用賀ようが

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
用賀ようが
世田谷ビジネススクエア タワー棟
世田谷せたがやビジネススクエア タワーとう
用賀の位置(東京都区部内)
用賀
用賀ようが
用賀ようが位置いち
北緯ほくい3537ふん36.63びょう 東経とうけい13938ふん0.83びょう / 北緯ほくい35.6268417 東経とうけい139.6335639 / 35.6268417; 139.6335639
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 東京とうきょう
特別とくべつ 世田谷せたがや
地域ちいき 玉川たまがわ地域ちいき
面積めんせき
 • 合計ごうけい 0.91 km2
人口じんこう
2024ねんれい6ねん4がつ1にち現在げんざい[1]
 • 合計ごうけい 15,743にん
 • 密度みつど 17,000にん/km2
ひとしときおび UTC+9 (日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)
郵便ゆうびん番号ばんごう
158-0097[2]
市外しがい局番きょくばん 03[3]
ナンバープレート 世田谷せたがや

用賀ようが(ようが)は、東京とうきょう世田谷せたがや地名ちめい町名ちょうめいである。現行げんこう行政ぎょうせい地名ちめい用賀ようがいち丁目ちょうめから用賀ようがよん丁目ちょうめ郵便ゆうびん番号ばんごうは158-0097[2]玉川たまがわ地域ちいきぞくする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

鎌倉かまくら時代ときよ初期しょき真言宗しんごんしゅう瑜伽ゆが(ゆが)[ちゅう 1]・ヨーガ(ヨガ)の道場どうじょう開設かいせつされたことが地名ちめい由来ゆらいとするせつがある[4][ちゅう 2]

新編しんぺん武蔵むさしこく風土記ふどきによれば、えいろくもとかめ年間ねんかん(1558ねん - 1573ねん)にこう北条ほうじょう家臣かしん飯田いいだ帯刀たてわきとその息子むすこ飯田いいだ図書としょによって開発かいはつされ[6]真福寺しんふくじもこの時期じき飯田いいだ図書としょ開基かいきとして創建そうけんされたものであるという[5][6]江戸えど時代じだい以前いぜんは、大山おおやま街道かいどう宿場しゅくばまち真福寺しんふくじ門前もんぜまちとして、規模きぼおおきなものではなかったが、さかえていた。

地価ちか[編集へんしゅう]

住宅じゅうたく地価ちかは、2024ねんれい6ねん1がつ1にち公示こうじ地価ちかによれば、用賀ようが3-26-17の地点ちてんで90まん3000えん/m2である[8]

世田谷せたがや上用賀かみようが桜新さくらしんまち深沢ふかざわ中町なかまち上野毛かみのげ瀬田せた玉川台たまがわだい隣接りんせつする

世帯せたいすう人口じんこう[編集へんしゅう]

2024ねんれい6ねん4がつ1にち現在げんざい世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[1]

ひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
用賀ようがいち丁目ちょうめ 1,759世帯せたい 3,956にん
用賀ようが丁目ちょうめ 2,445世帯せたい 4,327にん
用賀ようがさん丁目ちょうめ 2,427世帯せたい 4,406にん
用賀ようがよん丁目ちょうめ 1,885世帯せたい 3,054にん
けい 8,516世帯せたい 15,743にん

小・中学校しょうちゅうがっこう学区がっく[編集へんしゅう]

区立くりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる[9]

ひのと 番地ばんち 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
用賀ようがいち丁目ちょうめ 9~27ばん 世田谷せたがや区立くりつさくらまち小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつ瀬田せた中学校ちゅうがっこう
その 世田谷せたがや区立くりつ深沢ふかさわ中学校ちゅうがっこう
用賀ようが丁目ちょうめ 1~12ばん
その 世田谷せたがや区立くりつ瀬田せた中学校ちゅうがっこう
用賀ようがさん丁目ちょうめ 全域ぜんいき 世田谷せたがや区立くりつきょう西小学校にししょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつ用賀ようが中学校ちゅうがっこう
用賀ようがよん丁目ちょうめ 全域ぜんいき

交通こうつう[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

東急とうきゅう田園都市線でんえんとしせん用賀ようがえき丁目ちょうめ

道路どうろ[編集へんしゅう]

用賀ようがえき砧公園きぬたこうえん世田谷せたがや美術館びじゅつかんつな遊歩道ゆうほどうである、用賀ようがプロムナードがある。みちめられているかわら百人一首ひゃくにんいっしゅきざまれており、いらかどうとの愛称あいしょうでもばれる。遊歩道ゆうほどうおおくは木々きぎおおわれている。その環境かんきょうさからドラマ撮影さつえいなどに使つかわれる。石畳いしだたみかわ模様もようってある。

用賀ようが碁盤ごばんじょう道路どうろ整備せいびされたのは昭和しょうわ10年代ねんだいであり[10]、1995ねん平成へいせい7ねん)にはどうへの通称つうしょうめい付与ふよ一環いっかんとして、そのうちのひとつに用賀ようがななじょうどおりという通称つうしょうけられた[11]そのさい用賀ようが地区ちく道路どうろ碁盤ごばんじょう整備せいびされていることに着目ちゃくもくし、大山おおやまどお世田谷せたがやどおあいだ東西とうざいける道路どうろ番号ばんごうけ、用賀ようがじょうどおりとなった。ななじょうどおりは大山おおやまどおりからかぞえて(大山おおやまどおりはふくまず)きたへ7番目ばんめ道路どうろであることを意味いみしている。[よう出典しゅってん]

一般いっぱんどう
高速こうそく道路どうろ
このふたつの道路どうろ接続せつぞくしている。

バス[編集へんしゅう]

すべ東急とうきゅうバスによる運行うんこうである。

用賀ようが中町なかまちどお経由けいゆ[編集へんしゅう]

  • もちい01 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - くつがえ馬場ばば - 農大のうだいまえ - 千歳船橋ちとせふなばし - 祖師そしだに大蔵おおくらえき
  • もちい06 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - 桜丘さくらがおかさん丁目ちょうめ - 三本杉さんぼんすぎ - 成育せいいく医療いりょう研究けんきゅうセンターまえ - 成城せいじょう学園前がくえんまええき
  • とう12 等々力とどりき操車そうしゃしょ - 深沢ふかさわ不動前ふどうまえ - 神学しんがくいんまえ - 用賀ようがいち丁目ちょうめ - 用賀ようが神社じんじゃ - 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - 桜丘さくらがおかさん丁目ちょうめ - 三本杉さんぼんすぎ - 成育せいいく医療いりょう研究けんきゅうセンターまえ - 成城せいじょう学園前がくえんまええき
  • しぶ22 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - 桜丘さくらがおかさん丁目ちょうめ - 農大のうだいまえ - 上町うえまち - 三軒茶屋さんげんぢゃや - 渋谷しぶやえき
  • 系統けいとう番号ばんごうなし 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - 駒大こまだい高校こうこううら - さくら新町しんまちえき - 弦巻つるまき営業えいぎょうしょ (土曜どよう1便びんのみ)
  • 系統けいとう番号ばんごうなし 用賀ようがえき - 用賀ようが - 上用賀かみようがさん丁目ちょうめ - 用賀ようが地区ちく会館かいかん - 用賀ようが中学校ちゅうがっこう - 岡本おかもとさん丁目ちょうめ - 成育せいいく医療いりょう研究けんきゅうセンターまえ - 成城せいじょう学園前がくえんまええき土曜どよう1便びんのみ)

西にし用賀ようがどお経由けいゆ[編集へんしゅう]

  • もちい21 用賀ようがえき - 上用賀かみようが遊歩道ゆうほどう - 用賀ようが地区ちく会館かいかん - 上用賀かみようが丁目ちょうめ - 関東かんとう中央ちゅうおう病院びょういん
  • もちい22 用賀ようがえき - 上用賀かみようが遊歩道ゆうほどう - 用賀ようが地区ちく会館かいかん - 上用賀かみようが丁目ちょうめ - 関東かんとう中央ちゅうおう病院びょういん - 美術館びじゅつかん
玉川たまがわどお経由けいゆ[編集へんしゅう]
  • たま12 二子ふたご玉川たまがわえき - 用賀ようがいち丁目ちょうめ - さくらまち高校こうこうまえ - 駒沢大学こまざわだいがく駅前えきまえ
  • たま12 高津たかつ営業えいぎょうしょ - 二子ふたご玉川たまがわ - 用賀ようがいち丁目ちょうめ - さくらまち高校こうこうまえ - 駒沢大学こまざわだいがく駅前えきまえ
  • しぶ12 二子ふたご玉川たまがわえき用賀ようがいち丁目ちょうめさくらまち高校こうこうまえ駒沢大学こまざわだいがく駅前えきまえ三軒茶屋さんげんぢゃや渋谷しぶやえき土曜どよう1ほんのみ)
  • しぶ12 渋谷しぶやえき三軒茶屋さんげんぢゃや駒沢大学こまざわだいがく駅前えきまえさくらまち高校こうこうまえ用賀ようがいち丁目ちょうめ二子ふたご玉川たまがわ高津たかつ営業えいぎょうしょ土曜どよう1ほんのみ)

施設しせつ[編集へんしゅう]

寺社じしゃ
河川かせん池沼ちしょう
事業じぎょうしょとう

出身しゅっしん・ゆかりのある人物じんぶつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 梵語ぼんご仏教ぶっきょう修行しゅぎょうほうひとつで、ヨーガもこの修行しゅぎょうほう由来ゆらいするとされる[4]
  2. ^ 真福寺しんふくじ山号さんごうである「瑜伽ゆがさん」に由来ゆらいするとするせつもあるが、このてら道場どうじょう所在しょざいから時代じだいくだったえいろくもとかめ年間ねんかん(1558ねん - 1573ねん)に創建そうけんされており、山号さんごう瑜伽ゆがやまとしたのは1946ねん昭和しょうわ21ねん)のことである[5]ため、このせつ俗説ぞくせつかんがえられている[4]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 世田谷せたがやまちひのとべつ人口じんこう世帯せたいすう”. 世田谷せたがや (2024ねん4がつ3にち). 2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2017ねん12月27にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c 地名ちめい由来ゆらい瀬田せた玉川たまがわ用賀ようが上用賀かみようが玉川台たまがわだい 世田谷せたがや
  5. ^ a b 真福寺しんふくじ由来ゆらい
  6. ^ a b 新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こう まき48 荏原えばらぐん10
  7. ^ 世田谷せたがやビジネススクエアタワー”. tc-buil-chintai.com. 東急とうきゅうコミュニティー. 2023ねん10がつ28にち閲覧えつらん
  8. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう地価ちか公示こうじ都道府県とどうふけん地価ちか調査ちょうさ
  9. ^ 通学つうがく区域くいき”. 世田谷せたがや (2018ねん4がつ1にち). 2019ねん9がつ29にち閲覧えつらん
  10. ^ 用賀ようがじょうどお 用賀ようがネット
  11. ^ 世田谷せたがや道路どうろどおり称名しょうみょう路線ろせん一覧いちらんどう63路線ろせん” (PDF). 世田谷せたがや. 2018ねん11月26にち閲覧えつらん
  12. ^ 清泉きよいずみインターナショナル学園がくえん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]