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女犯にょぼん

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女犯にょぼん(にょぼん)とは、原則げんそくとして戒律かいりつにより女性じょせいとの性行為せいこういたねばならない仏教ぶっきょう出家しゅっけしゃが、戒律かいりつやぶ女性じょせい性的せいてき関係かんけいつこと。

概要がいよう

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仏教ぶっきょう修行しゅぎょうは、元々もともと煩悩ぼんのう執着しゅうちゃくつためのものとかんがえられた。

そのため、殺生せっしょう戒律かいりつ肉食にくしょく起因きいんする執着しゅうちゃくからはなれるために肉食にくしょくいましめる菩薩戒ぼさつかいが『なまぐさ』という『不浄ふじょう』をとおざけるため存在そんざいするが、それと同様どうよう僧侶そうりょ修行しゅぎょうさまたげとなる異性いせいという存在そんざい不浄ふじょうであると理解りかいされ、ゆえにまじわってはならないとかんがえる解釈かいしゃくひろおこなわれていた。寺院じいん男性だんせい男子だんし児童じどうるのは傍目はため不自然ふしぜんではないということで、寺院じいん雑用ざつよう僧侶そうりょ世話せわをする寺小姓てらこしょう稚児ちご男色なんしょくおこなわれる場合ばあいもあった。

りつ具足ぐそく)では、僧侶そうりょたいして異性いせいとの接触せっしょく無論むろん性的せいてき関係かんけいつことを現在げんざい一切いっさいみとめていない。このため、仏教ぶっきょうりつ具足ぐそく)や清規しんぎなどのてらほうのみならず、僧尼そうにれいくに法律ほうりつ)によっても僧侶そうりょ異性いせいあいだせい交渉こうしょう女犯にょぼん犯罪はんざいとされ維新いしんまで厳重げんじゅう処罰しょばつされた。

ただし、このまりは時代じだいにより一貫いっかんしておらず、破戒はかいそう奈良なら時代じだい江戸えど時代じだいには、その時世じせい政治せいじてき背景はいけいもあって比較的ひかくてききびしくまられたのにたいし、鎌倉かまくら時代ときよ室町むろまち時代ときよまりがゆるく、僧侶そうりょであるにもかかわらず公然こうぜん妻帯さいたいもして俗人ぞくじんわらない生活せいかつおくものおおかった。つまり、このまりへは政治せいじりょくおおいに影響えいきょうしていた。

また、中国ちゅうごく天台宗てんだいしゅうさとしきょうせつ輸入ゆにゅうした日本にっぽん天台宗てんだいしゅう最澄さいちょうは、平安へいあん時代じだい女犯にょぼん一切いっさいきんじることもかれたりつ具足ぐそく)をはじ上座かみざ仏教ぶっきょう戒律かいりつすべ廃止はいし[1]大乗だいじょう仏教ぶっきょういましめである菩薩戒ぼさつかいえんひたぶる)のみをまもるようになった。菩薩戒ぼさつかいなどのみを受持うけもちする宗派しゅうはであれば、肉食妻帯にくじきさいたい菩薩戒ぼさつかいうえでは自律じりつであってより処罰しょばつされる他律たりつ対象たいしょうではないと解釈かいしゃくできた。

天台宗てんだいしゅうながれを鎌倉かまくら仏教ぶっきょうおおくの宗派しゅうはもこの方針ほうしんり、それら宗派しゅうはにおいては、女犯にょぼん自律じりつ対象たいしょうではあるけれども、菩薩戒ぼさつかいうえではより処罰しょばつされる他律たりつ対象たいしょうではなくなり、(清規しんぎなどのてらほう僧尼そうにれいなどのくに規制きせいはあったのだが)妻帯さいたいもして俗人ぞくじんわらない生活せいかつをする僧侶そうりょおおかった。

だからたとえば、一休宗純いっきゅうそうじゅんてら同棲どうせいしているが信者しんじゃから倫理りんりてき非難ひなんけていないし、また親鸞しんらんはそもそも戒の主張しゅちょうしゃ末法まっぽう)であるために肉食にくしょく妻帯さいたい問題もんだいもとより存在そんざいしなく、当然とうぜんのことではあるが非難ひなんはされていない。

女犯にょぼんたいするけい

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江戸えど時代じだい女犯にょぼん発覚はっかくしたそうてらちのそう遠島えんとう、そのそうさらされたうえ所属しょぞくするてらあづけられた。そのおおくがてらほうにしたがって、破門はもん追放ついほうになった模様もようである。

たとえば江戸えど市中しちゅうであれば、ふつう日本橋にほんばしで3日間にちかんにわたってのさらしとなっていた。寛政かんせい8ねん8がつ16にちには67にん(69にんとも)の女犯にょぼんそうが、天保てんぽう12ねん3がつには48にん女犯にょぼんそうさらじょうならばされたという。また文政ぶんせい7ねん8がつには、新宿しんじゅく女郎じょろういにったことが発覚はっかくした僧侶そうりょ6にんが、日本橋にほんばしさらされたと記録きろくされている。さらには、他人たにんつまわらわ姦通かんつうした女犯にょぼんそうは、身分みぶん上下じょうげにかかわらず、死罪しざいのうえ獄門ごくもんけいしょされた。

ただし、肉食妻帯にくじきさいたいたりまえであった浄土真宗じょうどしんしゅう規制きせい対象たいしょうがいばっせられなかった[2]

妻帯さいたい自由じゆう

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長年ながねんわた日本にっぽんでは法律ほうりつ禁止きんしされている状況じょうきょうつづいたが、明治維新めいじいしんにあたって、国家こっか神道しんとう政策せいさく影響えいきょうもあり、1872ねん明治めいじ5ねん)に太政官だじょうかん布告ふこく133ごう発布はっぷされて僧尼そうにれい廃止はいしされ、僧侶そうりょ肉食にくしょく妻帯さいたいはこの布告ふこくをもって自由じゆうであるとされた。当時とうじすで浄土真宗じょうどしんしゅう以外いがいにも妻帯さいたいしていたそう多数たすう存在そんざいしたといわれるが、これにたいしては戒律かいりつ復興ふっこう運動うんどうなどの反対はんたいこった[3]

仏教ぶっきょう伝来でんらい以来いらいくに為政者いせいしゃ寺院じいん多大ただい助成じょせいをしていたが(寺院じいん役所やくしょでもあった)、それがなくなり、寺院じいん現在げんざいのように自活じかつ運営うんえいをすることとなって、妻帯さいたい兼業けんぎょうなどをしなければ運営うんえいできなくなった。戦後せんご日本にっぽんでは僧侶そうりょ妻帯さいたい当然とうぜんのこととみなされ、住職じゅうしょくたる僧侶そうりょ子息しそくみずからの地位ちいがせることを門徒もんとだん信徒しんとから期待きたいされることはおおく、また、くに経済けいざい宗教しゅうきょう信仰しんこう減少げんしょう、そして宗教しゅうきょう法人ほうじんほう所得しょとく税法ぜいほう労働ろうどう基準きじゅんほうなど諸々もろもろ法規ほうき影響えいきょうにより、妻帯さいたい兼業けんぎょうをせずに寺院じいん宗教しゅうきょう法人ほうじん運営うんえいをするてらかぎられたものとなっている。

ちゅう出典しゅってん

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  1. ^ 大乗だいじょう仏教ぶっきょう菩薩戒ぼさつかいには、(上座かみざ仏教ぶっきょう戒律かいりつではなく)大乗だいじょう仏教ぶっきょういましめである菩薩戒ぼさつかいもっぱ受持うけもちするようにかれていることを根拠こんきょとする。
  2. ^ 大澤おおさわ絢子あやこ浄土真宗じょうどしんしゅうの「妻帯さいたい宗風しゅうふう」はいかに確立かくりつしたか : 江戸えどにおける僧侶そうりょ妻帯さいたいたいする厳罰げんばつ親鸞しんらんでん言説げんせつをめぐって」『日本にっぽん研究けんきゅうだい49かん国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター、2014ねん3がつ、27-56ぺーじdoi:10.15055/00000427ISSN 0915-0900NAID 120005681382 
  3. ^ さかはなわ宣政のぶまさ明治めいじ初期しょき肉食妻帯にくじきさいたいについて (だいななかい日蓮宗にちれんしゅう教化きょうかがく研究けんきゅう発表はっぴょう大会たいかい)」『現代げんだい宗教しゅうきょう研究けんきゅうだい41ごう日蓮宗宗務院にちれんしゅうそうむいん、2007ねん3がつ、638-643ぺーじISSN 02896974 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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