武蔵坊 弁慶
生涯
[前 中將 時 實 。侍從 良成 〔義經 同母 弟 。一條 大藏 卿 長 成男 〕伊豆 右 衛門 尉 有 綱 。堀 弥太郎 景 光 。佐藤 四郎 兵衛 尉 忠信 。伊勢 三郎 能 盛 。片岡 八郎 弘 經 。弁慶 法師 已 下 相 從 。彼此 之 勢 二 百 騎 歟云々 。
11月6
相 從 豫 州 之 輩 纔四 人 。所謂 伊豆 右 衛門 尉 。堀 弥太郎 。武藏 房 弁慶 并妾女 〔字 靜 〕一人 也。
と、
『
これら
創作 物 における弁慶
[誕生
[牛 若 との出会 い
[やがて、
義経 の忠臣
[その
なお、
能 ・歌舞伎
[花道 の出
[勧進 帳 の読 み上 げ
[ところが
打擲
[しかし「
主従 の述懐
[そして、
弁慶 ゆかりと伝 えられるもの
[弁慶 産屋 の楠 跡 (べんけいうぶやのくすのきあと)(三重 県 紀宝 町 )[3]紀宝 町 鮒田 地区 には弁慶 の生 まれたとされる屋敷 の庭 にあった楠 の跡 に石碑 を建 て、弁慶 の伝説 を伝 えている。弁慶 の墓 (岩手 県 平泉 町 )中尊寺 表参道 入口 前 の広場 に、竹垣 に囲 われた松 の生 えた塚 があり、その根本 に弁慶 の墓 と伝 わる五輪 塔 が立 っている[4]。傍 らには中尊寺 の僧 ・素 鳥 が詠 んだ「色 かへぬ松 のあるしや武蔵坊 」の句碑 が建 つ[4]。「伝 弁慶 墓 」の名 で、中尊寺 境内 の一 つとして特別 史跡 に指定 されている。弁慶石 (京都 府 京都 市 )中京 区 三条 通 麩 屋 町 東 入 (御幸 町 との間 )の歩道 脇 にある石 。男 の子 が触 ると力持 ちになるというい伝 えがある。この他 にも7つ、全国 で8つ弁慶 岩 と呼 ばれるものが存在 する。すべて弁慶 が平泉 に渡 る旅路 にあり、弁慶 が運 んだ、弁慶 が座 った、弁慶 が刀 で切 った、比叡山 から弁慶 が投 げ飛 ばしたなどの伝承 がそれぞれに残 っている。
弁慶 のお手玉 石 (同上 )丸 みのある岩 で、お手玉 代 わりに投 げたとされる。
弁慶 七 戻 り(茨城 県 つくば市 )筑波 山 の登山 道中 にある。大岩 の下 をくぐって通過 する箇所 において、岩 が落 ちないか弁慶 が何 度 も確認 したことに由来 する。弁慶 の手 掛 石 (長野 県 佐久 市 安原 )弁慶 が背負 った石 。手 を掛 けたとされる跡 や、縄 の痕跡 がある。弁慶 あぶみ石 (長野 県 佐久 市 下平尾 )弁慶 が浅間山 と平尾 山 に足 をかけ弓 を射 た足形 とされるものがある。弁慶 腰掛 の松 (長野 県 御代田 町 真 楽 寺 )弁慶 は寺 を参拝 した際 、松 の木 に腰 かけたという[5]。弁慶 塚 (神奈川 県 茅ヶ崎 市 、藤沢 市 )茅ヶ崎 市 の鶴 嶺 八幡宮 参道 脇 と藤沢 市 の常光寺 裏手 にある、弁慶 の墓 と伝 わる塚 。弁慶 の油 こぼし(山形 県 鶴岡 市 )羽黒山 にて、弁慶 があまりの勾配 に奉納 する油 をこぼしてしまったことによる[6]。弁慶 の足跡 (北海道 檜山 郡 江差 町 )義経 と共 に蝦夷 地 (現在 の北海道 )に逃 げ延 び、江差 にいたという伝説 が伝 わっており、江差 町 の鴎島 にある岩 の2つの窪 みが、弁慶 が付 けた「弁慶 の足跡 」と伝 えられている[7]。弁慶 の力石 (同上 )上記 の「弁慶 の足跡 」とともに「義経 伝説 」として、現在 の江差 町 ・鴎島 の鴎島 灯台 下部 あたりに、同 じ鴎島 にある瓶子 岩 とほぼ同 じ10mほどの大 きさの巨石 がかつてはあり、弁慶 が鍛錬 に使 っていたといわれていたが、昭和 9年 (1934年 )の函館 大火 の日 に発生 した高波 でさらわれたと伝 えられている[7]弁慶 の土俵 跡 (北海道 寿都 郡 寿都 町 )同町 字 政泊 町 にあり、アイヌの力 自慢 と相撲 を取 った場所 とされ、石碑 と案内 板 の設置 がある[8]。近辺 の岬 は「弁慶岬 」と呼 ばれ、「武蔵坊 弁慶 」の銅像 が建 ち、設置 されている灯台 も「弁慶岬 灯台 」と名付 けられている[9]。弁慶 の刀 掛 岩 (北海道 岩内 郡 岩内 町 )雷電 海岸 にある雷電岬 の岩 の一部 が刀 掛 のような形 をしている物 。「義経 伝説 」として、逃 げ延 びてこの地 に来 て休息 を取 っていた弁慶 が、腰 の太刀 が邪魔 になったことからこの場所 の岩 の一部 を自慢 の力 でひねってそこに太刀 を掛 けて置 いたという話 が伝 えられている[10][11]。現在 は国道 229号 の「刀 掛 トンネル」 - 「カスペトンネル」の間 が弁慶 の刀 掛 岩 を望 める最 も近 い場所 となっている[12]。弁慶 の薪 積 岩 (同上 )上記 「弁慶 の刀 掛 岩 」に程近 い、国道 229号 「カスペトンネル」 - 「弁慶 トンネル」間 にある岩 [12][13]。弁慶 が暖 を取 るために木 を切 り倒 して積 んで置 いた薪 が化石 になったと伝 えられている[14]。
-
弁慶 の墓 -
弁慶石 -
藤沢 市 の弁慶 塚
弁慶 にちなんだ言葉
[弁慶 の立往生 義経 が衣川 の館 を攻 められた際 、弁慶 は並 み居 る敵 兵 を次々 倒 すが、ついには無数 の矢 を受 けて薙刀 を杖 にして仁王立 ちのまま息 絶 えたと伝 えられている。ここから命 を投 げ出 して主君 を護 っていた忠義 の臣 を表 す。単 に「立往生 」と記 した場合 、進退 窮 まることの喩 えに用 いられる[注釈 3]。- また、かつて
民家 で用 いられた、藁 などを束 にして囲炉裏 端 に吊 るし、串 に通 した魚 や獣肉 を刺 して煙 で燻製 を作 れるようにした道具 も「弁慶 」と呼 んだが、これは藁 束 に大量 の串 が刺 さっている様子 を、弁慶 の立往生 に見立 てたものとされる。 弁慶 の泣 き所 弁慶 ほどの豪傑 でもここを打 てば涙 を流 すほど痛 いとされる急所 のこと。最 もよく知 られているのが脛 (膝頭 の下 から足首 の上 まで)で、皮膚 のすぐ下 、骨 (脛骨 )のすぐ上 を神経 が通 っている。他 にアキレス腱 や中指 の第 一 関節 から先 の部分 もこのように呼 ばれる。弁慶 の七 つ道具 弁慶 が持 っていたと伝 えられる七 種 の武器 (薙刀 [注釈 4]、鉄 の熊手 、大槌 、大鋸 、刺 又 、突棒 、袖 搦)から転 じて、7個 で一式 のものを七 つ道具 と呼 ぶようになり、「選挙 の-」、「探偵 の-」のような使 われ方 をされる。内弁慶 、外 地蔵 - 「
陰弁慶 」「炬燵 弁慶 」とも。あるいは「内弁慶 、外 鼠 」や「内弁慶 」のみでも用 いられる。身内 の中 では強気 になって威張 り散 らすが、知 らない相手 には意気地 がなくおとなしい人間 のこと[15]。転 じて、特定 の場面 においてのみ威勢 を張 るさまをもって「-弁慶 」等 と組 み合 わせて用 いる。 弁慶 ぎなた式 - 「ぎなた
読 み」とも。「弁慶 が薙刀 を持 って刺 し殺 した」という文 を「弁慶 がな、ぎなたを持 ってさ、し殺 した」と区切 りを間違 えて読 むこと。句読点 の付 け方 (または息継 ぎ)を変 えると文章 の意味 も変 わるということを示 す例 。「ここではきものをぬいでください」なども同様 。
弁慶 にちなんだ名前
[弁慶 蟹 海 に近 い河口 域 に住 む小型 のカニ。名前 の由来 は、甲羅 の模様 が弁慶 の厳 つい形相 を連想 させるからといわれる。戦 に敗 れ海 に沈 んだ平 氏 を連想 させるヘイケガニと対比 させたともいわれる。弁慶縞 - 「
弁慶 格子 (べんけいごうし)」とも。紺色 と茶色 や浅葱 色 など、二色 の色 糸 を格子 状 に碁盤 の目 のように織 った文様 。茶 と紺 のものを「茶 弁慶 」、紺 と浅葱 のものを「藍 弁慶 」という。縦横 の縞 が交差 するところは色 が重 なって濃 くなっている。 弁慶草 別名 イキクサ。分厚 い葉 と群 をなす淡紅 色 の小 花 が特色 の多年草 。辨慶 號 北海道 の官営 幌内 鉄道 で使用 されたアメリカ製 のテンダー型 蒸気 機関 車 の第 2号機 に付 けられた愛称 で、ほかにも「義経 」(1号機 )や「しづか」(6号機 )など弁慶 に縁 のある歴史 上 の人物 にちなんだ愛称 が付 けられた。国鉄 7100形 蒸気 機関 車 として鉄道 博物館 に保存 。弁慶岬 北海道 寿都 町 の寿都湾 西口 にある。衣川 で死 んだとされた弁慶 は傷 つきながらも命 を取 り留 め、ようやくこの地 に流 れ着 き再起 の機会 をうかがっていたという伝説 が残 る。
弁慶 を介 した交流
[関連 作品
[小説 漫画 映画 - テレビドラマ
- ゲーム
-
弁慶 外伝 (PCエンジン、1989年 )弁慶 外伝 沙 の章 (スーパーファミコン、1992年 )少女 義 経伝 (PlayStation 2、2003年年 、演 :下野 紘 ) -現代 からタイムスリップした主人公 が弁慶 の死 に立 ち会 い、以後 弁慶 となる。少女 義 経伝 ・弐 〜刻 を超 える契 り〜(PlayStation 2、2005年 、演 :下野 紘 ) -上作 の続編 。
楽曲
その他
[- かつて
角界 に「武蔵坊 弁慶 」の四股 名 を名乗 る力士 がいた。弁慶 の名 に恥 じないだけの素質 があり、その才能 は後 に横綱 となる後輩 の武蔵丸 光洋 以上 といわれたが、角界 の風習 に馴染 めず、早々 に引退 してしまった。 幼少 期 、比叡山 横川 の池 にいた8尺 もの鯉 が女 子供 を襲 うことがあったので単身 でその鯉 を刺 して退治 した逸話 がある。
脚注
[注釈
[出典
[- ^ “
唱歌 「牛 若 丸 」のふしぎ”.注文 の多 い山猫 軒 . 2008年 10月 2日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2013年 5月 14日 閲覧 。 - ^ “
勧進 帳 ”.歌舞伎 演目 案内 . 2020年 7月 19日 閲覧 。 - ^
紀宝 町 ホームページ https://www.town.kiho.lg.jp/tourisms/1730/ - ^ a b “
伝 弁慶 の墓 ”.両 磐 地区 広域 市町村 圏 協議 会 . 2020年 7月 19日 閲覧 。 - ^
佐久 教育 会 歴史 委員 会 編 『佐久 口碑 伝説 集 北佐久 編 限定 復刻 版 』佐久 教育 会 、1978年 11月15日 、123-163頁 。 - ^
山形 県 . “羽黒山 ”.山形 県 . 2021年 11月28日 閲覧 。 - ^ a b
江差 町 公式 ウェブサイト「弁慶 の力石 」2017年 9月 4日 閲覧 - ^
場所 及 び周辺 画像 をGoogleマップにて確認 。2019年 7月 22日 閲覧 - ^ 「
弁慶岬 」近辺 については寿都 町 公式 ウェブサイト「弁慶岬 」にて確認 。2019年 7月 22日 閲覧 - ^
岩内 町 公式 ウェブサイト「刀 掛 岩 ・雷電 夕日 」2019年 7月 22日 閲覧 - ^
日本 の奇岩 百 景 +「弁慶 の刀 掛 岩 」2019年 7月 22日 閲覧 - ^ a b
場所 は「スーパーマップル北海道 道路 地図 2018年 5版 2刷 :昭文社 刊 ISBN 978-4-398-63255-5」にて確認 。2019年 7月 22日 閲覧 - ^
場所 はGoogleマップにて確認 。2019年 7月 22日 閲覧 - ^
岩内 町 公式 ウェブサイト「弁慶 の薪 積 岩 」2019年 7月 22日 閲覧 - ^ “
内弁慶 の外 地蔵 ”. 2020年 7月 19日 閲覧 。 - ^
阿部 直美 『0〜5歳児 の楽 しくふれあう! わらべうたあそび120』ナツメ社 、2015年 、122-123頁 。ISBN 978-4-8163-5787-9。 - ^ べんけいが(
作詞 :わらべうた/作曲 :わらべうた)/Hoick楽曲 検索 〜童謡 ・こどものうたを検索 !〜2018年 6月 20日 閲覧 。
参考 文献
[上 横手 雅 敬 編著 『源義経 流浪 の勇者 』文 英 堂 、2004年 。
関連 項目
[生誕 伝説 武蔵坊 弁慶 の祭 弁慶 まつり(和歌山 県 田辺 市 、1987年 〜)
治 承 ・寿 永 の乱 を題材 とした作品 源義経 が登場 する大衆 文化 作品 一覧
外部 リンク
[弁慶 まつり -弁慶 まつり実行 委員 会 紀州 弁慶 伝説 保存 会 at the Wayback Machine (archived 2016-10-24) -武蔵坊 弁慶 をPRする和歌山 県 田辺 市 の団体