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聖母せいぼ昇天しょうてん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

聖母せいぼ昇天しょうてん(せいぼのひしょうてん、えい: Assumption of Mary)とはカトリック教会きょうかい用語ようごで、聖母せいぼマリアがその人生じんせいわりに、肉体にくたい霊魂れいこんともなって天国てんごくにあげられたという信仰しんこう、あるいはその出来事できごと記念きねんする祝日しゅくじつ8がつ15にち)のこと。1950ねん当時とうじローマ教皇きょうこうピオ12せいのエクス・カテドラ宣言せんげんによって正式せいしき教義きょうぎとされた[1]

キリストがみずからのちから能動のうどうてきに「昇天しょうてん」(ascensione、アッシェンシオーネ)したのにたいし、聖母せいぼマリアは聖霊せいれいちから受動じゅどうてき昇天しょうてんしたので、「昇天しょうてん」(assunzione、アッスンツィオーネ)と呼称こしょうする。 

概要がいよう

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元来がんらい正教会せいきょうかい生神うるかみおんな就寝しゅうしんが6世紀せいきごろに西方せいほうつたわったものだが、信仰しんこう内容ないようはその西方せいほう独自どくじ発展はってんげた[よう出典しゅってん]西方せいほうでの最初さいしょ記録きろくトゥールグレゴリウスによる(P.L.71.coll.708)。このころは1がつ18にちいわわれていた。その皇帝こうていマウリキウス時代じだいに、現在げんざいの8がつ15にちさだめられた。中世ちゅうせいから聖母せいぼ昇天しょうてんスペインイタリアドイツとう崇敬すうけいされていたが、とくにバロック以降いこうさかんにしんじられるようになり、教義きょうぎとされるにいたった。

みなみヨーロッパや中南米ちゅうなんべいなどカトリック信徒しんとおおくにでは、8がつ15にち祝日しゅくじつとなっている。日本にっぽんでもカトリック教会きょうかいでは「聖母せいぼ昇天しょうてん」をいわ祭日さいじつとされている。

また、カトリックでは伝統でんとうてきに、マリアは、そのははであるアンナの母体ぼたい宿やどった瞬間しゅんかんから「アダムつみ原罪げんざい)」から保護ほごされたとしんじられてきた。これが原罪げんざい宿やど意味いみするところである。12月8にち原罪げんざいせいマリア[2]祭日さいじつであり、1854ねんさだめられた。

正教会せいきょうかいでは8がつ15にち(ユリウスれき場合ばあいはグレゴリオれきの8がつ28にち相当そうとう)に生神うるかみおんな就寝しゅうしんさいいわう。これは「聖母せいぼ昇天しょうてん」とはちがい、マリヤのを「就寝しゅうしん」「ねむりにつく」とし、はら肉体にくたいでそのままてんにあげられたとはみなさず、むしろたましいのみがてんにあげられ、来世らいせ栄光えいこうからだあたえられたとする。またマリヤ信心しんじん信仰しんこうのうちにおのずとくだされる私的してき啓示けいじとして理解りかいされるものであり、教義きょうぎとして理屈りくつきでしんじるべき内容ないようではないとかんがえる。

図像ずぞう学的がくてきには、聖母せいぼ昇天しょうてんがマリアを成人せいじん姿すがたえがくのにたいし、生神うるかみおんな就寝しゅうしんは、現世げんせいでのせいねむりについたマリアの亡骸なきがらはたにキリストがち、幼子おさなごかたちをしたマリアのたましいっている姿すがたえがかれる。ただし、就寝しゅうしんさんにちとされる、マリアが使徒しとたちにてん栄光えいこうにおいてあらわれた場面ばめんでは、東方とうほう教会きょうかいにおいてもマリアは成人せいじん姿すがたあらわされる。

聖母せいぼ昇天しょうてん祝日しゅくじつきたおも出来事できごと

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聖母せいぼ昇天しょうてん直接ちょくせつ関連かんれんのない8がつ15にち出来事できごとについては、8がつ15にち#できごと参照さんしょう

芸術げいじゅつ作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 宮下みやしたただしひさろう『しぐさで美術びじゅつ筑摩書房ちくましょぼうちくま文庫ぶんこ〉、2015ねん12月。ISBN 978-4-480-43318-3 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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