智雄ともお(ちゆう、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう)は、奈良なら時代じだいの法相ほうしょう宗むねの僧そう。新しん羅らの出身しゅっしん。[要よう出典しゅってん]
703年ねん(大宝たいほう3年ねん)智さとし鳳おおとり・智さとし鸞らとともに入唐にっとうし、慈恩じおん大師だいし基もと(または窺基)の法ほう孫まごで法相ほうしょう第だい3祖その濮陽(ぼくよう)大師だいし智さとし周しゅうに師事しじして法相ほうしょう宗むねを学まなんだ。日本にっぽんにおいて法相ほうしょう宗むねを広ひろめ、日本にっぽん法相ほうしょう宗むねの第だい3伝つてとされている。
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