1 にんT2c1a2保有ほゆうし、1 にんU5a1a1。ナラシンハンら。 (2019) は、アファナシエヴォ文化ぶんかぞくするとされる 24 にん遺体いたい分析ぶんせきした。抽出ちゅうしゅつされた Y-DNA の 14 サンプルのうち、10 サンプルは R1b1a1a2a2ぞくし、1 サンプルは R1b1a1a2aぞくし、3 サンプルは Q1a2mtDNA サンプルは、ハプログループ T (mtDNA) とともに U (とくU5) のサブクレードに、またTJH、および K

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ Anthony, David W. (2007), The Horse, The Wheel and Language: How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World 
  2. ^ Anthony, David (2017), “Archaeology and Language: Why Archaeologists Care About the Indo-European Problem”, in Crabtree, P.J.; Bogucki, P., European Archaeology as Anthropology: Essays in Memory of Bernard Wailes, https://www.academia.edu/35405459 
  3. ^ Narasimhan, Vagheesh M.; Patterson, Nick; Moorjani, Priya; Rohland, Nadin; Bernardos, Rebecca (6 September 2019). “The formation of human populations in South and Central Asia” (英語えいご). Science 365 (6457). doi:10.1126/science.aat7487. ISSN 0036-8075. PMC 6822619. PMID 31488661. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6822619/. 
  4. ^ Nordgvist; Heyd (2020), “The Forgotten Child of the Wider Corded Ware Family: Russian Fatyanovo Culture in Context”, Proceedings of the Prehistoric Society 86: 65–93, doi:10.1017/ppr.2020.9 
  5. ^ Allentoft, ME (June 11, 2015). “Population genomics of Bronze Age Eurasia”. Nature (Nature Research) 522 (7555): 167–172. Bibcode2015Natur.522..167A. doi:10.1038/nature14507. PMID 26062507. https://doi.org/10.1038/nature14507. 
  6. ^ Mathieson, Iain (November 23, 2015). “Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians”. Nature (Nature Research) 528 (7583): 499–503. Bibcode2015Natur.528..499M. doi:10.1038/nature16152. PMC 4918750. PMID 26595274. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4918750/. 
  7. ^ a b c Narasimhan, Vagheesh M. (September 6, 2019). “The formation of human populations in South and Central Asia”. Science (American Association for the Advancement of Science) 365 (6457): eaat7487. doi:10.1126/science.aat7487. PMC 6822619. PMID 31488661. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6822619/. 
  8. ^ Narasimhan2019, Supplementary Information, p. 235: "PCA および ADMIXTURE プロットにもとづいて、Kanai_MBA、Okunevo_BA.AG、および Central_Steppe_EMBA.SG の個体こたい遺伝いでんてき同種どうしゅであり、地理ちりもとづいて予想よそうされるように、WSHG よりも ESHG に密接みっせつ関連かんれんしていることが観察かんさつされる。これらの個体こたいとは対照たいしょうてきに、アファナシエヴォ文化ぶんか個体こたい西部せいぶ草原そうげん個体こたい遺伝いでんてき類似るいじしているようであり、おもにCentral_Steppe_EMBAに関連かんれんする祖先そせん介在かいざいする集団しゅうだんえた西にしからひがしへの集団しゅうだん移動いどう仮説かせつ一致いっちしている。"
  9. ^ Zhang & Ning 2021:「総合そうごうすると、これらの結果けっかは、アファナシェヴォ遊牧民ゆうぼくみんのズンガリアへの初期しょき分散ぶんさんには、地元じもと土着どちゃく集団しゅうだんとのかなりのレベルの遺伝いでんてき混合こんごうともない、これはシベリア南部なんぶにおけるアファナシェヴォ文化ぶんか初期しょき形成けいせいのパターンとはことなることをしめしている。"
  10. ^ Wang, Chuan-Chao; Yeh, Hui-Yuan; Popov, Alexander N.; Zhang, Hu-Qin; Matsumura, Hirofumi; Sirak, Kendra; Cheronet, Olivia; Kovalev, Alexey et al. (March 2021). “Genomic insights into the formation of human populations in East Asia” (英語えいご). Nature 591 (7850): 413–419. Bibcode2021Natur.591..413W. doi:10.1038/s41586-021-03336-2. ISSN 1476-4687. PMC 7993749. PMID 33618348. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7993749/.  "中期ちゅうき青銅器せいどうき時代じだいはじまり、アファナシェヴォとともにひろがったヤムナヤ由来ゆらい系統けいとう存続そんぞくについて、モンゴル時間じかんトランセクトデータには説得せっとくりょくのある証拠しょうこはない。むしろ、ヤムナヤ関連かんれん祖先そせんは、中期ちゅうきから後期こうき青銅器せいどうき時代じだいのシンタシュタとアンドロノヴォ地平線ちへいせん人々ひとびと関連かんれんする、そのひろがりに由来ゆらいするものとしてモデルすることしかできない。かれ自体じたいは、ヤムナヤ関連かんれんの 2/3 とヨーロッパの農民のうみん関連かんれんする祖先そせん4、5、6の 1/3 の混合こんごうであった。シンタシュタ関連かんれん祖先そせんは、この時点じてん以降いこう、グループないで 0 ~ 57% の割合わりあい検出けんしゅつされ、かなりの割合わりあいのシンタシュタ関連かんれん祖先そせんはモンゴル西部せいぶでのみ検出けんしゅつされる ( 3、オンラインひょう 25)。これらすべてのグループについて、qpAdm 祖先そせんモデルはアウトグループに Afanasievo をふくめて合格ごうかくするが、ソースとしてアファナシェヴォをち、アウトグループにシンタシュタをふくむモデルはすべて拒否きょひされます ( 3、オンラインひょう 25)。"
  11. ^ Hollard, Clémence (September 2018). “New genetic evidence of affinities and discontinuities between bronze age Siberian populations” (英語えいご). American Journal of Physical Anthropology 167 (1): 6–7. doi:10.1002/ajpa.23607. PMID 29900529. https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/ajpa.23607.  See also Supporting Information document 1 for uniparental haplogroup details.
  12. ^ Zhang, Fan; Ning, Chao; Scott, Ashley (November 2021). “The genomic origins of the Bronze Age Tarim Basin mummies” (英語えいご). Nature 599 (7884): 256–261. doi:10.1038/s41586-021-04052-7. ISSN 1476-4687. https://www.nature.com/articles/s41586-021-04052-7. 
  13. ^ Wang, Chuan-Chao; Reinhold, Sabine; Kalmykov, Alexey (4 February 2019). “Ancient human genome-wide data from a 3000-year interval in the Caucasus corresponds with eco-geographic regions” (英語えいご). Nature Communications 10 (1): 590. Bibcode2019NatCo..10..590W. doi:10.1038/s41467-018-08220-8. ISSN 2041-1723. PMC 6360191. PMID 30713341. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6360191/. 
  14. ^ Hollard, Clémence et al. (2018). “New genetic evidence of affinities and discontinuities between bronze age Siberian populations”. Am J Phys Anthropol 167 (1): 97–107. doi:10.1002/ajpa.23607. PMID 29900529. 
  15. ^ Zhang & Ning 2021.
  16. ^ Rawson, Jessica (April 2017). “China and the steppe: reception and resistance”. Antiquity 91 (356): 375–388. doi:10.15184/aqy.2016.276. https://www.researchgate.net/publication/315991114_China_and_the_steppe_Reception_and_resistance. "中国ちゅうごくにおけるいくつかの重要じゅうよう技術ぎじゅつ青銅せいどうてつ冶金やきん馬車ばしゃ)の発展はってんは、二里にりあたま時代じだい紀元前きげんぜん 1700 ~ 1500 ねんごろ)、いん時代じだい紀元前きげんぜん 1500 ~ 1046 ねんごろ)の中国ちゅうごく中部ちゅうぶ関係かんけいからまれた。 ) としゅう (紀元前きげんぜん 1046 ~ 771 ねん) の王朝おうちょう隣接りんせつする草原そうげん国々くにぐにとの関係かんけいなかからしょうじた。これらの交換こうかん仲介ちゅうかいしゃは、中国ちゅうごく中心ちゅうしんである中原なかはら周辺しゅうへん比較的ひかくてき高地こうちひろ国境こっきょう地帯ちたい異種いしゅのグループであった。中国ちゅうごく中部ちゅうぶ社会しゃかいはすでに非常ひじょう先進せんしんてきであったため、これらの外国がいこく革新かくしん採用さいようされたとき、高度こうど組織そしきされた社会しゃかいてきおよび文化ぶんかてきシステムのなか変革へんかくされた。" 
  17. ^ Baumer, Christoph (11 December 2012). The History of Central Asia: The Age of the Steppe Warriors. I.B. Tauris. p. 122. ISBN 978-1780760605. https://books.google.com/books?id=yglkwD7pKV8C 
  18. ^ Keay, John (1 October 2009). China: A History. Basic Books. ISBN 978-0465020027. https://archive.org/details/isbn_9780465015801 
  19. ^ JIANJUN, MEI (2003). “Cultural Interaction between China and Central Asia during the Bronze Age”. Proceedings of the British Academy 121: 1–39. https://www.thebritishacademy.ac.uk/documents/3098/Mei-China-central-asia-bronze-age.pdf. ""タリム盆地ぼんち北東ほくとうえんにあるグムゴウ墓地ぼちでの発見はっけんぶつもとづくアファナシェヴォとしん疆の接触せっしょく可能かのうせいについての議論ぎろん合理ごうりてきであるようにおもわれ、将来しょうらい考古学こうこがくてき発見はっけんのためにオープンにしておく必要ひつようがある。いいかえれば、初期しょきどうベースの冶金やきんがユーラシア草原そうげんからしん疆、さらにひがし甘粛かんせいしょう拡散かくさんした可能かのうせいは、現時点げんじてんでは排除はいじょできず、さらなる考古学こうこがくてき証拠しょうこ入手にゅうしゅ可能かのうになったときに考慮こうりょする必要ひつようがあるだろう。"" 
  20. ^ Wan, Xiang (2011). “Early development of bronze metallurgy in Eastern Eurasia”. Sino-Platonic Papers 213: 4–5. https://www.academia.edu/1086939. ""金属きんぞく使用しようするアファナシエヴォ文化ぶんかは、おそらく中国ちゅうごく北西ほくせいにおける青銅せいどう冶金やきん起源きげんである。"(...) "したがって、中国ちゅうごくもっと初期しょき青銅せいどう文化ぶんかの 1 つである ひとし文化ぶんか草原そうげんからシバ、天山あまやまきた、アルタイ地域ちいき文化ぶんかられた青銅せいどう冶金やきん借用しゃくようした可能かのうせいたかいことは注目ちゅうもくあたいする。"" 
  21. ^ Kiselov (Киселёв), С.В. (1962). Study of the Minusinsk stone sculptures (К изучению минусинских каменных изваяний). Historical and archaeological collection ( Историко-археологический сборник). pp. 53–61. http://kronk.spb.ru/library/kiselov-sv-1962b.htm. "西安しーあん近郊きんこうばん坡村ちかくにある世界せかいてき有名ゆうめいおおせ文化ぶんか遺跡いせき発掘はっくつちゅうに、すうおおくのえがかれたうつわなかから、えがかれたおおきなひらいたはちが2つ発見はっけんされた。これは、ミヌシンスク-カーカス盆地ぼんちのマスクの画像がぞう比較ひかくするじょうとく重要じゅうようである。これらのボウルのなかには、ミヌシンスクのものとおどろくほどたペイントされたマスクがはいっている。それらは、かお水平すいへい方向ほうこうの3つのゾーンへの分割ぶんかつかく存在そんざい頭上ずじょう三角形さんかっけい、およびあご三角形さんかっけいによって区別くべつされる(2)。このような偶然ぐうぜんたんなる偶然ぐうぜんでは説明せつめいできない。ばん坡での発見はっけんすうねんまえでさえ、わたしはエニセイ中期ちゅうきしん石器せっき時代じだいのアファナシエフ文化ぶんか中国ちゅうごく北部ほくぶ彩色さいしきされた陶器とうき文化ぶんかちかづけるおおくの特徴とくちょう注意ちゅういはらわなければならなかった。どうやら、ばん坡での発見はっけんぶつはこれらの観察かんさつふたた裏付うらづけたようである。同時どうじに、注目ちゅうもくすべき発見はっけん比較ひかくは、エニセイ中期ちゅうき古代こだいいし彫刻ちょうこく非常ひじょう特徴とくちょうてき画像がぞう外観がいかんが、アファナシエフ以前いぜん時代じだいふか古代こだいにまでさかのぼるだけでなく、現在げんざいでは古代こだい中国ちゅうごくしん石器せっき時代じだい記念きねんからられている極東きょくとう象徴しょうちょうてきなイメージの複雑ふくざつ世界せかいと、あきらかにエニセイ時代じだいとが関連かんれんしていることをしめしている。" 
  22. ^ Zhang, Kai (4 February 2021). “The Spread and Integration of Painted pottery Art along the Silk Road”. Region - Educational Research and Reviews 3 (1): 18. doi:10.32629/RERR.V3I1.242. https://pdfs.semanticscholar.org/6d5a/11b35e08ade4a3181628041f952847b9c649.pdf. "東洋とうよう西洋せいようあいだ初期しょき文化ぶんか交流こうりゅうは、おもにいくつかの側面そくめん反映はんえいされている。まず、しん石器せっき時代じだい後期こうき彩色さいしき陶器とうき文化ぶんかにおいて、中原なかはらからのおおせ韶文紀元前きげんぜん 5000 ~ 3000 ねん)が西にしひろがり、世界せかいおおきな影響えいきょうあたえた。うま耶文 (紀元前きげんぜん 3000 ~ 2000 ねん)、その河西かさい回廊かいろう変遷へんせんつうじてしん疆と中央ちゅうおうアジアにひろがりつづけた。"