愛染明王
概説
[異名
[『
また『瑜祇
密 号
[尊容 と信仰
[また、『瑜祇
なお
愛染明王 の功徳
[本 誓 と功徳
[いわゆる
燃 え盛 る日輪 を「織 盛 日輪 」と言 い、日輪 は仏 のもつ無上 の浄 菩提心 を表 し、燃 え盛 る炎 は智 火 が煩悩 に基 づく執着 や愛欲 をことごとく焼 き尽 くし、その「愛染 三昧 」の禅定 が不退転 となる仏 の勇猛 心 であることを表 している。頭上 に獅子 の冠 を頂 き、髪 の毛 を逆立 てて怒髪 天 を突 くさまを表 すのは、百獣 の王 である獅子 が吼 えるとあらゆる猛獣 もすぐに静 かになる譬 えのように、憤怒 の怒 りの相 と獅子吼 によって諸々 の怨敵 を降伏 して、一切衆生 を救済 することを表 している。冠 の上 に五 鈷鉤が突 き出 ているのは、衆生 の本有 (ほんぬ)の五智 を呼 び覚 まして、邪欲 を捨 てさせて正 しい方向 へと導 くことを意味 し、愛染明王 の大 愛 [注 5]が衆生 の心 に染 み入 り、仏法 の真実 を体得 せしめることを表 している。一 面 三 目 で身体 が赤色 であり、その身 を五 色 の華鬘 で荘厳 する点 は、三 つの眼 は法 身 と般若 と解脱 を意味 し、世俗 面 においては仁愛 と知恵 と勇気 の三 つの徳 を表 す。身体 が赤 く輝 いているのは、愛染明王 の大 愛 と大 慈悲 とがその身体 からあふれ出 ていることを意味 し、五色 の華鬘 でその身 を荘厳 するのは、五智 如来 の持 つ大悲 の徳 を愛染明王 もまたその身 に兼 ね備 えていることを意味 し、両 耳 の横 から伸 びる天 帯 [注 6]は、「王 三昧 」に安住 して如来 の大法 である真理 の教 えを聞 くことを表 している。六 臂 として手 が六 本 あるのは、六道 輪廻 の衆生 を救 う意味 をもつ。また、左右 の第 一 手 は二 つで「息災 」を表 していて、左手 の五 鈷鈴は、般若 の智恵 の音 と響 きにより衆生 を驚愕 させて、夢 の如 きこの世 の迷 いから覚醒 させることを表 し、右手 の五 鈷杵は、衆生 に本有 の五智 を理解 し体得 させて、愛染明王 の覚 りへと到達 せしめることを表 している。[11]左右 の第 二 手 は二 つで「敬愛 」と「融和 」とを表 していて、左手 の弓 と右手 の矢 (箭 )は、二 つで一 つの働 きをするので、この世 の人々 が互 いに協力 して敬愛 と和合 の精神 を重 んじ、仏 の教 えを実践 する菩薩 としての円満 な境地 に至 ることを意味 している。また、愛染明王 の弓矢 は、大悲 の矢 によって衆生 の心 にある差別 や憎 しみの種 を射 落 とし、菩提心 に安住 せしめることを意味 し、そして矢 は放 たれるとすぐに目標 に到達 することから、愛染明王 への降魔 や除 災 、男女 の縁結 び[12]における祈念 の効果 が早 く現 れることをも表 している。左右 の第 三 手 は二 つで人生 の迷 いや煩悩 による苦 しみの世界 を打 ち払 う「増益 」と「降伏 」とを表 していて、左手 に拳 を握 るのは、その手 の中 に摩 尼 宝珠 を隠 し持 っていて、これは衆生 が求 めるあらゆる宝 と財産 や、生命 を育 むことを意味 していて、右手 の赤 い未 敷 蓮華 (みふれんげ)は、それらの衆生 の財産 や生命 を奪 おうとする「四 魔 」[注 7][14]に対 して、大悲 の鞭 を打 ち振 るい、魔 を調伏 することを表 している。愛染明王 が座 っている紅蓮 の蓮華 座 は、「愛染 三昧 」の瞑想 から生 じる大 愛 の境地 を実現 させた密教 的 な極楽浄土 を意味 していて、その下 にある宝 瓶 は、仏法 の無限 の宝 である三宝 を醸 し、経 と律 と論 の三蔵 を蔵 することを表 している。また、その周囲 に宝珠 や花弁 が乱舞 するのは、愛染明王 が三宝 の無尽蔵 の福徳 を有 することを意味 している。
愛染明王 十 二 大願
[智慧 の弓 と方便 の矢 を以って、衆生 に愛 と尊敬 の心 を与 えて、幸運 を授 ける。悪 しき心 を加持 して善 因 へと転換 し、衆生 に善果 を得 せしめる。貪 り・怒 り・愚 かさの三 毒 の煩悩 を打 ち砕 いて、心 を浄化 し、浄 信 (菩提心 )を起 こさしめる。衆生 の諸々 の邪 まな心 や、驕慢 の心 を離 れさせて、「正 見 」へと向 かわせる。他人 との争 いごとの悪縁 を断 じて、安穏 に暮 らせるようにする。諸々 の病苦 や、天災 の苦難 を取 り除 いて、信心 する人 の天寿 を全 うさせる。貧困 や飢餓 の苦悩 を取 り除 いて、無量 の福徳 を与 える。悪魔 や鬼神 ・邪神 による苦 しみや、厄 (やく)を払 って、安楽 に暮 らせるようにする。子孫 の繁栄 と、家運 の上昇 、信心 する人 の一家 を守 って、幸福 の縁 をもたらす。前世 の悪業 (カルマ)の報 いを浄化 するだけでなく、信心 する人 を死後 に極楽 へ往生 させる。女性 に善 き愛 を与 えて良 い縁 を結 び、結婚 後 は善根 となる子供 を授 ける。女性 の出産 の苦 しみを和 らげ、その子 のために信心 すれば、子供 には福徳 と愛嬌 を授 ける。
種 字 ・印 ・真言
[種 字
[印
[愛染明王 根本 印 [16]
真言
[- オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ・バザラサトバ・ジャク・ウン・バン・コク[18]
- Oṃ mahārāga vajroṣṇīṣa vajrasattva jaḥ hūṃ vaṃ hoḥ[19]
- ウン・タキ・ウン・ジャク (
一 字 心 明 )[2]
- ウン・タキ・ウン・ジャク・シッジ[20]
愛染明王 の起源
[愛染明王 と不動明王
[ちなみに、
寺院
[愛染明王 を本尊 とする寺院
愛染 堂 (勝 鬘 院 )(大阪 市 天王寺 区 ) -聖徳太子 建立 の四天王寺 四箇 院 の一 つ、併 せて豊臣 秀吉 奉納 の大日 大勝 金剛 を祀 ることでも知 られている。西国 愛染 十 七 霊場 第 1番 札所 。金 剛 三昧 院 (和歌山 県 高野 町 ) -北条 政子 所縁 の寺 。源 頼朝 の念持仏 である愛染明王 を祀 る。本尊 は国 の重要 文化財 で、西国 愛染 十 七 霊場 第 17番 札所 。舎 那 院 (滋賀 県 長浜 市 ) -本尊 は鎌倉 時代 の作 で国 の重要 文化財 。豊臣 秀吉 が奉献 したとされる。愛染 院 (東京 都 練馬 区 ) -本尊 の愛染明王 像 は秘仏 。光明山 愛染 院 日曜 寺 (東京 都 板橋 区 ) -地元 の染物 業者 の信仰 対象 となっている。愛染明王 堂 (静岡 県 下田 市 ) -鶴岡 八幡宮 寺 旧 蔵 、伝 ・仏師 運慶 の作 。駒形山 妙 高 寺 (新潟 県 小千谷 市 ) -源 頼朝 の家臣 田中 義 房 の守護 仏 とされ、直江 兼 続 も戦勝 を祈願 したと伝 える愛染明王 坐像 (重要 文化財 )を本尊 とする。像 自体 は檜 の寄木 造 りで、鎌倉 時代 の作 。
- その
他 、愛染明王 を祀 る代表 的 な寺院
西大寺 (奈良 県 奈良 市 ) -重要 文化財 の愛染明王 像 は善 円 の作 。京都 御所 の近衛 公 政所 御殿 を移築 した愛染 堂 に安置 。西国 愛染 十 七 霊場 第 13番 札所 。久 修 園 院 (大阪 府 枚方 市 ) -伝 ・宗 覚 律師 作 の高 さ6尺 (約 2メートル)の愛染明王 坐像 は日本 最大 級 の像 例 。西国 愛染 十 七 霊場 第 12番 札所 。神護 寺 (京都 市 右京 区 ) -重要 文化財 の愛染明王 像 は仏師 康 円 の作 。神童 寺 (京都 府 木津川 市 ) -天 弓 愛染 像 。覚園寺 (鎌倉 市 二階堂 ) -愛染 堂 の愛染明王 坐像 は鎌倉 時代 後期 の作 。長 雲寺 (長野 県 千 曲 市 稲荷山 ) -重要 文化財 の愛染明王 像 は、寛文 13年 (1673年 )京都 の仏師 久七 作 。放 光 寺 (山梨 県 甲州 市 ) -重要 文化財 の愛染明王 坐像 は平安 時代 の作 。天 弓 愛染明王 では日本 最古 の像 と言 われる。赤岩 寺 愛染 堂 (豊橋 市 多米 町 ) -重要 文化財 の木造 愛染明王 坐像 は、鎌倉 時代 末期 の作 とされる。青 龍 寺 本堂 右 脇 陣 (高知 県 土佐 市 ) -重要 文化財 の木造 愛染明王 坐像 は、鎌倉 時代 の作 とされる。永安 寺 (石川 県 金沢 市 )-境内 山頂 に日本 最大 級 の愛染明王 像 (約 10メートル)6月 に柴 燈 大 護摩 供養
美術館 等
[細見 美術館 -絹本 著 色 「愛染明王 像 」(図像 として日本 最古 のもの:12世紀 )、平安 時代 。五島 美術館 -木造 「愛染明王 像 」(伝 、鶴岡 八幡宮 寺 旧 蔵 :1265年 以前 の作 )、鎌倉 時代 。奈良 国立 博物館 -木造 「愛染明王 像 」(重要 文化財 :1276年 、仏師 快 成 作 )、鎌倉 時代 。東京 国立 博物館 -木造 厨子 入 「愛染明王 坐像 」(13世紀 -14世紀 )&厨子 絵 、鎌倉 時代 。根津 美術館 -絹本 著 色 「愛染 曼荼羅 図 」。絹本 著 色 「愛染明王 像 」(図像 :13世紀 -14世紀 )、後醍醐天皇 の宸筆 あり。- MOA
美術館 -絹本 著 色 「愛染明王 像 」(図像 、京都 の愛染 院 に伝来 :1327年 頃 の作 )。 - ボストン
美術館 -絹本 著 色 「如来 荒神 曼荼羅 図 」。
脚注
[注釈
[- ^
木村 秀明 は『幻 化 網 タントラの諸 尊 』の中 で「吒枳王 」を愛染明王 であるとしている。[3] - ^ 『
白 宝 口 抄 』には「離 愛 金剛 は即 ち愛染明王 なり」としている。 - ^ 『
白 宝 口 抄 』(びやくほうくしょう)は『白 宝 口 鈔』とも表記 し、13世紀 に東寺 の観 智 院 ・亮 禅 と宝 蓮華寺 ・亮 尊 による共著 として、真言 密教 における事相 と図像 の百科 事典 であり、167巻 からなる。亮 禅 は西院 流 の能 禅 より伝法 灌頂を受 け、後 に東寺 の二 長者 (にのちょうじゃ)をつとめ、1279年 には東寺 の菩提 院 の開山 となった人物 。 - ^
他 に福井 県 小浜 市 の円照寺 が所蔵 する立像 があるが、当初 は千手観音 として造 像 されたものであることが判明 している [7]。 - ^
一口 に「愛欲 」と言 うが、世俗 における愛 や欲 を密教 の智慧 の炎 である智 火 によって浄化 し、それらが昇華 されて仏 智 に基 づく働 きとなったものを「大 愛 」または「大欲 」という。なお、ここで言 う「大欲 」とは、大 楽 思想 で知 られる『理 趣 経 』等 に説 かれるものを指 している。 - ^
両 耳 の脇 から前方 に伸 びるケープ状 の装飾 。一般 に、身体 に掛 かる羽衣 を天 衣 と呼 び、こちらは天 帯 という。 - ^ 「
四 魔 」とは、五蘊 魔 ・煩悩 魔 ・死魔 ・天魔 の四 つをいう[13]。 - ^ 吒枳はṬaki[2]。
- ^ 『三尊合行秘次第』は、
別名 『一二寸合行秘次第』ともいう。 - ^
円光寺 は、開基 の時 の名称 は「常 福 寺 」という。
出典
[- ^ a b c
真鍋 俊 照 「愛染明王 」 -日本 大 百科全書 (ニッポニカ) - ^ a b c d
那須 政隆 『瑜伽 大 教 王 経 所説 の曼荼羅 について』(智 山 学 報 )、pp.49-50、1937年 。 - ^ 「『
幻 化 網 タントラの諸 尊 』曼荼羅 の構成 尊 」、pp.121-122。 - ^
川崎 一洋 『大 理 国 時代 の密教 における八 大 明王 の信仰 』(密教 図像 第 26号 )、pp.55-56。 - ^ a b 『
密教 大 辞典 』、「愛染明王 」、p5。 - ^ 『
図説 真言 密教 のほとけ』、「愛染明王 」、p137、p140、pp.145-146。 - ^
福井 県立 若狭 歴史 博物館 に依 る。 2023年 5月 4日 閲覧 - ^
紀 野 一義 著 「愛染明王 」、『十 七 佛 浄土 』(光風 出版 社 )、pp218-220。 - ^ 【イチから
分 かる】直江 兼 続 「信義 ある智将 」に残 る謎 (3/4ページ)産経 ニュース 2009.5.6 - ^ 『
愛染明王 (国宝 )御 由来 記 ・御 縁 記 ・御 霊験 記 』(駒形山 妙高 寺 )、pp.3-6。 - ^ それぞれの
持物 については『愛染明王 を彫 る』(淡 交社)、pp.59-63、pp.96-103を参照 のこと。 - ^
紀 野 一義 著 「愛染明王 」、『十 七 佛 浄土 』(光風 出版 社 )、p218。 - ^
榎本 正明 「魔 」 -新 纂浄土宗 大 辞典 - ^
紀 野 一義 著 「愛染明王 」、『十 七 佛 浄土 』(光風 出版 社 )、pp217-218。 - ^ 『
西国 愛染 十 七 霊場 巡礼 』(朱鷺 書房 )、序文 pp.3-4。 - ^ a b 『
印 と真言 の本 』、学研 、2004年 2月 、p.118。 - ^ 綜芸
舎 編集 部 『梵字 入門 』 綜芸舎 1967年 p21 - ^
正木 晃 『密教 の聖 なる呪文 』ビイング・ネット・プレス、2019年 、p162 - ^ a b
坂内 龍雄 「真言 陀羅尼 」、平河 出版 社 、2017年 4月 第 30刷 、p.210。 - ^ a b
坂内 龍雄 「真言 陀羅尼 」、平河 出版 社 、2017年 4月 第 30刷 、p.375。 - ^ 『
密教 経 軌の説 く金剛 薩埵の研究 』(永田文昌堂 )、「3、『降 三 世 儀 軌における金 剛 薩埵』」、pp.271-281。 - ^ 『
理 趣 経 の研究 』(密教 文化 研究所 )、「別冊 」、pp.5-11。 - ^ 「『
文観 著作 聖教 の再 発見 』三 尊 合 行法 のテクスト布置 とその位相 」(名古屋大学 文学 研究 科 )、p120。 - ^ 「『
密教 工芸 』神秘 のかたち」(奈良 国立 博物館 )、p17-図版 10、p62-図版 10、p63-図版 11。 - ^ 『
両頭 愛染 曼荼羅 の成立 に関 する一 考察 』(印度 學 佛教 學 研究 :第 六 十 巻 第 二 号 )、pp.615-618。 - ^ 『
高野 山 』(総本山 金剛峯寺 )、p21。
参考 文献
[那須 政隆 著 『瑜伽 大 教 王 教 所説 の曼荼羅 について』、智 山 学 報 (新 第 11巻 )、昭和 12年 (1937年 )刊 。木村 秀明 著 「『幻 化 網 タントラの諸 尊 』曼荼羅 の構成 尊 」、密教 学 研究 (第 21号 )、1989年刊 。川崎 一洋 著 『大 理 国 時代 の密教 における八 大 明王 の信仰 』、密教 図像 (第 26号 )、平成 19年 (2007年 )刊 密教 大 辞典 編纂 会 遍 「『密教 大 辞典 』 -縮刷 版 - 」、法蔵館 、昭和 62年 (1987年 )刊 。田村 隆 照 著 『図説 真言 密教 のほとけ』、朱鷺 書房 、1990年刊 。平岡 龍 人 著 『密教 経 軌の説 く金剛 薩埵の研究 』、永田文昌堂 、平成 24年 (2012年 )刊 。静 慈園編 『弘法大師 空海 と唐 代 密教 』、法蔵館 、2005年刊 。鍵 和田 聖子 著 「『両頭 愛染明王 の成立 に関 する一 考察 』金 胎不二 の図像 的 表現 を中心 に」、印度 學 佛教 學 研究 第 六 十 巻 第 二 号 、平成 24年 (2012年 )刊 。水原 堯栄著 『邪教 立川 流 の研究 』、全 正 舎 書籍 部 、1923年刊 。水原 堯栄著 『邪教 立川 流 の研究 』、日本 仏教 新聞 社 、昭和 33年 (1958年 )刊 。[上記 の再 版本 ]水野 堯栄著 『邪教 立川 流 の研究 』、富山 書店 、昭和 43年 (1968年 )刊 。[上記 の復刊 ]
真鍋 俊 照 著 『邪教 ・立川 流 』、筑摩書房 、1999年刊 。真鍋 俊 照 著 『邪教 ・立川 流 』(ちくま学芸 文庫 )、筑摩書房 、2002年刊 。[上記 の再 版本 ]