越後 国
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沿革
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近代 以降 の沿革
[- 「
旧 高 旧領 取調 帳 」に記載 されている明治 初年 時点 での国内 の支配 は以下 の通 り(4,361村 ・1,150,881石 余 )。太字 は当該 郡 内 に藩 庁 が所在 。国名 のあるものは飛地 領 。幕府 領 は新潟 奉行 所 ・出雲崎 代官 所 ・水原 代官 所 ・川浦 代官 所 ・脇野 町 代官 所 の管轄 のほか、会津 藩 ・高田 藩 ・新発田 藩 ・桑名 藩 ・米沢 藩 による預 地 が存在 した。- 頸城
郡 (1,150村 ・224,858石 余 ) -幕府 領 (高田 藩 預 地 ・川浦 ・出雲崎 )、高田 藩 、糸魚川 藩 古志 郡 (289村 ・70,628石 余 ) -幕府 領 (桑名 藩 預 地 )、長岡 藩 、伊勢 桑名 藩 魚沼 郡 (422村 ・102,341石 余 ) -幕府 領 (出雲崎 ・会津 藩 預 地 ・桑名 藩 預 地 ・脇野 町 )、陸奥 会津 藩 、伊勢 桑名 藩 、糸魚川 藩 刈羽 郡 (198村 ・76,073石 余 ) -幕府 領 (桑名 藩 預 地 )、旗 本領 、伊勢 桑名 藩 、椎谷 藩 、陸奥 上山 藩 、長岡 藩 、与板 藩 、高田 藩 三島 郡 (255村 ・78,594石 余 ) -幕府 領 (出雲崎 ・脇野 町 ・水原 )、旗 本領 、長岡 藩 、与板 藩 、陸奥 上山 藩 、村上 藩 、伊勢 桑名 藩 、陸奥 会津 藩 蒲原 郡 (1,796村 ・537,285石 余 ) -幕府 領 (新潟 ・水原 ・新発田 藩 預 地 ・桑名 藩 預 地 )、旗 本領 、新発田 藩 、陸奥 会津 藩 、村松 藩 、長岡 藩 、村上 藩 、三日市 藩 、上野 高崎 藩 、黒川 藩 、三根 山 藩 、駿河 沼津 藩 、与板 藩 、伊勢 桑名 藩 岩船 郡 (251村 ・61,099石 余 ) -幕府 領 (米沢 藩 預 地 ・水原 )、一 橋 徳川 家 領 、村上 藩 、陸奥 会津 藩
- 頸城
慶応 4年 明治 元年 - 9月12
日 (1868年 10月27日 ) -沼津 藩 が転 封 により上総 菊間 藩 となる。国内 の領地 は引 き続 き管轄 。 - 9月21
日 (1868年 11月5日 ) -越後 府 (第 1次 )が改称 して新潟 府 となる。 - 9月22
日 (1868年 11月6日 ) -会津 戦争 で会津 藩 が新 政府 軍 に降伏 して領地 を没収 され、蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )を除 く領地 のうち岩船 郡 が村上 民政 局 、蒲原 郡 が新潟 府 、残部 が柏崎 県 の管轄 となる。 - 9月27
日 (1868年 11月11日 ) -村上 藩 が新 政府 軍 に降伏 。 - 10月1
日 (1868年 11月14日 ) -蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )が若松 民政 局 の管轄 となる。 - 11月5
日 (1868年 12月18日 ) -柏崎 県 を廃 して新潟 府 に合併 することが布達 される(実行 されず)。 - 12月7
日 (1869年 1月 19日 ) -蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )の郷 村高 帳 の引 き継 ぎ以外 の事務 が上野 館林 藩 の管轄 となる。 - 12月23
日 (1869年 2月 4日 ) -蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )の事務 が館林 藩 と羽前 新庄 藩 の共同 管理 となる。
- 9月12
明治 2年 - 2
月 3日 (1869年 3月15日 ) -村上 藩 が旧 領地 に復帰 。 - 2
月 8日 (1869年 3月 20日 ) -藩 領 および蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 ・新潟 町 )を除 く岩船 郡 ・蒲原 郡 が越後 府 (第 2次 )の管轄 となる(新潟 町 は新潟 府 管轄 のまま)。 - 2
月 22日 (1869年 4月 3日 ) - 5月4
日 (1869年 6月13日 ) -蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )が若松 県 の管轄 となる。館林 藩 ・新庄 藩 の管轄 も終了 。 - 6月24
日 (1869年 8月 1日 ) -任 知 藩 事 にともない、糸魚川 藩 が清崎 藩 に改称 。 - 7
月 27日 (1869年 9月3日 ) -新潟 府 ・越後 府 が廃止 され、藩 領 および蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )を除 く全域 が水原 県 の管轄 となる。 - 8
月 25日 (1869年 9月30日 ) -旧 ・柏崎 県 の管轄 地 が柏崎 県 (第 2次 )の管轄 となる。
- 2
明治 3年 明治 4年 明治 6年 (1873年 )6月 10日 -柏崎 県 が廃止 され、蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )を除 く全域 が新潟 県 の管轄 となる。明治 9年 (1876年 )8月 21日 -第 2次 府県 統合 により蒲原 郡 の一部 (後 の東蒲原 郡 域 )が福島 県 の管轄 となる。明治 19年 (1886年 )5月27日 -福島 県 東蒲原 郡 が新潟 県 の管轄 となる。
国内 の施設
[国府
[国分寺 ・国分 尼寺
[越後 国分寺 跡 創建 時 の遺構 は未 詳 。創建 時 の位置 から移転 ・再興 されたという五智国分 寺 (上越 市 五智 、北緯 37度 10分 6.77秒 東経 138度 13分 29.74秒 / 北緯 37.1685472度 東経 138.2249278度 )が法燈 を伝承 する。それ以前 の諸説 については「五智国分 寺 #歴史 」を参照 。
神社
[総社 :府中 八幡宮 に合祀 (上越 市 西本 町 、北緯 37度 10分 20.39秒 東経 138度 14分 14.02秒 / 北緯 37.1723306度 東経 138.2372278度 )一宮 :次 の2社 の説 がある。彌彦 神社 (西蒲原 郡 弥彦 村 弥彦 、北緯 37度 42分 24.15秒 東経 138度 49分 33.68秒 / 北緯 37.7067083度 東経 138.8260222度 ) -平安 期 までは実質 的 な一宮 。居 多 神社 (上越 市 五智 、北緯 37度 9分 59.18秒 東経 138度 13分 23.41秒 / 北緯 37.1664389度 東経 138.2231694度 ) -南北 朝 時代 から一宮 を主張 。
二宮 :物部 神社 (柏崎 市 西山 町 二田 、北緯 37度 27分 14.57秒 東経 138度 40分 30.47秒 / 北緯 37.4540472度 東経 138.6751306度 )三宮 :八 海神 社 -文献 に見 える神社 であるが現 在社 は未 詳 。
なお、
地域
[郡
[江戸 時代 の藩
[村上 藩 黒川 藩 (郡山 藩 支 藩 )三日市 藩 (郡山 藩 支 藩 )新発田 藩 村松 藩 与板 藩 長岡 藩 三根 山 藩 (長岡 藩 支 藩 )蔵王 堂 藩 椎谷 藩 高田 藩 高柳 藩 (首 城 藩 )糸魚川 藩 坂戸 藩 三条 藩 沢海 藩 (新発田 藩 支 藩 )藤井 藩 長峰 藩
人物
[国司
[越後 守
[威 奈大村 阿倍 真 君 (707年 (慶 雲 4年 )11月2日 - 〉従 五 位 下 陽 侯 令 璆(759年 (天平 宝 字 3年 ) 4月 16日 - 763年 (天平 宝 字 7年 )正月 9日 〉外 従 五 位 下 石川 弟 人 (763年 (天平 宝 字 7年 )正月 9日 - 〉従 五 位 下 坂上田村麻呂 〈790年 (延 暦 9年 )3月 10日 - 〉従 五 位 下 源満仲 藤原 為 時 〈1011年 (寛弘 8年 ) - 1014年 (長和 3年 )6月 〉橘 為 仲 藤原 季 綱 源 国明 藤原 成 親 〈1144年 (天 養 元年 )12月18日 - 1146年 (久安 2年 )12月29日 〉従 五 位 下 →従 五 位 上 藤原 隆 季 〈1146年 (久安 2年 )12月29日 - 1155年 (久寿 2年 )正月 28日 〉正 四 位 下 平時 実 〈1166年 (仁 安 元年 ) - 1169年 (嘉 応 元年 )12月30日 〉従 五 位 下 藤原 成 親 〈1172年 (承 安 2年 ) - 1177年 (治 承 元年 )6月 18日 〉従 二 位 →正 二 位 城 資 永 〈1180年 (治 承 4年 ) - 1181年 (養和 元年 )〉城 助 職 〈1181年 (治 承 5年 )8月 25日 - 1183年 (寿 永 2年 )7月 〉従 五 位 下 木曾 義仲 〈1183年 (寿 永 2年 )8月 11日 -同年 8月 16日 〉従 五 位 下 安田 義 資 〈1185年 (文治 元年 )8月 29日 - 1193年 (建 久 4年 )10月 28日 〉北条 朝 時 〈1225年 (嘉 禄 元年 )9月 17日 - 1236年 (嘉 禎 2年 )7月 20日 〉従 五 位 下 →従 五 位 上 加賀 守護 ・大隅 守護 ・越後 守護 。北条 時 盛 〈1236年 (嘉 禎 2年 )7月 20日 - 1242年 (仁 治 3年 )6月 〉従 五 位 下 →正 五 位 下 北条 光 時 従 五 位 下 北条 実 時 〈1255年 (建 長 7年 )12月13日 - 1276年 (建治 2年 )10月23日 〉従 五 位 下 北条 業 時 〈1277年 (建治 3年 )5月 18日 - 1280年 (弘安 3年 )11月4日 〉従 五位下弾正少弼兼任。北条 顕 時 〈1280年 (弘安 3年 )11月 - 1285年 (弘安 8年 )〉従 五 位 下 北条 兼 時 〈1288年 (弘安 10年 )3月 12日 - 1295年 (永 仁 3年 )9月 19日 〉従 五 位 下 →従 五 位 上 北条 久 時 〈1295年 (永 仁 3年 )12月29日 - 1304年 (嘉 元 2年 )6月 6日 〉従 五 位 上 北条 貞 顕 〈1304年 (嘉 元 2年 )6月 2日 - 1309年 (延 慶 2年 )10月 2日 〉従 五 位 上 →正 五 位 下 北条 基 時 〈1304年 (嘉 元 2年 )6月 6日 - 1306年 (徳治 元年 )2月 21日 〉従 五 位 下 北条 時 敦 〈1310年 (延 慶 3年 )8月 13日 - 1320年 (元 応 2年 )5月 24日 〉従 五 位 上 北条 顕 実 従 五 位 下 北条 貞 将 〈1324年 (正中 元年 ) - 〉北条 範 貞 〈1325年 (正中 2年 )10月 26日 - 1329年 (元 徳 2年 )12月23日 〉従 五 位 上 →正 五 位 下 北条 仲 時 〈 - 1333年 (元弘 3年 )5月 9日 〉新田 義貞 〈1333年 (元弘 3年 )8月 以降 - 〉従 四 位 上 新田 義 顕 〈1334年 (建 武 元年 ) - 〉従 五 位 下 高師泰 従 五 位 下
守護
[鎌倉 幕府
[- ? - 1191
年 :比企 朝宗 ? - 1195
年 - 1199年 :佐々木 盛 綱 - 1210
年 - ? :北条 義 時 - 1223
年 - 1245年 :名越 朝 時 - 1245
年 - 1246年 :名越 光 時 - 1263
年 - 1288年 :名越 公 時 - ? - 1333
年 :名越 氏 ?
室町 幕府
[- 1337
年 - 1338年 :高師泰 - 1341
年 - 1350年 :上杉 憲顕 - 1352
年 - 1362年 :宇都宮 氏綱 - 1362
年 - 1368年 :上杉 憲顕 - 1368
年 - 1378年 :上杉 憲 栄 - 1380
年 - 1421年 :上杉 房 方 - 1421
年 - 1422年 :上杉 朝方 - 1422
年 - 1449年 :上杉 房 朝 - 1449
年 - 1494年 :上杉 房 定 - 1494
年 - 1507年 :上杉 房能 - 1507
年 - 1550年 :上杉 定実
武家 官位 としての越後 守
[高山 重友 国分 友 俊 国分 朝 友 森 可 房 森 可 秀 森 可 行 新 納 実久 那 須資世 那須 資之 那 須資持 上杉 房 定 原 胤 房 花房 正幸 富田 重政 福原 広 俊 上杉 景勝 従 三 位 中納言 、出羽 国 米沢 藩 初代 藩主 。織田 尚 長 従 五 位 下 大和 国 柳本 藩 初代 藩主 。三宅 康信 〈1617年 (元和 3年 )12月 - 〉従 五 位 下 久留島 通 春 従 五 位 下 松平 光長 〈1629年 (寛永 6年 ) - 〉従 四 位 下 越後 高田 藩 藩主 。松平 宣 富 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 初代 藩主 。松平 長 煕 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 3代 藩主 。松平 長 孝 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 4代 藩主 。松平 康哉 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 5代 藩主 。松平 康 乂従 四 位 下 美作 国 津山 藩 6代 藩主 。松平 斉 孝 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 7代 藩主 。松平 斉 民 従 四 位 下 美作 国 津山 藩 8代 藩主 。
名誉 称号 としての越後 目 (朝廷 から芸術 家 ・職人 への受領 )
[脚注
[注釈
[出典
[参考 文献
[角川 日本 地名 大 辞典 15新潟 県 旧 高 旧領 取調 帳 データベース