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きく人形にんぎょう

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南陽なんようきくまつり(2005ねん)

きく人形にんぎょう(きくにんぎょう)は、きく細工ざいく一種いっしゅで、きくはな細工ざいくして人形にんぎょう衣装いしょうとしたもの。また、その人形にんぎょう展示てんじする興行こうぎょう

概要がいよう[編集へんしゅう]

きく人形にんぎょうおおくは、あたま手足てあし以外いがい部分ぶぶんきくはなでできた等身とうしんだい人形にんぎょうである。江戸えど時代じだい後期こうき花卉かきぎょうさかんであった江戸えど染井そめいソメイヨシノ産出さんしゅつ)や巣鴨すがも周辺しゅうへん流行りゅうこうしたきく細工ざいく起源きげんである[1]

現代げんだいでは、きく人形にんぎょう題材だいざいはそのとし日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい(NHK)で放送ほうそうされている大河たいがドラマ採用さいようされることがおお[1]

きく人形にんぎょうつくかた[編集へんしゅう]

きく人形にんぎょうは、専用せんようきく栽培さいばいする「園芸えんげい」、人形にんぎょう制作せいさくをおこなう「人形にんぎょう」、人形にんぎょうきく着付きつける「きく」の分業ぶんぎょうで、以下いかのようなながれで制作せいさくされる[2][3]

  • きく人形にんぎょう着付きつけるさい作業さぎょうしやすいようにくきほそくてながく、しなやかで、れにくい「人形にんぎょうきく」とばれる小菊こぎくもちいられる。栽培さいばいは1ねんがかりでおこなわれ、きく人形にんぎょう展示てんじ期間きかん開花かいかわせるため、人工じんこう照明しょうめい使用しようし、日照ひでり時間じかん調整ちょうせいする工夫くふうおこなわれる。
  • 下絵したえをもとに角材かくざい使用しようし、人形にんぎょう骨格こっかく形作かたちづくる。ついで、衣装いしょう下地したじとなる胴殻どうがら(どうがら)をつくる、たけひごしんわらいと固定こていした巻藁まきわら(まきわら)を使用しようし、衣装いしょう立体りったいてき形状けいじょうつくりながら、角材かくざい骨格こっかく取付とりつけていく。
  • 胴殻どうがらきく着付きつけていく、これをきくけという。ばなではなく、きのまますうかぶずつまとめ、水苔みずごけきし、ぐさわらでしばったたばもちいる。胴殻どうがらなか部分ぶぶん固定こていし、はな部分ぶぶんをいぐさかみひも表面ひょうめんめていく。一体いったい小菊こぎくが120~150かぶ必要ひつようという。
  • 人物じんぶつ年齢ねんれい身分みぶん、その場面ばめん感情かんじょうなどを考慮こうりょし、くび(かしら)を制作せいさく手足てあし小道具こどうぐ(よろい扇子おうぎおびなど)を胴殻どうがらける。
  • 完成かんせいしたきく人形にんぎょうは、1にち1かいきにみずやりし、10日とおかから2週間しゅうかん程度ていどきくえをおこなう。

歴史れきし[編集へんしゅう]

文化ぶんか年間ねんかん江戸えどこったつくきくきく細工ざいくでは、当初とうしょせんづるといったかたちつくるのが流行りゅうこうしたが、天保てんぽうすえごろ人形にんぎょう形作かたちづく細工ざいく流行りゅうこうこったとかんがえられている[1]

安政あんせいころ団子だんござか植木うえきぎょううえうめ」が歌舞伎かぶき題材だいざいにしたきく人形にんぎょうがけて評判ひょうばんとなり、近隣きんりん園芸えんげい業者ぎょうしゃきそうようにきく人形にんぎょうがけ、さかんにおこなわれるようになった[1]

団子だんござかきく人形にんぎょうきく人形にんぎょうは、人気にんき役者やくしゃ花鳥かちょうなどの人形にんぎょう衣装いしょうを、きくはなわせてつくった細工ざいくぶつで、江戸えど後期こうき見世物みせものとしてはじまった。明治めいじ9ねん(1876)から木戸銭きどせん入場にゅうじょうりょう)をって正式せいしき興行こうぎょうし、東京とうきょうあき名物めいぶつとして繁栄はんえいした。20年代ねんだいから30年代ねんだい(1887 - 1906)が最盛さいせいで、うえそうたねはんうえうめうえじゅう四大しだいえん毎年まいとしものきそい、歌舞伎かぶき最新さいしんのニュースねたを、まわ舞台ぶたい全景ぜんけい装置そうちもちいてせた。なま人形にんぎょうによる迫真はくしんあたま評判ひょうばんで、根津ねづ裏門うらもんまえより駒込こまごめせま団子だんござかには群集ぐんしゅう殺到さっとうした。人形にんぎょう衣装いしょう使用しようする小菊こぎくあり。 — 清水しみずはれふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ団子だんござかきく人形にんぎょう」より抜粋ばっすい[4]

江戸えど時代じだい後期こうき流行りゅうこうしていたなま人形にんぎょうのうち安本やすもとひさしはち山本やまもと福松ふくまつ大柴おおしば徳次郎とくじろうなどが人形にんぎょう頭部とうぶ手足てあし担当たんとうし、後世こうせい実物じつぶつのこる。1909ねん明治めいじ42ねん)より本所ほんじょ両国りょうこく国技こくぎかん斬新ざんしんきく人形にんぎょう興行こうぎょうおこなわれるようになると、明治めいじまつとしまでには団子だんござか興行こうぎょうとしては衰退すいたいする(1984ねんより再開さいかい後述こうじゅつ[1]

その見世物みせもの興行こうぎょう全国ぜんこくてき流行りゅうこうし、興行こうぎょうしゅとして名古屋なごや奥村おくむら花園はなぞの、それをいだ高松たかまつ乃村工藝こうげいしゃ[1]、そして大阪おおさか浅野あさのきく楽園らくえんが、ゆう園地えんちなどを中心ちゅうしんとして全国ぜんこく興行こうぎょう牽引けんいんする。戦前せんぜん両国りょうこく国技こくぎかん大阪おおさかしん世界せかいルナパークのものが、そして戦後せんご東急とうきゅう多摩川たまがわえん京成けいせい谷津たにつ遊園ゆうえんのものが有名ゆうめいであった[1]

近年きんねんには福島ふくしまけん二本松にほんまつ福井ふくいけん越前えちぜんきゅう武生たけお)、大阪おおさか枚方ひらかたひらかたパークでの興行こうぎょう日本にっぽんさんだいきく人形にんぎょうばれるにいたる。しかしレジャーの様式ようしき変化へんかや、少子しょうしによるゆう園地えんち経営けいえい状態じょうたい悪化あっかなどにより枚方ひらかたきく人形にんぎょうが2005ねんかぎりで中止ちゅうしされるなど、近年きんねん開催かいさい減少げんしょう傾向けいこうである。それでも従来じゅうらいどおり開催かいさいされているおおく、日本にっぽん各地かくち伝統でんとうたもっている。


各地かくちきく人形にんぎょうてん[編集へんしゅう]

二本松にほんまつきく人形にんぎょう(2005ねん)
たけふきく人形にんぎょう(2014ねん)
岐阜ぎふ公園こうえん きく人形にんぎょう菊花きっかてん(2007ねん)
ひらかた大菊おおきく人形にんぎょう(2005ねん)

このほか北見きたみ弘前ひろさきじょう名古屋なごやじょう吉野川よしのがわなどで開催かいさいされている。

過去かこ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g 文京ぶんきょうふるさと歴史れきしかんだより だい9ごう平成へいせい14ねん4がつ1にち - pp.2-3「きく人形にんぎょうかたすえ
  2. ^ 『グラフふくい』 2004ねん10がつごう ふくいまつ紀行きこう たけふきく人形にんぎょう、2018ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ 『たけふきく人形にんぎょう40かい記念きねん はなかがやくとき』、2018ねん7がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ 清水しみずはるふうちょ東京とうきょう名物めいぶつひゃくにんいちしゅ明治めいじ40ねん8がつ団子だんござかきく人形にんぎょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん蔵書ぞうしょ、2018ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ 谷中たになかきくまつり 台東たいとう

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 文京ぶんきょうふるさと歴史れきしかんきく人形にんぎょう今昔こんじゃく団子だんござか花開はなひらいたあき風物詩ふうぶつし』(図録ずろく)2002ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]