呑川

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呑川
呑川
呑川
水系すいけい きゅう水系すいけい 呑川
種別しゅべつ きゅう河川かせん
水源すいげん 桜新さくらしんまち世田谷せたがや
河口かこう合流ごうりゅうさき 東京とうきょうわん大田おおた
流域りゅういき 東京とうきょう
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呑川(のみかわ/のみがわ)は、東京とうきょうながれるきゅう河川かせん。呑川水系すいけい本流ほんりゅうである。

地理ちり[編集へんしゅう]

東京とうきょう世田谷せたがや桜新さくらしんまち東急とうきゅう田園都市線でんえんとしせんさくら新町しんまちえき南側みなみがわ付近ふきん水源すいげんとし(ちなみにさくら新町しんまちえき北側きたがわへは、蛇崩じゃくずれがわ支流しりゅう水源すいげんとなっており、共通きょうつう水脈すいみゃくえきからそれぞれ南北なんぼくながれている)、世田谷せたがや深沢ふかざわ目黒めぐろ八雲やくも東急東横とうきゅうとうよこせん都立とりつ大学だいがくえき付近ふきん目黒めぐろ中根なかね付近ふきん)、東急とうきゅう大井おおいまちせんみどりおかえきおよ東急とうきゅう目黒めぐろせん大岡山おおおかやまえき付近ふきん東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく付近ふきん)、大田おおた石川いしかわまちゆきだにはら池上いけがみ蒲田かまたJR蒲田かまたえき東京工科大学とうきょうこうかだいがく日本工学院専門学校にほんこうがくいんせんもんがっこう京急けいきゅう本線ほんせん京急けいきゅう蒲田かまたえき付近ふきん)をながれ、糀谷こうじやけて東京とうきょうわんそそぐ。

かく支流しりゅう、および本流ほんりゅう上流じょうりゅう世田谷せたがや深沢ふかさわから目黒めぐろ大岡山おおおかやま東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく付近ふきんまで)はすべ暗渠あんきょみどりみちされ、下水道げすいどうとして利用りようされている。下水道げすいどう本流ほんりゅう暗渠あんきょ終端しゅうたんやや上手じょうずで呑川からはなれるかたちになるが、大雨おおあめって処理しょりしきれなくなると呑川(ひらきみぞ)にもこしながさせるため、悪臭あくしゅうがひどい。高度こうど成長せいちょう昭和しょうわ後期こうきまでは、かわみずつねにヘドロにまみれてよごれていたので周辺しゅうへん住民じゅうみんも「呑川はよごれているもの」というかんがえが根付ねつき、かわたいする環境かんきょう意識いしき希薄きはくになりがであったため、ごみなどの廃棄はいきぶつ多数たすうまれていた。平成へいせいおよびれいむかえ、大田おおたでは、呑川の水質すいしつ浄化じょうかけて様々さまざまみがおこなわれている。(1)呑川の河床かしょうせいせい工事こうじ(2)こう濃度のうど酸素さんそすい浄化じょうか施設しせつ(3)スカム発生はっせい抑制よくせい装置そうち屋形船やかたぶねがた浄化じょうか装置そうち)などにより、水質すいしつ大幅おおはば改善かいぜんされ周辺しゅうへん住民じゅうみんなやましていた悪臭あくしゅうえている。[よう出典しゅってん]

現在げんざいひらけみぞられる流水りゅうすいはおもに、「城南じょうなん3河川かせん清流せいりゅう復活ふっかつ事業じぎょう」による高度こうど処理しょりすいで、暗渠あんきょ終端しゅうたんちか東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく付近ふきんから放流ほうりゅうされている。

水源すいげんちかくの国道こくどう246ごう玉川たまがわどおり)から駒沢こまざわどおまでの1kmほど区間くかん親水しんすい公園こうえんとして整備せいびされ、循環じゅんかんすいながされている。かわ沿ってさくら並木なみきになっており、かわにはカルガモられる。1994ねんづくり郷土きょうどしょう人々ひとびとつどいこ水辺みずべづくり)受賞じゅしょう[1]

下流かりゅうあらたなかわられ、しん呑川になっている(きゅう呑川については後述こうじゅつ)。洪水こうずい氾濫はんらんふせぐために直線ちょくせんしたしん呑川(呑川)は、羽田空港はねだくうこうとのあいだ海老えびかわんでいる。

世田谷せたがや深沢ふかさわ付近ふきんから目黒めぐろ中根なかねみどりおか付近ふきんみどりどう遊歩道ゆうほどう)もさくら並木なみきとなっており、はるになると花見はなみにぎわう。また子供こどもたちなどのあそになっているほか都立とりつ大学だいがくえき付近ふきんなど一部いちぶ目黒めぐろ自転車じてんしゃとしても利用りようされている。

呑川という名称めいしょう語源ごげんとして、そのむかしウシあやまってかわみずんでしまうことがあったから、などといったせつがある。

呑川にはコイフナボラなどのさかな生息せいそくしており、近年きんねんウナギつかったこともある。しかし、最近さいきんミシシッピアカミミガメガーなどの日本にっぽんるはずの外来がいらい生物せいぶつつかっている。このうち、前者ぜんしゃ繁殖はんしょくあきらかであるが、後者こうしゃ繁殖はんしょく確認かくにんされていない[2]

2022ねん3がつ初頭しょとう旧来きゅうらいから生息せいそくしていたボラなどのさかなが1000ひき以上いじょうにわたって大量たいりょうしているのがつかり、原因げんいん調査ちょうさちゅうである[3]

支流しりゅう分流ぶんりゅう[編集へんしゅう]

以下いか上流じょうりゅうからじゅん記述きじゅつする。

駒沢こまざわ支流しりゅう
周囲しゅうい地形ちけい高低こうてい駒沢こまざわオリンピック公園こうえん自体じたい支流しりゅう高低こうてい利用りようし、窪地くぼちとしてつくられている)および住所じゅうしょ境界きょうかいせんから、かき木坂きざか支流しりゅうちか世田谷せたがや駒沢こまざわいち丁目ちょうめ2ばん目黒めぐろしがおか丁目ちょうめ12ばんあいだまで水源すいげんがたどれ、明確めいかく痕跡こんせき駒沢こまざわオリンピック公園こうえん南東なんとうからあらわれる。以後いごみなみかってほぼまっすぐながれ、目黒めぐろ八雲やくも丁目ちょうめ11ばん・12ばん・25ばん西にしからながれてきた本流ほんりゅうきたから合流ごうりゅうし、ひがしかう。
かき木坂きざか支流しりゅう
世田谷せたがや上馬かみうま交差点こうさてんより、上馬かみうまさん丁目ちょうめしがおかいち丁目ちょうめさかいまでは一般いっぱんどうしているが、高低こうていとなりみちくら不自然ふしぜんにカーブしたみち判別はんべつ可能かのうしがおかいち丁目ちょうめ35・36番地ばんち道路どうろ西にしから歩道ほどうに、つぎの33・34番地ばんちから駒沢こまざわ支流しりゅう同様どうよう中央ちゅうおう緑地りょくちとなる。途中とちゅうひがしおおきく湾曲わんきょくし、もっとひがしとおかき木坂きざかいち丁目ちょうめ丁目ちょうめ境界きょうかい付近ふきんでは、となり立会川たちあいがわ源流げんりゅうである碑文谷ひもんや公園こうえん碑文谷ひもんやと350mほどしかはなれていない。再度さいど南西なんせいがり、都立とりつ大学だいがくえき北口きたぐち北西ほくせいからながれてきた本流ほんりゅう北東ほくとうから合流ごうりゅうし、みなみかう。この2支流しりゅうは呑川の無名むめい支流しりゅうなかでももっとおおきく、地図ちずだけでなく周辺しゅうへん案内あんないにも「駒沢こまざわ支流しりゅう」「かき木坂きざか支流しりゅう」と明記めいきされていることがおおい。
みどりおかえき南東なんとう地点ちてん暗渠あんきょからひらきみぞへ。正面しょうめんえる高架こうかあたりで、九品仏くほんぶつかわみどりどうと呑川本流ほんりゅうみどりどう合流ごうりゅうしている[4]
九品仏くほんぶつかわ
浄真寺じょうしんじ九品仏くほんぶつ付近ふきん水源すいげんとして東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく付近ふきん本流ほんりゅう合流ごうりゅう。なお上流じょうりゅう下流かりゅうともかつては合流ごうりゅうする河川かせんわっており、とく上流じょうりゅうについては谷沢たにさわがわ等々力とどろき渓谷けいこくとの河川かせん争奪そうだつ指摘してきされている。

この上記じょうき3支流しりゅうが呑川ではとくおおきな支流しりゅうであり、また九品仏くほんぶつかわのみが単独たんどく河川かせんめいつ。

洗足せんそくなが
大田おおた清水しみずくぼ水源すいげんのひとつとする洗足せんそく水源すいげんとして、みちはし付近ふきん本流ほんりゅう合流ごうりゅう

ほかにも世田谷せたがや深沢ふかざわ奥沢おくさわ大田おおた石川いしかわまち南雪谷みなみゆきがや周辺しゅうへんすうほんちいさな支流しりゅう川底かわぞこかわかべからも、みずんでいる。

きゅう呑川
京急けいきゅう蒲田かまたえきちかくのひがしがま中学校ちゅうがっこう付近ふきんで、きゅう呑川と、昭和しょうわ10ねんられたしん呑川に分流ぶんりゅうする。水質すいしつ悪化あっかのため、東京とうきょうオリンピックを昭和しょうわ30年代ねんだいから徐々じょじょうめてがはじまり、昭和しょうわ51ねんぜん区間くかんてられた。昭和島しょうわじままえである河口かこうの、ごく一部いちぶひらきみぞとなっており、避難ひなんきょうよこ水門すいもんもある。

橋梁きょうりょう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]