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スィヤードヴァーダ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

スィヤードヴァーダ [1](デーヴァナーガリー: स्यादवाद、Syādvāda)とは、ジャイナきょう前提ぜんてい条件じょうけんかんするきょうせつである。つまり、スィヤードヴァーダによって前提ぜんてい条件じょうけん公理こうりすことできょうせつおしえの内容ないようがわかるようになる。最初さいしょ前提ぜんていはサプタバンギーナーヤによってあたえられる。そしてそこから言明げんめい論理ろんりてきみちびされる。サプタバンギーナーヤを使つかうことで、相対性理論そうたいせいりろんはそれに関連かんれんしてひとしそく運動うんどうおこなっているべつ慣性かんせいけいとある慣性かんせいけいおなじであるひとつの思想しそう体系たいけいかんする真理しんり含有がんゆうしているということになる。ある体系たいけい自体じたい思想しそう構造こうぞう内部ないぶからその体系たいけい真偽しんぎ判断はんだんすることは不可能ふかのうであり、そのような真理しんり主張しゅちょう発展はってん推進すいしんは「複数ふくすう予測よそく理論りろん」でしめされた「条件じょうけんづけられた予測よそく」という結果けっかになるひとしそく運動うんどうおこなっているべつ完成かんせいがたとの関係かんけいなかでのみみとめられる[2]。そのため、それぞれの真理しんりはそれ自身じしん体系たいけいなかでは妥当だとうである一方いっぽう相互そうご排他はいたてき複数ふくすう真理しんり統合とうごうされる。ある特定とくていのものにかんするいくつかの真理しんりなかで、あるひとつ、あるいはべつのもの、あるいは両方りょうほう実際じっさい妥当だとうでありる。

サンスクリット[編集へんしゅう]

紀元きげん200ねん以前いぜんのジャイナきょう文書ぶんしょすべプラークリット著述ちょじゅつされており、そのうちおおくがふるカンナダ文字もじかれている。400ねん以降いこうのジャイナきょう注釈ちゅうしゃくしょ儀式ぎしき典礼てんれい言語げんごかんする文書ぶんしょサンスクリット(संस्कृता वाक् saṃskṛtā vāk)、ヒンディー、あるいは地方ちほう言語げんご著述ちょじゅつされている。この記事きじではプラークリットやサンスクリットから英語えいごへの翻訳ほんやくあるいは意味いみ解釈かいしゃくおこなわれている。英語えいごにはサンスクリット単語たんごたいする直接的ちょくせつてき訳語やくご存在そんざいしないが、マハーヴィーラ哲学てつがく思想しそうてき象徴しょうちょう描写びょうしゃする概念がいねんならば英語えいご存在そんざいする。「スィヤードヴァーダ」というかたりふたつの語源ごげんからる。「スィヤート」は「おそらく」という意味いみで、「ヴァーダ」は「主張しゅちょう」という意味いみである。「スィヤードヴァーダ」という複合語ふくごうごになると、おそらく~であると主張しゅちょうすること、あるいは可能かのうせい主張しゅちょう、となる[3]

なな種類しゅるい叙述じょじゅつ理論りろん[編集へんしゅう]

ジャイナ認識にんしきろんによると「サプタバンギーナーヤ」は「なな種類しゅるい予測よそく」を記述きじゅつしている[3]

  1. スィヤード・アスティ(syād-asti) — それは存在そんざいするだろう
  2. スィヤード・ナースティ(syād-nāsti) — それは存在そんざいしないだろう
  3. スィヤード・アスティ・ナースティ(syād-asti-nāsti) — それは存在そんざいしかつ存在そんざいしないだろう
  4. スィヤード・アスティ・アヴァクタヴィヤ(syād-asti-avaktavyaḥ) — それは存在そんざいし、言語げんご不可能ふかのうであるだろう
  5. スィヤード・ナースティ・アヴァクタヴィヤ(syād-nāsti-avaktavyaḥ) — それは存在そんざいせず、言語げんご不可能ふかのうであるだろう
  6. スィヤード・アスティ・ナースティ・アヴァクタヴィヤ(syād-asti-nāsti-avaktavyaḥ) — それは存在そんざいしかつ存在そんざいせず、言語げんご不可能ふかのうであるだろう
  7. スィヤード・アヴァクタヴィヤ(syād-avaktavyaḥ) — それは言語げんご不可能ふかのうであるだろう

群盲ぐんもうぞうひょう[編集へんしゅう]

群盲ぐんもうぞうひょうという物語ものがたりにおいてべられたはんものがある。この物語ものがたり様々さまざま宗教しゅうきょう観点かんてんから分析ぶんせきされており、ジャイナきょう場合ばあい群盲ぐんもうぞうひょうではすべての言明げんめい総合そうごうすることが強調きょうちょうされている[2]

さと[編集へんしゅう]

多数たすう予測よそく理論りろん独断どくだんてき支持しじする能力のうりょく自己じこ論駁ろんばくてきえる。そのためひとたび真理しんり様々さまざま観点かんてんから多面ためんてきであるとみなされると真理しんりたいするいは解決かいけつできないようにかんじられる。しかし、このジレンマはケーヴァリ無限むげん知識ちしき事物じぶつ究極きゅうきょくてき真理しんり知識ちしき到達とうたつできる人々ひとびとであるために解決かいけつされる。ケーヴァリではなく、世俗せぞく世界せかいきているにぎない人々ひとびと真理しんり一部いちぶだけをななしゅ予測よそく到達とうたつする。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ syāt発音はつおんについてはSyātsārvabhaumaḥ - FORVO
  2. ^ a b ELEPHANT AND THE BLIND MEN”. Jain Stories. JainWorld.com. 2006ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ a b P.C. Mahalanobis. “The Indian-Jaina Dialectic of Syadvad in Relation to Probability (I)”. 2007ねん8がつ4にち閲覧えつらん

3. Jain, M.K., Logic of evidence-based inference propositions. Current Science, 2011. 100: p. 1663-1672. 4. Jain, M.K., Nay: English translation of the seminal works (URL http://www.hira-pub.org/nay/index.html). 1999. 5. Hiraiynna, M., Outlines of Indian Philosophy. 1921, London: George Allen & Unwin Ltd. 420.