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鬼子おにご

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鬼子おにご(おにご)は、おやていない子供こども異様いよう姿すがたまれた子供こどもとくえた状態じょうたいまれた子供こどものこと。おに(おにのこ)とも呼称こしょうされる。

民間みんかん信仰しんこう[編集へんしゅう]

日本にっぽん各地かくち俗信ぞくしんにおいては、えた鬼子おにごくないもの、縁起えんぎわるいものとしてまれたのち殺害さつがいしたり、ててだれかにひろってもらうなどの事例じれいられる。群馬ぐんまけん山田やまだぐんではかつて、1ほんえてまれた子供こどもてて近所きんじょひとひろってもらい、2ほんそろってえていたおおいに出世しゅっせするといわれた[1]どうけんべつ地方ちほうでは、まれて10かげつえた子供こどもは「塔婆とうば」とび、みっつじて、ひとたのんでびろってもらっていた。また長崎ながさきけん久賀島ひさかじまでも、33さいのときにむすめむとおやさからう鬼子おにごになるといい、べつおやひろわせる風習ふうしゅうがあった[2]

愛知あいちけん田峯だみねでは、鬼子おにご放置ほうちすると親子おやこのうちの一方いっぽうぬとわれ、鬼子おにご出産しゅっさんしてもなくすべてころされていた[1]同様どうよう理由りゆうでの嬰児えいじごろ各地かくちおこなわれていたが、屋久島やくしまではおや養育よういく意思いしがある場合ばあい鬼子おにごることで鬼子おにごではなかったことにしていたという。

また、にん出産しゅっさんしないままんだ場合ばあい、その胎児たいじ鬼子おにご做された。宿やどしたまま埋葬まいそうされた女性じょせい産女うぶめとなってこの未練みれんのこすという伝承でんしょう日本にっぽん各地かくちられるが、産女うぶめ伝承でんしょうには鬼子おにご伝承でんしょう付随ふずいしている場合ばあいおお[1]

古典こてん民話みんわ[編集へんしゅう]

奇異きい雑談ざつだんしゅう』より「獅子ししだににて鬼子おにごみしこと

古典こてんにおいては、した発育はついく速度そくどしめしたり、異様いよう姿すがたまれた子供こども怪異かいいをなす怪物かいぶつのようにかたられる怪談かいだん民話みんわおおい。

貞享ていきょう時代じだい怪談かいだんほん奇異きい雑談ざつだんしゅう』には、京都きょうと東山ひがしやま獅子ししだにというむらで、あるおんな異物いぶつを3分娩ぶんべんしたすえに4度目どめ鬼子おにごんだはなしがある。この子供こども生誕せいたんにしてすでに3歳児さいじほどのおおきさで、しゅのようにいろで、両目りょうめくわえてがくがあり、みみまでけたくち上下じょうげが2ほんずつえていたという。この鬼子おにごは、ちちころされそうになりながらみついて抵抗ていこうしたものの、ついに殺害さつがいされてがけめられるが、翌日よくじつになってかえり、はなしいていた周囲しゅういひとたちになぐりつけられ、ようやくいきえたという[3]

高力こうりき種信たねのぶの『猿猴えんこうあん日記にっき』の1826ねん文政ぶんせい9ねん)のじょうには、名古屋なごや町家まちやに「鬼子おにご」がまれたとき状況じょうきょう挿絵さしえりで記録きろくされている[1]。その鬼子おにご特徴とくちょうは、「ひたいにふたつのこぶあり、ところとおぼしくてひとつのあなあり、にハあらず、くちみみまできれて、上下じょうげにきばあり、四足しそくさんつゆびにして、みずかきあり」という異様いようなもので、非常ひじょう活発かっぱつあばれるために布団ふとんさえつけ石臼いしうすせたところがえされたが、夕刻ゆうこくにはんでしまったという。

明治めいじ中期ちゅうき怪異かいい小説しょうせつよるまどおにだん』では、ある酒屋さかや夫婦ふうふきゃくかねぬすんだことでそのきゃく自殺じさつしてしまうが、のち酒屋さかやまれた子供こどもは3かげつがすべてえそろったうえかおんだきゃくそっくりの鬼子おにごとなり、うらみつらみをべたために夫婦ふうふにより殺害さつがいされ、のち酒屋さかやつま病気びょうきに、おっと家運かうん見放みはなされてみせうしなったというはなしがある[4]同様どうようおや因果いんがにより鬼子おにごまれるというはなしは、寛文ひろふみ時代じだいの『因果いんが物語ものがたり』や、古典こてん落語らくごの『もう半分はんぶん』などにもることができる[5]

岡山おかやまけん阿哲あてつぐんつたわる昔話むかしばなしでは、あるにんなや夫婦ふうふ観音かんのんさまもうをしたところはらんだが、まれた子供こどもまれた途端とたん自分じぶんがり、あるいてびんみずんだのちそのままいえから出奔しゅっぽんした。おどろいた両親りょうしんはあれは鬼子おにごだったのだとはなった。15ねん年取としとりのばん夫婦ふうふのもとにわかむすめ宿やどもとめておとずれ、夫婦ふうふ歓待かんたいした。むすめ夫婦ふうふまえでは食事しょくじらず、夫婦ふうふとはべつ糸取いととりあいだることになった。夜中よなかむすめ夕食ゆうしょくべなかったどんぶりめし使つかわずにべる姿すがたのぞ母親ははおやは、むすめ正体しょうたいは15ねんまえ出奔しゅっぽんした鬼子おにごではないかとうたがう。翌朝よくあさむすめは「もうとしだから、今後こんご仕事しごともやめてのんびりらすように」といいのこしていえた。むすめ使つかった部屋へやると、13ひょうべいたわらのこされており、その毎年まいとし大晦日おおみそかべいたわらおくられて不自由ふじゆうなくらしたという[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 近藤こんどう直也なおや『「鬼子おにごろん 序説じょせつ:その民俗みんぞく文化ぶんかてき考察こうさつ岩田いわた書院しょいん 2002ねん ISBN 4-87294-214-0 だい1しょう,83-85.
  2. ^ 民俗みんぞくがく研究所けんきゅうじょ編著へんちょ ちょ柳田やなぎだ國男くにお監修かんしゅう へん綜合そうごう日本にっぽん民俗みんぞく語彙ごいだい1かん平凡社へいぼんしゃ、1955ねん、271ぺーじぺーじ 
  3. ^ 編著へんちょしゃしょう ちょ奇異きい雑談ざつだんしゅう」、朝倉あさくら治彦はるひこ深沢ふかざわ秋男あきおへん へん仮名かめい草子ぞうし集成しゅうせいだい21かん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1998ねん、138-140ぺーじぺーじISBN 978-4-490-30519-7 
  4. ^ 石川いしかわひろしひとし ちょ小倉おぐらひとし高柴たかしばまきおさむ訳註やくちゅう へんよるまどおにだん春風しゅんぷうしゃ、2003ねん、85-90ぺーじぺーじISBN 978-4-921146-92-4 
  5. ^ くもくもあゆみ ちょ片仮名かたかなほん 因果いんが物語ものがたり」、高田たかだまもるへんこうちゅう へん江戸えど怪談かいだんしゅうちゅう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1989ねん、137-138ぺーじぺーじISBN 978-4-00-302572-7 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]