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ヘーマチャンドラ

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ヘーマチャンドラहेमचन्द्र Hemacandra、1087ねん[1]/1088ねん[2][3]/1089ねん[4] - 1172ねん[5])は、ジャイナきょうシュヴェーターンバラ白衣はくい)の僧侶そうりょ詩人しじん学者がくしゃ非常ひじょう博学はくがくで、その著述ちょじゅつ範囲はんい当時とうじ学問がくもんのあらゆる方面ほうめんにわたっている[6]。その知識ちしきひろさから「カリカーラサルヴァジュニャ」(Kalikālasarvajñaカリ・ユガ全知ぜんちしゃ)の称号しょうごう[5]

なお、ヘーマチャンドラという名前なまえのジャイナ教徒きょうと有名ゆうめい著述ちょじゅつはもうひとりあり、区別くべつのためにほんこう人物じんぶつを「アーチャーリヤ・ヘーマチャンドラ」、もうひとりを「マラダーリ・ヘーマチャンドラ」とぶことがある。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

ヘーマチャンドラはいまグジャラートしゅうアフマダーバード近郊きんこうダンドゥーカ英語えいごばんで、ジャイナ教徒きょうと商人しょうにんとしてまれ、デーヴァチャンドラに師事しじした。当時とうじグジャラートを支配しはいしたチャウルキヤあさのジャヤシンハおうシヴァのヒンドゥー教徒きょうとだったが、学術がくじゅつこのみ、ヘーマチャンドラをふく多数たすう学者がくしゃ宮廷きゅうてい招聘しょうへいした。1143ねんぼっしたジャヤシンハののちをついだクマーラパーラおう最初さいしょはシヴァだったが、ヘーマチャンドラの教化きょうかによってジャイナきょう改宗かいしゅうした。クマーラパーラの庇護ひごのもとでグジャラートではジャイナきょう繁栄はんえいした[5]

著作ちょさく[編集へんしゅう]

ヘーマチャンドラの代表だいひょうてき作品さくひん叙事詩じょじし『トリシャシュティ・シャラーカー・プルシャ・チャリタ』(triṣaṣṭi-śalākā-puruṣa-carita、「63偉人いじんでん」)があり、ジャイナきょうの24にんティールタンカラ、12にんうたておう、9にんのヴァースデーヴァ、9にんのバラデーヴァ、9にんのヴィシュヌドヴィシャの伝説でんせつべる。そのほとんどは歴史れきしじょう人物じんぶつではない。10のパルヴァンから構成こうせいされるが、最終さいしゅうだい10パルヴァンはマハーヴィーラ生涯しょうがいべ、「マハーヴィーラ・チャリタ」の単独たんどくおこなわれる[7]。このしょ続編ぞくへんにあたる『パリシシュタ・パルヴァン』(pariśiṣṭa-parvan)ではマハーヴィーラの高弟こうてい初期しょき教団きょうだんちょう伝説でんせつべる[8]

『ヴィータラーガ・ストートラ』(vītarāga-stotra、「はなれよくしゃ賛歌さんか」)はクマーラパーラおう要請ようせいによってかれた、マハーヴィーラをたたえるうただが、同時どうじにジャイナきょう基本きほん説明せつめいしている[6]。ほかに32頌からなるマハーヴィーラの頌歌を2つつくっている[9]

『ヨーガシャーストラ』(yogaśāstra)は簡潔かんけつシュローカかれた教訓きょうくんである[6]ぜん12しょうから構成こうせいされるが、最初さいしょの4しょうはジャイナきょう教義きょうぎ要約ようやくしたもので、僧侶そうりょによって日々ひび読誦とくしょうされる。それにくわえられた注釈ちゅうしゃく教義きょうぎ全体ぜんたい体系たいけいしている。のこりの8しょう苦行くぎょうについて記述きじゅつされるが、全体ぜんたい14めるにぎない[10]

  • 日本語にほんごやくヘーマチャンドラ ちょ鈴木すずき重信しげのぶ やく瑜伽ゆがろん」『耆那きょう聖典せいてん世界せかい聖典せいてん全集ぜんしゅう刊行かんこうかい世界せかい聖典せいてん全集ぜんしゅう ぜんだい7かん〉、1920ねん、1-64ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946593/10 (4しょうまでの本文ほんぶん

論理ろんりがくかんする著書ちょしょとしては『プラマーナ・ミーマーンサー』(pramāṇa-mīmāṃsā未完みかん)があり、ニヤーヤ学派がくはの『ニヤーヤ・スートラ』や仏教ぶっきょうろん理学りがくものダルマキールティおお引用いんようする[11][12]

ヘーマチャンドラは文法ぶんぽう学者がくしゃとしてもられ、『シッダ・ヘーマ・シャブダーヌシャーサナ』(siddha-hema-śabdānuśāsana)というぜん8各部かくぶは4しょうからなる)・やく4500頌からなる大部たいぶ文法ぶんぽうしょあらわした。そのだい1からだい7まではサンスクリット文法ぶんぽうで、最終さいしゅうだい8プラークリットマーハーラーシュトリーマーガディーパイシャーチーシャウラセーニー)の記述きじゅつにあてられている。ヘーマチャンドラはサンスクリットのかたちをもとにしてそれに変形へんけいくわえる方法ほうほうでプラークリット文法ぶんぽう記述きじゅつしている。また、だい8だい4しょう一部いちぶアパブランシャについても記述きじゅつする[13]

『アビダーナ・チンターマニ』(Abhidhānacintāmaṇi)などの語彙ごいしゅう編纂へんさんした。

フィボナッチすうかんする記述きじゅつ[編集へんしゅう]

ヘーマチャンドラは韻律いんりつがく著書ちょしょ『チャンドーヌシャーサナ』(chandonuśāsana、1150ねんごろ)においてインド古典こてん韻律いんりつ音節おんせつモーラ関係かんけいについてかんがえた。インド古典こてんでは音節おんせつたん(1モーラ)またはちょう(2モーラ)のいずれかである。したがって、2モーラなら「ちょう」か「たんたん」の2とおり、3モーラなら「長短ちょうたん短長たんちょうたんたんたん」の3とおり、4モーラなら「長長ながなが長短ちょうたんたんたん短長たんちょう短長たんちょうたんたんたんたんたん」の5とおりのわせが可能かのうになる。ヘーマチャンドラはこの問題もんだい一般いっぱんして、nモーラのありうる音節おんせつわせのかずはn-1モーラの場合ばあいとn-2モーラの場合ばあいやわであることをあきらかにした[14](nモーラの最終さいしゅう音節おんせつたんちょうのいずれかであり、たんならばのこりはn-1モーラ、ちょうならのこりはn-2モーラになる)。これはレオナルド・フィボナッチよりもはやフィボナッチすうについて記述きじゅつしたれいになっている。インドではヘーマチャンドラよりはやくヴィラハーンカ(6-8世紀せいきごろ)やゴーパーラもやはり音節おんせつわせがフィボナッチすうしたがうことをべている[15]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Gujarat (India) (1984). Gazetteers. Directorate of Government Print., Stationery and Publications. p. 183. https://books.google.com/books?id=aFNuAAAAMAAJ 
  2. ^ Datta, Amaresh; various (1 January 2006). The Encyclopaedia Of Indian Literature (A To Devo). 1. Sahitya Akademi. pp. 15–16. ISBN 978-81-260-1803-1. https://books.google.com/books?id=ObFCT5_taSgC&pg=PA15 
  3. ^ Hemacandra”. Jain World. 2008ねん4がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2008ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ Dundas, Paul (2002). The Jains. Psychology Press. pp. 134–135. ISBN 978-0-415-26606-2. https://books.google.com/books?id=jt6-YXE2aUwC&pg=PA134 
  5. ^ a b c Winternitz(1933), p. 482-483
  6. ^ a b c 渡辺わたなべけん 2005, p. 145-146
  7. ^ Winternitz(1933), p. 504-507.
  8. ^ Winternitz(1933), p. 507-510.
  9. ^ Winternitz(1933), p. 555-556.
  10. ^ Winternitz(1933), p. 567-570.
  11. ^ Winternitz(1933), p. 589.
  12. ^ 長崎ながさきほうじゅん 1970, p. 82.
  13. ^ Bubenik (2007) p.211
  14. ^ Singh(1985), p. 234.
  15. ^ Singh(1985), p. 233-234.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]