ミトラきょう

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ミトラスしん浮彫うきぼり 2-3世紀せいきルーヴル美術館びじゅつかん
おすうしほふるミトラスしん2人ふたりわきさむらいしんカウテス、カウトパテス。ルーヴル美術館びじゅつかんランス別館べっかん所蔵しょぞう

ミトラきょうまたはミトラスきょうまたはミスラスきょう英語えいご: Mithraism)は、古代こだいローマ隆盛りゅうせいした、太陽たいようしんミトラス(ミスラス)を主神しゅしんとする密儀みつぎ宗教しゅうきょうである。

ミトラスきょう古代こだいインドイラン共通きょうつうするミスラかみミトラ)の信仰しんこうであったものが、ヘレニズム文化ぶんか交流こうりゅうによって地中海ちちゅうかい世界せかいはいったのちかたちえたものとかんがえられることがおおい。 紀元前きげんぜん1世紀せいきにはおすうしほふるミトラスしん地中海ちちゅうかい世界せかいあらわれ、紀元きげん2世紀せいきまでにはミトラきょうとしてよくられる密儀みつぎ宗教しゅうきょうとなった。マ帝国まていこく治下ちか1世紀せいきより4世紀せいきにかけて興隆こうりゅうしたとかんがえられている。しかし、その起源きげん実体じったいについては不明ふめい部分ぶぶんおおい。

近代きんだいになってフランツ・キュモン英語えいごばんはじめてミトラスきょうかんする総合そうごうてき研究けんきゅうおこない、ミトラスきょうしょうアジア起源きげんせつとなえたが、現在げんざいではキュモンの学説がくせつ支持しじされていない。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ミトラスきょうおすうしほふるミトラスしん信仰しんこうする密儀みつぎ宗教しゅうきょうである。信者しんじゃ下級かきゅうそうで、一部いちぶ例外れいがいのぞけばおも男性だんせい構成こうせいされた。信者しんじゃ組織そしきは7つの位階いかいつ(だいがらす花嫁はなよめ兵士へいし獅子ししペルシアじん太陽たいよう使者ししゃちち)。また、入信にゅうしんには試練しれんをともなう入信にゅうしんしきがあった。

ミトラスきょうプルタルコスの「ポンペイウスつて」によって紀元前きげんぜん60ねんごろにキリキア海賊かいぞく宗教しゅうきょうとして存在そんざいしたことがられているが[1]マ帝国まていこく確認かくにんされるミトラスきょう遺跡いせきはイランではまった確認かくにんされていないため、2世紀せいきごろまでの発展はってんはほとんどあきらかではない。しかしミトラスきょうは2世紀せいきごろマ帝国まていこくない現在げんざいられているのとほぼおな姿すがたあらわれると、キリスト教きりすときょう伸長しんちょうにともなって衰退すいたいするまでのやく300年間ねんかん、その宗教しゅうきょう形態けいたいをほとんど変化へんかさせることなく帝国ていこく広範囲こうはんい信仰しんこうされた。

キュモン以降いこう、ミトラスきょうはインド・イランに起源きげんするミトラスしんや、7かいの1つペルシアじんをはじめとするイランてき特徴とくちょう初期しょき下級かきゅう兵士へいし中心ちゅうしん信仰しんこうされたという軍事ぐんじてき性格せいかくから、古代こだいイランのミスラ信仰しんこう起源きげん宗教しゅうきょうかんがえられてきた。しかし両者りょうしゃあいだには宗教しゅうきょう形態けいたいてんおおきな相違そういてんがあり、古代こだいイランにおけるミスラはイランを守護しゅごする民族みんぞくかみであり、公的こうてき国家こっかてきかみだったが、マ帝国まていこくにおけるミトラスきょう下級かきゅうそう中心ちゅうしんとした神秘しんぴてきてき密儀みつぎ宗教しゅうきょうかみであり、公的こうてきであるどころか信者しんじゃ以外いがいには信仰しんこう全容ぜんようまった秘密ひみつにされた宗教しゅうきょうであったし、民族みんぞくてき性格せいかくだっした世界せかいてき救済きゅうさい宗教しゅうきょうとしての素質そしつそなえていた。こうした宗教しゅうきょうとしての根本こんぽんてきなちがいは研究けんきゅうしゃにとってなやみのたねであり、現在げんざいではキュモンのようにイランのミスラ信仰しんこうから直接的ちょくせつてき発展はってんしたととらえることは困難こんなんとされている。しかしミトラスきょうのイラン起源きげんまった否定ひていすることもできず、ミトラスきょう黎明れいめい教祖きょうそないし宗教しゅうきょう改革かいかくしゃ存在そんざいしたことを想定そうていする研究けんきゅうしゃもいる[2]

他方たほうエルネスト・ルナン有名ゆうめいな1せつによって[3]、ミトラスきょうキリスト教きりすときょう有力ゆうりょくなライバルであり、マ帝国まていこく国教こっきょう地位ちいあらそったほどのだい宗教しゅうきょうだったとする過度かど評価ひょうか現在げんざい根強ねづよい。「しかし現実げんじつでは信徒しんと集団しゅうだんはせいぜい100ほどの人間にんげんしかあつまらなかったことを考慮こうりょれておかなくてはならない。したがって、あるときには100しょほどのひじりしょ存在そんざいしたローマにおいてさえ、信徒しんとかずいちまんにもたなかったのである」とミルチア・エリアーデはべている。[4]

さらにキリスト教きりすときょうとの類似るいじからキリストきょうしょ特徴とくちょうがミトラスきょう由来ゆらいするというせつろんじられることもおおい。宗教しゅうきょうとの比較ひかくというてんでは、日本にっぽんでは以前いぜんから大乗だいじょう仏教ぶっきょう弥勒みろく信仰しんこうがインド・イランのミスラ信仰しんこう由来ゆらいすることがろんじられてきたが、宗教しゅうきょう形態けいたいちがいから、むしろ近年きんねんではミトラスきょう比較ひかくされることがある[5]

ミトラスきょう[編集へんしゅう]

古代こだいインド・イランのミスラ信仰しんこう[編集へんしゅう]

元々もともと、ミトラスしんは、古代こだいインド・イランのアーリアじん共通きょうつう地域ちいきんでいた時代じだいまでさかのぼるふるかみミスラ(ミトラ)であり、イラン、インドのりょう地域ちいきにおいて重要じゅうようかみであった。とくに『リグ・ヴェーダ』においてはアーディティヤかみぐんいちはしらであり、魔術まじゅつてきヴァルナかみたいをなす、契約けいやく約束やくそくかみだった。アーリアじんにおけるこのかみ重要じゅうようせいをよくしめしているのがヒッタイトミタンニとのあいだわされた条約じょうやくぶんであり、そこにはヴァルナ、インドラアシュヴィンそうかみといったかみ々とともにミスラの名前なまえげられている[6]

その、インドにおいてはミスラの重要じゅうようせい低下ていかしたが、イランではたか人気にんきほこり、重要じゅうよう役割やくわりち、多数たすうかみ々のなかでも特殊とくしゅ位置付いちづけであった。ゾロアスター宗教しゅうきょうかんちがいからアフラ・マズダーのみを崇拝すうはいすべきとかんがえてミスラをはじめとするおおくのかみ々を排斥はいせきしたが、のちゾロアスターきょう中級ちゅうきゅうしんヤザタとしてれられ、ひく位置いちづけられはしたが、『アヴェスター』に讃歌さんかヤシュト英語えいごばん)をゆうした。ゾロアスターきょう浸透しんとうしていたアケメネスあさペルシアでは、それまでアフラ・マズダーの信仰しんこうだけがみとめられていたが、紀元前きげんぜん5世紀せいきごろアルタクセルクセス2せいはミスラを信仰しんこうすることをおおやけ許可きょかした。さらにゾロアスターきょうサーサーンあさペルシア(226ねん-651ねん)の国教こっきょうとなると英雄えいゆうしん太陽たいようしんとしてひろ信仰しんこうされた[7]

キリキアからローマへ[編集へんしゅう]

ミトラスきょうかんする最古さいこ記録きろくプルタルコスの「ポンペイウスでん」である。これによるとポンペイウス時代じだい紀元前きげんぜん106ねんまえ48ねん)、ミトラスきょうキリキア海賊かいぞくたちが信仰しんこうした密儀みつぎ宗教しゅうきょうなかでもとく重要じゅうようなものだった。海賊かいぞくたちはミトリダテス6せい支援しえんし、広範囲こうはんいにわたって海賊かいぞく行為こういはたらいたため[1]ぜん67ねん、ポンペイウスによって掃討そうとうされた。

プルタルコスとどう時代じだい詩人しじんスタティウスの91ねんごろ作品さくひんである『テーバイス』(1・719-720)にはミトラスきょうについて言及げんきゅうしている箇所かしょがあるが、その内容ないよう後世こうせいのミトラスしんせいうしきょう同一どういつのものである。このてんからミトラスしんせいうしきょう神話しんわがこの時代じだいにすでに成立せいりつしていたことがわかる。しかし79ねんヴェスヴィオス火山かざん噴火ふんかほろびたポンペイからはミトラスきょう遺跡いせき発見はっけんされていないことから[8]、この時点じてんではミトラスきょうはまだイタリアにつたわっていなかったとなす研究けんきゅうしゃもいる[9]。いずれにせよ、150ねんごろマ帝国まていこくない姿すがたあらわしたミトラスきょうはまたたく全土ぜんどひろがり、やがてローマ皇帝こうていたちも個人こじんてきではあったが関心かんしんしめすようになった。

発展はってん衰退すいたい[編集へんしゅう]

コンモドゥスみかど在位ざいい180ねん-192ねん)はローマ皇帝こうていはじめてミトラスきょう儀式ぎしき参加さんかした皇帝こうていとされ、オスティア皇帝こうていりょう一部いちぶ寄進きしんした[10]。この時代じだい、ミトラスきょう考古学こうこがく資料しりょう増大ぞうだいし、なかにはぞくしゅうでコンモドゥスみかどのためにミトラスに奉納ほうのうしたむねつたえる碑文ひぶん発見はっけんされている。ルキウス・セプティミウス・セウェルスみかど在位ざいい193ねん-211ねん)の宮廷きゅうていにはミトラスきょう信者しんじゃがいた。

しかし250ねんごろからディオクレティアヌスみかど統治とうちはじまる284ねんごろまでのあいだはミトラスきょう遺跡いせき激減げきげんする。これはダキアゲルマン民族みんぞく侵入しんにゅうして帝国ていこく北方ほっぽう地域ちいき荒廃こうはいしたためである[11]ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス在位ざいい270ねん-275ねん)は、マ帝国まていこくないしょ宗教しゅうきょう太陽たいようしんソル・インヴィクトスのもとに統一とういつしようとしたが、これはミトラスしんではない。太陽たいよう神殿しんでんあとからはミトラスきょう碑文ひぶん発見はっけんされているが、それはコンモドゥスみかど時代じだいのものである[12]。その、ディオクレティアヌスみかど在位ざいい284ねん-305ねん)は共同きょうどう統治とうちしゃとともにマ帝国まていこく庇護ひごしゃである不敗ふはい太陽たいようしんミトラス(Dio Soli invicto Mithrae Fautor)に祭壇さいだんきずいた。

しかしこの時代じだいぎるとミトラスきょう衰退すいたいかった。ディオクレティアヌスやガレリウスキリスト教きりすときょう迫害はくがいしたが、つづ大帝たいていコンスタンティヌス1せい在位ざいい306ねん-337ねん)はキリスト教きりすときょう公認こうにんし(313ねん)、325ねんニカイアこう会議かいぎ主導しゅどうさいしてはキリスト教きりすときょう洗礼せんれいけた。この時代じだい以降いこう、ミトラス神殿しんでんキリスト教徒きりすときょうとによって襲撃しゅうげきされるようになり、実際じっさいにオスティアの神殿しんでんの1つやローマのサンタ・プリスカ教会きょうかい地下ちかから発見はっけんされた大神おおがみ殿どのなどには破壊はかいあとがみられる。各地かくち碑文ひぶん減少げんしょうし、増長ぞうちょうするキリスト教会きょうかい特権とっけんはいして古代こだいかみ々の復権ふっけんはかった皇帝こうていユリアヌス在位ざいい361ねん-363ねん)の治下ちかでは増加ぞうかするが、それはいちだいのわずかな期間きかんにすぎず[13]、5世紀せいきごろには消滅しょうめつしてしまった。

ミトラスきょう図像ずぞう [編集へんしゅう]

おすうしほふるミトラス(2世紀せいきごろ)。だいえい博物館はくぶつかん所蔵しょぞう
獅子頭ししがしらしん人間にんげんからだ獅子ししあたまと、背中せなかつばさ姿すがたえがかれる。またそのからだにはへびいている。バチカン美術館びじゅつかん所蔵しょぞう

ミトラスきょう図像ずぞうおもおすうしほふるミトラスいわからまれるミトラス獅子頭ししがしらしんられている。またミトラスしん物語ものがたりえがいたミトラスしん一代記いちだいきばれる一連いちれん図像ずぞうぐんがある。

おすうしほふるミトラス[編集へんしゅう]

この図像ずぞうはミトラスしんによるせいうしきょう場面ばめんえがいている。ミトラスしんはペルシアふう衣装いしょうつつんでおり、おすうし背中せなかりかかってひだりひざをつきながら、右足みぎあしおすうしうしあしさえつけている。その左手ひだりておすうし鼻面はなづらをつかみ、右手みぎておすうしけんてている。傷口きずぐちからあふれるにはいぬへびが、またおすうしはらしたではサソリおすうし生殖せいしょくびかかっている。ミトラスしん両側りょうがわには松明たいまつった2人ふたりわきさむらいしんカウテースとカウトパテースがはべり、またそれ以外いがいにも太陽たいようつき四方しほうふう十二宮じゅうにきゅうカラスなどのシンボルをともなう。

この図像ずぞうせいうしきょうによって生命せいめいりょく解放かいほうされるさまをえがいていることから、ミトラスきょう豊穣ほうじょう崇拝すうはい密接みっせつ関係かんけいがあるとかんがえられる。これはミトラスきょう図像ずぞうなかもっと重要じゅうようなもので、ミトラスきょう神殿しんでんいたりひじりしょ中央ちゅうおうかならずこの図像ずぞう配置はいちされ、そのまえ儀礼ぎれいおこなわれた[14]

獅子頭ししがしらしん[編集へんしゅう]

この獅子頭ししがしらつばさった貌の神像しんぞうはこれまでにやく40たいほど発見はっけんされているが[15]、それにもかかわらずかみめいや、ミトラスきょうにおいてどのような役割やくわりつのか、文献ぶんけんによる証言しょうげんをはじめミトラスきょう碑文ひぶんまったあらわれていないために、いまもってその正体しょうたい不明ふめいである。キュモンのせつではこのかみ時間じかんかみクロノスサトゥルヌスであり、イランのかみズルヴァーン由来ゆらいするという[15]

これにたいしてアンラ・マンユとするせつもある。ミトラスきょう碑文ひぶんにはわずか5れいながらアリマニウス(Arimanius)なるかみめいあらわれているが[16]、これはプルタルコスが『イシスとオシリス』においてオロマスデス(アフラ・マズダー)の敵対てきたいしゃとしてげているかみアンラ・マンユである。しかしミトラスきょう碑文ひぶんのアリマニウスがたしてイランにおける悪神あくじんアンラ・マンユとおな性格せいかくつのか、したがってミトラス教徒きょうと悪魔あくま崇拝すうはいをしたか、またゾロアスターきょうてき対立たいりつ構造こうぞうっていたのか疑問ぎもんのこる。ミトラスしんがイランのミスラとはことなっているように、アリマニウスもまたヘレニズムてき変化へんかげていたとかんがえられる[17]

碑文ひぶんはいずれもアリマニウスをかみとしてみとめていることがうかがえ、とくにローマ、ヨークアクインクムから出土しゅつどしたものはアリマニウスに誓願せいがんして神像しんぞう奉納ほうのうしたむねしるされている。この獅子頭ししがしら神像しんぞう碑文ひぶんのアリマニウスであるという明確めいかく証拠しょうこはないが、ヨークから発見はっけんされた碑文ひぶん頭部とうぶいた神像しんぞうともなっており、くび部分ぶぶんには獅子ししのたてがみをおもわせるものがのこっている[18]

信者しんじゃ信者しんじゃ組織そしき[編集へんしゅう]

ミトラスきょう信者しんじゃそうがいして下層かそう人間にんげん中心ちゅうしんとしていた。初期しょき信者しんじゃ下級かきゅう兵士へいしたちであり、そこから軍人ぐんじんたちや、商人しょうにん職人しょくにんたちに信者しんじゃていった。後期こうきには宮廷きゅうていじん入信にゅうしんしゃあらわれ、さらに皇帝こうていたちからも関心かんしんた。女性じょせい入信にゅうしんしゃ例外れいがいのぞけばほとんどられないことから、原則げんそくとして女人にょにん禁制きんせいであったとかんがえられる。信者しんじゃ組織そしき神官しんかんしょく(アンティステス、サケルドス)と7つの位階いかいちち太陽たいよう使者ししゃ、ペルシアじん獅子しし兵士へいし花嫁はなよめだいがらす)にぞくする入信にゅうしんしゃたちで構成こうせいされ、これ以外いがいにも入信にゅうしんをしていない一般いっぱん信者しんじゃたちがいた。入信にゅうしん希望きぼうしゃには目隠めかくしのうえできびしい試練しれんてき性格せいかく入信にゅうしん儀式ぎしきせられた。(入信にゅうしんしようとするものかんむりあたえられるが、ミトラが「かれ唯一ゆいいつおうである」とべて、それを辞退じたいしなければならないということがわかっている。つぎに、かれあかけたてつがくしるしをつけられるか(テルトゥリアヌス「異端いたんしゃたちへの抗弁こうべんよん〇)、のともったたいまつできよしめられる(ルキアヌス「メニッポス」なな)[4]昇級しょうきゅう条件じょうけん不明ふめいである。信者しんじゃたちはまどのない神殿しんでん非公開ひこうかい儀式ぎしき礼拝れいはい参加さんかしたが、宗教しゅうきょうたいしては排他はいたてきではなく、宗教しゅうきょう祭礼さいれい皇帝こうてい崇拝すうはいにも参加さんかしたらしい。積極せっきょくてき布教ふきょう活動かつどうをしなかったため、キリストきょうけたような弾圧だんあつはミトラスきょうつうじてけることはなかった。

神官しんかんしょく[編集へんしゅう]

オスティアのミトラスきょう遺跡いせき発掘はっくつされたモザイク。7かいのシンボルがえがかれている。
アンティステス
サケルドス

位階いかい[編集へんしゅう]

ミトラス教徒きょうとの7かいはそれぞれ太陽系たいようけいほし守護神しゅごじんとした。またシンボリックな象徴しょうちょうぶつがあり、たとえばオスティアの「フェリキッシムスのミトラス神殿しんでん」のゆかめんのモザイクには7かい象徴しょうちょうぶつえがかれている[19]以下いかかく位階いかいについて説明せつめいする。

ちち(パテル, pater)
守護神しゅごじん土星どせいサートゥルヌス)。シンボルは錫杖しゃくじょう指輪ゆびわ。7かいのうちさい上位じょうい位置いちし、下位かい信者しんじゃたちの指導しどうしゃてき立場たちばにある。ちち神官しんかんしょくになることもできた。碑文ひぶんでは「ちちであり神官しんかんしょくアンティステスであるものがいた。また「ちち」のなかもっと上位じょういにあたる「ちちちち」とばれるものもいた[20]
太陽たいよう使者ししゃ(ヘリオドロモス, heliodromus)
守護神しゅごじん太陽たいようソール)。シンボルは 光背こうはい、ムチ。原義げんぎは「太陽たいようの(helio)・走路そうろ(dromus)」。
ペルシアじん(ペルセス, perses)
守護神しゅごじんつきルーナ)。シンボルはつきやっとこかま。この位階いかいめいはミトラスきょう存在そんざいするオリエント要素ようその1つである。
獅子しし(レオ, leo)
守護神しゅごじん木星もくせいユーピテル)。シンボルは燃料ねんりょうようざら、シストルム(ガラガラ)、かみなり獅子しし仮面かめんをつける。「獅子しし入信にゅうしんのさいには「兵士へいしものによってハチミツささげられた。ポルピュリウスの『妖精ようせいたちの洞窟どうくつ』(15)によると「兵士へいし」のつクラテールのなか少量しょうりょうのハチミツがみずかれ、それを「獅子ししものそそぐことできよしめとした。このため「獅子ししものはメリクリスス(ハチミツをそそがれたもの)という戒名かいみょうものがいたという[21]
兵士へいし(ミリス, miles)
守護神しゅごじん火星かせいマールス)。シンボルは背嚢はいのうやりかぶと。「兵士へいしは7かいちゅう下位かい召使めしつかやくえんじる3かいさい上位じょういにあたり、上位じょういの4かい奉仕ほうしした。また「獅子しし入信にゅうしんさいにはきよしめの儀式ぎしきおこなった。この位階いかいめいはキュモンによってミトラスきょう軍事ぐんじてき性格せいかくしめすものとされたが、実際じっさい豊饒ほうじょう女神めがみ信仰しんこう由来ゆらいし、豊饒ほうじょう女神めがみせんしんてき側面そくめん象徴しょうちょうするものであるらしい[22]
花嫁はなよめ(ニュンフス, nymphus)
守護神しゅごじん金星かなぼしウェヌス)。シンボルは松明たいまつかがやかんむり、ランプ。シリアドゥラ・エウロポスのミトラスきょう資料しりょうでは12にんの「花嫁はなよめ隠者いんじゃられている[23]。ローマのサンタ・プリスカ教会きょうかいde:Santa Prisca地下ちかのミトラス神殿しんでんから発見はっけんされた壁画へきがには、花嫁はなよめようのヴェールをまとった「花嫁はなよめ信者しんじゃがランプを姿すがたえがかれており、そこには「金星きんぼし守護しゅごける花嫁はなよめたちにさかえあれ」という碑文ひぶんされている。また4世紀せいき前半ぜんはんユリウス・フィルミクス・マテルヌス英語えいごばんの『異端いたん誤謬ごびゅうろん』(19・1)では「花嫁はなよめものおこな儀式ぎしき典礼てんれいについてべられている[24]
だいがらす(コラクス, corax)
守護神しゅごじん水星すいせいメルクリウス)。シンボルは酒杯しゅはいつえ(カドゥケウス)。だいからす仮面かめんをつける。最下位さいかい位置いちするカラスは、かみ々の使者ししゃメルクリウスの代理だいりとしての役割やくわりがある。

ミトラスきょう遺跡いせき[編集へんしゅう]

2013ねんおこなわれたえいロンドン考古学こうこがく博物館はくぶつかん考古学こうこがくチームがおこなったロンドン中心ちゅうしん金融きんゆうがいにあるビル建設けんせつ予定よてい発掘はっくつ調査ちょうさでは、1954ねんにミトラきょう寺院じいん遺跡いせき発掘はっくつされ、1960年代ねんだい再建さいけんされていたが、これを解体かいたいして発掘はっくつだった場所ばしょ発掘はっくつした。ミトラきょう寺院じいんはブルームバーグの新社屋しんしゃおく完成かんせいした時点じてん再建さいけんされ、発掘はっくつつかった出土しゅつどひん一般いっぱん展示てんじされた。[25]


ミトラスきょうとキリストきょう[編集へんしゅう]

初期しょきキリスト教きりすときょうとミトラスきょうとの関係かんけいせいのアイデアは、キリストきょうの「まじわりの」を「悪魔あくまてき模倣もほうする」ミトラス教徒きょうと非難ひなんした2世紀せいきキリスト教きりすときょう著述ちょじゅつユスティノス一時いちじ感想かんそうもとにしている[26]。これをもとにエルネスト・ルナンは1882ねんに、ふたつの宗教しゅうきょうをライバルとして描写びょうしゃをした。「もしキリスト教きりすときょう成長せいちょうがいくつかの致命ちめいてきやまいによっておくらせられていたなら、世界せかいはミトラス教化きょうかされていただろう」[3]エドウィン・M・ヤマウチ英語えいごばんはルナンの著作ちょさくについて「刊行かんこうされたのは150ねんちかまえのこと、典拠てんきょたる価値かちない。かれ(ルナン)はミトラスきょうについてほんのわずかしからない…」とコメントしている[27]

ミトラスと処女しょじょからの誕生たんじょう[編集へんしゅう]

ミトラス教学きょうがくしゃではないジョセフ・キャンベルはミトラスの誕生たんじょうをイエスのそれのような処女しょじょからの誕生たんじょうであると記述きじゅつした[28]かれはその主張しゅちょうに、古代こだい出典しゅってんあたえていない。どの古代こだい原典げんてんにおいてもミトラスが処女しょじょからまれたとはかんがえられていない。むしろ、洞窟どうくついわから自然しぜん目覚めざめている[29]Mithraic Studies では、ミトラスは堅固けんごいわなかから大人おとな姿すがたまれてきたとべられている。「プリュギア帽子ぼうしこうむり、いわかたまりからしょうじた。いままでのところではまだかれしのどうえない。めいめいのかれともされた松明たいまつたかかかげる。風変ふうがわりな細部さいぶとして、ペトラ・ゲネトリクス(ははなるいわ)からかれまわりにあかほのおる」[30]。デイヴィッド・ウランジーはこれが鍾乳洞しょうにゅうどうまれたとするペルセウス神話しんわから着想ちゃくそうされた信仰しんこうであると推測すいそくする[31]

ミトラスと12月25にち[編集へんしゅう]

マ帝国まていこく時代じだい12月25にち冬至とうじ)にはナタリス・インウィクティとばれる祭典さいてんがあった。この祭典さいてんは、ソル・インウィクトゥス(不敗ふはい太陽たいようしん)の誕生たんじょうまつるものである。このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係かんけいをミトラス教徒きょうとがどうかんがえていたかは、当時とうじ碑文ひぶんから明白めいはくである。碑文ひぶんには「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」としるされており、ミトラス教徒きょうとにとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。ミトラス教徒きょうと太陽たいようしんミトラスが冬至とうじに「ふたたまれる」という信仰しんこうをもち、冬至とうじいわった(みじかくなりつづけていたひる時間じかん冬至とうじさかいながくなっていくことから)。

現代げんだいにおいて、12月25にち一般いっぱんイエス・キリスト誕生たんじょうとされキリスト教きりすときょう祭日さいじつクリスマス」として認識にんしきされている。しかし、これはキリスト教きりすときょうひろがる過程かてい前述ぜんじゅつまつり吸収きゅうしゅうしたのちけの習慣しゅうかんである。『新約しんやく聖書せいしょ』にイエス・キリストがまれた日付ひづけ時季じきしめ記述きじゅつはなく、キリストきょうかく宗派しゅうはにおいてもクリスマスはあくまで「イエス・キリストの降誕こうたん記念きねんいわ祭日さいじつ」としており、このをイエス・キリストの誕生たんじょう認定にんていしているわけではない。

ミトラスと救済きゅうさい[編集へんしゅう]

ローマのサンタ・プリスカ教会きょうかいにあるミトラス神殿しんでん遺跡いせきかべかれた文章ぶんしょう、et nos servasti . . . sanguine fuso (そしてあなたはわれらをすくう……ながされたによって)の意味いみははっきりしていない。だけれども、のいかなる出典しゅってんでもミトラスの救済きゅうさいについて言及げんきゅうはしておらず、おそらくミトラスによってころされたうしをさしている。

ロバート・ターカンによると[32]、ミトラスの救済きゅうさい個々ここたましいにおける世界せかいてき運命うんめいにはほとんど関与かんよしなかったが、邪悪じゃあくちから相対そうたいする、創造そうぞう宇宙うちゅうてき闘争とうそうへの人間にんげん参加さんかについてのゾロアスターきょう様式ようしきには存在そんざいしていた[33]

ミトラスと十字じゅうじのしるし[編集へんしゅう]

テルトゥリアヌスはミトラスの信奉しんぽうしゃかれらのがく様々さまざま方法ほうほうしるしをつけていたといている。ここにはそれがじゅうか、烙印らくいんか、刺青しせいか、不変ふへんしるしであるのかというほのめかしは一切いっさい[34]

中世ちゅうせいキリスト教きりすときょう美術びじゅつなかのミトラスきょうモチーフ[編集へんしゅう]

18世紀せいきまつからいくにんかの著述ちょじゅつたちが、中世ちゅうせいキリスト教きりすときょう美術びじゅつしょ要素ようそにミトラスきょうのモチーフの反映はんえいがあると示唆しさした[35]。 そのなかにはフランツ・キュモンもいた。しかしかれはいくつかの要素ようそわせやそれらが様々さまざま方法ほうほうキリスト教きりすときょう美術びじゅつむすびつくかとは関係かんけいなく各々おのおののモチーフを研究けんきゅうした[36]。キュモンは異教いきょうたいする教会きょうかい大勝たいしょうのち芸術げいじゅつたちが元来がんらいミトラスからられた蓄積ちくせきされたイメージを『聖書せいしょ』の馴染なじみのあたらしい物語ものがたりにあてはめたのだとった。「仕事場しごとばけ」は初期しょきキリスト教徒きりすときょうと美術びじゅつ異教いきょう美術びじゅつはなはだしくっていたことと「服装ふくそう姿勢しせいでの少数しょうすう変更へんこう異教いきょう背景はいけいキリスト教きりすときょう美術びじゅつ変化へんかさせた」ことを意味いみした[37]

以来いらい一連いちれん学者がくしゃたちが中世ちゅうせいロマネスク美術びじゅつにあるミトラスきょうモチーフの有意ゆうい類似るいじせいについて議論ぎろんしている[38]フェルマースレンドイツばん同様どうよう影響えいきょうただひとたしかなれいは、ほのおのようなうまかれた戦車せんしゃり、てんのぼっていくエリヤのイメージであるとべた[39]。デマンは孤立こりつした要素ようそ比較ひかくするのは無益むえきであり、わせが研究けんきゅうされるべきだとべた。またかれはイメージの類似るいじは、思想しそう影響えいきょうであるか技法ぎほうじょう伝統でんとうであるかを我々われわれおしえることはいと指摘してきした。それからかれはミトラスきょうモチーフに類似るいじする中世ちゅうせいのモチーフのリストをあたえたが、それらが主観しゅかんてきであることを理由りゆう結論けつろんすことを拒否きょひした[40]

弥勒みろく信仰しんこうおよび マイトレーヤ信仰しんこうとの関係かんけい[編集へんしゅう]

ミスラはクシャーナあさではバクトリアかたちのミイロ(Miiro)とばれ、この語形ごけい弥勒みろく語源ごげんになったとかんがえられ[41]クシャーナあさでの太陽たいようしんミイロは、のちの未来みらいほとけ弥勒みろく形成けいせい影響えいきょうおよぼす[42]。ミイロの神格しんかく太陽たいようしんであるということ以外いがい不明ふめいであるが、定方さだかたあきらマニきょう影響えいきょうなども考慮こうりょして、救世主きゅうせいしゅてき側面そくめんがあったのではないかと推測すいそくしている。[よう出典しゅってん]

松本まつもと文三郎ぶんざぶろう仮説かせつでは、このような比較ひかく神話しんわがくおよび比較ひかく言語げんごがく系統けいとう分析ぶんせきによって、ミトラきょう神話しんわ体系たいけい仏教ぶっきょうでは菩薩ぼさつとしてれられ、マイトレーヤをじくとした独特どくとく終末しゅうまつろんてきな「弥勒みろく信仰しんこう」が形成けいせいされたとする[43]

参照さんしょう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b プルタルコス「ポンペイウスでん」24。
  2. ^ M・P・ニルソン、E・ウィル、A・D・ノック、メルケルバッハ。
  3. ^ a b Renan, E., Marc-Aurele et la fin du monde antique. Paris, 1882, p. 579: "On peut dire que, si le christianisme eût été arrêté dans sa croissance par quelque maladie mortelle, le monde eût été mithriaste."
  4. ^ a b Eliade, Mircea, 1907-1986. (1991-). Sekai shūkyōshi. Araki, Michio, 1938-, Nakamura, Kyōko, 1932-, Matsumura, Kazuo, 1953-, 荒木あらき美智雄みちお, 1938-, 中村なかむら恭子きょうこ, 1932-, 松村まつむら一男かずお, 1953- (Shohan ed.). Tōkyō: Chikuma Shobō. ISBN 4480340017. OCLC 122731802. https://www.worldcat.org/oclc/122731802 
  5. ^ 小川おがわ、リトン、p.62~63。
  6. ^ ジョルジュ・デュメジルかみ々の構造こうぞう』p.60-62、165。
  7. ^ 岡田おかだ明憲あきのり『ゾロアスターきょう』p.43、180-181。
  8. ^ フェルマースレン、邦訳ほうやく、p.32。
  9. ^ 小川おがわ、リトン、p.175。
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  11. ^ ヴィカンデル、邦訳ほうやく、p.204。
  12. ^ 小川おがわ、リトン、p.182。
  13. ^ ヴィカンデル、邦訳ほうやく、p.133によれば末期まっきすう年間ねんかん
  14. ^ 小川おがわ、リトン、p.36。
  15. ^ a b 小川おがわ、リトン、p.231。
  16. ^ 小川おがわ、リトン、p.229。
  17. ^ 小川おがわ、リトン、p.230-231。
  18. ^ 小川おがわ、リトン、p.229-230。
  19. ^ 小川おがわ、リトンの図版ずはんp.5-6を参照さんしょう
  20. ^ 小川おがわ、リトン、p.197。
  21. ^ 小川おがわ、リトン、p.239。
  22. ^ 小川おがわ、リトン、p.302、312。
  23. ^ 小川おがわ、リトン、p.129。
  24. ^ 小川おがわ、リトン、p.67。
  25. ^ ロンドン金融きんゆうがいでローマ時代じだい遺物いぶつ発見はっけん工芸こうげいひんなど1まんてん
  26. ^ Justin Martyr, First Apology, ch. 66: "For the apostles, in the memoirs composed by them, which are called Gospels, have thus delivered unto us what was enjoined upon them; that Jesus took bread, and when He had given thanks, said, "This do ye in remembrance of Me, this is My body; "and that, after the same manner, having taken the cup and given thanks, He said, "This is My blood; "and gave it to them alone. Which the wicked devils have imitated in the mysteries of Mithras, commanding the same thing to be done. For, that bread and a cup of water are placed with certain incantations in the mystic rites of one who is being initiated, you either know or can learn."
  27. ^ Edwin M. Yamauchi cited in Lee Strobel, The Case for the Real Jesus, Grand Rapids, MI: Zondervan, 2007, p.175
  28. ^ Campbell, Joseph (1964). The Masks of God: Occidental Mythology. Viking Press  pp. 260–61.
  29. ^ Professor Edwin Yamauchi cited in Reinventing Jesus Daniel Wallace, p. 242
  30. ^ Mithraic Studies: Proceedings of the First International Congress of Mithraic Studies. Manchester U. Press, 1975, p. 173
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  33. ^ Beck, Roger, Merkelbach's Mithras, p.301-2
  34. ^ Tertullian, De praescriptione haereticorum 40: "if my memory still serves me, Mithra there, (in the kingdom of Satan, ) sets his marks on the foreheads of his soldiers; celebrates also the oblation of bread, and introduces an image of a resurrection, and before a sword wreathes a crown."
  35. ^ Deman, A. (1971). Hinnells, John R.. ed. “Mithras and Christ: Some Iconographical Similarities,” in Mithraic Studies, vol. 2. Manchester University Press  pp. 507–17. p.507
  36. ^ Deman, A. (1971). Hinnells, John R.. ed. “Mithras and Christ: Some Iconographical Similarities,” in Mithraic Studies, vol. 2. Manchester University Press  pp. 507–17. p.508
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  39. ^ Vermaseren, M.J (1963). Mithras: The Secret God. Chatto & Windus  pp. 104–6.
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  41. ^ 岡田おかだ明憲あきのり『ゾロアスターの神秘しんぴ思想しそう講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ松本まつもと文三郎ぶんざぶろう前掲ぜんけいしょ前田まえだ耕作こうさくきょぞう風景ふうけい インド古道ふるみち大仏だいぶつたち』 中公新書ちゅうこうしんしょ 1986ねんどう『バクトリア王国おうこく興亡こうぼう ヘレニズムと仏教ぶっきょう交流こうりゅう原点げんてん』 レグルス文庫ぶんこだいさん文明ぶんめいしゃ 1992ねん
  42. ^ フェルマースレン『ミトラスきょう山本やまもと書店しょてん、『古代こだい秘教ひきょうほん学研がっけん、1996ねん
  43. ^ 松本まつもと文三郎ぶんざぶろう弥勒みろく浄土じょうどろん極楽浄土ごくらくじょうどろん』 平凡社へいぼんしゃ東洋文庫とうようぶんこ 2006ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • マニきょう - ミトラきょうおなじく一定いってい勢力せいりょくっていたが消滅しょうめつした宗教しゅうきょう