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法界寺ほうかいじ

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法界寺ほうかいじ

阿弥陀堂あみだどうひだり手前てまえ)と薬師堂やくしどう右手みぎておく
所在地しょざいち 京都きょうと京都きょうと伏見ふしみ日野西大道ひのにしだいどうまち19
位置いち 北緯ほくい3456ふん2.96びょう 東経とうけい13548ふん53.7びょう / 北緯ほくい34.9341556 東経とうけい135.814917 / 34.9341556; 135.814917座標ざひょう: 北緯ほくい3456ふん2.96びょう 東経とうけい13548ふん53.7びょう / 北緯ほくい34.9341556 東経とうけい135.814917 / 34.9341556; 135.814917
山号さんごう 東光とうこうさん
宗派しゅうは 真言宗しんごんしゅう醍醐だいご
寺格じかく 別格べっかく本山ほんざん
本尊ほんぞん 薬師やくし如来にょらい秘仏ひぶつ重要じゅうよう文化財ぶんかざい
創建そうけんねん ながうけたまわ6ねん1051ねん
開山かいさん つて最澄さいちょう
開基かいき 日野ひのぎょう
正式せいしきめい 東光とうこうさん法界寺ほうかいじ
別称べっしょう 日野ひの薬師くすし
ちち薬師くすし
札所ふだしょとう 西国さいごく薬師くすしよんじゅうきゅう霊場れいじょうだい38ばん
通称つうしょうてらかい日野ひの薬師くすし
文化財ぶんかざい 阿弥陀堂あみだどう木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう国宝こくほう
本堂ほんどう木造もくぞう薬師如来やくしにょらい立像りつぞう木造もくぞうじゅう二神にかみすすむ立像りつぞう阿弥陀堂あみだどうない装飾そうしょく重要じゅうよう文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 5130005002164 ウィキデータを編集
法界寺の位置(京都市内)
法界寺
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薬師堂やくしどう
阿弥陀堂あみだどう
阿弥陀堂あみだどう平面へいめん
もっとも外側そとがわはしられつかいばしら、そのいちあいだ内側うちがわほうあいだあいだ×あいだ)がしゃ、その内側うちがわの4ほんはしらよんてんばしら
阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう

法界寺ほうかいじ(ほうかいじ)は、京都きょうと伏見ふしみ日野西大道ひのにしだいどうまちにある真言宗しんごんしゅう醍醐だいご別格べっかく本山ほんざん寺院じいん山号さんごう東光とうこうさん本尊ほんぞん薬師やくし如来にょらい開山かいさん伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょうとされている。藤原ふじわら一族いちぞくである日野ひのてらで、日野ひの薬師くすしあるいはちち薬師くすし別名べつめいられる。

歴史れきし

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法界寺ほうかいじ醍醐寺だいごじ南方なんぽう宇治うじとの境界きょうかいちかい、京都きょうと伏見ふしみ日野ひの所在しょざいする。日野ひのは『方丈ほうじょう』の著者ちょしゃである鴨長明かものちょうめいんだであり、親鸞しんらん生誕せいたんとしてもられる。かつて山城やましろこく宇治うじぐん日野ひのばれたこの日野ひの領地りょうちであった。日野ひの藤原ふじわらきた一族いちぞくで、儒学じゅがく歌道かどうをよくした家柄いえがらである。

平安へいあん時代じだい後期こうきながうけたまわ6ねん1051ねん)、もと文章ぶんしょう博士はかせのち出家しゅっけした日野ひのぎょうが、薬師やくし如来にょらい安置あんちするどうてたのが法界寺ほうかいじはじまりとされている。薬師如来像やくしにょらいぞう胎内たいないには、ぎょうから4だいまえいえ藤原ふじわらむねから代々だいだいつたわる、伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう自作じさくさんすん薬師くすしぞう納入のうにゅうしたという。

てら草創そうそう時期じきについてはべつつたえもある。すなわちいえむねひろしひとし13ねん822ねん)、最澄さいちょう自作じさく薬師くすしぞう本尊ほんぞんとし、最澄さいちょう開山かいさんとして一族いちぞくてらてたとするものである。

その平安へいあん後期こうき阿弥陀あみだ信仰しんこうたかまりや末法まっぽう思想しそう普及ふきゅうにともない、法界寺ほうかいじにも阿弥陀堂あみだどうてられた。当時とうじいくつかおどうがあったが、現存げんそんするのは阿弥陀堂あみだどうのみである。平安へいあん時代じだい後期こうき法界寺ほうかいじには、当時とうじ日記にっきとう記録きろく判明はんめいするだけですくなくとも5たい丈六じょうろく阿弥陀如来あみだにょらいぞう存在そんざいしたことがわかっている。現在げんざい阿弥陀堂あみだどう安置あんちされるぞうがそのうちのどれにたるかは判明はんめいしていない。

浄土真宗じょうどしんしゅう開祖かいそである親鸞しんらんは、うけたまわやす3ねん1173ねん)に日野ひのゆうはんとして法界寺ほうかいじまれたとされている。また、法界寺ほうかいじちかくには親鸞しんらん生誕せいたんにちなんで江戸えど時代じだい創建そうけんされた日野ひの誕生たんじょういんがある。

境内けいだい

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  • 薬師堂やくしどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
    本堂ほんどう1904ねん明治めいじ37ねん)、奈良ならけん斑鳩いかるがまち竜田たつたにあった伝燈でんとうてら本堂ほんどう移築いちくしたもの。むねさつから室町むろまち時代ときよ康正こうせい2ねん1456ねん)の建築けんちくだとかる。上述じょうじゅつ伝燈でんとうてら龍田たつた神社じんじゃ神宮寺じんぐうじであったが現在げんざい廃絶はいぜつしている。ほん瓦葺かわらぶきよせとうづくり内部ないぶ内陣ないじん格天井ごうてんじょう内陣ないじんおりじょう格天井ごうてんじょうである。本尊ほんぞん重要じゅうよう文化財ぶんかざい秘仏ひぶつ薬師やくし如来にょらい立像りつぞう平安へいあん時代じだい後期こうきさくたかさ88cm、さくらざい寄木よせぎづくりさくらざいもちいるのはこの時代じだいではめずらしい。右手みぎてほどこせかしこしるし左手ひだりて右手みぎてたかちかくまでげてくすりつぼつ。秘仏ひぶつだったため、着衣ちゃくいきりきん模様もようがよくのこっている。胎内たいないしょうぞうおさめていることから、胎児たいじ宿しゅく婦人ふじん姿すがたあるとして妊産婦にんさんぷからの信仰しんこうあつめ、安産あんざん授乳じゅにゅうのご利益りやくをもつ「ちち薬師くすし」としてふるくから信仰しんこうあつめている。現在げんざいも、薬師堂やくしどう格子戸こうしどには全国ぜんこく各地かくち母親ははおやからねがごとかれたよだれけが奉納ほうのうされ、どう内側うちがわえないほどである。わきさむらいとして日光にっこう菩薩ぼさつ月光げっこう菩薩ぼさつ鎌倉かまくら時代ときよさく)がおな厨子ずし安置あんちされている。厨子ずし正面しょうめんにはかがみけられているためひらかず、拝観はいかんよこからのみである。本尊ほんぞん安置あんちする厨子ずし左右さゆうにはさらに2つの厨子ずしがあり、鎌倉かまくら時代じだいじゅう二神にかみすすむぞうが6たいずつ安置あんちされている。ぞうだか60cmあまりのぞうであるが躍動やくどうかんみ、あたまにはそれぞれ十二支じゅうにしのをかたどったものいている(本尊ほんぞん十二神じゅうにしんしょうともに非公開ひこうかい)。薬師如来やくしにょらい立像りつぞう秘仏ひぶつであるが、2016ねん平成へいせい28ねん)4がつ29にちから同年どうねん5がつ8にちまで「京都きょうと非公開ひこうかい文化財ぶんかざい特別とくべつ公開こうかい」の一環いっかんとしてひらくとびらされ、新聞しんぶん報道ほうどうとうによれば、51ねんぶりの公開こうかいである[1][2][3]
  • 阿弥陀堂あみだどう国宝こくほう
    鎌倉かまくら時代じだい初期しょき建築けんちくうけたまわひさし3ねん1221ねん)の兵火へいか焼失しょうしつ、まもないころ建立こんりゅう推定すいていされる。かたあいだ間口まぐち奥行おくゆきともにはしらあいだかずが5あいだ)のしゃ(もや)の周囲しゅういに1あいだかい(もこし)をめぐらしたかたちで、屋根やねたからがたづくりピラミッドかたち)でひのきがわきである。かい屋根やね正面しょうめんがわ中央ちゅうおうさんあいだぶん一段いちだんたかげる。かい部分ぶぶんかべ建具たてぐれずはなちとする。しゃ正面しょうめんあいだともしとみ(しとみど)である。しゃ内部ないぶには国宝こくほう本尊ほんぞん阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう安置あんちし、本尊ほんぞんかこむようによんてんばしら方形ほうけいをなすように配置はいちされた4ほんはしら)がつのみであいだ仕切じきりはない。平面へいめん構成こうせい阿弥陀如来あみだにょらい周囲しゅうい人々ひとびとあるいてめぐりながら念仏ねんぶつとなえる常行つねゆき三昧ざんまいどう形式けいしきつたえる。しゃばしらよんてんばしらはしらすじ一致いっちせず、よんてんばしら外側そとがわ空間くうかんひろくとるてんにこのどう特色とくしょくがある。よんてんばしら表面ひょうめんや、はしらじょうしょうかべには創建そうけん当時とうじ絵画かいがのこ[4]
  • 鐘楼しゅろう
  • 庫裏くり
  • いけ
  • 大師堂だいしどう
  • 山門さんもん
  • 日野ひの廟所びょうしょ - 境内けいだいそとにある。日野ひの一族いちぞくはかならんでいる。

文化財ぶんかざい

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国宝こくほう

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  • 阿弥陀堂あみだどう
  • 木造もくぞう阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう - 11世紀せいきまつごろさく阿弥陀堂あみだどう本尊ほんぞんぞうだか2.8メートル。仏師ぶっしていあさ様式ようしきけたていあささま(よう)の阿弥陀あみだぞう典型てんけいてき作品さくひん

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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  • 本堂ほんどう
  • 木造もくぞう薬師やくし如来にょらい立像りつぞう
  • 木造もくぞうじゅう二神にかみすすむ立像りつぞう
  • 阿弥陀堂あみだどうない装飾そうしょく[5]
    • 阿弥陀如来あみだにょらいなみ坐像ざぞう 8めん
    • 飛天ひてん 10めん
    • 行火あんかしゃはなばん楽器がっき 5めん
    • たからしょうはなぶんきゅうがた)24めん
      • 以上いじょうかべちょしょく
    • 金剛こんごうかいしょみこと十二天じゅうにてん迦陵頻伽かりょうびんがぞうよんてんばしら)4ほん
      • 以上いじょういたちょしょく
内陣ないじん長押なげしじょうしょうかべえがかれた23めん阿弥陀如来あみだにょらいなみ坐像ざぞう8めん飛天ひてん10めん飛行ひこうしゃはなばん楽器がっき5めん)と、その上部じょうぶかべえがかれたたからしょうはなぶん24めんは、いたかべでなくかべえがかれた壁画へきがとして日本にっぽんにおける稀少きしょうれいの1つである。よんてんばしら仏壇ぶつだん周囲しゅういつ4ほんはしらす)にも、金剛こんごうかい曼荼羅まんだらしょふつや、十二天じゅうにてん迦陵頻伽かりょうびんがなどの絵画かいがのこっているが、剥落はくらく褪色たいしょくはなはだしい。

京都きょうと指定してい史跡しせき

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  • 法界寺ほうかいじ境内けいだい

京都きょうと登録とうろく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい

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  • 日野ひのはだかおど

年中ねんじゅう行事ぎょうじ

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日野ひのはだかおどり(1がつ14にち) - 阿弥陀堂あみだどう広縁ひろえんで、少年しょうねん青壮年せいそうねんの2くみわかれ、はだか両手りょうてわせて「いただきれいいただきれい」ともみ奇習きしゅう

前後ぜんご札所ふだしょ

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西国さいごく薬師くすしよんじゅうきゅう霊場れいじょう
37 浄瑠璃寺じょうるりでら - 38 法界寺ほうかいじ - 39 醍醐寺だいごじ
通称つうしょうてらかい日野ひの薬師くすし

所在地しょざいち・アクセス

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京都きょうと京都きょうと伏見ふしみ日野西大道ひのにしだいどうまち19

開門かいもん時間じかん

  • 9 - 17(10がつ - 3月は、9 - 16

交通こうつうアクセス

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 平成へいせい28年度ねんど 春期しゅんき京都きょうと非公開ひこうかい文化財ぶんかざい特別とくべつ公開こうかい 開催かいさい要項ようこう” (PDF). 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 京都きょうと古文こぶん保存ほぞん協会きょうかい (2016ねん). 2018ねん7がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん7がつ30にち閲覧えつらん
  2. ^ 京都きょうと法界寺ほうかいじはん世紀せいきぶりの秘仏ひぶつ 文化財ぶんかざい特別とくべつ公開こうかい朝日新聞あさひしんぶん、2016ねん4がつ26にち
  3. ^ 京都きょうと非公開ひこうかい文化財ぶんかざい特別とくべつ公開こうかい 国宝こくほう重文じゅうぶん、51ねんぶりの秘仏ひぶつも 29にちから10日間にちかん、17社寺しゃじ公開こうかい / 京都きょうと. 毎日新聞まいにちしんぶん (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ). (2016ねん4がつ27にち). https://mainichi.jp/articles/20160427/ddl/k26/040/437000c 2019ねん7がつ30にち閲覧えつらん 
  4. ^ 週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか 日本にっぽん国宝こくほう』73ごう、pp.85 - 86(解説かいせつ執筆しっぴつ平井ひらい俊行としゆき
  5. ^ 文化庁ぶんかちょう公式こうしきサイトの「くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース」では本件ほんけん名称めいしょうが「わたる陀堂ない装飾そうしょくいたちょしょく)」となっているが、「わたる陀堂」は「阿弥陀堂あみだどう」のあやまり。また、「いたちょしょく」のみでなく「かべちょしょく」の部分ぶぶんもある

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 井上いのうえやすし塚本つかもと善隆よしたか監修かんしゅう山崎やまざき正和まさかず岩城いわき秀雄ひでおちょ古寺ふるでら巡礼じゅんれい京都きょうと29 法界寺ほうかいじ』、あわ交社、1978ねん
  • 週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか 日本にっぽん国宝こくほう』73ごう三宝さんぼういん法界寺ほうかいじ歓喜かんきこうてら)、朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1998ねん
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 京都きょうと地名ちめい』、平凡社へいぼんしゃ
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 京都きょうと』、角川書店かどかわしょてん
  • 国史こくしだい辞典じてん』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん

外部がいぶリンク

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  • 法界寺ほうかいじ - 「親鸞しんらん聖人せいじんたずねて-浄土真宗じょうどしんしゅう そうせい軌跡きせき-」(真宗しんしゅう教団きょうだん連合れんごう
  • ウィキメディア・コモンズには、法界寺ほうかいじかんするカテゴリがあります。