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岩内いわうちぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道ほっかいどう岩内いわうちぐん位置いち(1.共和きょうわまち 2.岩内いわうちまち

岩内いわうちぐん(いわないぐん)は、北海道ほっかいどう後志しりべこく後志しりべ総合そうごう振興しんこうきょくぐん

人口じんこう16,348にん面積めんせき375.52km²、人口じんこう密度みつど43.5にん/km²。(2024ねん8がつ31にち住民じゅうみん基本きほん台帳だいちょう人口じんこう

以下いかの2まちふくむ。

ぐんいき

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1879ねん明治めいじ12ねん)に行政ぎょうせい区画くかくとして発足ほっそくした当時とうじぐんいきは、上記じょうき2まちおよび古宇ふるうぐんとまりむら一部いちぶ大字だいじ堀株ほりかっぷむら茅沼かやぬまむら[1])にあたる。

歴史れきし

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ぐん発足ほっそくまでの沿革えんかく

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室町むろまち時代ときよ康正こうせい2ねんには、岩内いわうち地方ちほう和人わじん往来おうらいがあった。

江戸えど時代じだい岩内いわうちぐんいき和人わじんとなる。松前まさきはんによってイワナイ場所ばしょひらかれていた。

陸上りくじょう交通こうつうは、渡島ととうこくから天塩てしおこく増毛ましけぐんへのみちのりの途上とじょうであったため、文化ぶんか年間ねんかん岩内いわうちぐん余市よいちぐんむす余市よいち山道さんどう国道こくどう276ごう国道こくどう5ごう稲穂いなほとうげ前身ぜんしん)が開削かいさくされ道中どうちゅう宿場しゅくばとしてささ小屋こやなどももうけられた。また、みなみいそぐんへは雷電らいでんとうげ難所なんしょとなって陸路りくろ途絶とだえてふねたよっており、安政あんせい年間ねんかんいそ請負人うけおいにん桝屋ますやさかえ五郎ごろうがアフシタ以西いせいいちさとあまりを開削かいさくし、岩内いわうち請負人うけおいにん仙北せんぼく仁左衛門にざえもんがアフシタ以東いとうの2(7.9.km)あまり開削かいさく以降いこう雷電らいでんみね国道こくどう229ごう前身ぜんしん)では通年つうねん陸路りくろでの移動いどう可能かのうとなった。また、このとき中間ちゅうかん温泉おんせん朝日あさひ温泉おんせん前身ぜんしん)にははこかん在住ざいじゅう又兵衛またべえ家守かもりとするいえて、通行つうこう官吏かんり旅客りょかく便びんはかった。海上かいじょう交通こうつう北前きたまえせんよせこうしていた。寛政かんせい年間ねんかんには岩内いわうち神社じんじゃ創建そうけんされている。

江戸えど時代じだい後期こうき文化ぶんか4ねんには、岩内いわうちぐんいき天領てんりょうとされたが、文政ぶんせい4ねんには一旦いったん松前まさきはんもともどされた。天保てんぽう6 - 8ねんころには天保てんぽう飢饉ききん凶作きょうさくのため、道外みちそとからの移住いじゅうしゃ激増げきぞうしている。安政あんせい2ねんふたた天領てんりょうとなり庄内しょうないはん警固けいごおこなった。

よく3ねん岩内いわうちさんかえりあついん開山かいさん、そして4ねんはこかん奉行ぶぎょう前田まえだ幌似ほろに発足ほっそく常見つねみ共和きょうわまち)に御手作おてさくじょうもう水稲すいとう栽培さいばい開始かいししている。また安政あんせい6ねんには岩内いわうち家屋かおく80消失しょうしつする大火たいかがあった。戊辰戦争ぼしんせんそうはこかん戦争せんそう終結しゅうけつ直後ちょくご1869ねん大宝たいほう律令りつりょうくにぐんさとせい踏襲とうしゅうして岩内いわうちぐんかれた。

ぐん発足ほっそく以降いこう沿革えんかく

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北海道ほっかいどういちきゅう町村ちょうそんせい施行しこう岩内いわうちぐん町村ちょうそん(13.岩内いわうちまち 14.前田まえだむら 15.発足ほっそくむら 16.島野しまのむら 17.小沢おざわむらうえあか共和きょうわまち じょうだいだい岩内いわうちまち
明治めいじ9ねんだい
  • だい6だい
    • 3しょううすべつむら茅沼かやぬまむら渋井しぶいむら堀株ほりかっぷむら
    • 4しょうほこないまちいね穂崎ほさきまちたちばなまち吹上ふきあげまち堀江ほりえまち三島みしままち難波なんばまち
    • 5しょう野束のづかむら敷島内しきしまないむら

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 1909ねん古宇ふるうぐん編入へんにゅう
  2. ^ 同時どうじ一部いちぶ野塚のつかむら編入へんにゅうされ(1909ねん島野しまのむら一部いちぶに)、残部ざんぶ老古美おいこみむらとして存続そんぞくし、1906ねん発足ほっそくむら一部いちぶとなる。

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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