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谷沢たにさわがわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
谷沢たにさわがわ
谷沢川 2020年7月4日撮影
等々力とどりき渓谷けいこく東京とうきょう世田谷せたがや等々力とどりき
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 多摩川たまがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 3.7 km
平均へいきん流量りゅうりょう -- m³/s
流域りゅういき面積めんせき 5.7 km²
水源すいげん 東京とうきょう世田谷せたがや桜丘さくらがおか
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 多摩川たまがわ左岸さがん
世田谷せたがや玉堤たまづつみさき
流域りゅういき 東京とうきょう世田谷せたがや
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等々力とどりき渓谷けいこく等々力とどろきえき付近ふきん

谷沢たにさわがわ(やざわがわ)は、東京とうきょう世田谷せたがや南部なんぶながれる、多摩川たまがわ水系すいけい一級いっきゅう河川かせんである。ゆたかな自然しぜんられる等々力とどりき渓谷けいこく後述こうじゅつふくむ。

地理ちり[編集へんしゅう]

水源すいげん東京とうきょう世田谷せたがや桜丘さくらがおかよん丁目ちょうめ丁目ちょうめ付近ふきん武蔵野台むさしのだいうえ湧水わきみず桜丘さくらがおかさん丁目ちょうめきゅう品川しながわ用水ようすいのかつての吐水あととされる。ここから南下なんかして上用賀かみようが地内じない複数ふくすう湧水わきみずわせ、世田谷せたがや中町なかまち経由けいゆする。この周辺しゅうへんではみず浸透しんとうさせにくい粘土ねんどしつ土壌どじょう上部じょうぶながれるため、河川かせんによるひらきすすんでいない。中町なかまちより上流じょうりゅうりゅうは、大正たいしょう昭和しょうわ初期しょき玉川たまがわぜんえん耕地こうち整理せいりにより直線ちょくせんされている。途中とちゅう首都高しゅとこうそく3ごう渋谷しぶやせんした田中たなかきょう付近ふきんから多摩川たまがわへの合流ごうりゅうこうまでがひらけみぞとなっている(上流じょうりゅう世田谷せたがや桜丘さくらがおかさん丁目ちょうめ付近ふきんにはわずかだがひらけみぞのこっている)。

中町なかまち丁目ちょうめ付近ふきんでかつての「いかだどう」がうえまたぐ。ここにかるひめはし付近ふきんには「ひめたき」または「野良田のらだたき」とばれる、湧水わきみずたき谷沢たにさわがわちていた[1]が、昭和しょうわ13ねん1938ねん)7がつ水害すいがいにより崩落ほうらくし、その河川かせん整備せいびうしなわれて、現在げんざいはしにとどまるのみになっている。このたき付近ふきんから川谷かわたにふかくする。東急とうきゅう大井おおいまちせん沿かたち一旦いったん東進とうしんしたのち南下なんかして、東京とうきょう都区とくでは唯一ゆいいつ自然しぜん渓谷けいこくとされる、ながさ1ほどの等々力とどりき渓谷けいこく[2][3]ながれる。このあたりでは水面すいめんは、周辺しゅうへんもっとたか台地だいちめんから20mから30mちかくもんだふかたに形成けいせいし、渓谷けいこくがけからの多量たりょう湧水わきみずがみられる。

ながれは東京とうきょう都道とどう311ごう環状かんじょうはち号線ごうせんたまきはちとおり、玉沢たまざわきょう)のしたをくぐり、世田谷せたがや野毛のげ付近ふきん国分寺こくぶんじがけせんたところで丸子川まるこがわきゅう六郷ろくごう用水ようすい)にたる。かつて六郷ろくごう用水ようすいは、大田おおた六郷ろくごうまでのつうすい高低こうてい確保かくほするため、谷沢たにさわがわうえ交差こうさしてながしていたが、現在げんざい当初とうしょ役目やくめえて谷沢たにさわがわ合流ごうりゅうし、世田谷せたがや玉堤たまづつみ多摩川たまがわそそぐ。しかし、六郷ろくごう用水ようすい歴史れきしてき遺産いさん保護ほご環境かんきょう保護ほごのための清流せいりゅう復活ふっかつ事業じぎょうとして、合流ごうりゅうしたかわみず一部いちぶをポンプでげ、ここから下流かりゅう丸子川まるこがわながしている。

等々力とどりき渓谷けいこくきゅうはすのため宅地たくち開発かいはつまぬかれて、比較的ひかくてきゆたかな生態せいたいけいのこされた。一方いっぽう上流じょうりゅうや、渓谷けいこく周辺しゅうへん宅地たくち急速きゅうそくすす雑木林ぞうきばやし湧水わきみずうしなわれて、一時いちじ農家のうか家庭かていからの排水はいすい渓谷けいこくないかわながれたが、そのはや時期じきから下流かりゅう景観けいかん保護ほご機運きうんたかまり、上流じょうりゅう下水道げすいどう整備せいびすすんで荒廃こうはいまぬかれている(後述こうじゅつ)。

現在げんざい谷沢たにさわがわ上流じょうりゅう地下水ちかすいめん低下ていかなどで、降雨こううがあったとき以外いがい現在げんざい通年つうねんにわたって水量すいりょうすくない。そのためこちらも清流せいりゅう復活ふっかつ事業じぎょうとして仙川せんがわから2.2㎞の導水どうすいかん敷設ふせつ[2]おな世田谷せたがや区内くない岡本おかもとさん丁目ちょうめ取水しゅすいし、小石こいしあいだとお[2]生物せいぶつ濾過ろか浄化じょうかしたうえ用賀ようがまでおくり、谷沢たにさわがわ導入どうにゅうするようした。また、うえ流域りゅういき雨水あまみずめ、これを渇水かっすい中町なかまちいち丁目ちょうめ付近ふきんと、ゴルフきょう[4]付近ふきんから谷沢たにさわがわ放水ほうすいしている[5]

等々力とどりき渓谷けいこく[編集へんしゅう]

武蔵野台むさしのだいは、みずとおさないうみなり粘土ねんどしつそううえみずとおしやすいつぶてそうが互層となった関東かんとうロームおおわれた台地だいちであり、台地だいちじょうをはじめ多摩川たまがわけずられてできたがけせんにはおおくの湧水わきみずがある。等々力とどろき渓谷けいこくはこの大量たいりょう湧水わきみず台地だいち浸食しんしょくしてできた渓谷けいこくである。渓谷けいこくたにそこ等々力とどろきえき付近ふきんから下流かりゅうわき遊歩道ゆうほどう整備せいびされている。10mほどの急峻きゅうしゅんりょうがけには武蔵野むさしの雑木林ぞうきばやしのこり、鬱蒼うっそうとしてなつでも冷涼れいりょうである。また、南側みなみがわ戦国せんごく時代じだい深沢ふかざわからうつってきたとされる満願寺まんがんじ境内けいだい隣接りんせつし、その別院べついん等々力とどろき不動尊ふどうそん関東かんとうさんじゅうろく不動ふどう霊場れいじょうひとつとして、湧水わきみずながちる不動ふどうたきたれる修行しゅぎょうしゃ時折ときおりられ、冬季とうきのぞいて茶屋ちゃやち、都内とないでも有数ゆうすう自然しぜんゆたかないこいのとなっている。

等々力とどりき(とどろき)はその由来ゆらいを、こうした湧水わきみずながちるおとうつしの「とどろく」にちなむというせつ有名ゆうめいであるが、もと満願寺まんがんじ場所ばしょうさぎりょ(とどろ)しろからなど諸説しょせつある。歴史れきしじょう記録きろくよりもさかのぼった古来こらいこの渓谷けいこく存在そんざいしており、渓谷けいこくがけには7世紀せいきごろのものとかんがえられる横穴よこあなしき古墳こふんなどもつかっている。

1931ねん昭和しょうわ6ねん)、等々力とどろき渓谷けいこく西側にしがわ台地だいちじょう五島ごしま慶太けいたによる目黒めぐろ蒲田かまた電鉄でんてつ開発かいはつ経営けいえいの「等々力とどろきゴルフコース」が開業かいぎょう[4]したが、渓谷けいこくはこうした貴重きちょう景観けいかん史跡しせき数多かずおおのこすことから、1933ねん昭和しょうわ8ねん)に多摩川たまがわ風致ふうち地区ちく指定していされ、護岸ごがん遊歩道ゆうほどう整備せいび着手ちゃくしゅし、1936ねん昭和しょうわ11ねん)に完成かんせいした。

だい世界せかい大戦たいせんこう1974ねん昭和しょうわ49ねん)に横穴よこあなしき古墳こふん等々力とどろき不動尊ふどうそんふくめた世田谷せたがや区立くりつ等々力とどろき公園こうえんとして開園かいえんする。東京とうきょう都区とくでは唯一ゆいいつ自然しぜん渓谷けいこくであり、1999ねん平成へいせい11ねん)には東京とうきょう指定してい名勝めいしょう指定していされ[6]、その環境かんきょう保全ほぜんされるとともに、渓谷けいこく沿いに散策さんさくどう整備せいびされた。

ただし、地下水ちかすいげなどにより、不動ふどうたき周辺しゅうへんからの湧水わきみずりょう年々ねんねんってきている。

2023ねんれい5ねん7がつ6にち渓谷けいこく公園こうえん遊歩道ゆうほどうない倒木とうぼく発生はっせい調査ちょうさ結果けっかほかにも腐朽ふきゅうして倒木とうぼくする危険きけんせいがある樹木じゅもく多数たすうあり、だい部分ぶぶん区間くかん当面とうめんあいだ通行止つうこうどめとなった。危険きけん伐採ばっさい撤去てっきょは2024ねんれい6ねん年度ねんどからはじめられることになった。[7]

ながれ変更へんこう諸説しょせつ[編集へんしゅう]

中町なかまちから等々力とどろき周辺しゅうへん地形ちけい国土こくど地理ちりいん地形ちけいなどでると、高低こうていが2mから4mほどのはばひろたにそこ地形ちけい自由じゆうおかほう蛇行だこうしながらび、呑川へつながっているのがわかる。ここは中心ちゅうしん現在げんざい下水道げすいどう幹線かんせん暗渠あんきょとなっている九品仏くほんぶつかわながれているが、これが本来ほんらい谷沢たにさわがわである。そのりゅう変更へんこうされ等々力とどろき渓谷けいこくくだるようになった。

このりゅう変更へんこうには、等々力とどろき渓谷けいこくから谷頭たにがしら浸食しんしょくけた結果けっか谷沢たにさわ川上かわかみりゅう河川かせん争奪そうだつされてながれわったとする自然しぜん現象げんしょうせつ[8][9]がある。このせつでは浸食しんしょくすす具合ぐあいから歴史れきし時代じだいよりむかしながれわったことを示唆しさするが明確めいかくにはされていない。

一方いっぽう江戸えど時代じだいに、水利すいりめぐあらそいや排水はいすい不良ふりょう改良かいりょうのため人為じんいてきながれ変更へんこうされたとする、人工じんこう開削かいさくせつ[10][11]がある。しかしこちらは、すでひらけ析がすすんだ渓谷けいこく先端せんたん谷沢たにさわがわをつなぐのみならず、中町なかまちのあたりまでふか掘削くっさくした理由りゆうあきらかでなく、またそれほどのだい工事こうじ記録きろくえない。

こうしたことから、一般いっぱんには前者ぜんしゃせつるものがおおい。

等々力とどりき渓谷けいこく自然しぜん[編集へんしゅう]

急斜面きゅうしゃめん比較的ひかくてきゆたかな武蔵野むさしの雑木林ぞうきばやしのこっており、下記かき野鳥やちょうふくめた動植物どうしょくぶつ生態せいたいけいささえている。なお、全域ぜんいき鳥獣ちょうじゅう保護ほご指定していされている。

留鳥りゅうちょう
シジュウカラハクセキレイメジロウグイスコゲラムクドリヒヨドリオナガキジバトハシブトガラス
ふゆとり
キセキレイジョウビタキツグミアオジマガモ

また、かわでは以下いかさかな河川かせん生物せいぶつ確認かくにんされている。

コイモツゴアユドジョウメダカハゼカワムツスミウキゴリアメリカザリガニサワガニ

名所めいしょ旧跡きゅうせき施設しせつ[編集へんしゅう]

  • ゴルフきょう[4]
  • 玉沢たまざわきょうたまきはちとお
  • 等々力とどりき渓谷けいこく横穴よこあな古墳こふん - 古墳こふん時代じだい末期まっきから奈良なら時代じだいにかけて形成けいせいされた、野毛のげ地域ちいき有力ゆうりょく農家のうかはか推定すいていされている古墳こふん完全かんぜんかたちのこっていた3ごうふん発掘はっくつ調査ちょうさされ、人骨じんこつとともに耳環みみわ土器どきなどが出土しゅつどした。
  • 稚児ちご大師堂だいしどう
  • 稲荷いなりどう
  • 不動ふどうたき
  • 等々力とどろき不動尊ふどうそん
  • 等々力とどりき児童じどう遊園ゆうえん
  • 弁天べんてんどう明王台みょうおうだい

谷沢たにさわがわ分水ぶんすい[編集へんしゅう]

これまで浸水しんすい被害ひがいのあった谷沢たにさわ川下かわしもりゅう被害ひがいふせぐため、3.2kmの分水ぶんすい整備せいびしている。区間くかん玉堤たまづつみ丁目ちょうめない玉川台たまがわだいいち丁目ちょうめない。ルートはおも東京とうきょう都道とどう311ごう環状かんじょうはち号線ごうせん地下ちかにトンネルを整備せいびしている。2017ねんから2025ねんまで事業じぎょう期間きかん

ギャラリー[編集へんしゅう]

公共こうきょう交通こうつう[編集へんしゅう]

東急とうきゅう大井おおいまちせん等々力とどろきえきまたは路線ろせんバス等々力とどろきバス停ばすていより多摩川たまがわかって徒歩とほすうふん遊歩道ゆうほどう入口いりくちがある[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 東京とうきょう世田谷せたがや敎育きょういく委員いいんかい「せたがや 社寺しゃじ史跡しせき」『等々力とどろき不動尊ふどうそん明王みょうおういん 縁起えんぎ
  2. ^ a b c d 【いいね!探訪たんぼう等々力とどりき渓谷けいこく東京とうきょう世田谷せたがや自然しぜんにタッチ 都会とかい散歩道さんぽみち朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん2022ねん11月12にち3めん(2022ねん11月22にち閲覧えつらん
  3. ^ 東京とうきょう都区とくには人工じんこう渓谷けいこくである御茶ノ水おちゃのみず渓谷けいこくがある。
  4. ^ a b c かつての等々力とどろきゴルフコースは現在げんざい世田谷せたがや中町なかまちいち丁目ちょうめから野毛のげ大塚おおつか古墳こふんあたりまでひろがっていた。野毛のげ大塚おおつか古墳こふん南側みなみがわ都営とえい住宅じゅうたく国土こくど交通省こうつうしょう官舎かんしゃ整理せいりちゅう)もこの跡地あとちっている。ゴルフきょう等々力とどろきえきからゴルフじょう入口いりくちかう途上とじょうにかかるはしだった。翌年よくねんには田園調布でんえんちょうふからのゴルフじょうへの送迎そうげいバスも運行うんこうされた。しかしにちちゅう戦争せんそう戦火せんかはげしくなり内地ないち戦時せんじ体制たいせいかっていた1939ねん、ゴルフじょう廃止はいし内務省ないむしょう防空ぼうくう研究所けんきゅうじょかれたが、施設しせつ空襲くうしゅう焼失しょうしつした。等々力とどりき渓谷けいこく等々力とどろき不動ふどう[リンク]
  5. ^ 等々力とどりき渓谷けいこく谷沢たにさわがわ合流ごうりゅうする支流しりゅう逆川さかかわ谷沢たにさわがわ雨水あまみず幹線かんせん[出典しゅってん無効むこう]
  6. ^ 東京とうきょう指定してい名勝めいしょう 等々力とどろき渓谷けいこく”. 世田谷せたがやホームページ. 2022ねん6がつ2にち閲覧えつらん
  7. ^ 等々力とどりき渓谷けいこく公園こうえん”. 世田谷せたがや (れい5ねん12月4にち). 2024ねん1がつ17にち閲覧えつらん
  8. ^ 貝塚かいづか爽平『東京とうきょう自然しぜん紀伊国屋きのくにや書店しょてん、1964ねん
  9. ^ 帝国ていこく書院しょいん都心としん住宅じゅうたく河川かせん争奪そうだつあとをたどる[リンク]
  10. ^ 地盤じばん環境かんきょうエンジニアリング株式会社かぶしきがいしゃHP「等々力とどりき渓谷けいこくなぞ (PDF) [リンク]
  11. ^ 多摩川たまがわ編集へんしゅう委員いいんかい多摩川たまがわだい3へん-だい2しょう-だい2せつ-2.3「谷沢たにさわがわ付替つけかえ」[リンク]財団ざいだん法人ほうじん河川かせん環境かんきょう管理かんり財団ざいだん、1986ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]