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金剛こんごうさとし

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金剛こんごうさとし奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん所蔵しょぞう真言しんごんはちぞう』のうち)

金剛こんごうさとし(こんごうち、: Vajrabodhi[1]671ねん - 741ねん9月29にちひらきもと29ねん8がつ15にち[2])は、音訳おんやくではばつ菩提ぼだいといい、中国ちゅうごく密教みっきょう祖師そしであり、ひらくもとさんだい一人ひとりである。わけけいそうでもある。おもに『きむつよしいただきけいけい密教みっきょうつたえた。真言しんごんはちなかでは、「づけほうはち」でだい、「つてはち」ではだいさんとする。

生涯しょうがい

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金剛こんごうさとしは、みなみインドよりゆき耶(マラヤ)こく現在げんざいケーララしゅうのあたり)のひとで、バラモンたねまれである。10さいときナーランダ僧院そういんはい出家しゅっけした。寂静じゃくじょうさとしした文法ぶんぽうがく声明せいめい)をまなんだ。15さいとき西にしインドにゆうかたし、4年間ねんかんかけてほうしょう(ダルマキールティ)の論理ろんりがく因明いんみょう)にかんする著作ちょさくまなび、ナーランダ僧院そういんもどった。20さいとき具足ぐそく戒をけた。

その6年間ねんかん大乗だいじょう小乗しょうじょう各種かくしゅ戒律かいりつまなび、『般若はんにゃとうろん』『ひゃくろん』『じゅうもんろんとうろんしょをも学習がくしゅうした。28さいときカピラじょうかい、かつけんろんいて『瑜伽ゆがろん』『唯識ゆいしきろん』『べんちゅうあたりろん』をまなんだ。

3ねんて31さいときみなみインドにかい、りゅういつき菩薩ぼさつ弟子でしであるりゅうさとしいて、7ねんあいだ師事しじし、りゅうさとししたで『きむつよしいただき瑜伽ゆがけい』『毘盧遮那るしゃなそう陀羅尼だらに法門ほうもんとう密教みっきょう経典きょうてんまなんだ。また、各種かくしゅ五明ごみょうろんしょをもまなび、なみ灌頂けた。あらわみつおくむねたっした金剛こんごうさとしは、師父しふであるりゅうさとしもとして、ちゅうインドにもどった。

そのみなみインドがだい旱魃かんばつおちいったとき、その国王こくおうもとめにおうじて、金剛こんごうさとしふたたみなみインドをおとずれ請雨をおこなった。その国王こくおう金剛こんごうさとしのために寺院じいん建立こんりゅうした。3ねん金剛こんごうさとしスリランカかいアヌラーダプラこく(スリランカ)のおう厚遇こうぐうけたのちふつふつあしせきなどのふつあと巡拝じゅんぱいした。もどったのち東方とうほうかう準備じゅんびはじめた。

中国ちゅうごく

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みなみインドの国王こくおう使者ししゃ派遣はけんして金剛こんごうさとし護送ごそうさせ、なみ数多すうた経典きょうてんや梵夾、数多すうた珍宝ちんぽうたずさえさせた。海路かいろよりスリランカ・ジャワひとし、20あまりこくて、艱難辛苦かんなんしんくて、3ねんて、719ねんひらくもと7ねん)に、つい広州こうしゅう到達とうたつした。とき節度せつど使すうひゃくそうふね派遣はけんして出迎でむかえた。

翌年よくねん720ねん)のはじめ、東都とうと洛陽らくよう到達とうたつした。そのりょうきょうつてきょうにつとめた。前後ぜんごしてだい慈恩寺じおんじだいこもぶくてらせいてらなどの大寺おおてらで、あるいはだんじょう建立こんりゅうし、あるいは経典きょうてん翻訳ほんやくし、また、よんしゅみちびけした。

741ねんひらくもと29ねん)、帰国きこくおもったがやめいにたおれ、洛陽らくようぼっした。おくりなだいひろきょう三蔵さんぞう743ねん天宝てんぽう2ねん)、西にしりゅうもんとう建立こんりゅうした。

わけちょ

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  • きむつよしいただき瑜伽ゆが中略ちゅうりゃく念誦ねんじゅけい』(すなわち『瑜伽ゆが念誦ねんじゅほう』)4かん
  • 『七倶胝仏母准提大明陀羅尼経』(すなわち『なな倶胝陀羅尼だらに』)1かん
  • 曼殊まんしゅしつこころ陀羅尼だらに』1かん
  • かん自在じざい瑜伽ゆが法要ほうよう』1かん
  • きむつよしいただきけい瑜伽ゆが修習しゅうしゅう盧遮那るしゃなさんほう』1かん
  • 『千手千眼観世音菩薩大身咒本』1かん
  • 『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心』1かん
  • 陀羅尼だらに咒本』1かん
  • 不動ふどう使者ししゃ陀羅尼だらに秘密ひみつほう』1かん

法嗣ほうし

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 小野塚おのづかいくきよし金剛こんごうさとし」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)」、小学しょうがくかん
  2. ^ としちょうつてこう』(『だい日本にっぽん仏教ぶっきょう全書ぜんしょ 113: ゆうかたでん叢書そうしょ だい1かん』(仏書ぶっしょ刊行かんこうかい、1915ねん)p.61)

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 東京とうきょうだい広福寺こうふくじ金剛こんごう三蔵さんぞうとうめいじょ
  • 貞元さだもと新定しんじょう釈教しゃっきょう目録もくろくまき14
  • そう高僧こうそうでんまき1
  • 岡崎おかざきひそかじょう金剛こんごうさとし三蔵さんぞう伝記でんきこう」(『密宗みっしゅうがくほう』9,11)
  • 塚本つかもと俊孝としたか中国ちゅうごくける密教みっきょう受容じゅようについて:つていれたるぜんかしこ金剛こんごうさとし不空ふくう時代じだい」(『仏教ぶっきょう文化ぶんか研究けんきゅう』2、1952ねん
  • 加藤かとう精一せいいち金剛こんごうさとしやく経典きょうてん仏身ぶっしんかん」(『密教みっきょうがく』13,14、1977ねん
  • 岩崎いわさき日出男ひでおもりおおとりやや撰述せんじゅつ金剛こんごうさとし三蔵さんぞう和尚おしょう』の逸文いつぶんについて」(『アジア文化ぶんか思想しそう儀礼ぎれい福井ふくい文雅ぶんが博士はかせ古稀こき記念きねん論集ろんしゅう』、2005ねん