等々力とどりき (世田谷せたがや)

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等々力とどりき
緑が繁る等々力渓谷
みどりしげ等々力とどりき渓谷けいこく
等々力の位置(東京都区部内)
等々力
等々力とどりき
等々力とどりき位置いち
北緯ほくい3536ふん27.55びょう 東経とうけい13939ふん11.26びょう / 北緯ほくい35.6076528 東経とうけい139.6531278 / 35.6076528; 139.6531278
くに 日本の旗 日本にっぽん
都道府県とどうふけん 東京とうきょう
特別とくべつ 世田谷せたがや
地域ちいき 玉川たまがわ地域ちいき
面積めんせき
 • 合計ごうけい 1.728 km2
人口じんこう
2024ねんれい6ねん4がつ1にち現在げんざい[1]
 • 合計ごうけい 27,213にん
 • 密度みつど 16,000にん/km2
ひとしときおび UTC+9 (日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ)
郵便ゆうびん番号ばんごう
158-0082[2]
市外しがい局番きょくばん 03[3]
ナンバープレート 世田谷せたがや

等々力とどりき(とどろき、英語えいご: Todoroki)は、東京とうきょう世田谷せたがや町名ちょうめい隣接りんせつする尾山台おやまだいとも都内とない有数ゆうすう高級こうきゅう住宅じゅうたくがいとなっている。郵便ゆうびん番号ばんごうは、158-0082[2]玉川たまがわ地域ちいきぞくする。

また、南口みなみぐち隣接りんせつする神奈川かながわけん川崎かわさき中原なかはら町名ちょうめいでもあり、起源きげんおな等々力とどろきむら由来ゆらいする近代きんだいになって市町村しちょうそんせいとう整備せいびされるなかで、分割ぶんかつされたものである。本稿ほんこうでは、このうち世田谷せたがや等々力とどろきあつかう。川崎かわさきがわについては、等々力とどりき (川崎かわさき)参照さんしょうのこと。

概要がいよう[編集へんしゅう]

行政ぎょうせいじょうは1丁目ちょうめ - 8丁目ちょうめからり、きた目黒めぐろどお上野毛かみのげどおあたりまで(8丁目ちょうめ)、みなみたまきはちとお付近ふきんまで、西にし中町なかまち野毛のげひがし目黒めぐろ自由じゆうおかさん丁目ちょうめせっする(6丁目ちょうめ)。おおむね、東急とうきゅう大井おおいまちせん等々力とどりき - 自由じゆうおかあいだ北部ほくぶ目黒めぐろどおりの等々力とどろき不動前ふどうまえから産業さんぎょう能率のうりつ大学だいがくまえ沿線えんせんひろがっている。面積めんせきは1.728平方へいほうキロメートル[1]世田谷せたがや深沢ふかざわ中町なかまち野毛のげ玉堤たまづつみ尾山台おやまだい奥沢おくさわ目黒めぐろ自由じゆうおか隣接りんせつする。

住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっしまえまでは、たまきはちとおりの南側みなみがわ現在げんざい玉堤たまづつみ地区ちくも、世田谷せたがや玉川たまがわ等々力とどろきまち一部いちぶであった。

多摩川たまがわ対岸たいがん現在げんざい川崎かわさき中原なかはら等々力とどろき等々力とどろきむら一部いちぶであった。2020ねん1がつ現在げんざい当地とうち川崎かわさき等々力とどろきとを直接ちょくせつむす公共こうきょう交通こうつう橋梁きょうりょう渡船とせんはないが、世田谷せたがやがわ目黒めぐろどおりと川崎かわさきがわ宮内くない新横浜しんよこはません接続せつぞくする等々力とどろき大橋おおはし仮称かしょう)を多摩川たまがわ架橋かきょうする計画けいかくすすめられている[4]

等々力とどろきには、世田谷せたがや区役所くやくしょ玉川たまがわ総合そうごう支所ししょ玉川たまがわ区民くみん会館かいかん設置せっちされている。等々力とどろきむら玉川たまがわむら時代じだいむら役場やくば一貫いっかんして等々力とどろきにあった。世田谷せたがや成立せいりつ玉川たまがわ支所ししょとなり、1991ねん世田谷せたがや地域ちいき区分くぶん設定せっていしたさい玉川たまがわ総合そうごう支所ししょとなった。玉川たまがわ地域ちいき行政ぎょうせいじょう中心ちゅうしんとしての歴史れきしてき経緯けいいから、ふるくからバス路線ろせん発達はったつしており、東京とうきょうえき八重洲やえすくちおよまるうち南口みなみぐちから東急とうきゅうバスとの共同きょうどう運行うんこう都営とえいバスれていた時期じきもあった(2013ねんまで)。 商業しょうぎょうめんでは、等々力とどろきえき周辺しゅうへんにわずかに商店しょうてんがい形成けいせいされているほかは、目黒めぐろどお沿いにスーパーマーケット紀ノ国屋きのくにや)や飲食いんしょくてんがある程度ていどであり、商業しょうぎょうてき求心力きゅうしんりょく近隣きんりん二子ふたご玉川たまがわえき自由じゆうおかえき周辺しゅうへんにある。まちいきのほとんどは閑静かんせい住宅じゅうたくがいであり、比較的ひかくてきみどりおおい。

等々力とどりきおなじように、多摩川たまがわりょうきし存在そんざいする同名どうめい地名ちめいれいとしては、瀬田せた野毛のげ東京とうきょう野毛のげ上野毛かみのげ川崎かわさき下野毛しものげ)、宇奈根うなねなどのれいがある。

行政ぎょうせい区画くかく変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • 品川しながわけん荏原えばらぐん等々力とどろきむら東京とうきょう荏原えばらぐん等々力とどろきむら東京とうきょう荏原えばらぐん玉川たまがわむら等々力とどろき東京とうきょう東京とうきょう世田谷せたがや玉川たまがわ等々力とどろきまち東京とうきょう世田谷せたがや玉川たまがわ等々力とどろきまち1・2丁目ちょうめ世田谷せたがや等々力とどろき1 - 8丁目ちょうめ玉堤たまづつみ1・2丁目ちょうめ
  • 神奈川かながわがわ品川しながわけん荏原えばらぐん等々力とどろきむら東京とうきょう荏原えばらぐん等々力とどろきむら東京とうきょう荏原えばらぐん玉川たまがわむら等々力とどろき神奈川かながわけんたちばないつきぐん中原なかはらむら(→中原なかはらまち等々力とどりき川崎かわさき等々力とどろき川崎かわさき中原なかはら等々力とどろき

地価ちか[編集へんしゅう]

住宅じゅうたく地価ちかは、2024ねんれい6ねん)の公示こうじ地価ちかによれば、等々力とどろき6-13-12の地点ちてんで102まんえん/m2となっている[5]

歴史れきし[編集へんしゅう]

等々力とどりきは、江戸えど以前いぜん荏原えばらぐん等々力とどろきむらであった。のち周辺しゅうへんの7ヶ村かそん用賀ようが瀬田せた上野毛かみのげ下野毛しものげ野良田のらだ奥沢おくさわ尾山おやま)と合併がっぺい玉川たまがわむら現在げんざい世田谷せたがや玉川たまがわ地域ちいき)の一部いちぶとなる。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、東京とうきょう市域しいき拡張かくちょう谷町たにまち駒沢こまざわまち松沢まつざわむら合併がっぺいし「東京とうきょう世田谷せたがや」となった。

地名ちめい由来ゆらい[編集へんしゅう]

等々力とどりきは、等々力とどろき渓谷けいこくながちる「不動ふどうたき」のとどろおと由来ゆらいするというせつ有名ゆうめいだが、ほかにも渓谷けいこく崩落ほうらくするおとからたというせつ現在げんざい都立とりつ園芸えんげい高校こうこうにあった「うさぎりょじょう」(「とどろじょう」のみが「とどろき」と変化へんか)を由来ゆらいとするせつなどがあり、いずれがただしいのかはつまびらかではない。

住居じゅうきょ表示ひょうじ実施じっし前後ぜんこう町名ちょうめい変遷へんせん[編集へんしゅう]

実施じっし 実施じっし年月日ねんがっぴ 実施じっしまえかく町名ちょうめいともその一部いちぶ
等々力とどろきいち丁目ちょうめ 1970ねん3がつ1にち 玉川たまがわ等々力とどろきまち1、玉川たまがわ尾山おやままちかく一部いちぶ
等々力とどろき丁目ちょうめ 玉川たまがわ等々力とどろきまち1、玉川たまがわ等々力とどろきまち2、玉川たまがわ中町なかまち1のかく一部いちぶ
等々力とどろきさん丁目ちょうめ 玉川たまがわ等々力とどろきまち2、玉川たまがわ中町なかまち1のかく一部いちぶ
等々力とどろきよん丁目ちょうめ 玉川たまがわ等々力とどろきまち2の一部いちぶ
等々力とどろき丁目ちょうめ
等々力とどろきろく丁目ちょうめ 玉川たまがわ等々力とどろきまち3の一部いちぶ
等々力とどろきなな丁目ちょうめ 深沢ふかさわまち2の全部ぜんぶ玉川たまがわ等々力とどろきまち2、玉川たまがわ等々力とどろきまち3のかく一部いちぶ
等々力とどろきはち丁目ちょうめ 玉川たまがわ等々力とどろきまち3、玉川たまがわ中町なかまち1、玉川たまがわ中町なかまち2のかく一部いちぶ

世帯せたいすう人口じんこう[編集へんしゅう]

2024ねんれい6ねん)4がつ1にち現在げんざい世帯せたいすう人口じんこう以下いかとおりである[1]

ひのと 世帯せたいすう 人口じんこう
等々力とどろきいち丁目ちょうめ 1,218世帯せたい 2,562にん
等々力とどろき丁目ちょうめ 1,986世帯せたい 3,564にん
等々力とどろきさん丁目ちょうめ 1,323世帯せたい 2,509にん
等々力とどろきよん丁目ちょうめ 1,388世帯せたい 2,362にん
等々力とどろき丁目ちょうめ 1,815世帯せたい 3,513にん
等々力とどろきろく丁目ちょうめ 2,330世帯せたい 4,526にん
等々力とどろきなな丁目ちょうめ 2,183世帯せたい 4,597にん
等々力とどろきはち丁目ちょうめ 1,626世帯せたい 3,580にん
けい 13,869世帯せたい 27,213にん

小・中学校しょうちゅうがっこう学区がっく[編集へんしゅう]

区立くりつ小・中学校しょうちゅうがっこうかよ場合ばあい学区がっく以下いかとおりとなる[6]

ひのと 番地ばんち 小学校しょうがっこう 中学校ちゅうがっこう
等々力とどろきいち丁目ちょうめ 全域ぜんいき 世田谷せたがや区立くりつ玉堤たまづつみ小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつ尾山台おやまだい中学校ちゅうがっこう
等々力とどろき丁目ちょうめ 1~30ばん
34~38ばん
世田谷せたがや区立くりつ尾山台おやまだい小学校しょうがっこう
その 世田谷せたがや区立くりつ玉川たまがわ小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつ玉川たまがわ中学校ちゅうがっこう
等々力とどろきさん丁目ちょうめ 1~27ばん
33ばん
その 世田谷せたがや区立くりつ等々力とどろき小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつひがし深沢ふかさわ中学校ちゅうがっこう
等々力とどろきよん丁目ちょうめ 18~24ばん 世田谷せたがや区立くりつ尾山台おやまだい中学校ちゅうがっこう
その 世田谷せたがや区立くりつ尾山台おやまだい小学校しょうがっこう
等々力とどろき丁目ちょうめ 1~18ばん
その 世田谷せたがや区立くりつ等々力とどろき小学校しょうがっこう
等々力とどろきろく丁目ちょうめ 6~20ばん
32~37ばん
その 世田谷せたがや区立くりつ九品仏くほんぶつ小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつ八幡やはた中学校ちゅうがっこう
等々力とどろきなな丁目ちょうめ 17~21ばん 世田谷せたがや区立くりつひがし深沢ふかさわ小学校しょうがっこう 世田谷せたがや区立くりつひがし深沢ふかさわ中学校ちゅうがっこう
その 世田谷せたがや区立くりつ等々力とどろき小学校しょうがっこう
等々力とどろきはち丁目ちょうめ 全域ぜんいき

交通こうつう[編集へんしゅう]

鉄道てつどう[編集へんしゅう]

OM
OM
東急とうきゅう大井おおいまちせん

バス[編集へんしゅう]

すべて東急とうきゅうバスによる運行うんこう

瀬田せた営業えいぎょうしょ
弦巻つるまき営業えいぎょうしょ
  • とう11:等々力とどろき操車そうしゃしょ - さくら小学校しょうがっこうにゅう出庫しゅっこのみ)
  • とう13:等々力とどろき操車そうしゃしょ - うめおかえき
目黒めぐろ営業えいぎょうしょ

道路どうろ[編集へんしゅう]

玉川たまがわ総合そうごう支所ししょ玉川たまがわ区民くみん会館かいかん

施設しせつ[編集へんしゅう]

等々力とどりき渓谷けいこく[編集へんしゅう]

等々力とどろきには、23区内くない唯一ゆいいつ渓谷けいこくである等々力とどろき渓谷けいこくがある。等々力とどろきえきから等々力とどろき渓谷けいこくまで、ゴルフきょうとおって徒歩とほ2ふんほどの場所ばしょにある。西側にしがわ谷沢たにさわがわながれ、このかわ渓谷けいこく形成けいせいしている。目黒めぐろどおはたとおり、たまきはちとお渓谷けいこくうえぶたをするようにかよっている。

渓谷けいこくないには、古墳こふん時代じだい後期こうきから奈良なら時代じだい7世紀せいき後半こうはん - 8世紀せいき)のものと推定すいていされる横穴よこあなしき墳墓ふんぼがあり、「等々力とどろき渓谷けいこく横穴よこあな古墳こふん」とばれている。不動ふどうたきちかくには平安へいあん時代じだい創建そうけんされた「等々力とどろき不動尊ふどうそん」がある。東京とうきょう指定してい名勝めいしょうにもなっている。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 世田谷せたがやまちひのとべつ人口じんこう世帯せたいすう”. 世田谷せたがや (2024ねん4がつ3にち). 2024ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 郵便ゆうびん番号ばんごう”. 日本にっぽん郵便ゆうびん. 2019ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ 市外しがい局番きょくばん一覧いちらん”. 総務そうむしょう. 2017ねん12月27にち閲覧えつらん
  4. ^ だい2川崎かわさき道路どうろ整備せいびプログラム” (PDF). 川崎かわさき. 2020ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  5. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう地価ちか公示こうじ都道府県とどうふけん地価ちか調査ちょうさ
  6. ^ 通学つうがく区域くいき”. 世田谷せたがや (2018ねん4がつ1にち). 2019ねん9がつ29にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]