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はんごと

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

はんごと(ちはんじ)は、明治めいじ時代じだい初期しょきかれた地方ちほう行政ぎょうせいかん名称めいしょう県令けんれい今日きょう都道府県とどうふけん知事ちじ)の前身ぜんしんにあたる。はんめいかん場合ばあいには◯◯はん知事ちじ(◯◯はんちじ)と語順ごじゅんわる(→「はんことはん知事ちじふし参照さんしょう)。

解説かいせつ

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明治めいじ2ねん6月17にち1869ねん7がつ25にち)、版籍はんせき奉還ほうかんにより領地りょうち領民りょうみん朝廷ちょうてい返還へんかんしたきゅう藩主はんしゅ274めい任命にんめいされて成立せいりつした。これによりはんけんさんせいという体制たいせい確立かくりつした。

その職務しょくむは、徴税ちょうぜい賦役ふえき生産せいさんりょく向上こうじょうなどの経済けいざい刑罰けいばつ賞与しょうよなどの司法しほう軍事ぐんじ教育きょういく戸籍こせき調査ちょうさなど多岐たきわたるものだった。

はんごと従来じゅうらい藩主はんしゅみとめられていた世襲せしゅうがそのままみとめられ、独自どくじ軍隊ぐんたい司法しほう組織そしきなどをつことがみとめられていた。その一方いっぽうで、はんごといえろくはん実収じっしゅう石高こくだかじゅうぶんいちさだめられてはん財政ざいせいからはなされ、はん職制しょくせいろくせい兵制へいせい中央ちゅうおう政府せいふさだめた規定きていしたがうこととされており、はん内情ないじょうについてもつよ監督かんとくされていた。

しかし、当時とうじはんりょう天領てんりょうおよび寺社じしゃりょう複雑ふくざつんでおり、多数たすう存在そんざいしたため、年貢ねんぐ徴収ちょうしゅう効率こうりつてきであった。そのため、国家こっか財政ざいせい安定あんていおこなって明治めいじしん政府せいふ中央ちゅうおう集権しゅうけん確立かくりつさせる必要ひつようがあった。このような事情じじょうともない、明治めいじ4ねん7がつ14にち1871ねん8がつ29にち)に廃藩置県はいはんちけん実施じっしされ、はんごと全員ぜんいん失職しっしょくして華族かぞくとなり、その役目やくめえた。

はんことはん知事ちじ

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かんめいだけを単独たんどくもちいる場合ばあいは「はんごと」である。たとえば、廃藩置県はいはんちけん詔書しょうしょ明治めいじ4ねん(1871ねん))には「しんはんごといのちシ」とある。

これにたいして、はんめい結合けつごうさせてもちいる場合ばあいは「なにはん知事ちじ」とする。たとえば、太政官だじょうかんから蜂須賀はちすかしげるたいしてされた文書ぶんしょ明治めいじ3ねん1870ねん))の宛名あてなには「蜂須賀はちすか徳島とくしまはん知事ちじ」とある[1]

はんごと一覧いちらん

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交代こうたい理由りゆう特記とっきなしは版籍はんせき奉還ほうかん同時どうじ就任しゅうにん太字ふとじにんはんこと同日どうじつ改称かいしょうしたはんはん移転いてん改称かいしょう廃止はいしについてははんけんさんせいこう参照さんしょう

就任しゅうにん年月日ねんがっぴ はん はんごと 交代こうたい理由りゆう
明治めいじ2ねん6月17にち1869ねん7がつ25にち 仙台せんだいはん 伊達だてそうはじめ
白石しらいしはん 南部なんぶとしきょう
久保田くぼたはん 佐竹さたけよし
米沢よねざわはん 上杉うえすぎ茂憲もちのり
水戸みとはん 徳川とくがわ昭武あきたけ
佐倉さくらはん 堀田ほったただしりん
前橋まえばしはん 松平まつだいらただしかつ
新発田しばたはん 溝口みぞぐち直正なおまさ
高田たかだはん 榊原さかきばらまさしけい
富山とやまはん 前田まえだとしどう
金沢かなざわはん 前田まえだ慶寧よしやす
大聖寺だいしょうじはん 前田まえだとし
福井ふくいはん 松平まつだいら茂昭しげあき
小浜おばまはん 酒井さかいただしろく
大垣おおがきはん 戸田とだども
府中ふちゅうはん[2] 徳川とくがわ家達いえさと
名古屋なごやはん 徳川とくがわ義宜よしのり
はん 藤堂とうどうだか
彦根ひこねはん 井伊いいただしけん
よどみはん 稲葉いなば正邦まさくに
郡山こおりやまはん 柳沢やなぎさわたもつさる
姫路ひめじはん 酒井さかい忠邦ただくに
和歌山わかやまはん 徳川とくがわ茂承もちつぐ
鳥取とっとりはん 池田いけだ慶徳けいとく
松江まつえはん 松平まつだいらじょうやす
津山つやまはん 松平まつだいらけいりん
岡山おかやまはん 池田いけだあきらせい
福山ふくやまはん 阿部あべただし
広島ひろしまはん 浅野あさのちょういさお
山口やまぐちはん 毛利もうりもととく
高松たかまつはん 松平まつだいらよりゆきさとし
松山まつやまはん 久松ひさまつ勝成かつなり
宇和島うわじまはん 伊達だて宗徳むねのり
高知こうちはん 山内やまうちゆたかはん
香春かわらはん 小笠原おがさわらただしまこと
福岡ふくおかはん 黒田くろだちょう
久留くるべいはん 有馬ありまよりゆき
佐賀さがはん 鍋島なべしまただしだい
熊本くまもとはん 細川ほそかわ韶邦
鹿児島かごしまはん 島津しまつ忠義ただよし
明治めいじ2ねん6月19にち(1869ねん7がつ27にち 三春みはるはん 秋田あきたうつ
棚倉たなぐらはん 阿部あべただしいさお
二本松にほんまつはん 丹羽にわちょうひろし
新庄しんじょうはん 戸沢とざわ正実まさみ
笠間かさまはん 牧野まきのさだやすし
土浦つちうらはん 土屋つちやきょじき
古河ふるかわはん 土井どいとしあずか
柴山しばやまはん 太田おおた
菊間きくまはん 水野みずの忠敬ちゅうけい
鶴舞つるまいはん 井上いのうえ正直まさなお
館林たてばやしはん 秋元あきもとあやあさ
高崎たかさきはん 大河内おおこうちあきらあきら
小田原おだわらはん 大久保おおくぼ忠良ただよし
丸岡まるおかはん 有馬ありまみちじゅん
上田うえだはん 松平まつだいらただしれい
松本まつもとはん 松平まつだいら光則みつのり
郡上ぐじょうはん 青山あおやまみゆきよろし
豊橋とよはしはん 大河内おおこうちしんいにしえ
岡崎おかざきはん 本多ほんだ忠直ただなお
西尾にしおはん 松平まつだいらじょう
亀山かめやまはん 石川いしかわ成之しげゆき
膳所ぜぜはん 本多ほんだかんみのる
岸和田きしわだはん おか部長ぶちょうしょく
亀岡かめおかはん 松平まつだいら信正のぶまさ
篠山しのやまはん 青山あおやま忠敏ただとし
宮津みやづはん 松平まつだいら宗武むねたけ
明石あかしはん 松平まつだいらただし
龍野たつのはん 脇坂わきさかやすし
丸亀まるがめはん 京極きょうごくあきらとおる
大洲おおすはん 加藤かとうやすしあき
中津なかつはん 奥平おくだいらあきら
臼杵きゅうしょはん 稲葉いなば久通ひさみち
おかはん 中川なかがわ久昭ひさあき
秋月しゅうげつはん 黒田くろだちょうとく
府中ふちゅうはん[3] 宗義しゅうぎたち
唐津からつはん 小笠原おがさわら長国ながくに
平戸ひらどはん 松浦まつうらかい
島原しまばらはん 松平まつだいら忠和ただかず
延岡のべおかはん 内藤ないとうまさしきょ
飫肥おびはん 伊東いとうゆう
明治めいじ2ねん6がつ20日はつか(1869ねん7がつ28にち 一関いちのせきはん 田村たむらたかしあきら
上山うえやまはん 松平まつだいらしんやす
関宿せきやどはん 久世くぜ広業こうぎょう
久留里くるりはん 黒田くろだただしよう
長尾ちょうびはん 本多ほんだただし
烏山からすやまはん 大久保おおくぼ忠順ただまさ
壬生みぶはん 鳥居とりいただしたから
安中あんなかはん 板倉いたくらまさるいん
沼田ぬまたはん 土岐ときよりゆき
村松むらまつはん ほり直弘なおひろ
大野おおのはん 土井どいとしつね
鯖江さばえはん 間部まべかいどう
高島たかしまはん 諏訪すわただしれい
高遠こうえんはん 内藤ないとうよりゆきただし
岩村いわむらはん 松平まつだいらじょういのち
加納かのうはん 永井ながいしょうふく
高須たかすはん 松平まつだいら義勇よしたけ
重原しげはらはん 板倉いたくらまさるたち
犬山いぬやまはん 成瀬なるせただしこえ
鳥羽とばはん 稲垣いながきちょうたかし
水口みずぐちはん 加藤かとうあきら
高槻たかつきはん 永井ながいただしりょう
尼崎あまがさきはん 桜井さくらい忠興ただおき
三田みたはん 九鬼くき隆義たかよし
高取たかとりはん 植村うえむらつぼ
園部そのべはん 小出こいですぐるなお
福知山ふくちやまはん 朽木くちきためつな
舞鶴まいづるはん 牧野まきの弼成
出石いずしはん 仙石せんごく久利ひさとし
田辺たなべはん 安藤あんどうただしひろし
新宮しんぐうはん 水野みずのただしみき
広瀬ひろせはん 松平まつだいら直巳なおみ
足守あしもりはん 木下きのしたとしきょう
西条さいじょうはん 松平まつだいらよりゆきえい
今治いまばりはん 久松ひさまつ定法じょうほう
吉田よしだはん 伊達だて宗敬むねよし
杵築きつきはん 松平まつだいらちかしたか
日出にっしゅつはん 木下きのしたしゅんすなお
高鍋たかなべはん 秋月あきづきたねいん
佐土原さどわらはん 島津しまつ忠寛ただひろ
明治めいじ2ねん6月22にち(1869ねん7がつ30にち 八戸はちのへはん 南部なんぶしんじゅん
中村なかむらはん 相馬そうままことたね
いずみはん 本多ほんだただししん
守山もりやまはん 松平まつだいらよりゆきます
本荘ほんじょうはん 六郷ろくごうせいかん
亀田かめだはん 岩城いわきたかしあきら
矢島やじまはん 生駒いこまちかしけい
松嶺まつみねはん 酒井さかいただしただし
天童てんどうはん 織田おだ寿ひさしじゅうまる
松岡まつおかはん 中山なかやましんちょう
下館しもだてはん 石川いしかわそうかん
石岡いしおかはん 松平まつだいらよりゆきさく
谷田部やたべはん 細川ほそかわきょうぬき
結城ゆうきはん 水野みずのかつひろし
飯野いいのはん 保科ほしなただしえき
佐貫さぬきはん 阿部あべ正恒まさつね
黒羽くろははん 大関おおぜきぞうつとむ
佐野さのはん 堀田ほったただし
伊勢崎いせざきはん 酒井さかいただしあきら
小幡おばたはん 松平まつだいら忠恕ただひろ
岩槻いわつきはん 大岡おおおかただしぬき
長岡ながおかはん 牧野まきのただしあつし
与板よいたはん 井伊いいただしやす
勝山かつやまはん 小笠原おがさわらちょうもり
竜岡たつおかはん 大給おぎゅうじょう
飯山いいやまはん 本多ほんだじょちょう
今尾いまおはん 竹腰たけこしただしきゅう
挙母ころもはん 内藤ないとう文成ふみなり
刈谷かりやはん 土井どいとしきょう
西大路にしおおじはん 市橋いちはし長義ながよし
大溝おおみぞはん 分部わけべ光貞みつさだ
綾部あやべはん 九鬼くきたかし
柏原かしわばらはん 織田おだしんおや
豊岡とよおかはん 京極きょうごくこうあつし
赤穂あこうはん もりただし
勝山かつやまはん[4] 三浦みうらあらわ
庭瀬にわせはん 板倉いたくら勝弘かつひろ
新見にいみはん せきちょうかつ
府内ふないはん 大給おぎゅうきんせつ
佐伯さえきはん 毛利もうりこうけん
人吉ひとよしはん 相良さがらよりゆきもと
明治めいじ2ねん6月23にち(1869ねん7がつ31にち 長谷ながたにはん 内藤ないとう政憲まさのり
長瀞ながとろはん 米津よねつ政敏まさとし
牛久うしくはん 山口やまぐちひろしたち
志筑しづきはん 本堂ほんどうおやひさし
多古たこはん 久松ひさまつ勝行かつゆき
一宮いちのみやはん 加納かのうひさよろし
鶴牧つるまきはん 水野みずの忠順ただまさ
勝山かつやまはん[5] 酒井さかい忠美ただみ
大田原おおたわらはん 大田原おおたわら一清かずきよ
吹上ふきあげはん 有馬ありまひろし
足利あしかがはん 戸田とだ忠行ただゆき
ななにちはん 前田まえだとし
金沢かなざわはん[6] 米倉よねくらあきらげん
荻野おぎの山中さんちゅうはん 大久保おおくぼ教義きょうぎ
三根みつねさんはん[7] 牧野まきのただしやすし
岩村田いわむらたはん 内藤ないとうただしまこと
須坂すざかはん ほり直明なおあき
飯田いいだはん ほりちかしひろ
苗木なえぎはん 遠山とおやまともろく
田原たはらはん 三宅みやけやすし
半原はばらはん 安部あべしんはつ
西端せいたんはん 本多ほんだただしおおとり
菰野こものはん 土方ひじかたつよしひさし
神戸こうべはん 本多ほんだただしぬき
宮川みやがわはん 堀田ほったただしよう
山上さんじょうはん 稲垣いながきふとしさち
三上みかみはん 遠藤えんどうたねじょう
麻田あさだはん 青木あおき重義しげよし
伯太はくたはん 渡辺わたなべあきらつな
小泉こいずみはん 片桐かたぎりさだあつし
田原本たわらもとはん 平野ひらのちょうひろし
村岡むらおかはん 山名やまなよしずみ
山家やまがはん たにまもるしげる
さんくさはん 丹羽にわちゅう
三日月みかづきはん もりしゅんしげる
岡田おかだはん 伊東いとうちょうトシ[8]
成羽なりわはん 山崎やまざきおさむ
もりはん 久留島くるしまとおるやすし
福江ふくえはん 五島ごしま盛徳せいとく
明治めいじ2ねん6月24にち(1869ねん8がつ1にち かんはん 松前まさき兼広かねひろ
弘前ひろさきはん 津軽つがるうけたまわあきら
ななはん 南部なんぶしんじかた
宍戸ししどはん 松平まつだいらよりゆき
下妻しもづまはん 井上いのうえ正巳まさみ
麻生あそうはん 新庄しんじょうただしけい
生実いくみはん 森川もりかわしゅんかた
高岡たかおかはん 井上いのうえただしじゅん
小見川おみがわはん 内田うちだただしがく
大多喜おおたきはん 大河内おおこうちただししつ
桜井さくらいはん たきわき信敏のぶとし
小久保こくぼはん 田沼たぬまみこと
館山たてやまはん 稲葉いなば正善しょうぜん
花房はなぶさはん 西尾にしお忠篤ただあつ
宇都宮うつのみやはん 戸田とだただしとも
吉井よしいはん 吉井よしいしん
川越かわごえはん 松平まつだいらやすし
村上むらかみはん 内藤ないとう信美のぶよし
三日市みっかいちはん 柳沢やなぎさわいさおただし
黒川くろかわはん 柳沢やなぎさわ光邦みつくに
椎谷しいやはん ほりよし
清崎きよさきはん 松平まつだいらただしせい
敦賀つるがはん 酒井さかいただしけい
松代まつだいはん 真田さなだみゆきみん
高富たかとみはん 本庄ほんじょうみち
西にし大平おおひらはん 大岡おおおか忠敬ちゅうけい
長島ながしまはん 増山ますやまただしどう
狭山さやまはん 北条ほうじょうきょう
丹南たんなんはん 高木たかぎただしひろし
柳生やぎゅうはん 柳生やぎゅうしゅんえき
柳本やなぎもとはん 織田おだしん
しばむらはん 織田おだちょうえき
櫛羅くじらはん 永井ながい直哉なおや
峰山みねやまはん 京極きょうごくだかひね
小野おのはん 一柳いちりゅうまつとく
林田はやしだはん 建部たけべ政世まさよ
山崎やまざきはん 本多ほんだ忠明ただあき
安志あんじはん 小笠原おがさわらさだまこと
母里もりはん 松平まつだいら直哉なおや
津和野つわのはん 亀井かめい茲監
鶴田つるたはん 松平まつだいらたけさとし
浅尾あさおはん 蒔田まきたひろこう
徳島とくしまはん 蜂須賀はちすかしげる
多度津たどつはん 京極きょうごくこうのり
小松こまつはん 一柳いちりゅうよりゆき
千束ちづかはん 小笠原おがさわらさだただし
柳河やなかわはん 立花たちばなあきらひろし
三池みいけはん 立花たちばなたねきょう
大村おおむらはん 大村おおむらじゅん
明治めいじ2ねん6月25にち(1869ねん8がつ2にち 高徳こうとくはん 戸田とだ忠綱ただつな
堀江ほりえはん 大沢おおさわはじめ寿ことぶき
久居ひさいはん 藤堂とうどうこうくに
鴨方かもがたはん 池田いけだまさし
岩国いわくにはん 吉川よしかわけいけん
徳山とくやまはん 毛利もうりもとしげる
清末きよすえはん 毛利もうりもとじゅん
府中ふちゅうはん[9] 毛利もうりもとさとし
新谷しんたにはん 加藤かとうやすしれい
蓮池はすいけはん 鍋島なべしま直紀なおき
小城おぎはん 鍋島なべしまただしとら
鹿島かしまはん 鍋島なべしまただしあきら
明治めいじ2ねん6月29にち(1869ねん8がつ6にち 山形やまがたはん 水野みずの忠弘ただひろ
明治めいじ2ねん7がつ14にち(1869ねん8がつ21にち 小松こまつはん 一柳いちりゅうよりゆきあきら 先代せんだい死去しきょ
明治めいじ2ねん7がつ19にち(1869ねん8がつ26にち 天童てんどうはん 織田おだ信敏のぶとし 先代せんだい幼少ようしょうのため
明治めいじ2ねん7がつ22にち(1869ねん8がつ29にち 鶴岡つるおかはん 酒井さかいただしたから
明治めいじ2ねん7がつ25にち(1869ねん9月1にち 喜連川きつれがわはん 喜連川きつれがわさとし[10]
明治めいじ2ねん7がつ27にち(1869ねん9月3にち 高須たかすはん 松平まつだいら義生よしお 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ2ねん8がつ2にち(1869ねん9月7にち ななにちはん 前田まえだ利昭としあき 先代せんだい隠居いんきょ
守山もりやまはん 松平まつだいらよりゆきこれ 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ2ねん8がつ13にち(1869ねん9月18にち 黒石くろいしはん 津軽つがるうけたまわじょ
明治めいじ2ねん8がつ14にち(1869ねん9月19にち 飯山いいやまはん 本多ほんだじょ 先代せんだい死去しきょ
明治めいじ2ねん8がつ19にち(1869ねん9月24にち 磐城いわきひらはん 安藤あんどうしんいさむ
にんはん 松平まつだいら忠敬ちゅうけい
明治めいじ2ねん8がつ(1869ねん9がつ 多古たこはん 久松ひさまつまさる 先代せんだい死去しきょ
明治めいじ2ねん9がつ20日はつか(1869ねん10月24にち 桑名くわなはん 松平まつだいらじょうきょう
明治めいじ2ねん9月23にち(1869ねん10月27にち おかはん 中川なかがわ久成くなり 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ2ねん10月23にち(1869ねん11月26にち 野村のむらはん 戸田とだりょう
明治めいじ2ねん11月2にち(1869ねん12月4にち 高梁たかはしはん 板倉いたくらまさる
明治めいじ2ねん11月18にち(1869ねん12月20にち 丹南たんなんはん 高木たかぎ正善しょうぜん 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ2ねん12月7にち1870ねん1がつ8にち 小諸こもろはん 牧野まきのやすしずみ
明治めいじ3ねん1がつ12にち(1870ねん2がつ12にち 生坂いくさかはん 池田いけだまさしれい
明治めいじ3ねん1がつ28にち(1870ねん2がつ28にち 出石いずしはん 仙石せんごくまさしかた 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ3ねん2がつ22にち(1870ねん3月23にち 小久保こくぼはん 田沼たぬまひとし 先代せんだい死去しきょ
明治めいじ3ねん2がつ24にち(1870ねん3月25にち 岩崎いわさきはん 佐竹さたけ義理ぎり
明治めいじ3ねん10月25にち(1870ねん11月18にち 仙台せんだいはん 伊達だてそうあつし 先代せんだい幼少ようしょうのため
明治めいじ3ねん4がつ12にち(1870ねん5月12にち 大溝おおみぞはん 分部わけべこうけん 先代せんだい死去しきょ
明治めいじ3ねん5月8にち(1870ねん6月6にち 熊本くまもとはん 細川ほそかわまもるひさ 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ3ねん5月15にち(1870ねん6月13にち みなみはん 松平まつだいらひろしだい
明治めいじ3ねん8がつ2にち(1870ねん8がつ28にち 福本ふくもとはん 池田いけだいさおじゅん
明治めいじ3ねん8がつ17にち(1870ねん9月12にち 前橋まえばしはん 松平まつだいら直方なおかた 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ3ねん9月17にち(1870ねん10月11にち 小浜おばまはん 酒井さかいただしけい 鞠山まるやまはん編入へんにゅうにともないぜん鞠山まるやまはん知事ちじより転任てんにん
菰野こものはん 土方ひじかた雄志ゆうし 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ3ねん9月25にち(1870ねん10月19にち 壬生みぶはん 鳥居とりい忠文ただふみ 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ3ねん12月14にち1871ねん2がつ3にち 長尾ちょうびはん 本多ほんだ正憲まさのり 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ4ねん1がつ4にち(1871ねん2がつ22にち 松山まつやまはん 松平まつだいら定昭さだあき 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ4ねん2がつ11にち(1871ねん3月31にち 村岡むらおかはん 山名やまなよし 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ4ねん4がつ10日とおか(1871ねん5月28にち 成羽なりわはん 山崎やまざきおさむさとし 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ4ねん6月28にち(1871ねん8がつ14にち はん 藤堂とうどうこうきよし 先代せんだい隠居いんきょ
明治めいじ4ねん7がつ2にち(1871ねん8がつ17にち 福岡ふくおかはん 有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう 先代せんだい偽札にせさつ事件じけん罷免ひめんされたため
明治めいじ4ねん(1871ねん 鳥取とっとりはん 池田いけだあきら 先代せんだい隠居いんきょ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 稲田いなだ騒動そうどう徳島とくしま藩主はんしゅ謹慎きんしん命令めいれい 徳島とくしま市内しない太政官だじょうかん文書ぶんしょ発見はっけん徳島とくしま新聞しんぶん 2005ねん2がつ15にちづけ
  2. ^ 駿河するがこく明治めいじ2ねん8がつ7にち1869ねん9月12にち)に静岡しずおかはん改称かいしょう
  3. ^ 対馬つしまこく明治めいじ2ねん8がつ7にち(1869ねん9がつ12にち)に厳原ごんばらはん改称かいしょう
  4. ^ 美作みさくこく明治めいじ2ねん7がつ4にち(1869ねん8がつ11にち)に真島ましまはん改称かいしょう
  5. ^ 安房あわこく明治めいじ2ねん6月23にち(1869ねん7がつ31にち)に加知かちやまはん改称かいしょう
  6. ^ 武蔵むさしこく明治めいじ2ねん6月27にち(1869ねん8がつ4にち)に六浦むつうらはん改称かいしょう
  7. ^ 越後えちごこく明治めいじ2ねん10月29にち(1869ねん11月22にち)に峰岡みねおかはん改称かいしょう
  8. ^ トシはそつひゃくせんごう
  9. ^ 長門ながとこく明治めいじ2ねん8がつ7にち(1869ねん9がつ12にち)に豊浦とようらはん改称かいしょう
  10. ^ 太政官だじょうかん日誌にっし』に該当がいとう記事きじなし。

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]